23.31 東西の交流と諧謔の宴
シノブ達はアーディヴァ王国のサシャマ村を後にし、遥か西のアマノ王国へと帰還した。ただしアマノ号ではなく、魔法の家を使ってだ。
サシャマ村からアマノ王国の王都アマノシュタットまでは、直線距離でも4500km以上ある。そのためアマノシュタットにいるタミィに、魔法の家を呼び寄せてもらったのだ。
もちろん三頭の超越種も一緒だ。アマノ号を運んでくれた岩竜ニーズと炎竜ニトラ、それに案内役を務めた光翔虎のシャンジーも腕輪の力で小さくなって家に入り、アマノシュタットへと戻る。
タミィが呼び寄せたのは大神殿の庭で、そこで一同は解散した。ニーズはヴォーリ連合国南方の山中、ニトラはアマノシュタットの北のノード山脈の高みにある棲家へと転移の神像経由で帰った。シャンジーもズード山脈でも最高点近くに構えた修行場に向かい、残る者達は『白陽宮』へと移る。
ただしタミィには大神官補佐としての仕事があるから、移動したのはシノブ、アミィ、シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌの五人だ。
既に衣装は普段のものに戻しており、シノブ達は真っ直ぐ『小宮殿』へと向かった。しかし多少の休憩の後、五人は『大宮殿』へ赴く。実は、この日の政務は午後に回されていたのだ。
イーディア地方はアマノ王国の遥か東で、アマノシュタットとアーディヴァ王国の中心部には四時間近い時差がある。そのため向こうを日中に巡るならアマノ王国の午前中が最適で、今日は朝議を含めて全てを午後に移した。
したがって一息入れたシノブ達が訪れたのは、宰相ベランジェなどが待つ閣議の間であった。
「お帰り! お疲れのところ済まないが朝議……いや、昼議も頼むよ! 忠義の家臣達が色々知りたがっているからね!」
「一番興味を示しているのはベランジェ殿だと思いますが」
ベランジェの諧謔めいた言葉に応じたのは、内務卿のシメオンだ。すると円卓を囲む残りの三人が笑声を上げる。それに背後に立つ補佐官達も、柔らかな笑みで続く。
「確かに興味深く感じています」
「ふふ……そうですな」
軍務卿のマティアスは、謹厳実直な彼らしく控えめに応じた。それに財務卿のシャルルも、孫のシメオンと似た上品さで和す程度だ。
「全くですぞ! しかし昼議に忠義とは! 夕議なら友誼が生まれて親しみが増しそうですな!」
しかし農務卿のベルナルドは大柄な体を震わせ、更に膝まで叩いていた。彼はミュリエルの祖母アルメルの兄だが、物静かな妹とは違って感情表現が実に豊かであった。
「夕食を共にして語り合えば、友情も育まれますね」
自席へと歩みつつ、シノブは会話に加わる。
様々な地を巡るのは楽しいし発見も多い。しかし普段のやり取りから気付くこともある。
遠い異国の風物を知ったから、尚更ここが自分達の場所だと実感できる。どちらか片方だけでは、これほど深く胸に染み入ることはない。駆け足めいたイーディア地方訪問にも多くの意味があったと、シノブは感じていた。
「確かにサシャマ村での夕食会は、更に双方の心を開きました」
「はい! 皆さん笑顔で楽しそうでした!」
シャルロットとミュリエルは、サシャマ村での出来事に触れる。
村を訪れた教育団は、交流の準備もしていた。初日は紹介程度で、後は教育団が持ってきた食料や酒を振る舞っての宴会となったのだ。
団長の前領主パグダによると、兄で新領主となったアシャタと相談した結果だそうだ。知識を広めるには、まず相手に受け入れてもらわねば。そうアシャタは指摘し、パグダは兄の提案を実行に移した。
まさに飲めや歌えの宴は、互いの距離を大きく縮めてくれたに違いない。
「皆様、これが夕食会で見た踊りですわ!」
セレスティーヌはサシャマ村で目にした舞踏を披露し始めた。彼女は軽妙なステップを踏んで小刻みに体を揺らし、両手をひらひらと動かす。
それは確かに、パグダが連れて来た教育団員の舞う姿に酷似していた。
「向こうの音楽です!」
どこからともなく響く演奏は、アミィが魔術で再現したものだ。彼女はシノブのスマホから得た能力で、教育団の奏でた曲を記録していたのだ。
シタールのような金属弦の響きに激しく鳴らされる鈴や打楽器が重なる、エウレア地方とは全く異なる楽の音。その稀なる調べに、ベランジェ達は思わずといった様子で聴き入っていた。
「これは面白いね! セレスティーヌ、こうかね!?」
「ええ、叔父様!」
何とベランジェは立ち上がり踊り始めた。彼はセレスティーヌの舞踏を見事に真似ている。
ベランジェは武人でもあるから、身体強化も充分に出来る。それに元はメリエンヌ王国の筆頭公爵だから様々な踊りにも通じていた。
そのためだろう、彼の舞う姿は初見と思えないほど堂に入っている。
「君達も踊りたまえ!」
「それでは……」
ベランジェが促すと、シメオン達も席を立った。そして彼らは見よう見まねで体を動かし始める。
お付きの者達は流石に踊らないが、手拍子を始める。シノブ達が連れてきた従者や侍女、それに侍従長のジェルヴェも同様だ。
「上手いじゃないか! 向こうの激辛カレーとナンが好きなだけあって、なんとも華麗だね!」
「光栄ですが、エウレア流の甘口でしょう」
踊りながら軽口を叩くベランジェに、やはり舞いながらシメオンが短く応じる。
シメオン達も、長くメリエンヌ王国の宮廷舞踏に親しんでいる。それにマティアスは優れた武人で、他も貴族として恥ずかしくない程度に武術を修めている。
そのため全員が短時間で基本を掴んだようで、かなり様になっている。ただし一部の者は、自身が良く知る踊りに置き換えていた。
「それはジョスラン侯爵家伝統の?」
「ええ! 我らが家に伝わる『土壌掬い』です! 元々はエリュアール伯爵家ですが!」
シャルルの問いにベルナルドは真顔で応じていたが、シノブは吹き出しそうになった。
ベルナルドはメリエンヌ王国の農務卿一族ジョスラン侯爵家の先代である。そして彼は、昔から農地にも頻繁に足を運んだそうだ。
それはともかく『土壌掬い』は家伝の芸らしいが、名前からすると眷属の置き土産だと思われる。日本のドジョウ掬いのように剽軽ではないが、土を掬うような動きに僅かだが面影が感じられる。
ちなみにエリュアール伯爵家はジョスラン侯爵家の本家に当たる。メリエンヌ王国が誕生したころ侯爵家は存在せず、後に分家したのだ。
「俺達も踊ろう」
「ええ!」
「アミィさん!」
「はい!」
シノブはシャルロットの手を引き、セレスティーヌの右側へと歩む。そしてミュリエルとアミィが反対側へと向かう。
もちろんシノブ達は『土壌掬い』ではなく、セレスティーヌと同じイーディア地方の踊りだ。
「あちらの人達です!」
アミィの声と同時に、シノブ達の背後に大勢の踊り手が現れる。彼女はサシャマ村で見た人々の姿を幻影魔術で再現したのだ。それに背景には向こうの海や大地など、シノブ達が巡った地が順に浮かび上がる。
「これは素晴らしいね!」
ベランジェは歓声を上げ、他の者達も舞いながら異国の風景に目を向ける。そしてシノブ達は南国のように変じた閣議の間で、暫しの間だが異国の踊りを堪能した。
◆ ◆ ◆ ◆
突然の舞踏会は楽しかったが、いつまでも興ずるわけにはいかない。
閣議は通常一時間としているし、本題はアーディヴァ王国がどうなったかである。そこでシノブ達は教育団などを中心に、見聞した事柄を紹介していく。
アシャタやパグダが企画した教育団は、幅広い知識を教えるものだった。そして伝える事柄には読み書き計算のような基礎教育や農業指導といった実学に加え、歌や舞踏など生活を彩る諸々も含まれていた。
音楽はパグダの得意とする分野で、しかも打ち解けるには最適だ。そこで知識や教養に加え芸事にも通じた者を団員としたそうだ。
「パルタゴーマは上手くいきそうだね!」
「マリィも相談に乗っていますし、大丈夫でしょう。それに魔力の少ない者にとって、千載一遇の機会となったようです」
喜びを顕わにしたベランジェに、シノブも負けず劣らずの笑みで応じた。
教育団の団員も、今まで下級とされていた者が多いそうだ。魔力偏重の階級制度は役人にも厳格に適用されたから、深い知識や幅広い教養を持つ者でも出世は難しい。しかし知恵者や多芸な者は喜ばれるから、いつか目に留まるときを夢見て努力を重ねた人物もいた。
アシャタは自身が中級とされたとき、そういった人々に気付いていた。そして領主となった彼は、未来を創る仕事に有徳の士を充てようと考えたわけだ。
「それらがアーディヴァ王国全体に広がれば、介入せずにすみそうですね」
「お二方の補佐があれば万全でしょうな」
シャルルとベルナルドは安堵の表情となっていた。
つい先日までのアーディヴァ王国は、民を虐げ戦を企む不穏な国だった。しかし国を裏から操っていた禁術使いヴィルーダは斃れ、国王は正道に立ち返った。
そして国王の側にはホリィも付いている。彼女は同僚のマリィと密に連絡を取っているから、パルタゴーマでの試みは更に広がるに違いない。
王都では新たな大神官を選ぶし国全体の神殿改革もあるから、一地方のパルタゴーマより動きは早くないだろう。しかしアシャタやパグダが灯した光は、いつか国中を照らす。
そう確信したらしく、年長の二人は好々爺といった様子で目を細めていた。
「次は禁術使いの調査だ! シノブ君、シャプラという場所で何か掴んだって!?」
ベランジェの掛け声で、話題はアーディヴァ王国の初代大神官ヴィルーダへと移る。
シノブ達は移動中に通信筒で多少の連絡をしていた。そのためベランジェ達も概要は承知しているのだ。
「はい。実は……」
シャプラの神泉の事件の詳細と、元凶の式神を放ったのは大神官になる前のヴィルーダらしいという推測をシノブは語る。そしてアミィが魔法のカバンから大きな地図を取り出し、円卓の上に広げた。
「大きな手掛かりになりそうですな。しかもシャプラの神官長が協力してくださるのも朗報です」
「シャプラがあるチャンガーラ王国とスワンナム地方の間には、更に一国ありますか……」
マティアスとシメオンは卓上に置かれた二枚の大きな地図を覗き込んでいる。
片方の地図はエウレア地方、アスレア地方、イーディア地方までの北大陸と、アフレア大陸の北部を描いたものだ。もう片方は、更に広域で未到達の場所も含む地図である。
最初の一枚にはエウレア地方とアスレア地方の全ての国に名が記されているが、イーディア地方はアーディヴァ王国と隣国までだ。南のアフレア大陸は更に情報が少なく、ウピンデ国など北海岸の一部だけである。
より広域の地図にはイーディア地方よりも東、ヤマト王国とアウスト大陸も載っている。ただしシノブ達が行ったことのない場所は薄い影が広がっているだけだ。
この星は地球を参考に整えられ、大陸の配置も似通っている。そのため訪れていない地域は地球のものに似せて薄い色で仮の陸や海を描いていた。
そしてマティアスとシメオンは二枚目の一部分、地球でいう東南アジアに相当する場所を見つめていた。そこがスワンナム地方である。
「一応はチャンガーラ王国から東に辿るけどね。だが、他にも伝手はある」
シノブはシメオン達に答えながら、先日のヤマト王国訪問を思い出す。
ヤマト王国の王太子である大和健琉は、呂尊助三郎こと堺屋助三郎が拠点を置くナニワの町に使者を送ってくれた。もっとも使者を出したのが昨日の朝だから、おそらく今ごろナニワで調べている最中だろう。
ルゾン・スケサブロウは交易商だから、町にいるとも限らない。しかしナニワに店を置いているのは確からしいから、最低でも番頭などから話を聞けるだろう。
それにルゾン・スケサブロウが渡ったというルゾン島を、海竜リタンの両親レヴィとイアスが調べに行った。まずは本当に島があるか、そして渡航が可能かを確かめにいったのだ。
ルゾン島は地球ならフィリピンの北部に当たる場所らしい。そして現在ミリィがいるアウスト大陸、オーストラリアに相当する地の北端から、海竜なら一日半ほどだそうだ。
シノブは将来に備え、北大陸とアウスト大陸の間を明らかにしたかった。そこでレヴィ達は、敢えてアウスト大陸から向かったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「ルゾンという島があるとしたら、スワンナム地方の東端か……。しかしシノブ君、この辺りは案外と狭いのかね?」
「どうでしょう? 予想より東西が詰まっていますが、その分だけ南北に伸びているかもしれませんよ?」
ベランジェの問いに、シノブは首を傾げつつ応じた。
どうも北大陸の東端は、地球の東アジアや東南アジアほど広くないらしい。イーディア地方やアウスト大陸の位置や大きさが判明した結果、それらが明らかになったのだ。
アーディヴァ王国の王都アグーヴァナの辺りは、アマノシュタットより四時間ほど早く日が昇る。そしてヤマト王国は、更に三時間ほど早い。
つまり地球に当て嵌めるとインド西部と日本の時差が三時間ということになる。しかし実際の地球だと四時間はある筈だ。
創世の際、アムテリアは星の大きさを地球と揃えた。
地球と同じような生き物を育てるなら、この星を含む太陽系も同じ条件が望ましい。そして神々は時刻も地球の例に倣い一日を二十四時間としたから、時差一時間分が経度15度というのも一緒だ。
つまり赤道直下なら、一時間の時差は東西およそ1670kmとなる。それだけの距離が縮まったなら、陸路にしろ海路にしろ旅の難易度は大きく減るに違いない。
「イーディア地方の詳細が判るまで、残りが広い可能性はあると思っていましたが……」
「アマノシュタットを基準にすると時差はイーディア地方の西端で三時間九分ほど、東端で五時間二十五分ほどです。そしてアウスト大陸の西端は六時間を切ると思います」
シノブとアミィが触れた通り、イーディア地方の東西は地球のインド亜大陸と同じくらいだ。つまり国としてのインドだけではなく、パキスタンからバングラデシュに相当する広域である。
そしてアウスト大陸ことオーストラリアに当たる場所は、ヤマト王国を基準にすると殆ど同じ位置にあった。多少は形が違うし南北や東西の広がり具合も違うが、時差で表現すると東西ともヤマト王国の中心から一時間少々だ。
したがってイーディア地方の東端とアウスト大陸の西端は、経度でいえば大差ないらしい。もちろん北半球と南半球だから接していないが、当初シノブ達が思っていたより遥かに両者は近かったのだ。
「スワンナム地方が赤道よりも南に張り出していたら、航海は大変ですね……」
「シノブ様の故郷だと、上手く半島と島の間を抜けていけるようですが……」
ミュリエルとセレスティーヌも地図の空白地帯へと目を向けていた。
以前アミィが、ここにいる者達に地球の白地図を見せたことがある。そのため二人もマラッカ海峡の存在を知っているのだ。
「スワンナム地方が東西に広くないなら、東側から調べるのも良さそうですね」
「確かに。ヤマト王国にも大蛇を操る術が伝わったそうですから、ヴィルーダの出身地も大陸の東岸付近かもしれませんな」
シャルルとベルナルドは無魔大蛇を操る術に目を付けたようだ。
ヴィルーダの術は式神だから、単なる魔獣使いとは違う。しかし式神にするまで飼育していたなら、何らかの関係があるかもしれない。
「フェイジーによると、スワンナム地方にも無魔大蛇の生息地が幾つかあるようです。その中には東海岸のものもあったとか」
シノブが触れたフェイジーとは、フェイニーの兄でシャンジーの従兄弟だ。今はエウレア地方に戻っているが、つい最近まで彼はヤマト王国の高山で修行していた。
そこでシノブはフェイジーに最新の地図を見せ、辿った経路を問うた。その結果、フェイジーがイーディア地方の北部を通過したと判ったのだ。
フェイジーはエウレア地方からアスレア地方を南部の陸地に沿って移動し、イーディア地方に入った。そしてイーディア地方では北のマハーリャ山脈に暫く留まって修行し、再び東に向かったそうだ。
生憎フェイジーは、スワンナム地方を真っ直ぐ通過しただけらしい。そのため彼は南に大きな半島が伸びているのを上空から見たが、どこまで続いているか知らないという。
これはフェイジーが父の言葉に従い、高山を中心に巡ったからであった。下手に平地の大森林に寄ると、そこが光翔虎の棲家で荒らしに来たと疑われるかもしれない。そのため充分な力を得るまで、彼は同族の住みそうな場所を避けたそうだ。
「フェイジー殿は三百歳ほどでしたね?」
「ああ。通過したのは、ここ百年以内だ。でもヴィルーダが渡ってきたのは二百年近く前らしいから、時代が違う」
確認するような口調のシメオンに、シノブは彼が聞きたかっただろうことも合わせて答えた。
超越種が成体となるのは二百歳ほどだ。したがってフェイジーが生地を離れたのは、創世暦900年頃より後で間違いない。
一方でヴィルーダが後のアーディヴァ王国の初代国王ヴァクダと会ったのは創世暦817年だ。したがってヴィルーダがスワンナム地方を出発したのは当然その前となる。
ちなみにシノブは他の光翔虎にも訊ねたが、思い当たることはないそうだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「そうそう、イヴァール殿は予定通りキルーイヴに着いたよ」
ベランジェはアスレア地方北部訪問団の動向へと話題を転じた。どうやら彼は、自分達が報告する番だと思ったらしい。
今朝イヴァール達はエレビア王国の王都エレビスを出発し、アマズーン湾を飛び越えてキルーシ王国の王都キルーイヴへと渡った。
訪問団が乗るのは飛行船だから、大山脈でもなければ真っ直ぐ移動できる。それに航続距離も伸びたから、エレビスからキルーイヴの400km程度は無着陸の飛行が可能であった。
「今日を含め四日間をキルーイヴに滞在し、西メーリャ王国の風習を学びます。同じドワーフでも随分と違うそうで……」
侍従長のジェルヴェがベランジェに代わって詳細を語り出す。シノブ達が留守にしている間、イヴァールからの知らせを受けていたのは彼であった。
西メーリャ王国は、アスレア地方の西部に広がる大砂漠に隣接した国の一つだ。南からエレビア王国、キルーシ王国、そして西メーリャ王国の三国が砂漠に接している。
この大砂漠は北端が北緯55度近く、南端でも北緯40度より北だ。したがって本来なら熱砂の地とはならないが、神々はエウレア地方とアスレア地方を隔てるために敢えて不毛の地とした。
大砂漠に隣接する国も西から吹く熱風で気温が上がるから、まるで低緯度帯のように暑い。砂漠に近い辺りはサバンナ風の気候で、少し東でも半袖と膝丈のチュニックで充分なほどだ。
「エレビア王国やキルーシ王国のように暑いなら、ヴォーリ連合国と生活風習が違って当然だね」
シノブはエレビア王国の王子リョマノフや、彼の婚約者でキルーシ王国の王女ヴァサーナを思い浮かべた。二人が生まれたエレビスやキルーイヴでは、雪など降らないという。
つまり西メーリャ王国は、冬は深い雪に閉ざされ夏でも冷涼なヴォーリ連合国と全く異なる。革服など着ないだろうし、長毛のドワーフ馬もいないかもしれない。
「特に進路であるキルーシ王国との国境地帯は砂漠沿いです。その辺りは陛下やアミィ様が訪れた都市ヴォースチと変わらないとか」
ジェルヴェが説明する通りなら、西メーリャ王国の西端近くは乾燥した荒野が広がっているのだろう。かつての体験からシノブは大よそを理解した。
「そのように暑いと、あの髭は大変でしょう?」
「はい。西メーリャ王国のドワーフ達は、こちらのように髭を長くしないそうです」
シャルロットの問い掛けに、ジェルヴェは少しばかり首を傾げつつ応じた。
もっとも他の面々も怪訝そうな表情となっていた。髭が長くないドワーフの成人男性など、想像の埒外なのだ。
ドワーフの男性は早くから髭が生える。そしてエウレア地方の場合、彼らは成人年齢の十五歳を迎える前に腰の辺りまで届く髭を蓄える。
「髭なしでも卑下しないのだね。犯罪者はどうするのかな?」
「残念ながら、そこまでは」
先刻同様ベランジェは駄洒落を混ぜるが、内心では強い興味を示しているらしい。しかしジェルヴェが得た情報に、彼が望むものは含まれていなかった。
それはともかくエウレア地方のドワーフ達は、追放などの重刑だと髭を剃り上げる。そのため成人男性で髭が短いのは受刑者だけなのだ。
ヤマト王国のドワーフ達も豊かな髭を誇っているし、刑罰で髭を剃るのも共通している。彼らが住む陸奥の国は日本の東北地方に相当する場所だから、ヴォーリ連合国ほどではないにしろ充分に涼しい。そのため彼らも髭を伸ばそうが、暑苦しさを覚えることはないだろう。
また細かい風習は不明だが、イーディア地方の北部山地やアウスト大陸の南に浮かぶゴディア島に住むドワーフ達も髭が長いという。双方とも標高や緯度の関係で、ヴォーリ連合国と同じくらい寒冷な地だった。
「……イヴァールさん達、苦労なさるかもしれませんね」
「本当ですわ。まるで北国と南国ですもの……」
ミュリエルとセレスティーヌはアスレア地方を訪れたことがない。しかし二人は今日のイーディア地方や以前のウピンデムガのように、低緯度で砂漠と隣接する土地を知っている。
そのため双方とも、かなり具体的に想像できたのだろう。どちらも僅かに不安を覚えたようで、顔を曇らせている。
「イヴァール達にとって髭は誇りの象徴だからね。でも、きっと分かり合えるよ。多少の行き違いはあっても、最後はね。俺達だって、遥か南のウピンデムガの人達と仲良く出来たじゃないか」
「そうです! 住んでいるところも暮らし方も全く違いますけど、アマノ同盟として協力し合っています! それにエマさんやムビオさんのようにアマノシュタットで暮らしている人もいます!」
シノブがミュリエル達に笑いかけると、更にアミィが続く。
アフレア大陸の人々は、人族にしろ獣人族にしろ漆黒の肌の持ち主だ。それに極めて暑い場所だから、衣食住の全てがエウレア地方とは大きく違う。
それでも互いのことを学び、理解を進めてきた。そして今や手を携え、共に歩んでいる。
きっとイヴァール達エウレア地方のドワーフも、西メーリャ王国や東メーリャ王国のドワーフと友好関係を築けるだろう。そこに辿り着くまで誤解や諍いは幾つも生じるだろうが、きっと乗り越える。
何故ならイヴァール達は、既に多くの種族と融和を成し遂げたのだから。
「……シノブ君、次はメーリャの二国かね? それともラーカ君の加護を授かりにアウスト大陸かね?」
ベランジェは、殊更陽気な声を張り上げた。
あわよくば自分も出かけようと思っているのだろうか。ベランジェは子供のように瞳を輝かせている。
「まずはアウスト大陸ですね」
「手掛かりを掴んだのかね!?」
シノブの応えに、ベランジェは身を乗り出して更なる問いを重ねる。
シャプラで海竜リタンは大蛇の式神を倒し、加護に目覚めた。それにオルムル、シュメイ、フェイニーの例を振り返っても、特殊な状況で自身の力を振り絞ろうとした結果のようだ。
したがって嵐竜ラーカにも同じく何らかの試練があるに違いない。そうであれば相応の事件か予兆を知ったのでは。どうやらベランジェは、そう考えたらしい。
シメオンやマティアス、それにシャルルやベルナルドも興味深げな表情となる。
ベランジェを含め、彼らは超越種の子供達の成長に協力を惜しまなかった。それが各種の恩恵を授けてくれた偉大なる種族に対する、せめてもの礼だと思っているからだろう。
「いえ、まだです。実は、ナンジュマのチュカリに会いに行こうかと……」
シノブはモアモア飼いの少女の名を挙げた。
アウスト大陸の調査は、今も金鵄族のミリィやラーカの両親を含む四頭の嵐竜が続けている。しかし、まだ特筆すべき発見はないらしい。
知恵の神サジェールは、ラーカがアウスト大陸で加護を授かると告げた。しかしアウスト大陸は東西が3000km、南北が2000kmを超える広大な地だ。したがって手掛かりを得るにも時間が掛かるだろう。
そこでシノブはラーカを両親達に預け、自身はナンジュマを再訪しようかと考えていた。
シノブはナンジュマに訪れたとき、家業の助けに忙しいチュカリを憂えた。まだ彼女は七歳だから、働く前に学ぶべきことが沢山あると思ったのだ。
しかし各地を巡り、シノブの考えは変化した。それぞれの地に相応しい成長があるし、学ぶべき事柄も違う。アマノ王国でも都市の子と農村の子では暮らしが異なるし、必要とするものも違う。同じ農村でもアマノ王国とイーディア地方では、やはり違いが大きい。
それらには土地土地に合わせた生活として尊重すべきことが多い。もちろん技術の不足は補うべきだが、それも自然や文化と調和した方法で行うべきだとシノブは理解したのだ。
「なるほどね! 行ってきたまえ、それも王として大切なことだよ!」
「ありがとうございます」
快く許可してくれたベランジェに、シノブは頭を下げる。
確かに国王として得難い経験ではある。しかしベランジェ達の負担となっているのも事実であろうとシノブは思ったのだ。
「遠慮はいらないよ! お土産はナンジュマ饅頭で良いから!」
「伯父上、ヤマト王国と違い饅頭などありませんよ」
笑顔で土産をねだるベランジェに、シャルロットが呆れ顔となる。
もっともシャルロットの口元は綻んでいた。彼女も『奇人の貴人』として有名な伯父の戯れだと、察してはいるのだろう。
「それでは義伯父上にはイキイキイモを……」
「ほう、例の珍品かね! これは楽しみだ!」
シノブは冗談のつもりだったが、ベランジェは本心から興味を抱いているらしく満面の笑みで応じる。
イキイキイモとはアウスト大陸に生息する芋虫だ。調理すれば芋の煮込みのような美味だが、そうと知っていても尻込みする者は多いだろう。
しかしベランジェにとって、食材が何かなど些細なことらしい。
「そうだ! イーディア地方のカレーに混ぜてみたらどうだろう!?」
「蒸し饅頭も良いかもしれませんよ?」
歓喜を顕わにするベランジェに、シメオンが笑みを含みつつ提案する。そして次の瞬間、シノブ達は声を立てて笑い出した。
料理で交流するのも良いだろう。食事は文化を形作る大きな要素だから、きっと理解も進むに違いない。もっとも材料を知ったら、大騒ぎになるかもしれないが。
シノブはイーディア地方やアウスト大陸と本格的に行き来する世を思い浮かべた。東西の文化が交わる、豊かな未来だ。そしてシノブは夢想を現実とすべく、ベランジェ達との語らいに戻っていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年8月19日(土)17時の更新となります。