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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第23章 灼熱大地の人々
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23.32 幸せの形 前編

 創世暦1002年1月19日の早朝、シノブは遥か西のアウスト大陸に旅立った。前日ベランジェ達に語った通り、ナンジュマに住む少女チュカリに会いに行ったのだ。


「ミリィ、お待たせ」


「いえいえ~。少し前に来たところです~」


 魔法の幌馬車から降りたシノブを、虎の獣人に姿を変えたミリィが出迎える。

 ここはナンジュマの近く、街道から少し離れた荒野だ。街道は先日シノブ達も通ったもので、西に行けばチュカリと出会った小集落ドゥアル、東が交通の要衝でもある大集落ナンジュマである。

 もちろんシノブも前回と同じくアウスト大陸の治癒術士に変じている。今いる場所は大きな岩の陰で街道から隠れているが、仮に誰かが見ていたとしても()き手のいない幌馬車を不審に思うだけだろう。


「この大地がチュカリを育んだ……」


 中天近くからの激しい陽光を片手で(さえぎ)りつつ、シノブは荒野を眺める。そしてシノブは、チュカリと駆けた街道や共に巡ったナンジュマを思い浮かべていく。


 まだ七歳だというのに、チュカリはモアモア飼いとして立派に働いていた。

 モアモアは地球にいたジャイアントモアと似た翼のない鳥で、全高は大人の背の倍以上もあるが穏やかで家畜とされている。ここアウスト大陸には馬がいないから、代わりをモアモアが担っているのだ。

 チュカリの家では旅客用に五羽のモアモアを飼っており、本来は父のラグンギが三羽、母のパチャリが二羽を使って稼いでいた。しかしパチャリが身重となり、チュカリが代わりとなったわけだ。


 この辺りだと小さいころから働くのは珍しくないらしい。モアモア飼いの子を例にすると、四歳かそこらになれば餌やりなどを手伝うそうだ。

 アウスト大陸は厳しい環境が多く、この辺りも大陸中央にある広大な砂漠の影響で乾燥した荒野が目立っている。そのため子供といえど貴重な労働力で、遊ばせる余裕などない。


 とはいえ早くから家業に親しみ、生きる力を身に付けるのは大切なことだ。

 実際チュカリは強く育っている。この広がる荒野を駆け抜ける逞しさを、既に彼女は持っている。学び舎で得られない両親からの贈り物、アウスト大陸で生き抜く(すべ)がチュカリにはある。

 チュカリの暮らしを知った後、シノブは改めて多くの地を巡った。アマノ王国やフライユ伯爵領、メリエンヌ学園など身近な場所、イーディア地方を含む遠方。シノブは様々な地で、幸せには無数の形があると確かめたのだ。


「ええ。ここでチュカリは鍛えられた……。そして将来はジブングも荒野を駆けて己を磨くでしょう」


「ミリィ、ジブングちゃんは元気にしていますか?」


 シャルロットとアミィがシノブの脇に並ぶ。シャルロットは治癒術士の助手でアミィは治癒術士という、前回と同じ衣装での登場だ。


 二人もシノブと同じく、殆ど真上から照り付ける陽光に目を細めている。

 この辺りはシノブ達が住む王都アマノシュタットと八時間ほどの時差がある。そのためアマノシュタットでは早朝でも、ナンジュマ付近は既に昼過ぎなのだ。

 しかもアマノシュタットは北半球で高緯度だから、まだ日が昇ってすらいない。これでは(まぶ)しく感じて当然だろう。


「元気ですよ~。でも生まれて十一日ですから、おっぱい飲んで泣いて寝てだけですけど~」


 転移に使った魔法の幌馬車はミリィのものだ。そのため彼女はアミィに応じつつ、早速カードに変えて仕舞う。

 今回ナンジュマを訪問するのは、この四人だけだ。いずれはミュリエルやセレスティーヌを連れてくるだろうが、まずはチュカリにシノブ達の正体を教えてからとした。

 前回チュカリと会ったとき、シノブ達はアウスト大陸の治癒術士と家族に扮していた。そしてチュカリの弟ジブングの誕生やルールーこと巨大カンガルーの事件など多くの出来事があったから、彼女に本当のことを教える間もなく別れた。

 そして今日の訪問は早朝の僅かな時間を活用してだから、ミュリエルやセレスティーヌを案内する時間はない。そのため既にナンジュマを知る者のみに(とど)めたのだ。


「大変だろうな……」


「私達には乳母や侍女がいますけど……」


 シノブとシャルロットは少々ほろ苦い笑みを交わす。

 生後二ヶ月半のリヒトを抱える二人だが、ラグンギやパチャリと違い大勢の助けがある。今も乳母達がリヒトを世話しており、揃って外出しようが全く問題とならない。

 もちろんシノブ達は我が子と過ごす時間を大切にしているし、今日も育児室に寄ってリヒトの顔を眺めてから来た。しかし人任せにしていると、常々感じてはいたのだ。


 パチャリには妹が二人いるし、近所の手助けもある。シノブも出産のときに会ったから知ってはいるが、とはいえ助けがあるのは日中だけに違いない。

 生まれたばかりのジブングは、夜も頻繁に起きるだろう。そして授乳となったら母のパチャリしかいないから、負担は大きい筈だ。

 もっともパチャリが普通なのだ。ここアウスト大陸だろうが他の地だろうが、多くは母親が中心となって家族や周囲に助けられて子を育てていく。ナンジュマでも豪商などであれば乳母を付けるかもしれないが、多くは違う。

 やはり自分も我が子と触れ合う時間を増やすべきだろう。ここのところ外出が多かっただけに、シノブは自戒の念を(いだ)く。


「シノブ様もオルムル達の乳母をしているじゃないですか~。今日は一緒じゃないですけど~」


 振り向いたミリィは、にっこりと微笑む。

 この日、オルムル達は別行動をしていた。嵐竜ラーカが加護を得る手掛かりを見つけようと、親達と共にアウスト大陸を巡っているのだ。


 ラーカが加護を授かるのはアウスト大陸だと、知恵の神サジェールは示した。しかしアウスト大陸は地球のオーストラリアに相当する巨大な陸地で、無数と表現しても良いくらい多くの集落が存在する。

 したがって空から眺めるのみだと探索は(はかど)らない。そこでオルムル達は、ある手段を採っていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブ達がいる場所から北西に2000kmほど離れた場所。おそらくはナンジュマと同規模の大集落。通りに並ぶ露店から、客引き達の威勢の良い声が響き渡る。


「そこの二人組のお嬢さん! 美味(おい)しいイキイキイモの煮込みはどうかね!?」


「ウチのゴアラの串焼きはウィルンヤで一番だよ! どうだい、美人さん達!」


 客引き達の殆どは、とある女性達に呼びかけていた。

 女性は双方ともアウスト大陸の者らしく濃い肌で頭に布を巻いているが、年齢は少し差があるようだ。一方は人族なら二十代前半、もう一方は十代半ばだと思われる。

 かなり容貌が似ているから、姉妹や従姉妹などだろうか。いずれにせよ、双方とも美女と表現すべき容姿であるのは間違いない。

 赤い外套(がいとう)(まと)い額には赤の楕円の印を付けているから、どちらも治癒術士なのだろう。


「ヒエヒエとキビキビがあるよ! 暑い時期の旅には最適だよ!」


「アワアワはどうかね!? 綺麗になるよ!」


 更に別の店からも声が上がる。

 どうやら女性達は、よほど良い客だと思われたらしい。確かに興味深げに周囲を見回しているから、何か買ってくれそうな雰囲気ではある。

 おそらく遠方からの旅人。それも随分と裕福な。客引き達は、そう考えたに違いない。

 確かに彼らの予想は当たっていた。ただし距離と暮らし振りは、想像の遥か外であっただろうが。


──オルムル、どうしたら良いのですか?──


──そうですね……食べ物は避けましょう──


 女性達は岩竜の母娘、ヨルムとオルムルであった。彼女達は人間そっくりの木人に宿っているのだ。

 年長の女性を模した一体にヨルム、年少の方にオルムルである。


 昨年十月、オルムル達は異神ヤムを探すために移送鳥符(トランス・バード)への憑依を習得した。そのとき憑依の習熟度を確かめるため、オルムル達は木人に宿って王都アマノシュタットの街にも出た。

 したがってオルムル達に人間の姿で街を探る手段はあるが、流石にアウスト大陸の人々に似た濃い肌の木人は存在しなかった。

 しかし数日もあれば充分に改装できる。そこでオルムル達は人間に混じっての探索を開始した。


 ヨルムとオルムルの体は、ここウィルンヤから数十km離れた場所にある。他の集落を探っている者も含め、アマノ号の上に設置した魔法の家の中に体を残しているのだ。

 それぞれの集落の上空には、透明化の魔道具を使って成竜達が潜んでいる。万一のときに木人を回収するためだ。

 もっともオルムル達は人間の近くで暮らすようになってから長い。ここアウスト大陸には詳しくないが、エウレア地方に当て()めれば殆どは問題なく対処できるだろう。


──そうです、母さま! アワアワなら食べなくて良いです!──


 オルムルの木人は母の宿った木人の手を引き、とある露店へと寄っていく。

 アワアワとは雑穀に似たアウスト大陸の植物だが、食べはしない。客引きが綺麗になると言ったように、洗剤として使うのだ。旅人向けとして売られているのは、潰してから固めて石鹸のようにしたものである。


──なるほど……ヒエヒエとキビキビとは?──


──ヒエヒエは冷たくするもので、これも食べ物じゃないです。キビキビは元気になる薬だから、すぐに食べなくても大丈夫ですね。お土産に持って帰っても良いかも──


 ヨルムよりオルムルの方が詳しいのは、シノブの側にいる時間が長いからだ。それにオルムル達も、ミリィから寄せられる報告書を読んでいるのだ。


「いらっしゃい!」


「ウチも覗いていってよ!」


 アワアワ売りが満面の笑みを浮かべる脇で、隣の客引きが声を張り上げる。こちらはヒエヒエやキビキビを扱っている店だ。

 ちなみに双方とも中年の女性で、アワアワ売りが人族、もう一方が豹の獣人だ。


「アワアワを二十個ください!」


「ヒエヒエとキビキビを二十個ずついただけませんか?」


 オルムルがアワアワを売る露店に寄ると、ヨルムは隣の店で同じように買い物をする。

 この辺りも金や銀などの貴金属の粒を通貨としている。そのためオルムル達も、台の上に置いてある(はかり)に数粒を乗せていく。

 これはモアモア飼いなど店を持たない商売人も同様であった。実際にチュカリも、天秤型の小さな(はかり)を携帯している。


「はいよ!」


「キビキビは団子ので良いかね!?」


 アワアワ売りは大きく頷き、拳大の包みを袋に入れていく。それに対し隣は何種類かあるようで、どれを買うかヨルムに訊ねる。

 ヒエヒエとキビキビも植物の実を材料にしており、商品はアワアワと同じく練って固めたものだ。そのため必要な量に応じ、小さな粒から団子くらいまで様々らしい。


「ええ……それでお願いします」


「私達は治癒魔術を学びつつ旅しているのですが、この辺りに珍しい魔術の逸話や大魔術師の伝説はありませんか?」


 ヨルムが戸惑いつつも買い物を続ける脇で、オルムルは聞き込みへと移っていた。

 オルムル達が治癒術士の姿を選んだのは、このように変わった話に持っていきやすいからだ。治癒術士は特別な位置付けで、しかも魔術などに興味を示しても不審に思われない。

 ラーカが加護を得るときにリタンと同じく試練があるなら、普通には起きない何かを探った方が早いだろう。しかし商人や武人が禁術使いや式神について調べはしない。

 そこで魔術師の一種である、治癒術士の登場となったわけだ。


「さあ……」


「あっ、ウチには面白い話が伝わっているよ!」


 アワアワ売りの女性は首を傾げたが、隣の店の女性は顔を輝かせた。どうやら、こちらには思い当たることがあったようだ。


「今のキビキビは元気になる薬だけど、昔は魔獣使いが使う道具でね……」


 豹の獣人の女性によると、元々キビキビは魔獣を従えるために使っていたそうだ。

 ただし魔獣使いが作るものには特殊な成分が含まれており、現在のキビキビとは随分と違うらしい。少なくとも、この店のキビキビを動物に食べさせても元気になるだけだという。


「そういえば、アンタから聞いたっけ! キビキビの団子で三つの魔獣を従えた魔獣使いの話!」


「そうそう! 毛むくじゃらの人間みたいな魔獣とか、この辺りじゃ聞かないものばかりなんだよ! だから親から教わったときも御伽話だと話半分だったけどね……」


 二人は信じていないのか、笑顔のままだ。もっとも彼女達が笑い話とするのも無理はない。

 アウスト大陸には猿のような人間に似た動物はいない。コアラなど木に登る動物の一部が人のように物を(つか)むが、それらも立って歩きはしなかった。

 仮に岩猿を知っていれば人間のようだと言うかもしれない。しかし岩猿や近縁種の大岩猿などはエウレア地方を含む北大陸に広く生息しているが、アウスト大陸にはいないらしい。


──どう思いますか?──


──分かりません……でも、気になることがあります。以前シノブさんから教えていただいた、モモタロウに似ているような……地球のお話ですが──


 一方ヨルムとオルムルは、密かに思念を交わしていた。

 シノブは家族やオルムル達に、地球の話を教えている。特に桃太郎のような御伽話などを、シノブは好んで題材にしていた。

 もちろんシノブは軽々しく広めないようにと付け加えたが、ヨルムを含め超越種はシノブの真の来歴を知っている。そのためオルムルは母に明かして良いと考えたのだろう。


──なるほど……ともかく続きを聞きましょう。この地にいない筈の魔獣を従えていたなら、他の地方から渡ってきたのかもしれません──


──はい……あのヴィルーダという禁術使いのように──


 母の思念に、オルムルは緊張を滲ませつつ応じた。ヴィルーダは輪廻の輪へと戻ったが、彼の狂気が滲む所業をオルムルは忘れていないのだろう。

 あのような魂を踏みにじる行為なら、見逃すわけにはいかない。オルムルが宿る木人は、強い決意を表すかのように固く(こぶし)を握り締めていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 一方のシノブ達はナンジュマへと辿(たど)り着いていた。

 シノブ達はチュカリの家に行き、パチャリやジブングとも再会した。しかし家にいたのは母親と赤子だけで、チュカリや一家の主ラグンギは不在だった。当然ではあるが、二人はモアモアと共に働いているのだ。

 そこでシノブ達は改めてナンジュマの西門へと向かう。チュカリが客を拾うのは、西門だからだ。


「あっ、ジブングさん! それにシャールウさんにアムリさんにミラニさんも!」


 ちょうどチュカリは、ドゥアルから戻ってきたところらしい。シノブ達が西門の外に出ると、客を降ろした彼女がいたのだ。

 ちなみにジブングはシノブの偽名で、チュカリの弟の名の由来でもある。もちろんシャールウがシャルロット、アムリがアミィ、ミラニがミリィだ。


「やあ、久しぶり」


「元気そうですね。安心しました」


「先ほどお家にも行ったんですよ!」


「モリモリ君、モエモエちゃん、今日も頑張っていますね~」


 シノブとシャルロット、そしてアミィはチュカリに寄っていく。しかしミリィは、何故(なぜ)か二羽のモアモアへと向かう。それにモリモリやモエモエも、嬉しげな鳴き声でミリィを迎えていた。


 実は、ここのところミリィはモリモリやモエモエと親しくしていた。ミリィは探索の合間を使い、密かにチュカリ達の家に訪れていたのだ。

 もちろんチュカリ達に会わないようにしていたが、魔力の多い森で採った果物をモアモア達に与えるなど多少の世話をしたそうだ。それ(ゆえ)モリモリ達は、ミリィを美味(おい)しい食べ物をくれる存在と認識したのだろう。


「ミラニさん、モアモア飼いになれるよ! ……ところでジブングさん、今日はドゥアルの方に行くのかい? だったらアタシに任せてよ!」


「ああ、お願いしよう。モリモリ達は休まなくて大丈夫かな?」


 ドゥアル方面なら自分が送るというチュカリに、シノブは笑顔で頷いてみせた。しかしチュカリ達は戻ったばかりらしいから、二羽に休憩が必要か確かめる。


「大丈夫だよ! それにアタシもお昼は済ませたからね!」


 チュカリは気合の入った声で応じると、更にモリモリ達へと駆け寄って太い足を順に叩く。

 するとモリモリとモエモエは一段と首を(もた)げ、高らかに声を響かせた。その様子からすると、どちらも元気一杯のようである。


 おそらくチュカリは、ここで否と答えたら別のモアモア飼いに頼むと思ったのだろう。

 そうなったら、また当分は会えなくなる。それ(ゆえ)チュカリは、問われもしない自身の昼食まで口にしたに違いない。

 慕ってくれるのは嬉しいが、余計な気遣いをさせたようだ。お詫びにシノブは、心配しないでと表情を和らげる。


「それなら良かった……チュカリ、今日は一緒に乗って良いかな?」


 シノブはチュカリと話がしたかった。自身の本当の名や住む場所を伝えたいし、その上で聞きたいこともあったのだ。


「もちろんだよ! それじゃシャールウさんとアムリさん、ミラニさんがモリモリに乗って!」


 チュカリはシノブに駆け寄り手を取った。そして彼女は雌のモエモエへと歩んでいく。

 モアモアには雄が雌を追いかけるという習性がある。そのため複数のモアモアを連れ歩くとき、飼い主は雌に乗るのだ。


「随分と慣れたね! それじゃ行くよ!」


 チュカリが口にした通り、シノブ達は馬と変わらぬくらい自然に乗っていた。

 前回は集落間の旅に加え、ナンジュマ内の観光もモアモアに騎乗してだった。そのためシノブ達が巨鳥に跨る(さま)は、かなりの熟練者にも匹敵する流麗さであった。

 それにシャルロットも、まるで自身が飼い主であるかのような自然体でモリモリを走らせていく。


「チュカリ、今日は君に話があるんだ」


「……なあに?」


 シノブが後ろから声を掛けると、チュカリは僅かに間を空けてから応じた。どうやら彼女は、シノブの声音(こわね)から特別な何かを感じ取ったらしい。

 そのためだろう、チュカリの声は僅かに震えてすらいた。


「私は……いや、俺は君が思っているより、もっと遠くから来た。このアウスト大陸の外から……。俺の名はシノブ、アマノ王国という国を治めている」


 ごく親しい者との口調にしたシノブは、ゆっくりと語り始める。あまり性急に進めると、チュカリが理解できないと思ったのだ。

 アウスト大陸の人々は、自身が住む大陸の名前を知っている。これは他の地方と同じで、創世期に神々が伝えたそうだ。それに神々は大陸の大きさや形を明かさなかったが、この広大な大地を海が囲んでいることまでは教えた。

 しかし王制の国は近くにないらしい。ナンジュマも十の名家が合議で統治する一種の貴族制だが、王はいない。そのためシノブは王に関する説明をすべきか、少々迷う。


「やっぱり凄い人だったんだね!」


 チュカリはシノブが語ったことに驚かなかったらしい。おそらくシノブ達がルールーの事件を解決したからだろう。


 ルールーとは大人の背の倍くらいもある巨大カンガルーだ。このルールーが百頭も集まり街を襲おうとしたが、シノブ達だけで退(しりぞ)けた。それも全く血を流さずに、ルールー達を草原へと戻したのだ。

 逆子だった弟ジブングを無事に取り上げたのは、優秀な治癒術士であれば可能かもしれない。しかしルールーの大群を倒すどころか無血で引き上げさせるなど、まさしく前代未聞である。

 アミィとミリィは街を救った者が全くの別人に見えるように細工したが、事件の前から一緒だったチュカリは対象としていない。そのためチュカリは真実を知っており、既にシノブ達を伝説級の偉人と捉えていたようだ。


「あのねジブ……ううん、シノブさん! アタシも昨日から神殿で勉強しているんだよ!」


 先日チュカリは、時々は神殿で学ぶとシノブに誓った。そのため彼女は、約束を守っていると伝えたかったのだろう。


「仕事の合間に?」


「神官長のヴラグン様が、昼間は忙しい子を夜に教えてくれるの!」


 シノブの疑問に、チュカリは嬉しげに答えていく。

 ヴラグンとはルールーの事件の解決にも協力してくれた高徳の神官で、シノブ達の正体も薄々察しているようだ。そのためミリィは、シノブ達が帰還した後にヴラグンと何度か語らったという。

 おそらく夜間教室も、そういった中から生まれたのだろう。


 夜といっても日没から幾らも経っていない時間から始め、一時間程度で終わるそうだ。しかしチュカリのように働く子供からすれば、貴重な場である。

 実際チュカリは、第一回の夜間教室でアウスト大陸の周囲が海だと知ったという。ナンジュマは海岸から内陸に250km以上も入った場所にあるから、彼女は海すら見たことがないのだ。


「良かったね……無理しちゃいけないけど、沢山学ぶんだよ。それでチュカリ、シャールウ達だけど……」


 笑顔で応じたシノブは、シャルロット達の名を明かしていく。

 シャルロットは妻で、アミィとミリィは血こそ繋がっていないが家族だ。そして自分とシャルロットの間には昨年の十一月に生まれたばかりの子供リヒトがいる。生まれた年は昨年だが、チュカリの弟ジブングとは二ヶ月少々しか違わない息子がいると、シノブは続けていった。


「リヒト君か! 会ってみたいな……シノブさん、アマノって国はどのくらい遠いの!? ナンジュマとドゥアルの何倍……ううん、何十倍はあるよね!?」


 チュカリは僅か七歳で、まだ自身が住む地が大陸と知ったばかりだ。当然アウスト大陸とエウレア地方の距離など、想像も付かないだろう。

 ナンジュマとドゥアルの距離は30kmほど、そこがチュカリの知る世界だ。もちろん自身が操るモアモアで移動してだから、単なる数字ではなく己の庭と呼べるほど知悉しているに違いない。

 とはいえ今のチュカリの知識では、シノブ達の暮らす地が一万数千kmもの遠方などと思い浮かばないのも事実であった。


「俺達が暮らしているアマノシュタットは、ナンジュマからドゥアルの何百倍も遠いよ」


「そんなに! それじゃリヒト君とは会えないね……」


 シノブの答えは、チュカリにとって絶望的な距離だったのだろう。驚愕の叫びを上げた彼女は、落胆も顕わな沈んだ声となる。


「いや、良かったらチュカリに俺達の国を見てもらおうと思うんだ。大丈夫、時間は掛からない……」


 シノブはチュカリが了承するなら、転移を使ってアマノ王国に招待するつもりだった。

 とはいえ、その辺りの説明は流石にモアモアの上だと難しい。そこでシノブは、チュカリに大きな岩がある一帯を指し示した。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 まずシノブ達は、ミリィにモリモリとモエモエを預けた。彼女にチュカリに化けてもらい、戻るまで代理を務めてもらうのだ。

 更にシノブはアミィに魔法の馬車を出してもらい、呼び寄せによる転移も実演してみせた。荒野の二箇所に分かれて馬車を呼ぶだけだが、一瞬で移動できると示すだけだから充分だ。


 そのためチュカリも不在や距離が問題にならないと理解した。

 チュカリはミリィが姿を変えるところを目にしたし、彼女が二羽を上手く御せると確かめた。転移に関してはシノブ達を信じるしかないが、そもそも変化の術や短距離でも瞬間移動を使えること自体が創世期の伝説並みである。


「こうなったらシノブさんが神様でも驚かないよ! ……おっと、こんなことヴラグン様に聞かれたら、叱られちゃうね!」


 チュカリの開き直り気味の叫びに、シノブは何と答えるべきか迷った。それにシャルロット達も困ったような笑いたいような複雑な表情となる。


「……ヴラグン様は叱ったりしないよ! でも他所じゃ言わない方が良いね!」


 チュカリへと化けたミリィも一瞬だけ微妙な顔となっていた。しかし彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべると、役に相応しい口調で言葉を紡いでいく。


「本当にアタシみたいだねぇ……」


「アタシもアタシだよ? アタシとアタシ、二人のチュカリ!」


 (あき)れたようなチュカリに、そっくりの声でミリィは応じる。そしてミリィは同じ姿の少女の手を取り、鏡合わせのように対称のポーズを取った。

 しかもミリィは手を繋いだままグルグルと回り出す。そのためだろう、モリモリとモエモエまで追いかけるように回り始めた。


「さて、どちらがチュカリかな!?」


「そんなことを言うのはミリィに決まっている!」


 声を張り上げた片方を真っ直ぐ指差しつつ、シノブは同じくらい勢い良く応じた。

 どんなに姿や声を似せても、間違いようがない。シノブは魔力波動で違いを把握しているが、そんな能力がなくても明らかである。現にシャルロットやアミィも気付いているようだ。

 しかしミリィは突っ込み待ちなのだ。ならば付き合うのが礼儀だし、そもそも自分達の日常はこういうものだとシノブは思っている。


「流石はシノブ様です~! そういうとこ、大好きですよ~!」


 感激のあまり素に戻ったのか、ミリィは本来の口調で叫ぶ。すると隣でチュカリが真っ赤に頬を染めて(うつむ)いた。

 チュカリが恥じらったのは、自分と同じ顔と声で『大好き』などと言われたからだろう。シノブも気持ちが理解できるだけに、何と答えるべきか迷ってしまう。


「さ~て、行きますか~! 元気モリモリ、モエモエキュンキュンです~!」


 ミリィはモエモエに飛び乗り、街道へと走らせる。もちろんモリモリも(つがい)の後を追って駆けていく。


「ちゃんと演技しなさい!」


「アミィ、大丈夫ですよ」


 同僚の背に叫ぶアミィの肩に、シャルロットが静かに手を置いた。ただしシャルロットの顔にも(こら)えきれぬ笑みが浮かんでいる。


「……アマノ王国って随分と楽しい国なんだねえ。アタシ、ワクワクしてきたよ」


「そうさ、俺達の国は笑顔溢れる明るい、そして幸せな国だよ! そうしようと沢山の人が頑張っているし、そうなってきたと俺は思っているんだ!」


 こみ上げる笑いを耐えているようなチュカリに、シノブは力強く言葉を返す。もちろん輝かんばかりの笑顔と、紡いだ内容を保証する弾む口調で。


 幸せの形は様々だ。アマノ王国にも人の数だけ異なる幸せがある。しかし無数の幸せは、一つの大きな幸せにもなる筈だ。

 もちろん強制ではなく、同じ方向を向かせるわけでもない。個々の花が思い思いに咲き誇り、一つの大きな楽園を形作るのだ。

 目指すところは遥か遠く、まだ歩み出したばかりだ。しかしシノブは、多くの努力で着実に前進していると感じてもいた。そのためだろう、自分達の造り上げた場への愛情をシノブは照れることなく口にした。


「さあ、チュカリ! 俺達の国に招待だ!」


「うん!」


 シノブはチュカリの手を取って魔法の馬車へと導き、シャルロットとアミィが足取りも軽やかに続く。

 四人は馬車の中でも、最前と変わらぬ華やいだ声で語り合う。待ちきれないのだろう、チュカリが次々と質問を発したのだ。

 暫しの後、魔法の馬車は遥かなる彼方へと旅立った。明るい笑声と大きな期待を乗せ、今も高き天から照らす女神の贈り物は、彼女の恵みを迎えようとしている遠方へと移ったのだ。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2017年8月23日(水)17時の更新となります。


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