23.28 神の泉 前編
シノブ達が乗るアマノ号は、カンダッタ王国の上空を北東に向かっている。今は同国の大半を過ぎ、次の目的地チャンガーラ王国も近い辺りだ。
既にカンダッタ王国ですべきこと、調査隊の派遣と光翔虎ヴェーグへの呼び掛けも済ませた。
ダクシア高地帯を抜けてカンダッタ王国に入って間もなく、シノブ達はヴェーグの父フォーグと邂逅した。そしてシノブはフォーグに事情を説明し、ヴェーグの魔力波動を教わった。
ヴァティーがシャンジーに好意を寄せたが、彼にはフェイニーがいる。そこでヴェーグに一旦イーディア地方に戻ってもらい、ヴァティーと会ってもらいたい。それらをシノブは包み隠さず伝えたのだ。
幸いフォーグは快諾してくれた。ヴェーグは既に成体の雄で二百二十歳ほど、ヴァティーよりも七十歳は年長だ。しかしシャンジーは能力こそ飛び抜けているが、百歳を過ぎたばかりだ。そのためフォーグも、ヴェーグとヴァティーの方が似合いだと思ったのだろう。
シノブはヴェーグに思念で呼び掛けたが、彼が戻ってくる時期は分からない。そのためヴァティーとフォーグは、禁術使いの辿った経路を探りに戻った。
二頭を含むイーディア地方の光翔虎達は、アーディヴァ王国の初代大神官ヴィルーダの足跡を追っている。今日はヴァティーがリシュムーカ王国、フォーグがカンダッタ王国の担当なのだ。
もちろんシノブ達も謎を解き明かそうと動いている。リシュムーカ王国のときと同様に、アマノ王国からカンダッタ王国に調査隊を呼び寄せたのだ。
光翔虎は姿消しを使えるし、今はアムテリアから授かった小さくなる腕輪を持っており街中へも潜入できる。とはいえ彼らが人間に問い掛けるわけにはいかない。
そこで情報局員を中心とした調査隊を、アーディヴァ王国や隣接する三国に送り込む。彼らの中核はヤマト王国やアスレア地方にも潜入した者達だから、きっと何かを掴んでくれるだろう。
ヴァティーとは多少の騒動もあったが無事収まり、調査隊の送り込みも順調だ。それ故シノブ達の顔は明るく、オルムル達も楽しげに飛翔している。
晴れ渡った空を進む中心にいるのは、岩竜ニーズと炎竜ニトラだ。二頭は巨大な翼を広げ、双胴船を吊り上げ運んでいく。
──ファーヴ、立派になりましたね──
──ありがとうございます!──
──フェルンも随分と速度が上がりました。素晴らしいことです──
──もっと速く飛べますよ!──
船を運ぶ親達の少し前をそれぞれの子、ファーヴとフェルンが飛んでいる。母といるのが嬉しいのだろう、時々側に寄っては再び前に戻りと忙しない。
──ファーヴの聖地での儀式、一ヶ月を切りましたね──
──はい、オルムルお姉さま! 来月の十五日です!──
オルムルはニーズ、シュメイはニトラの脇と、どちらも同族の大先輩の側を選んでいた。
アマノ号には透明化の魔道装置を積んでいるが、効果範囲は限られている。そのため今日の子供達は、あまり遠くにはいかない。
──これならどうです!──
──負けませんよ~!──
嵐竜ラーカと朱潜鳳ディアスは、ニーズ達の上にいる。
どちらも飛翔の得意な種族で岩竜や炎竜よりも速く飛べるから、並んでいるだけでは詰まらないのだろう。激しく蛇行したり上昇や降下をしたりと、追いかけっこのようである。
──フェイニーちゃ~ん、眠っちゃったの~?──
──シャンジー兄さんは~……私のものです~──
光翔虎の二頭、シャンジーとフェイニーは最後尾だ。
ヴァティーがいる間は単独で飛んでいたフェイニーだが、今はシャンジーの頭の上に収まっている。しかも勝負で激しく疲労したのだろう、今の彼女は夢の中のようだ。
もっとも、これは無理からぬことだ。ヴァティーは百五十歳ほどだが、フェイニーは一歳を超えて三ヶ月弱である。神具で大きさや魔力を揃えたとはいえ、それでも積み重ねた年月で磨いた差があったに違いない。
──やっぱりリタンさんが授かるのは水の力、デューネ様の加護でしょうか?──
──たぶん、そうだと思います。ケリスは玄王亀だから土でテッラ様……いえ闇でニュテス様かも──
海竜リタンと玄王亀のケリスは甲板の上である。どちらも魔力の放出による飛翔を会得したが、消耗が激しくて短時間しか飛べないのだ。
知恵の神サジェールは、シノブを慕う超越種の子の全てが加護を授かると明言した。そのためリタンとケリスは、どのような能力か気になるようだ。
オルムルが感応力に開花し、シュメイが直観力、フェイニーが癒しの力を得た。それぞれ神々の加護で、オルムルがアムテリア、シュメイがサジェール、フェイニーがアルフールである。
オルムルとシュメイの場合、自身の種族と得た加護に関係性はないらしい。しかしフェイニーが森の女神アルフールの加護というのは、大森林の奥に棲家を構える光翔虎だからに違いない。そのためリタン達は、自身と縁深い神を思い浮かべたわけだ。
──待ち遠しいですね──
──ええ。早く授けていただけるよう、頑張ります──
語りかけるケリスに、リタンは意気込みも顕わに応じた。
もっとも授かる時期は大きく違うだろう。リタンはフェイニーと同時期の生まれで一歳を超えているが、ケリスは生後四ヶ月弱だからである。
◆ ◆ ◆ ◆
「海で力を得るのではと思いましたが、違ったのですね」
シャルロットはリタン達に顔を向けたまま、隣にいる夫へと囁く。
今日はイーディア地方の西海からリシュムーカ王国に上陸し、ダクシア高地帯を経由してカンダッタ王国へと進んできた。この経路を選んだ理由には、シャルロットが触れたものも含まれていたのだ。
どうやらシャルロットは、もしかしたらと少しばかり期待していたらしい。
「さあ……まだ初日だからね」
シノブも妻と同じく小声で応じた。
サジェールは海竜リタンをイーディア地方、嵐竜ラーカをアウスト大陸に連れていくようにと語った。しかし明かしたのは場所だけで、何をすべきかも分からない。
それにイーディア地方はインド、アウスト大陸はオーストラリアに相当する広大な土地だ。ここイーディア地方の場合、東西と南北の双方とも2000kmを超えているし国の数も十以上ある。そして今日訪れる国は四つだけで、しかも調査隊を送り込む場所を巡っていくだけだ。
したがってシノブもそうだが、シャルロットも落胆するほどではないようだ。しかしリタン達のやり取りを聞いて、何か出来ればと彼女は考えたのだろう。
「冗談かもしれないけど、アルフールの姉上は試練があるかもって……。そうなるとヴィルーダの手掛かりでも見つけたら、なのかな?」
シノブは昨日のことを思い出す。アルフールは彼女の姉、海の女神デューネの声色を真似て意味ありげなことを口にしたのだ。
オルムル達の場合、強い感情の動きが加護の現れへと繋がったようだ。そのため何かの試練で目覚めるというのは、一定の説得力がある。
そして今日訪れた海は魔獣の海域だから、試練に相応しいような気はする。しかしリタン達からすれば魔獣の海域も生活領域に過ぎないから、新たな力が発現する場としては不充分かもしれない。
やはり誰かを守ったり助けたりという、常に無い状況が必要なのだろうか。シノブは、そんなことを思い浮かべる。
「リタンさんのことですか?」
「あまり怖い体験はさせたくないですが……」
ミュリエルとセレスティーヌもシノブ達の側に寄ってきた。二人は今まで、船縁から地上を眺めていたのだ。
昨年のオルムルはともかく、年が改まってから立て続けにシュメイとフェイニーが加護に目覚めたのは神王の謎を追ったからだろう。探索や伴う戦いで彼女達の能力は発現したのだから、間違いないと思われる。
したがって更なる探索の過程で何かを得るというのは、大いにありそうだ。
「幸い皆さん、国や同盟のことは任せてくれと言ってくださいますが……」
魔法の家から出てきたアミィも会話に加わる。彼女は魔法の家のリビングにある転移の絵画を使い、一旦アマノ王国に戻っていたのだ。
シノブ達は通信筒を持っているから容易に連絡は取れるが、直接対面して話すべきときも当然ある。今回アミィは妹分のタミィと相談しに、僅かな時間だがアマノ王国の大神殿へと戻っていた。
「オルムル達には色々助けてもらったからね」
シノブは今までの戦いを振り返る。
今は無きベーリンゲン帝国との戦いは、多くの岩竜や炎竜の協力があったからこそ勝利できた。彼らが磐船で戦士達を輸送し、この世界になかった航空戦力となってくれたから短期間で各都市を落とせた。それに都市攻略後の統治でも、竜達の輸送力は大きな力となってくれた。
それにシノブやアミィ達と共に異神と対峙したのは超越種だけだ。旧帝都の地下神殿ではオルムル、アルマン島の廃城では竜や光翔虎、アスレア海はオルムルが最前線で残る者達も包囲に加わった。
この恩を忘れるようでは、厚顔無恥も甚だしいと言うべきだろう。
そのためアマノ王国では宰相のベランジェを始め、何れも探索に大賛成である。それに同盟の諸国も知らせた者の全員が、手伝えることがあればと言ってくれた。
何しろ人間は、超越種の世話になりっぱなしだ。シノブが彼らの子供に魔力を与え育てているのが、唯一の対価という体たらくである。
他には彼らの狩場に優先権を認めて無断で入らないと定めたくらいだが、桁違いの力を持つ超越種にとっては大して意味がないことだ。
「そうですわね……。アスレア地方とイーディア地方の間の航路もありますし、ますますお世話になるばかりですわ」
セレスティーヌは苦い笑みを浮かべつつ、細い肩を竦めた。すると彼女の綺麗に巻いた金髪が僅かに揺れ、巨竜達の間から届く陽光で煌めく。
アスレア地方の沿岸航路を開発していた東域探検船団は、イーディア地方に進むべく準備を始めた。彼らはアスレア地方の南海岸で最も東にある、タジース王国に行こうとしているのだ。
西のエウレア地方からアスレア地方に入ると、海岸線にはエレビア王国、キルーシ王国、アゼルフ共和国、アルバン王国と並んでいる。その四つとアマノ同盟は国交を結び、同盟としての大使館や領事館も置いているし各国の港の利用も始まっている。
しかしアルバン王国から次のタジース王国に進むのはともかく、そこから東のイーディア地方との境は魔獣の海域だ。したがってセレスティーヌが示したように、また海竜に航路を切り開いてもらうことになる。
海竜の長老達は快く応じ、既に調査を始めている。とはいえ更に借りが増えると思えば、喜んでばかりもいられないだろう。
「今のところ、超越種と人間の融和をお礼とするしかありませんね。彼らと手を取り合って前に進む……私達に出来るのは、それだけなのかもしれません」
シャルロットは早くから超越種と接しただけあって、ある種の割り切りに至ったようだ。
あまりに差が大きすぎ対価と出来るものがないなら、せめて良き友人であろう。それが彼女の結論なのだろう。
「ところでシノブ、タジース王国との関係作りに大きな問題はないと聞いていますが?」
シャルロットはセレスティーヌからシノブへと顔を向け直す。
エレビア王国などの四つは先々アマノ同盟にも加わる友好国だが、タジース王国とは接点がなく航路の整備からも外れていた。しかしイーディア地方へと進むなら、タジース王国との国交樹立が急務である。
何故ならアスレア地方とイーディア地方に、他の経路は存在しないからだ。二つの間は踏破不可能な山脈が塞いでおり、タジース王国から海を渡っていくしかない。
「ああ、アルバン王国から使者を立ててもらえば大丈夫だ。ズヴァーク王国も落ち着いてきたからね」
「キルーシ王国やアルバン王国は今もズヴァーク王国を支援していますけど、去年みたいに掛かりっきりではないようです」
シノブとアミィが口にしたズヴァーク王国とは、昨年十月の戦いで滅びたテュラーク王国の後継国家だ。まだ誕生して一ヶ月半を過ぎたばかりという、極めて若い国である。
アマノ同盟の友好国である四つのうち、ズヴァーク王国と国境を接しているアルバン王国やキルーシ王国は今まで新国家の後押しで精一杯だった。しかし年が明け、双方とも多少は余裕が出たという。
キルーシ王国がイヴァール達のアスレア地方北部訪問団に案内役を出すように、アルバン王国もタジース王国への公使を東域探検船団に付けてくれるという。アルバン王国はタジース王国とも交流があるから、いつまでも仲間外れにするのは忍びなかったらしい。
「でも、アスレア地方とイーディア地方の間に航路を造るのは、アスレア地方の人達が賛成してくれたらだ。……少なくとも航路が出来る南海岸の」
シノブはタジース王国から更に進むのは、アスレア地方の残りの国々との関係作りが終わってからでも良いと考えていた。
アスレア地方には他に西メーリャ王国、東メーリャ王国、スキュタール王国の三つがある。このうち西メーリャ王国にはイヴァール達が向かっているし、関係作りに成功したら次は東メーリャ王国やスキュタール王国となる。
とはいえアスレア地方北部訪問団は、まだキルーシ王国に到着したばかりだ。それに今回は二月半ばまでとしているから、良くて東メーリャ王国までだろう。
したがってイヴァール達が凄まじい幸運の持ち主でも、スキュタール王国に行くのは次回以降だ。どんなに早くても、三月や四月になるだろう。シノブは、そう思っていた。
「そうですね。早く行き来できたらとは思います……シノブさまやシャルロットお姉さまから伺った、こちらの村の人達のこともありますし。ですが、私達の考えを押し付けてもいけませんよね」
ミュリエルの言葉に、シノブ達はそれぞれの仕草で賛意を示した。
魔力による階級制度で歪んだアーディヴァ王国や、その影響を受けたらしい周辺国の人々に、より良い暮らしをとシノブも思う。
だが、この地方の暮らしも充分に知らない自分達が手を出してどうなるのか。
エウレア地方での交流は、長く接した国々でのことだ。当然ながら互いの歴史や状況も充分に理解して助言や援助をしている。もちろんシノブは一年半ほどしか見ていないが、シャルロット達を始めとする大勢に支えられ進む道を選んでおり、何の前知識もなく関わったわけではない。
ヤマト王国やアスレア地方にシノブは介入したが、それもタケルやリョマノフなどの当事者がいてのことで、主役は彼らである。
アフレア大陸のウピンデムガが国として纏まったのも、彼ら自身の選択だ。アマノ同盟の者達はエウレア地方での先例を紹介したのみだ。
そのためシノブは神王の件で知遇を得た二人、アーディヴァ王国の国王と同国のパルタゴーマの領主に補佐役としてホリィ達を付けただけに留めていた。
「そうだね。俺のいた世界でも、自分達が優れているって押し付けて無茶苦茶にした例が沢山ある。少しだけ先に新しい知識を得ただけで……」
シノブは苦い顔のまま、船の外を向く。自身の家族だから明かした地球の悲しい歴史が、自分の胸にも突き刺さったからだ。
地球に魔力はないから、魔力での差別は起きなかった。しかし肌の色や住む地域、文化や宗教などを理由に力の勝る者が劣る者を迫害し、それどころか命すら奪った。まさに力こそ正義とする修羅の世界だ。
時代が進み、あからさまな非道は少なくなっても、先進的と自認する者達が偏った知識で災厄を振りまいた。理由は搾取のためであったり愚かな善意であったり様々だが、知的と称する人々が数え切れないほど多くのものを破壊した。
「だから良く調べよう……ここの暮らしを、人々が望んでいることを。本当の意味で手を貸せるように」
「ええ。手を取り合って進むには、相手を知るべきです」
シノブが甲板へと顔を向けなおすと、そこにはシャルロットの笑顔があった。そして彼女は空を見上げ、オルムルを見つめる。
姿形が違い、暮らしも全く異なる超越種達とも分かり合えるのだ。それが人間より遥かに優れた彼らの懐の深さからだとしても。シャルロットは、そう語っているようだった。
「そうです! ましてや人同士が最善の道を歩めぬ筈がありません!」
アミィの言葉に一同は笑みを深くする。
船の上では様々な姿の仲間達、共に暮らす家族でもあるオルムル達が楽しげに飛翔している。甲板にいたリタンとケリスも、いつの間にか加わっていた。おそらく二頭は、短時間だが空の宴に参加しようと考えたのだろう。
そして世界の何よりも優しく温かな光が、種族を超えた交流を天高くから照らしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
チャンガーラ王国に入ったシノブ達は、ここでも予定通り調査隊を送り出した。
次は今日最後の訪問先であるアーディヴァ王国だが、その前にアマノ号は北へと向かう。チャンガーラ王国に行ったら北部のシャプラという場所にも寄るべきと、ホリィやマリィが勧めたからだ。
「これはホリィ達に感謝しないと……誰もが行きたくなる名勝と言っていたけど、その通りだよ」
「ええ、素晴らしいですね……まるで夢に描いた理想の地です」
シノブとシャルロットは感嘆の呟きを漏らす。
シノブ達はアマノ号の舳先へと集まっていた。彼らの目の前にあるのは、白く美しい崖に刻まれた巨大な神像の数々だ。
写実的な石像はアムテリアを始めとする七柱の神々で、しかもエウレア地方の神像と似た彫りの深い顔立ちだ。しかし服や髪などの様式はイーディア地方風で新鮮味もある。
それにエウレア地方やアスレア地方とは違い、周囲に小さな人や鳥の像を配しているのも面白い。おそらくは眷属なのだろう、アミィに似た狐の獣人や金鵄族らしき鳥が神々を囲んでいた。
「あの眷属様はリュートに似た楽器を持っています!」
「こちらの金鵄族の方は、花を撒いているのでしょうか!?」
隣ではミュリエルやセレスティーヌも賞賛を顕わにしていた。
どうやらシノブ達の前にある像は、神界での様子を描いたものらしい。もちろん想像上の光景だろうが、この地を指導した眷属が伝えたことが元になっているのかもしれない。
ちなみに石像群はアマノ号の正面以外にも多数あり、左右には創世期の風景なのか人々を指導する神や眷属を表したものなど、様々な情景が連なっている。
おそらくは絵巻のように幾つかの連続する場面を描いているのだろう。創世のころの楽園めいた情景や、人々への教訓を示した像が遥か向こうまで続いていた。
崖の手前には菩提樹のような立派な木々が沢山あり、その下は芝生が広がって快適そうだ。所々に神殿らしき建物があるが、それらも崖と同じ白い石材を用いているらしく眩いほどに光り輝いている。
それらの間を行き交っているのは、無数の参拝客や神官達だ。敬虔な仕草で手を合わせて神像を拝む者、菩提樹の下で座禅を組む者など、像と同じくどこか東洋的な雰囲気が混じっている。
「これがチャンガーラ美術ですね! ホリィ達から聞いた通り、素晴らしい神像群です!」
アミィは満面の笑みを浮かべている。眷属の彼女が褒め称えるのだから、よほど出来が良いのだろう。
しかしシノブは笑いを押し殺すのに、少しばかり苦労した。
チャンガーラとは、創世期に眷属が与えた地名らしい。チャンガーラ王国は遥か後の建国だが、初代国王は縁起の良い言葉を自身の姓にしたそうだ。
それはともかくガンダーラ美術を思わせる様式で、この地名である。おそらく担当の眷属は、アルフールのように言葉遊びが好きだったのだろう。
アミィはシノブのスマホから地球の知識を得ているから、笑みの幾らかは神々や眷属の悪戯心を思ってのことだと思われる。
──アムテリア様! これからも光竜として頑張ります!──
──私も! サジェール様、賢竜の力を授けてくださり、ありがとうございます!──
──アルフール様、大好きです~!──
オルムルにシュメイ、そしてフェイニーは、それぞれ加護を与えた神の像へと寄っていく。そして彼女達は手を合わせて神像を拝み始めた。
ただし地上の参拝客がオルムル達に気付くことはない。オルムルとシュメイは透明化の魔道具、フェイニーは姿消しの術を使っているからだ。
──リタンさんはデューネ様の像に?──
──ええ、ケリスは?──
海竜リタンと玄王亀ケリスも船を離れた。そしてリタンは海の女神デューネ、ケリスは闇の神ニュテスの像の前へと浮遊していく。
もちろん他の子供達も同じである。それぞれ最初は縁のありそうな神、そして順繰りに他の神へとお参りをし始めた。
「ここシャプラに像を造ったのは、ドワーフの方々ですよね?」
「はい、少し北のマハーリャ山脈に住むドワーフ達です!」
ミュリエルの疑問に、アミィが答えていく。
イーディア地方の北には、地球で言うところのヒマラヤ山脈に相当する高山帯マハーリャ山脈がある。このマハーリャ山脈はイーディア地方を他と切り離すように東西の海まで伸びているから、おそらくはヒマラヤ山脈を遥かに超える規模だろう。
マハーリャ山脈は地球と同様に8000m級の山々が連なっており、中腹以上は相当に気温が低くドワーフ達に適した地になっている。実際に山脈に沿って、かなりの数のドワーフが住んでいるそうだ。
そしてシャプラはマハーリャ山脈の麓だから、ドワーフ達との交流も多かった。
「……チャンガーラ王国もカンダッタ王国やリシュムーカ王国と同じで、アーディヴァ王国ほど階級制度が厳しくありません。それに、ここでは石像の保護や修築のためドワーフの職人が欠かせません。そのためシャプラを含むチャンガーラ王国の北部は、特に寛容だそうです」
アミィは現実的な選択が、緩やかな制度運用を生み出したと結んだ。
これだけの石像群を維持するのだから職人は幾らいても足りないし、昔の名職人が拵えた像を直すなら同じくらいの腕が必要だろう。ならば当時と同じようにドワーフ達を頼るしかなく、魔力による階級制度を厳密に守っていては不可能というわけだ。
確かに言っては悪いが、シャプラの石像群に比べたらアーディヴァ王国の大神殿で見た像は一段も二段も劣る。もちろんシャプラが別格に優れているだけで、アーディヴァ王国の神像も大神殿で飾るに相応しい名作ではあるが。
◆ ◆ ◆ ◆
「……何だか、ざわついていないか?」
シノブは地上から人の叫び、怒号や悲鳴のようなものが聞こえた気がした。そこで甲板にいる者で最も耳が良いアミィへと訊ねる。
アミィは狐の獣人で、更に彼女は眷属でもある。そのため人族のシノブ達とは比較にならないほど聴覚が優れているのだ。
「あちらのようです」
──向かいましょう──
──あの泉の辺りですね──
アミィが示した方向に、アマノ号は向きを変えた。そして運搬する二頭の成竜、岩竜ニーズと炎竜ニトラは緩やかに船を前に進めていく。
船の後ろにはオルムル達も続いている。どうやら彼女達も異変を感じ取ったらしく、お参りを中断したようだ。
「ピリッとしたぞ! 毒でも入っているのか!?」
「痺れが……神泉なのに、どうして……」
どうも泉の水を飲んだ者達に異常があったようだ。アマノ号に匹敵するほど大きな泉の周囲には、大勢の人が座りこんでいる。
「今、治癒魔術を掛けます!」
「少しお待ちください!」
幸い神官達には治癒を得意とする者が多かったようだ。
ホリィ達によれば、シャプラは神官の一大修行地だそうだ。そのため神官も多数おり、治療も速やかに行われていた。
「神泉……すると、あれがホリィやマリィの言っていた?」
「ええ、そうだと思います」
シャルロットの問いに、アミィは静かに頷いた。
神泉といっても、ホリィ達によれば神力によるものではないそうだ。ただし極めて多くの魔力が含まれており、また泉を開いたのは創世期の眷属だから神泉と命名されたという。
眷属が関わっているなら神々の指示による筈で、それなら神の泉と呼ぶに相応しいだろう。
「神々の贈り物なのに、何があったのでしょう?」
セレスティーヌは悲しげに眉を顰めていた。彼女は神々に加護を授かり眷属の支援を受けたメリエンヌ王家の生まれだから、落胆も激しいのだろう。
「まさか、誰かが毒を流したとか?」
シノブは治療を受ける人々を見つめたまま呟いた。
シャプラの神官達の技は随分と優れているようで、異常を訴えた者の全てが回復した。しかし水は異変が生じたままらしく、しかも調べている神官にも原因は分からないようで何れも首を傾げている。
神官達は水に浸けた指先を舐めたり汲んで匂いを嗅いだりしているから、彼らも何かの混入を疑っているのだろう。
──神さまの泉を汚すとは、許せません!──
空気を斬り裂くような強い思念を発したのは、海竜のリタンだ。彼は凄まじい速度で泉の中央に寄ると、何かを探るように頭を近づける。
──そうです! 私達も協力します!──
──はい! 皆で調べましょう!──
──僕達なら出来る筈です!──
オルムルに続いたのはケリスとファーヴである。
確かに岩竜のオルムルとファーヴ、そして玄王亀のケリスなら、何かを掴めるかもしれない。彼らは土属性を得手としているから、何かが水に混じっていれば判別できる可能性は高いのだ。
──俺達も手伝うよ。だからリタン、落ち着いて──
シノブはリタンへと思念を送る。
この地の人々のためにも、早く原因を突き止めよう。それにアミィ達も、先輩である眷属の開いた泉が汚されたのは悲しいに違いない。
シノブは毒を調べる力など持っていないが、きっと皆で力を合わせれば解決できる。種族も姿形も違う自分達だが、元の神泉に戻したいという心は一つだ。そんな思いをシノブは思念に篭めた。
──はい!──
リタンはアマノ号へと戻る。それにオルムル達も泉を離れ、同じように甲板の上に降り立った。
「泉に落ちるかと思ったよ。まあ、落ちてもリタンなら問題ないだろうけど」
シノブは腕輪の力で小さくなったリタンの頭を撫でる。するとリタンは恥ずかしげにシノブの胸に顔を伏せた。
「神の泉ですから、落ちたらデューネ様が助けてくださるかもしれませんね!」
「すると金のリタンと銀のリタンが出てくるのかな?」
冗談めいたアミィの言葉にシノブが倣うと、シャルロット達の顔が綻ぶ。シノブは『金の斧』の寓話を紹介していたのだ。
──解決したらデューネ様が御褒美を下さるかも!──
──リタンさん、欲張っちゃダメですよ?──
オルムル達の言葉に、シノブも大きな笑みを浮かべた。もしかすると、ここでリタンが加護に目覚めるのではと思ったからだ。
果たしてリタンは加護を授かるのか。シノブは神泉へと目を向けるが、応えてくれたのは陽光を散らす微かな波のみだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年8月9日(水)17時の更新となります。