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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第23章 灼熱大地の人々
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23.09 学ぶ者の資格

 地球のインドに相当する地、イーディア地方には国家間の(いさか)いもある。交戦の真っ最中ではないが、危険を伴う地域も幾つか存在するのだ。

 しかもイーディア地方は、先日のアウスト大陸に比べて厳格な社会体制らしい。良く言えば進んでいるのだろうが、国家間の緊張があるだけに統制が厳しいようでもある。

 そのためホリィとマリィは、まず自分達とシャンジーで充分な調査をすべきと思ったのだろう。


 二人の進言を受け入れ、シノブは今しばらく待つことにする。ただしアマノシュタットで待機していたわけではない。

 シノブはベルレアン伯爵コルネーユに伝えた通り、メリエンヌ学園へと向かっていた。ベルレアン伯爵家訪問の二日後、シノブ達は同じくメリエンヌ王国のフライユ伯爵領に赴いたのだ。


 現在でもシノブはフライユ伯爵位を保持しているが、領政への関与は大幅に減っていた。これはミュリエルの祖母アルメルが領主代行として堅実に治めているからである。

 とはいえシノブが領主であることに変わりなく、ミュリエルも次代の伯爵の母となる身だ。そのため二人は定期的にフライユ伯爵領に赴いていた。

 シノブは国王や同盟の盟主としての仕事があるから月に一度か二度、ミュリエルは週に一回か二回はアルメル達に会いに行く。そして多くの場合、アルメル達が住む領都シェロノワから各地を巡る。


 そんなときシノブ達が移動に使うのは、磐船と同じ空飛ぶ船『シノブ号』だった。今もシノブは、自身の名を冠した船でメリエンヌ学園へと向かっている。

 シノブ号は通常型の磐船に比べると全長が半分程度で、20mほどしかない。そのため体積も比例して小さいが、船倉には魔法の馬車を置くだけの広さがある。

 つまり魔法の馬車に備え付けの転移の絵画を使えば飛行中に各所と行き来でき、それでいて着地の際は磐船ほど場所を必要としない。したがって小規模な町村を巡るには、こちらの方が向いていた。


 このシノブ号を運ぶのは超越種の子供達である。今は岩竜のオルムルとファーヴ、炎竜のシュメイとフェルン、そして光翔虎フェイニー、嵐竜ラーカ、朱潜鳳ディアスが装具にロープを付けて船体を吊っている。

 残る海竜リタンと玄王亀ケリスは甲板の上だ。海竜や玄王亀は飛翔を得意としていないから、重力制御で船を安定させる役を担っている。

 これはオルムル達が、親のように空飛ぶ船を運びたいと願うからだ。そのためシノブも危険がない近距離旅行では、子供達の願いを(かな)えることにしていた。


『メリエンヌ学園まで、すぐですよ!』


『四十分もあれば着きます!』


 シノブ達の頭上から、張り切りも明らかなオルムルとファーヴの声が降り注ぐ。

 メリエンヌ学園は北の高地アマテール地方でも最奥で、シェロノワからだと100kmほどはある。しかし今のオルムル達はシノブ号を運びながらでも時速150km程度で飛行でき、領内の殆どを一時間以内で移動可能としていた。


『風船なしでも充分ですね~。補助具を着ける赤ちゃんは卒業です~』


 フェイニーも気持ち良さそうに飛翔している。

 当初のシノブ号はヘリウム入りの巨大な風船で浮力を稼いだが、今は違う。ディアスとフェルンが加わり、更に元からいる者達も能力を増したからだ。


『私も一歳を超えましたから! 賢竜(けんりゅう)シュメイです!』


 朗らかに応じたのは、炎竜シュメイだ。

 三日前、シュメイは一歳になり賢竜(けんりゅう)の名を授かった。まだ成体になるのは遥か先だが、竜として充分な力を備えたと長老達から認められたのだ。

 しかもシュメイは新たな力、知恵の神サジェールからの贈り物も得た。姉貴分のオルムルが金の光を放つように、彼女は真紅の光輝を放った。

 自身がオルムルと同じ道を歩めたことにシュメイは極めて大きな喜びを感じ、同じくらい強い安堵を(いだ)いたようだ。それ(ゆえ)この三日、シュメイは普段よりも遥かに上機嫌なのだ。


「シュメイ様も、もう一歳ですか……初めてお会いしたのは、去年の二月の終わりでしたね」


「ええ……あのときの小さな竜が独り立ちをしたのです」


 感慨深げなアルメルに、シノブは静かに頷いた。そして甲板の上にいる者達も、二人と同じく過去を想起したようだ。

 アミィはシュメイを見上げている。彼女の薄紫色の瞳は僅かに濡れているが、きっと幼い炎竜を助け出した日を思ったからであろう。

 シャルロットやミュリエル、そしてセレスティーヌは、シェロノワで幼子達を迎えた日を思い浮かべたらしい。アミィと同様に子竜達を見上げた三人は、まだ抱えられるくらいだったシュメイやファーヴの様子を語らっている。


「親達や先を行く者に追いつきたいのですね……」


「分かる気がします。私も子供のころ、早く両親や兄を助けようと勉学に励みましたから」


 納得の笑みを浮かべるアルメルに続いたのは、宰相ベランジェの第二夫人レナエルである。

 現在レナエルはアマノ王国の文化庁長官代理を務めている。これは長官のアリエルと副長官のミレーユが二人とも産休に入ったからだ。

 そのためレナエルは教育を管轄する文化庁の責任者として、シノブ達のメリエンヌ学園視察に加わったわけである。


 ちなみにベランジェの第一夫人アンジェは外務卿補佐として、同じく国政に関わっている。まだまだ人材不足気味ということもあり、アマノ王国では働く女性貴族が多いのだ。

 もっともシノブは男女に関係なく世に出てほしいと思っているから、人手云々を別にすれば歓迎すべきことである。それにレナエルはメリエンヌ王国の内務卿ドーミエ侯爵の妹で、高い教養の持ち主でもあった。

 この才人に活躍の場を与えないなど、シノブならずとも残念に思うであろう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 メリエンヌ王国の場合、侯爵家は代々特定の役職を継いできた。そのため子供達にも、幼いうちから自家の担う職への意識付けをしたようだ。

 アルメルも実家が農務卿のジョスラン侯爵家だけあって、早くから農業関連を学んだという。メリエンヌ王国の爵位継承は男子優先だが万一兄弟が没したら女性でも跡を継ぐし、男達が元気でも助けが多くて困ることはない。実際アルメルも領主代行として働く上で、過去の教育が大いに役立っている筈だ。


 そのように代々の職があれば、最初から特定の方面のみ学べば良いだろう。しかし軍人などは、そうもいかない。この星の人類は魔力量や身体強化の適性などで、肉体的な能力が大きく変わってくるからだ。

 アマノ王国やメリエンヌ王国には軍務卿という職がある。これを継ぐには、やはり軍人としての力量も重要視されるだろう。

 しかし軍務卿となるべき者が、軍人としての適性を持っていなかったらどうなるのだろうか。


「多くは親と似た能力を持つようですが……」


「ただし、例外があるのも事実です……」


 アルメルとレナエルはシノブの問いに、ゆっくりと応じていく。

 軍の要職を受け継ぐ家は婚姻の相手も能力第一で選ぶから、多くは子供も武人向きとなる。しかし稀に先祖返りなのか、両親とは違う傾向を示す者もいる。

 もっとも軍務卿自身が剣を振るうなど、滅多にないことだ。そのため個人的な武力は低くとも、将としての力量さえあれば大抵の場合は問題ない。ただし常人並みの身体強化しか出来ないと、流石に困るようだ。


 一般の者は一割ほど強化できるが、軍人志望者だと最低でも五割を超えるという。そして軍馬を与えられる騎士だと、これが三倍やそこらに跳ね上がる。これは軍馬も高度な強化が可能で、常人では乗りこなせないからだ。

 そして軍馬に乗れない将軍というのは、やはり難しいものがあるらしい。


「そのような場合、長男を養子に出して次男以降に継がせる……あるいは娘に婿を迎えるようです」


「普通は遅くとも十歳ごろまでに、素質の有無が明らかになりますので……」


 二人の様子からすると該当する事例は皆無でもないようだ。

 もっとも今のメリエンヌ王国の軍務卿エチエンヌ侯爵マリユスや彼の嫡男シーラスは、双方とも巨体の持ち主で能力も充分である。したがってアルメル達が挙げたような例は、歴史上のことだと思われる。


 おそらくマリユスやシーラス、そして彼らの先祖は身体能力が優れた子孫となるように婚姻相手を選んだのだろう。それらに思い当たったシノブは、少し気の毒に感じてしまう。


「武人の場合、早くから振り分けられるのです。それに通常の入隊でも、体力測定がありますから」


 シャルロットは、常人の五割増しが絶対だという。それだけの能力がないと行軍に付いていけないから、参謀職や後方支援でも例外はないそうだ。

 ちなみに、この時点で適格者は全人口の一割以下に絞られる。そのため多くの者にとって軍に入ること自体が困難であった。


「やっぱり身体能力に優れた者は、まず軍を目指すか。俸給も良いし採用数も多いから……」


 シノブは船縁(ふなべり)に寄り、眼下へと視線を向けた。

 視線の先には、およそ一年前にシノブ自身が造った街道が存在する。シェロノワから北のアマテール地方へと続く道、通称アマテール街道だ。


 アマテール街道の周囲には、多くの集落や脇街道が生まれていた。それらを造るのは工兵隊に所属する軍人達だ。

 巡回守護隊の活躍で、かつては魔獣が跋扈(ばっこ)した北の高地も安全な場所となった。そこに道を敷設し、町村となる地を整えたのも軍である。

 そのため他とは違い開発余地が多いフライユ伯爵領だと、平和になっても軍人を目指す者が多いという。


「魔獣避けの結界を作ってくださったガンドさんやヨルムさんのお陰ですけど、軍の皆さんも頑張ってくださいました」


 感動の滲む声と共に、ミュリエルがシノブの隣に並ぶ。

 日に日に豊かになっていくフライユ伯爵領の姿は、ミュリエルにとって特別に嬉しいことなのだろう。何故(なぜ)なら将来、ここは彼女の得る子が治めるからだ。

 今のフライユ伯爵領は、メリエンヌ王国とアマノ王国を結ぶ要衝だ。しかもアマテール地方にはメリエンヌ学園があり、そこから様々なものが生まれていく。

 かつてはメリエンヌ王国の北東の辺境で、他国から訪れる者といえば対帝国戦で名を挙げようとする傭兵ばかりであった。しかし今、フライユ伯爵領は文化や技術の発信地、そして交易の要地となった。そして、まだまだ発展する余地は大いに残っている。

 遠くを見つめるミュリエルの瞳には、更なる未来の繁栄が映っているのでは。シノブは彼女の横顔から、そんなことを想起する。


「新たな町が生まれたら、新たに店や農地を持つ者も生まれますわね? やはり親と同じ仕事を選ぶ者が多いのでしょうか?」


 セレスティーヌも真新しい町へと目を向けていた。どうも大規模な農業集落を目指しているようで、町の周囲は開墾中だ。

 この辺りは高地の入り口で標高も低いから、さほど雪が降らないらしい。そのため今も大勢が整地に励んでいる。


「はい。それぞれ親から学んだ知識を活かしているようです」


「やはり手っ取り早いですし確実ですから。メリエンヌ学園のように各種の道を示す場なら、他を試す者もいますが」


 アルメルが開拓地の現状を語ると、レナエルが学園での様子に触れた。

 新規の開拓者には伯爵領も一定の支援をしているし、支援には一時金なども含まれる。とはいえ当座の生活の足しになる程度だから、全く知らない職業に手を出す者は極めて稀なようだ。


 それに対しメリエンヌ学園のように一定期間を学生として過ごせる場所であれば、あれこれと試行錯誤する余裕があるらしい。

 メリエンヌ学園や分校には各国が資金を出しており、学生は無料で学べる。入学希望者は極めて多く成績が振るわないと最悪は退学もあるが、一定の成績を残せば学業のみに集中できるのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



『色々試すのは、大切だと思います』


『そうですね。私達も、互いに技を教えあっていますから』


 教育談義に加わったのは、玄王亀ケリスと海竜リタンだ。もしかすると船の安定担当だけでは少々退屈だったのかもしれない。


「玄王亀様も……」


 アルメルは少々驚いたようで、二頭の巨獣を見つめた。

 かつてリタンはシェロノワで暮らしたが、ケリスはアマノ王国が建国した後の生まれだからアルメルとは接点が少ない。そのため彼女は玄王亀が学ぶ様子を想像しかねたようである。


『リタンさん、船の安定はお願いしますね』


『ええ、どうぞ』


 ケリスは何かを実演するつもりのようだ。彼女はリタンに一声掛けると、前に進み出る。


『まずはフェイニーさんと同じ技です』


 ケリスは腹を甲板に着け、更にゾウガメのような太い足を甲羅に引き寄せる。そして彼女が大きく口を開けると、その姿が霧に包まれたかのように消えていく。


『これが地中潜行を応用した姿消しです。フェイニーさん達とは違い空間を(ゆが)めています……まだ完全に誤魔化せていませんけど』


 光翔虎の姿消しは、透明化の魔道具などと同様で光の操作だという。しかしケリスは、自身の術を空間歪曲の応用だと告げた。

 おそらく霧のように曇って見えるのは、歪曲した空間だろう。ケリスの言葉からすると技の完成度が増したら、完璧な姿消しになるのだと思われる。


『次は空間歪曲を応用した移動です……あまり長い間は出来ませんが』


 姿を現したケリスは、宙に浮かび上がると後ろ足に青白い霧を(まと)った。そして彼女はシノブ号の脇に飛び出ると、並行して飛翔する。

 ケリスは空間を(ゆが)めて推進力を得ているのだ。


『また速くなりましたね!』


『もう私達と同じくらいです!』


 岩竜オルムルと炎竜シュメイが声援を送ると、ケリスは僅かに体を左右に揺らした。ケリスは飛翔に大量の魔力を使っているから、発声や思念で応じる余裕がないらしい。


『青白い光がカッコいいですね!』


『強そうです!』


 炎竜フェルンと朱潜鳳ディアスは青い光の尾を引いて進むケリスに歓声を上げていた。彼らは生後半年を過ぎたばかりだから、感情表現も率直なようだ。


『あまり無理しない方が良いですよ~』


『そうです、そろそろ戻っては!?』


『魔力の消費が激しいですよ!』


 光翔虎フェイニー、岩竜ファーヴ、嵐竜ラーカは年長な分だけ冷静であった。それに先ほどまでは喜んでいたオルムルとシュメイも帰還を勧める。

 するとケリスは年長の子達の言葉に従い、甲板へと向かう。


『もう終わりです……シノブさん、魔力をください』


「頑張ったね……この前より、だいぶ延びたようだ」


 戻ってきたケリスに、シノブは魔力を注いでいく。

 この技はシノブの発案によるものだ。ケリスが他の子達の飛翔に憧れていると感じ、何か良い方法はと考えたのだ。


 玄王亀は自身の体を完全に包み込むだけの空間歪曲が出来る。そして彼らの長老アケロは、集約した力をブレスのような攻撃として用いた。

 ならば推進力として使えるかもしれない。シノブの言葉にケリスは歓喜し、会得を目指して励んだわけだ。ちなみにケリスのみならずミリィも大感激していたが、それは余談である。


『私も水を使った飛翔を練習中です。ケリスさんほどではありませんが、随分と速く進めますよ。それに新たな泳法もシノブさんに教えてもらいました』


 リタンは実演をせずに語るだけで済ませた。

 ここでは泳ぎを披露できないし、水を撒き散らしたら街道や町に迷惑が掛かる。おそらく彼は、そのようなことを考えたに違いない。


『私達も他の子から技を学んでいます! ほら!』


 何とオルムルは姿を消してみせる。といっても透明化の魔道具を使ったのではない。

 光竜(こうりゅう)の名を得てからオルムルは、神秘の光を発するようになった。その光を彼女は操り、光翔虎の姿消しと同じことを実現したのだ。


 まだケリスと同じく、オルムルの姿消しは不完全らしい。良く見るとシノブ号から伸びるロープの先に、竜の姿が微かに残っている。

 とはいえ、これも更なる訓練で改善されるだろうし、現状でも遠目なら誤魔化せる域には達している。


『やっぱりオルムルお姉さまは凄いです! 私も早く覚えなければ!』


 シュメイは大感激といった(てい)だ。元々彼女はオルムルを尊敬してやまないし、自身も一歳になり真紅の光を放つ力を得た。そのため自身も続かねばという思いが強いようだ。

 ちなみに今のところ、シュメイの光の効果は判明していない。知恵の神サジェールの祝福により得た能力で、『賢さで全てを見通す者』という長老アジドの言葉からすると隠れたものでも見抜きそうだが、現状では美しい光を放つのみである。


『僕も一歳になったら光るのかな……でもラーカさんやリタンさん、フェイニーさんもまだだし……』


 来月誕生日を迎えるファーヴは、先日のシュメイと同様に期待と不安の双方を感じているらしい。

 ちなみに一歳の儀式というのは岩竜と炎竜のみであった。そのためラーカ達が長老や親から異名を授かることは無い。


『ここで無限超大切断をするわけにはいかないし……』


『絶招牙も出来ませんね~。私も車輪の他に分身を会得したのですが~』


『当たり前でしょう』


 ラーカとフェイニーの暢気(のんき)なやり取りに、リタンが(あき)れたように首を振りながら応じた。

 ただし双方とも本気ではなかったようで、揃って尾を振ってみせる。ラーカは東洋の龍のように長い尾、フェイニーは白地に薄く縞の入った尻尾である。


『ケリスの技、僕も教えてもらいました!』


『炎竜に空間を操る力は無いし……早く一歳になりたい!』


 少し自慢げなディアスに、フェルンが羨ましげな様子で応じる。朱潜鳳は玄王亀と同じで空間操作能力を持つが、他の種族には難しいようだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「こんな感じでオルムル達は教えあっているのですよ」


「……シェロノワで暮らしていたときと同じなのですね」


 シノブの静かな言葉に、アルメルは目を細めつつ応じた。彼女の顔には、まるで孫達を見るような穏やかで優しげな笑みが浮かんでいる。


 アルメルの微笑に、シノブは胸の痛みを覚えた。

 シェロノワにいたとき、アルメルは孫のミュリエルと一緒に暮らしていた。しかしシノブ達がアマノシュタットに移ってから、会えるのは週に一回か二回のみとなった。

 アルメルは亡き夫の思い出が残るシェロノワから離れたくないようだ。そして彼女は孫娘を自身の側に置かず、婚約者と共に暮らすようにと送り出した。

 したがって現状はアルメルの望み通りだが、それにしてももう少し配慮できるのでは。シノブは、そう思ったのだ。


「お婆さま……」


 ミュリエルも同じことを思ったのか、アルメルに寄り添い手を重ねた。そして少女は微笑む祖母を無言のまま見つめる。


「こうやって頻繁に会えるのだから、とても幸せですよ。それに若い人達の成長を知るのも……先ほどはミュリエルの武勇伝に驚かされましたし」


 アルメルが口にしたのは、先日の木人との模擬戦についてである。

 シノブ達がシェロノワに住んでいたとき、アルメルはミュリエルやセレスティーヌと日々接していた。しかし彼女が知っているのは八ヶ月近く前のことだ。

 それ(ゆえ)アルメルは、ミュリエル達がアマノシュタットに移ってからの進歩については大まかにしか把握していなかったようだ。


 元々アルメルが二人に教えていたのは、貴婦人としての振る舞いや内政についてであった。しかも彼女の武術や魔術に関する知識は、貴族の女性として平均的なものだ。

 そこでミュリエルも、アマノシュタットに移ってからの進歩に触れなかったらしい。


「あ、あの……」


「恥ずかしがることはありません。私は戦う術を習いませんでしたが、それは農政を第一とするジョスラン(ゆえ)……。

しかし貴女は違います。貴女は槍のベルレアン伯爵家で生まれ、剣のフライユの母となるのです。武技の一つや二つ、会得していない方が恥ずかしいでしょう?」


 真っ赤に染まったミュリエルの頬に、アルメルは空いた手を動かす。そして彼女は孫娘への慈しみを顕わに、更なる言葉を紡いでいく。


 自身の倍以上も生きた者の言葉だからか、アルメルの独白はシノブの胸にも深く染み入った。

 それはシャルロットやセレスティーヌ、レナエルなども同じらしい。いや、むしろシャルロット達の方がアルメルの言葉を深く理解したことだろう。それぞれ家伝の技、武術や魔術、治世の術などを受け継いできたからだ。

 シノブも様々な教えを受けたし、その中には神々から授かったものもある。しかし自身が次代に繋ぐという意識は、我が子リヒトの顔を見て初めて生じたように思う。


 おそらく教育への思いが深まったのも、次の世代を身近に感じたからだろう。リヒトを含む子供達に最善の道をと考えるからだ。

 そして未来と同時に、過去にも心は広がっていた。親として子供達を見つめる視線は、親という存在自体にも向けられたのだ。

 そのためだろう、シノブは今までよりも遥かにアルメルに共感を覚えるようになっていた。


「そう……アンスガル様の妻となったのに剣の一手も覚えなかった私こそ、恥じ入るべきです……」


 しかし、このアルメルの一言は(いま)だシノブの理解が及ぶものではなかった。あるいは、まだ判りたくないと言うべきか。


 アンスガルとはアルメルの夫、シノブからすると二代前のフライユ伯爵だ。

 自身の伴侶を懐かしげに、そして幾らかの後悔を篭めて語る。シノブにとって未知の、そして出来ることなら訪れてほしくないことの一つである。


 ここに集った者で真に理解できるのは、アミィだけだろう。何百年もの間、多くの人々を見送ってきただろう彼女だけが、アルメルの心を知っている。シノブは側に控える神々の眷属、最も信頼する導き手へと視線を動かす。

 しかしアミィは静かに微笑むのみで、何も語らない。


「失礼しました。……シノブ様、家伝の技とは親から子への贈り物です。それが国一番の槍や剣であっても、他人からしたら有り触れた技であっても同じこと……それに迷信や小言であろうが、親からすれば子の未来を思っての箴言(しんげん)なのです」


 いつしかアルメルは、シノブを真っ直ぐに見つめていた。それはミュリエルに注ぐ眼差しと同じ、子や孫への愛情の発露だ。

 アルメルにとってシノブも導くべき存在の一つなのだろう。そして彼女は、シノブの悩みも充分に察しているようだ。


「それらを(かて)とし、子は身に付けた技を活かして世に漕ぎ出します。そして世を渡るうちに、新たなものを加えていきます。オルムル様達のように……そしてミュリエルやシノブ様のように」


 アルメルもコルネーユと同じ考えのようだ。

 広く世の中を知るには、先に渡っていくだけの力を備えるべき。世に出て働きつつ磨きを掛ければ良いという意見である。


「私達のように……」


「ええ……(みずか)ら進もうとする意志が成長を促すのです。与えられるのではなく勝ち取る……それだけの強さを持った者が(まこと)の叡智を手にする……私は、そう思います」


 シノブの呟きに、アルメルは穏やかな声音(こわね)で応じた。しかし彼女の声には同時に、語る言葉に相応しい強さも宿っていた。


 教えとは授けられるものではない。渇望する者だけが手にすべき宝である。無分別に与えても、決して深く身に付くことはない。稀なる宝には、相応しい試練が伴うべきだ。

 それらをアルメルは言葉に、そして表情に篭めたのだろう。シノブは自身を見つめる眼差しから、優しさと同時に厳しさも感じ取った。


『そうです! アルメルさんの言う通りです!』


『私達も死ぬほど努力したんですよ~!』


 思わぬところから、アルメルへの同意は降ってきた。オルムルとフェイニーを皮切りに、超越種の子供達は口々に賛意を示す。

 確かにオルムル達の頑張りは、並々ならぬものであった。親達どころか他種族の技まで手を伸ばすのだから普通に学ぶ何倍もの苦労をするし、結果的に徒労で終わったものも多かった筈である。


「どうしてそこまでするの?」


『もちろんシノブさんと共にいたいからです! 少しでも近づきたいからです!』


 シノブの問いに九つの声が返ってくる。異口同音に、全く同じ強い熱意が。

 そして九つの真摯な想いは、シノブの魂を大きく揺り動かす。これだけの強い願いを受け止める存在に、自分はならないといけないのだ、と。


「シノブ、私達も同じです。貴方の隣に立ちたいから、一層の修行にも耐えられるのです」


「はい! シノブさまと並んで歩くためです!」


「私達には確かな目標があり、そして共に支える仲間がいる……だから前に進めるのですわ」


 シャルロット達の言葉を受け、シノブの胸は更に熱くなる。自分も愛する者を守るため、共に過ごすために戦ったと感じていたからだ。

 異神達との対決を乗り越えたのは、家族と共にありたいという意志があればこそ。心の底からの強い想いが、神と戦えるだけの魔術や武術の習得を成した。

 もちろんアムテリアの血族という生まれがあり、多くの支援があってのことだ。それ(ゆえ)シノブは、自身だけの手柄と誇るつもりはない。

 しかし相手が神だと知りつつも挑んだのは、かけがえの無い人々がいたからだ。ここで退()いてはならないという決意があったからだ。それらの支えがあればこそ異神達に勝利できたとシノブは思っている。


「学ぶための目的、そして(つか)み取ろうとする強い意志ですか……確かに、与えられるだけでは駄目ですね」


「はい……ですが、メリエンヌ学園は大丈夫かと。校長は先代シュラール公爵リュクペール様、そして副校長は『雷槍伯』アンリ様です……どちらも安々と宝を与えるお方ではありませんから」


 ほろ苦さを滲ませたシノブに、アルメルは僅かに笑みが混じる(いら)えを返した。すると空飛ぶ船の上に、明るい波紋が広がっていく。


 確かに双方とも海千山千の老人だ。そして彼らもアルメルと同じく、多くの者を育ててきた。

 きっとメリエンヌ学園には数多くの試練があるに違いない。もちろん乗り越えた喜びと成長も同じだけ存在する。それらを確かめ、他に繋げたい。

 シノブの心に生じた意志は、共に歩む者達へと伝わったようだ。何故(なぜ)ならオルムル達は更に飛翔の速度を上げ、青空を矢のように突き進んでいたからだ。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2017年6月3日(土)17時の更新となります。


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