23.26 虎争い 前編
ヤマト王国に出かけた次の日、シノブ達は予定通りイーディア地方へと赴いた。ただし最初に向かったのはアーディヴァ王国ではなく、そこから遥か遠くの海である。
イーディア地方は地球のインド亜大陸に相当する場所で、形も良く似ている。簡単に言えば北を底辺として南に突き出した三角形の半島だ。
ちなみにアーディヴァ王国は最北端の西寄りで海を持たない。南西にリシュムーカ王国という国があるからだ。
シノブ達がいるのはリシュムーカ王国の海岸から更に南西に500kmほど、魔獣の海域の真っ只中だ。そのため彼らの訪れを知ったのは、魚や海生魔獣くらいである。
ただし前者はともかく後者にとってシノブ達の訪問は、恐るべき災難だったに違いない。何故なら来訪者には、超越種の子供達が含まれていたからだ。
「お待たせ、ニーズ、ニトラ!」
魔法の家を出たシノブは、眩しい陽光に目を細めながら上を向いた。そこには呼びかけた二頭、岩竜ニーズと炎竜ニトラがいる。
ここは双胴船型の磐船、アマノ号の甲板の上である。魔獣の海域だから、万一のことがあったらと親達も同行を望んだのだ。
──問題ありません。ファーヴ達を見ているだけでも充分に楽しめますから──
──ええ。南の海も良いものです──
ニーズはファーヴの、ニトラはフェルンの母だ。彼女達は子供の休憩場所である磐船を守っていただけらしいが、それでも気晴らしが出来たのか思念も普段より華やいだ雰囲気だ。
ちなみに岩竜や炎竜は海上から獲物を狩ることもある。
彼らが元々棲んでいた北極圏の島の周囲にいるのは、極北大爪熊や氷山海豹などだ。それに時には海中に突入し、島烏賊や大魔蛸なども獲っていた。
しかし今まで南の海に訪れることはなかったから、物珍しく感じているのだろう。二頭は応えに続き、楽しげに喉を鳴らす。
「それなら良かった」
「ヴォロス殿やウーロ殿は海でしょうか?」
シノブに続き、シャルロットが顔を出す。ちなみに双方ともイーディア地方の人々と同じように肌を濃くし、衣装も彼らに合わせている。
もちろん二人だけではなく、追って現れたミュリエルとセレスティーヌ、アミィも同様だ。五人は服がオレンジで頭の布が朱色の、アーディヴァ王国なら中級商人とされる装いに変えている。
『はい。子供達と一緒です。良い狩場に連れて行ってくださいました』
『朝からずっとですので、少々申し訳ないですが』
ニーズとニトラは、先ほどとは違い発声の術で応じた。思念が使えないミュリエルとセレスティーヌを気遣ったのだろう。
ここに二頭が訪れたのは朝早くだ。といっても移動は極めて短時間、ほぼ一瞬だ。
まず先乗りしていた海竜の長老ヴォロスと番のウーロが、洋上に平らな氷山を作り出す。そこに魔法の家で転移し、アマノ号を海に浮かべたのだ。
「そうか……でもヴォロス達も喜んでいるんじゃないかな。リタンと一緒だから」
シノブは頭を掻きつつも笑みで応じる。
実はヴォロスとウーロが先乗りしているのは、シノブも関係していた。そのためシノブも、二頭に感謝せねばと思ったわけだ。
将来イーディア地方と行き来するときに備え、ヴォロス達は航路とできそうな場所を探してくれている。
シノブ達が住むエウレア地方から東に行く場合、アスレア地方を通ってイーディア地方という順である。これらは全て北大陸、地球で言うところのユーラシア大陸にあるから沿岸航海が可能であった。
しかし現在のところ、アスレア地方とイーディア地方に行き来はない。二つの間には、巨大な魔獣の海域が広がっているからだ。
二週間近く前にホリィとマリィをイーディア地方に派遣した直後、シノブは海竜達にイーディア地方の海について問うた。
オルムルから夢の話を聞くまで、シノブはイーディア地方に船を進めるつもりはなかった。まだ東域探検船団は、アスレア地方の東端であるタジース王国にも到達していなかったからだ。
しかしホリィ達をイーディア地方に送ったからには、間の海域も放置できないだろう。それを聞いたヴォロス達は、調査に名乗りを上げてくれたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「そういえば、この辺りに海竜さん達はいないのでしょうか?」
「ヴォロス様とウーロ様がルシオン海、レヴィさんとイアスさんがメディテラ海とお聞きしましたが……」
ミュリエルとセレスティーヌは、シノブなら他の海竜の居場所も聞いていると思ったようだ。二人は揃って自分達の婚約者へと顔を向ける。
ちなみにルシオン海は大西洋、メディテラ海は地中海に相当する場所だ。
ルシオン海は大西洋と同じくらい広大らしく、海竜が棲むのに申し分ない。そしてメディテラ海は地球の該当する場所とは違い、南北2000kmはある大海だ。しかもメディテラ海の東に陸地はなくアスレア海に繋がっているから、こちらも海竜が暮らすのに充分な広さがある。
「ヤマト王国やアウスト大陸の東にいるよ。北半球に一組、南半球に一組だ。それとレヴィ達は彼らに会いに行ったよ。東の海がどうなっているか、聞いてくれるって」
以前ヴォロス達が語った通りなら太平洋に当たる場所に二組、合わせて四頭がいる筈だ。
海竜は子育てを除くと特定の場所に棲家を持たず、広範囲を回遊して過ごす。したがって現在どこにいるか明確には分からない。
しかし大まかな経路は決めており、どの時期にどの辺りにいるか同族には伝えている。彼らも玄王亀のように、一定期間ごとに集まって情報交換しているのだ。
そこでリタンは、遥か東の同族に会ってもらえないかと父母に頼んだ。シノブ達がヤマト王国の南の海について調べ始めたからだ。
「ヤマト王国のルゾンという方ですね?」
ミュリエルが挙げたルゾンという人物は、南方航海で大商人となった男だ。
ルゾンは都から50kmほど南にあるナニワの町の出身で、正しくは堺屋助三郎という。しかしルゾンという島で大儲けの種を掴んだから、呂尊助三郎と呼ばれるようになった。
このルゾン島というのは地球のルソン島、つまりフィリピンの北部に相当する場所のようだ。
「はい! ヤマト王国でも調べてくれますが、リタンも海竜として手伝いたいそうです!」
ミュリエルの問い掛けに、アミィは笑顔と首肯で応じた。
北半球に棲む海竜の番は、ルゾン島の近海に寄ることもあるらしい。もちろん島には上がらないが、付近の魔獣の海域には詳しいだろう。
アウスト大陸にはミリィがいるから、そこまでは転移で移動できる。そしてアウスト大陸の北端からだと、一日半ほどでルゾン島の近くに着くそうだ。
ちょうどアウスト大陸と北大陸の間も調べたかったところだ。そこでレヴィとイアスは、アウスト大陸からルゾン島まで泳いで渡ることにした。
「ルゾンさんには健琉達が話を通してくれるけど、交易商人だから不在かもしれないしね」
シノブは煌めく海に目を向ける。
この辺りは北緯20度を少し下回るというから、ルゾン島の北端と同じくらいの緯度だろう。ルゾン島が地球のルソン島と同じ位置にあればだが。
交易商人ルゾンの噂は、かつてシノブ達が助けた穂積泉葉が耳にしたものだ。しかし彼女がルゾンについて知ったのはナニワの町で物売りに使われていたころだから、およそ八ヶ月ほど前である。
したがって再び南方に乗り出したかもしれないし、そこまで遠くなくても交易に旅立った可能性はある。ならばナニワの役人に確かめさせようと、タケルは言ってくれた。
確かにルゾン・スケサブロウは再び海へと向かったかもしれない。ここと同じくらい美しい場所なら、彼ならずとも再訪したくなるだろう。
シノブの前に広がる海は、まさに常夏の楽園である。今日は雲も少なく波も穏やかだから尚更だ。
まだ一月の半ばだが低緯度で、更に真昼だから真夏のように暑い。おそらく気温は30℃近いか超えているだろう。エメラルドのように海面は輝き、ここが魔獣の海域でなければ泳ぎたいほどだ。
このような素晴らしい光景を目にしたなら、再び冒険航海へと乗り出したくもなるだろう。シノブは、そう思ったのだ。
「……冒険航海に出るのも大変だね」
「ええ、本当に」
シノブとシャルロットは、ほろ苦い笑みを浮かべる。遠方に浮き上がったものが、この星の海の厳しさを再認識させたからだ。
──シノブさん! たくさん獲れました!──
──大漁です!──
──少し獲りすぎたかも──
最初に浮遊した三頭は、巨大な蛸の魔獣を下げていた。海竜リタン、岩竜オルムル、炎竜シュメイは、自分よりも遥かに大きな大魔蛸の足を咥えているのだ。
頭部だけでも10m近くありそうな魔獣だが、既に一歳を超えた三頭からすれば手頃な獲物なのだろう。何れも楽々と持ち上げている。
──魔法のカバンに仕舞いますね! 船の脇に浮かべてください!──
アミィが思念でオルムル達に応じる。
アマノ号は全長40mもある巨艦だが、甲板の上の全てが空いてはいない。三連装大型弩砲が片方の船体に六基ずつ、合わせて十二基も設置されているからだ。
そこでアミィは魔獣を船の側に置いてもらうことにしたらしい。
──三つだけなら……違ったか──
シノブも問題ないと答えかけた。
魔力感知の通りなら、まだ大型の魔獣が沢山いる筈だ。したがって三匹くらいなら生態系が崩れる心配はないだろうと考えたのだ。
しかし環境保全はともかく、獲物の数はシノブの想定以上のようだ。
──僕達も捕まえました!──
──大物です!──
続いて浮いてきたのは、岩竜ファーヴと炎竜フェルンだ。双方とも、ぶら下げているのは大魔蛸である。
ファーヴは生後十一ヶ月を超えたばかり、フェルンは七ヶ月弱だ。したがって先の三頭よりは獲物も小さいが、それでも彼らの体を遥かに超えているのは間違いない。
──こっちは大海蛇です!──
──浅いところにいるからタコと違って楽でした!──
更に遠方から嵐竜ラーカと朱潜鳳ディアスが飛んでくる。彼らは蛇のように長い生き物、おそらくは長さ20mや30mはある大魔獣を下げていた。
──お待たせしました~!──
──出発ですね~!──
──南の海、楽しかったです!──
更に後ろから現れたのは、光翔虎のシャンジーとフェイニー、そして玄王亀のケリスだ。もっともフェイニーとケリスはシャンジーに乗っているから、思念や魔力波動を感知できなかったら白く輝く巨大な虎が飛翔しているようにしか見えないだろう。
光翔虎は水に入るのを嫌うし、海水だと尚更だ。そのためシャンジーやフェイニーは狩りに参加しなかったようだ。
ケリスは泳げるが生後四ヶ月弱と幼いし、まだ甲羅の大きさが2mを超えた程度だ。そのため大魔獣を相手にするのは避けたのだろう。
「皆が楽しめたなら、それで良いと思います!」
「そうですわね。魔法のカバンには幾らでも……」
ミュリエルに頷きかけたセレスティーヌだが、途中で言葉を途切れさせる。これまで以上に巨大な魔獣が姿を現したのだ。
──『光の盟主』よ。子供達の土産だ──
──ここは大きな魔獣が特に多いようです──
海竜の長老夫妻ヴォロスとウーロが掲げたのは、全長100mはありそうな大魔蛸だった。ヴォロス達も魔法のカバンのことは熟知しているから、遠慮せずに大物狩りをしたらしい。
──大切に仕舞っておくよ!──
シノブは顔を綻ばせつつ応じた。どこか自慢げに獲物を見せる二頭は、長老と伴侶というより孫を可愛がる祖父と祖母のようだったのだ。
実際リタンはヴォロス達の孫だから、事実そのままである。しかし偉大なる種族の意外な姿は、シノブのみならずシャルロット達も笑顔にしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
海生魔獣を仕舞ったシノブ達は、アマノ号で陸地へと向かう。ヴォロスとウーロは再び海の調査へと戻り、残る面々がアマノ号に乗っての移動である。
今のアマノ号には巨大な透明化の魔道装置が設置されているから、気付かれる心配はない。
この魔道装置はアミィが作ったもので原理も同じだが、全長40mの船体を隠すだけあって非常に多くの魔力を必要とする。しかしシノブ達や超越種の大魔力があれば、何の問題もなく運用できた。
それ故アマノ号は、誰にも知られることなくリシュムーカ王国の上空に入った。そして人目のない荒野に達すると、ニーズとニトラは巨大な船体を地に降ろす。
着地したのは、イーディア地方調査隊を各地に送り込むためだ。ここリシュムーカ王国、そしてカンダッタ王国にチャンガーラ王国と、アーディヴァ王国の隣国全てに人を派遣する。
昨年ヤマト王国やアスレア地方を調べた情報局員達のように、イーディア地方の調査を始めるのだ。神王の事件は解決したが、黒幕であったアーディヴァ王国の初代大神官となった男がどこから来たか不明なままだ。そこで調査隊に調べてもらおうというわけだ。
「カトナ、頼んだよ」
「お任せください!」
敬礼でシノブに答えたのは、猫の獣人の若い女性だ。まだ二十歳前だがアスレア地方にも潜入したし、かつてのベーリンゲン帝国との戦いにも加わった経験豊かな情報局員である。
それらの実績を評価され、カトナはリシュムーカ王国担当の隊長となったのだ。
もちろんカトナだけが潜入するわけではない。彼女と同様にイーディア地方の商人に扮した者達が、後ろに控えている。
調査隊の殆どは情報局員で、この二週間弱でイーディア地方の風習も学んでいる。そのため多くはシノブから見てもアーディヴァ王国の商人らしく見えた。
それに商人の身分証もアーディヴァ王国に発行してもらったから、大抵のことは乗り越えられるだろう。
ただし二人ほどは少し違和感がある。彼らは情報局員ではなく、高位の神官や巫女なのだ。
実は先日、新たな魔法の幌馬車を数台授かった。神官と巫女は、魔法の幌馬車にある転移の絵画を使うための人選だ。そのため演技は怪しいが全員が調査を担当する必要もないし、そのうち彼らも慣れるだろう。
「通信筒は遠慮せずに使って。それに麻痺の槍や移送鳥符も」
「はい!」
少々くどくはあるが、シノブは忠告をしておく。しかしカトナも油断は禁物と感じているようで、不満を滲ませたりはしない。
ホリィ達はアーディヴァ王国の補佐で同行できないから、魔道具も多めに持たせている。アスレア地方のエルフが開発した麻痺の効果がある槍や、憑依が可能な作り物の鳥などだ。
移送鳥符を使えるのは高位の神官やエルフの巫女などと限られるが、転移を担当できる者達なら素質は充分であった。そして今回選んだ者達は既に訓練も重ねている。
そのため空から偵察できるし、麻痺の槍を始めとする魔道具があれば鬼に金棒だ。それに最悪の場合は馬車が持つ呼び寄せ機能で脱出すれば良い。
しかし過信は禁物である。幾ら優れた道具があっても、使いこなせての話だ。
「よし、ならば出発だ。ちょうど周囲に人はいないみたいだから」
「気をつけて」
シノブに続き、シャルロット達も言葉を掛ける。そして幌馬車の一団は街道へと進んでいった。
「さあ、次に行きましょう!」
「今度はカンダッタ王国ですね!」
アミィとミュリエルが笑みを交わす。予定ではアーディヴァ王国の東側を北上し、残り二国にも調査隊を送り込む。そして最後にアーディヴァ王国に行き、ホリィとマリィを支援する一団を転移させる。これらも当然、同じ装備を持たせた者達だ。
アーディヴァ王国の国王ジャルダは既に昏睡状態から回復し、初代国王ヴァクダから経緯も聞いた。ジャルダは自身を戦へと駆り立てたのが代々の大神官に宿り操った禁術使いだと教わり、我が身を襲った凶暴な衝動が何故生じたかも理解したのだ。
パルタゴーマの領主アシャタと同様に、今のジャルダはシノブやアマノ王国についても知った。そのためアーディヴァ王国の一団は商人に扮することなく、ホリィ達の側で働いたりアーディヴァ王国の古記録を調べたりする予定だ。
これだけ手を打てば、禁術使いがアーディヴァ王国に来た経路を解明できるのでは。そうシノブは期待していたが、二百年は昔のことだから成功するか定かではない。
しかしイーディア地方には多くの光翔虎がおり、彼らも助けてくれる。
アーディヴァ王国には、初代国王ヴァクダの友であるドゥングがいる。そして他の国はドゥングの両親と妹、もう一組の番と子供が巡っている。そのため仮に禁術使いが残したものがあれば、合わせて七頭の光翔虎が発見してくれるかもしれない。
それらの支援がシノブに明るい希望を宿してくれたが、どうも良いことばかりではないらしい。空高く舞い上がったアマノ号に、迫り来るものがあったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
──シャンジーさ~ん! シノブさ~ん! この辺りにいるんでしょ~!?──
唐突に響いた思念はドゥングの妹ヴァティーのものだった。
ドゥングの両親ヴァーグとリャンフは六百数十歳と光翔虎の成体でも年長な方で、第一子のドゥングが約四百歳、ヴァティーは百五十歳ほどだ。つまり彼女は後五十年で成体だから戦力としても充分で、親達と同様に探索に加わっているのだ。
そして今日のヴァティーの担当は、ここリシュムーカ王国だったらしい。
──ヴァティーさん!?──
──諦めが悪いですね~!──
シャンジーは飛翔しながら首を竦める。そして彼の頭の上に張り付いていたフェイニーは、身を起こして憤りも顕わな思念を発する。
これはヴァティーがシャンジーを気に入ったからだ。
先日の戦いで、シャンジーは成体に並ぶ力を示した。それを見たドゥング達は、彼のことを実に素晴らしい若者だとヴァティーの前で賞したのだ。
シャンジーは百歳ほどとヴァティーよりも五十歳も若い。しかし戦いを目にした両親と兄が褒めるのだから、相当なものだろう。ならば自分の番にしても良いのでは。どうやらヴァティーは、そう思ったらしい。
しかしシャンジーにはフェイニーがいる。まだ一歳を過ぎたばかりのフェイニーだが彼女はシャンジーの番になると常々宣言しているし、シャンジーも彼女が育ったら伴侶に迎えるつもりだという。
したがってヴァティーにシャンジーは困惑、フェイニーは憤慨しているのだ。
「シノブさま、どうしたのでしょう? それに何か魔力が動いたような……」
「何だかシャンジーさんとフェイニーさんの様子も変ですが……」
思念を感じ取れないミュリエルとセレスティーヌだが、シャンジー達の様子が普段と違うことを察していた。毎日側にいるためだろうが、ヴァティーの魔力波動に気付いたのもあるようだ。
二人は魔術師としても優秀だから、他より遥かに鋭敏な感知能力を持っている。そのため内容は分からなくても、魔力自体は察したのだろう。
「ああ、ヴァティーが来たんだ」
「かなり近くに迫っているようです」
シノブとシャルロットは何があったか二人に告げる。するとミュリエル達も事情を理解したようで、困惑混じりの笑みを浮かべた。
「シャンジーさん、どうします?」
『このまま行きましょ~!』
『それは後が……いや、失礼だと思うよ~』
アミィが問い掛けると、フェイニーは無視して進もうと言い出した。しかしシャンジーは首を振る。
どうやらシャンジーも避けたいようだが、後々を考えると逆効果だと思ったようだ。あるいはヴァティーに怒られるとでも思ったのか。
──ヴァティーさ~ん、ここですよ~──
シャンジーは先ほどのヴァティーにも匹敵する強い思念を発した。これだけ明確なら、ヴァティーも気が付く筈である。
──あっ、そこにいたのね~!──
予想通り、ヴァティーは即座に反応した。そしてシノブは魔力波動で、彼女がアマノ号に向かって真っ直ぐに飛び始めたと知る。
「魔力隠蔽、地上の人に分からない程度に緩めますね」
アミィは透明化の魔道装置を操作しにいった。そして彼女が戻って幾らもしないうちに、白銀に輝く巨大な虎がアマノ号の右舷に現れる。
ヴァティーはシャンジーより五十歳も上だけあり、少しだけ大きいようだ。
もっとも双方とも親達と殆ど同じくらいに育っているから、一見した程度では分からないだろう。どちらも体長20m近いが、差は1mあるかないかだと思われる。
それに対しフェイニーは、成体の五分の一を少し超えたという程度だ。しかも今の彼女はシャンジーに張り付いたままだから、余計に違いが目立つ。
──あら、また子守をしているのね! シャンジーさんは良いお父さんになるわね~──
ヴァティーは挑発めいたことを言い出す。彼女はシャンジーから、フェイニーとの関係を伝えられている。そのため眼前にいるのが小さくとも自身の競争相手だと、彼女は理解しているのだ。
一方でヴァティーは、年少のシャンジーに敬称を用いていた。どうやら彼女は、シャンジーに一目も二目も置いているようだ。
──そのころ貴女はオバサンです~! 早く相手を見つけた方が良いですよ~!──
フェイニーは身を起こすとヴァティーへと向き直り、同じく煽るような言葉を発した。
シノブが知る限り、雌の方が年長の番はいないようだ。別に禁忌とされてはいないが、強さを示す雄が自然と相手より年上になるのだろう。
──この子は~!──
年齢差についてはヴァティーも気にしていたらしい。彼女は毛を逆立て、フェイニーに顔を寄せていく。
するとオルムル達が、無言のままフェイニーの脇に並ぶ。当然ではあるが、オルムル達はフェイニーの味方なのだ。
アマノ号を運ぶ二頭、ニーズとニトラは先ほどまでと変わらぬ速度で飛翔しているが、やはり気にはなるようで頭は僅かだがシャンジー達の方に向いていた。
「どうなっているのでしょう?」
「アミィさん?」
「えっとですね……」
一方の船上だが、ミュリエルとセレスティーヌはアミィの説明に耳を傾けている。
ヴァティー達イーディア地方の光翔虎は、まだ発声の術を習得していない。『アマノ式伝達法』は身に付けたが、使ってまで知らせる内容でもないだろう。そのため三頭の光翔虎は思念しか用いていなかったのだ。
「ヴェーグという光翔虎がいれば……」
「そうですね……」
シノブはシャルロットに囁く。
ヴェーグとは、もう一組の光翔虎の長男だ。彼は二十年ほど前に成体になったから、既に親の棲家を離れて修行の旅に出ている。
年齢的にヴァティーと釣り合うのはヴェーグだろう。したがって穏便に済ませたいシノブとしては、ヴェーグが帰ってくればと思ったわけだ。
しかし光翔虎の雄は成体になってから百年近く修行するそうだ。もちろん例外はあり、比較的早くに伴侶を選んで落ち着く者もいるが、それでも大抵は何十年か世界各地を放浪する。
したがってヴェーグが戻ってくるのは、まだ先のことだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
──赤ちゃんのくせに~!──
──お婆さんはお呼びじゃないです~!──
ヴァティーとフェイニーの言い争いは、ますます激化していた。
超越種は一歳を超えたら幼児扱いから脱するし、岩竜や炎竜などであれば親の近くだが一応は別れて暮らすようになる。したがってフェイニーを赤子呼ばわりするのは無礼に過ぎるというものだ。
逆に百五十歳と成体にもなっていないヴァティーをお婆さんと呼ぶのも、失礼極まりない。
──兄貴~──
シャンジーが密かに思念を送ってきた。シノブだけを対象として魔力も極限まで抑えているから、争う二頭も気付いていないようだ。
「フェイニー、ヴァティー! シャンジーが困っているよ!」
シノブは船上から争う二頭へと叫ぶ。そろそろ助けの手を差し伸べるべきと、思ってはいたのだ。
「ヴァティー、フェイニーと同じくらいに小さくなって」
シノブは重力操作で飛翔し、ヴァティーへと寄っていく。そして同時に自身の体から、能力を制限する神具を外す。
これは異神ヤムを倒した後に母なる女神から授かった神具だ。正確にはシノブから望んで得た品である。
シノブは普段の生活で人を超えた力に頼りたくなかった。もちろん神王の一件のように使うときもあるが、出来る限り抑えるようにしている。
ただし制限の度合いはシノブの意思で自由に調整でき、今のように機能を停止させることも可能だ。
──は、はい!──
ヴァティーは命じられた通り、腕輪の力で大きさを変える。一方のシノブは神具を彼女に付け、フェイニーと同程度になるように調整する。
「これで君達の魔力は同じくらいになった。だから何か勝負して……」
──兄貴~、フェイニーちゃんやヴァティーさんが傷つくなんて見たくないです~──
シノブの言葉を、シャンジーが遮る。確かに愛する者や近しい者が怪我をするのは、シャンジーならずとも避けたいだろう。
シャンジーにとって、ヴァティーは単なる同族ではない。
まずヴァティーの母リャンフはフェイニーの叔母で、父のヴァーグはメイニーの伯父だ。しかもメイニーの番フェイジーはフェイニーの兄、更にフェイニー達の母パーフはシャンジーの父フォージの姉である。
したがってシャンジーからすると、ヴァティーも二重三重に縁戚なのだ。
──シャンジー兄さん、嬉しいです~!──
──シャンジーさん、立派よ!──
フェイニーとヴァティーは喜びに溢れる思念を発した。それにシャルロット達も感心を顕わにしている。
「……よし、こうしよう。フェイニーとヴァティーは、シャンジーを両側から引っ張るんだ。前足でも掴むのが良いかな。より愛情が強い方が、シャンジーを得るだろう」
シノブが思い浮かべたのは、大岡政談の一つ『子争い』だ。母と主張する二人の女性に、子供の両腕を引っ張らせる話である。
『子争い』では子供が痛いと叫び、それを聞いて手を放した女性を母としている。しかしシノブは、どちらが先に放そうがフェイニーの勝ちとして収めるつもりであった。
先にフェイニーが放したら『子争い』の通りの結末とする。逆にフェイニーが後なら、彼女の愛が深かったからとすれば良い。
シャンジーはフェイニーを好きなのだから、彼の望む方向に持っていきたい。
それにヴァティーには年齢的に釣り合うヴェーグが似合いそうだ。ならばヴェーグを探し出して会わせた方が良いと、シノブは思った。
実は探すのも、さほど難しくはない。ヴェーグの魔力波動を彼の親達から教わって、シノブが全力で呼びかければ良いのだ。
──分かりました~! 絶対に勝ちますよ~!──
──お子ちゃまには負けないわよ~!──
フェイニーとヴァティーは気勢を上げる。
『子争い』ならぬ『虎争い』は、どちらが勝つのだろうか。予想した二つのどちらかになるのか、それとも全く違う結果が待っているのか。時ならぬ、しかも一風変わった勝負にシノブは笑みを漏らしつつ、甲板の上へと戻っていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年8月2日(水)17時の更新となります。