表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第23章 灼熱大地の人々
583/745

23.30 未来への歌

 海竜リタンが神泉を清め、シャプラでの騒動は終わった。後はシャプラの神官長にでも密かに真実を伝えれば良い。そう思ったシノブだが、まだすべきことがあった。


 実はリタンが発した浄化の光は泉の水面まで達し、地上の人々もエメラルドの(きら)めきを目にしていた。

 この奇跡に神官達や参拝客達は驚き、何が起きたのかと噂した。それを上空のアマノ号で待つオルムル達が、思念で水中のシノブ達に知らせたわけだ。


 そこでリタンに神の使者を演じてもらうことになった。姿は消したままリタンが泉の上で浄化の光を再び放ち、(けが)れが払われたと告げたのだ。

 リタンの発声術は神の使いに相応しい涼やかな響きで、人々は歓喜し地に伏した。そしてシノブとアミィのみでシャプラの神官長に密かに会い、真実を伝えた。

 もちろんシャプラの神官長は驚いたが、チャンガーラ王国最大の修行地を預かるだけあってシノブ達が何者か一目で察していた。そこでシノブは神泉を汚した大元らしきアーディヴァ王国の初代大神官ヴィルーダについても伝え、内密に調査してほしいと頼んだ。


 それらを終えてから、シノブ達はシャプラを後にしてアーディヴァ王国へと旅立ったのだ。

 今のアマノ号は夕方近くの空を西方へと進み、その手前を光翔虎のシャンジーが先導するように飛翔している。


「本当に良かったですわ……神々の贈り物が汚されるなんて、あってはならないことですもの」


「はい! それにリタンさんも加護を得ましたし!」


 舳先の近くでセレスティーヌとミュリエルが言葉を交わしている。二人は美しい青空や異国の大地、そして天を駆けるシャンジーを眺めているのだ。


「そうですね……シノブ、リタンは?」


 二人と共に船外を鑑賞していたシャルロットだが、唐突に後ろを振り向いた。彼女は魔法の家から現れたシノブとアミィの気配を察したらしい。


「もう寝台の上だよ」


 シノブは身に着けた白銀に輝く腕輪を掲げつつ、妻に応じた。これはアムテリアから授かった腕輪で、同じく神具である『神力の寝台』に魔力を送るためのものだ。


 リタンを含む超越種の子供達は、一足先にアマノシュタットへと戻っていた。これはリタンが深い眠りに入ったからである。

 神秘の力の発現は初めのうち激しい疲労を伴うらしい。何度か使うと平気になるようだが、最初や続く何度かは疲れて眠ってしまうのだ。

 特にリタンが加護に目覚めたのは大蛇の式神との戦いの最中で、彼は勝負を決めたブレスに大量の魔力を注ぎ込んだ。その直後に神泉の浄化までしたから、眠りに落ちるのも無理はないだろう。

 そこでシノブはシャンジーを除いて子供達を送り返した。今回オルムル達が同行したのはリタンの手助けをするためだが、既に目的は果たした。後はアーディヴァ王国でホリィやマリィを支援する一団を送り出すだけである。


 それに魔力は離れていても寝台を通して与えることが出来るから、戻った方がリタンの回復も早い。もっとも腕輪が伝える感覚からすると、オルムル達も含めて全ての子供が寝台の上にいるようだ。


「皆でお昼寝ですね!」


──いつも済みません──


──また魔力をいただいているのですか?──


 アミィの言葉に上から思念で応じた者達がいる。それはアマノ号を運ぶ二頭、岩竜ニーズと炎竜ニトラである。


「大丈夫、気にしないで!」


 舳先へと向かっていたシノブだが、振り向いて母竜達を見上げる。

 実際のところ全ての子供が全力で魔力を吸ったとしても、シノブからすると気にならない程度である。重さに例えるなら財布の中に硬貨が幾つか増えたような、注意を向けたら違いが分かるほどでしかない。


「皆にはリヒトの世話をしてもらっているから! それに、お陰でリヒトも思念に目覚めてきたし!」


 満面の笑みを浮かべたシノブは、表情に相応しい弾んだ声で言葉を続ける。

 シノブとシャルロットの子、リヒトは早くも思念に反応するようになった。それに彼は自身の意志を魔力波動で表現し始めた。

 まだリヒトの発する波動は言葉というほど明確ではなく、感情や大まかな考えが伝わってくる程度だ。しかし彼は、二日後に生後二ヶ月半という正真正銘の赤子である。その幼さで思念に興味を示したのは、日々間近で交わされるオルムル達の声なき会話があったからだ。

 したがってシノブが母竜達に感謝を捧げるのは、極めて自然なことだろう。


「アヴ君やエス君もそうだけど、先々が楽しみだよ」


「ええ、本当に」


 シノブが顔を向けると、歩んできたシャルロットが笑顔で頷く。

 リヒトと同じく、ベルレアン伯爵の長男アヴニールと次男エスポワールもアムテリアの加護を授かった。アヴニール達はリヒトより更に曖昧だが、やはり魔力に意思を乗せることがあるようだ。それに魔力波動に鋭敏に反応するのは間違いない。

 つまりリヒトには同じ人間にも共に研鑽できる仲間がいる。今は三人とも赤子だが、少しすれば彼らは共に語り合い、競い合うようになるだろう。


 リヒトは自身の叔父達を、そしてオルムル達を友として育つのだ。いや、既に彼らは友誼を交わしてさえいる。

 三人の赤子はシノブ達の前で手を重ね合い、それをアムテリアは祝福した。彼らの前には輝かしい希望の未来が広がっている。

 もちろんオルムル達も一緒にいてくれるに違いない。今も起きている子は、リヒトに何かを語りかけているようだ。シノブは陽光に(きら)めく腕輪から伝わる子供達の波動に、思わず目を細めた。


「どんな風に成長するのでしょうね……」


「想像できませんわね……ですが私達の子も含め、きっと愛と幸せをどこまでも広げていくに違いありませんわ」


 ミュリエルとセレスティーヌもシノブ達の側に寄る。

 二人はシノブの婚約者だから、リヒトに先々生まれるだろう我が子を重ねるときがある。それはシノブにとって気恥ずかしく感じもするが、こちらの一夫多妻における家族の語らいだと普通のことらしい。

 とはいえシノブも、今では大抵のことに動じなくなった。そのためセレスティーヌが口にした演劇の一幕のような言葉も、王女生まれの彼女らしいと笑みを浮かべる。


「リヒト達には素晴らしい未来が待っているよ。俺達と同じで互いを支え、共に微笑みながらの」


 シノブは進む先にある日輪、そしてアマノ号を先導するシャンジーへと顔を向けた。

 太陽を目指して駆けるような白銀に輝く若き光翔虎。天空を躍動するシャンジーの姿から、シノブは未来に向かって走る子供達を思い浮かべる。

 世界を遍く照らす光は、全ての(いと)し子を分け隔てなく勇気づけ励ましている。それぞれの暮らしは違うし道も異なるが、(いず)れの先にも母なる女神の贈り物はある。


 シャプラで目にした神像群は、あらゆる人々を慈しみ導いていた。

 人族、獣人族、ドワーフ、エルフ。為政者、武人、商人、農民。ありとあらゆる種族や職業の人々に対してだ。

 それは決して救いだけではない。あるときは試練を与え、あるときは行く先のみ示し、学ぶべきものを学ばせ、超えるべきものを超えさせる。そこからシノブは大きな教訓を読み取っていた。


「はい! シノブ様達のように色んなことを学びながら新しい世の中を創っていきます!」


「そうありたいね。さあ、リヒト達に笑われないように頑張ろう!」


 高らかに宣言するアミィに、シノブは大きく頷いた。そしてシノブの決意に賛意を示すかのように、二頭の巨竜はアマノ号を加速させていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 アーディヴァ王国に入ったシノブ達はホリィやマリィと合流した。そして支援の者達をマリィに預け、ホリィだけが説明役を兼ねてアマノ号に残る。

 シノブ達は三日前に訪れたサシャマ村へとアマノ号を進めている最中である。あのとき戦士達から助け出した少年少女、シダールとアーシュカの様子を見に行くのだ。


「ここも麦畑や綿畑が多いのですね……」


「今まで通った国々もそうでしたけど、本当に暖かいのですね」


 ミュリエルとセレスティーヌは、船縁(ふなべり)から地上を見つめていた。

 まだ一月だが、今まで通ってきた地域は全て北緯30度から北緯20度ほどだ。そのため今も地上の気温は20℃を超えているらしい。


「ジャルダ殿はどうしているかな?」


「ヴァクダさんと一緒に頑張っています。大神官が空位では困りますから、今日は大神殿に行きました」


 シノブの問いを受け、ホリィが王都アグーヴァナの様子を語り出す。彼女は鋼人(こうじん)に宿った初代国王ヴァクダと共に、アーディヴァ王国の再建に(たずさ)わっていた。


 国王ジャルダは隣国への侵略を(くわだ)てた。しかし侵略を含む陰謀は、代々の大神官に乗り移ってアーディヴァ王国を陰から支配したヴィルーダの扇動によるものだった。

 それに本来のジャルダは穏和な性格だった。ヴィルーダが作り上げた神王が、彼を攻撃的な性格としていたのだ。

 したがってヴァクダから真実を教えられると、ジャルダは素直に戦争の準備を()めていた。


「良い人は見つかりそうですか?」


「候補は十人ほどいるそうです。まずヴァクダさんとジャルダさんが選別し、最後は私も確かめます」


 心配げなアミィに、ホリィは微笑みを返した。その様子からするとアーディヴァ王国は着実に再建へと向かっているようだ。


 今のホリィは王都アグーヴァナに(とど)まり、ヴァクダやジャルダを補佐している。少なくとも新たな大神官が決まるまで彼女はアグーヴァナに常駐し、その後も暫くは頻繁に訪れて相談に乗る。

 一方マリィはパルタゴーマの町を拠点とし、()の地の領主アシャタの補佐をしたり各領主の様子を見て回ったりしている。シノブ達はパルタゴーマの新領主アシャタにも正体を明かしたから、パルタゴーマだと彼から話を聞くこともでき色々と好都合らしい。

 それにパルタゴーマはパグダからアシャタに代替わりしたばかりだ。兄のアシャタを(だま)して追い落としたパグダも今は隠居の身で大人しくしているそうだが、交代した直後だけあり助言すべきことも多いのだろう。


「ホリィが見てくれるなら、安心できますね」


 シャルロットは晴れやかな笑みを浮かべていた。それにアミィも安堵したのだろう、いつもの明るさを取り戻す。

 代々の大神官の正体は禁術使いヴィルーダだったから、各所に(ゆが)みが生まれている。そのため大神官選びは国の立て直しでも最重要事項に違いない。

 しかしホリィが選ぶなら間違いはない。おそらくシャルロットとアミィは、そう思ったのだろう。


「シダールとアーシュカを追い回した上級戦士達……あれも神殿の教えの結果なんだろうね」


「はい。物心ついたころから誤った教えでは、真っ直ぐ育つとは思えません」


 シノブの呟きにホリィは表情を引き締める。そして彼女はアーディヴァ王国の実態について語り出す。


 今までもホリィやマリィはアーディヴァ王国や周辺の国々を調べたが、街の人々から話を聞くだけで体系だった調査は不可能だった。しかし今は国王や領主に直接聞いたり彼らが持つ書物を閲覧したりと、得られる情報や得るための効率は格段に向上している。

 そのためホリィ達は、ヴィルーダが推し進めた洗脳とも言うべき悪辣な手段を把握できた。


 ヴィルーダは各地の神殿に、魔力による階級制度に疑いを持たない者を優先的に配属した。そして彼は魔力が多い者に術を授けると称し、長期の修行を課した。

 対象は上級以上になれる素質を持つ者で、神官希望だけではなく全てを集めた。そして術の教育と同時に選民意識を植えつけたのだ。

 魔力が多くても戦士のように身体強化にしか使えない者もおり、必ずしも多彩な術を会得するとは限らない。しかし術が使えなくても、階級を決める魔力検査で好成績を残すには訓練が必要だから断る者はいない。

 こうやってヴィルーダは国の中核となる者達を自身の望む方向に誘導し、更にその中から極めて優れた者を選び出し将来の大神官として育てた。つまり洗脳と同時に自身の新たな器も確保したわけだ。


「そうすると教育し直すのは難しいんじゃない?」


「国王への忠誠は強く教え込んでいますし、為政者や内政官、武人となる者達には神王虎の伝説も刷り込んでいます。まずは国から命じ、それでも改めない者はドゥングさんから……」


 シノブの疑問に、ホリィは少し残念そうな表情で答えていく。やはり彼女としては、強制や脅しめいたことは避けたかったのだろう。


 しかし早期に体制を再構築するには、多少の荒療治も仕方ない。

 国王で駄目なら神王虎こと光翔虎のドゥングが一喝し、それでも無理なら捕らえて長期の再教育を施す。もちろん王や神王虎を怖れて表面だけ従う者もいるだろう。しかし清廉潔白な者のみ集めようとしたら、どれだけ残るだろうか。

 それに彼らも洗脳の被害者には違いない。ならば可能な限り再出発の機会を与えるべきだ。


「その辺りが現実的な道だろうね。それに、ここは俺達の国じゃない。ここの人達で対応可能なやり方が一番だよ」


 シノブは思わず本音を口にした。

 押し付けはしたくないし、何から何まで手を貸すのも愚策だ。この地にはこの地に合った方策がある筈で、それを見つけるのは余所者の仕事ではない。シノブは、そう思ったのだ。


「はい。幸い周辺の国は、そこまで行き過ぎた制度ではありません。ですから他はアーディヴァ王国の後で大丈夫かと」


 ホリィの言葉は事実であった。

 アーディヴァ王国から調べたのは、最も怪しく不穏な気配が漂う国だからである。つまり周辺の国は魔力偏重といっても、ここに比べると柔軟な運用をしていた。

 それらは今日のリシュムーカ王国、カンダッタ王国、チャンガーラ王国の訪問でも何となく理解できた。多くは空からの訪問だったが、たとえばシャプラを例にしてもアーディヴァ王国より遥かに穏当だった。


──兄貴~、そろそろサシャマ村ですよ~──


 語り合うシノブ達にシャンジーの思念が届く。

 確かに、だいぶ西に来たようだ。既にアマノ号からも西の砂漠が微かに見える。それに既にパルタゴーマは通過したようだ。

 船縁(ふなべり)に寄り船尾の側を向くと、右舷の後方に先日目にした町があった。それに町から西に向かう街道には、あのときシャンジーの背から見た牛が()く荷車が行き来している。

 パルタゴーマから真西に20kmほど進めばサシャマ村だ。そこでシノブは街道沿いに視線を動かしていく。


「ミュリエル、セレスティーヌ! あれがサシャマ村だよ!」


「あの村ですね!」


「ついにシダール君やアーシュカさんと会えるのですね!」


 シノブが指差す方向にミュリエルとセレスティーヌが向き、歓声を上げる。この二人は初の訪問なのだ。

 語らう間にも、二頭の巨竜は船を進めていく。そして幾らもしないうちに、シノブ達はサシャマ村の上空に達した。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 ニーズとニトラを空に残し、シノブ達はサシャマ村へと向かう。母竜達はアマノ号と共に、西の砂漠で待機するからだ。


 一方シノブ達はシャンジーの背に乗り、サシャマ村へと向かう。手前からシノブとシャルロット、ミュリエルとセレスティーヌ、アミィとホリィの順でシャンジーの装具に付属する取っ手にしがみ付いての騎乗だ。

 衣服はイーディア地方を訪れたときから、こちらの中級商人のものにしている。それに肌の色も濃くして髪も黒髪に変えているから、巨大な虎の背に乗っているのを別にしたら充分に現地の商人に見えるだろう。


 それはともかくシャンジーは村に近い街道脇でシノブ達を降ろす。そして彼は普通の虎くらいに小さくなってから姿消しを解いた。


「あっ、シノブ様、シャルロット様! えっと……フェイニーさん?」


「ホリィさんも! そちらはアミィさん、それともマリィさん!?」


 村の入り口近くから呼びかけたのは、アミィ達よりも小柄な狼の獣人の少年と少女だ。シノブ達が助けた少年シダールと少女アーシュカ、八歳と七歳の子供達である。どうも二人は、畑仕事から戻る途中らしい。


 初めて二人と出会ったとき、シノブ達はイーディア地方に潜入するための偽名を名乗った。しかし滞在の間に他国の王族だと明かし、別れる前に本当の名も伝えた。

 そのためシダールとアーシュカは正しい名を口にした。しかしシャンジーやアミィには二人も戸惑ったようだ。

 シダール達が見た光翔虎は小さく変じたフェイニーだけだ。しかし今のシャンジーは普通の虎くらいの大きさだから、シダールは疑問に思ったらしい。

 そして前回アミィ達は虎の獣人の姿だったから、今回も同じにした。そのためアーシュカは会ったことのあるホリィについては迷わなかったが、もう一人は話に出たどちらか悩んだようだ。


『ボクは光翔虎のシャンジーだよ~。フェイニーちゃんの従兄弟なんだ~』


「私はアミィです! 初めまして!」


 シャンジーは普段通りの暢気(のんき)な調子で、アミィも常と変わらず元気溢れる笑顔で応じた。するとシダール達も笑顔で自己紹介する。


「久しぶり。こちらはミュリエルとセレスティーヌ……二人とも私の婚約者だよ」


 シノブが頬を染めつつ隣に並ぶ二人を紹介する。

 王族や貴族相手なら照れることもなくなったが、二人は普通の村の子だ。幾ら自身は王だと告げていても、妻の他に二人も婚約者がいると判ったら、どう思われるかと考えたのだ。


「ミュリエルです! 今日は村を見学したくて来ました!」


「セレスティーヌです! 仲良くしてくださいね!」


 シノブとは対照的に、こちらは輝かんばかりの笑顔である。シダール達に合わせたのだろう、普段に比べるとかなり砕けた言葉だ。

 そしてシノブは更に顔を染めた。二人の歓喜が強く伝わってきたからだ。幸いと言うべきか、今のシノブは褐色の肌だから赤面しても目立たないのは多少の救いではある。


──シノブ様、こちらでは三人以上娶る王も珍しくありません──


──そ、そうか──


 初対面同士が語らう中、ホリィはシノブのみに届くように思念を送ってくる。やはりシノブの声に滲んだ躊躇(ためら)いは、身近な者なら充分に察するほどだったらしい。

 シャルロットも気付いたのだろう、彼女も笑みを深くしてシノブを見つめていた。


「ところで、今日の仕事は終わったのかな?」


 シノブは村へと向かいながら、隣に並んだシダールに語りかけた。あの後、暮らしに変化があったか聞こうと思ったのだ。


「はい……。その……今日は村に教育をする人が来るので……」


「パルタゴーマから来るんです……」


 シダールが口篭もったからか、アーシュカが補う。しかし彼女も幼馴染みの少年と同様に、浮かない顔である。


「そうか……領主も代わったから、怖れることはないよ。色々教えてもらうと良い」


 シノブはマリィからの報告で、パルタゴーマの変化も多少は耳にしていた。その中に、新領主のアシャタが教育の拡充をすべく動き始めた件も含まれていたのだ。

 今まで(ろく)な教育が行われなかった下級農民の村にも、巡回の教育団を派遣する。まだ全てに送るほどの準備は出来ていないから、少し教えては次の村へと巡るそうだ。紙やペンなどの文具も配りながら、実情の把握を兼ねての移動教室だという。

 現時点で送り出した教育団は一つか二つだというから、サシャマ村は運が良かったのだろう。シノブは、決して悪いものではないと伝えるため、大きな笑みを浮かべつつ説明する。


「紙やペンを貰えるの!?」


「凄い! 地面や木の板しか使ったことないの!」


 シダール達は表情を一変させ、歓声を上げる。

 サシャマ村など下級農民の住む地では、教育以前に使うものすら手に入らない。そのためアーシュカが口にしたように、文字の練習は棒切れで地面に書いたり炭と板を使ったりであった。


「ああ、一杯練習すると良い……あれかな?」


 二人に頷いたシノブは、前に顔を向けた。そこには人だかりが出来ており、その中に数台の牛車がある。

 牛車は屋根どころか四方も覆われている立派なものだった。アーディヴァ王国で屋根付きの牛車を使えるのは商人なら特級や上級のみだ。教育団の場合は別かもしれないが、それなりに高い階級だと思われる。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シャンジーは村人以外がいると知ったときに姿を消していた。フェイニー達を知るサシャマ村の人々だけならともかく、他には伏せておくべきと思ったのだろう。

 幸い来訪の一団にシャンジーに気付いた者はいないらしい。ちょうどシノブ達の側は村人で人垣が出来ていたのだ。


「その……教育団とお聞きしましたが?」


「そうだ……いや、そうです。私達は……」


 どうもサシャマ村の人々は、教育団と揉めていたらしい。しかし問答の様子からすると教育団は下手に出ており、村人に危険が迫るようなことはなさそうだ。

 教育団の代表らしき男の声は、役者のように良く通る美声だった。少し太いが、まだ充分に若そうな声である。


「……これは?」


「聞き覚えがある声ですね」


 シノブの問い掛けに、シャルロットが(ささや)きで応じる。それにアミィとホリィも静かに頷いた。

 それに対しミュリエルやセレスティーヌは緊張を(おもて)に浮かべていた。こちらは今日イーディア地方に初めて訪れたから、思い当たることがないのだ。


「……お久しぶりです」


「先日はありがとうございます」


 シノブ達が近づくと、村人達は小声で応じた。他国の王だとシノブは告げたが、そんなことを領主が送った一団の前で口に出来ないからだろう。


「……どうしたのですか?」


「それが教育団の団長は……前領主のパグダ様らしいのです」


 声を掛けたシノブに、村人の一人が困惑気味の表情で応じた。

 やはり声はシノブ達が記憶していた通り、現領主アシャタの弟パグダだった。かつてアシャタを不正な手段で追い落とし、その罪で隠居している筈の人物である。

 これでは村人達が素直に教育団を受け入れられないのは無理もないだろう。何故(なぜ)ならシダール達を盾に村から無償の従者を得ようとした戦士達は、パグダの指示で動いたからだ。

 何しろ子供達に難癖を付け、それを理由に人狩りめいたことをしたのだ。大元は国王の命令による軍編成だが、かといって当事者への(いきどお)りは簡単には消えないだろう。


 どうもパグダは中級の役人になったらしい。不遇の身であったときのアシャタと同じく、赤に白の模様の服と、朱色の頭布である。

 たった三日しか経っていないから先日と同じく丸々と太った体のままだが、領主としての豪華絢爛(けんらん)な衣装ではないからか、少々痩せたようにも感じる。


「……済まなかった! いえ、済みませんでした!」


「パグダ様……」


 なんとパグダは土下座した。大きな魔力で特級として遇された彼が、下級農民の前で頭を地に擦り付けている。

 これには村人達も毒気を抜かれたらしく、皆一様に絶句していた。


「私は兄を追い落とし民を苦しめた!

今の私は中級の役人だが、それは兄の慈悲だ……追放されて当然のところを、こうやって償いの旅に出してくれたのだ……」


 パグダは伏せた姿勢のまま頭に手を伸ばし、被っていた布を放り捨てた。おそらく彼は、自身に中級の資格などないと思っているのだろう。

 シャルロットが見せた舞踏『ヴァシュカの舞』は、パグダの心の奥まで突き刺さった。そのため彼は僅かな間に改心し、懺悔として教育団の職を選んだ。詳しく聞かずとも、それらがシノブには理解できた。


「パグダ殿、顔を上げてください」


「し、シノブ様!?」


 シノブはパグダに手を差し伸べ、彼を立たせる。そして浄化の魔術を使い、土で汚れた元領主の顔を綺麗にした。


「パグダ殿は悔い改めたのです。もちろん償いはこれからですが、その機会を彼に与えては如何(いかが)でしょう?」


「皆さんは生まれてから今まで長く苦しみました。しかし彼も、これから長い時間を苦しみつつ前に進むのです。こうやって村々を巡りながら……」


 シノブの隣にシャルロットが並ぶ。そして二人の言葉が胸に響いたのだろう、村人達の顔に理解の色が浮かぶ。


「皆……シノブ様とシャルロット様のお言葉の通りだ。儂らがすべきことは、相手を鞭打つことではない。それでは、いつまで経っても終わらない……償うというなら、まずは見守ろうじゃないか」


 村長(むらおさ)サンジャの言葉に、パグダを除く全てが頷いていた。村人だけではなく、シノブ達や教育団の者達も含めた全てがだ。

 唯一の例外パグダだが、顔を覆っていた。どうやら彼は溢れ出る涙を拭っているようだ。


「では、教育を……」


「パグダ殿、歌か踊りを見せていただけませんか? 貴方は相当の達者だと見ましたが……」


 一件落着と思ったシノブは、教育をと声を掛けようとした。しかしシャルロットが制し、パグダに芸事の披露を所望する。

 確かにパグダは優れた感性を持っているようだ。シャルロットが舞を見せる前から彼女の技量を察したくらいで、眼力は間違いない。しかしシャルロットは、パグダは演者としても一流だと感じていたらしい。


「今の私に舞は難しいかと……そうです、即興歌を披露しましょう!」


 涙を拭ったパグダは、丸々と太った自身の体に一瞬だけ目を向けた。どうやら不摂生な生活になる前は、彼は踊り手でもあったようだ。

 しかし今のパグダに充分な踊りは出来まい。そこで彼は歌を選んだらしい。


「それでは……題して『神々の使者と新たなる神王虎』です。

『愚かな領主が戦士を放ち、村に暗雲訪れた。逃げる子供を追う戦士、しかし救いは現れる。光の王者と輝く虎が地に満つ(けが)れを払いのけ……』」


 朗々とパグダが歌い上げていくのは、シノブとシャンジーの活躍であった。

 ただし事実とは異なる点も多い。パグダは全てを知るわけではないし、歌として整えるためでもあるのだろう。それに彼が直接目にした超越種は神王虎を名乗ったシャンジーのみだから、他に触れようがなかったのかもしれない。


「こ、これは……」


──良い歌です~!──


 シノブは赤面するが、シャンジーは強い喜びを感じたらしい。若き光翔虎は姿を現し、更に一声()えて宙で舞い始める。


 パグダの歌は、パルタゴーマでの出来事を描写し終えても続いていく。

 改心した元領主は今まで一部が独占していた知識を世に広めるべく各地を巡る。虐げた者達に謝罪し、時には己が修めた歌や踊りを用いつつ、無数の人々と語らいながら村々を訪れる。贖罪として未来に命を捧げ、子供達に明るい明日を招く。

 パグダは歌で己の決意を表したのだ。これから行うことを示し(たが)えるなら鞭打てと、彼は妙なる旋律に乗せて宣言する。


 更にパグダは未来を語る。彼は音楽に加えて詩の才にも恵まれているのだろう、歌は途切れることなく生まれ続ける。

 この国からイーディア地方全体へ、そして外へ。光の王者と輝く虎が示した遥かなる世界へと、強く賢く育って立派な大人となった者達が旅立っていく。多くの苦難を乗り越え、地の果て、時の果てへと人々は歩み続ける。命を繋ぎ、世代を越え、しかし変わらぬ笑顔を輝かせて。


 いつしか集った人々は、手拍子で和しながら空を見上げている。もちろん彼らの視線の先は、歓喜の舞踏を続けるシャンジーだ。そして頭上の光り輝く若虎や西から見つめる日輪に届けとばかりに、パグダの豊かな歌声が広がっていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2017年8月16日(水)17時の更新となります。


 本作の設定集に、広域地図とイーディア地方の地図を追加しました。また異聞録の第四十五話を公開しました。

 上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ