23.35 チュカリの選択
結局、森猿達との勝負は取りやめとなった。森猿達は凶暴化の花粉から助けてくれたシノブに感謝し、新たな主と認めたのだ。
そこで嵐竜ラーカなどは先にアマノシュタットへと戻った。加護を得た彼は深い眠りに入ったからだ。
魔法の家には転移の絵画があり、帰還は一瞬である。そのためラーカは育児室にある『神力の寝台』からシノブの魔力を得ることにし、岩竜オルムルを除く子供達も引き上げた。同様に親世代も比較的近くを縄張りとする四頭の嵐竜を除き、それぞれの棲家へと帰る。
後はミリィに魔法の家をナンジュマ付近に呼び寄せてもらい、同じ方法でアマノシュタットに戻るだけだ。そのためアマノ号を運んだ岩竜の長老夫妻ヴルムやリントも、他と同じく帰還した。
ただし若き光翔虎シャンジーは、シノブと共にいることを選んでいた。
『どうかな~?』
魔法の家の扉が開き、シャンジーが顔を出す。彼はラーカ達をアマノシュタットに送り届けたのだ。
ちなみにアマノ号だが、既に魔法のカバンに収納済みだ。そのため今は、魔法の家のみが草原に置かれている。
『魔獣使いについて訊いているところです』
飛んできたシャンジーに、オルムルが状況を伝える。
森猿達は人間の言語を話せないし思念も使えない。そこで今もオルムルが通訳を務め、この島での暮らしや来た経緯などを訊ねている。
一方の森猿は、とても大人しい。シノブ達の奇跡とも言うべき技に心服したからだろう。何れも跪いた姿勢を崩さない。
「魔獣使いの人数は分かるかな?」
森猿達は人間の言葉も多少だが理解できたから、シノブも訊ねる側に回っていた。
同じようにシャルロット達も代わる代わる質問する。しかしシノブに次いで問いを発したのは、アウスト大陸の少女チュカリであった。
「ギャギャ?」
「アタシみたいなの! どのくらいだった!? 一つ……三つ……五つ……」
首を傾げた森猿に、チュカリが身振り手振りを使って問い掛ける。彼女はシノブ達よりも前で、大袈裟に言えば巨猿の目と鼻の先というべき位置にいるのだ。
森猿は人の背の倍ほどもあるし、チュカリは僅か七歳だ。しかし彼女はモアモアという巨鳥と日々を過ごしているから、怖れたりしないようだ。
『なるほど……少なくとも十人はいたのですね?』
「ギャ!」
オルムルの確認に、両手を揃えて突き出した森猿が頷く。森猿は双方合わせて十本の指を立てているから、間違いなさそうだ。
ちなみに答えているのは長老らしき数頭が中心であった。
もっとも最高齢の彼らも、伝説の魔獣使いを直接目にしてはいない。森猿の寿命は数十年ほどで長寿でも百年を下回るが、彼らの先祖が島に連れてこられたのは更に昔であった。
「随分と頭が良いのだな……」
「本当ですね……それに時期も確認できそうですし」
シノブの親衛隊長エンリオと、孫のミケリーノは驚きで目を丸くしていた。
先ほどまで花粉で混乱状態にあったエンリオも、既に普段通りに戻っている。もちろん他の護衛騎士達も同様で、同じく興味深げに森猿の長老達を見つめている。
それはともかくミケリーノが呟いたように、渡ってきた年代を知る手掛かりは存在した。森猿には季節の移り変わりを理解する知能があり、島に来たのが三百年少々前と判ったのだ。
「塚があったのじゃ!」
「三百十五個、エマも数えた!」
マリエッタとエマを含む騎士達、そして数頭の森猿が草原の向こうから戻ってくる。
森猿達は原始的な農業を営んでおり、収穫の宴というべきものまであった。そして彼らは最も日が高い時期の宴で、石を積み上げて人の背ほどの塚を築いていた。
長老によれば、この風習は島に来た当初から続いているようだ。したがって魔獣使いや森猿達が島に渡ったのは、おそらく三百十五年前なのだろう。
「どうして元の地に戻らなかったのか……」
「それに、他の二種類の魔獣がいないのは何故でしょう?」
シャルロットとミュリエルは、顔を見合わせている。
アウスト大陸北部で語られている伝説だと、海を渡ってきた魔獣使いは三つの僕を従えていたらしい。これをシノブ達は三頭の魔獣だと考えていたが、どうも三種類だったようだ。
しかし現在、島にいる魔獣は森猿だけだ。もちろん他にも多くの動物がいるが、魔獣と呼ばれるほどの大物は存在しない。
周りは魔獣の海域で海生魔獣が棲んでいるが、島自体は穏やかな場所だったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
更なるやり取りで、森猿が島に残った理由や他の魔獣についても多少は判明した。
まず森猿以外は泳ぎが得意な魔獣だった。この二種類を魔獣使いは渡海のために使ったという。
しかしアウスト大陸に渡る途中で、双方とも随分と減った。そこで魔獣使いは北大陸に戻るとき、殆どの森猿を置いていったらしい。
当時の島には数十頭の森猿がおり、更にアウスト大陸で得た品々も随分とあったようだ。この全てを運搬できるほど、泳ぎが得意な二種類が残っていなかったのだろう。
もっとも、これは森猿達にとって幸運だったかもしれない。北大陸から島に渡るまでも、配下の魔獣は減ったらしいからだ。
島は生活しやすいらしく、三百年で千頭近くに増えている。それらを考えると、必ずしも悪い道ではなさそうだ。
「スンスン達、幸せなんだね!」
「ギャ!」
肩に乗せたチュカリに、森猿の王スンウが大きく頷く。
流石はモアモア飼いと言うべきか、チュカリは全く物怖じしない。アウスト大陸風の愛称まで付けた辺り、家で飼っているモアモア達と同様に接しているようだ。
スンウもチュカリを気に入ったのだろう、楽しげに森の中を歩んでいく。
「ありがとう! ……美味しい果物だねえ!」
「ギャギャ!」
チュカリは寄ってきた森猿が差し出す桃のような果物を受け取ると、早速齧った。
この果物も森猿達が育てているものだ。まるで果樹園のように整えた場所があり、猿達は雑草を抜いたり虫を追い払ったりして面倒を見ているという。
「チュカリは魔獣使いにもなれそうだね」
「ええ、素晴らしい才能です」
シノブとシャルロットは微笑みを交わす。
一行はスンウの案内で近くの岩山に向かっているところだ。岩山に転移の神像を造るためである。
凶暴化の花粉や生み出した白い花は全て始末したが、木は残っている。そのためシノブ達は、スンウ達を見守れるように移動手段を設けることにしたのだ。
島はアウスト大陸付近を縄張りとする嵐竜達が見張ってくれるし、スンウ達にも花芽が出たら始末するようにと伝えた。
しかし何らかの対処で再訪することもあるだろう。アウスト大陸の中央砂漠の奥には転移の神像を造ったが、そこからだと1000km以上ある。それに嵐竜達の棲家は2500km以上も遠方だ。
そのためシノブは、この島に自分達や超越種だけが使える神像を造るつもりだった。
「ファリオスさん達は興味を示すでしょうね」
「また研究所に篭もるとルシールさんが心配するのでは? でも、一緒に研究するかもしれませんわね」
ミュリエルが手に持った枝を掲げると、セレスティーヌが少しばかり困ったような表情で応じた。
花や花粉は全て始末したが、葉や枝から何か判るかもしれない。そこでシノブは、メリエンヌ学園の研究所で調べることにした。
そして植物関係ならエルフのファリオスが一番だ。そうなると彼と付き合っている治癒術士のルシールも、巻き込まれるに違いない。
ファリオスとルシールは、エルフと人族という種族の違いを乗り越えて近々結ばれる。しかし新たな研究材料が結婚を遅らせてはと、セレスティーヌは案じたらしい。
「とはいえ調査は必要ですから。このオーマの木ですが、アウスト大陸の近縁種とは明らかに違います」
アミィもファリオス達のことを気にしているようで、頭上の狐耳を僅かに傾げた。しかし彼女が触れたように、早急な調査が必要なのは事実であった。
スンウ達の言い伝えだと、この木を昔の魔獣使い達はオーマの木と呼んでいたそうだ。
オーマの木はアウスト大陸のマホマホの草やマジュマジュの木と近いらしい。双方より随分と大きいが、葉や花の薬効は良く似ていた。
この成分は少量の摂取なら穏やかな気持ちになるが、限度を超えると凶暴化する。これはマホマホの草やマジュマジュの木と共通していたが、オーマの花粉は特別に効果が強いらしく放置は危険すぎる。近縁種とは違いオーマの花が咲くのは何百年に一度らしいが、詳しいことは不明だから油断は出来ない。
そしてオーマの木は、魔獣使い達が北の大陸から持ってきたようだ。しかし超越種達も知らないというから、おそらくは品種改良した特別製なのだろう。
「この岩山か……中々立派だね」
森を抜けたシノブの目に入ったのは、白く輝く岩山だった。さほど高くなく山というより巨大な岩塊というべき代物だが、つるりとした表面は磨いたようで神像を刻むのに相応しい美しさだ。
「それではシノブ様!」
「ああ、あまり遅くなるといけないからね」
アミィが差し出した手を、シノブは握る。
少なくとも日暮れまでに、チュカリをナンジュマに送り届ける必要がある。現在ミリィがチュカリの姿に化けて街道でモアモア達と働いているが、それも日没までだ。
しかし既に日は西に傾き、白い岩山も薄赤く染まっている。そこで岩山の前に進み出たシノブは、間を置かずに魔力をアミィへと渡す。
「凄いや! 大神アムテリア様に六柱の神様達が、あんなに立派に!」
「ギャ!」
チュカリの叫びに、森猿の王スンウが大きな声で応じた。それに他の森猿達も彼に賛同するかのように、興奮の滲む声を上げる。
岩山の北側、元から崖のように切り立った場所が見る見るうちに窪み、その中に七つの神像が姿を現した。高さは大人の背の十倍くらい、森猿達と比べても五倍はある巨大な石像である。
岩山と同じく神像は純白だが、今は西日で薄めの薔薇色に変じている。そのため、まるで生きているようにすら思える素晴らしさだ。
この幻想的な光景に、チュカリやスンウ達は大きな感動を抱いたに違いない。アウスト大陸の少女と島の森猿達は、呼吸すら忘れたかのように動きを止めていた。
『また来ようね~』
『はい!』
シャンジーとオルムルはシノブ達の神像作成を何度も見たことがあるし、日常的に使ってもいる。しかし、この島のように友好的な魔獣がいる場所は初めてであった。
これまで転移の神像を置いたのは、超越種の狩場や魔獣の領域の奥などだ。どれも常人には到達不可能な場所で多くの魔獣が棲んでいるが、ここの森猿達のように賢く穏やかなものはいない。
そのためだろう、双方とも去り難いようである。
「魔獣とは言うものの、魔力が多く使いこなせるだけですからな」
「見方を変えれば我らも人間の魔獣じゃからの。他より大きな魔力量を持ち、身体強化や硬化などを使える……そして力とは関係なく、善人もいれば悪人もいるのじゃ」
「ウピンデムガの戦象や、北大陸の軍馬も同じ。他より賢くて力が強いけど、仲良く出来るから私達の仲間……スンウ達と変わらない」
呟くエンリオに、マリエッタとエマが囁きで応じた。
シノブやシャルロットの頼みもあり、エンリオはマリエッタ達を指導することが多い。二人は将来カンビーニ王国やウピンデ国の要職に就くかもしれないから、シノブ達は老練なエンリオに教導役を頼んだのだ。
エンリオはカンビーニ王国の出身だから、元々同国の公女マリエッタを気に掛けていた。そしてエマもマリエッタと同じく留学の身で、しかも二人は仲が良い。そのためエンリオは喜んで二人の指導を引き受けた。
今もエンリオは広い物の見方を示そうとしたようだ。
魔獣や動物にも人と共存できる種族はいるし、不可能な種族もいる。軍馬や戦象、それにアウスト大陸のモアモアなどのように人と共に暮らす者達もいれば、人を見たら襲ってくる凶暴な種族もいるのだ。これらを一纏めに扱えないし、共に暮らせる者まで遠ざけるのは馬鹿げているだろう。
もっともマリエッタ達は心配無用のようだ。そう感じたからだろう、エンリオの顔には孫を見るような優しい笑みが浮かんでいた。
◆ ◆ ◆ ◆
完成したばかりの神像を使って、エンリオ達もアマノシュタットに帰還する。後はチュカリとナンジュマに行くだけだから、神像の試験を兼ねてアミィが護衛騎士や従者達を送り届けたのだ。
一方のシノブ達だが、アミィの帰りを神像の前の草原で待っていた。
島に残っている人間は五人だけ、シノブとシャルロット、ミュリエルにセレスティーヌ、そしてチュカリである。超越種もオルムルとシャンジーのみだ。
「またスンスン達と会いたいな……」
「ギャ……」
寂しげなチュカリに、森猿の王スンウが抑え目の鳴き声で応じる。アミィが戻ってきたらナンジュマに出発するのだ。
どうやらスンウも、チュカリと別れ難いらしい。彼は未だにチュカリを肩に乗せている。他も同様で、スンウとチュカリを囲む森猿達の瞳は潤んでいるようですらあった。
「チュカリ……アマノ王国に来るかい? 俺達と一緒なら、この島に来る機会もあるだろう。チュカリは森猿達と心を交わせるから、歓迎するよ」
シノブは巨猿の肩に乗った少女を見上げる。
チュカリは思念を使えないし、オルムルのような感応力を持つわけでもない。しかしモアモア飼いとして磨いた技能なのだろう、彼女は確かにスンウ達と語らっていた。
この島の森猿達は魔獣使いが選んだ特別な群れだからか、人の言葉でも簡単なものなら理解する。軍馬や戦象、それにモアモアなども賢いものは同じく人の意思を察するが、それらに比べても別格である。
とはいえ限度はあるし、ここまで深く分かり合えるのはチュカリだけだ。彼女が言葉以外に動作も用いるからだろうと他の者が真似しても、同じ域には届かない。
これだけの才能があれば、アマノ王国でも充分に活かせるだろう。まずは森猿達の交流担当として、更に魔獣使いとして本格的に学べば他の動物も含め様々に応用できるに違いない。
とはいえチュカリにはナンジュマでの暮らしがある。父母に加えて生まれたばかりの弟ジブングまでいるのだ。したがってシノブは、仮にチュカリが望むとしても先々のことだと考えていた。
「それは嬉しいけど……でも、家に帰るよ! アタシにはナンジュマでやることが沢山あるから!」
チュカリの顔には僅かな間だが躊躇いが滲んでいた。しかし彼女は、すぐに明るい笑みを浮かべると、生まれ育ったナンジュマに戻ると宣言する。
「良く決心しましたね」
「そんな……だって、お父さんやお母さん、それにジブングもいるから! それにモリモリやモエモエ達だって、アタシがいないと困っちゃうだろうし!」
シャルロットの賞賛に、チュカリは照れたらしく頬を染めていた。
チュカリの言葉は事実であった。まだ七歳の彼女だが、父と共に一家の稼ぎ手なのだ。
元々チュカリの家は、父のラグンギと母のパチャリがモアモアの輸送で稼いでいた。しかしチュカリの弟ジブングは生まれて二週間も経っていないから、当分パチャリは育児に専念する。
そのためパチャリが身篭っていたときと同じく、チュカリが五羽のうち二羽を担当しなくてはならない。
「アタシはね、ナンジュマの街が大好きだよ! みんな優しいし、助けてくれるし……。シノブさん達の国もステキだけど、ナンジュマだって同じくらいステキなんだ!」
「ああ、良く分かるよ」
自身の住む街の魅力を語るチュカリに、シノブは大きく頷いた。
パチャリの出産を支えた隣近所の女性達。祝いの品を持って訪れた人々。御祝儀だから無料だと言ってくれた店の人達。そこには力を合わせて支え合う者達の姿があった。
ナンジュマの周囲は厳しい自然で、アマノ王国に比べると技術の発展度も低い。したがって楽に生活できるのはアマノ王国だろう。
しかしナンジュマにはナンジュマの温かさがあり、それはチュカリにとって変え難いものなのだ。シノブが仲間と共に築いたアマノ王国に愛着を感じるのと同じくらい、チュカリも生まれ育った街を愛しているに違いない。
「チュカリさん、立派です! 私もセリュジエールが大好きですから!」
「ええ、素晴らしいですわ! 私もメリエを誇らしく思っていますもの!」
ミュリエルやセレスティーヌも、故郷を選んだ少女を褒め称える。
今はアマノ王国で暮らす二人だが、やはり生まれ育ったメリエンヌ王国にも強い愛着があるのだろう。双方とも、それぞれの故郷を思うかのように瞳を潤ませていた。
「グギャギャ、ギャ!」
『スンウさん達も島が大好きだと言っています!』
やはり森猿達も、この島を故郷と思っているようだ。オルムルが伝えてくれた言葉に、シノブ達は大きく頷いた。
『そうだよね~。ボクも生まれた森は特別だと思っているよ~』
およそ百年を生きたシャンジーであっても、故郷への思いは共通するようだ。彼は遥か西の生地、デルフィナ共和国の森を思ったのか目を細めている。
「チュカリ、そのうちアマノ王国とナンジュマも行き来できるようになるよ。だから、それまで色々学ぶんだ……神殿で教わることだけじゃなく、モアモア飼いとしてもね。でも時々は会いに来るし、そのときはスンウ達にも会わせよう」
シノブは巨猿の上の少女を見上げつつ、静かに語りかける。チュカリが一時の感情に流されず、相応しい道を選んだことに喜びを抱きながら。
チュカリの能力は、ここアウスト大陸でこそ更に花開くに違いない。彼女の知識や技能はナンジュマで暮らしながら自然に身に付けたものだ。ならば今は見守り、応援すべきだろう。
この島とアウスト大陸の中央砂漠には転移の神像を造ったから、シノブも時々は会いに来るつもりだ。それに当面はミリィを中心にアウスト大陸や近海の調査を続けるから、彼女も様子を見てくれるだろう。
そのときは島にも渡ってスンウ達と会わせたいと、シノブは考えていたのだ。
「ありがとう! あのね、スンスン……」
スンウの肩の上で、チュカリは大きく頷いた。そして彼女は森猿の王の耳に顔を寄せ、何事かを囁きかける。
するとスンウは跪く。といっても大人の倍ほどもある巨猿だから、それでも彼とシノブの頭の高さは殆ど同じくらいである。
「シノブさん、アタシ立派なモアモア飼いになるよ! そしてアウスト大陸一の魔獣使いにも! で、アタシが学んだ技をシノブさん達にも教えてあげる!」
チュカリは真っ赤に顔を染めて宣言すると、スンウの肩からシノブの胸へと飛び込んだ。続いて彼女は、そのままシノブの頬に唇を寄せる。
「チュカリ……」
シノブはチュカリを抱きかかえたまま赤面した。僅か七歳の少女のすることだが、何しろ妻や婚約者達の前である。
もっともシャルロット達も幼い子供のすることだと思ったのか、微笑ましいものを見るように顔を綻ばせていた。
「シノブ様、お待たせしました!」
「あっ、ああ! それじゃナンジュマに行こうか!」
駆けてくるアミィに、シノブは真っ赤な顔のままで応じた。その様子が面白かったのだろう、シャルロット達は声を立てて笑い出す。
それにスンウを始めとする森猿にも楽しげな雰囲気が伝わったようだ。こちらも囃し立てるような声を上げている。
「み、みんな……」
多くの視線を浴びたからか、チュカリはシノブの胸に顔を伏せている。しかし彼女の顔は幸せそうな笑みを浮かべたままであった。
◆ ◆ ◆ ◆
魔法の家が転移したのは、ナンジュマ付近の荒れ地であった。どうもチュカリをアマノ王国に連れていったときと同じ場所らしい。
もっとも外に出たシノブが最初に目にしたのはチュカリに瓜二つの少女、つまりミリィであった。
ミリィの後ろにはチュカリの担当のモアモア、モリモリとモエモエの二羽がいた。どちらも元気一杯らしく首を大きく擡げて喉を鳴らし、更に二度三度と跳ねる。
「シノブ様~、戻ってこないかと思いましたよ~」
虎の獣人に変じたミリィは、縞模様が入った尻尾を大きく揺らしながら寄ってくる。綻ぶ顔も示すように、彼女は大きな安堵を感じているらしい。
姿は本人と見分けが付かなくとも、両親と語らえばボロも出るだろう。そのためミリィは、このまま日が落ちてチュカリの家に向かうのを避けたかったようだ。
「遅くなって済まなかった」
「状況は伝えていたでしょう?」
頭を掻くシノブと対照的に、アミィは平静な様子で応じていた。
実際シノブ達は、通信筒を使ってミリィにも連絡をしていた。そのため彼女も放置されていないと分かっていた筈である。
単にミリィは大袈裟に喜びを表現しただけで、アミィも重々承知している。つまり普段通りの語らいであった。
「ミリィさん、ゴメンね! でも、とても楽しかったよ!」
「それなら良かったです~。では、元に戻りますね~」
駆け寄るチュカリに、ミリィはモリモリとモエモエの手綱を渡した。そして彼女は宣言通り姿を変える。
もっともミリィが選んだのはアミィと同じ狐の獣人であった。おそらく金鵄族本来の青い鷹だと、会話に混ざれないからだろう。
「チュカリ、これを」
シャルロットが差し出したのは、通信筒である。端には環にした丈夫な革紐が付いており、首に掛けることも出来そうだ。
「ネックレスにしました!」
「お母様には伝えてありますわ」
ミュリエルとセレスティーヌは、目を丸くしたチュカリに説明をしていく。
シノブ達はチュカリと再会する前にナンジュマに訪れ、母のパチャリと会っていた。そのときシノブはパチャリに自身の素性を伝え、通信筒についても簡単に触れた。
そしてチュカリもシノブ達と共に行動する間に、通信筒の使い方を学んでいる。そこでナンジュマでの暮らしを選んだチュカリに、シノブは通信筒を預けることにした。
幾らミリィがアウスト大陸の探索を続けるといっても、範囲が広がればナンジュマを訪れる機会も減るだろう。しかし通信筒があればチュカリはミリィに連絡できるし、そうすればスンウと会うのも簡単だ。
「あ、ありがとう! これでシノブさん達にも手紙を送れるんだね!」
「ああ、待っているよ」
手綱を放して駆け寄ってきたチュカリに、シノブは大きな笑みで応えた。そして抱き付く少女の頭を、そっと撫でる。
「あら~。シノブ様~、とんでもないもの……」
「余計なことは言わない」
ミリィが何事か言いかけると、彼女の頭をアミィが小突いた。どうやらアミィは、冗談好きな同僚に先手を打ったらしい。
そのためシノブやシャルロット達はともかく、チュカリは何も気が付かなかったらしい。
「さあ、チュカリ。日暮れも近いから」
「う、うん! ……それじゃ、また会える日を楽しみにしているよ! それに手紙もすぐに送るから!」
シノブが促すとチュカリは顔を上げる。
チュカリの目元は僅かに赤く染まっており、濡れた瞳が沈もうとしている夕日に煌めく。しかし数拍の後、彼女は普段の明るさを取り戻す。
そしてチュカリは雌のモアモア、モエモエの背に一挙動で飛び乗った。鐙に手を掛けてはいるが、あまりの素早さに直接背に跨ったかのような見事な騎乗である。
「行くよ! アタシ達のナンジュマに!」
チュカリが一声かけると二羽のモアモアは街道へと走り出した。先頭は雌のモエモエで雄のモリモリが続く、いつもの隊列で見事に岩の間を駆け抜けていく。
「元気でね!」
『また会いましょう!』
『遊びに行くからね~』
見送るシノブ達は、急速に離れていくモアモア達へと声を張り上げる。オルムルやシャンジーも含め、全員が再会を約し別れを惜しんでいた。
一方のチュカリはモエモエの上で手を振るが、振り返りはしない。彼女は口にした通り、既にナンジュマでの暮らしを見つめているのだろう。
そして幾らもしないうちに、チュカリと二羽のモアモアは荒れ地の向こうへと姿を消した。
「次に会うときが楽しみだね」
「シノブ……この前とは違いますね」
明るい笑みを向けたシノブに、シャルロットは喜びつつも僅かに戸惑ったようだ。
前回チュカリと別れたとき、シノブは地球にいる妹の絵美を思い出して感傷に浸った。それをシャルロットは覚えており、別れのときを案じていたようだ。
「ここにはチュカリの幸せがあるからね。それに彼女の選択は正しいと思う。自分の望む道で優れた才能を活かせるし、家族と喜びを分かち合える。これ以上の幸せなんて、そうそう無いと思うよ」
シノブは自身の言葉を内心で反芻した。
どのような道を選べば幸せになれるか、それは人それぞれである。子供達が持つ才能は様々で、環境も千差万別だ。そして一人一人の願いも異なる。
もちろんチュカリが最善の道を選んだと、言い切るつもりはない。そこまでシノブは自身の目を過信していないし、多くを知ってもいないからだ。
とはいえチュカリが喜びを感じ、彼女の能力を活かして更に伸ばせる選択である。ならば励ましつつ見守り、何かあれば相談に乗る。これが周囲のすべきことだろう。
前回シノブは、僅か七歳のチュカリが労働に縛られるのを可哀想だと思った。
しかし、それは一面的な見方でしかなく、彼女はモアモアと共に過ごす日々で多くの得難い経験をしている。それに神殿で学び始めるなど、他にも目を向けている。
それらを知ったシノブは、チュカリは今のまま真っ直ぐ伸びた方が良いと思うようになったのだ。
「はい! その土地土地に合った幸せを育む……それがアムテリア様達の願いです!」
「それと沢山の笑顔ですね~」
アミィとミリィは満面の笑みを浮かべていた。
ミリィは冗談めかした物言いだが、口にした内容は神々の意図に叶ったことなのだろう。アミィは同僚を咎めない。
「その通りだね。さあ、俺達も自分達の土地の幸せを育てよう! 他の地方も気になるけど、足元が疎かだとチュカリに笑われちゃうよ!」
「ええ、アマノシュタットに帰りましょう」
「私も一休みします~。転移の神像もありますし~」
声を張り上げたシノブにシャルロットが和し、共に魔法の家へと歩んでいく。それにミリィも一旦は引き上げるようで、アミィと肩を並べ続いていた。
「色々なことを学んだね」
「はい、私達の方が多くを教えられた……そう思います」
シノブの囁きにシャルロットが同じくらい小さな声で応じた。
自然と寄り添うアウスト大陸の人々、魔力重視の階級制度に苦しみつつも生き抜いたイーディア地方の人々。彼らの暮らしはアマノ王国とは大きく違うが、共通していることもあった。
どの地でも人々は懸命に生き、子を育てている。遥か未来へと命を繋いでいる。それぞれが選んだ道を歩みながら。
シノブは浮かんだ想いを胸に仕舞いつつ、夕日に染まる荒野を後にした。最愛の人や家族と共に更なる幸せを育てようと、我が家に戻ったのだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回から第24章になります。
次回ですが一週間後、2017年9月6日(水)17時の更新となります。その後は再び週二回に戻す予定です。
本作の設定集に22章と23章の登場人物の紹介文を追加しました。
上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。