05.05 貴き誓いの日に 後編
待望の男子懐妊と知った伯爵の喜びの声が響く執務室。
カトリーヌのお腹の子が男子だということを告げたシノブ自身と、事前に彼から聞いていたアミィはともかく、初耳であるシャルロットと伯爵の家令のジェルヴェは大きな驚きに包まれた。
「シノブ! どうして私や母上に教えてくれなかったのだ!」
「お館様、おめでとうございます!」
シャルロットとジェルヴェは、伯爵の驚きが伝播したかのように、口々に叫んだ。
シノブが自分に伝えてくれなかったのが若干不満そうなシャルロットと、純粋に主を祝福するジェルヴェは対照的ではある。しかし、双方とも伯爵家が待ち望んだ男子と知って喜んでいることには違いない。
「いや……先月はまだ早いかなって。万一のことがあったら、きっと皆悲しむだろ?」
憤慨気味のシャルロットに、シノブは穏やかな笑みと共に応じた。
ヴォーリ連合国へ旅立ったのが10月1日。シノブは自身の卓越した魔力感知によって、旅立つ前にはカトリーヌのお腹の子が男子だと確信していた。
だが、その時点で伯爵達に過大な期待を抱かせるのも問題だと考えたため、シノブとアミィは彼らには伝えていなかった。
「それはそうだが……」
シャルロットは納得しがたい様子だったが、シノブの配慮も理解できるようで、顰めた顔を元に戻した。
「シャルロット。シノブ殿と話すときはもう少し柔らかい口調にしたらどうだね?
仮にも夫となる方に、その口調はないだろう」
シノブへのシャルロットの言葉に、伯爵は僅かに眉を顰めて言った。
確かに、シャルロットの口調は、夫となる男性への言葉遣いとしては相応しくないかもしれない。
「それにそんな話し方で愛を囁いても興ざめだよ。これは私からの忠告だね」
伯爵は悪戯っぽく笑いかけながらシャルロットに言った。
どうやら彼は形式的な問題より、娘の先々を心配したらしい。シャルロットが末永くシノブと仲良く過ごせるようにという親心の表れなのかもしれない。
「は、はい……気をつけます……」
シャルロットは伯爵の言葉に頬を染めて下を向いた。
以前から、もっと娘らしくと言われていた彼女は思い当たることがあったのか、恥ずかしそうな表情をしながらも、父の忠告を素直に聞いていた。
「カトリーヌ様のお体も、もう少ししたら安定するらしいし。さすがに跡取りのことだから、伯爵にここで伝えないのもおかしいだろ?」
親子のやり取りを微笑ましく思いながら、シノブはシャルロットへ自身の考えを伝える。
「はい、まだ少し早いですがカトリーヌ様とお子様の経過も順調ですので」
アミィも笑顔でシノブの言葉を肯定した。
医学的には、まだ安定期というには若干早い。だが、そこは治癒術士やシノブ達でフォローしていけばよい。
ヴォーリ連合国に旅立つ前に、シノブとアミィは何度か治療院のガスパールの下を訪れていた。
シノブ達は、伯爵領有数の治癒術士である彼と、診察に訪れた妊婦達を診断した。その結果、現在のカトリーヌと同じくらいの時期に入っていれば、体力回復の魔術を施しても問題ないということが判明している。
幸い、カトリーヌは普段から伯爵の館で穏やかに暮らしている。突然の事故でもない限り、自分達で充分フォローできるとシノブは考えていた。
「そうか……いえ、そうですか。シノブ、このことは母上にお伝えしても良いのですか?」
シャルロットは伯爵に言われたとおり、口調を改めながらシノブに問いかける。
彼女は、まだ少し恥ずかしいのか僅かに頬を染めながらであったが、その一方で嬉しそうに表情を緩めていた。
「カトリーヌ様が気にされないと良いんだけどね」
シャルロットの問いに、シノブは少し不安そうな表情を見せた。
元々、お腹の子の様子に関して非常に敏感になっているカトリーヌだ。これ以上神経を張り詰めさせるようなことをして良いものか、判断に迷ったのだ。
「私から伝えるよ。たまには夫らしいところを見せるのも良いだろう」
伯爵は、冗談交じりに自分から伝えるとシノブに言った。
「お願いします」
確かに夫である伯爵から様子を見ながら言ってもらうのが良いかもしれない。そう思ったシノブは安心したような表情で伯爵に頭を下げた。
「……ところで先ほどの話に戻るが、たとえ男子でも跡取りとするかはまだわからないよ。
こんなことは言いたくないが、生まれても成人するかはわからないし、器量の問題もある。
少なくとも成人までは結論を出せないね。いずれにしても私は後20年頑張るつもりだ。結論はそのときに出せばいいさ」
顔を上げたシノブに、伯爵は真面目な表情になって自分の意思を伝える。
彼が言うとおり、無事成人するかはわからないし、成人後も爵位を託すことが出来る器かはわからない。伯爵は男子懐妊の喜びに溺れずに、領地を預かる者としての考えを冷静に語っていた。
「伯爵……」
伯爵の真剣な顔に、シノブは伯爵位を受け継ぐことの厳しさを知ったような気がした。
可能なら自分の息子に継がせたいのだろうが、彼の顔は感情に流されてはいけないと言いたげだ。
「ともかく子爵位の継承については伯爵家が決定することだが、継嗣の婚姻は王家の許可が必要だ。
それまでは内々の婚約者ということだね」
伯爵は表情を緩めると、シノブとシャルロットに笑いかけた。
「ありがとうございます」
シノブ達は、伯爵に頭を下げる。
「しかし、こうなるとシノブ殿がいつまでも食客扱いというのも据わりが悪いな。
どうしたらよいものか……」
相談した結果、とりあえずシノブは伯爵家の魔術指南役という位置付けになった。
領軍の正規の指揮系統には入らず、一種の軍事顧問のような立場で伯爵を直接補佐する形だ。
いずれは正式に伯爵領の統治機構に組み込まれるのだろうが、まずはそのような伯爵の一存で設置できる役職から入っていくこととした。
「まあ、後はゆっくり考えよう。何も焦って全てを決めることはないさ」
伯爵のその言葉で、晩餐までは解散となった。
確かに相談すべきことはまだまだあるが、一日で決められることでもないだろう。後は追々考えていくこととし、まずは帰還の祝宴へと移ることにした。
◆ ◆ ◆ ◆
「シャルロット。なんだか段取りが悪くてごめん」
シノブは、シャルロットと薔薇庭園を訪れていた。
晩餐までは、あと少し時間がある。アミィにはイヴァールが待つサロンに行ってもらい、二人だけで夕日が沈み行く薔薇庭園を散策していた。
「何がですか?」
急に謝ったシノブを、シャルロットは不思議そうに見上げた。
彼女は、隣を歩くシノブがなぜ唐突に謝ったのか理解できないようであった。
「何だかその口調は聞き慣れないね。いや、おかしくはないんだけど……」
そう言いつつも、シノブは僅かに微笑んでいた。
シノブは自身が口にしたとおり、シャルロットの口調に少し馴染めないように思っていた。
シャルロットは父母や祖父には敬語を使っているので、こういった言葉遣いは何度も聞いたことがある。しかし、それが自分に向けられると、なんだか気恥ずかしく感じていた。
「そうですか……どうしましょうか?」
シャルロットは、彼の言葉に困惑した顔をする。
「ごめんね、変なことを言って。もちろん君の好きにしてもらって構わないよ」
自分の軽率な言葉に後悔したシノブは、シャルロットに謝った。
「それでは、身内だけのときはこのままにさせてください。
正直に言うと、家臣の前ではまだ恥ずかしいのです……」
シャルロットは、はにかみながらシノブに己の希望を伝える。
彼女の顔からは、愛する人と親しく話すことができる嬉しさと、娘らしい振舞いを見せることへの恥じらいの双方が読み取れた。
「わかった。お互い、少しずつ慣れていこう。
……話を戻すけど、本当ならあんな流れに任せてじゃなくて、きちんと俺から言い出すべきだったんだ。
そもそも君とよく相談もしていなかったし……」
シノブは、シャルロットに断りもなく話を進めたり、カトリーヌの問いに答える形で意思を伝えたりしたことを謝った。本来なら、彼女と良く話し合ってから切り出すべきだと思ったのだ。
「段取りなんてどうでも良いのです。私は貴方が父上や母上にきちんとお伝えしてくだされば、それだけで幸せです」
シャルロットは、そう言うと周囲に咲いている秋薔薇のように華やかに微笑んだ。
微かに傾げた彼女の頭の動きに合わせて、そのプラチナブロンドが夕日に煌めく。
「シャルロット……」
シノブは、そんな彼女の艶やかな姿に、思わず言葉を失った。
「それに、こういうことは早く言ってもらったほうが落ち着きます。帰還したその日のうちにお伝えできて、私はとても嬉しく思いました」
シャルロットの言葉は本心からであるようだ。
シノブに向かって喜びを告げる彼女の表情は、とても幸せそうなものだった。
「そうか……実は俺もお二人に伝え終わってホッとしたよ。ある意味、ガンド達の前に立ったときより緊張したね」
シャルロットの言葉に、シノブは照れ隠しに頭を掻きつつ応じる。
確かに彼女の言うとおり、後々まで引き伸ばしても良いことはないだろう。だが、とても緊張したのも事実である。
「まあ……私の両親は竜よりも恐ろしいですか?」
シャルロットは、シノブの例えが意外だったのか、目を見開いた。
「怖くはないけどね。でも、竜との対決とは別の意味で人生を賭けた戦いだったよ。
……シャルロット。俺は神様に導かれて君のところに来たような気がする。俺は君には想像もつかない遠くからやって来た。でも、それは君を助けるためだったんだ。そう思っている」
シノブは、アムテリアのことを伝えるのはまだ躊躇っていた。
彼女ならシノブの素性を聞いてもきちんと受け止めてくれるとは思っていた。だが、伝説の聖人達と同等か、それ以上に特殊な存在だというのは、彼女との距離を広げないかと僅かな恐れを感じていたのだ。
だからシノブは、わざと真実をぼかしてシャルロットに語っていた。
「私も神々が貴方を遣わしてくださったと思っています」
シノブの言葉が極めて率直な意味だと気付いているのかいないのか、シャルロットは彼に頷き優しく微笑んだ。
「……そうだね。たぶん、そうなんだと思う。でも、今は誰が遣わしたかなんて関係ない。俺は俺の意思で君の側に一生いる。俺の居場所は君のところだ」
シノブは、自分の言った言葉を内心反芻していた。彼はシャルロットに自分が来た場所のことを伝えたかったのではない。突然現れた自分がいつまでも彼女の側にいると伝えたかったのだ。
シノブはシャルロットの顔を見つめると、彼女と共に永遠に歩み続けることを誓った。
「シノブ……」
シャルロットはその青い瞳を潤ませると、吸い寄せられるようにシノブに寄り添っていく。
薔薇庭園の中の二つの影は、秋の夕日の中で静かに一つになった。
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