24.03 それぞれの訪問 中編
昼食後、シノブ達は予定通りアリエルやミレーユに会いに行った。といっても双方とも住まいは『白陽宮』の至近だから、移動に費やした時間は僅かである。
アリエルは軍務卿のマティアス、ミレーユは内務卿のシメオンを夫としている。そしてマティアスとシメオンに宰相ベランジェを加えた三人は侯爵だから、公館は王宮と通りを挟むだけであった。
そのため馬車に乗って幾らもしないうちに、シノブ達は最初の訪問先であるフォルジェ侯爵邸、つまりマティアスとアリエルの屋敷に到着する。
ちなみに今回の同行者は少なめだ。生憎ミュリエルとセレスティーヌは視察と会合で都合が付かず、シノブとシャルロットは僅かな供を連れただけ、後はアミィと親衛隊長のエンリオを伴うのみである。
アリエルとミレーユは出産予定日まで一ヶ月半ほどだから、大勢で押しかけるのも良くない。それに訪問は二人に気分転換をしてもらうためで、負担になっては本末転倒だろう。
「リヒト様も大きくなられましたね」
「あ、あぅ~」
アリエルが頬を撫でると、リヒトは気持ちよさげな声を上げた。
サロンにいるのも限られた者達だけだ。ゆったりとしたソファーにアリエルは深く身を預け、その隣にリヒトを抱いたシャルロットが腰掛けている。そしてシノブやアミィが向かい側、フォルジェ侯爵家の者達が脇のソファーだ。
「もう少しでアリエルも会えますよ……ミレーユも」
シャルロットは楽しげな声で応えると、更に笑みを深くした。そして彼女は我が子からアリエルへと顔を向ける。
アリエルとミレーユは双方ともメリエンヌ王国の男爵家の生まれで、父の領地はベルレアン伯爵領の近くだ。そしてどちらの家も、若いうちはベルレアン伯爵家や縁者の家で行儀見習いをすることが多かった。
アリエル達も十歳からシャルロットの側に上がって共に修行に励み、長じては副官として支えた。そしてシャルロットも彼女達を深く信頼し、三人は少女時代から現在に至るまで殆どの時間を共にする。
とはいえ今は三人とも夫を持つ身だから、昔のようにはいかない。それにアリエル達はメリエンヌ学園とアマノ王国の双方で重職に就き、産休に入るまでも忙しかった。
そのためだろう、シャルロットの顔には嬉しさと共に懐かしさが浮かんでいるようであった。
「……ともかく順調で安心しました。それにルミエル殿とフローデット殿もいらっしゃいますし」
「もったいないお言葉」
「本当に……」
シャルロットが向いた先、脇のソファーで二人の女性が頭を下げる。アリエルの母であるルオール男爵夫人ルミエルとマティアスの母フローデットだ。
数日前、ルミエルとフローデットはメリエンヌ王国からやってきた。アリエルは初産で、しかもこちらには親族の女性がいないからだ。
マティアスには死別した先妻との間に三人の子がいる。しかし長男のエルリアスは十一歳、次男のコルドールが八歳、長女のフロティーヌに至っては四歳だから、手助けが出来るわけもない。
エルリアスとコルドールはシノブの従者となっているし、今も後ろに控えている。しかしフロティーヌは祖母と並んで行儀良く腰掛けているのみだ。
「もうすぐフロティーヌもお姉さんだね」
「はい! 私も世話をします!」
シノブの言葉にフロティーヌは元気に応じるが、流石に少々早いだろう。もっとも無粋なことを言う者はおらず、何れも微笑み目を細めていた。
赤子が生まれてからの話、メリエンヌ王国から来た二人が語る話、シノブ達は遠い未来や場所に思いを馳せつつ言葉を交わす。
しかしシノブは、暫くすると席を立つ。
「それじゃシャルロット、ゆっくりして。……アミィ、後は頼むよ」
シノブは妻に笑いかけると、隣のアミィの肩に手を置いた。
アリエルは出産や子育てについてシャルロットに訊ねたいだろう。しかし男の自分がいては出来ない話もあるに違いない。
主のマティアスは軍務で不在だが、息子のエルリアス達がいる。そこでシノブは、二人に館の案内でもしてもらうつもりだった。
「ありがとうございます」
「お任せください!」
シャルロットとアミィも、事前に聞いているから驚きはしない。そして身重のアリエル以外は立ち上がり、シノブと二人の少年を見送った。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブは控えの間にいたエンリオと合流した。そして彼らは少年達の先導で、とある部屋に移動する。
そこはフォルジェ侯爵家の武器庫であった。流石は軍務卿というべきか、大きな広間が丸々一つ武具の収納に当てられていたのだ。
「これは凄いね……」
シノブは目の前に並ぶ何十もの武器や防具に、感嘆の溜め息を吐いた。
メリエンヌ王国時代のマティアスは王家を守護する金獅子騎士隊の隊長で、彼の父は今も王領軍の幹部として働いている。その地位や功績に相応しい見事な剣や槍、鎧兜に盾などが部屋中に飾られていた。
しかも種類も豊富だ。剣であれば大剣から短剣まで長さも様々、剣身も幅広いものから細剣まで、更にエウレア地方ではあまり目にしない湾刀まであった。他も同様で、槍や鎧兜も各国から集めたらしい。
「流石はマティアス殿……これは先祖代々の?」
「いえ、全て父が求めた武具です」
エンリオの問いに、エルリアスは頬を染めつつ答えた。
おそらく鎧兜だけでも二十近くあるだろうし、剣や槍は倍近いと思われる。そのためシノブは何と答えるべきか迷ってしまうし、エンリオも同じらしく口を噤む。
「その……フォルジェ家の伝統か何かかな?」
結局シノブは思ったままを口にした。
軍系の貴族や騎士だと武具が好きな者は多いし、美麗な品であれば飾ることもある。しかし一人で何十も持つというのは、今まで聞いたことがなかったのだ。
「その……父の趣味です」
「祖父も少々呆れておりまして……名品揃いなのですが」
コルドールに続き、エルリアスが再び口を開く。
武具としての出来は抜群で、工芸品としても高い価値があるものばかりだ。それに家が傾くような浪費はしていない。マティアスは軍務一筋で他に趣味もないから、彼の父も好きにさせていたという。
エルリアス達もシノブとエンリオに見せるくらいだから、立派なコレクションだと思っているのだろう。しかし数が多すぎると感じていたのも事実らしい。
「軍人だから良いんじゃないかな?」
「そうですな……おっ、これはカンビーニの甲冑では? それに、こちらはガルゴンの?」
シノブの言葉にエンリオは頷いた。そして彼は再びマティアスのコレクションへと視線を向ける。
エンリオの言う通り、武器や防具はメリエンヌ王国の品だけではないようだ。カンビーニ王国の軽装の鎧兜や、逆に重厚なガルゴン王国のものもある。それにアマノ王国に来てから作ったのか、各国の特徴を併せ持つ品まで存在した。
猫の獣人の老武人は、金色の瞳を光らせつつ様々な武器や防具を見比べている。
「はい。両国の大使にお願いして、職人を紹介していただいたそうです」
「この鎧は王都のドワーフ……北区の職人の作です。もちろんヴォーリ連合国から来た方ですが、こちらに来てから色々工夫しているとか」
二人はエンリオが興味を示した品々へと歩み寄った。そこでシノブとエンリオも後に続く。
それぞれの品の前には、武器の銘に製作年や職人の名など簡単な説明を記した札が存在する。そのためシノブは、博物館にいるような気分になった。
「こういう資料館を作るべきかもね……武具の他にも色々集めて」
「良いことだと思います。きっと後世の役に立つかと」
シノブの呟きに、エンリオは耳聡く応じた。
公立の図書館は設立したが、博物館のようなものは存在しなかった。まだ建国から八ヶ月弱だから、そこまで手が回らなかったのだ。
とはいえ収集は今から手を付けるべきかもしれない。何年も経つと、建国の前後を示すようなものは減るだろうからだ。
「そのときは、当家からも寄贈します」
「まだ増えそうですし……。実は父が、アスレア地方のドワーフと交易できるようになったら、あちらの鎧を手に入れようかと……」
少年従者達によれば、マティアスは更なる収集を目論んでいるらしい。
アスレア地方のドワーフ、つまり西メーリャ王国と東メーリャ王国の職人が作った品はエウレア地方のものとは違う特性を持っており、硬化の術が効きやすいという。そのため向こうの武器や防具を入手したいと、マティアスは思ったのだろう。
「メーリャの鋼か……」
「武具以外にも、様々に使えそうですな」
シノブとエンリオは顔を見合わせた。
イヴァールの話だと、西メーリャ王国の鉄製品は他より硬度が高いようだ。どうも彼の地のドワーフ達は、特殊な鍛錬方法を知っているらしい。
仮に同じ量の鉄で以前より高い硬度を得られるなら、極めて大きな意味を持つ。飛行船に蒸気機関車、蒸気船の性能は更に上がるだろうし、材料の節約にも繋がるだろう。
「あっ! 父も当然、そちらを重視しています!」
「はっ、はい!」
エルリアスとコルドールは慌てて言い添える。どうも二人は、マティアスが自身の趣味だけで動いたように受け取られたと思ったらしい。
「分かっているよ。……せっかくだから、武具を手に取って良いかな?」
「はい、どうぞ!」
「こちらの大剣などいかがでしょう!?」
シノブが大きく頷くと、少年達は笑顔を取り戻す。そして彼らは主の求めに応じ、剣や槍の飾られた一角へと案内していった。
◆ ◆ ◆ ◆
フォルジェ侯爵家を辞したシノブ達はビュレフィス侯爵邸、つまりシメオンとミレーユの家へと向かう。こちらは双方とも揃っており、夫妻と親族達が出迎えてくれた。
アリエルと同じでミレーユも初産だ。そのため母のソンヌ男爵夫人ミルティーヌは、ルミエルやフローデットと共にアマノシュタットへと訪れた。
シメオンの方はというと、こちらは祖母のフェリシテだ。元々フェリシテの夫シャルルは財務卿代行としてアマノ王国で働いており、フェリシテもこちらで暮らしている。そこでシメオンの母は出産間近となってから来るらしい。
「私は元気なんですよ……」
「あ~、あ~」
恥ずかしげに頬を染めたミレーユに、リヒトが横から手を伸ばす。
どうもリヒトはミレーユの見事な赤毛が気に入ったらしい。先ほどから彼は炎のように煌めく髪を触っており、そのためミレーユは少々首を傾けている。
こちらのサロンでも、シノブ達はフォルジェ侯爵邸と同じような配置で席に着いた。
ミレーユの隣にリヒトを抱いたシャルロット、向かいにシノブとアミィ、そして脇にミルティーヌとフェリシテである。もっともビュレフィス侯爵邸には主がいるから、そこは違う。
「確かに元気ですね。今朝も随分と長く体力維持の訓練法に励んでいましたし」
その主ことシメオンは、ミレーユの隣である。自身の家だからか彼は普段より穏やかな表情だが、照れ隠しか少しばかり冗談めいた発言が多かった。
「ミレーユ、そろそろ控えた方が良いですよ。貴女なら大丈夫でしょうけど、周囲が心配しますから……」
シャルロットは自身の経験を伝えようと思ったのだろう。ミルティーヌとフェリシテの双方とも武術は嗜み程度だから、最も適切な助言が出来るのは自分だと考えたのかもしれない。
「それにソファーに座ったままでも出来ます。呼吸を整えて軽く魔力を巡らせるだけで、充分ですよ」
「こうですか……」
実演してみせるシャルロットに、ミレーユも倣う。
二人は体を動かさないから、一見すると座っているだけとしか思えない。しかし魔力感知が出来る者なら、呼吸と共に魔力が動いていると察するだろう。
しかし今、多くの者は二人ではなく側にいる赤子を見つめていた。
「あ~、う~、あ~」
リヒトは明らかに、シャルロット達と呼吸を合わせている。彼は魔力を感じ取れるから、母の真似をしようと思ったのだろう。
先刻まではミレーユの髪に手を伸ばしていたリヒトだが、今はシャルロットの顔を見上げている。その様子は愛らしいが、予想外のことにシメオン達は笑みを漏らすどころではない。
「……リヒト様も魔力を?」
「動かそうとしている……といった辺りかな。シャルロットを真似ているだけだよ」
驚愕を顕わにしたシメオンに、シノブは控えめな表現で応じた。
リヒトの魔力は微量だが確かに揺れ動いており、厳密には動かそうとする段階を過ぎている。もっとも極めて僅かだから、それで何が出来るわけでもない。
そのためシノブは、なるべく穏やかな表現を選んだのだ。
「何と素晴らしい……」
「流石は陛下と戦王妃様のお子様ですね……」
ミルティーヌとフェリシテは感嘆の声を漏らす。それに言葉は発しなかったがシメオンも大きく頷いて賛意を示す。
「先々が楽しみですね」
「ありがとう。だけどシメオン、君とミレーユの子も一緒に訓練しているみたいだよ」
シノブは礼の言葉に続いて、魔力感知で掴んだことを口にした。ミレーユに宿る新たな命も、母の呼吸に合わせて動いていたのだ。
リヒトとは違って魔力は動かないが、明らかに体の動きが同調している。やはり母のミレーユに似て運動好きなのだろうか。先々に思いを馳せたシノブは、知らず知らずのうちに微笑んでいた。
「そ、それは……」
「やっぱり私に似たのですね」
ますます驚きを示すシメオンに、訓練を終えたミレーユが微笑みかける。
ミレーユは嬉しげに顔を綻ばせているが、表情には納得の色が強い。どうやら彼女は、周囲が過大な期待を抱かないように伏せていたらしい。
「この訓練法は、胎教にもなるようですね。アリエルさんの子も同じように反応していました」
アミィはフォルジェ侯爵邸でのことに触れる。シノブ達が武器庫に移ってから、同じように母体の調子や胎児の様子を確かめたのだ。
「楽しみだよ……リヒトと一緒に大きくなっていく将来がね」
「ええ。きっと私達のように、互いに研鑽し支え合っていくでしょう」
シノブの穏やかな声に、シャルロットが続く。そして集った者達も二人の語る未来へと心を飛ばしたのだろう、何れも大きく顔を綻ばせていた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブは今度も、女性達を残して席を外した。そして彼と共にシメオンもサロンから歩み出る。
向かったのはサロンの隣の応接室だ。しかも従者達は隣の控えの間に残し、二人の他にいるのはエンリオだけである。
「マティアス殿は、今日も演習でしたね」
「昨年のテュラーク王国の件もあるから……」
問うたシメオンに、苦い笑みを浮かべつつシノブは応じた。
昨年十月、アマノ同盟はアスレア地方に軍を派遣した。テュラーク王国が禁術に手を出し、キルーシ王国に攻め込もうとしたからだ。
アマノ同盟がキルーシ王国に加勢したことでテュラーク王国は滅び、新たに穏健派によるズヴァーク王国が誕生した。したがってそちらは問題ないが、マティアスは同様の騒動が起きた場合について案じていた。
「メーリャの二国は元が一つですから、余計に根が深いですね」
「西を王太子、東を第二王子が押さえた……どちらも自身が正統だと考えているんだろうな……。それに分裂から百年程度じゃ、まだ記憶も薄れていないだろう」
両国が激しく対立する原因は、シメオンとシノブが挙げたものだろう。
ドワーフ達は人族や獣人族と同程度の寿命で百年を生きる者は極めて少ないが、分裂のころを知る者は四十年ほど前なら結構いただろう。したがって中年以上なら子供のころに直接聞いている筈で、歴史上の出来事として済ますのは少々難しい。
「何も起きずに済めば良いけど、万一出動となったら、一番大変なのは軍人達だからね」
「半日近くも磐船に乗るのは大変ですが、ここと西メーリャは気候が違いすぎますからな」
シノブとしては軍を出すような事態は避けたいが、備えは必要だ。そこでマティアスは選抜した精鋭をアスレア地方に渡る航路の補給地に置き、自身は竜が運ぶ磐船で通っていた。
これはエンリオが触れたように、気候の違いが理由である。真冬で積雪も多いアマノシュタットで訓練しても砂漠や隣接する地域では意味がない。そこで似た環境の、大砂漠南岸が選ばれたわけだ。
「暑さですか……イヴァール殿も大変ですね。あの蓬髪と長い髭では、毛布を被って活動するのと大差ないでしょうから。それに随分と髭に対する認識が違うようですし」
「まあね……その辺り、アマノ王国は寛容で嬉しいけど」
シメオンの指摘を、シノブは認めざるを得なかった。
神々はそれぞれの地方に相応しい文化を授けたという。これは多様化という意味もあるが、土地に合った暮らしを優先した結果のようだ。
もちろん各地方の中にも、気候や風土の違いはある。しかし多くの場合は種族ごとに住みやすい場所に固まったから、大きな問題は生じなかった。
本来であれば大砂漠の影響で暑い西メーリャには人族か獣人族が住み、寒冷な東メーリャにドワーフ達が集まった筈だ。
しかしメーリャでは暑い西でも良質な鉱石が採れたから、一部のドワーフ達は我慢して住み続けた。それに南のキルーシ王国には大きな平野が広がり豊かな内海もあるから、他の種族もドワーフ達を追い払ってまで移住しようとは思わなかったらしい。
その結果、暑さへの適応を選んだドワーフと従来の暮らしを守ったドワーフの二つが誕生したわけだ。
「我が国の場合、他の種族も多いですから。それに帝国時代の過ちを繰り返してはならないという思いも、強いのでしょう」
「メーリャは同族ならではの嫌悪でしょうな。東は伝統を捨てた者達への怒り、西は逆に固執する者達を見下す……。いっそのこと他種族なら、自分達とは違うと割り切れるのでしょうが……」
シメオンとエンリオの言葉は、どちらも事実なのだろう。シノブも似たようなことを考えていただけに、二人の言葉が素直に胸に染み込んでいく。
今のアマノ王国は、かつてのベーリンゲン帝国の奴隷制度が戒めとなっているようだ。まだ帝国打倒から一年も経っていないだけに、種族や出身で差別するのは論外だという意見は非常に強い。
それにアマノ王国にはドワーフにエルフ、更に僅かだが遥か南や東の人々も住むようになった。特にアマノシュタットでは顕著で、仕事で滞在する者や定住を選んだ者も多い。
それに対しメーリャの二国は、同じドワーフだけに根深いようだ。違いは暑さに起因することのみだから、問題点が明確すぎるのかもしれない。
しかし暮らす場所は生業である鉱石の採掘に大きく関わっており、どうすることも出来ない。そのため自分達が正しい道を選んだと主張するようになったのも、無理からぬことである。
「やはりドワーフのことはドワーフに聞いてみるべきかな? ここの暮らしも本来の生活とは大きく違うだろう。そこにどうやって合わせているのか、あるいは周囲が譲っているのか……」
「はい。それと数は少ないですが、エルフの定住者に話を聞いてみても良いかもしれません。彼らはドワーフ以上に頑な……いえ、これは失言でした」
シノブがアマノシュタットのドワーフ達に触れると、シメオンはエルフ達を挙げる。
王都ということもあり、アマノシュタットにはエルフもそれなりに住んでいる。彼らには優秀な治癒術士が多いし、エルフの魔法薬は需要も高いからだ。
「素晴らしいことかと……城下の視察は幾らしても損はありませんから。もちろん国中を巡るのが理想ですが、まずはお膝元からが現実的でしょうな」
エンリオも王都視察には大賛成らしい。
確かに自国の把握に努めるのは大切なことだし、急激に成長し変化していくアマノ王国なら尚更だ。シノブも街に赴くたびに新たな発見があるし、違いに驚いてもいる。
エンリオは自身が目にした王都について語り出し、シメオンは内務卿として仕入れた知識を披露する。
イヴァール達は自身の力でメーリャとの関係構築をと意気込んでいるから、シノブも請われもせずに介入するつもりはない。しかし王都での見聞が何かのときの助けになれば。シノブは、そう思いつつ二人の話に耳を傾けていった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブがシメオンやエンリオと語らっているころ、イヴァール達はキルーシ王国と西メーリャ王国の国境に到着した。四隻の飛行船は予定通り十五時に、国境を守るグルーチ砦の脇の荒野に着陸したのだ。
国境地帯とはいうが境にあるのは大人の背ほどの石壁だけで、乗り越えるのは容易だ。しかも壁状に積んでいるのは街道近くのみで他は土塁のように自然石や砂利を重ねただけだから、多くは歩いても越えられる。
しかしキルーシ王国と西メーリャ王国の仲は極めて良好で、争ったことなど皆無である。
キルーシ王国は建国時にドワーフ達に傭兵を頼んだこともあった。それに現在でも優れた鉄製品を提供してくれる良い交易相手だ。
西メーリャ王国の武器や防具はキルーシ王国内でも需要が大きいし、南の国々にも高く売れる。それに彼らはキルーシ王国の農産物を買ってくれる客でもあり、共に栄える方が好都合なのだ。
もっとも種族の違いがあるから、行き来するのはキルーシ王国の交易商くらいである。これは人族や獣人族の方が社交的だからであろう。
それを示すかのように、グルーチ砦の司令官フテポルクは人族であった。しかも彼は恰幅の良い中年男性だから、軍人というより商人のような印象を受ける。
それも当然で仕事の大半は通関業務、砦も常駐する人員は百名を切る。一応は国境の守護役だから司令官としているが、実情は守護隊長かつ内政官といった辺りなのだ。
「フテポルク、出迎えありがとう」
「もったいないお言葉。大変恐縮ですが姫様、既にロスラフ殿やご家族が御揃いですので……」
飛行船から降りたヴァサーナに、フテポルクは大袈裟な仕草で一礼した。しかし顔を上げた彼は、遠慮しながらも王女に後ろを示す。
フテポルクや兵士から幾らか離れた場所に、ドワーフ達の一団が並んでいる。もちろん彼らが西メーリャ王国の太守の一人であるロスラフと家族達、それに護衛の戦士団である。
ロスラフが預かるペヤネスクは、キルーシ王国に最も近い都市だ。そのため彼がアスレア地方北部訪問団を迎えに来たわけだ。
ちなみに西メーリャ王国は国境に砦を築いておらず、通関手続きのための簡素な建物があるだけだ。そのため今までロスラフは、グルーチ砦で饗応されていた。
「分かっているわ。……イヴァール様、リョマノフ様?」
「ああ、行こう」
「せっかくの出迎え、待たせるのも失礼ですからね」
ヴァサーナの呼びかけに、訪問団の団長イヴァールとエレビア王国の王子リョマノフは頷き返す。そして三人を先頭に、訪問団の主だった者がロスラフ達へと近づいていく。
ここでは挨拶をするのみで、間を置かずにロスラフ達も飛行船へ乗り込む。今日は都市ペヤネスクまで進む予定で、更に100km近くあるのだ。
したがって、あまりグルーチ砦で時間を取られるわけにもいかない。まだ飛行船は有視界飛行のみでレーダーに相当するものはないし、ペヤネスクは北緯50度に近く日暮れも早いからだ。
そのためイヴァール達の歩みも、どこか足早に感じるものとなっていた。
「……本当に髭が長いのだな」
「まさか東から来たのでは……」
一方のロスラフ達だが、太守や家族はともかく周囲の戦士達からは懸念の滲む声が上がっていた。流石にイヴァール達に聞こえるほどではないが、どこか不穏な空気が漂っている。
西メーリャ王国のドワーフ達は髭が短いか剃っている。例えば太守のロスラフだが、鼻の下に僅かに髭を蓄えるのみである。しかし分裂した東メーリャ王国だと、イヴァール達と同じく長い髪と髭を誇っている。
そのため戦士達は、長年対立してきた相手を思い浮かべてしまうのだろう。
「ロスラフ様、初めまして。私がキルーシ王国の王女ヴァサーナ・ガヴリドル・キルーシです」
豹の獣人の王女は、華やかな笑みと共に自身の名を告げた。そして彼女は、快くアスレア地方北部訪問団を迎えてくれたことに対する礼を続けていく。
西メーリャ王国の太守ロスラフは、王女の言葉に静かに耳を傾ける。ドワーフらしく背は低く分厚い筋肉の持ち主だが、容貌は穏やかといって良い。
おそらくはヴァサーナが評した通り、ロスラフは賢明な太守なのだろう。
「この方がアマノ王国のバーレンベルク伯爵イヴァール・エルッキ・ド・アハマス様です。そして隣はエレビア王国の王子リョマノフ・ズビネク・エレビア殿……私の婚約者でもありますわ」
ヴァサーナはイヴァールとリョマノフを示す。恥じらい故か最後は少々頬を染めたが、それも好感触だったらしくロスラフは僅かに笑みを浮かべた。
しかしロスラフは、表情を改めると一歩前に進み出た。
「儂はペヤネスク族のダルネグの息子、ロスラフだ! お主もドワーフらしく名乗ってくれ!」
穏やかそうなロスラフだが、やはり彼もドワーフであった。ヴォーリ連合国の同族に負けない大声で、支族と父の名、自身の名と続けていく。
「俺はアハマス族のエルッキの息子、イヴァール! 祖父のタハヴォは支族の長を務め、父はヴォーリ連合国の大族長、そして俺は岩竜ガンドから『鉄腕』の名を授かった戦士だ!」
イヴァールの名は本来イヴァール・エルッキ・アハマスだ。しかし彼はアマノ王国の貴族となった際に他と同じく敬称を挿入することにした。
もっともドワーフ同士で呼び合うときは、以前と同じである。そこでイヴァールも伝統の作法に則り、名乗りを上げる。
ただし今回は続きがあった。イヴァールはアマノ王国と故国、そして竜との関係まで告げる。おそらく彼は、それらを示すことで訪問の背景にはエウレア地方のドワーフの総意があり、更に超越種との友好関係もあると伝えたかったのだろう。
しかしイヴァールの名乗りは、事態を思わぬ方向へと動かす。
「ふむ……竜から名を得たと。ならば、競わせてもらうぞ! さあ、イヴァール殿!」
挑戦を宣言するロスラフは、それまでより一回りも二回りも大きくなったような威圧感を放っていた。もちろん声も雷鳴のように響き渡り、砦や飛行船の中にいても聞こえると思うほどの大音声である。
「おお! 我らドワーフは体で語り合うのが一番よ!」
しかしイヴァールは怯まない。むしろ彼は、望んでいたことと言いたげな獰猛な笑みを浮かべると右手を斜め上へと掲げた。
対するロスラフも同じく右手を上げた。そして彼はイヴァールの手の甲に自身のそれを打ち付ける。すると双方のドワーフ達は、興奮も顕わに二人の名を叫んで称える。
「それでは私、エレビアの若獅子ことリョマノフ・ズビネク・エレビアが審判を務めましょう。……ところで、どのような勝負を行うので?」
リョマノフは二人の脇に進み出ると、審判役を名乗り出た。しかし続けて勝負の仕方を問うたからだろう、一瞬の静けさが生まれる。
もしかすると若き王子は、放置されたのが嫌だったのだろうか。そんな思いからだろう、勝負の前に似合わぬ朗らかな笑い声が辺りに広がっていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年9月16日(土)17時の更新となります。




