23.14 神王虎 前編
シノブが捕らえた戦士達は、ここサシャマ村を含む一帯を治める領主の家臣だという。したがって彼らの戻りが遅ければ、領主達が動くのは間違いない。
とはいえ領主がいるパルタゴーマという町は20kmほど離れているし、上空ではアミィや光翔虎のシャンジーが見張っている。しかもマリィが領主達の様子を探りに行ったから、何かあれば即座に分かる。
この辺りだと戦士の乗り物はゾウで、サシャマ村の周囲は見通しも良いから奇襲は不可能だ。それにパルタゴーマから全力疾走し続けたとしても、三十分は掛かる。
そのためシノブ達には、今後をどうするか語る充分な時間があった。
しかし集った者達の話は、思わぬ方向へと向かう。それはサシャマ村の長サンジャが語る神王虎なる存在の伝説だ。
「神王虎様は、このアーディヴァ王国の建国にも関わっているそうです」
村長の家に集った者達は全て、主である老いた虎の獣人に顔を向けている。
どうやらサシャマ村の人々も、サンジャ以外は神王虎を知らないらしい。各戸を代表する大人達やシノブが助けた二人の子供シダールとアーシュカも、物音一つ立てず静かに聞き入っている。
もちろん語ってくれと頼んだシノブも同様だ。それにシャルロットやホリィ、岩竜オルムルを始めとする超越種の子達も勝るとも劣らぬ興味を示している。
しかしシノブはサンジャの話を聞き逃さないようにしつつも、密かにオルムルへと思念を送る。
──オルムル、神王虎が気になるの?──
──はい……聞き覚えがあるような。夢と関係があるかもしれません──
シノブの問いにオルムルが応じるが、他が気付くことはない。これはシノブが思念を届ける対象を彼女だけにしたからだ。
ここに集った者で他に思念を感じ取れるのはシャルロットとホリィ、炎竜シュメイ、光翔虎フェイニー、嵐竜ラーカだけだ。
しかしシノブは対象を限定し、更に僅かな魔力しか用いなかった。そのためシャルロット達はサンジャを見つめたまま動かない。
サシャマ村の人々も同様だ。彼らは何れも獣人族で魔力も多くないし、感知能力も高くない。
もっとも思念を使えるのは、眷属や超越種を除けば極めて高位の神官や巫女だけだ。この村どころかアーディヴァ王国全体でも一人いるかどうかだから、分からなくて当然である。
──そうか……大丈夫、俺が付いているから──
先ほどシノブは、オルムルの思念から恐怖らしきものを感じ取った。そこで彼女を安心させようと、絶対に守るという決意を言葉に乗せる。
──ありがとうございます! もう怖くありません!──
オルムルの短い応えには、常の明るさが戻っていた。
神王虎が何者であっても、シノブと共にいれば心配ない。そんな無垢で純粋な信頼が、オルムルの思念には溢れている。
どうして神王虎という言葉が気になったのか、オルムルには分からないようだ。彼女は謎の夢の中で、多くの人が集まる白い建物を目にしたことまでは思い出した。しかし建物の中で起きたことは未だ心の奥底に沈んだままらしい。
そのためシノブどころかオルムル自身も気付いていないが、彼女は夢で『神王』という言葉を耳にしていた。それは白亜の巨大な建築物で、神官らしき男が発した祈念の一節に含まれていたものだ。
神像の並ぶ大聖堂と呼ぶべき広間。純白の衣装を纏った高位の神官と思われる老人。そして金銀や宝石をあしらった豪奢な衣装を纏い宝冠を戴いた、王者と呼ぶべき姿の青年か壮年らしき巨漢。それらをオルムルは夢で見たが、目覚めた彼女の記憶には残っていなかったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
アーディヴァ王国は百八十年ほど前に、ヴァクダ・アーディヴァという人物が興した国だ。そのころ現在のアーディヴァ王国に相当する地は幾つかの小国に分かれていたが、ヴァクダや続く王達は次々と征服していったという。
このヴァクダという男は、単なる一戦士から成り上がったようだ。そして彼の出自や若いころは謎に包まれており、どのようにして国王となるだけの力を得たか判然としない。
ヴァクダは歴史に登場したとき、既に極めて優れた戦士で他を圧倒する実力者だったという。
「その力を授けたのが、神王虎様らしいのです」
「初めて聞いたけど……」
「私も!」
村長サンジャが一息入れると、狼の獣人の少年と少女が口を挟んだ。もちろんシノブが助けた二人、シダールとアーシュカである。
それに大人達も物問いたげな顔をしている。彼らも建国王と神王虎の逸話など初耳だったようだ。
「これは儂が子供のころに聞いた話なのだよ。もう六十年以上昔だが、従者の苦役を終えてパルタゴーマから戻った人が居たのだ。儂の大叔父でな……」
老人は子供達に答えつつも、遠い目となる。
サンジャの大叔父は、やはり不当な手段で無給の従者とされた。シダールやアーシュカを捕らえようとした戦士達の同類、卑劣な手で従者を得ようとした不届き者が遥か昔にもいたのだ。
「大叔父殿は長く苦労をされたのですか?」
シャルロットの顔は曇っていた。おそらく彼女は、かつてベーリンゲン帝国に囚われた者達を思い浮かべたのだろう。
「はい……当時で五十を超えていたでしょう。ここにいる者だと私以外は会ったこともありません」
サンジャは詳しく語らなかった。しかし口振りからすると、彼の大叔父は村に戻ってから幾らもしないうちに没したようだ。
集まった中には初老の者も何人かいる。その彼らが知らないのであれば、サンジャの大叔父は帰還から数年で亡くなったに違いない。
「大叔父はパルタゴーマで従者をしているとき、たまたま自身の主と領主の密談を聞いてしまったそうで……その中に、建国王の逸話が含まれていたのです」
人語を解し空を飛ぶ虎の力を得たから、建国王ヴァクダは裸一貫から国を興せた。そのように当時の領主達は話したという。
これは相当な秘事らしく、領主達も外では口に出来ないと恐ろしげに語っていたそうだ。
もちろんサンジャの大叔父も、建国王の秘密に触れることはなかった。そんなことをしたら老いて解放される前に命を奪われていただろう。
「しかし、あるとき酔った勢いで……。大叔父は、私を自分の孫のように可愛がっていました。ですから気が緩んだのでしょう。
もっとも後で口止めをされました。ですから、私の他に神王虎様の話を知る者はいない筈です」
子供のころのサンジャは、大叔父に村の外の話を聞くことが多かったそうだ。
当時のサンジャは幼く、無給の従者がどのような苦行か充分に理解していなかった。そのため彼は大叔父を外で活躍した英雄のように捉えており、色々訊ねたという。
「なるほど……そうなると今の領主も、ある程度は知っている可能性が?」
「おそらく……。大叔父は若いころに聞いたそうですから、九十年以上は前のことでしょう。ですが代々語り継いでいると思います」
シノブが問うと、サンジャは大きく頷いた。
サンジャの大叔父が知った時点で、建国から九十年ほどが過ぎている。それだけの時間を受け継いだわけだから、更に九十年を伝えたとしても不思議ではない。
『やっぱり、こちらの光翔虎なのでしょうか?』
『私の叔母さんは東の方に行ったそうですよ~』
炎竜シュメイの問い掛けに、光翔虎フェイニーは首を傾げつつ応じた。
エウレア地方生まれのフェイニーからするとイーディア地方は東の地だが、他にも該当する場所など幾らでもある。そのためフェイニーは、叔母の嫁いだ先がイーディア地方か疑問に思ったようだ。
まだ四日前だが、シャンジーもイーディア地方の調査に加わった。彼なら同じ光翔虎の棲家があれば発見できるのでは。おそらくフェイニーは、そう考えたのだろう。
もっともイーディア地方はエウレア地方やアスレア地方に匹敵するくらい広いから、たった四日で調べ上げることは不可能だ。それにシャンジーが調査に加わったころ、ホリィやマリィは調査の対象をアーディヴァ王国に絞っていた。そのためシャンジーも、イーディア地方を全て回ってはいないらしい。
『神王虎も光るのですか? それに大きさは?』
「はい。輝く……そして並より遥かに大きい虎だと聞きました。ただ、どの程度の大きさか……」
嵐竜ラーカと村長サンジャのやり取りを聞きながら、シノブは考えを巡らす。
神王虎は空を飛ぶが翼など生えていないようだから、重力を操作できるに違いない。そしてシノブは、超越種以外に重力操作を可能とする生き物を知らなかった。
したがって神王虎が超越種で、光翔虎そのものか近い種族なのは間違いないだろう。近似の種なら岩竜と炎竜のように色や得意な属性が違う程度で、外見は殆ど同じだと思われる。
もし神王虎が超越種なら、何故ヴァクダを助けたのか。ヴァクダという男は、よほどの有徳の士だったのか。
エウレア地方の光翔虎達は、カンビーニ王国、ガルゴン王国、デルフィナ共和国の建国を助けたという。正確には、建国をする英雄に試練を課して鍛えたらしい。
ただし、これは神々からの要請があったからで、しかも謎の存在により急激に拡大するベーリンゲン帝国を抑えるためだった。つまり一種の緊急回避であり、それだけ重大な理由があったから光翔虎達は人に手を貸した。
しかしヴァクダの時代にあったのは、あくまで人と人の戦いらしい。それなのに超越種が介入するだろうかと、シノブは疑問に思う。
──意外ですね……ホリィ達の報告で、ここが野心的な国だと想像していました──
シャルロットは、シノブとホリィだけに思念を送っていた。どうやら彼女は、フェイニー達に配慮したらしい。
──はい。周囲の国に比べてもアーディヴァ王国は身分に厳しく、悪用する者も多いと思います──
──なのに超越種が建国を手伝ったとは……まあ、百八十年前は違ったのかもしれないけど──
同じく不思議そうなホリィにシノブも続く。
今でもアーディヴァ王国は、領土を広げるべく画策しているという。サシャマ村やパルタゴーマの西は砂漠で魅力がないから放置されているが、東や南には同じような国が幾つかある。
そして、これらの隣国をアーディヴァ王国は狙っているらしい。
シノブ達は野心に満ちた国なら不穏な動きもあると考え、アーディヴァ王国の調査を優先した。そのため超越種が建国を助けるような国というのは、少々予想外であった。
もちろん百八十年前の君主や領主は、今と違って清廉な人物ばかりだったかもしれない。そうだとすると初代の教えを捨てるような大事件があったのだろうか。ほんの僅かな間だが、この国の過去にシノブは思いを馳せる。
──ともかく、これからどうするかだ。サンジャさんの話だと、今でも支配階級が神王虎を敬っている可能性は高い。だったら……──
シノブはシャルロット達に自身の案を披露する。
上手くすれば、当分は領主達を牽制できる。ここサシャマ村だけではなく周囲の村も含め、非道から守れるかもしれない。
幸いシノブの思いつきは悪くなかったらしく、シャルロットやホリィも賛成した。そこでシノブは、サシャマ村の人々にも伝えることにする。
◆ ◆ ◆ ◆
パルタゴーマの町に、西からゾウの一団がやってきた。
全部で六頭のゾウは、どれも背に赤い手すりの付いた輿を乗せている。輿の上には何れも六人から七人が乗っており、合わせて四十名だ。
「赤い服に被り物!」
「早く脇に!」
街道を進む者達は、急いで避けていく。
アーディヴァ王国だとゾウに乗れるのは、中級以上の戦士だけだ。しかもゾウに乗った者達は殆どが赤い上下で、頭にも赤い布を巻いている。
これは上級の武人の衣装だから、徒歩の者も騎乗の者も血相を変えている。
街道から脇の空き地に向かうのは、人と牛の群れであった。
彼らの多くは商人らしく、衣装はシノブ達も着ていたオレンジ色の服が目立つ。そして商人の乗り物として許されているのは牛だから、人と牛の集団になるのだ。
ちなみに乗り物も階級で細かく定められている。商人だと下級は遠くへの移動が許されていないから、騎乗も禁じられている。そして中級は直接乗るか無蓋の荷車まで、特級と上級は屋根付きの牛車も使える。
それはともかく場所を空けた者達は、頭を垂れてゾウの一団を見送る。徒歩の者は跪き、騎乗の者は降りての立礼だ。
「お帰りなさいませ!」
声を揃えて敬礼で迎えるのは、町の城門を守る守護隊である。
城門を守るのは中級と下級の戦士達、隊長が中級で隊員が下級だ。ちなみに隊長は赤い服で頭に朱色の布を巻き、隊員達は服の色が同じで頭の布が無い。当然、これらも階級に沿った衣装である。
同じ戦士でも魔力量で特級から下級までの四階級に分けられ、待遇には大きな違いがある。特にアーディヴァ王国は、イーディア地方でも身分の上下に厳格な国であった。
そして守護隊の者達はゾウに乗る戦士達より格下だから、全身で恭順の意を示している。
「ご苦労」
「サシャマ村に使える者はいましたか?」
西から来た一団は城門の前で停止した。すると守護隊の隊長が彼らに訊ねる。
どうやら城門の隊長は、サシャマ村に赴いた上級戦士達の目的を知っているようだ。つまり人狩りめいた上級戦士達の行動は、独断ではなく組織的なものだと思われる。
「五人ほどはな」
「こいつらだ」
受け答えをする者の後ろから別の上級戦士が顔を出し、灰色の服を着た男を手前に押す。灰色の服の男は被り物を付けていないから、下級の農民だ。
「中々頑丈そうですね! おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
守護隊の隊長は笑顔で祝福の言葉を発する。そして隊員達も後に続き、上級戦士達の戦果を讃える。
「やっぱり人狩りを始めたか……」
「しっ! 聞こえたら俺達も……」
対照的に街道の者達は、苦々しげな面持ちである。
彼らは中級以上の商人か同等の階級で、町に住んでいる。そのため下級の農民であるサシャマ村の人々とは違い、領主や家臣達の思惑にも感付いていたらしい。
ただし町の者達は、難癖を付けて無給の従者を掻き集めるやり方を許し難く思っているようだ。
そんな町の人々の怒りが通じたのか、今まで晴れていた空に暗雲が立ち込めていく。
『醜い欲望に囚われた者達よ。天に代わって我が……この神王虎が成敗してくれる』
黒々とした雲で夜のように暗くなった宙に姿を現したのは、光翔虎のシャンジーであった。彼は本来の大きさ、つまり体長20m近い巨体でゾウの一群の上に浮いている。
「な、何だ!?」
「まさか、あれは!?」
ゾウの上の者達、赤き衣の戦士達は蒼白な顔で叫ぶ。しかし、それも無理はないだろう。
まるで雷鳴のように低く轟くシャンジーの声には、それだけで倒れそうなほどの力が篭もっている。そのためだろうか、ゾウ達も金縛りにあったかのように動かない。
それに白い光を放つシャンジーは、実に神々しい。仮に戦士達が神王虎の伝説を知っていなくても、神からの使者と受け取ったに違いない。
そのためだろうか、ゾウに乗った一団もシャンジーに剣や槍を向けることはない。
『従者が欲しければ、充分な対価を支払った上で相応しい待遇をするのだ。もっとも、お前達には反省する時間など残っていないがな。
因果応報、お前達は我の下僕となる……村人達は、元のところに戻そう』
シャンジーの宣言と同時にゾウに乗った人々、赤い服の三十五人と灰色の服の五人が宙に浮かび上がる。そして彼らは、一塊になって光る巨大な虎の背に移動した。
しかし六頭のゾウは相変わらず動かない。やはりシャンジーが何かしているのだろう。
『そこの男』
「は、はい! なんでございましょう!?」
シャンジーが顔を向けたのは赤い服で朱色の布を頭に巻いた男、つまり城門の守護隊長である。
守護隊長は可哀想なくらい怯えていた。全身を小刻みに震わせ、顔からは血の気が失せ、しかも冷や汗と涙で濡れている。おそらく彼は、自分もシャンジーの下僕にされるのではと案じているのだろう。
『他の戦士達、そして領主に伝えるのだ。お前達が民を虐げるなら、我は再び現れる。次は全ての戦士を連れ去るぞ』
「はい、必ず! 必ず伝えます!」
シャンジーの冷たい宣告を耳にし、守護隊長は地に伏した。もしかすると力が抜けて崩れ落ちたのかもしれないが、彼は頭に巻いた朱色の布を地に擦り付けている。
『ならば今日のところは、これで去ろう』
シャンジーは宣言通りに姿を消した。そして同時に、空を覆っていた暗雲は消え去った。
城門前には、まるで最前までのことが嘘であったかのように明るい陽光が満ちている。しかし人々は、自身の目にしたことを現実と認めるしかないだろう。
何故なら乗り手を失った六頭のゾウは、相変わらず城門の前に立ち尽くしていたからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
──シノブの兄貴~、上手く行きましたね~──
パルタゴーマの上空に少々のんびりとした思念が響く。もちろん姿を消したシャンジーの発したものだ。
──シャンジーのお陰だよ。ありがとう──
──これで村の人達も暫くは大丈夫ですね!──
シノブはシャンジーの背を撫でた。そして隣ではアミィが顔を綻ばせる。二人はシャンジーに乗っているのだ。
──それにラーカも頑張ったね──
シノブは横に顔を向ける。そこにはラーカとオルムルが浮かんでいる。もちろん二頭も透明化の魔道具を使っているから、町の者に見つかりはしない。
──僕も嵐竜ですから!──
──でも町全体を覆う雲なんて凄いです!──
照れたらしいラーカを、オルムルが褒め称える。オルムルが触れた通り、シャンジーと共に現れた黒雲はラーカが嵐竜の能力で作り出したものであった。
これがシノブの考えた策の一部だ。
神王虎の詳細は不明なままだが、光翔虎と似ているのは間違いないらしい。そこでシャンジーが神王虎を名乗り、パルタゴーマを支配する者達に釘を刺す。そうすれば三十五名の戦士が行方不明になっても、サシャマ村の人々を追及できない。シノブは、そう考えたのだ。
ちなみにゾウに乗っていたのはシノブとアミィ、そしてオルムルだけだ。合わせて四十人の乗り手はアミィが作った幻影で、シノブが軽度の催眠を用いて六頭のゾウを誘導したのだ。
このゾウは、元々無法を働こうとした三十五人の戦士達が乗ってきたものだ。彼らは村の牧草地でゾウを預からせ、それから難癖を付ける相手を探しにいったのだ。
──オルムル、何か分かった?──
──あの人達の中で神王虎を知っていたのは、隊長だけでした。でも上級戦士と同じで、隊長も詳しく知らないようで……他は単にシャンジーさんの姿に驚いただけみたいです──
シノブの問いに、オルムルは静かに答える。彼女は他を圧する精神感応力で、守護隊の戦士達を探っていたのだ。
そしてオルムルは、守護隊長が神王虎という言葉を知っているのは確実だという。
──でも、警告は成功です! 急いで領主に報告する、村人を連れてくる者がいたら解放するようにお願いする……そう思ったようです!──
──それは良かった。今は村に守りを置いているけど、いつまでもというわけにはいかないからね。それに全ての村を守りきれるわけじゃないし──
オルムルの続けた言葉に、シノブは笑みを浮かべる。
現在サシャマ村にはシャルロットとホリィ、更にシュメイとフェイニーがいる。シノブが捕らえた戦士達とは別の一隊が現れたらと案じたからだ。
ただし、これは一時的な措置でしかない。
シノブは当分の間、ホリィやマリィ、シャンジーにこの近辺を見守ってもらおうと思っていた。しかしホリィ達には謎の夢を探るという役目があるし、現に今もマリィはパルタゴーマの領主を監視している。
それにサシャマ村以外にも村は沢山存在するから、常に全てを見張るのはホリィ達のみだと無理だ。そこでシノブは神王虎の名を使って、パルタゴーマの領主や家臣を牽制したわけだ。
もちろん単なる一時しのぎに過ぎないが、何らかの手を打たないと非道は止まらない。かといってパルタゴーマの領主や家臣団の全てを捕らえても、他から新たな支配者達が来るだけだ。
おそらく最終的には、アーディヴァ王国に大きく干渉することになるだろう。ただし手を出す前に、非道を働くのがパルタゴーマの領主だけか他も全て同じなのか、それらを把握する必要がある。
──そうですね。でも、まだ情報が足りません。ホリィやマリィがイーディア地方に渡ってから十日、アーディヴァ王国を重点調査対象としてからだと僅か四日です。それにこちらは階級ごとの制限が厳しくて、ホリィ達も苦労しているようですし──
アミィが指摘する通り、イーディア地方について正しく判断できるだけの知識を得たとは言い難い。
パルタゴーマの領主とは違って穏当な統治を行う者も、どこかにいるだろう。実際アーディヴァ王国の隣国は、これほど酷い差別はないらしい。
つまり隣国のどれかを支援しても良いし、そこまでしなくてもアーディヴァ王国に名君を見出せるかもしれない。
ただ、もう少し大胆に動く必要がある。今のように中級の商人を演じていては、領主や支配階級についての情報を得るのは難しいからだ。
──サンジャさんの大叔父を従えていたのは、特級の戦士だったらしいね。そのくらい高位だから、領主と密談できるんだろう。それに対し、中級の商人では国や領主の仕事すら出来ない──
シノブはホリィとマリィが言っていたことを思い出す。
今の仮の姿、中級の商人だと国や軍など公的機関の仕事を受けることは不可能だという。つまり役人に接近するのは殆ど無理で、その上の王や領主など到底辿り着けない。
これだと誰が良い統治者か見極めるのは、難しすぎる。
──だから領主に会いに行くんですね?──
オルムルは視線を下の街並みに向ける。
シャンジーを先頭に、三頭はパルタゴーマの中央に向かって飛んでいた。そのため今いる場所は、既に街の上空であった。
パルタゴーマは何とか都市といって良い規模のようだ。
シノブが今まで見てきた都市に比べると小規模で、人口は一万人を下回るかもしれない。しかし戸数は一千を充分に超えているようだから、五千人以上は住んでいるだろう。
もっとも中央を除くと、高層の建物は少なく大半は一階建てだ。したがって、さほど人口密度は高くなさそうだ。
ちなみに建物は石造り、サシャマ村と違って屋根も石か瓦のようなものらしい。それに通りも大きなものは立派な石畳だ。その辺り、小さいとはいえ領主の住む街に相応しい威容である。
──ああ、マリィの情報次第だけどね──
シノブは条件付きだと答えたが、よほどのことがない限り、何とか領主に会うつもりだった。
これだけの規模の街だから、サシャマ村のようにフラッと訪れて長と会うなど困難だ。そのためシノブは、先行して侵入しているマリィからの情報に期待していた。
相手次第では説得を試みても良いし、本人が駄目でも子供や兄弟などに一人くらい穏健派がいるかもしれない。それに姿を消して観察するだけでも、攻略する術を見出せる可能性はある。
神王虎に関する領主一族の知識も魅力的だ。もちろん王家は更に詳しいことを知っているだろうが、そちらにはオルムルが恐怖を感じた存在がいるかもしれない。
しかしパルタゴーマに神王虎はいないと思われる。したがって、まずは小手調べとしてパルタゴーマで探るのは、悪くない選択だとシノブは思ったのだ。
──そういえばシャンジー、フェイニーの叔母さんは東に嫁いだそうだけど。君にも東に行った親戚とかいない?──
神王虎が光翔虎である可能性を、シノブは捨てていなかった。
ホリィ達にしろシャンジーにしろ、イーディア地方を隅から隅まで調べたわけではない。いるとしたら魔力が濃い森で巨体でも入れる大きな洞窟がある土地だが、上空を飛び抜けただけでは洞窟を発見できない場合もあるだろう。
実際に神王虎なる存在を、今までシャンジー達は掴めなかった。したがって、この地に何らかの巨大生物がいるのは確かなのだ。
──確か伯父さんがいるそうです~。母さんの兄さんですね~──
ただしシャンジーは、東というのがイーディア地方か知らないという。
エウレア地方の東端からイーディア地方の西端までは、おおよそ3000kmくらいのようだ。そのくらいだと光翔虎でも片道二十時間ほどは掛かるから、行き来があるとしても極めて稀なのだろう。
──でも、伯父さんが神王虎なんて名乗るかなぁ~? 謙虚な性格だったって、母さんは言っていました~。『神で王の虎』なんて、言わないと思うんです~──
少しばかり不満が滲む思念を、シャンジーは発した。
シャンジーの母リーフは、兄を随分と尊敬しているらしい。したがって彼は、伯父が神や王を冠する異名を作りはしないと考えたようだ。
──なるほどね……でも『神王の虎』かもしれないよ? つまり神王という存在がいて──
──シノブさん、それかもしれません! 私が夢で聞いたのは『神王虎』ではなく『神王』だったように思うんです!──
シノブの思念を掻き消すほどの勢いで、オルムルは強い魔力波動を発した。そのためシャンジーを含め、全員が彼女を注視する。
どうやらイーディア地方には、神王と名乗る者がいるらしい。そして神王こそが、オルムルに恐怖を感じさせた存在のようだ。
──また一歩前進だね!──
シノブは喜びを感じつつも、気を引き締めていた。シャンジーの言うように『神で王』と名乗る相手なら、超常の何かの可能性もあるからだ。
しかしシノブは警戒を胸の内に仕舞い、敢えて笑顔を作る。我が子と同じように愛を注ぐオルムルである。彼女には普段通り明るくあってほしい、そうなるように守らねばと思ったのだ。
──はい、シノブさん!──
オルムルは強い喜びを顕わにする。そして彼女は子猫ほどに小さく変じると、一直線にシノブの胸に飛び込んだ。
どうやら自分の気遣いなど、オルムルにはお見通しらしい。しかし想いが通じているなら、もっと自身の心を伝えよう。そこでシノブは魔力と共に、絶対に守り通すという意思を送り込む。
シノブの気持ちはオルムルに、そしてシャンジー達にも伝わったようだ。何故なら白銀に輝く若き光翔虎は東洋の龍に似た緑の竜を連れ、果てしない蒼穹へと舞い上がっていったからだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年6月21日(水)17時の更新となります。