24.02 それぞれの訪問 前編
キルーシ王国から西メーリャ王国に行く場合、普通は西の大砂漠に近い街道を北上する。両国の間には東西2500kmを超えるロラサス山脈が横たわっているからだ。
ロラサス山脈は西端近くに二つほど通れる場所があるが、標高が高く魔獣も多いから殆ど利用されない。それに対し街道がある一帯は、大砂漠からの酷暑と乾燥が辛いが安全に行き来できる。
イヴァール達のアスレア地方北部訪問団は飛行船で移動するから、峠越えや山脈の魔獣を気にせずに突っ切ることも可能だ。しかし両国が窓口を置くのは西の街道が通る国境のみだから、訪問団も通常の経路を辿る。
そこで訪問団を乗せた四隻の飛行船はキルーシ王国の王都キルーイヴから北西へと進み、西メーリャ王国との国境を目指していく。
「ほんの数ヶ月前まで、空からキルーイヴを眺めるなんて思いませんでしたわ」
「ああ……本当に凄いよな……」
キルーシ王国の王女ヴァサーナの呟きに、婚約者であるエレビア王国の王子リョマノフが続く。
二人が乗っているのは先頭を進む飛行船、訪問団の旗艦である。つい先ほどキルーイヴの東にある軍の演習場から飛び立ち、今は街の上を越えている最中だ。
まだ高度は100mほどだから、建物だけではなく地上の人々も充分に見える。そこで獅子の獣人の王子と豹の獣人の王女は窓際に寄り、自分達が暮らす街の風景を楽しんでいるのだ。
「立派な街だ。それに緑が多いのも良い」
イヴァールもリョマノフ達と同じく、朝日が照らす街の風景を眺めていた。
キルーイヴの人口は四万五千人ほど、アスレア地方では最大級の都市だ。ほぼ円形の都市は直径3kmを優に超えるし、周囲に巡らされた城壁も普通の家屋なら三階分に相当する高さを誇っている。
それにキルーイヴは温暖で水も豊富だから、街路樹や庭園も緑が多く目に優しい。西の大砂漠に近い一帯は荒野が広がっているが、この辺りはロラサス山脈からの水もあるし海に近いから湿度も充分なのだ。
今は一月だが、西からの暖かな空気のお陰で多くの樹木は葉を落とさない。そのため王都の周囲に広がる農地にも多くの人が出ている。
イヴァールは自身の故郷セランネ村を思い出したのか、畑で働く人々へと目を転じていた。
「お褒めの言葉、嬉しいですわ……ですがアマノシュタットの半分ほどですから」
「エウレア地方の発展は、聖人様達のお力があってのことです」
謙遜したらしきヴァサーナに、副団長のテリエ子爵アレクベールが応じる。
エウレア地方の各王都に比べると、キルーイヴは規模が小さいし高層の建物も少ない。しかしエウレア地方の発展は、ベーリンゲン帝国という難敵に対抗するため眷属達が高度な知識を授けたからだ。
帝国を陰から支配したバアル神は、強力な国を造るために都市や軍隊を整備した。そのため対抗すべく地上に降りた眷属達も、同じ水準に各種技術を進めたのだ。
「これから追いつけば良いさ」
「ええ」
肩を抱いたリョマノフに、ヴァサーナは微笑む。そして二人は再びキルーイヴを眺め始めた。
飛行船は巡航時の最大速度である時速90kmに迫っているらしい。会話をしている僅かな間に、船は王都の上を半分近く通過していた。
「あっ、ヴォジフ達だわ!」
「揃っての見送り、嬉しいね」
ヴァサーナが挙げたのは、宮殿を警護する隊長の一人であった。
眼下の王宮では、兵士達が勢揃いして抜剣礼をしていた。それにリョマノフが触れたように、文官や侍女も外に出て空を見上げている。
演習場には国王ガヴリドルが率いる一団が出向いたし、ヴァサーナの母ユリーヴァなどの王族や宰相ラデラフを始めとする文官も同行した。しかし留守を預かった者も当然ながらいる。
どうやら王宮に残った彼らは、飛行船の通過を待っていたようだ。旗艦が近づくと僅かな時間で庭を埋めつくし、更に楽団が太鼓やラッパの音を響かせていく。
「通信手、後続に半速を指示! それとキルーシ王国の国歌を!」
旗艦の艦長ツェリオは通信担当の軍人達へと命令し、自身も減速を行う。
艦長となったツェリオだが、まだ以前のように操舵を担当することも多い。特に今は王都の上空を抜けることもあり、自ら操艦を担当していた。
隣の副操縦席にも操舵士が着いているが、そちらはツェリオの様子を見守るのみである。
「至急! 後続、半速に変更!」
「キルーシ王国国歌『火の鳥の翼』を再生します!」
命令を受けた一人が、制御盤に並んだボタンの一つを押した。すると船外に勇壮な音楽が流れ始める。
飛行船には拡声の魔道装置があり、更に録音や再生の魔道装置も追加された。そのためツェリオは、答礼として彼の国の国歌を奏でたのだ。
地上の楽団も国歌の伴奏に切り替え、庭に出た人々も歌い始める。もちろん飛行船の中でもヴァサーナやリョマノフ、お付きの者達が和している。
更に地上の歌は、王宮の外にも広がっていく。そして四隻の飛行船は王都全体を包む歌に送られ、蒼穹へと昇っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
空を進む間も、イヴァール達は訪問先について語らっていた。
国境までは直線距離でも600kmはあり、到着時間は十五時ごろとなる予定だ。そのため当初から飛行船の中でも多少の相談をすることになっていたのだ。
訪問団を乗せている七式アマテール型飛行船改は、全長150mを超える巨艦だ。もちろん大半はヘリウムを溜める気嚢だが、内部には通常の船室に加えて会議室などもある。
しかしリョマノフ達が操船の様子を眺めたいと望んだから、打ち合わせの場は操縦室となっていた。
操縦室とはいえ巨大な船のことだ。操舵以外にも機関や各種装置の担当も含めれば十人以上の席が設けられているし、軍議が出来るようにテーブルと椅子も置かれていた。もっとも揺れや傾斜に対応できるように全て固定され、飾りなどない簡素な品であったが。
「都市ペヤネスクの太守、ロスラフ様が国境でお出迎えくださいますわ」
ヴァサーナは国境の砦から入った情報を口にした。
キルーシ王国を含め、アマノ同盟と友好関係を結んだ国の主要都市には大使館や領事館を置き、これらの全てに長距離用の魔力無線を設置している。
これらは設置した国の利用も認めており、国境からの知らせも途中からは魔力無線を使って届いていた。
「ならば今日はペヤネスクまで進めるのか?」
「ええ。ロスラフ殿達は飛行船への搭乗を希望したそうですから、日没までに到着できる……いや、ギリギリかな? ともかく今日中には入れると思いますよ」
問うたイヴァールに、リョマノフは少し間を置きつつ言葉を返した。どうやら彼は、向こうの日没時間がキルーイヴより早いのを思い出したらしい。
この日は創世暦1002年1月22日で、冬至から一ヶ月といったところだ。そのため北半球では日が短く、キルーイヴでも日没は十七時過ぎである。
しかし都市ペヤネスクは更に北で北緯50度近いから、二十分ほども早く日が落ちる。そしてペヤネスクは国境から100km先だから、日暮れ前後となる可能性は高い。
「長い髭だから追い返されるかと思ったが、それは無かったか」
どうやらイヴァールは冗談を言ったらしい。彼の目元は明らかに笑いを浮かべていた。
西メーリャ王国はドワーフ達の国だが、他と違って髭を伸ばさず短く刈り揃えるか剃る。これは大砂漠からの熱風による猛暑を凌ぐためだ。
神々はエウレア地方とアスレア地方を隔てるため、超越種の一つである朱潜鳳に広大な砂漠を造らせた。そして朱潜鳳達は、代替わりした今でも砂漠を維持している。
東西の交流は始まったが、いきなり砂漠が消失したら気象異変で大惨事となるだろう。ここキルーシ王国のような高緯度帯が南国風の衣装なのは、砂漠からの熱風があるからだ。
それは西メーリャ王国やリョマノフの故郷エレビス王国も同じで、高山を別にすると氷点下など体験することはない。
「ロスラフ様は賢明な方だそうです。それに皆様の技にも大層興味を示していらっしゃると聞きました」
「西メーリャの鋼は特上、細工物も感心するものばかり……しかし空飛ぶ船など想像したことすらないでしょう」
ヴァサーナは太守に関して、そしてリョマノフは特産物について触れた。
西メーリャのドワーフ達も金属の精製や加工に長けていた。そして、これが暑い場所に彼らが住んでいる理由でもあった。
西メーリャ王国の国土、特に大砂漠に近い西側は良質な鉄鉱石や砂鉄が多く採れるが極めて暑い。そのためドワーフ達は少しでも涼しくしようと、髭や髪を伸ばさなくなったという。
「我らも期待しています。王宮で拝見した品々、あれだけの硬度に仕上がるのは素材のみとは思えません」
イヴァールの弟パヴァーリは、感嘆も顕わな声で言葉を紡ぐ。
キルーシ王国と西メーリャ王国は国交があり交易も行われている。しかし西メーリャ王国に大使を置く習慣が無いし、民間でも人族と獣人族しかいない国に出てくる例は皆無だ。どうやらドワーフ達は、ますます暑いだろう南を嫌ったらしい。
とはいえ作った品は数多く入っているから、彼らの腕を知るには充分だった。
訪問団のドワーフの目を惹いたのは、鋼の硬さだった。元々の鉄鉱石も上質らしいが、同行した鍛冶師によれば他にも理由があるという。
「確かにメーリャからの品は、硬化の術が通りやすいようです。他の術は、さほどでもありませんが……」
「魔力の通りが独特ですね。ヴォーリ連合国の品は全ての属性を同じように通しますが、あれは硬化など一部に特化しています」
首を傾げたヴァサーナに応じたのは、初老のエルフの男性だ。彼はデルフィナ共和国の代表者エイレーネの夫で、名をルキアノスという。
通常エルフは女性が中心となって国を治め、男性は狩人や武人、職人などとなる。その例に漏れずルキアノスも魔道具職人の道を歩んでおり、所属するアレクサ族で一番と謳われるまでになった。
しかし他国との交流が増え、外に出る者が増えた。ルキアノスの家族も娘は駐アマノ王国の大使で彼女の夫も一緒に働いているし、母や孫達もメリエンヌ学園の研究所に勤めている。そこで彼も外に出る気になったらしい。
◆ ◆ ◆ ◆
『どことなく我らの技と似ているような気がする』
『ええ……』
発声の術で話に加わったのは、玄王亀の長老夫妻アケロとローネであった。二頭は腕輪の力で小さくなり、テーブルの脇に並んでいたのだ。
──フォルス殿、ラコス殿、いかがでしょう?──
ローネは姿を消して飛行船の側を飛んでいる二羽、朱潜鳳のフォルスとラコスに思念を送った。
朱潜鳳は姿消しを使えないが、代わりに透明化の魔道具を用いている。アマノ王国と違いアスレア地方に超越種が現れることは少ないから、彼らは今回の旅の多くをこうやって過ごしていた。
──私達より玄王亀の皆さんに近いと思いますよ──
──土属性の術は得意ではありませんので──
『朱潜鳳よりも玄王亀に近いようです。山の民ですから、それが自然でしょう』
フォルスとラコスからの返答をローネが告げると、一同は納得したような顔になる。しかし、それなら誰が玄王亀の技を伝えたというのだろうか。
「シューナ様がお住まいを離れたのは、ここ数年以内とお伺いしましたが?」
リョマノフは改まった様子で問うた。相手は八百年以上も生きた存在だから、流石のリョマノフも普段のようにはいかないのだろう。
『うむ。玄王亀が伝えたなら、更に昔に訪れた者がいるのだろう』
アケロは長老だが、一族の行動を全て把握してはいない。
全ての玄王亀は二十年に一度集まり、互いの近況を伝え合う。とはいえ短期間の会合で二十年の全てを語ることは不可能だから、仮に人間に何かを教えたとしても告げなかったのかもしれない。アケロは、そのように続けていく。
『確かに初耳だ……しかしプロトス殿は森の子達に手ほどきをしたそうだが、知らなかった』
『そうですね。もっとも、あれは神々や眷属様の御指示なのかもしれませんが』
アケロとローネが触れたプロトスとは、創世のときに成体として出現した第一世代で既に没している。
創世の時代、神々や眷属は人間に生きる術を教えた。そして同時に超越種には相応しい在り方を伝え、この星を守る存在へと導いた。
そのころの超越種には役目の一環として人と交流した者もおり、プロトスもその一員のようだ。アスレア地方のエルフ達によると、先祖は彼から金属の精製や加工を教わったという。
「メーリャにもご指導くださったのでしょうか?」
「あるいはアスレア地方のエルフ、今でいうアゼルフ共和国から学んだか……」
パヴァーリとルキアノスが口にしたのは、あくまでも想像でしかない。それに今となっては確かめる術もない筈だ。
しかし念のためと思ったのだろう、ルキアノスはシノブに送るべく文を記し始める。アマノシュタットは遥か遠方だが、イヴァールの持つ通信筒を使えば一瞬である。
「今から案じても仕方なかろう。……リョマノフよ、色々教えてくれて助かった。どうだ、飛行船を操ってみないか?」
イヴァールは椅子から立ち上がり、前方の操縦席へと歩み始める。
ドワーフ伝統の闘技である素無男で打ち解けたこともあり、リョマノフは親しく呼んでほしいとイヴァールに伝えた。何しろイヴァールはリョマノフより十歳も年長だから、私的な場で堅苦しくされてもとリョマノフは思ったらしい。
「喜んで!」
「まあ、楽しそうですわ!」
歓喜を顕わにしたリョマノフとヴァサーナは弾かれたように席を立った。そして二人は小走りにイヴァールを追っていく。
「ツェリオ殿、副操縦席で体験させてもらえぬだろうか?」
「ええ、もちろんです!」
イヴァールは主操縦席に着いた虎の獣人、つまり艦長のツェリオに声を掛けた。するとツェリオは、笑顔で承諾する。
「殿下、こちらにどうぞ」
副操縦席に着いていた操舵士が席を外す。
主副の双方は連動しており、どちらでも操縦できる。そのため仮にリョマノフが失敗しそうになっても、ツェリオが修正すれば良いだけだ。
「通信手! 訓練飛行のため距離を空けるよう、後続に伝達! 理由も伝えてくれ!」
「了解しました! 訓練飛行のため間隔を広げるよう伝達します! ……至急! リョマノフ殿下が体験操縦をされます……」
念のための措置だろう、ツェリオは通信手に距離の確保を命じた。そして彼は席に着いたリョマノフへと顔を向ける。
「左右の方向転換は、この輪を回します」
ツェリオは実演しながら語っていく。その様子をリョマノフと後ろに立ったヴァサーナは、食い入るように見つめている。
左右の方向転換は船と似ており、舵輪のように輪を回して向きを変える。飛行船の操縦士の多くは船の航海士だったから、彼らが分かりやすい操作法を選択したわけだ。
ただし船の舵輪のような取っ手が突き出していると、座って操るのは難しい。そこで自動車のハンドルのように輪の部分のみを残す形になっていた。
「上は引っ張り、下は押し込みます」
続いてツェリオは上昇と下降を実行する。
上下の操作は押し引きとして舵輪に組み込んでいた。そのため旋回しつつ上昇するなら舵輪を引きながら回すことになる。
「最後に出力の調整ですが、足元の踏み板で行います。右は右側の機関、左は左側ですが今は連動させています。切り替えで後退もできますが、これは止めておきましょう……後ろに叱られますからね」
ツェリオの冗談に笑いが零れる。
蒸気機関の制御は機関士の担当だが、プロペラの回転数は操縦士で操作可能だ。もっとも細かい調整を機関士がする前提で、彼らを抜きにして安定した航行は成り立たない。
一通りの説明を終えたツェリオは、リョマノフに舵輪を握らせ踏み板に足を置かせた。そして自身が操り、どのくらい舵輪や踏み板が動くか体験させる。
「……では、どうぞ。少しの間ですが、操艦をお楽しみください」
「ありがとう……」
ツェリオは舵輪や踏み板に触れたままだが、力を抜いた。そして代わりにリョマノフが少しだけ右に舵を切る。
「うわっ、意外に軽いな……」
リョマノフが驚くのも無理はない。舵には蒸気機関による補助があり、いわゆるパワーステアリングのように少ない力で操縦できるからだ。
「横に振ったままだと進路から外れますよ」
「そ、そうだな! ならば……」
ツェリオの忠告を受けたリョマノフは舵輪を逆に切り、元の方角へと機首を向ける。そして若き王子は掴んだ輪を軽く引き、更に踏み板を僅かに踏み込んだ。
すると飛行船は少しだけ機首を上げ、更に速度を増しつつ蒼穹へと昇っていく。そして残る三隻も、緩やかな上昇で旗艦に続いた。
「やはり、お主は上を目指すか」
「ええ……この方が気持ちいいですからね。それに俺の腕じゃ、下に行ったらぶつかるかもしれません」
イヴァールの言葉に、リョマノフは真っ直ぐ前を見つめたまま応じた。
冗談めかしてはいるが更なる上を目指すという若者らしい宣言に、操縦室にいる者達は顔を綻ばせた。その中で一際笑みを深くしたのは、婚約者のヴァサーナである。
ヴァサーナの金色の瞳は、まるで太陽のように眩しい。それに彼女の笑顔は、咲き零れる花もかくやという美しさだ。
「リョマノフ様、一緒に昇っていきましょう」
「ああ……俺達の道を、どこまでも」
肩に手を添えた王女に、王子は静かに応えた。
操艦の最中だから手を重ねることは出来ないが、二人の心は確かに一つになった。誰もが同じことを考えたのだろう、口を挟む者はいない。
そのためだろう、少しの予定だった体験操縦が終わったのは随分と時間が経ってからだった。
◆ ◆ ◆ ◆
そのころアマノシュタットは、まだ日の出を迎えていなかった。時差が二時間近くあり、更に緯度も5度は高いからだ。
とはいえ午前六時も近いから、既にシノブ達は起床している。
「リヒト~、今日はアリエルお姉さんとミレーユお姉さんに会うよ~」
シノブは居室のソファーに座り、腕の中の愛息リヒトに語りかけている。
シャルロットの腹心にして親友アリエルとミレーユは出産まで一ヶ月半といったところだが、産休に入って少々退屈しているらしい。そこで今日の午後、シノブはシャルロットやリヒトを連れ、それぞれの家を訪ねることにした。
自身はともかくシャルロット達と接したら、良い気晴らしになると思ったのだ。
「あぅ~、あ~、う~」
「ああ、会うんだよ~」
まだ二ヶ月半の乳児だがリヒトは思念に反応するし、それどころか魔力波動で応じようとする。流石に思念と呼ぶほど言語らしくはないが、シノブには我が子の感情の動きや考えが朧げながらだが伝わってくる。
そこでシノブは、積極的に言葉と思念でのやり取りを続けていた。
「まさか『会う』と言っている……のでしょうか?」
シャルロットは顔を動かさず、視線だけを夫と我が子に向けた。実は彼女の髪をアミィが結い上げている最中であった。
もう少ししたら、シノブとシャルロットは早朝訓練をする。そのため彼女は、いつもと同じく武人としての身支度をしているのだ。
「偶然だと思うけど?」
「シノブ様とシャルロット様のお子ですから、本当かもしれませんよ?」
「アミィお姉さまの仰る通りかも……」
シノブは否定するが、アミィとタミィは半信半疑といった様子である。つまり二人も半分はあり得ると思っているらしい。
もっともタミィが姉と慕うアミィを立てるのはいつものことだ。そのためタミィの場合、単に同調しただけかもしれない。
「オルムルはどう思う?」
シノブは感応力に優れたオルムルへと訊ねてみる。といっても答えを求めているわけではなく、オルムル達との会話を楽しみたかっただけだ。
『そうですね……リヒト、アリエルさんやミレーユさんに会いたいですか?』
岩竜オルムルは、他の子と共に向かい側のソファーに並んでいた。しかし彼女は宙に舞い上がり、シノブの前に進んでくる。
すると炎竜シュメイ、光翔虎のフェイニー、更に玄王亀のケリスも続いて浮遊する。どうも彼女達もリヒトが気になったらしい。
そしてオルムルと同じく、シュメイ達も色々と語りかけていく。
一方、男の子達は床の上だ。雄の中で最年少の炎竜フェルンと朱潜鳳のディアスを、年長の嵐竜ラーカ、海竜リタン、岩竜ファーヴが囲んでいる。
『自分の中にあるものを解き放つと良いそうですよ?』
『ヤマト王国の健琉さんが、そう言っていましたね……』
『もう少し後だと思うけど……』
ラーカとリタン、そしてファーヴは、移送鳥符への憑依を指導していた。まだ会得していないフェルンとディアスが、そろそろ自分達も出来るのではと言い出したからだ。
しかし今までの最年少記録はファーヴの生後八ヶ月弱で、フェルン達は一ヶ月ほど足りない。そのため更に幼いケリスは最初から加わっていないのだ。
『移送……転換!!』
『移送~! 転換~!』
フェルンとディアスは威勢の良い掛け声を発する。どうも彼らは、気合の入れ方なども変えつつ試しているようだ。間を置いたり伸ばしたりしているのは、それぞれなりの工夫だろう。
それにフェルンは前足で移送鳥符を掲げたり、ディアスは嘴で咥えつつ羽を広げたりと、何やら変身ポーズのような動作まで加えている。
しかし今回も失敗で、魂は自身の肉体に宿ったままだ。
『ダメでした……』
『また明日です……』
挑戦は既に二十回を超えていた。そのためフェルン達は、今日はここまでとしたらしい。彼らは移送鳥符をタミィへと渡す。
「その……気を落とさないでくださいね」
タミィは笑顔を作りつつ鳥を模した符を受け取り、魔法のカバンへと仕舞った。
つい先日、年長の子供達は人間そっくりの木人に憑依してアウスト大陸の町を巡った。そのためフェルンやディアスは、憑依への憧れが再燃したようだ。
そういった背景を知るだけに、タミィも気の毒に思ったのだろう。
一方のオルムル達だが、あれこれ問い掛けて結論が出たらしい。彼女達はリヒトから離れると、シノブに顔を向ける。
『会いたいのは間違いないと思いますが、声は真似ているだけかと……』
少し申し訳なさそうなオルムルは、シノブ達の期待に反したと思ったからだろう。もっともシノブとしては二ヶ月の赤子が話せると思ってはいないし、シャルロットも同じらしく微笑みを浮かべている。
『こうやって覚えるのですね……』
『まだ喉が発達していないそうです』
何やら感心した様子のシュメイに、どこで聞いたのかケリスが自身の知識を披露する。
知性派の彼女達は人間の発育にも興味があるようだ。発声の術は魔力障壁の振動によるもので喉を使わないから、違いが気になるのかもしれない。
『こういうときは『アマノ式伝達法』ですよ~! 『あ』と『う』の組み合わせで文章を作るんです~!』
フェイニーは二つの音でも意思を交わせる方法を示したが、試すつもりはないらしい。
自由奔放なフェイニーだが、一方で思慮深い面も持ち合わせている。おそらく彼女は、リヒトが言葉を覚える支障になったらと危惧したのだろう。
シノブとしても、我が子の最初の言葉がモールス信号もどきというのは避けたい。そこで先ほど通信筒で知ったことに、話題を変える。
「……ケリス、メーリャのドワーフ達は玄王亀が伝えた技を汲んでいるかもしれない。もしかすると、シューナを探す手掛かりになるかもね。
時代は全く違うけど、自分の知っている技を遣う人間にシューナが興味を示して接触した……とかね」
『はい、楽しみです』
シノブが伝えたことは単なる可能性でしかないが、ケリスは喜びを感じたようだ。彼女はコクリと頷くと、シノブの膝に乗る。
今のケリスは他の子と同じく大きめの猫くらいの大きさだから、シノブは膝にクッションを乗せているような状態だ。
『シャンジーさん!』
『待っていました!』
フェルンとディアスはソファーの上を飛び越えて窓へと寄っていく。双方とも挑戦失敗を引き摺ってはいないようで、いつもの元気を取り戻していた。
そのためシノブは強い安堵を抱き、顔を綻ばす。
『ゴメンね~。さあ、カカザン島に出かけようか~』
シャンジーの言葉に、子供達が歓声を上げた。
カカザン島とはアウスト大陸の北にある森猿達の楽園で、王のスンウが率いる千頭ほどが暮らしている。もちろん名前は西遊記からの連想で、シノブが付けたものだ。
『それではシノブさん、行ってきますね! 早く皆さんが話せるよう、頑張ります!』
今日のオルムル達はシャンジーの引率で森猿達に会いに行き、彼らに『アマノ式伝達法』を教える。もちろん一日では習得できないが、少しずつでも導くそうだ。
「ああ、スンウ達を頼むよ」
羽ばたくオルムルに、シノブは笑顔を向けた。
森猿達は人間の言葉を操るほど喉が発達していないようだ。しかし『アマノ式伝達法』を覚えて人間と意思疎通できたら、知性ある者達として存在を明らかにできるだろう。シノブは、そこに大きな期待を抱いていた。
もちろんオルムル達の意図するところも同じだ。
自分達が人間と共存できたのは、会話が成立したためである。ならば森猿達にも同じ道を示したい。そう思った故だろう、カカザン島には成体の超越種達も頻繁に訪れているそうだ。
『この蒼天大竜ラーカに任せてください!』
『碧海大竜として頑張ります!』
ラーカとリタンが勢いよく舞い上がり、元気の良い声を張り上げた。
この異名もシノブが付けたものである。オルムルが光竜、シュメイが賢竜と授かっているのだから、自分達にも欲しいとラーカ達が願ったのだ。
最初シノブは、加護を授けた神から貰うべきだと考えた。そこで知恵の神サジェールと海の女神デューネに神々の御紋で問い合わせたが、双方ともシノブに任せると答えた。
そのためシノブは頭を悩ませたが、こちらも西遊記、つまり斉天大聖からの連想とした。少々安易かと思ったが、どちらも喜んでくれてホッとしたシノブである。
『シャンジー兄さん~! ケリスも背中に乗って~!』
飛翔も得意なフェイニーだが、今日もシャンジーの頭の上だ。そして彼女は、飛翔が苦手な玄王亀のケリスを自身の後ろに誘う。
ちなみにフェイニーだが、彼女は異名を欲しがらなかった。もしかすると、これも男女の差なのかもしれない。
「頑張ってね。姿形や暮らしが違っても仲良く出来るように」
「楽しみにしていますよ」
シノブはリヒトを抱いたまま立ち上がる。そして髪を結い終えたシャルロットも、アミィやタミィと共に窓際へと寄った。
『はい! 私が感じた幸せをスンウさん達にも届けます!』
オルムルは窓の外に飛び出すと、シノブに向かって高らかに宣言した。そして様々な姿をした子供達は、楽しげに語らいながら大空へと昇っていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年9月13日(水)17時の更新となります。