23.18 智慧の瞳
アーディヴァ王国の大神殿は、白く輝く壮麗な建物であった。高く聳え立つ壁、上が尖った半球状の屋根、周囲の尖塔。それらの全てが新雪のように美しい、白亜の大建築物である。
敷地は南北に長い長方形、北側が神殿で南側には緑の庭園だ。そして満々と水を湛えた水路が、庭を区切っている。
大神殿があるディヴァプーラと呼ばれる一帯は乾燥が目立つ土地だ。そのため白一色の大建築物は非常に目立つ。
周囲には途切れ途切れだが林も広がり、かなり大きな木もあるようだ。しかし大神殿や尖塔は、それらの大木より遥かに背が高い。
あまりに巨大で判然としないが、窓などの大きさからすると高さは大人の背の二十倍以上、つまり40mかそこらはありそうだ。
「これは……」
威容を誇る大神殿を、シノブは雲一つない青空から見下ろしていた。
場所は飛翔を続けるシャンジーの背の上で、隣にはシャルロット、後ろにはアミィとホリィ、ミリィの三人がいる。そして岩竜オルムル、炎竜シュメイ、光翔虎のフェイニー、嵐竜ラーカが周囲を飛んでいる。
「……まるでタージ・マハルのようだ」
大理石らしき壁面や、そこを飾る壁龕のような特徴的な窪みは、シノブの記憶にあるムガル帝国を代表する建築物と極めて良く似ていた。
「インドという場所の建物ですね?」
シャルロットは大神殿を見つめたまま応じる。
神々は地球に似せて世界を創り、生き物や文化も元となった地方を参考にした。そこでイーディア地方に相当する地について、シノブは簡単だがシャルロット達に伝えていた。
「ああ。霊廟だから厳密には神殿とは違うけど、付属施設にはモスク……礼拝堂もある。それにモスクは、こういった形式が多いよ」
脇を飛翔するオルムルに、シノブは視線を向けた。
このディヴァプーラの大神殿を、オルムルは夢で見たらしい。それ故シノブは、彼女がどういう反応を示すか気になったのだ。
──こんな感じだったと思います!──
どうやらオルムルは、シノブの心の動きに気が付いたようだ。
オルムルは別して鋭い精神感応力を持っており、自身に向けられた感情を容易に察する。そして目的地の至近に迫ったからだろう、彼女は普段より遥かに感覚を研ぎ澄ましているようだ。
──やっぱりここなんですね~!──
少し前までフェイニーはシャンジーの頭に乗っていたが、今はオルムル達と同じく自力で飛んでいる。どうも彼女は、これから会うイーディア地方の光翔虎ヴァーグを気にしたようだ。
ヴァーグはフェイニーの叔母リャンフの番だから、彼女にとっては義理の叔父である。しかも今回が初対面だから、フェイニーも子供っぽい行動を控えようと思ったのだろう。
超越種は一歳を過ぎると幼児扱いを脱する。そのため一歳と二ヶ月少々のフェイニーも、親世代の前では態度を改めるようだ。
それにフェイニーは、つい先ほどアルフールの贈り物らしき神秘の緑光を発した。もしかすると、それも多少は影響したのだろうか。
──オルムルお姉さま、おめでとうございます! ……何か来ます! ヴァーグさんでしょうか!?──
シュメイもフェイニーに続き歓喜を顕わにした。しかし彼女の思念は、途中で鋭いものへと変わる。
「ああ、メイニーに似た魔力が近づいてくる」
実はシノブも、光翔虎らしき存在の接近に気付いていた。しかし口にした通り、良く知る波動と似ていたから様子を見ていたのだ。
ヴァーグはガルゴン王国生まれの光翔虎メイニーの伯父でもあった。
他の超越種もそうだが光翔虎も数が極めて少なく、彼らは何れも血縁的に極めて近しい。ただし神々は超越種を特別な存在としたから、親族同士の結婚でも遺伝的な欠陥は生じないようだ。
何しろ種族ごとだと、個体数は十前後から二十少々だ。こうでもしないと種の維持は不可能だろう。
──僕には分かりませんけど……それもシノブさんの加護ですか?──
ラーカは羨ましそうな思念を発した。彼は最年長だが、まだ神秘の力に目覚めていないからだ。
特別な力の会得はオルムル、シュメイ、フェイニーと続いた。どうも一歳を超え、更に長くシノブと接しているのが条件らしい。
一歳以上だとリタンもいるが、シノブと知り合った時期はフェイニーより遅く、ラーカは更に後である。そのため彼は自身が新たな力を得るのは、まだ先だと思ったようだ。
「シュメイは魔力感知ですか~?」
「そういう系統もありそうですね」
ミリィとホリィの声には、強い興味が滲んでいた。今までシュメイは真紅の光を発するだけで、授かった力が何か不明なままだったからだ。
炎竜の長老は、シュメイに力を授けたのは知恵の神サジェールだと告げた。サジェールは知識や学問の神だから、確かに魔力や魔術関連でも不思議ではない。
「シュメイ、どうでしょう?」
──よく分かりません……でも、あちらから来ると感じました──
アミィが訊ねると、シュメイは真紅の輝きを発しながら思念を返した。どうやらシュメイは力を強めてみたようだ。
しかしシュメイの能力についての詮索は、一旦中断となる。
──『光の盟主』よ! 我がヴァーグ、ドゥングの父だ! この度の助力、申し訳ない!──
六百数十歳という年齢に相応しく、ヴァーグの思念は厳めしさに満ちていた。しかし同時に、隠し切れない焦燥をシノブは感じ取っていた。
ヴァーグが焦るのも無理はない。ドゥングは既に二百年近く行方不明で、しかも何者かに捕まった可能性があるからだ。
既に光翔虎達は、ここアーディヴァ王国だけではなく、イーディア地方全体を捜索している。最有力候補であるディヴァプーラを見張っているのはヴァーグだけだが、他も各地を巡り探しているのだ。
ヴァーグの番と娘。イーディア地方に棲む別の一組、つまりシャンジーの伯父と彼の家族達。そしてエウレア地方から来た者達。十頭を超える光翔虎が、この地に集っていた。
ドゥングは神王と呼ばれる存在に捕まった可能性がある。あるいは自発的にアーディヴァ王国に手を貸し、人間に悪しき影響を及ぼしているかもしれない。
それらの不吉な予想を押し隠しているのだろう、ヴァーグの思念は強くも大きくもないが、シノブの心を激しく揺さぶった。
◆ ◆ ◆ ◆
ヴァーグが近くに来るまで気が付かなかったように、光翔虎の成体ともなると極めて高度な姿消しを会得している。
戦っている最中なら飛翔や攻撃で多少の魔力は漏れるが、じっと潜んでいるだけなら発見は難しい。実際ヴァーグは未明から捜索に加わったが、未だ息子を発見していない。
もっとも、これはヴァーグが慎重に行動したからでもある。
大神殿や少し南の王都アグーヴァナには、神王がいるかもしれない。これをヴァーグは聞いていたから、シノブ達が来るまで遥か上空からの調査に留めたのだ。
それに大きさの問題もある。尾を除いても体長20mにもなる巨体では、巨大な神殿ですら入るのは困難だ。
しかし今、ヴァーグはシノブ達と共に大神殿へと潜入していた。
──これは便利だな──
──そうですよね! アムテリア様、ありがとうございます!──
嬉しげなヴァーグに、姪であるフェイニーが応じる。
アムテリアはヴァーグの分を含め、小さくなる腕輪や神々の御紋を授けてくれた。そこで彼は早速装着し神殿内の探索に加わったのだ。
大神殿の中には、天井まで高さ15mほどの空間が広がっていた。大雑把に言えば三層構造で、土台である基部が高さ10m近く、続いてシノブ達がいる本体とでもいうべき空間、その上にある丸いドーム状の部分が20mほどだ。
中央の大聖堂ならヴァーグも元のままで問題ないが、入り口の近くは天井が低く更に二層に分かれているから潜り抜けるのは無理である。
しかし今、シャンジー、フェイニー、ヴァーグは普通の虎ほどの大きさで天井近くに潜んでいる。
シャンジーの上にはシノブとアミィ、フェイニーにミリィ、そしてヴァーグにシャルロットとホリィが乗り、周囲には大人ほどの大きさに変じたオルムル、シュメイ、ラーカが浮遊している。ただし何れも姿を消しているから、神官達は気付いていない。
──中はイーディア地方の他の神殿と変わりませんね──
──大理石の白い壁に細かな模様、差し込む光で綺麗ですね~──
ホリィはイーディア地方に来てから既に十日少々だから、この中で一番詳しい。一方のミリィは合流したばかりだから、好奇心も顕わに周囲を見回している。
ちなみに二人は元の姿に戻れば自力で飛翔できるが、今回はシノブ達と同じく神具を携えているから狐の獣人を選択していた。
それはともかくミリィが触れたように、壁面や天井は外よりも遥かに細かな装飾で彩られていた。唐草模様のように意匠化された草花で枠が描かれ、その中を写実的な花が飾っている。それらは赤や緑、黄に青と華麗な色使いだから、間近で見ると少し派手に感じるくらいだ。
もっとも比率としては白い背景が遥かに多いから、遠方に目を転ずると神殿らしい清らかな佇まいである。
──何かいるようだが、感知できないな──
──床の下が分かりません──
──ドゥングの気配に似ているような……ともかく怪しいのは間違いない──
シノブは桁違いの距離や精度を誇る魔力感知能力。オルムルは精神感応力を併用。肉親でドゥングを直接知るヴァーグ。それぞれ強みを活かして一心に探るが、結果は芳しくない。
どうも神殿の基部には魔力を隠蔽する何かが存在するようだ。シノブもオルムルと同じく、床の下に結界らしきものがあると感じていた。
ただし結界はシノブの空間把握能力でも見通せない。何らかの術で空間を独立させているのか、あるいは認識力を惑わす力でも働いているのか、床下から少し先が感知できないのだ。
仮に術で隠しているとしたら、かつて眷属達が造った神具の安置所のようなものかもしれない。だとしたら同等かそれ以上の存在か、よほど隠蔽に長けた特別な者が関与しているのだろう。
ちなみに基部以外に不自然なものはなかった。
眼前の七体の神像は写実に優れた見事な造形だが、単なる彩色した大理石の像である。岩竜の能力でオルムルが石の中も探り、シノブも短距離転移に付随する空間把握能力で調べたが、不審なところはない。
聖堂や上のドームも通常の建築物で、像も含め自然の石と同程度の魔力だ。
建物の中を行き来する神官達にも不自然な点はない。白い衣を纏った彼らは魔力こそ常人より多いが、せいぜい優れた魔術師といった程度だ。もちろん特別な魔道具を所持しているようなこともない。
大神官は王都にでも出かけているのか、それらしい者も見当たらない。眼下の神官達は祈りを捧げたり聖堂の掃除をしたりと、日常そのものといった様子である。
パルタゴーマの新領主アシャタによれば、大神殿を用いるのは国や王家の儀式のみだそうだ。階級に厳格なアーディヴァ王国だけあって、普通の者には参拝すら許されていないという。
──シュメイはどうかな? さっきみたいに何か感じない?──
シノブはシュメイならば自分達とは違う方法で真実に辿り着くのでは、と期待した。
どうやらオルムルが夢で見た場所なのは確実なようだ。彼女は庭園から中に入るときも、そして聖堂に入って神像や手前の聖壇を見たときも、埋もれていた記憶との一致を宣言した。
しかも結界があるのだから、何かを隠しているのは間違いないだろう。
──そうですね! 賢さで全てを見通す者、賢竜の力です!──
──シュメイ、お願いします~!──
オルムルはサジェールから贈られたという言葉と異名を挙げ、フェイニーも大きな期待を滲ませつつシュメイへと寄った。
それにシャンジーやヴァーグも薄桃色の炎竜の子へと向き直る。負担を掛けてはと思ったのか口には出さないが、双方とも瞳はフェイニーに劣らぬほど輝いている。
──シュメイ、光は幻影で誤魔化しますから!──
アミィが思念を送ると、シャンジーは前へと進む。どうやら彼は近い方が幻影の術を使いやすいと思ったようだ。
──はい! ……サジェール様、どうか私に広大無辺の智慧をお授けください!──
精神を研ぎ澄ませるためだろうか、シュメイは神への願いを思念に乗せた。そして彼女は炎のように眩い光を放ち始める。
真紅の光に包まれたシュメイは、成竜が夕日で煌めいているようでもあった。
幼竜は体色が白に近く、炎竜の子は彼女のように薄い桃色だ。しかし成体になるころには真紅へと変わるのだ。
ましてや今のシュメイは神秘の光輪に包まれているから、まるで天からの使いのように神々しく映る。
サジェールが何らかの支援をしたのか、あるいは純粋無垢なシュメイの心が隠された力を引き出したのか。彼女は直視できないほどの光輝を発した。そして次の瞬間、彼女はシノブへと向き直る。
──シノブさん、分かりました!──
思念と共に、とあるイメージがシノブの心に流れ込んでくる。
それは地下を含む大神殿の立体図だ。シュメイはサジェールから授かった力で、謎の結界の先を見通したのだ。
どうも床面から10mほど先に、この聖堂と同じくらいの空間が広がっているようだ。形や天井の高さなども殆ど変わらないから、ここと同じ部屋が地下にもあると言うべきか。
とはいえ地下の空間に神像は存在しないから、神殿ではないらしい。その代わりに部屋一杯を塞ぐほどの巨大な直方体の箱がある。
地面の下ということもあり、シノブは棺を思い浮かべてしまう。
まさか、あの中にドゥングがいるのか。だとしたら、既に彼は没しているのだろうか。胸中に生じた疑惑で、シノブは微かに身震いをする。
そのようなことを父親であるヴァーグに伝えたくはない。幾らヴァーグが常人の十倍近く生きているとはいえ、あまりに酷い仕打ちだろう。
超越種の寿命は千年ほどもあり、しかも彼らは生まれたときから思念を交わし、僅かな間に人間の大人並みの賢さを備える。しかし彼らは高い知性と同時に深い愛情も持っており、伴侶を思いやり子の成長を喜ぶ姿は人と全く変わらない。
しかし、ここまで来て確かめないわけにはいかないだろう。シノブは光を収めたシュメイから、自身の妻を乗せた輝く虎へと顔を動かす。
──『光の盟主』よ……気遣いは無用だ。我らに真実を……たとえどのようなものであろうが、覚悟は出来ている──
ヴァーグの思念は穏やかですらあった。彼はシュメイのイメージを受け取ってはいないようだが、シノブの様子から尋常ならざる場所だと理解したのだろう。
そして自分にとって望ましくない何かが待っている可能性も、ヴァーグは充分に理解しているようだ。
──分かった。……シュメイ、お出で。疲れただろ?──
頷き返したシノブは、シュメイへと手を差し伸べる。
オルムルも精神感応力を振り絞った直後は大きく魔力を減じたし、実際にシュメイも普段より明らかに魔力が減っている。そこでシノブは魔力を与えようと思ったのだ。
──ありがとうございます!──
やはり相当に疲れているらしく、シュメイは真っ直ぐシノブの腕の中に飛び込んできた。そして幼児ほどの大きさになった彼女は、シノブの胸の中で丸くなる。
どうやらシュメイは、急激な魔力消耗で眠くなったらしい。オルムルも初めのうちはこういう風に眠ってしまうことが多かったから、かなりの力を使ったのは間違いないようだ。
──こっちこそ、とても助かったよ──
──ええ。シュメイ、よくやりましたね──
──流石、私の妹です!──
──私達の、ですよ~!──
シノブとシャルロットに続き、オルムルとフェイニーも賞賛を贈る。そしてアミィやシャンジー達も続いていく。
──素晴らしいな──
そんな中、ヴァーグは静かにシュメイを見つめていた。
異なる種族が家族として接する様子に感銘を受けたのか。あるいはシノブに抱かれる子竜の姿に、自身の息子ドゥングの幼い日を想起したのか。
しかし短い思念から、彼の胸底を量ることは難しい。
──行きましょう──
遥か年長の光翔虎に、シノブが掛ける言葉は一つしかなかった。シノブは短距離転移を発動すべく彼を、そして皆を呼んだのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
幸運というべきか、結界は感知を妨げるだけで転移自体は可能であった。正しい位置を掴んだら結界の中を把握できたところからすると、認識力を惑わす術が仕掛けられていたのかもしれない。
シノブは空間把握能力で地下空間を探ったが、生き物の魔力は確認できなかった。中央の箱からは魔力を感じるが、それも何かの結界があるのか中がどうなっているか定かではない。
ともかく箱を除けば誰もいないのは確かである。そこでシノブは短距離転移を実施する。
地下空間に灯りは存在しなかったから、シノブは魔術で照らす。
シノブの眼前には、シュメイが示したイメージ通りに巨大な箱があった。どうやら建物と同じで、大理石で出来ているようだ。
「まさか……」
やはりシャルロットも棺を連想したようだ。彼女は思わずといった様子で声を漏らす。
部屋の端から端まで届くような石の箱は、長辺が20m少々、幅は半分以下、高さは更に幾らか低い。箱から少し離れた場所に浮かぶシノブ達からは長い側面と上面しか見えないが、どちらも巨大な一枚岩なのか継ぎ目は見当たらない。
そして上面と側面の双方とも、上の部屋と似た紋様で飾られている。ただし、こちらは黒一色だから何となく重苦しい印象である。
この形、この飾り、この場所。これで他のものを思い浮かべる者は稀だろう。
とはいえ超越種であれば、閉鎖空間でも生存している可能性はある。
室内には空気穴があるようで呼吸に問題はないし、ここは普通より魔力に恵まれた場所らしい。したがって魔力だけで生きる超越種なら、冬眠のような状態で生き延びているかもしれない。
──『光の盟主』よ……中を検めて良いだろうか?──
予想をしていたらしきヴァーグだが、実際に目にすると不安が募るに違いない。彼の思念は最前に比べても重さを増していた。
おそらくヴァーグは、他のものなど目に入っていないのだろう。ほんの僅かだが、彼は引き寄せられるように前へと進む。
──待ってくれ。どうも何らかの術が施されているらしい──
シノブが留めると、ヴァーグは振り向く。
思わず身を乗り出してしまったヴァーグだが、我を忘れてはいなかったようだ。彼は動きを止めたまま続きを待つ。
──まずは思念で呼びかけてみましょう!──
──それが良いと思います~──
──至近ですし、ここなら気付く人はいません──
アミィの提案に、ミリィとホリィが賛同する。
思念として発した内容を理解できるのは、届けたいと念じた相手だけだ。しかし大きな魔力が動けば、優れた魔術師は何らかの術が発動したと察する。
多くの神官は魔術師だから、シノブ達も上では僅かな魔力を使うのみにした。もちろん無分別にドゥングを呼ぶようなこともない。
しかし、ここなら一桁上の魔力を使っても地上の者は察知できないだろう。
──分かった。……ドゥングよ、聞こえるか? 父が……ヴァーグが来たぞ──
ヴァーグは抑え気味の呼び掛けを始めた。
あまり大きな思念を送ると、地上に届くと思ったのだろうか。彼は静かな語りかけを繰り返す。
──ヴァーグさん、反応がありました! 続けてください!──
──そ、そうか! ……ドゥングよ、返事をしてくれ! 頼む、一言で良いから!──
オルムルは喜びを顕わにし、ヴァーグへと寄っていく。ヴァーグもオルムルが稀なる感応力の持ち主だと知っているから、子竜の勧め通りに息子を呼ぶ。
大きな期待と同じくらいの不安。そして溢れんばかりの父の愛。掛ける言葉がないのだろう、誰もが口を噤み、静寂が場を満たす。
シノブも静かに見守るしかなかった。眠りに就いたままのシュメイを抱きしめ、奇跡を願う。
──父さん──
微かな思念が石の箱の中から届いた。それは大神殿に入る前、ヴァーグから教わった魔力波動だ。
やはり石の箱の中には、ドゥングがいるらしい。
──ああ、ヴァーグだ! そこにいるんだな、今助けるぞ!──
──駄目だ……ここから……出たら──
歓喜を爆発させるヴァーグの思念は、途切れ途切れの返答で阻まれる。
ドゥングらしき存在は半覚醒状態なのか、語る内容は非常に曖昧であった。最初の返事と同じように不明瞭な言葉が続くだけで、それも飛び飛びだったり先に話したことに戻ったりである。
それでもヴァーグが根気強く訊ねた結果、ある程度の事情が判明した。
ドゥングが神王虎であるのは間違いないようだ。そして彼が、後にアーディヴァ王国の初代国王となる戦士ヴァクダの命を救ったことも。
神殿に潜入する前にヴァーグが教えてくれたが、ドゥングが独立した時期は大よそ二百年前だという。そして最初の十年くらいは、時々だがドゥングは親元を訪れたそうだ。
一方パルタゴーマの領主一族に伝わる秘録は、後の建国王ヴァクダが世に現れた年を百八十七年前としている。つまりドゥングとヴァクダの邂逅は、そこから最長で三年前なのだろう。
ドゥングと出会ったとき、ヴァクダは相当な重傷で通常の治癒術では間に合わないほどだったらしい。
何とか救おうとドゥングは自身の血を与えたが、超越種の血にヴァクダは耐え切れず異変が起きた。おそらくだが、異形への変化が始まったのだろう。そこでドゥングは、ヴァクダの異常を自身の力で押さえようとした。
それは今でも続いており、ヴァクダの一族の血を押さえ込むためドゥングは封じられているという。どうも代々の国王は、彼の力で人としての姿と正気を保っているらしい。
つまりドゥングは、自身の過ちを償うべく虜囚を受け入れていたわけだ。
しかし一つの疑念がシノブの胸の内に生じる。それはドゥングが騙されているのでは、というものだ。
「封印術を施したのは初代の大神官か……」
「今でもドゥングさんの力を送っているのは間違いないようです。でも『神力の寝台』のように空間を越えてではなく、物理的に繋がった場所だと思います」
巨大な石の箱を見上げるシノブに、アミィが静かに応じた。
既にシノブ達は地下空間の床に降りている。アミィとホリィ、ミリィの三人が石の箱を外から調べるのを、シノブ達は見守っているのだ。
「つまり魔力を大神殿のどこかに送るわけですか。アシャタ殿によれば、国王は月に何度か神殿を訪れるとか……。ですが……」
シャルロットは眉を顰めている。当然ではあるが、彼女は相当な嫌悪を感じているようだ。
「アミィ、魔力だけでしょうか?」
「もしかして~」
ホリィとミリィは、何かを憚るように声を潜めていた。その様子に、シノブは不吉な予感を抱いてしまう。
「……ええ。シノブ様、この魔道装置には分霊の術が混じっています。魔力の他にも、今でもドゥングさんの魂の一部を吸い取っているのです」
アミィの返答は、強い怒りに満ちていた。
やはりシノブの想像は当たっていた。単なる魔力補充だけでは、異形への変化を抑えられない。そのためシノブは、魔力以外の何かがあると感じていたのだ。
おそらくシャルロット達も、薄々予想をしていたのだろう。一同は今まで以上の不快感を示すものの、驚きの声は上がらない。
「国王だけに伝わるのは、神王の力か?」
「そうだと思います。代々の国王は異形に変じていませんから、子供達も生まれたときは普通の人間なのでしょう。そして神王の力を受け継いだとき、異形化の抑制が必要になるのだと思います」
シノブの問いに、アミィはコクリと頷き返した。
国王の子孫は直系以外にもいるから、単なる遺伝だけだと他にも異変が生じる者が続出する筈だ。たとえばアシャタやパグダのパルタゴーマ領主一族にも、王家から降嫁した女性は複数存在する。
しかし抑制措置を受けているのは代々の国王だけ、他にいたとしても王家だけだと思われる。つまり神王が超越種の力も受け渡している可能性は高い。
──ドゥング、俺達ならアーディヴァ王家の人々を元に戻せる! だから君もここから離れよう!──
──そんなことが──
シノブの宣言に、ドゥングは激しい驚きを示した。
最初のうち、ドゥングは解放を拒んだ。どうも彼にはアーディヴァ王家への負い目があるようだ。
もしかするとヴァクダが死にかけた件には、ドゥングも関係していたのだろうか。しかし彼の断片的な語りに含まれていなかったから、シノブに真実を知る術はない。
もっとも、それは救出してから聞けば良いことだ。そこでシノブは自身がアムテリアの一族で、治癒の杖という異形から元に戻す神具も持っていると伝える。
国王は月に何度か来るというが、それならドゥングの力を毎日補充しなくても良いわけだ。したがってドゥングが神殿から解放されて数日以内であれば、異形に変ずることなく正常に戻せるだろう。
それを聞いたドゥングは解放を望んだ。彼も国王達の悪影響を完全に抑えきれていないと気付いていたからだ。
国王達が魔力量による階級に異様に拘ったのは、大神殿で会うだけのドゥングもある程度は察していたらしい。とはいえ力の譲渡を中断したら、彼らは更に凶暴化する。
そのためドゥングは次善の道を選んだらしい。
「それではヴァーグさん、シャンジーさん、蓋を吊り上げてください」
アミィは治癒の杖を手にすると、二頭の光翔虎へと顔を向けた。既にヴァーグとシャンジーは、巨大な石の箱の上で待機している。
そしてアミィを乗せたオルムルが、静々と前に進んでいく。
「神王虎は消え、光翔虎が戻る……か。でも、これから大変だろうね」
「ええ……ヴァーグ殿や他の方々も叱責するでしょうし、何らかの贖罪をすべきとなるかもしれません。ですが、まずは喜びましょう」
シノブとシャルロットは寄り添いつつ微笑みを交わす。
もちろんヴァーグも息子との再会を喜ぶだろうが、落ち着けば詳しい事情を訊ねるだろうし、内容次第では叱りもするだろう。そうなるとドゥングの試練は、これから始まるのかもしれない。
もっとも、それは先の話だ。今のヴァーグは息子と会う瞬間を心待ちにしている。
──持ち上げるぞ!──
──はい~!──
巨大な大理石の板だが、ヴァーグとシャンジーの上昇に合わせて難なく浮く。そして二頭の光翔虎は、予定通り蓋をしていた石を天井近くへと運んだ。
「大神アムテリア様の僕が願い奉る! この者を長き束縛から解き放ち給え!」
祝詞を唱えたアミィは、治癒の杖を高々と翳した。すると七色に煌めく宝玉から虹のような光が生じ、地下空間を満たしていく。
そしてヴァーグ達の歓喜の咆哮が響く中、輝く巨大な虎が遠慮がちに姿を現した。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年7月5日(水)17時の更新となります。