23.17 相談と捜索
パグダは隠居し、異母兄のアシャタにパルタゴーマの領主の座を譲った。そのためパルタゴーマの戦士達も、誰一人として新たな主に逆らわない。
シャンジーが神王虎だと宣言したためだろう、パグダの配下達は完全に戦意を挫かれていた。アーディヴァ王国の秘伝説では、神王虎が建国王を陰から支えたとしているからだ。
神王虎は殆ど人前に現れず、町や村の者は存在すら知らない。しかし中級以上の戦士だと、名前や多少の逸話くらいは教わっているようだ。
そのため神王虎の怒りに触れないよう、パルタゴーマの戦士達は息を潜めていたらしい。とはいえ身分に極めて厳格なアーディヴァ王国では領主への反抗は大罪中の大罪で、自身どころか家族も罰せられる。
もしパグダが自主的に隠居しなかったら、領内を二つに割っての戦いとなっただろう。
しかしシャルロットの舞で、パグダは目を覚まし改心した。それ故アシャタは無血のままパルタゴーマの新領主となる。
それらを見届けたシノブ達は、一旦アマノシュタットへと戻る。
既にパルタゴーマは夜遅く、翌朝までに事態が動くとは思えない。パルタゴーマからアーディヴァ王国の王都アグーヴァナまで急いでも半日は掛かるからだ。
仮にパルタゴーマに密偵が潜んでいて、シャンジーが城門の上に姿を現した時点で動いたとする。それでも王都に着くのは翌朝、即刻軍を出したとして更に一日以上は必要だ。
そこでシノブ達はホリィとマリィにシャンジー、そして応援に駆けつけた親世代の光翔虎達を残し、自国に戻る。
パルタゴーマでは深夜だから、およそ四時間の時差があるアマノシュタットでも日が落ちている。それに通信筒で状況を伝えているとはいえ、これだけの大事件だから直接説明すべきだろう。
そう思ったシノブは『小宮殿』にベランジェとシメオン、マティアスの三人を呼ぶ。
「急にお呼びして申し訳ありません」
「これで呼ばれない方が怒るよ!」
シノブの謝罪に、ベランジェは鷹揚な笑みと共に応じた。
ここは来客用の広間の一つ、『白日の間』だ。集ったのは呼ばれた三人に加えてミュリエルとセレスティーヌ、そして僅かだが主だった側仕えである。
ちなみに共に帰還した超越種の子供達、岩竜オルムル、炎竜シュメイ、光翔虎のフェイニー、嵐竜ラーカはいない。年少の子達がイーディア地方での出来事を知りたがったから、オルムル達は彼らのところに行ったのだ。
「貴重な御馳走もありますし」
「悶絶するほど辛いそうですが……」
こちらはシメオンとマティアスである。ちょうど夕食時だから、食事をしつつの説明としたのだ。
それぞれの前には見慣れた料理の他に、アマノ王国では初めての品も置かれている。それはオレンジ色のカレーのルーと平たいパンのようなものだ。気を利かせたアシャタが土産に持たせてくれた品である。
もっともマティアスが心配するほど、パルタゴーマ土産のカレーは辛くない。ホリィとマリィの忠告に従い、大量の牛乳とハチミツを混ぜて甘くしているからだ。
「シノブ様、オルムルさんが夢で見たのはアーディヴァ王国で決まりですのね?」
「王都アグーヴァナの大神殿だったのですね!?」
セレスティーヌとミュリエルは、早く詳細を知りたいようだ。二人は瞳を輝かせつつ返答を待っている。
「ああ、間違いないと思う。アグーヴァナの近郊……ディヴァプーラという場所だよ」
まだシノブはディヴァプーラの大神殿を見ていない。しかしアシャタやパグダの話を聞いたオルムルは、自分が夢で見た場所に違いないと口にした。
アシャタ達はディヴァプーラや大神殿の様子を細かく語り、更にパグダは自身が目にした現国王ジャルダの即位の様子にも触れた。それらにオルムルは強い既視感を覚えたという。
オルムルは夢で見た人物や儀式を殆ど忘れていたが、心の奥底には見聞きしたものが残っているらしい。
「国王ジャルダの風貌、それに儀式のやり取り……どちらも大きく心を動かされたようです」
「パグダさんが出席していたのは幸運でした!」
シャルロットとアミィがシノブの言葉を補う。
ジャルダは六年半ほど前に即位した。このときアシャタは留守を預かりパルタゴーマに残ったが、パグダは父の供として王都アグーヴァナに赴き儀式にも出席していた。
パグダは芸事が好きなだけあって見る目も確かで、中々の演技力で儀式の様子を再現した。そのためシノブ達は、司式をする大神官や応じるジャルダをかなり詳細に思い浮かべることが出来たのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「しかし『天地にも並ぶ偉大なる神王』ですか……それに慈悲を『世界の果てまで届かせたまえ』とは。言葉を飾るにしても、限度があると思いますが」
「全くです! アーディヴァ王国も大神アムテリア様を始めとする神々を祀っていると伺いましたが……」
シメオンとマティアスは、不快そうな様子を隠さなかった。二人はアーディヴァ王国では神々の教えが守られていないと感じたようである。
もっとも、これは二人だけではない。ミュリエルやセレスティーヌ、それに陪食している者達も同様に眉を顰めている。
ここエウレア地方の人々、特に王族や貴族は強い信仰心を持っている。これは大よそ六百年前から五百年前にかけて神々の眷属が地上に滞在し、建国やその後の国造りを助けたからである。
一方イーディア地方を含む他の地域では神々や眷属が現れたのは創世期のみ、つまり九百年ほど前までのようだ。それに殆どの場所では、当時から続く国など存在しない。
シノブが知る限り、創世期の直後から続いている国はヤマト王国だけである。次いで古いのはアスレア地方のエルフの国アゼルフ共和国だが、こちらの建国は創世から二百年近く過ぎたころらしい。
エウレア地方やヤマト王国だと、神殿どころか国家制度にも眷属が定めたものは多いようだ。それに他より神託も頻繁だったらしい。
エウレア地方は異神が後押しするベーリンゲン帝国への対抗、ヤマト王国は日本を故郷とする神々の思い入れと、関わった理由は全く異なる。それに片や洋風、片や和風と文化も大きく違う。
しかし歴史的な経緯からだろう、神々に対する姿勢はどこか似通っていた。
それに対し他の地方は、それほど厳格に教えを守っていないらしい。ただし今までアマノ同盟が交流を持った国では、『天地にも並ぶ』など神々に比するような存在を伝えてはいなかった。
敢えて言えばバアル神を信仰したベーリンゲン帝国だが、それは他の世界から渡ってきた異神がいてのことだ。
「シノブ君、邪神の残党ってことはないだろうね?」
ベランジェは滅多に見せない真顔となっていた。
それにシメオン達も異神や類似の何かが潜んでいると思ったようだ。彼らも今まで以上に表情を引き締めている。
「……バアル神や彼の従属神ではありません。バアルに連なる神は全て消滅したと伺いました」
ここには極めて近しい者しかいない。そこでシノブは、アムテリアから教わったと暗に示す。
海神ヤムを倒した後、シノブは神域で神々と語り合った。そのときアムテリアは、更なる上位神から伝えられたことにも触れた。
世界を司るほどの上位神ともなれば、惑星やその一部を預かる神の思いなど存在の残滓からでも全て見通せるそうだ。そのため上位神はバアル神達の心を読み、あれが全てだったと掴んだという。
もっとも全く別口で侵入した神の可能性はある。
別の時期、別の経路から何かが迷い込むことはあるだろう。地球からではなく同じ世界の他の太陽系から流れてくるかもしれないから、油断は禁物である。
一方のベランジェ達だが、一旦は顔を明るくしたものの再び表情を曇らせる。
バアル神達を倒したシノブに、彼らは常々強い信頼を表明している。とはいえ相手が神なら、常に勝利できるとは限らない。
シノブは神ではないし、神にも上位神のように格や力量の上下は存在する。そうであれば新たな何かがシノブを超えたとしても、全く不思議ではないだろう。
「ただし、私は異神ではないと思っています。仮に異神だとしたら、他の神々を祀った神殿に潜むでしょうか? そんなこと、私なら我慢できませんよ」
シノブは敢えて冗談めかした口調で続けると、集った者達から憂いが晴れた。
仮にアーディヴァ王国に未知の神がいるとして、密かな借家住まいなど耐え難い屈辱に違いない。もし同格か上だと思っているなら尚更である。
「そうすると、神王とは祖霊か超越種なのでしょうか?」
「その可能性はあると思う」
問うたマティアスに、シノブは静かに頷き返す。
祖霊とは、輪廻から抜け出し神への道を歩み始めた魂だ。シノブが知る例だと、メリエンヌ王国の建国王エクトル一世や続くアルフォンス一世、そしてヤマト王国の伝説のドワーフ将弩である。
エクトル一世の御霊はメリエンヌ王国の聖地サン・ラシェーヌの大聖堂に宿っているそうだ。そしてアルフォンス一世が父のところに移ったのは、シノブも直接目にした。
同じようにマサドの魂は、ヤマト王国の聖地カミタを宿としていた。したがって神殿を住まいとする祖霊がいるのは、シノブ達にとって既知の事実であった。
一方、超越種が神殿に棲んだという事例をシノブは聞いたことがない。しかしオルムル達が人と共に暮らしているのだから、全く不可能でもないだろう。
「……邪神の使徒となった者の魂か、魔人のように造りかえられた存在かもしれませんね。ただ、そうだとしても邪神そのものとは全く危険度が違いますが」
「ああ、それなら充分に対処できる」
シメオンの示した可能性は、シノブも思い至っていた。
人間から使徒となった者は、能力も人の延長線上でしかない。警戒するとしたら神の加護を得ている場合だが、それも元となる神が消滅したら不可能だ。
一方の超越種の力を得た存在だが元より大きく劣るから、特に優れた武人なら危なげなく勝利できる。それに本家本元である超越種なら、瞬時に制圧するほどの力量差があった。
そして祖霊のように輪廻から抜け出た存在だとしても、百年や二百年では極端に能力が上がることはないらしい。もっともシノブが会ったのはアルフォンス一世とマサドの二人だけで、言い切れるほど多くを知らないが。
「祖霊の場合、ヤマト王国でいう荒魂……暴れん坊か恨みを持った魂かもねぇ。もし超越種だとしたら騙されて捕まったのかな? 彼らは人間より遥かに高潔だから自発的にはね……」
呟いたベランジェは、額に汗を浮かべていた。といっても冷や汗を掻いたわけではない。先ほどから彼は、イーディア地方のカレーを食べていたのだ。
異神ではないだろうと聞いてベランジェは随分と安心したらしく、初めての異国の料理を味わい始めた。だが彼の予想より、遥かに辛かったようだ。
ホリィ達の言葉に従い、かなりの甘味をルーに入れている。しかし、それでも今までにシノブ達が作ったカレーの何倍もの辛味であった。
そのためベランジェ以外は、カレーに手を出すのを躊躇したようだ。まだ相談中ということもあるが、今のところ挑戦者はいない。
「その辺りは分かりませんが、注意すれば充分に勝てる相手だと思います。明日、大神殿のあるディヴァプーラ、そして王都アグーヴァナを探ってきます」
シノブは本題へと移る。
仮にアーディヴァ王国の王が超常の存在に操られているなら、早めに対処すべきだ。もしパルタゴーマに密偵がおり、知らせを受けた国王が間を置かずに動いたら。シノブは、そう思ったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「国王がパルタゴーマに軍を出すとして最短で明日の遅く、常識的な速度だったとしたら戦端が開かれるのは明後日以降ですね」
「王都からパルタゴーマの町まで直線距離で120kmほど、領境なら90km程度ですか。確かに、そのくらいで達するかもしれません」
シャルロットが地図を示すと、マティアスが覗き込む。この地図はホリィやマリィが作成したもので、街道や大まかな地形も書き込んである。
「こちらはお任せください。アスレア地方北部訪問団も出航しましたから、暫く大きな行事もない筈です」
シメオンは今朝出発したイヴァール達の一団に触れる。
イヴァールが率いる四隻の飛行船は、予定通りイーゼンデック伯爵領の領都ファレシュタットに着いていた。アマノシュタットからファレシュタットまでは700km程度だから、現在の飛行船なら好天であれば八時間程度で到着できるのだ。
「予定変更が難しいものとなると、次は五日後のハーゲン子爵とアンナ殿の結婚式でございます」
こちらは侍従長のジェルヴェだ。
アンナはベルレアン伯爵家からのシャルロットの侍女で、シノブからしても最古参の家臣だ。それにアンナの弟パトリックはシノブの従者で、父のジュストは王宮の守護隊長である。
そして新郎であるヘリベルトは元帝国の戦闘奴隷で、解放後は数々の戦を共にした一人だ。それ故シノブとしても彼の幸せを祝いたい。
「それは絶対に外せないね」
「アンナ、皆で出席させてもらいます」
「あ、ありがとうございます!」
声を掛けたシノブとシャルロットだけではなく、集った者達が一斉に顔を向ける。そのためだろう、アンナは声を上擦らせ瞳を濡らしていた。
「シノブさま、絶対ですよ!」
「大丈夫です、何があってもお連れしますから!」
「アミィさん、お願いしますわ!」
ミュリエルからしてもアンナのラブラシュリ家は昔からの特別な存在、アミィにとっては仲の良い友人だ。それにセレスティーヌも、シャルロットの側付きとして特に目を掛けているらしい。
このようにアンナとヘリベルトの結婚式は、アマノ王家にとって極めて重要な位置付けとなっていた。
「そう言えばシノブ君。アーディヴァ王国というのは階級に厳しいそうだが、結婚はどうなのかね? それに教育は?」
ベランジェはハンカチで汗を拭きつつ問い掛ける。
どうやらベランジェは、イーディア地方の激辛カレーを気に入ったらしい。先ほどから彼は、ナンに似た平たいパンにルーを塗っては口に運びと、忙しく繰り返していた。
「結婚も階級で制限されます。よほどの特例でもない限り、同格と一つ上下のみだそうで……」
シノブが答えると、ざわめきが広がっていく。エウレア地方では身分や職業で結婚を禁じていないから、そこまでするのかと思ったようだ。
もちろんエウレア地方でも、分け隔てなく結ばれてはいない。王族と結婚するのは上級貴族、平民は平民同士というのが通例だ。
しかし中には平民出身者が貴族と結婚する例もあるし、出世して平民から貴族へとなった者もいる。そのため身分差はあるが絶対的な障壁というほど強固ではないし、困難ではあるが努力次第で越えられるものであった。
実際ヘリベルトは農民として生まれたが今は子爵だ。それにアンナの家も従士階級から男爵家となった。
二人の魔力量はそれなりにあるから、イーディア地方でも中級以上とされるだろう。しかし良くて上級まで、貴族に該当する特級は無理だと思われる。したがって向こうのような魔力量での階級制度だと、二人の運命は相当に違った筈である。
「教育も同じで、階級別に分けられています。しかも下級だと、親から子への一般知識伝達や家業の習得だけです」
シノブはアシャタから聞いたことを思い出しつつ言葉を紡いでいく。
どうも、こういった魔力量での差別はアーディヴァ王国の最初期からあったらしい。これは建国王ヴァクダ・アーディヴァが極めて稀な魔力の持ち主だからであろう。
ヴァクダは魔力が多い者を集めて領主など特別な地位に就け、それを正当化する制度を打ち立てた。
結婚の制限は高い魔力を持つ者同士が支配階級として君臨し続けるため。教育の限定は低い魔力の者が知恵で上を脅かさないようにするため。反乱の芽を摘もうとしたのか、あらゆるところで制限を課したらしい。
「う~ん。正直なところ、義勇兵を募って新生パルタゴーマを応援したいくらいだね。新領主のアシャタ殿は悪くない人物のようだから、彼を押し立てて新たな王にするとか……。
独自の文化として許容できる範囲を、大きく超えていると思うんだがねぇ」
「あくまで個人的にですが、私も同感です。とはいえ善し悪しを語れるほど見ていませんが」
ベランジェとシメオンは、苦い顔で自身の意見を表明する。
とはいえ双方とも躊躇いを感じているようでもある。シメオンが口にしたように、短絡的な判断は望ましくないと思ったからだろう。
マティアスなど他も同じ考えのようだ。ミュリエルやセレスティーヌなど話で聞いただけの者はもちろん、実際に現地に赴いたシャルロットやアミィも安易な断罪を避けているらしく、不満と戸惑いが入り混じった表情となっている。
「その辺りも、大神殿や王都の探索で確かめたいと思います。大神官や王がどのような人物か、そして何者かに操られていないか……それ次第かと」
シノブは神王虎や神王という存在が、代々のアーディヴァ王や大神官に影響を及ぼしているのではと思っている。しかし一方で、今まで見た国々が特に清廉だったのでは、という気もしていた。
エウレア地方やヤマト王国の人々が強い倫理観を備えているのは、歴史的な経緯で神々を深く敬っているからだろう。他も創世期などに眷属が大きな影響を及ぼした、現在でも優れた神官や巫女がいるなど、何らかの理由で信仰心が強い地域もある。
ただし運悪く早い段階で神々の教えが廃れた、あるいは変質した地域があっても不思議ではない。いや、むしろ自然と言うべきか。
もしかするとアーディヴァ王国は、そういう傾向が特に強い場所なのでは。シノブは、そう思ったのだ。
ただし、単なる先入観や異質な文化への抵抗が混じる可能性もある。
なまじ欠点しか見えないだけに、理由や背景を知ろうとせずに偏見を増幅していないか。シノブだけではなく、ベランジェ達も同様のことを考えたらしい。
「分かった! まずはジックリと見てくることだね! そして新たな土産物も頼むよ!」
「アーディヴァ王国のカレーも、慣れると美味しいですしね」
汗を掻きつつも声を張り上げたベランジェの隣で、シメオンが涼しい顔でカレーを口に運んでいた。
どうもシメオンは辛いものに強かったようだ。彼は少しずつ食べて自身の限度を量っていたらしいが、今では普通の速度で食べている。
ちなみにシメオンと同等の速さで口に運んでいるのは、シノブくらいである。
今程度の辛さであれば、シノブは日本で食べたことがあった。つまりこちらは経験の差というべきだろう。
「シメオンさんは、辛口も大丈夫なのですね」
「私は元から辛口ですから」
驚きの表情となったミュリエルに、シメオンは涼しい顔で応じた。
次の瞬間、広間は笑い声で満たされる。普段は殆ど冗談を言わないシメオンだけに、意表を突かれた者が多かったようだ。
おそらくシメオンは、沈んだ雰囲気を変えたかったのだろう。微笑むシメオンの横顔から、シノブは彼の気遣いと優しさを感じていた。
◆ ◆ ◆ ◆
翌日の朝、シノブ達は再びイーディア地方に転移した。移動先はアーディヴァ王国の大神殿があるディヴァプーラから20kmほど北、無人の荒野の真っ只中だ。
シノブと共にイーディア地方に渡ったのは、昨日と同じでシャルロットとアミィ、そして超越種の子がオルムル、シュメイ、フェイニー、ラーカである。
ちなみに今回シノブ達はエウレア地方の衣装のままで、容姿も変えていない。今日は万一に備えて神具や魔道具を装着しているからだ。
透明化の魔道具を使って潜入するから、変装して誤魔化す必要はない。そして仮に透明化を見抜く相手なら、イーディア地方の者に化けても意味がないだろう。
そこでシノブは光の神具、アミィは炎の細剣、シャルロットは神槍を携え、服もアムテリアから贈られた品にしている。
「それでは行きましょう」
「出発です~!」
先に声を掛けたのは魔法の家を呼び寄せたホリィで、続いたのはアウスト大陸から応援に駆けつけたミリィである。
この二人は元の青い鷹のままではなく、アミィと同じ狐の獣人の姿だ。やはり衣装はアムテリアが授けた白き神衣、装備はホリィが魔風の小剣でミリィが魔封の杖である。
ちなみにマリィはパルタゴーマで新領主アシャタの補佐、親世代の光翔虎が王領との境を中心に見張っている。
──どうぞ!──
シノブ達を乗せるべく伏せたシャンジーが、普段とは違う気負い気味の思念を発した。
今のところパルタゴーマに向かう軍はいないが、シノブ達は一日かけて大神殿や王都を巡るつもりだし、それだけの時間があれば騎乗の戦士なら急げば移動可能な距離である。
最悪の場合、シノブ達は転移で脱出すれば良い。短距離転移もあれば光鏡もあるから、撤退は容易だ。しかしパルタゴーマの人々に逃げる手段など存在しないから、充分な守り手を置いた。
時間が限られているからか、シノブ達が背に収まるとシャンジーは間を置かずに姿消しを使う。そして彼は一気に天に駆け上がると、凄まじい速度で南に飛翔していく。
既に高度1000mを超えているだろう。そのため前方には人工物らしきものが微かに見える。
「シャンジー。君の伯父さんやフェイニーの叔母さんだけど……」
輝く若虎の背で、シノブは問いを発する。昨晩から今朝にかけて、フェイニーの父バージは光翔虎の棲家を二つ発見したのだ。
まずバージの双子の妹リャンフとイーディア地方生まれの雄の番が、1000km以上も南の内陸の森林に棲んでいた。そしてもう一組、シャンジーの母方の伯父フォーグがガルゴン王国生まれの雌と、更に500km近く南の森林に棲家を作っていた。
──はい──
密やかな、そして焦りが滲む思念をシャンジーは発する。実はシャンジーやフェイニーの親族発見により、とある疑念が浮かび上がったのだ。
──フォーグ伯父さんは、母さんも生まれた棲家を継いでいました──
シャンジーの母とその兄は、イーディア地方の出身だった。光翔虎は人間の使う地名をあまり用いないから、ここが母の出身地だとシャンジーは気がつかなかったのだ。
──それとフォーグ伯父さんのお嫁さんですけど、メイニーさんの叔母さんでした──
シャンジーの母リーフは三百数十歳、彼女の兄フォーグが六百歳ほど、メイニーの叔母が五百数十歳だという。当然ながらフォーグ達に子供はいるが、こちらもバージやリャンフと同じく雄と雌の双子だった。
双子は二百歳と少々で、メイニーより僅かに年長だそうだ。成体だから雄は既に親元を離れたが、雌は父母と共に暮らしているという。
──私の叔母さん……リャンフ叔母さんは?──
フェイニーも常とは違う緊張気味の思念で、従兄弟に問うた。しかも彼女は何かを怖れているらしく、僅かだが間が空く。
──バージ伯父さんに良く似た感じだけど、優しそうだったよ──
頭の上に張り付いたフェイニーに、ゆっくりとシャンジーは答えていく。ちなみにオルムル、シュメイ、ラーカは透明化の魔道具で姿を消し、周囲を飛翔しながら聞き入っている。
シャンジーによると、バージとリャンフは双子だけあって魔力などの感じも似ているという。そしてリャンフの家族だが、番の雄が彼女より僅かに年長で六百数十歳、第一子は雄で四百歳くらい、第二子が雌で百五十歳くらいだそうだ。
「その上の子供が、神王虎かもしれないのですね?」
──そうです……ドゥングさんと言います──
アミィの静かな問いに、シャンジーも同じくらい密やかな思念で応じた。それも悲しみとも不安とも恐れとも付かぬ、複雑な感情が入り混じった応えである。
ドゥングは二百年ほど前に独り立ちしたが、最初の数年を除くと連絡がなかった。
もっとも光翔虎の雄は、独り立ちしてから百年やそこらを放浪しつつ修行するのが普通だ。それに遠方に棲家を得ると戻って来ないことも多く、親達も心配していなかったそうだ。
しかし彼の独り立ちは、アーディヴァ王国の建国伝説と時期が符合している。
建国王ヴァクダが一介の戦士として世に現れたのは創世暦815年、つまり百八十七年前だ。したがって独立したドゥングが十年少々の放浪の後、ヴァクダと出会った可能性はある。
──伯父さん達もドゥングさんを探しています。そしてお父さんのヴァーグさんが大神殿と王都を見張っています──
王都アグーヴァナは大神殿の更に10kmほど南だ。そのため上空からであれば双方を同時に見張れると、シャンジーは付け足す。
「大丈夫……きっと見つけてみせる。大神殿や王都にいる可能性は高いし、違ったらイーディア地方を全て……いや、世界中を巡ってでもね。……だから元気を出して」
シノブはシャンジーを励ます。
果たしてドゥングは無事なのか。シノブは胸に過った言葉を口に出来なかった。
しかしシノブは無責任なことも言いたくなかった。そこで必ず見つけると、この惑星のどこにいようと探し出すと、自身を慕ってくれる若虎に伝える。
力強く、愛情を篭めて。兄貴分に相応しく、堂々と。自身の決意と、頼ってほしいという思いを言葉に乗せる。
──はい~! 兄貴が、そして皆がいれば絶対に大丈夫です~! もちろんボクも頑張ります~!──
──私も頑張ります~! だって私はシャンジー兄さんのお嫁さんになるんだもの~!──
普段の元気が戻ったシャンジーに、同じく陽気さを取り戻したフェイニーが続く。するとフェイニーは、それまでとは違う光を放つ。
それは春の光に煌めく若葉が放つ輝きに似ていた。そう、新緑のような優しくも命に溢れた光輝である。
「緑色……アルフール様でしょうか?」
「そうだね……光翔虎は森の子だから」
シャルロットの言葉に、シノブは微笑みと共に応じる。そして二人は最前までとは異なる憂いのない顔で、神秘の力を宿した小さな虎を見つめ続ける。
「きっと良いことがあります!」
「ええ!」
「もちろんですよ~!」
アミィ、ホリィ、ミリィと歓声を響かせ、オルムル達は高らかな咆哮で祝意を示す。どうやらオルムル達は、喜びを我慢し切れなかったようだ。
──フェイニーちゃ~ん、おめでと~!──
シャンジーも歓喜の思念と一緒に吼える。そして若き光翔虎は、今までに倍する速度で謎の神殿へと向かっていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年7月1日(土)17時の更新となります。