表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第23章 灼熱大地の人々
563/745

23.10 師の心 前編

 オルムル達が運ぶ空飛ぶ船、シノブ号は雪に覆われた大地の上を進んでいる。

 この一年でフライユ伯爵領の北は大きく変わった。かつて魔獣の領域だった高地は、岩竜ガンドやヨルムの助けで入植が可能となった。そして多くの人々の努力により無数の町村が生まれ、メリエンヌ学園により文化や技術の発信地としても名を挙げた。

 北の高地という素っ気ない名は既に過去のもの、人々は豊穣と先進のアマテール地方と誇らしげに呼んでいる。そしてアマテール地方の発展を端的に示すものが、シノブ号の進路に現れた。


 それは蒸気機関車だ。北に向かうシノブ号の正面から、漆黒の汽車が走ってくる。これはアマテール地方の中央を南北に貫く、アマテール鉄道である。

 地上を走る蒸気機関車には、数両の客車が連結されている。その客車からは大勢の人々が顔を出し、上空のシノブ号を見つめている。


『ちょっと高度を下げますね!』


 オルムルは見上げる人達に応えるべきと思ったらしい。シノブ号は多少速度を落とし、高度も先ほどの半分程度となる。


『皆さん、こんにちは!』


「シュメイ様~!」


 シュメイが呼びかけると、列車から声が返ってくる。それに蒸気機関車も汽笛を響かせ応じていた。


『これは新型ですね~! 初めて見ます~!』


『動輪が四つもあります!』


 こちらはフェイニーとファーヴだ。アマテール地方にはガンドとヨルムの棲家(すみか)があるから、子供達も蒸気機関車を目にすることが多いのだろう。


「ここまで来ましたか……」


 シャルロットは感慨深げな様子で呟く。彼女はアマテール地方の蒸気機関車を初めて目にしたのだ。


 アマテール地方の北には良質の鉱山があるから、アマノ王国と同様に鉱山鉄道が敷かれた。そして蒸気機関はアマテール地方で生まれたから、鉄道の敷設も極めて早かった。

 アマテール鉄道は北の鉱山からメリエンヌ学園を通り、アマテールの町を抜けて南へと向かっている。これは蒸気機関普及の経緯と密接に関係している。


 およそ一年前、蒸気機関はアマテールの町、当時はアマテール村と呼ばれた開拓地で生まれた。魔力が濃いアマテール地方では魔道具が容易に使え、湯沸かしの魔道具で充分な蒸気を得られたからだ。

 そのためアマテール地方では蒸気機関が急速に広まった。シノブが原理を示したのは創世暦1001年1月下旬だったが、翌月の終わりには鍛冶や織機などにも使われていた。この劇的な普及はドワーフ達が新たな技術に強い興味を示したからだが、やはり魔力を得やすい土地というのも大きいだろう。

 更に同年4月にはメリエンヌ学園が開校し、領都シェロノワにあった研究所も学園に移った。ここでも蒸気機関は大いに研究され、同月のアルマン王国との海戦には蒸気船まで送り出した。

 そして創世暦1001年6月1日、アマノ王国の建国式典では蒸気自動車も登場し、幾らか遅れて蒸気機関車も実用化された。これらの開発や試験もメリエンヌ学園の研究所が担当したから、そのときからアマテール地方には鉄道がある。


 とはいえアマテール鉄道の敷設が始まったころ、既にシャルロットは妊娠中期に入っていた。そのため彼女は長くアマテール地方に訪れることはなく、延伸についてもシノブやミュリエルから聞くだけであった。


「この辺りはアマテールの町の南、およそ20kmほどですね」


「あと20kmで高地の南端か……」


 アミィとシノブもシャルロットの隣に並び、雪原を走る列車を見下ろす。

 雪原といっても、この辺りはまだ雪が少ない方だ。そのため線路の両脇の雪も、車輪を三分の一ほど隠す程度である。

 鉱山の近くやメリエンヌ学園の辺りは雪深い場所だから専用の除雪車が必須だが、ここでは先頭の機関車に排雪板を装備する程度で充分らしい。


「これからは南への延伸が中心です!」


「関係者は春までに高地の下、そして夏にはシェロノワまでと意気込んでおります」


 ミュリエルは誇らしさが溢れる笑顔、そして彼女の祖母アルメルも抑えてはいるが嬉しげな様子である。

 アマテール鉄道は元々が鉱山鉄道として始まったこともあり、開通も鉱山と(ふもと)を結ぶ路線を優先していた。それに鉱山の近くは標高も高く、冬場の延伸が困難という事情もある。

 そのため最初はメリエンヌ学園から先にある複数の支線、山脈沿いの主要鉱山へと向かう路線が敷かれた。そしてアマテールの町から南への路線は、秋も深まってからの着手となっていた。


「素晴らしいですわね! ……ですが、南だと魔力が足りないのでは?」


 最初は感激の面持ちだったセレスティーヌだが、暫しの後に小首を傾げた。

 この世界の蒸気機関車は熱を湯沸かしの魔道具で得ており、石炭の代わりに魔力蓄積結晶を大量に組み込んだ台車を備えていた。つまり地球の蒸気機関車でいう炭水車、石炭などの燃料や水を積み込んだ車両は、巨大な魔力蓄積装置と水槽を備えた魔水車となっていた。

 この魔水車への魔力充填は周囲の魔力密度で大きく異なり、アマテール地方のような適地だと僅かな時間で済むが多くの場所では一日以上掛かる。そのためセレスティーヌは、南に延伸した場合にどうするのか気になったのだろう。


「シェロノワなど主要拠点に魔水車を複数用意します! 繋ぎ換えには少し時間が掛かりますけど……」


「でしたら大丈夫ですわね! ……シノブ様、アマノシュタットにも鉄道を造りましょう!」


 ミュリエルの説明を聞き、セレスティーヌは再び顔を輝かせた。そしてセレスティーヌはアマノ王国の首都にも鉄道をと言い出す。


 アマノ王国も鉱山周辺から鉄道を整備しており、まだ都市まで乗り入れた路線は存在しない。しかもアマノ王国は全体的に標高が高く、アマテール地方の北部と同じくらい雪深い場所も多かった。

 そのため鉄道の延伸も冬場は一休みで、今は雪解け後の計画を練っているところだ。


「たぶんマティアス達が考えているよ。それにアマテール地方は新規の開拓地だから優遇すべきだけど、王都ばかりを便利にしたら文句が出るかもしれないよ?」


 シノブは少しばかり冗談めいた口調で応じた。

 鉄道の延伸や関連技術の向上について、シノブは殆ど口出しをしていなかった。実はシノブも魔水車を交換して運用すればと考えたが、それも胸の内に仕舞っていた。


 新たな技術には新たな発想が必要だが、それらは作る者達が自身で見つけるべきものだ。与えられた知識で教えられた通りに組み立てるだけでは、真の成長は無い。

 戦などで急ぐ理由があるならともかく、そうでなければ関わる者達が自身で答えを(つか)み取るべき。それが次への成長に繋がるのだから。

 技術の向上に都市や国の発展。一日も早くという気持ちはあるが、本当に先を考えるなら答えを与えるようなことは控えるべきだろう。それに国王の介入で議論を終わらせることも。シノブは、そう思うようになっていた。


「では、ここの例を伝えて考えてもらいましょう! 鉄道は便利で快適ですから!」


 セレスティーヌはシノブの内心を察し、直接的な指示を控えることにしたようだ。しかしフライユ伯爵領の事例を紹介すると宣言する辺り、彼女は王都への鉄道開通の早期実現を諦めてはいないらしい。


 もっともアマノシュタットに鉄道をというのは、セレスティーヌだけの願いではない。

 昨年十月のアマノ同盟大祭では本物の何分の一かの大きさで造られた小型の蒸気機関車が披露され、軍の訓練場に仮設した線路を走った。これに乗った人々の殆どは、王都アマノシュタットに鉄道をと望んだのだ。

 こちらの蒸気機関車は地球のものとは違い、熱を魔道具で得る。そのため石炭による煤も生じないから、顔や服が真っ黒になることもない。

 それに蒸気機関車は馬と違って落とし物をしないから、余計に素晴らしく感じたようである。これは通りの清掃をする住人ならではの観点だが、重要なことには違いない。


「それが良いでしょう。きっと彼らならアマノ王国に合った答えを見つけてくれる筈です」


 シャルロットの言葉に、シノブは静かに頷いた。そしてシノブは、多くの人々の知恵と努力の結晶である蒸気機関車に、再び目を向ける。

 純白の大地を真っ直ぐ走る蒸気機関車と客車は、昼過ぎの陽光と雪原からの反射を受けて(まぶ)しく輝いていた。そして随分と近くなったから、手を振り笑顔で声を張り上げる乗客達も良く見える。


「お~い!」


 シノブ達も、同じように手を振り大声で呼びかける。

 きっと先々はアマノシュタットとシェロノワが鉄道で結ばれるだろう。そしてシェロノワから先にも広がっていく。西のベルレアン伯爵領へ。そして西南のメリエンヌ王国の王都メリエへ。更に様々な都市、国境を越えた向こうにも。このように笑顔で一杯の人々を乗せて。

 列車との交流を終えた後、シノブは思い浮かべた夢想を語る。すると一同は車上の人々と同じくらい大きく顔を綻ばせた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 メリエンヌ学園に着いたシノブ達は、幾つかに分かれた。

 まずオルムルを始めとする超越種の子供達は、ガンドとヨルムの棲家(すみか)へと向かった。彼らは魔獣の領域で自身の腕を磨くからだ。

 次にミュリエルとアルメル、そしてセレスティーヌは校舎に入る。この三人は技術や文化関連の授業を見学しに行ったのだ。

 そして残るシノブとシャルロット、アミィだが、そのまま校庭に留まる。


「それでは幼年部武術特級の訓練を開始する! まずは上段、素振り五百回……開始!」


 メリエンヌ学園の校庭の隅々まで、老教官の太く張りのある声が響き渡る。まるで大軍を率いる将のような威厳に満ちた声音(こわね)だが、それも当然で教官を務めているのは『雷槍伯』アンリだ。


「一、二、三……」


 およそ三十人ほどだろうか、子供達が一斉に鉄剣を振り始めた。

 幼年部だから子供達は原則として五歳以上で十歳未満だ。その年齢で素振り五百回とは非常識に感じるが、彼らは選りすぐりの逸材だから平然と指示に従う。

 剣の長さは子供達の身長を超えているが誰一人として揺らがないし、強化で筋力を上げているらしく小枝のように軽々と操る。それに速度も相当なもので、おそらく毎秒二回に近いと思われる。


「ロレンシオ、次から一つ上! テレンツィオも上げて良し! ……ミシェルとジェレッサ、ロカレナは二つ上げろ! ……ジョルディーノは一つだ!」


 アンリが声を上げると、呼ばれた子が一瞬だけ顔を輝かす。

 子供達が振る剣は、それぞれの力量に応じた重さであった。そして上げて良いという指示は次から重い剣にしろということで、つまり上達を認められたわけである。

 本来ならば声を上げて喜ぶのだろうが、今は修行の最中だから子供達は素振りの回数を数えるのみだ。しかし彼らに代わって歓喜の叫びを発した者達がいる。


「おお、ロレンシオが!」


「テレンツィオ、良かったな!」


 アンリの後ろで大きな声を発したのは、ガルゴン王国の国王フェデリーコ十世とカンビーニ王国の国王レオン二十一世であった。この日、彼らもメリエンヌ学園の視察をしていたのだ。

 もっとも今回は視察ではなく父兄参観と言うべきだろう。フェデリーコ十世はロレンシオの祖父で、同じくレオン二十一世もテレンツィオの祖父なのだ。


「ジェレッサも随分と腕を上げましたね」


「先代様にご指導いただいたからです」


 シャルロットの賞賛に、ジェレッサの父ラシュレー子爵ジェレミーが頬を染めつつ応じる。

 ジェレミーは元々ベルレアン伯爵家の家臣でアンリの腹心だった。そのため彼はフライユ伯爵付きの子爵となった今でも、私的な場だとアンリを先代様と呼んでいるようだ。


 同じように多くの者が顔を綻ばせ言葉を交わしている。

 ベルレアン伯爵の家令フェルナンと侍女長サビーヌ、つまりミシェルの両親は、ガルゴン王国のムルレンセ伯爵の嫡男フェルテオと笑顔で語らっている。フェルテオはロカレナの父で、ミシェルとロカレナはミュリエルの側付きとして一緒に学んでいるからだ。

 カンビーニ王国のアマート子爵ガウディーノ、今はアマノ王国のイーゼンデック伯爵夫人となったアリーチェの父は、国王レオン二十一世の祝福を受けていた。ガウディーノの息子ジョルディーノはテレンツィオの学友、つまりお付きなのだ。


──やっぱり武術特級は王族や高位の貴族が多いね──


──魔力量が違いますし、身体強化への適性も親から受け継いでいますから──


 シノブとアミィは密かに思念を交わす。そして二人は、隣に視線を転じた。

 そこでは十歳以上、つまり初級部や上級部に所属する学生達が、実戦形式の訓練をしていた。ちなみに、こちらも武術特級である。


「勝負あり! アウネ!」


「やった!」


「参りました」


 イヴァールの妹アウネが振るった戦斧が、ガルゴン王国の王太子の娘エスファニアの長槍を叩き落とした。もちろん双方とも刃を付けていない訓練用だが、当たれば大怪我は間違いない。

 そのため周囲には大勢の治癒術士や見習いが控えている。ちなみに見習い達も学生で、魔術特級に所属する者達である。


「そこまで! イポリートの勝ち!」


「もう少しだったのに!」


「ええ、前回の対戦より鋭く感じました」


 こちらはメリエンヌ王国のエチエンヌ侯爵の娘イポリートとガルゴン王国のバルセロ子爵の娘ミリアムだ。ちなみに武器は双方とも小剣である。

 イポリートはセレスティーヌの学友で対帝国戦を指揮した武将の一人シーラスの妹、ミリアムはイーゼンデック伯爵ナタリオの妹だ。そのため双方ともシノブ達は良く知っている。

 エチエンヌ侯爵家は軍務卿の家柄、そしてイポリートはミリアムより三つ年長だ。したがって勝てて当然という思いがあるのだろう、脇に下がっていく彼女は年下の対戦相手を慰めてすらいた。


「ユベールの勝ち!」


「これで今月は三敗ですか……」


「セドリック様は一つ年下ですから」


 男子も同様で、高位の貴族や有名な騎士の子が殆どだ。

 メリエンヌ王国だとポワズール伯爵の嫡男セドリックと彼の学友ユベールが槍を交えている。このユベールもアリエルの弟で父がアンリの高弟スーリエ男爵だから、やはり血筋だろう。


 ちなみに年長の方も、家族が周囲を囲んでいる。そして彼らはシノブが顔を向けたことに気付いたようで、会釈をする。

 武術にしろ魔術にしろ特級ともなると、よほどの魔力や適性が無いと無理なようだ。そのため彼らの大半は、やはりシノブの知る顔であった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブが年長の子供達を見ている間に、幼年部の素振りは終わっていた。そして子供達は脇に並び、代わってアンリが中央に進み出る。


金太郎(きんたろう)!」


「はい!」


 アンリに呼ばれて進み出たのは、狸の獣人の少年であった。ヤマト王国の伊予(いよ)の島から来た、多怒(たぬ)家の嫡男である。

 ヤマト王国からは同じく伊予(いよ)の島のエルフ、多気(たけ)美頭知(みずち)も研究所で働いている。そういう先例が、キンタロウを異国での修行へと(いざな)ったのだろう。


「お願いします!」


 キンタロウが手にしているのは、先ほどまで振っていた重い模擬剣ではなかった。おそらく、こちらは幼い体に合った剣なのだろう、先ほどより明らかに振りかぶりが速い。


「来い!」


 一方のアンリは、何も持っていなかった。

 もっとも相手は八歳の少年だから、無手で充分ではある。そのためだろう、周囲に驚いた様子はない。


「やっ!」


「脇が甘い! もう一度!」


 キンタロウの大上段からの一撃を、アンリは最小限の動きで躱した。そして同時に老武将は、少年の体や剣に僅かだが触れていた。

 しかもアンリは相当の速度で動いたらしく、まるでキンタロウの周囲を複数人が囲んでいるようにすら見える。


「よし!」


「ありがとうございます!」


 どうやらアンリは、キンタロウを正しい動きに導いたらしい。少年の二撃目は、傍目でも分かるくらい剣速が上がっていた。

 これには参観中の大人達も驚いたようで、皆一様に感嘆の声を漏らしている。


「流石は先代様……シャルロットも、ああいう風に指導していただいたの?」


「はい。ただし私達の場合、打ち倒されてからでしたが……」


 問うたシノブに、シャルロットは恥ずかしげに頬を染めつつ答えていく。

 かつてシャルロットは、学友のアリエルやミレーユと共にアンリの教えを受けた。そのときアンリは、シャルロット達に不足があれば、まず痛撃で示したという。


「それはシャルロット様が跡取りだからです。ここでの指導は、一般向けですね」


 当時を良く知る一人、ラシュレー子爵がシャルロットの言葉を補う。長くアンリの腹心を務めただけあって、彼もシャルロット達の指導に加わったことがあるようだ。


「次、フェリーヌ!」


「はい!」


 キンタロウに代わって進み出たのはメリエンヌ王国の貴族令嬢、ビューレル子爵の次女フェリーヌだ。つまりアマノ王国の内務卿シメオンの妹、アンリからすると弟シャルルの孫娘である。

 どうもシメオンの妹達は上のレリアルが魔術向き、下のフェリーヌが武術向きらしい。レリアルは魔術特級として治癒術士見習いに混ざっていた。


「えい!」


 フェリーヌは勢い良く突きを繰り出す。一跳びで相手の懐に入る瞬発力、そして素早く片手で剣を繰り出す思い切りの良さ、それらに周囲の多くが瞠目したようだ。


 シノブも少々驚きを感じていた。フェリーヌの技がフライユ大剣術の『金剛破』と似ていたからだ。

 まだ七歳の少女だけに動きを真似ただけらしくもあり、少し跳び込みに意識を集中しすぎているようにも感じる。しかし年齢を考えたら驚くべき速さであるのは間違いない。


「なっておらん!」


 何とアンリは、幼い少女を地に突き倒した。かなり手加減をしたようだが、アンリはフェリーヌの剣を躱すと肩を押して転倒させたのだ。


「無謀な跳び込みは避けられるだけ! 格下ならともかく、同格や上には通用しないぞ! さあ、もう一度だ!」


 アンリの獅子吼(ししく)というべき叱咤を受け、フェリーヌが立ち上がる。やはり老武人は充分な加減をしていたのだろう、少女は土に(まみ)れているが怪我などは無さそうだ。


「厳しい指導もあるみたいだけど?」


「これは……」


 シノブの指摘に、ラシュレー子爵が頭を掻きつつ笑みを返す。

 子供達に驚いた様子はないから、こういった指導も常日頃からあるのだと思われる。もしかすると先ほどのキンタロウは、アンリからすると及第点に近い出来だったのかもしれない。


「客に良いところを見せようなど、百年早い! まずは基本! 兄の側に行きたいなら、兄の冷静さを見習え!」


「は、はい!」


 アンリの指摘が図星だったのだろう、フェリーヌは頬を染める。そして彼女はキンタロウと同じ大上段の構えを取った。


「なるほどね。ご両親か俺達か分からないけど、フェリーヌは観客を意識していたのか」


「私も新たな技を無理に試そうとしたときなど、強く叱られました。『戦場では己の技を誇る者から(たお)れていく』と……」


 シノブの呟きに、シャルロットは先ほどよりも顔を赤くしつつ応じた。どうやら彼女は、自身の幼いころとフェリーヌを重ねたようだ。


 シャルロットが自身の修行時代を語る間に、アンリはフェリーヌの指導を終えていた。次に呼ばれたのは、ガルゴン王国の王太孫ロレンシオである。


「そんなことでは王者の剣を会得できんぞ! お前はガルゴン騎士の頂点に立つのだろう!?」


「はい! もう一度お願いします!」


 アンリは王族だろうが遠慮しないようで、ロレンシオはフェリーヌと同様に転がされた。しかも今度の突き飛ばしは随分と強烈で、先刻とは比べものにならない激しい音が響く。

 しかし立ち上がった少年の顔は、凛々しく引き締まったままだ。そして僅か八歳の小さな剣士は、再び遥か年長の師に挑みかかる。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 全員に指導を終えたアンリは、後を他の教官に任せることにしたらしい。彼はシノブ達に向かって歩いてくる。


「どうだ、シノブ? 何か得るものはあったか?」


「はい、とても助かりました」


 微笑むアンリに、シノブは感謝の言葉を返す。

 アンリが見ているのは、単に武芸の良し悪しだけではなかった。彼は子供達の心に寄り添い、それぞれに必要な道を示していたのだ。

 絶対的な上下ではなく、昨日の自分を超えた者には祝福を贈る。超えようと前を向く者には手を差し伸べる。焦る者には叱責と同時にあるべき姿を、己を(つか)めぬ者には言葉を飾らず今の姿を示す。

 子供達は大勢いるが、アンリは一人一人と誠実に向き合っていた。彼の目は武術の訓練だけではなく抱えているものや日頃の生活にも及んでいるのだろう、子供達も厳しい言葉であろうが真摯に受け取っていた。


 遠いヤマト王国から来たキンタロウは、まず他と並ぶようにと導く。確かにキンタロウは幼年部武術特級に相応しい腕を持っているが、エウレア地方に馴染みつつだ。それならば、今は着実な成長を褒めて伸ばせば良い。

 フェリーヌは兄のシメオンを尊敬し、彼の補佐をしたいらしい。単なる憧れかもしれないが上手く作用すれば成長の原動力となるから、それは良い。しかし焦って自身を見失っては逆効果だ。そのため時には厳しく(いさ)めて正さねばならない。

 ロレンシオは先々ガルゴン国王となる身だから、並の腕では困る。アンリは彼に他の子より厳しい指導をしていたが、贔屓(ひいき)や差別とは違うだろう。あくまでロレンシオの将来に必要だから、相応しい道を示す。それが分かっているからロレンシオや他の子も素直に受け取っていた。


 それだけの細やかな指導が、自分に出来るのか。自分も従者や見習いの子供達を預かる身だが、彼らの一人一人を適切に導いてきただろうか。シノブは今更ながら、そう感じていた。


「子供は全て違うのだ。いや、子供だけではない……誰もが自分だけの望みや目的を持っている。そして喜びや悲しみも……。

出来れば皆の願いを(かな)えてやりたいがな……。しかし、ここにいる子供達の多くは、生まれたときから背負っているものがある」


「それで、まずは彼らが自身の道を進めるようにと?」


 シャルロットは、祖父にして師である老人に確認めいた問いを発した。おそらく彼女は、大先達(だいせんだつ)であるアンリの考えを、少しでも己のものとしたいのだろう。


「そうだな。道が決まっている者が、そこを歩めぬというのは不幸だ。あの者の兄のようにな」


 アンリが向いた先には、虎の獣人の少年がいた。年長組の武術特級に加わる彼の名はアッティーロ、カンビーニ王国のモッビーノ伯爵の次男にして継嗣である。

 アッティーロの兄エヴァンドロは伯爵家の長男として生まれたが、武人や領主としての才を持っておらず廃嫡された。今のエヴァンドロはメリエンヌ学園の研究員および教員として働き日々を楽しそうに送っているが、そうなるまでは本人と周囲の双方共に(つら)いものがあったようだ。


「武人や魔術師だと、適性ありきですからね」


 アミィは試合形式の訓練を始めた子供達に目を向けていた。

 まだ十歳にもならないというのに、子供達は堂々たる剣技を示していた。教えも良いのだろうが、高度な身体強化の素質があるから可能なことだ。

 身体強化は反射神経どころか思考速度にも影響する。つまり高度な強化を習得すれば瞬時の技でも手に取るように理解できるし、同じ期間でも数段上の習熟度を示すことさえある。

 実際シノブも、それらの助けがあればこそ、極めて短い間に武術や魔術の腕を上げることが出来た。


「しかし単純ではあるぞ? 身体能力や魔力で無理なものは無理と示せるからな。

それに比べると内政官などは難しい。どれだけ周囲が無能と思っていても、本人だけは気付かない……まあ、半分は気付かない振りをしているのだろうが」


 アンリは辛辣な笑みを浮かべていた。おそらく彼は口にしたような例を、長い人生の間に多数見てきたのだろう。


「武力や魔力とは違い、頭の中など量れぬよ。どんなに気を付けていても、最後のところはな……それに近すぎても目が曇る」


「それは……」


 ほろ苦さを増したアンリの表情を見たからだろう、ある男をシノブは思い浮かべてしまう。

 彼の名は、マクシム・ド・ブロイーヌ。アンリの下の弟の孫で、シャルロット達の又従兄弟。そしてシャルロットの暗殺を試み、処刑された男だ。

 マクシムの祖父、エドガール・ド・ブロイーヌは二十二年前のベーリンゲン帝国との戦いで散った。それ(ゆえ)アンリは彼の遺族を手厚く保護し、後見した。

 シノブが知るマクシムは、既に二十四歳で大隊長として独り立ちしていた。そのためアンリも彼の私生活に踏み込むことはなく、陰謀に気付けなかったようだ。

 しかしアンリは、それさえも自身の落ち度と思っているのかもしれない。


「だから儂は、この子達を明るい未来に導きたいのだ。まずは自身の目指すべき道に相応しく……そして無理なら、新たな何かを示してやりたい。

武人の子が武人になれなくとも、幸せは(つか)めるだろう? だが、あまりに長く武人に拘っていては、幸せを逃すかもしれぬ。であれば必要とされる場に早く導くべき……儂は、そう考えておる」


 アンリは武術特級や魔術特級、そして特級に続く級も、それらを意図したものだと続ける。

 それぞれの力量に応じて別々の教育を施す。そこには当然、喜びだけではなく悲しみもある。しかし表面を糊塗(こと)して同じように扱っても、いつかは明らかになる。

 それなら最初から真実を見せるべきだ。学園という場で見守れるのは、ほんの僅かな間だけなのだから。独り立ちした後で己の理想と現実の差に嘆いて道を誤るより、自身が導ける間に。アンリは、そう結ぶ。


「お爺様の仰る通りですね。王族に貴族、騎士に従士、それに農家や商家……相応しい者が望み望まれて継ぐように、私達は導くべきです。そうなるよう、一層の精進をします」


 シャルロットの言葉は、シノブの胸に強く響いた。

 適性があり、本人が希望し、周囲も歓迎する道。そうなるように国を動かす自分達が支援していく。

 親が授けた技で家業を継ぐ。別の道を選び家を離れる。選ぶ機会があり、適切な道を示されてであれば、どちらも素晴らしいことだとシノブも思う。


「お前達の心配はしておらんよ……ミュリエルもな」


 アンリは孫娘の決意表明を軽く流した。どうやら彼は素直な賞賛に照れたらしい。


「そうでした! ミュリエルはベルレアン流の霞礫(かすみつぶて)巌砕(いわくだ)きを披露してくれました! 大男に匹敵する木人を一瞬にして撃破したんですよ!」


 シノブは先日の対木人戦の詳細をアンリに語っていく。すると老武人は、これぞ好々爺(こうこうや)と言うべき朗らかな笑みを浮かべる。


「ミュリエルがな……確かに手ほどきはしたよ。しかし、そうか……あの子がなあ……」


 アンリの目には熱いものが浮かんでいた。『雷槍伯』と呼ばれる伝説的な武人でも、孫に対しては少しばかり甘さが残るようだ。


「こちらでも教えているのですか?」


「もちろんだとも! この後の模擬戦で披露するぞ!」


 シノブの問い掛けに、アンリは大きく頷いた。そして彼は年長の武術特級の子達へと顔を向ける。

 アンリが手塩にかけて育てた子供達。彼らがどのような技を披露してくれるのか、シノブは期待に胸を躍らせる。

 そしてアンリを先頭に、シノブ達は朗らかな笑顔で語らいつつ歩き出していった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2017年6月7日(水)17時の更新となります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ