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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第23章 灼熱大地の人々
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23.29 神の泉 後編

 シノブ達はチャンガーラ王国のシャプラという場所を訪れた。シャプラには見事な神像が立ち並んでいると、ホリィとマリィが教えてくれたからだ。

 実際、崖に刻まれた無数の像は神界もかくやという美しさだった。シノブ達が良く知る七柱の神々が並んだ立像以外に、創世期の神々や眷属の姿が絵巻物のように遥か遠くまで連なっていたのだ。

 これはシャプラが古くから神官達の修行地として栄え、更に少し北のマハーリャ山脈に住むドワーフ達が特別な地に相応しい像をと腕を振るったからだ。そのためシャプラは修行地としてだけではなく、多くの参拝客が訪れる有名な場所となった。


 しかもシャプラには石像群の他にも素晴らしいものがあった。それは創世期に眷属が開いたという泉、神泉だ。

 この泉は由緒正しいだけではなく極めて多くの魔力を含んでおり、飲むと寿命が延びるそうだ。そのため参詣した人々は必ず神泉に寄るし、むしろ泉の水が主目的という者もいるらしい。


 だが、神の贈り物である奇跡の水は(けが)された。神泉の水を飲んだ者達が、次々と倒れたのだ。どうも泉の水が、麻痺するような何かで汚染されたらしい。

 幸い修行地だけあってシャプラには神官が多数おり、しかも治癒魔術に()けた者も充分にいた。そのためシノブ達が出るまでもなく、水を飲んだ者達は健康を取り戻した。

 しかし原因は不明なままだ。今も神官達は()んだ水を調べているが、彼らは首を傾げるばかりである。


「やはり、誰かが毒を撒いたのでしょうか?」


「でも、このアマノ号と同じくらい大きな泉です。気付かれずに出来るとは……」


 神泉を見下ろしつつ、シャルロットとミュリエルが言葉を交わす。二人を含め、シノブ達はアマノ号から地上の様子を窺っているのだ。


 ただしシャプラの神官や参拝客がアマノ号に気付くことはない。アマノ号に積んでいる透明化の魔道装置が、全長およそ40mの双胴船を中心に運ぶ岩竜ニーズと炎竜ニトラも含め姿を消しているからだ。


「鉱毒でしょうか? それとも……」


「鉱毒なら井戸や川にも……」


 問うたセレスティーヌに応じつつも、シノブは周囲を見回す。

 シャプラには多くの神殿や神官達の住居があり、それらの近くには井戸が設けられている。この辺りは北のマハーリャ山脈からの伏流水が豊富で、少し掘れば充分な水が得られるのだ。

 ただし、これらの井戸に異常はないようだ。井戸で水を()む者は大勢いるが、騒ぎが起こった様子はない。


──皆、元気にしています!──


──こちらも大丈夫です!──


──問題なしです~!──


 思念を送ってきたのは岩竜オルムルと炎竜シュメイ、そして光翔虎のフェイニーだ。彼女達は透明化の魔道具で姿を消し、井戸や住居の様子を確かめに行ったのだ。

 それに他の子達も、同じように各所に散っている。


──何も入っていないと思います──


──そうですね……変わったものはありません──


 玄王亀のケリスと岩竜ファーヴは、水の成分を調べたようだ。

 どちらも土属性に強い種族で、岩石や金属の感知や抽出を得手としている。その彼らが保証するのだから、井戸水は問題ないと思われる。


──こちらも変わりありません!──


──こっちもです!──


 遠くで思念を発したのは、嵐竜ラーカと朱潜鳳のディアスである。彼らは自慢の飛翔速度を活かし、遠方を確かめにいったのだ。


──やっぱり、この泉だけなんでしょうか?──


──分かりませんが、まずは持ち帰りましょう──


 炎竜フェルンに応じつつ、海竜リタンは神泉の上に進んでいく。そしてリタンの背に乗ったアミィが、ガラスの容器に水を()んだ。


 もちろん、これらも透明化の魔道具を使い、更にアミィが幻影の術で誤魔化してのことだ。そのため泉を囲む者達は、空からの使者の訪れなど知ることはなかった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



『山は普通でした~。痺れている人や生き物はいませんでした~』


 甲板に降り立ったシャンジーは、控えめな声を発した。今のアマノ号は充分な高度を保っているが、万一地上に届いたらと思ったのだろう。


「ありがとう。そうすると、やはり自然現象ではなさそうだね」


 シノブの言葉に、シャルロット達が頷く。

 仮にマハーリャ山脈からの伏流水に鉱毒などが含まれているなら、シャプラの神泉以外にも異変が生じるだろう。しかし山脈の様子を確かめに行ったシャンジーを含め、他の場所で異常を発見した者はいない。


「神泉は他と水源が違うのでは?」


「そうですわ! 同じなら、井戸や川の水にも強い魔力が含まれる筈です!」


 シャルロットの意見に、セレスティーヌが強い賛同を示す。

 確かに魔力が多いのは、神泉の水だけのようだ。アミィ達は井戸の水も()んできたが、こちらは明らかに普通の水である。

 それに対し神泉の水は、アムテリアが授けてくれた魔法のお茶に匹敵するほど多くの魔力が含まれている。つまり神泉と井戸の水が同一の水源とは思えない。


『この泉は、井戸よりずっと深いです。広さは大したことないですが……』


 リタンは神泉の最深部まで200m以上あるだろうと続けた。実際に上空から見る限りだと、底までは見通せない。


「まるで巨大な井戸のようですね……あ、アミィさん!」


 泉を見つめていたミュリエルだが、扉の開く音が耳に入ったようで魔法の家へと顔を向ける。そこにはアミィと岩竜のオルムルとファーヴ、そして玄王亀のケリスの姿があった。

 アミィ達は、魔法の家の中で水の分析をしていたのだ。


「お待たせしました。これは鉱毒ではありません……たぶん、魔獣の出す毒です」


 アミィは薄皿の上に載せた黄色っぽい粉末をシノブ達に示した。飛ばないようにと配慮したのだろう、彼女は魔法の家のキッチンに備え付けのラップで皿を覆っていた。


 水に含まれていた毒は岩や鉱石に由来するものではないと、アミィは断言した。おそらくは生物毒、それも魔獣のような普通の場所にいない生き物だという。


「魔獣が泉に潜んでいるの?」


「はい。これだけ目立つ泉ですから」


 シノブの予想は当たっていたようで、アミィは静かに頷いた。

 毒を今の濃度にするには、乾燥した粉末なら風呂桶何杯分も投入することになるそうだ。したがって、密かに実行するのは非常に難しい。

 霊験あらたかな神泉だから、日のあるうちは人で一杯だ。それに神官達の会話を聞く限り、夜も見張りを立てているらしい。


『退治しに行きましょう! この程度の毒、私なら平気です!』


 リタンが勢い良く名乗りを上げた。

 海竜は水を自在に操るから、自身の周囲の水から毒の成分を取り除くくらい容易である。それに彼らは成体になれば一日近くの潜水もするし、今のリタンでも数時間は可能だ。

 したがって泉の中を探るなら、海竜の出番というのは確かであった。


 おそらく魔獣は、かなりの深みにいる筈だ。泉の魔力が多いのもあり、上空からでは感知に優れたシノブでも居場所を(つか)めない。

 そもそも浅いところにいるなら、これまでに誰かが気付く筈だ。毒の量からすると相当な大物か数が多いと思われるが、発見できないところからすると滅多に浮いてこないのだろう。


「俺も一緒に行こう。光の神具があれば、空気も大丈夫だからね」


 シノブはリタンのように長時間を無呼吸で過ごすわけにはいかない。しかし魔力障壁で水を避け、光鏡で宙と繋いで空気を交換すれば、同行は可能であった。


 合計四枚の光鏡を自身の至近と宙に二つずつ配し、更に至近のものと上に残したもので二組の経路を作る。そして片方から空気を取り入れ、もう片方から送り返すのだ。

 光鏡は10kmほど遠方でも制御できるから、この泉の深さなら全く問題がない。


「それでは、私も行きます! 水に入るとき幻影で誤魔化さないといけませんから!」


「ああ、頼むよ」


 シノブはアミィへと頷き返す。そして彼女が差し出す光の神具を、一つずつ身に着けていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



──凄い魔力ですね……魔獣の海域でも、これほど濃いところはありません──


 リタンは水底(みなそこ)に向かって降下しつつ、長い首を左右に動かしていた。

 今のリタンは(ひれ)による推進ではなく、重力制御を緩めて沈んでいるだけだ。そのため彼の速度は遅いし、体勢も水平に保ったままである。


──感知が使えないのは困るね。もう、光も殆ど入ってこないし──


──光の神具があるから、灯りには不自由しませんが──


 シノブとアミィはリタンと同じ速度で降下する球の中だ。シノブがアミィを背負う形である。


 魔力障壁で(こしら)えた球の中、シノブ達の少し上には手の平より小さくした光鏡が二つ浮いている。これはアマノ号の上に配した対となる二つと繋がっており、片方からはフェイニーが送る風が流れ込んでくる。

 そのためシノブの金髪とアミィのオレンジがかった茶色の髪は、僅かにそよいでいた。


──どんな魔獣だか知らないけど、ここに棲めるのかな?──


 シノブの周囲に広がる光景に、生きるものの痕跡はない。普段より神具の光を強くしているから視界は10m近くあるが、その中にいるのはシノブ達だけだ。

 もっとも既に100mは(もぐ)っているから、当然ではある。


 眷属が開いたという由来の通り、この泉は自然のものではないようだ。殆ど完全な筒状で、真っ直ぐ下に伸びている。

 落ちないようにと考えたからだろうか、水面近くだけは多少広さを増している。しかし水深2mほどからは直径30mほどの円筒で、周囲も井戸の壁のような人工物らしい。

 この壁があるから、泉の水は山からの伏流水と混ざらないのだろう。


──そうですね……。大物や数が多いとしたら、餌が足りないと思います──


 リタンは疑問を感じたらしく、改めて周囲を見回す。

 超越種は成体になると、殆ど自然の魔力だけで生きていける。しかしリタンを含め子供達は魔力吸収能力が未発達で、魔獣を食べて成長する。

 そして超越種を除くと、完全に魔力だけという動物はいないようだ。


──もしかすると魔力で生きる存在かも……普通の魔獣ではあり得ませんが──


 アミィは何かを(はばか)るような抑え気味の思念で応じた。

 回復魔術などで魔力を与えるのは可能だが、あまり効率が良くない。腕の良い術者でも、使った魔力の十分の一ほど与えられたら上出来だろう。

 これは個々に魔力波動が異なり、受け取った方は与えられた魔力を自身の波動に変えないと取り込めないからだ。例外はシノブやヤマト王家の魔力譲渡で、こちらは先に波動を合わせて送り込むから損失は極めて少ない。


 いずれにしても通常の生物なら、泉の魔力だけというのは考え難い。

 つまり魔獣が神泉に潜み続けるなら、超越種のような特殊な存在で魔力のみで生活できないと難しい。そうでなければ、人知れずどこかに抜け出して食事をしているに違いない。


──私達の仲間なのですか!?──


 リタンは激しく(いきどお)ったようだ。自身と同じ超越種が人々を毒で苦しめたとすれば、それは彼にとって極めて許し難いことだろう。


──どうかな? これだけ特殊な環境だから、暮らすうちに変化したのかも……何か来る!──


 早合点は禁物だと、シノブは言おうとした。しかし途中で異質で大きな魔力の接近を察知し、警戒の言葉へと変える。


──あれは蛇ですか!?──


 水中で生きるだけあって、リタンが真っ先に相手の姿を察していた。

 海竜は光の届かない深海にも潜るから、視力以外でも周囲を確認している。おそらくリタンは、魔力や海竜ならではの感覚で判別したのだろう。


──ともかく異空間に移そう! ……シャルロット、敵を発見した! 異空間に連れていく!──


 シノブはアミィとリタンに語りかけた後、アマノ号で待つシャルロット達に思念を発した。

 元から戦いの場は異空間にするつもりだった。神聖な泉を壊しでもしたら取り返しがつかないからだ。


──ええ、神泉を(けが)すわけにはいきません!──


 アミィの思念が響いた直後、シノブは光の額冠の力を用いた。そしてシノブ達は、迫り来る何者かと共に泉の中から姿を消した。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 七色に空が輝く異空間にシノブは降り立ち、続いて光の大剣を抜き放つ。そしてアミィもシノブの脇に並び、炎の細剣(レイピア)を構える。

 更に海竜リタンがシノブ達の前に進み出る。彼はシノブの背の三倍近い高みに浮かび、正面を(にら)みつけている。


 二人と一頭が見つめる先には、巨大な魔獣がいた。それは漆黒の(うろこ)を持つ大蛇であった。


無魔(むま)大蛇(おおへび)か!? でも、あれは!?」


「はい! 式神となっているようです!」


 剣を構え目の前の大蛇を見上げたまま、シノブとアミィは言葉を交わす。

 鎌首を(もた)げる巨大な蛇は、おそらく全長20m近いだろう。あくまで目測だが、嵐竜ラーカの倍はありそうだ。


 ただしシノブ達が驚いたのは、蛇の大きさではない。無魔(むま)大蛇(おおへび)は通常全長10m程度だが、餌の量や環境で更に大きくなるからだ。

 実際シノブがヤマト王国で見たもの、向こうで言うところの魔苦異(まくい)大蛇(おろち)は五倍以上にもなっていた。これは魔獣使いが多くの餌を与えたからだが、環境次第で巨大化するのは確かなのだ。


 しかし目の前の無魔(むま)大蛇(おおへび)は怪しげな紋様めいた呪文が描かれ、明らかに自然の蛇とは違う。どうもアミィが言うような魔術による存在で間違いないようだ。


 蛇の全身を埋める文字は一つ一つが人間よりも大きく、しかも血のように赤い光を発している。

 呪、怨、恨。不気味に光る文字は、術の禍々しさを象徴するかのように後ろ暗さの滲むものばかりだ。


──シノブさん、私が戦います! デューネ様の泉を(けが)すなんて、絶対に許せません!──


 リタンは凛々しい思念を響かせた。

 やはり神泉を開くように指示したのは、海の女神デューネなのだろう。少なくともリタンは、そう確信しているようだ。


「ああ、頑張れ!」


「お願いします!」


 シノブはリタンに活躍の場を譲ることにした。アミィも異存はないようで、彼女も声を掛けるのみだ。


 おそらく、これが森の女神アルフールの語った試練なのだろう。もしくは、その一部といったところか。ならばリタンに任せ、危ういと思ったら助太刀すれば良い。

 そこでシノブは神具から光鏡と光弾を放ち、リタンと大蛇を遠巻きに囲む。大蛇に相手はリタンだと示したのだ。


──破砕海咆(ブロウクン・ブレス)!──


 リタンは海竜の長老ヴォロスが使った技を放った。

 おそらくリタンは、一気に勝負を決めようと思ったのだろう。一杯に開いた口から高圧の水のブレスを撃ち出したのだ。


 破砕海咆(ブロウクン・ブレス)とは、鋼鉄を超える硬度まで圧縮した巨大な水塊を弾丸のように放つ技だ。

 大質量に加え激しい回転で相手を削って貫き、普通の魔獣なら千切れ飛ぶどころか粉々になる。そのため極めつけの巨大魔獣でもないと使わない、特別な技である。

 しかし今回の相手は単なる魔獣ではなかった。


「弾いた!?」


「魔力障壁ですか!?」


 シノブは我が目を疑った。アミィが叫んだように、大蛇は魔力波動で盾を生み出してリタンのブレスを弾き飛ばしていた。


 漆黒の巨大な蛇が全身に刻まれた呪文から真紅の光を放つと、禍々しい波動を伴う盾が魔獣の前方に生じた。それは確かに魔力障壁で、リタンのブレスに押されはしたが受け流したのだ。

 ヤマト王国の魔獣使いが育てた無魔(むま)大蛇(おおへび)も、魔力障壁を使った。おそらく無魔(むま)大蛇(おおへび)は、並外れた長寿になると魔術に似た技を会得するのだろう。

 しかしあのとき防いだのは人間が放った術だ。子供とはいえ超越種のブレスを受け流したのは、式神として付加した能力があるからに違いない。


──長老さまから教わった技です! 邪術などに負けません!──


 激しい思念が異空間を切り裂いた。

 一族の(おさ)に教わった技が、邪悪な術に劣る。それはリタンにとって許し難いことなのだ。

 もちろんリタンは長老ヴォロスに比べたら、それこそ赤子に等しい。しかし彼は誇り高い海竜、それも長老ヴォロスの孫である。


「リタン……そうだ! お前なら打ち破れる!」


「そうです! 今こそ全てを出すときです!」


 こうなったら、シノブとアミィは声援を送るのみだ。リタンを信じるなら、手出しや助言は不要だろう。


 賢く冷静なリタンだから、シノブは他の技を交えて隙を狙うと思った。しかしリタンが種族の誇りに懸けて真正面から狙うというなら別である。

 誰にだって譲れないものがある。避けては通れないことがある。ならば真っ直ぐに突き抜けろ。シノブは自身の思いを叫びに乗せた。


──長老さま……お爺さま! 私は絶対に勝ちます! ……破砕海咆(ブロウクン・ブレス)!!──


 再びのブレスを放つ瞬間、リタンは(きら)めく海面のような輝きを放った。彼が生まれた海竜の島を取り巻く海、暖かな南海を思わせるエメラルドのような光である。


 ありったけの魔力を振り絞ったのだろう、リタンのブレスは最初の数倍もの大きさだった。それに魔力も桁違いで、それこそ長老ヴォロスの技を思わせる。

 轟音が天を揺るがし、地も震える。そして二つの間を裂いて突き進むのは神秘の力で(みどり)に輝く水の鉄槌、荒ぶる海の怒りそのものだ。


「やったぞ!」


「はい!」


 シノブとアミィは笑顔を向け合う。

 今回も無魔(むま)大蛇(おおへび)は不気味な色の魔力障壁を作り出した。しかしリタンの渾身の一撃は邪術の盾が紙であるかのように安々と貫き、後ろの大蛇を含め粉砕したのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブとアミィは、かろうじて残った大蛇の一部を確かめる。体に刻まれた文字から、どんな術か探るためだ。

 そしてリタンは、二人の後ろから覗き込んでいる。彼も自身が倒したものの正体を知りたいのだろう。


「この蛇の式神……どこから来たんだろう? まさか……」


「はい。おそらくヴィルーダと同じ系統の術です……たぶん、本人かと」


 シノブの疑問混じりの問い掛けに、アミィは静かに頷いた。そして彼女は、アーディヴァ王国の初代大神官の名を挙げる。

 更にアミィは、あくまで推測だと前置きして言葉を続けていく。


 おそらく無魔(むま)大蛇(おおへび)が泉に放たれたのは、かなり昔のことだろう。それも人よりも小さな、幼体というべき時期かもしれない。

 ただし、その時点で無魔(むま)大蛇(おおへび)は式神とされていたようだ。つまり魔力だけで長期の活動が可能だったのは、既に生き物の範疇(はんちゅう)を外れていたからだと思われる。


 残った一部から判断するに、一旦は術者が魔獣の命を奪っている。そして式神の術を施した体に、再び魂を封じ込めた。そうやって魔力だけで成長する存在に作り変えた。

 悲しげな顔のまま語ったアミィは、そのように結んだ。


「そんな……しかし、どうして泉に式神を放置したんだ? 神泉を調べ、長寿の秘密を探ろうとしたんだろうけど……」


 シノブには、まだ疑問があった。

 憑依術を得意とするヴィルーダは、大きな魔力を持つ者を探し出しては魂を食らい、残った体を自身の器として利用した。したがって魂を抜き出したり戻したりする術に通じていても不思議ではない。

 それに式神の術で様々な実験をし、自身の憑依術を磨いたというのはありそうだ。


 ただ、神泉に式神を潜入させるまでは意味があるとしても、何故(なぜ)そのままにしたのか。それがシノブには理解できなかった。

 もしかすると何かの手違いでも生じたのか。そんなことを考えつつ、シノブは返答を待つ。


「おそらくですが、神泉の魔力が強すぎて式神の制御が出来なくなったのでしょう。そのため式神は、自身が最も過ごしやすい場所に篭もったのだと思います。

それと急に毒を放った理由ですが、ヴィルーダが没して術が完全に解けたからだと……」


「それはまた……」


 アミィの語った内容に、シノブは思わず絶句した。

 式神の一部には術者の血などを練りこむものがある。制御などの理由で、術者の魂の一部を送り込むためだ。しかし、この方式の式神は、術者の死で崩壊するか狂うのが常だという。


「術の癖も似ていますし、時期から考えてもヴィルーダが関わったものでしょう」


「つまりヴィルーダがシャプラに立ち寄ったのは、間違いないというわけか」


 アミィには充分な確信があるようだ。

 ならば、この推論に基づいて調査を進めるべきだろう。シャプラの神官長など昔に詳しそうな者から、新たな情報を入手できないだろうか。そう考えたシノブだが、とある問題を思い出す。


「アミィ……神泉の水って、まだ汚染されたままだよね。外に流れる分は、浄化の魔道具で対処したようだけど」


 シノブは泉に入る前に見たが、神官達は神泉から流れ出る水の処置を始めていた。しかし汚染された泉自体は、そのままだ。

 毒の元は退治したし、残骸は魔法のカバンに仕舞うから異空間を解除しても問題ない。とはいえ毒の入った泉を放置して去るのは望ましくないだろう。


「はい。このままだと薄れるまで時間が掛かります。シノブ様、浄化か抽出の術を使いますか?」


 アミィはシノブの魔術で、と思ったようだ。もちろん彼女も抽出や浄化を使えるが、これだけ大量の水だから大魔力を持つシノブに任せるべきと考えたのだろう。


──それなのですが、私に任せてください!──


 今まで黙って聞いていたリタンだが、どうもこのときを待っていたらしい。そして彼は続けて志願の理由を明かしていく。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 異空間に入る前と同様に、シノブ達は泉の深みにいる。リタンはそのまま水中、シノブとアミィは魔力障壁の球の中、そして光鏡を通して空気を送ってもらうのも同じだ。

 しかしシノブ達の様子は異空間に移る前と全く違う。リタンは落ち着いた様子で中央に(とど)まり、シノブとアミィは期待の表情で彼を見つめている。

 もはや泉に倒すべき相手はいないから、アミィはシノブの腕の中だ。それに光の大剣や炎の細剣(レイピア)も仕舞っている。


──デューネ様、どうか私に母なる海の清めをお授けください!──


 神泉の中に、リタンの思念が響いた。そして彼は、先ほど放った南海のようなエメラルドの輝きを全身に(まと)う。


「二度目のブレスを放った後、デューネの姉上が声を掛けていたとはね」


「リタンの努力を認め、加護を授けてくださったのですね」


 シノブとアミィは優しい光を放つリタンに顔を向けたまま、密かに言葉を交わす。

 式神の大蛇を倒したとき、海の女神デューネの祝福が届いた。言葉というほど明確ではないが、母なる海の気配を持つ何かが自分を褒め、泉を清めるようにと促した。リタンがシノブ達に語った内容は、そのようなものだった。


「これは……心が洗われるようだ」


 更に輝きを増したリタンから、シノブも大いなる海を感じ取った。

 それは全てを包み込む存在にして、命の揺り籠。そしていつかは還る場所。天に水を預け、大地を潤し、海原に戻す。あらゆるものが流れ込む大海は、あらゆるものを溶かして新たなる命のために貯える。まさに大いなる浄化の象徴だ。

 しかもリタンの放つ光は、シノブの心に安らぎを届けてくれた。陰惨な式神の術による憂いを、海の(みどり)は消し去ってくれたのだ。


「はい」


 おそらくアミィも、シノブと同じことを感じたのだろう。いや、シノブよりも遥かに強く癒されたに違いない。


 アミィは眷属だから、シノブより遥かに多くを知っている。

 もちろんアミィは邪術など使わない。しかし人々が起こした悲劇は仲間達から聞いただろうし、もしかすると自身も目にしたかもしれない。

 きっとアミィは、自分と比較にならないほど深い嘆きを(いだ)いた。人々が繰り返す過ちは、導き手である彼女達にとってどれほど悲しいことだろうか。シノブは彼女の心痛を思わずにはいられなかった。


「俺も光を届けるよ」


 シノブは短い言葉に自分の思いの全てを乗せた。

 自身の家族、出会った仲間、預かる国や領地の人々、同盟として共に進む者達、そして明日を創る子供達。並べていけば幾つもあるが、その分だけ伝えたいことが薄まってしまうような気がする。

 それ(ゆえ)シノブは語る声に、アミィを抱える腕に力を篭めた。その方が、彼女は分かってくれると思うから。


「シノブ様なら、そしてシノブ様と歩む皆さんなら、きっと出来ます。もちろん私も一緒に頑張ります」


 アミィの薄紫色の瞳は、うっすらと濡れていた。そして神秘の泉を越えて届いた浄化の光が、(きら)めきを更に飾る。


──シノブさん、アミィさん、上手くいきました!──


 淡い光を放ったまま、リタンがシノブ達へと寄ってくる。もう、清めは終わったのだ。

 リタンによれば、浄化の対象は泉の中だけではないそうだ。流れ出したものも含め、繋がる水の全てが清められたという。


 シノブに毒の有無は分からない。しかし泉の水から純水や既知の物質を取り除けば、確認できるだろう。

 そこでシノブは自分達を包む球と同じくらいの量を抽出の術で処理したが、甲板で見た黄色っぽい粉末は存在しない。


「確かに大丈夫だ! 良くやったね!」


「素晴らしいです!」


 シノブとアミィが褒め称えると、リタンは誇らしげに首を(もた)げた。これは人間でいうところの、胸を張った仕草に相当する。


──さあ、行きましょう!──


「ああ、まだ今日の予定はあるからね!」


 リタンの力強い思念に、シノブは同じくらいの熱意を篭めて応じた。そして二人と一頭は、空で待つアマノ号に向かって真っ直ぐに上昇していった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2017年8月12日(土)17時の更新となります。


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