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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第23章 灼熱大地の人々
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23.23 悲恋の真実

 アーディヴァ王国には『ヴァシュカの舞』と呼ばれる有名な舞踏がある。それは運命に翻弄される女性ヴァシュカと、彼女を探し求める幼馴染みの男性ダクダを歌ったものだ。


 今から二百年ほど昔、アーディヴァ王国が誕生する二十年近く前。少女ヴァシュカと少年ダクダは、生まれ育った小さな村で仲良く暮らしていた。しかしヴァシュカは村を襲った戦士達に連れ去られ、二人は離れ離れとなる。

 ダクダはヴァシュカを追おうと村を飛び出すが、単独では捜索もままならない。村を襲撃した戦士の一団は名を明かさず、しかも彼らはゾウに乗って去っていったからだ。

 長い放浪の間にダクダは少年から若き戦士へと成長し、故郷を荒らした者達を探し当てる。しかし既にヴァシュカは、とある豪商へと売り払われていた。

 このころは小さな国が乱立しており、戦乱の世に近かった。そのため成り上がる者も多いが没落する者も珍しくなく、ヴァシュカの主も何度か代わったからダクダは足取りを(つか)むのにも苦労した。しかもダクダは戦士団を襲った件でお尋ね者とされたから、尚更である。

 ヴァシュカとダクダは擦れ違い、時に出会うが再び手を取ることは(かな)わず、そのまま世を去った。しかし哀れに思った冥神ニュテスが二人を引き合わせ、来世で結ばれ幸せを得る。そんな悲恋をつづった物語である。


 もちろん『ヴァシュカの舞』には多くの脚色が入っている。

 第一に死した後まで分かりはしないから、輪廻転生から先が想像であるのは明白だ。それにヴァシュカやダクダ、あるいは近しい者が残した記録も存在しない。

 しかし時代に翻弄された男女がいたのは、間違いない事実であった。そして今、二人は再会を果たし向かい合う。


「ダクダ、私がヴァシュカよ。ニュテス様が眷属にしてくださったの」


 闇の神ニュテスの(めい)を受けて姿を現した眷属は、それまで(まと)っていた光を消す。するとそこには、虎の獣人らしき小柄な少女が現れた。


 歳は人間であれば五歳から六歳といった辺りだろうか。今までシノブが見た眷属の中でも最年少に近い幼さだ。

 『ヴァシュカの舞』によれば、ヴァシュカは村から連れ去られたとき十歳ほどのようだ。彼女はダクダと同じ虎の獣人だったというから容姿は前世に似せたのかもしれないが、成長の度合いは眷属としての年数によるものなのだろう。


『ヴァシュカ……』


 アーディヴァ王国の初代国王ヴァクダの宿った鋼人(こうじん)が、一歩二歩と進み出る。

 隠し切れぬ感動が滲む声、そして夢見心地の足取り。おそらくヴァクダの目には眼前の少女しか映っていないだろう。


 しかしそれも無理はない。ヴァクダの前身は戦士ダクダ、つまりヴァシュカの幼馴染みなのだ。

 体は(はがね)の像だから表情すら変わらないが、もし生身であれば滂沱(ぼうだ)の涙が顔を覆ったことだろう。揺れる声音(こわね)は、それほど大きな激情を伴っている。


「やっと会えたわね……ダクダ」


 ヴァシュカも涙を(たた)えているようで、鋼人(こうじん)を見つめる瞳を(きら)めきが飾っている。

 愛らしい外見に似合わぬ落ち着きと、温かだが深みのある笑み。どちらも単なる少女とは思えないが、その一方で声にはヴァクダことダクダへの親しみが満ちている。

 先ほどシノブやアミィと言葉を交わしたときとは違う、前世でダクダと過ごした日々を思わせる姿と(いら)えであった。


──ヴァクダ、良かったな──


 光翔虎のドゥングが我慢しきれずといった様子で、微かな思念を漏らす。

 封印される前のドゥングはヴァクダの建国を陰から助け、同時にヴァシュカの捜索も支援した。それ(ゆえ)ドゥングは、特別大きな感慨を(いだ)いたのだろう。


 シノブも二百年近い時を越えての再会を祝福しているし、シャルロットやアミィも感動に瞳を濡らしている。それにドゥング以外の超越種、オルムルを始めとする一同も強い感銘を覚えたようで再会する二人を注視していた。

 しかしドゥングとシノブ達を同列に語ることは出来ないだろう。何しろ彼はヴァクダと長く過ごし、共に苦労したのだから。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 ヴァクダはヴァシュカに手が届くほどの距離まで近づいたが、暫く無言のままとなる。どうやら彼は、何を語るべきか迷ったようだ。


 シノブがドゥングから聞いた限りでは、ヴァシュカは若いうちに没したようだ。彼女が住んでいた町で大きな戦いがあり、それに巻き込まれたらしい。

 そのころヴァクダは王を名乗って幾らも経っておらず、ヴァシュカの住む町は彼の勢力圏外だった。当時のアーディヴァ王国の領土は現在の三分の一以下で、その町まで領土が広がったのは更に数年後である。

 そのためドゥングによれば、ヴァシュカの最期も大まかにしか判っていないという。


 ヴァクダにも聞きたいことはあっただろうが、前世を問うても(つら)い出来事を思い出させるだけだ。とはいえ神界の秘事に触れるのも躊躇(ためら)われる。おそらくヴァクダの内心では、様々な思いが交錯したに違いない。

 そのためだろう、ヴァクダが発したのは随分と抽象的な言葉であった。


『……幸せなのだな?』


「ええ。神々に仕え、この星を支える。とてもやりがいのある仕事よ。それに仲間も沢山いるの」


 短い問いを発したヴァクダに、ヴァシュカは大人びた笑みを浮かべて近づいた。そして彼女は長い時を越えて再会した幼馴染みの手を取った。


 ヴァクダが宿っているのは鋼人(こうじん)だから、少女が触れたのは硬く冷たい金属でしかない。しかし彼女は(いと)おしげな顔で、(はがね)の塊を両手に抱える。


「今の私はね、貴方が造った国の担当なの。このアーディヴァ王国の魂を見守るのが、私の仕事なのよ」


 どうやらヴァシュカは、幼馴染みの心の内を察したようだ。彼女はヴァクダが言葉としなかったことに触れる。


 没してから程なくして、ヴァシュカは眷属に生まれ変わった。彼女は眷属に相応しいだけの功を積んでいたのだ。

 ヴァシュカが住んでいた町は戦いに巻き込まれ、しかも多くの子供が取り残された。領主や豪商などは危機を察して脱したが、民は殆どが知らぬままで町は大混乱となった。

 このときヴァシュカは自身の命を捨ててまで多くの命を救ったと、『ヴァシュカの舞』にも歌われている。ただし混乱の中での話だから諸説あり、舞踏も最有力の説を元にしているが史実と異なる点も多いそうだ。


『俺の造った……』


 ヴァクダは低く曇った呟きを漏らす。おそらく彼は、初代大神官ヴィルーダに(だま)された自分を恥じているのだろう。


 アーディヴァ王国の初代大神官となった男ヴィルーダ、正確には当時ヴィルーダを名乗っていた魂は、高い魔力を持つ人間への憑依を繰り返していた。しかも彼は、ここイーディア地方に現れる以前から、憑依した相手の魂を吸収して生き長らえてきたようだ。

 ヴィルーダは元々魔力偏重気味だったイーディア地方の風習を悪用し、魔力量による厳密な階級社会を構築した。魔力の多い者が高位に就くように徹底すれば大神殿に居ながらにして次の憑依対象を発見できるし、適性の有無をじっくりと観察できるからだ。


 ヴァクダも光翔虎のドゥングにより別格の魔力量となっていたから、体制を変容させるのは容易だった。

 国一番の魔力の持ち主が王位に就いており、しかも王の力で急速に領土が広がっていく。これでは魔力重視に反対を唱えるのも難しかろう。

 しかし頂点に立つ自分がヴィルーダの野心を見抜いていればと、ヴァクダは思ったようだ。


 それに彼の後ろでは、ドゥングも項垂(うなだ)れている。彼もヴァクダと同様に、アーディヴァ王国の現状に強い責任を感じているのだろう。


「そうよ。ダクダの、そして私達の国よ」


 ヴァシュカは明るく澄んだ声音(こわね)で応じる。その様子からすると彼女は慰めではなく、本心からヴァクダの造った国を誇りに思っているらしい。


「確かに昔の私達のような悲劇は今でもあるわ。でも貴方は減らそうと努力したし、貴方が王様だったころは今より暮らしやすかったと聞いている……それに一つの大きな国になったから、戦いも減ったじゃない」


 眷属となって暫くの間、ヴァシュカは神界で先輩達から仕事を学んだという。そのため彼女は、ヴァクダが王だった時代を直接は知らないようだ。


「それに後の時代のことは、ダクダやドゥングさんだけの責任じゃないでしょ? どちらも当代の王に干渉できなかったみたいだし……」


 ヴァシュカは神王や神王虎についても、かなりのところまで知っているらしい。

 アーディヴァ王国の代々の王は没すると、大神官の術で次代の王を支える(いしずえ)とされた。この王達の魂の集合体と光翔虎のドゥングから削った力が神王の正体のようだ。


 神王虎とは封印される前のドゥングを示す言葉である。しかし大神官バドゥラが神王虎という呼び方に拘り、国王ジャルダに叱責めいた言葉すら発した。その辺りからすると、神王虎には単なる呼び名を超えた何かがありそうだ。

 たとえば言霊ことだまで神王の力を縛り付け、王達に暗示を掛けて術を維持する。そのような仕組みであろうか。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「聞いて良いかな?」


 今まで再会を邪魔しないように遠慮していたシノブだが、神王を生み出した初代大神官ヴィルーダに関しては確かなことを知りたかった。そこでシノブはヴァシュカ達へと寄っていく。


 複数の魂を集めて憑依させる。憑依した対象の魂を食い潰し、新たな体を得て寿命を延ばす。ヴィルーダは、よほど憑依の術に()けた存在なのだろう。それに鋼人(こうじん)が何か一目で見抜くなど、符術にも詳しいようだ。

 そして憑依や符術に関する知識を、彼はイーディア地方に来る前に得たらしい。


 魂を冒涜するような術、それも他者の魂や肉体を奪う術など放置できない。それ(ゆえ)シノブは更なる情報を入手したかったのだ。


「はい。ただしニュテス様がお許しくださる範囲ですが……」


 ヴァシュカは申し訳なさそうな表情となる。

 眷属達は地上への関与を厳しく制限されている。そのため聞かれるがままに答えるなど不可能であった。


「もちろんだよ。それじゃ一つ目……初代大神官ヴィルーダは他所の地方から来たそうだけど、東で間違いないのかな? イーディア地方と多少でも行き来できるのは、東だけらしいって聞いたけど」


「……はい、東のスワンナム地方からです! 地球だと東南アジアに当たる場所だそうです!」


 シノブが質問すると、ヴァシュカの魔力が一瞬だけ大きく動いた。どうやら彼女は自身が仕える相手、闇の神ニュテスに問い合わせたらしい。


「古代インドの人達は、東南アジアを『黄金の土地』……スワンナプームと呼んだそうです」


 アミィは自身が持つ知識、おそらくはシノブのスマホから受け継いだ情報を披露する。


 ちなみにヴァシュカは知らなかったらしく、アミィを尊敬の眼差しで見つめている。

 アーディヴァ王国の成立は百八十二年前、つまりヴァシュカの眷属としての年齢もそのくらいか少し若い筈だ。それに対しアミィの歳は倍以上らしいから、ヴァシュカからすると尊敬すべき大先輩なのだろう。

 ただしヴァシュカはアミィを姉と呼ばないから、タミィほど近しい関係ではないようだ。


「そういう名の空港があったね……じゃあ二つ目。ヴィルーダの出身地はスワンナム地方なの?」


 シノブは以前、複数の魂を吸収する術を見たことがあった。ヤマト王国の禁術使い中部(なかべ)多知麻呂(たちまろ)が作った式神、豪利(ごうり)である。


 スワンナム地方が東南アジアなら、日本に相当するヤマト王国とも近い。そしてヤマト王国では、大陸とも多少の交流があるようだ。

 ヤマト王国と大陸の間にも、イーディア地方とスワンナム地方の間と同様に魔獣の海域がある。そのため行き来は困難だが、往復した事例も幾つかあった。そしてシノブが筑紫(つくし)の島で見た魔苦異(まくい)大蛇(おろち)を操る術は、大陸で学んだものらしい。


 ヤマト王国から海を渡った者達がスワンナム地方で学んだのか。あるいは地球でいうところの中国でも符術や憑依術は盛んで、そことスワンナム地方が交流しているのか。

 こうなるとヤマト王国にも警告をする必要があるし、並行して調査した方が良いのかもしれない。シノブは、そう思ったのだ。


「……申し訳ありません、それはお答え出来ません。その……ニュテス様は、シノブ様ご自身に訪れていただきたいようです」


 再びヴァシュカは済まなげな顔となる。そして僅かな逡巡の後に、更なる一言を付け加えた。

 どうやら彼女は、自身の答えられる範囲で少しでも多くの情報を、と思ったようだ。


「気にしないで。確かに兄上の言う通り、自分で調べないといけないね。ありがとう」


 シノブは安心させようと、笑みを浮かべつつ礼を述べる。するとヴァシュカの顔から緊張が抜け、微笑みを返す。


 スワンナム地方には、確かめるべき何かがあるらしい。そしてシノブの勘でしかないが、スワンナム地方から先にも何かが広がっているような気がする。

 ヴィルーダとなった男がスワンナム地方の更に向こうから来たのか、あるいはそちらで何かを学んだのか。禁術使いの系譜は、今まで考えていたより広域に跨っていると思った方が良さそうだ。

 同じことを考えたのか、オルムル達の魔力が大きく動く。


──こんな恐ろしい術、見過ごすわけにはいきません!──


──そうです~! シノブの兄貴~、あんなのを使うヤツは許せません~!──


 憤慨も顕わな思念は岩竜オルムル、そして続いたのは光翔虎のシャンジーだ。

 オルムルは感応力でシノブの懸念も察したのだろう。そしてシャンジーは豪利(ごうり)を倒したときを思い出したのか、禁術への不快感を隠さない。


──オルムルお姉さまの言う通りです! ここが落ち着いたらスワンナム地方に向かいましょう!──


──私も行きます~! シャンジー兄さんと一緒に頑張ります~!──


──あの操る術も危険ですよ! 確かめに行きましょう!──


 炎竜シュメイも、光翔虎のフェイニー、嵐竜ラーカも同調する。

 シュメイはオルムルへの深い尊敬から、フェイニーは将来の(つがい)と定めたシャンジーと離れ難いから、そしてラーカは筑紫(つくし)の島での体験からと、それぞれ理由は違うらしい。しかし三頭ともスワンナム地方に行く気で満々のようだ。


──私も加えてください!──


──我らにも恩返しの機会を与えてほしい──


──ええ、お願いします──


 更にイーディア地方の光翔虎達、つまりドゥングや彼の両親ヴァーグとリャンフも協力を申し出る。

 ドゥングは自分やヴァクダを利用したヴィルーダに激しい嫌悪を(いだ)いているのだろう、思念からは強い決意が伝わってくる。それにヴァーグ達は、息子を救い出してもらった恩義があると主張する。


「……もちろん行くけど、シュメイが言うようにアーディヴァ王国が一段落してからだよ。まだ、この国の神官達を調べ終わってもいないし」


 シノブも(はや)る彼らの気持ちは理解できた。しかし、このまま先に進むわけにもいかない。


 仮に神王の影響が抜けた国王ジャルダが、善良な為政者になったとする。しかし彼だけで建国以来の制度を改革できるのか。

 代々の大神官は禁術使いが憑依してきた姿であった。これを発表するだけでも大騒動になるだろう。それに神官達に協力者がいるかもしれない。

 シノブとしてはアーディヴァ王国の人々の手で対処してほしいし、新生パルタゴーマの領主アシャタのような中核となる能力を持った人物も他にいるだろう。とはいえ多少は道筋を付けないと、国が割れて戦乱の時代に逆戻りしかねない。


「そうですね。アーディヴァ王国が収まっても、ヴィルーダが通った国々もあります」


 シノブへの手助けと思ったのか、シャルロットもイーディア地方に確かめるべき件があると口にした。

 ヴィルーダが選んだ経路にもよるが、スワンナム地方から普通にアーディヴァ王国に進んだ場合、三つ以上の国を経由している筈だ。その間に彼が同じような災いを(もたら)した可能性は確かにある。



 ◆ ◆ ◆ ◆



『ヴァシュカ、何故(なぜ)神々は民をお助けくださらないのか……』


 今まで黙っていたヴァクダが、唐突に声を発した。

 シノブ達は口を(つぐ)み、彼に顔を向ける。そうせずにはいられない、悲しみに満ちた深い声音(こわね)だったのだ。


『俺達は王だから、自分自身の責任だよ。俺達が愚かだからヴィルーダに(だま)され、魂を束縛されたんだ』


 ヴァクダは後ろへと振り向く。そこには現国王ジャルダが横たわり、更に向こうにはヴァクダからジャルダの間の七人が宿った鋼人(こうじん)が立ち尽くしている。

 (いま)だ全員が意識を失ったままだから、返答どころか身動きもなく痛々しい。そのためだろうか、愚王と自嘲するヴァクダの声が余計に強く響いていく。


『しかしヴィルーダのせいで、多くの人が苦しんだ。彼らには何の罪もないだろう?』


「それは違うわ。王であれ、民であれ、それぞれが自分の道を決めて生きるの。自身の明日を切り開き、子供達に未来を示し、出来る範囲で精一杯のことをしているのよ」


 向き直ったヴァクダに、ヴァシュカは首を振ってみせる。

 ヴァシュカの顔には、今までとは違う厳しさが浮かんでいた。人の何倍もの時を過ごした者が得る叡智、そして一つの生を全うして得た多くの教訓。アミィ達と同じ神々の眷属としての強さと、その源である深く広い愛。それらが小さな彼女を何倍にも大きく見せている。


「この星全体からすれば、人の差なんて小さなものよ。どんな強い人だろうが、どんな賢い人だろうが、ほんの少しの違いでしかない。それに王様だって何でも思いのままになるわけじゃないし、民だって努力次第で運命を変えられる。ダクダ、どちらも貴方自身が経験したことよ?」


『それは……』


 ヴァシュカの澄んだ笑みに、ヴァクダは圧倒されたらしい。鋼人(こうじん)は暫しの間、沈黙した。


 確かにヴァクダは王となっても苦しみを重ねたし、人外じみた相手とはいえ他者に翻弄された。しかし元は単なる村の少年ダクダであった彼が、生来の身分から抜け出し建国王ヴァクダとなったのも確かだ。

 王にしろ村人にしろ天地の大きさからすれば変わらないし、ましてや永遠に同じ身分でもない。人としての違いは、人としての最善を尽くせば乗り越えられる障壁でしかない。そう思い前を向いて進むのが、最も大切だという主張には一理ある。


『しかし、お前の苦しみには何の意味があったんだ? 親や村から引き離され、牛馬のように働かされ、望まぬ人生を歩まされる……お前は後の世に歌われるほど苦しんだじゃないか……』


 ヴァクダは再び幼馴染みに問い掛ける。

 哀切極まりない言葉は、血の通わない鋼人(こうじん)であるにも関わらず、それこそ血が滲むようですらあった。そして魂を絞り出すような声に、握り締めた(はがね)(こぶし)から(きし)む音が加わる。


「そうね……確かに酷い目にあったわ。貴方が私の話を嫌ったのも無理もない……でもね、お陰で私は強くなったの。そして最期に多くの子供達を助けることが出来た。それが私の生きた意味、存在した証よ」


 ヴァシュカの紡いだ言葉は、シノブの心を大きく動かした。

 全ての苦難は、戦乱から子供を救う瞬間のためだった。これを気負いなく言い切れる強さに、シノブは心の奥底からの尊敬を捧げたのだ。

 これだけの強さがあるから、ニュテスは彼女を眷属に加えた。決して悲劇を哀れんだだけではないと、シノブは胸に刻み直す。


 そして同時にシノブが(いだ)いていた疑問が、一つ氷解した。それは『ヴァシュカの舞』に関するものだ。

 光翔虎のドゥングによれば、彼が封印されるまで『ヴァシュカの舞』という舞踏は存在しなかったようだ。仮にあったとしても四半世紀も王の側に控えた彼が知らないなら、当時は無名に近い状態だと思われる。

 しかし今、『ヴァシュカの舞』はアーディヴァ王国どころか近隣の国々にも広く知られている。ドゥングが封印されてから百五十年以上経っているとはいえ、この変化には何かあるだろう。


 幼馴染みの(つら)い人生を思わせる話を、ヴァクダは憎んだ。そして彼はヴァシュカの物語や(るい)するものを葬ろうとした。しかし共にヴァシュカを探したドゥングを悲しませたくないから、彼の前では黙っていた。おそらく、このような経緯だろう。

 当時のドゥングは小さく変ずる腕輪など持っていないから、建物には入れない。そのためヴァクダが隠す気になれば、幾らでも対処の方法はある。


 これも教訓としてシノブは胸に仕舞う。自身も国王なのだから。

 ヴァクダの気持ちは痛いほど判る。仮にシャルロット達に悲劇が降りかかったら、自身も同じことを考えるだろう。しかし一歩間違えれば弾圧である。

 シノブは隣に立つシャルロットをそっと抱き寄せる。そしてシャルロットも夫の(いざな)いを待っていたかのように身を添わせる。きっと彼女もヴァシュカとダクダの運命に嘆き、自身だったらどうするかと思いを巡らせたに違いない。


『……お前には(かな)わないな。子供のときからそうだった。村一番の悪ガキの俺より強いのは、普段は大人しいお前……本当に強いのはお前なんだ。神々にお仕えしているのも、当然だよ』


 ヴァクダが宿っている鋼人(こうじん)に、表情を動かす機能はない。しかし彼の言葉や口調から、幼馴染みに対する心からの賞賛をシノブは感じ取った。


「貴方も強いわよ。言ったでしょ? 貴方が治めていたころは良い国だった。私の先輩達も褒めてくださったわ」


 少しおどけた表情と声で、ヴァシュカは幼馴染みを讃える。どうやら彼女は、しんみりとした雰囲気を嫌ったようだ。


 ヴァシュカはニュテスの代理として来たから、用事が済めば長居できない筈だ。そして残る時間が僅かなら、嘆くより笑顔で語らって明るく別れよう。おそらくヴァシュカは、そう思ったのだろう。

 魂だけとなったヴァクダだが、まだ役目はある。彼は現国王ジャルダが目覚めたら、真実を伝えるのだ。それに短い期間だろうが、ジャルダが善き王として歩むように導かねばならない。

 更なる再会を楽しみにするような少女の表情から、シノブは彼女の強さと優しさを受け取った。


『そうか……ヴァシュカ、また会おう。そんなに遠くはないだろうがな』


 ヴァクダの鋼人(こうじん)は、大きく頷くと数歩退(しりぞ)いた。どうやら彼も、幼馴染みを見送るときが迫ったと察したようだ。


「ええ! ……ダクダ、貴方の子供達だけど先に連れていくわ。どうも彼らは当分目覚めないようなの……やっぱり貴方は別格に強かったみたいね!」


 冗談めいた物言いをしたヴァシュカは、大きく微笑んだ。そして真顔に戻った彼女が右手を掲げると、ヴィルーダの魂を何処(いずこ)かに移したときのように白い光が生じる。

 光は七筋の帯となって伸びていき、遠方で静かに佇立する七体の鋼人(こうじん)へと向かう。そして(はがね)の像は、白銀のように(まぶ)しく(きら)めいた。


 シノブは七体の立像から魔力が抜けるのを感じた。ヴァクダの子の第二代からジャルダの父の第八代までの七人の王は、輪廻の輪に戻っていったのだ。


『ありがとう。これで我が子、我が子孫も新たな生へと旅立てる……だいぶ肩の荷が降りたぞ』


「そう言ってくれると嬉しいわ。……ダクダ、また会う日まで頑張ってね!」


 どこか満足げな声音(こわね)で言葉を紡いだ鋼人(こうじん)に、眷属の少女は走り寄る。そして彼女は幼馴染みが宿った像に飛び付いた。


『ヴァシュカ!?』


 ヴァクダが操る鋼人(こうじん)は、思わずといった様子でヴァシュカを胸に(いだ)く。とはいえ長身で立派な体格だけに、まるで父親が幼い娘を抱き上げているような光景だ。

 しかし二人は父娘ではなく、長い別離を乗り越えて巡り合った男女なのだと、シノブは理解する。


「ダクダ、愛しているわ! 愛しているの!」


『ああ! 俺もだ! お前を求めて長く流離(さすら)ったのだ!』


 ヴァシュカは冷たい金属の肌に口付けの雨を降らせる。表情すら動かせぬヴァクダは、代わりに熱い言葉で応じる。

 いつしかシノブの目には、抱き合う虎の獣人の男女が映っていた。眷属と鋼人(こうじん)ではなく、シノブやシャルロットと代わらぬ年頃の青年と乙女が愛を誓い合う姿である。


 暫しの後、シノブの幻視を光が塗り潰す。ついにヴァシュカは神界へと戻ったのだ。

 輝きが去った場に残るのは、宙を見上げる(はがね)の像だけだ。シノブ達も彼に倣って異空間の七色の空へと顔を向ける。

 そして超越種達の長い咆哮(ほうこう)が、遥か彼方へと響いていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2017年7月22日(土)17時の更新となります。


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