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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第23章 灼熱大地の人々
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23.27 虎争い 後編

「……この辺りなら良いかな」


 宙に浮いたアマノ号から、シノブは辺りを見回しつつ呟いた。ほぼ真下には大きな湖、そして周囲には多少の木々があるが人影はない。


 ここはイーディア地方の中央にあるダクシア高地帯だ。荒れ地が多い上に魔獣も棲んでいるから、人が立ち寄ることは殆どない。

 フェイニーとヴァティーの勝負はシャンジーを引っ張るだけだが、地上に落ちでもしたら大変なことになる。そこでシノブは二頭の光翔虎の争いに、この場を選んだのだ。


 元々アマノ号はダクシア高地帯を通過する予定だった。リシュムーカ王国の次に行くのはカンダッタ王国だが、両国は接しておらず間にダクシア高地帯があるのだ。

 ダクシア高地帯は丸々一国に相当するほど広く、周囲には複数の国が存在する。神王が潜んでいたアーディヴァ王国もその一つで、ダクシア高地帯の西がリシュムーカ王国、北西がアーディヴァ王国、北がカンダッタ王国という並びである。


 ダクシア高地帯の大半は魔獣の領域だから、リシュムーカ王国からカンダッタ王国に直接行く人はいない。しかしアマノ号は空飛ぶ船で、運ぶのは岩竜ニーズと炎竜ニトラだ。

 そこでシノブ達はダクシア高地帯を避けず真っ直ぐ抜ける予定だったし、ヴァティーが現れたときは既に高地帯の手前だった。

 それ(ゆえ)シノブは勝負を少しだけ待ってもらったのだ。


──準備完了です~!──


──こっちも問題ないわ!──


 フェイニーとヴァティーは、意気軒昂というべき力強い思念で応じた。そして二頭の光翔虎は、まるで申し合わせたように左右対称の軌跡を描き、残る一頭の側に寄っていく。


 本来のヴァティーは成体に近い巨体だが、今は腕輪の力でフェイニーと同じ大きさとなっている。それにシノブが貸した神具で能力を制限しているから発する魔力も等しく、まるで双子のようである。


──お手柔らかにね~──


 こちらは最後の一頭、元の巨体のまま宙に浮いたシャンジーである。

 シャンジーは何となく居心地が悪そうであった。フェイニーとヴァティーの争いは、どちらが彼の(つがい)に相応しいか決めるためだから、無理からぬことではある。


 光翔虎を含む超越種が伴侶を得るのは成体となった後、つまり二百歳を過ぎてからだ。しかしシャンジーは百歳を超えたばかり、ヴァティーは百五十歳ほど、フェイニーに至っては一歳を過ぎて三ヶ月弱である。

 とはいえ超越種は数が少なく、種族ごとだと十頭前後から多くても二十数頭だ。そのため同年代は少なく、自然と早くから将来の相手を定めるようになるらしい。


 ただし光翔虎の場合、最終的な決定は成体となってからだ。

 光翔虎は成長すると、雄が自身の強さを示して伴侶を勝ち取る。彼らは相手の親、普通は父親と勝負して一人前だと認めてもらうのだ。

 したがって雌の側が勝負するのは珍しいが、今回のようにどちらが優れているかアピールすることはあるという。


「綺麗な湖ですね」


「はい! ここなら落ちても大丈夫そうです!」


「光翔虎は水を嫌うそうですけど……」


 シャルロットに続き、ミュリエルとセレスティーヌが船縁(ふなべり)から下を覗く。

 引っ張り合いという平和的な手段だから、シャルロット達も平静なままだ。シノブと並んだ三人は、昼過ぎの陽光に(きら)めく水面を穏やかな表情で眺めている。


 それに一応は勝負をするが、シノブは結果がどうあろうとフェイニーの勝利とするつもりだ。そしてシャルロット達は、そのことを知っているのだ。

 大岡政談の一つ『子争い』のように、フェイニーが先に放したらシャンジーへの気遣い(ゆえ)とする。逆にフェイニーが後なら、素直に彼女が強かったとすれば良い。そうシノブは考え、更に紙片に記してシャルロット達にも伝えていた。


「毛が濡れるのがイヤだそうです。本能的なものらしいですね」


『そうです! 姿消しも水に弱いらしいですよ!』


 アミィの言葉を肯定したのは岩竜オルムルだ。彼女は猫ほどの大きさでシノブ達の側に浮かんでいる。


 光翔虎も水を飲むし、雨が降っているからといって外出を控えたりしない。しかし確かに光翔虎は濡れるのを嫌っていた。

 これはオルムルが触れたように、彼らの姿消しが水を苦手としているからだ。実際フェイニーや彼女の両親と出会ったとき、シノブが水弾を放つと彼らは姿を現した。

 どうも雨くらいだと問題ないが、水に()かったりすると大きく影響を受けるらしい。それらが光翔虎に水中への忌避を植えつけたのだろう。


『汚れは魔力で吹き飛ばすか、浄化の術を使うそうです』


『泳ぐのは気持ち良いと誘ったのですが……』


 炎竜シュメイと海竜リタンも会話に加わる。それに他の子供達も寄ってきた。

 嵐竜ラーカや岩竜ファーヴは少し上に浮いている。しかし炎竜フェルンや朱潜鳳ディアスはシノブの肩の上に乗る。それに玄王亀のケリスも同じく腕の中に収まった。


 紙片でシノブの意図を知ったから、子供達も落ち着いたようだ。

 シャンジーとフェイニーは互いを将来の伴侶と決めていた。しかも双方の親も賛成しており、その日が来るのを楽しみにしている。

 つまり人間なら許婚というべき状態で、それを知っているから皆はフェイニーの応援に回っていた。


──負けませんよ~!──


──私だって!──


 もっとも今のフェイニーとヴァティーの瞳に、シノブ達は映っていないようだ。

 二頭はシノブの考えなど知らない。それにシャンジーにも伝える暇がなかったから、彼も本気で案じているに違いない。


「それじゃ、シャンジーの前足を(つか)んで!」


 シノブはヴァティーに済まなく思いつつも、声や表情に出さないよう気を付ける。


 ヴァティーには後で適切な相手を紹介するつもりだ。実はヴェーグという若い雄の光翔虎がいるのだ。

 ヴェーグは成体となって二十年ほどだから、ヴァティーより年長で釣り合いが良い。残念ながら今のヴェーグはイーディア地方を離れているが、シノブは遥か遠方まで思念を届かすことが出来る。

 そこでシノブはヴェーグの両親から彼の魔力波動を教わり、呼びかけようと思っていた。ただしヴァティーに納得してもらうため、先にフェイニーと競ってもらうことにしたわけだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



──ヴァティーさんには渡しませんよ~!──


──フェイニーには負けないわ!──


 シャンジーの右前足をフェイニー、左前足をヴァティーが(つか)んでいる。それぞれ自身の両前足で、シャンジーの足を引っ張っているのだ。


 シャンジーは本来の体長20m近い巨体、そしてフェイニー達は五分の一強といった程度だから、まるで二匹の猫が虎にじゃれついているような光景だ。しかし引く二頭は全力を出しているようで、シノブ達には強烈な魔力波動が伝わってくる。


 三頭の周囲には強い風が吹いているようで、輝く毛並みが不規則に揺れている。光翔虎は重力操作だけではなく、風の術も併用して飛翔するのだ。


──怪我しないようにね~──


 一方のシャンジーは平然としたままであった。しかも彼は自身を固定するように重力を操り、勝負の開始から位置が全く変わっていない。


「予想していたけど、痛がる様子はないね」


「硬化の術ですね」


 シノブとシャルロットは(ささや)きを交わした。

 シャンジーは飛翔だけではなく硬化も用いていた。そのため彼は平然としているのだ。


 これは別にシャンジーだけの技ではなく、超越種なら一般的なものだ。

 超越種は自身の並外れた巨体を支え、常識外れの高速で移動し、天地を揺るがすような激しい戦闘を繰り広げる。それらを可能にするのは、強靭な肉体自体と莫大な魔力での補助である。


「たぶん魔獣なら、一瞬で真っ二つになると思うのですが……」


「そうですか……」


「流石ですわね」


 ほろ苦い笑みを浮かべたアミィに、ミュリエルとセレスティーヌは同じような表情で応じる。

 二人とも優秀な魔術師で、更にミュリエルは自身も硬化を使いこなす。それにセレスティーヌも多くの武人を知っているから、原理や効果は充分に理解している。

 しかし目の前に渦巻く魔力波動、フェイニーとヴァティーの力は人間と桁が違う。ミュリエル達は様々な経験をしているだけに、彼我の差をまざまざと感じたのだろう。


──これじゃ終わりませんね~! ならば~!──


──あら、やるわね! 私も!──


 フェイニーは風の術を操ってヴァティーを狙う。そしてヴァティーも同じようにシャンジーの向こう側へと技を放つ。


 確かに先ほどまでは完全に拮抗していた。

 本来のヴァティーはフェイニーより遥かに大きい魔力を持っているが、シノブが神具でヴァティーの力を制限してフェイニーと合わせた。そのため単なる引っ張り合いだと、なかなか勝負が決しないらしい。


──う、うわっ~! く、くすぐったいよ~!──


 今まで像のように動かなかったシャンジーだが、飛び交う風の技に身を(よじ)り始める。思念で発した通り、彼の至近を吹き抜ける風が思わぬ効果を発したようだ。


「どうしたのでしょう!?」


「怪我したのでは!?」


 ミュリエルやセレスティーヌは思念を感じ取れない。そのため二人はシャンジーに何が起きたか理解できなかったのだ。

 どちらも説明を求めるように、シノブやアミィへと顔を向けていた。


「……風がくすぐったいみたいだね。硬化は皮膚感覚に殆ど影響しないから」


 シノブの言葉に、ミュリエル達は安堵の表情となる。そして彼女達は再び三頭の光翔虎へと目を向けた。


──なかなかやるわね! だったら……魔風の絶招牙!──


──私も出来ます~!──


 ヴァティーとフェイニーが使ったのは、光翔虎の八つある必殺技の一つだ。魔力を込めた風を作り出し、相手を攻撃する技である。

 同じようなものに撃壁の絶招牙があるが、こちらは魔力と風で防御の壁を作る技だ。それに対し魔風の絶招牙は相手に向けて撃ち出す。

 もっとも双方とも随分と威力を抑えているようだ。放った風の弾は大気を揺るがすが、シャンジーを含めて誰も傷付くことはない。


──う、うひゃ! うはっ! ひゃあっ!──


 シャンジーは猛烈な勢いで体を(よじ)る。

 もはやシャンジーは、宙の一箇所に留まっていない。まるで羽虫の大群に襲われた人のように激しく身を揺すり、飛び跳ねている。


 魔力障壁で体を覆えば良いのにとシノブは思うが、くすぐったさがシャンジーの思考を邪魔しているのかもしれない。右に跳ね、左に回転し、更に上や下へと若き光翔虎は大暴れである。


『あっ、魔力が!』


『落ちます!』


 オルムルとシュメイ、更に続いて他の子供達も叫ぶ。そして子供達はアマノ号の上を離れ、手前へと浮遊していく。


「シャンジー!」


──ひゃあ~!──


 おそらくシノブの声は、シャンジーに届いていないだろう。重力操作をしくじったのか、シャンジーは流星のように凄まじい速度で湖面へと落ちていった。


 この湖には魔獣など棲んでいないし、深さも充分にある。そのためシャンジー達が怪我することはないだろうが、彼らは濡れるのを嫌う光翔虎だ。


──み、水!──


──だ、ダメです~!──


 苦手とする水が迫ったから、他の二頭も恐慌を(きた)したようだ。先にヴァティー、続いてフェイニーの悲鳴のような思念が生じた。

 そして思念の直後、湖に大きな水柱が生まれる。シャンジーは体勢を立て直せず、そのまま水中に突入したのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 水が吹き上がる直前、避けるように一頭の光翔虎が高空に逃れる。普通の虎を少し大きくした程度だから、宙に飛び上がったのはフェイニーかヴァティーのどちらかだろう。


「あれはヴァティーさんですか!? それとも!?」


「ヴァティーだよ」


 ミュリエルの問いに、シノブは微笑みと共に答えた。

 他の者には分からないだろうが、それぞれをシノブは魔力波動で完全に区別できる。そのため殆ど変わらぬ外見のフェイニーとヴァティーを、遠方からでも識別できたのだ。

 そして僅かに遅れ、湖面から巨大な虎が浮かび上がる。


──失敗しました~!──


──シャンジー兄さん~──


 宙に戻ったシャンジーの右前足には、フェイニーがしがみ付いていた。どうやら彼女は水中に没した間も慕う相手から離れなかったらしい。


 そして宙に戻った二頭は、揃って全身から魔力を放った。シャンジー達は濡れた体から水を弾き飛ばしたのだ。

 先ほどの水柱に加え、シャンジー達から飛んだ水滴が宙に広がる。それらは湖の上空に美しい虹を生み出した。


「まるでシャンジーさんとフェイニーを祝福しているようです!」


 アミィの明るい声がアマノ号の上に笑顔を(もたら)した。確かに空を飾る虹は、勝利を祝しているようでもあったのだ。


「フェイニーさんの愛が勝ったのですね!」


「ええ」


 セレスティーヌとシャルロットも笑みを交わしていた。

 おそらくフェイニーが駄目と叫んだのは、腕を離したらいけないという意味だったのだろう。つまりシャンジーと共にいたいという想いが、水への本能的な嫌悪を打ち消したのだ。


──フェイニーさん、おめでとうございます!──


──よく我慢しましたね!──


 虹に続いて祝福を贈ったのは、オルムル達だ。

 超越種同士の場合、殆どは思念のみで会話する。そのため子供達は先ほどまでとは違い、発声の術を用いていなかった。

 しかしオルムル達の喜びは、ミュリエルやセレスティーヌにも充分伝わっただろう。宙に浮く子供達は、二頭の光翔虎を囲んで弾むように舞い始めたからだ。


 岩竜のオルムルとファーヴ、炎竜のシュメイとフェルンは、大きく翼を羽ばたかせながら咆哮(ほうこう)を上げる。そして四頭は複雑に軌道を変えながら、宙を美しい曲線で満たしていく。

 嵐竜ラーカは長い体をくねらせながらの飛翔だ。まるで祭りで踊る龍のような姿は、威勢が良い上に華やかさも充分だ。

 朱潜鳳のディアスは炎で身を包み、凄まじい勢いで飛び回っている。彼の種族は超越種でも最速を誇っているから、まるで流星のように赤い輝きが輪を作っている。

 海竜のリタンと玄王亀のケリスは宙の一点で留まったままだが、こちらも彩りを添えていた。リタンは水の術で少し離れた場所に新たな虹を出現させ、ケリスは空間操作で周囲を(ゆが)めて光の芸術を生み出していく。


 暫しの間、湖上は仲間を讃える場となった。その様子をシノブ達はアマノ号から笑顔で見つめる。


──フェイニー、貴女には負けたわ。私は反射的に宙に逃れてしまったのに……シャンジーさんに相応しいのは貴女ね──


 ヴァティーも後悔混じりだが褒め称える。

 つい先ほどまでのヴァティーは、遥か年少のフェイニーを子供扱いしていた。しかし今は対等以上の相手と認めたのだろう、思念の雰囲気も大きく変わっている。


──ありがとうございます~! シャンジー兄さんと幸せになります~!──


──フェイニーちゃ~ん、それはちょっと気が早いんじゃない~?──


 フェイニーは得意げに応じ、シャンジーは照れ混じりな様子だが彼女を(たしな)める。

 しかしシャンジーがフェイニーを(いと)おしく感じているのは間違いないようだ。何故(なぜ)なら彼は右前足を自身の顔に寄せると、嬉しげに尻尾を振る従姉妹に頬ずりをしたからだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 再びアマノ号は、宙を進んでいく。もちろんシャンジーやオルムル達も、空飛ぶ双胴船を囲んで飛翔している。

 それにヴァティーも一緒だ。自分ならヴェーグに思念を送れると、シノブが伝えたからだ。


 ヴェーグがイーディア地方から旅立った後、どこに行ったか分からない。

 しかしシノブは、遥か東のヤマト王国からエウレア地方のシェロノワまで、およそ1万km先まで思念を届かせた。しかもシェロノワにいたアミィや更に西にいたホリィ達によれば、非常に鮮明に聞こえたそうだ。

 したがってヴェーグが更に遠くにいても、充分に届く筈である。


 これから向かうカンダッタ王国には、ヴェーグの父親フォーグがいる。彼もヴァティーと同じくイーディア地方の調査に加わっているのだ。

 そこでシノブはフォーグからヴェーグの魔力波動を教わるつもりだが、それなら自分も同行するとヴァティーは言ったのだ。


 ちなみに眷属や超越種でも思念が届くのは150kmほどだから、呼びかけても応答があるとは限らない。それに光翔虎は長時間を飛ぶとき時速150km程度で、ヴェーグが戻るのは何日か先かもしれない。

 だから一緒に行ってもヴェーグと会えないだろうが、ヴァティーは自身からもフォーグにお願いすべきだと考えたらしい。


──この辺りには、大きな蜘蛛の魔獣が棲んでいるのよ。そうね……少なくとも貴女達の倍は大きいわ──


 ヴァティーが語るダクシア高地帯の様子に、ミュリエルやセレスティーヌは耳を傾けていた。勝負の最中とは違いヴァティーは『アマノ式伝達法』を使っているから、直接の会話である。


 発声の術の習得は、魔力障壁の振動で様々な音を作り出せるまで時間が掛かる。しかし『アマノ式伝達法』はモールス信号のように音の長短で表現するだけで、人よりも高い知能を持つ超越種なら僅かな時間で身に付ける。そこでシノブ達は、まず伝達法を教えたわけだ。


──この辺りだと人吊り蜘蛛(ぐも)とか呼んでいるらしいわ。高い崖や木の上で待ち構えて、獲物を吊り上げるの──


「シノブさまから聞きました!」


「カンダッタ王国には『人吊り蜘蛛の糸』という話があるそうですわね」


 ミュリエル達は興味深げな顔をしていた。

 ホリィやマリィの調査が調べたのは、アーディヴァ王国だけではない。彼女達はエウレア地方やアスレア地方に近い側、つまりイーディア地方の北西部は一通り巡っていたのだ。

 ホリィ達が初期に訪れたラジャグーハはカンダッタ王国、マハーグラは次に行くチャンガーラ王国の町である。そして彼女達は、それらでも幾つかの民話や伝説を仕入れていた。


 この『人吊り蜘蛛の糸』という伝説は、カンダッタ王国の初代国王アクターガ・カンダッタの話である。

 アクターガは魔獣狩りを得手とした戦士だが、あるとき人吊り蜘蛛に食われそうになった。しかし彼は何とか逃れ、更に人吊り蜘蛛が出す糸に利用価値を見出した。

 そしてアクターガは魔獣の糸を売って財を成し、国王への道を歩み始めたという。


──てっきり蜘蛛を助ける話だと思ったんだけどね──


──アムテリア様やニュテス様は、神界から糸を垂らしたりしませんよ?──


──私も聞いたことがありません──


 シノブの密かな思念に、アミィとシャルロットが応じる。

 この話をホリィ達から聞いたとき、シノブは故郷で遥か昔に生まれた文学作品を思い出した。しかし故郷の文学作品とカンダッタ王国の伝説に、共通点は殆どないらしい。


 ともかく人吊り蜘蛛について多少の知識を持っていたシノブだが、続いての話には少し驚いた。


──あら、知っていたの! でも、これはどうかしら? こちらだと人吊り蜘蛛から糸しか採らないようだけど、南のエルフ達は食用にもしているのよ。それに酢という液体を作るとか──


 ヴァティーが棲んでいる森はイーディア地方でも南部に位置し、その中にはエルフも暮らしているそうだ。かなり広い森で中央にある魔獣の領域が光翔虎、それ以外がエルフ達の場所だという。


──私達やエルフは、人吊り蜘蛛のことを『スッパイダー』って呼んでいるの。森の女神アルフール様が教えてくださった名前なのよ──


 どこか自慢げなヴァティーには悪いが、シノブは吹き出しそうになった。それに隣ではアミィの肩が、微かに揺れる。


──シノブ?──


──姉上らしい命名だね……向こうの一部では蜘蛛をスパイダーって言うんだ──


 問うたシャルロットに、シノブは先ほどからと同じく彼女とアミィだけを対象にした思念を送る。地球のことに関しては、むやみに広めるつもりはないからだ。


 その間にもヴァティーの話は続いている。

 かつてのシャンジーと同様に、ヴァティーも近くに住むエルフの生活を覗いていたそうだ。彼女によると他の地方と同様にイーディア地方のエルフにも巫女はいるが、符術は発達していないという。少なくとも、こちらのエルフは符人形を使わないらしい。


 それにエウレア地方のエルフが行う巫女の託宣のような、集団での神降ろしも聞いたことがないそうだ。

 もっとも巫女の託宣を授かったのは、エウレア地方に謎の技を振るうベーリンゲン帝国が誕生したからである。そのためアスレア地方やヤマト王国のエルフも、単独での神託しか知らなかった。

 つまりイーディア地方のエルフも、そこまで緊急度の高い事態に遭遇しなかったのだろう。


──たぶん、エルフは関係ないんだろうね──


──そうですね。少なくとも優先する必要はなさそうです──


──情報局の人員にも限りはありますから──


 シノブの思念に、シャルロットとアミィは同意を示す。

 ヴァティーが知っている通りなら、イーディア地方のエルフは神王と無関係だろう。神王を生み出したアーディヴァ王国の初代大神官ヴィルーダは、符術にも詳しいらしいからだ。

 したがってヴィルーダはイーディア地方のエルフの住む地を訪れなかったか、行ったとしても深い交流はしていないと思われる。


 やはりヴィルーダの過去を探るには、東に向かうべきだ。シノブは、そう結論付けた。

 これから行くカンダッタ王国や、その次のチャンガーラ王国は、アーディヴァ王国の東側だから、そこを通過した可能性は高いだろう。そのため、この二国にも調査隊を送り込む。

 本当ならイーディア地方の全ての国に調査隊を送りたいところだが、そこまで大勢の諜報員をアマノ王国は抱えていない。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シャルロットとアミィは、ヴァティーとの会話に加わった。そして二人はカンダッタ王国やチャンガーラ王国の東について質問していく。

 両国とも内陸の国で、イーディア地方の東海岸を占めるのは更に別の国だ。しかし東海岸の国はアーディヴァ王国との交流が殆どなく、まだ潜入できるほどの知識を得ていない。

 そのためシャルロット達は、ヴァティーから少しでも情報が得られたらと考えたようだ。


 シノブも東海岸や、その向こうにあるスワンナム地方に興味はあった。何故(なぜ)ならアーディヴァ王国の初代大神官ヴィルーダは、スワンナム地方から渡ってきたからだ。

 しかしシノブには、他にも知っておきたいことがあった。それは先ほどのシャンジーについてである。


──シャンジー、さっきのことだけど──


 シノブはシャンジーだけに伝わるように思念を発した。それも限界まで魔力を絞ってだ。

 今のシャンジーはフェイニーと並んで飛翔しているし、周囲にはオルムル達もいる。そのため対象をシャンジーだけにしても、魔力波動が強ければ会話を気付かれるからだ。


──何でしょう~、兄貴~?──


 シャンジーも、かなり魔力を絞って応じた。それに彼は自然な様子を装いながら、アマノ号に近づく。

 もちろんフェイニーも合わせて動くが、幸い彼女はシャンジーよりも向こうである。


──フェイニー達が風の術を使ったとき……くすぐったくて身を(よじ)っていたのは演技だよね? それに湖に落ちたのも──


──流石は兄貴です~。でも、どうして分かったのですか~?──


 シノブの想像は当たっていた。わざとシャンジーは大袈裟な反応を示したのだ。

 兄貴分と敬うシノブに、シャンジーは隠し事をするつもりはないようだ。しかし彼は、シノブが察した理由は知りたいらしい。


──あれはフェイニーやヴァティーを振り落とそうとしていたんだろ? それに湖に落ちたのも、いつまでも勝負が続くのを避けるため……つまり俺達の調査を邪魔しないようにしていたんだ──


 シノブも最初から気付いていたわけではない。ただ、落下の時点で大きな疑問を(いだ)いたのだ。


 ヴァティーは水に落ちる直前で、シャンジーから離れて上空に戻った。したがって水面に落ちる寸前でも、宙に(とど)まることは可能だったろう。


 くすぐったいから飛翔の制御を誤ったのが本当だったとしても、着水する寸前は違う。

 シャンジーが落ちていく最中、フェイニーとヴァティーは風の術を使っていなかった。双方とも間近に迫る水面のせいで、そんな余裕はなかったからだ。

 つまりシャンジーは、自身の意志で水中に没したのだ。おそらくは勝負が長引くことで、シノブ達の予定が狂うのを避けるために。


──その通りです~。ボク達の都合で、皆に迷惑を掛けるわけにはいきませんから~──


──でも、それでフェイニーが先に手を放したらどうするつもりだったの?──


 シャンジーの返答に納得しつつも、シノブは残る疑問を思念に乗せた。

 水没の際、もしフェイニーが先に手を放していたら。それは彼女への信頼があったとしても、そこまで暴れ回ったときは運次第ではないか。シノブは、そう思ったのだ。


──実はですね~、ヤマト王国にも似た話があるんです~。『先に手を放したのは迷惑を掛けたくなかったからだ~』って偉い人が言うんです~。だから兄貴も同じことを考えたんじゃないかって~──


 シャンジーによると、ヤマト王国には大岡政談に似たものがあるそうだ。

 陸奥(みちのく)の国のドワーフ、祖霊となった将弩(まさど)雄雄名(おおな)家に、名奉行がいたそうだ。そして陸奥(みちのく)の国では雄雄名(おおな)政談と呼ばれているという。

 一方シャンジーは、シノブの故郷がヤマト王国に似た国だと知っている。そこで彼は、シノブに何か考えがあると察したわけだ。


 仮にフェイニーが先に手を放しても、雄雄名(おおな)政談と同じように収拾してくれるだろう。逆にフェイニーが後なら、別に捻った答えを出すまでもない。シャンジーは、そう締めくくる。


──なるほどね……でも双方とも離れなかったから、水に落ちたと──


──イヤでしたけど、良かったです~。だってフェイニーちゃんが、あんなに一生懸命だったから~──


 シノブが微笑みを向けると、シャンジーは嬉しげに尻尾を振りつつ応じた。

 自身を一心に慕ってくれる存在は、シャンジーに何よりも力を与えてくれるのだろう。シノブもシャルロットとの生活で日々感じているから、我が事のように理解できる。


 シノブは思わず妻へと視線を向けた。するとシャルロットは何かを察したのか振り向き、柔らかな笑みを返してくれた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2017年8月5日(土)17時の更新となります。


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