23.08 独り立ち
軍の演習場から『白陽宮』に戻ったシノブ達は、短時間だがベルレアン伯爵の館を訪問した。この日、創世暦1002年1月11日はシャルロットやミュリエルの弟アヴニールが生まれて八ヶ月だからである。
訪問先は遥か西のメリエンヌ王国で、更にベルレアン伯爵領の領都セリュジエールはアマノシュタットから1300kmも離れている。しかしシノブ達には魔法の馬車があるから、移動自体は一瞬だ。そのためシノブ達は結構な頻度で、アヴニールや彼に続いて生まれた赤子エスポワールの顔を眺めにいく。
とはいえシノブも、アヴニールが生まれた直後のように毎日通ったりはしない。リヒトが生まれてからだと、月に二度か三度ほどだ。
これはベルレアン伯爵コルネーユ、シャルロットとミュリエルの父の忠告によるものであった。まずは自身の子と触れ合う時間を増やすべきと、コルネーユは助言したのだ。
そのためシノブ達は、アヴニールやエスポワールの月誕生日などに訪れる程度に留めている。しかも一回の滞在も三十分かそこらの外出とも呼べない程度で、『白陽宮』でも気付いていない者が多かった。
しかし、その僅かな交流でも育つ絆は確実にあった。
「し~、し~!」
アヴニールはシノブを見つけると、嬉しそうに声を上げ始めた。まだ八ヶ月児となったばかりだが、シノブのことが判るらしい。
深く青い瞳は義兄を真っ直ぐに見つめ、愛らしい顔は笑み崩れている。ふわふわとした金髪が窓から入る西日で輝き、まるで光の輪を戴いているようだ。
もちろんサロンにいるのはアヴニールだけではない。
コルネーユの第一夫人カトリーヌと第二夫人ブリジット、そしてもう一人の赤子エスポワール。合わせて四人がシノブ達を迎えてくれた。
ただし密かな訪問ということもあり、乳母や侍女達は部屋から退いている。
「だいぶ言葉らしきものを話すようになりました」
カトリーヌは大きな喜びの滲む顔を、シノブ達に向けた。彼女はソファーに腰を降ろし、床に足を付けた我が子の手を取り支えている。どうやらアヴニールは歩行の訓練をしていたらしい。
「お出迎えもせずに失礼しました」
ブリジットはカトリーヌの隣で我が子エスポワールを抱いている。
エスポワールはリヒトより少し前に生まれたばかり、つまり二ヶ月少々だ。そのため首も充分に据わっておらず、立つ訓練を始めるのは相当先である。
「あ~、あぅ~」
とはいえエスポワールも順調に成長しているようだ。彼はシノブ達に気が付いたようで声を上げる。
エスポワールの髪や瞳は同腹の姉ミュリエルに似ている。つまり銀の髪と緑の瞳の持ち主で、兄のアヴニールとは好対照だ。
「アヴ君、エス君、久しぶりだね!」
「し~!」
シノブが声を掛けると、何とアヴニールは母の手を離し歩き出した。もちろんヨチヨチ歩きの入り口といった危うさだが、それでも金髪の乳児はシノブに向かって一歩二歩と進んでいく。
当然ながら周囲も放置することはない。カトリーヌは我が子の後を追うし、ブリジットもエスポワールを抱いたまま立ち上がった。
もちろん部屋に入ってきた者達も同様だ。
「凄いですね!」
「昨日くらいからだよ!」
急ぎ足で寄るシノブに零れんばかりの笑みで応じたのは、赤子の父親コルネーユだ。長男の順調極まりない成長故だろう、コルネーユの声は大きな感動に揺れていた。
「流石はベルレアンの男子ですわね!」
「はい!」
セレスティーヌとミュリエルも満面の笑みで続いている。
一般に獣人族は成長が早く、特に獅子王で有名なカンビーニ王家の子だと半年かそこらで立つ者もいる。しかしベルレアン伯爵家は全て人族だから、八ヶ月だと相当早い方に入るようだ。
「リヒトも早く立ってくれると良いですね」
シャルロットは腕に抱える我が子へと顔を向けた。万一のことを考えたのだろう、彼女は緩やかな歩みのままだ。
「きっとそうなります!」
アミィも同じことを考えたのか、シャルロットの側を離れない。
ちなみに妹分のタミィはアマノシュタットの大神殿へと戻った。ホリィ、マリィ、ミリィの三人が遠方に赴いているから、彼女もすべきことが多いようである。
「アヴ君!」
「し~! し~!」
シノブが抱き上げると、アヴニールは更に大きな声で応じた。そして金髪の乳児は存在を確かめるつもりかシノブの顔へと手を伸ばし、あちこちに触れていく。
「アヴニール、リヒトですよ」
「あ、あぅ~」
シャルロットはシノブの側に寄り、腕の中の我が子をアヴニールへと近づける。するとリヒトも自分と似た相手だと思ったのか、小さな叔父へと手を伸ばした。
「い~、い~!」
アヴニールはリヒトに呼びかけらしきものをする。おそらくアヴニールは、まだラ行を上手く発音できないのだろう。
もっとも僅か数度しか会ったことのない相手を覚えているのは、実に驚くべきことだ。そのため囲む者達は、何れも嘆声を上げていた。
「え~! え~!」
暫しの後、アヴニールは先ほど自分がいた方、つまり追ってきたカトリーヌやブリジットへと顔を向けた。どうも彼は、ブリジットが抱く自身の弟を見ているらしい。
「エスポワールかね? ブリジット、こちらに」
「はい、旦那様」
コルネーユが呼び寄せると、ブリジットはシノブやシャルロットと触れるくらいの位置へと歩む。そして彼女は自身の子をアヴニールやリヒト達へと寄せていく。
「い~! え~!」
「あ~、あ~」
「あぅ~」
満面の笑みを浮かべたアヴニールは右手で甥リヒト、左手で弟エスポワールの手を握った。更にアヴニールは握った二つの手を重ねたいのか、中央へと動かしていく。
「まるで『大神の誓い』だね」
「はい……」
コルネーユの囁きに、シャルロットが瞳を潤ませつつ頷いた。
『大神の誓い』とは、戦友や君臣の誓いとして古くから伝わる一種の儀式だ。心を同じくして助け合い、いつまでも共に歩むと誓うもので、多くの場合は手を重ねて宣誓する。
二人と同じことを想起したようで、他の者達も感動を顕わにしたまま三人の赤子を見つめていた。
「これは……本当に誓っているようです。一緒に頑張ろうってアヴ君が……言葉じゃないけど……それにリヒトやエス君も応じて……」
シノブは赤子達の想いを受け取っていた。ただし、それは明確な言葉ではない。
アヴニールから感じたものを敢えて言語で表現するなら、それは『仲間』や『一緒に』といったものだろうか。
リヒトからは思念に近いものを感じ取れるから、他より明瞭だ。我が子はアヴニールへの同意と、三人で集う喜びを語っている。
エスポワールからもリヒトと似た意志を感じるが、少し分かり辛い。ただし彼が兄や甥と共にある嬉しさを感じているのは間違いなさそうだ。
そして三人の小さな手が合わさった瞬間。シノブ達の脳裏に涼やかな声が響いた。
──三人の誓い、確かに受け取りました──
慈しみに満ちた思念が届くと同時に、赤子達の手から光が広がる。
遍く照らすような優しさと力強さに満ちた煌めき。全てを見守り育てる輝き。子供達も母なる存在を感じ取ったのだろう、無邪気な笑い声を上げていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「アヴニールとエスポワールだが、早急にリヒトの側に行かせるべきでは?」
ソファーに腰掛けたコルネーユは、興奮気味の顔をシノブに向ける。
まだ一歳にもならないのに誓いのような行動をした上に、確かな裏付けまで加わった。そのためコルネーユは、三人を一緒に育てなくてはと考えたようだ。
「どうでしょう? まずは両親の愛情が必要だと思いますが……」
シノブは隣の義父から子供達へと顔を動かす。
向かい側のソファーには、三人の母親が我が子を抱え並んでいる。シャルロットはリヒト、カトリーヌはアヴニール、ブリジットはエスポワールを優しい顔で見つめ、そして子らも母達に笑みで応じている。
この幸せな光景を壊したくないと、シノブは感じたのだ。
母子を引き離すようなことは、神々も望んではいまい。確かに幼いころから学友として主君の子の側に上がる子もいるが、五歳ほどにはなっている。
それにアヴニールとエスポワールは次代のベルレアン伯爵領を背負う者達だ。物心付く前から他国で暮らしたら自領への愛情が育つだろうかと、シノブは危ぶんだ。
母なる女神が誓いに関心を寄せたのには驚いたが、元々彼女はリヒト達に祝福を授けている。したがって折々に言葉を贈りたくなることもあるのだろう。
シノブは以前と同じく、アムテリアを始めとする神々と言葉を交わしている。神々の御紋での交流は、変わらず続いているのだ。
しかし御紋では、自分達の日常やリヒトの成長を伝えるのみである。時には国や同盟などの出来事にも触れるが結果の報告で、進むべき先を問いはしないし神々も聞き入るのみで示唆はしない。
そのため神々の意志がどこにあるか、シノブには判らない。
しかし絆を極めて重視する神々である。そして神々は何よりも親子や家族の絆を大切にするのでは。シノブは、そう思っていた。
「父上、そこまで急がなくても良いのでは? まずは自身の子と触れ合う時間を増やすべき、と仰ったのは父上ですよ?」
「それはそうだが……」
シャルロットの言葉に、コルネーユは一本取られたと言いたげな表情になる。そのためだろう、一同は顔を綻ばせた。
「しかしシノブ、この子達のいる場所がリヒトの隣だというなら、私は喜んで送り出すよ。確かに寂しくは思うが、二人の進む道を邪魔したくない。それに早くから道を定めるのは、幸せなことだからね」
コルネーユが真顔で言葉を紡ぐと、カトリーヌやブリジットも夫と同じ真剣な表情で頷いた。
シノブが見るところ、このような考え方は広く一般的なようだ。エウレア地方だけではなく、これまでシノブが足を運んだ地方でも同様である。
子供が何に興味を示しても良いようにと様々なことを学ばせるより、家業や継ぐべき地位に必要なことに集中させる。そして子供は早くから特定の道に入っていく。
現実的な問題として、多くの職から選択するような時間や機会がない場合も多いだろう。農民の子は農民、職人の子は職人といった具合に親の仕事を受け継ぐ者が普通なようだ。
それは王族や貴族でも同じだ。むしろ彼らこそ自由など存在せず、生まれたときから人生の大半が定められている。
しかし、あまりに早くから特定の進路を選ぶのは幸せなのだろうか。現代日本で育っただけに、シノブは子供の可能性を広く探るべきと思ってしまう。
リヒト達の場合、国王や領主、あるいはそれらを支える高位の存在となる。そのため彼らは進路の自由はないが、代わりに極めて高度な教育を受けられるだろう。
しかし多くは一般常識や読み書き計算などを別にすると、家業に必要な知識や技能のみを学ぶ。職探しに困らないのは幸せかもしれないが、彼らは自身に埋もれた可能性を知ることなく一生を終えるかもしれない。
シノブはアウスト大陸で会ったモアモア飼いの少女、チュカリを思い出す。
チュカリは親と同じくモアモア飼いとして生きることに疑問を感じていないが、彼女の天職は他にあるかもしれない。もしそうなら、シノブは彼女の手助けをしたかった。
「仰る通り、早く道を見出すことは大切ですわ。ミュリエルさんのように……今日はベルレアン流の精華、とくと見せていただきました!」
セレスティーヌは、つい先ほどの模擬戦について語り出す。どうやら彼女は、技の手ほどきをしただろうコルネーユに伝えなくては、と思ったらしい。
確かに十一歳まで二ヶ月弱というミュリエルが非凡な力を発揮したのは、幼いころからの教えが根底にあるからだろう。本格的に武術を学んだのは最近だとしても、ベルレアン伯爵家だから学べたことも多いに違いない。
それはセレスティーヌの魔術も同じだ。幾らメリエンヌ王家の大魔力があろうと、活かす方法を教わらなければ宝の持ち腐れである。
「セレスティーヌお姉さま……」
ミュリエルは頬を染めるが、コルネーユ達は興味深げに聞き入っている。そのためセレスティーヌは演習場での一件を最後まで余すことなく語り終える。
「それは……私も多少は教えましたが、父の手柄でしょう。戻ったら伝えますが、最近は学生達への指導に熱中しているようでして……」
コルネーユは謙遜したのか、ここにはいない先代伯爵アンリの功績だとした。
アンリはフライユ伯爵領にあるメリエンヌ学園の副校長を務めているから、日中に戻ることは少ない。それに泊まり込みも多いようだ。
「実は、昨日から学習事情の再点検をしていまして……ですから学園にも近日中に行く予定です。そのとき、お伝えしておきます」
良い機会だと思ったシノブは、幼年者の学習と就業について感じたことも打ち明ける。
アウスト大陸ほどではないが、幼いころから働かないと家業が成り立たないという事例はエウレア地方にもあった。農業だと農繁期は家族総出となり、神殿に学びに行く子供も殆どいなくなる。逆に農閑期だと通う頻度が増すようだ。
ただしメリエンヌ王国などは年間で平均すれば二日に一度は学びに行く余裕があるらしいし、農繁期以外は毎日という者も多いという。
これに対しアマノ王国は、まだ不充分であった。
アマノ王国の前、つまりベーリンゲン帝国だと村人は奴隷で、彼らは親から読み書き計算を教わる程度だった。都市や町だと更に私塾が加わるが、帝国時代は重税や喜捨で稼ぎの半分以上を取られたから子供も働かざるを得ない場合が多かった。
このうち後者に関しては税率が大幅に下がったから改善された。しかし帝国が滅びてからの九ヶ月程度では、大きく変わらない職業もあるようだ。
もっとも村人達も、せっかく得た自由を子供達にと感じたようで、軍人や内政官などへの道を勧める者も多いそうだ。したがって全てが従来通りではないが、チュカリと同様に家業で充分という子供も相当数いるという。
「ふむ……難しい問題だね。親を助けるため側に残りたいという子を、無理に別の職業に就かせるわけにもいかない。しかし世の中を知らないから、自分の見える範囲で道を選んだとも言える。
……シノブ、軍は案外と良い受け皿なのだよ。軍では一定の教育を施すし、高度な技術も多いからね」
コルネーユはベルレアン伯爵領の場合だが、と前置きして話を続ける。
軍への正式な入隊は、平民の場合は十五歳からだ。貴族や騎士、従士などだと更に年少から軍に入る者もいるが、それは僅かな特例である。
ただし軍人も他の職業と同様に、十歳くらいから見習いとなる道がある。ベルレアン伯爵領軍だと、未成年の志望者を集めて武術を仕込み軍務の手ほどきをするのだ。
この早期教育は領主の肝煎りだから手厚い支援があり、希望者には宿舎も割り当てられる。そして学習内容には純粋な軍学以外にも地理や礼法のような軍務に関連する知識、投石機の弾道計算など数学的なものや工兵術、衛生学に気象学に類するものまで含まれている。
また軍人になったとして、隊長職まで出世した者以外は十数年か二十年ほどで退役する。つまり三十か半ばから、町で商売を始めたり故郷に戻ったりする者も多い。そのとき身に付けた高度な知識は、様々に役立つという。
「実際には知識だけではなく、軍での繋がりや務め上げたという信用も大きいのだがね。とはいえ軍で学んだ知識を活かして一旗揚げたという話は結構聞くよ」
「ファブリ・ボドワンの父がそうだったかと。退役までに蓄えた知識と資金で交易商を始めたと聞いております」
コルネーユの言葉を、ブリジットが遠慮がちに補足した。
ファブリ・ボドワンはシノブの御用商人でもあるが、元々はベルレアン伯爵家の贔屓だ。そのためブリジットもボドワン商会の成り立ちを聞き及んでいたのだろう。
ブリジットによると、ファブリの父は農家の三男坊で分けてもらえる土地も無かったらしい。そこで彼は一念発起し、軍の見習いに入ったそうだ。
あまり軍人には向いていなかったらしいが後に商会を興すだけあって計算などは得意で、彼は輜重や主計など後方部隊として二十年を過ごしたという。
「軍人とは少し違うが、手に職を付けるのも同じだね。生き残るための術を早期に得るという点では、幼いうちに仕事を決めるのも悪いことじゃない」
「なるほど……」
コルネーユの言葉に、シノブは頷かざるを得なかった。
シノブは日本で学んだ事柄から、未成年者の就労を悪しきことだと捉えていた。しかし充分な受け皿を整えないまま知識習得を促すのは、更に大きな罪悪かもしれない。
何年、あるいは十何年も掛けて学んでも活かすところがない。もしくは無理に子供を学ばせ、親が貧しくなる。仮に双方が組み合わさったら、悲惨極まりないことだ。
モアモア飼いの子チュカリは、今のままだと広い世界を知ることはないだろう。しかし彼女は生まれ育ったナンジュマで、両親や弟と共に慎ましくも安定した生活を送るかもしれない。必要なだけの知識を身に付け、それらを充分に活用して。
短絡的に決め付けてはいけない。そのことを心に刻みつつ、シノブは義父達との語らいに戻っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
セリュジエールから戻ったシノブ達は晩餐を済ませ、とある場所に集まる。それはシノブとシャルロットの居室だ。
北極圏の聖地に向かった超越種の子供達は、今夜遅くに戻ってくる。そして炎竜シュメイは授かった異名を自身で披露したいと願っている。それ故シノブ達は、ここで彼女の帰還を待つことにした。
しかし待つほどもなく、シュメイ達が姿を現す。どうやら彼女達は、帰りの旅を随分と急いだらしい。
『お待たせしました!』
「待ってなんかいないよ!」
魔力で窓を開けて飛び込んでくるシュメイを、シノブは両手を広げて抱きとめる。もちろんシュメイは猫ほどの大きさに変じているから、部屋が荒れるようなことはない。
「ええ、私達も今ここに集まったばかりですよ」
「お帰りなさい! そしておめでとうございます!」
「ええ、本当に! これで一人前ですわね!」
シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌの三人もシュメイへと寄っていく。
ちなみにリヒトは既に夢の中、育児室の『天空の揺り籠』で眠っている。深夜というほどではないが、二十時を過ぎているから当然であろう。
「シノブ様、魔法の家とアマノ号を回収してきました!」
「アジドさん達もお帰りになりました!」
アミィとタミィが窓から飛び込んでくる。二人は岩竜オルムルの背に乗っていたようだ。
シュメイ達の旅は彼女の本来の棲家、つまり父母のゴルンとイジェが棲むヴォリコ山脈までだ。しかし、それぞれの棲家には転移の神像がある。
そこでアミィが迎えに行ってアマノ号を魔法のカバンに収納し、タミィが魔法の家を呼び寄せて帰還させたわけだ。
また、大飛行に同行した長老アジドを始めとする成竜達は自身の翼で飛んだり同じように神像を使ったりと様々だが、それぞれの居場所に戻っていった。これで無事に全てが終わったわけである。
「そうか……お疲れ様」
『さあシュメイ、貴女の名前を披露しましょう!』
シノブが労いの言葉を終える前に、全員が室内に入っていた。高らかな声を上げたオルムルに続き、岩竜ファーヴ、光翔虎フェイニー、海竜リタン、嵐竜ラーカ、炎竜フェルン、朱潜鳳ディアス、そして玄王亀ケリスと皆が揃う。
『は、はい! 私の授かった名は賢竜です! 賢竜シュメイです!』
シュメイはシノブの腕から飛び出し、宙に浮かぶ。彼女は胸を張り首を擡げると、自身の異名を誇らしげに発した。
『賢は賢さであり、見を持つ者、つまり見通す力を持つ者でもあります!』
隣に並んだオルムルが名に篭められた意味を語る。おそらく彼女は、音だけだと分からないと思ったのだろう。
「賢い竜! シュメイにピッタリです!」
「本当ですわ! 皆を知恵で支えるのですね!」
「まるでサジェール様みたいですね!」
ミュリエルとセレスティーヌ、そしてタミィが手を叩いて祝福する。
もちろんシノブ達も拍手を贈る。それにファーヴ達、超越種の子まで魔力障壁による発声で拍手の音を作り出す。
『実は、私の名はサジェール様がお授けくださったそうです』
「詳しく聞きたいですわ!」
「はい!」
シュメイの告白に、セレスティーヌとミュリエルは驚いたらしい。岩竜や炎竜の異名は長老が授けるものだと聞いていたから、まさか神々が関与しているとは思わなかったのだろう。
『ええと……それは少し恥ずかしいです……』
『では、私達が~』
照れるシュメイの代わりを務めようと思ったのか、フェイニーが進み出る。そして事前に打ち合わせしていたらしく、ファーヴやフェルンなどが浮遊しつつ寄ってきた。
◆ ◆ ◆ ◆
居室の壁を背に、人間くらいに大きさを増したファーヴとオルムルが並んでいる。この二頭が炎竜の長老アジドと番のハーシャの役らしい。どちらも岩竜だが、白っぽい色を除けば炎竜と変わらない姿だから選ばれたのだろう。
『我らが愛し子シュメイよ……いざ、前に』
ファーヴは厳かな低音を響かせる。彼らの声は魔力障壁の振動で作り出しているから、波長を調節すれば低い音も出せるのだ。
まるで本当の長老のような威厳を示したファーヴだが、シノブは彼の魔力波動が喜びに揺れていると気付いていた。どうやらファーヴは、将来の番だろうオルムルと並べたのが嬉しいようだ。
そのことに思い至ったシノブは、微笑ましさに表情を緩める。
『仰せのままに』
大きめの猫ほどに体を縮めて静々と進むのは、炎竜のフェルンである。こちらもシュメイと同種族だから選ばれたのだろう。
しかしシノブは伝わってくる波動から、フェルンが不満を感じていると察していた。おそらくフェルンが気に入らないのは、雌のシュメイの役を演じていることだろう。
実は玄王亀のケリスがシュメイの声を演じていた。フェルンは先ほどから黙ったままなのだ。おそらく女性の口調で語るのをフェルンが嫌ったのだと思われる。
『今日、新たな炎の子が巣立つ。名はシュメイ……爆竜ゴルンと燈竜イジェの娘だ。……シュメイよ、宣誓を』
竜は非常に高度な知能を持っているし、記憶力も抜群だ。実際ファーヴの言葉は、シノブが北極圏の聖地で聞いたままである。
そのためだろう、炎竜の聖なる墓所で儀式に同席したシノブですら、本当に長老アジドが語っているのではと思うくらいだ。それにミュリエル達も子供達が演じていることなど忘れたかのように、息を潜めて見つめるのみである。
『はい! 私、シュメイは竜としての力を正しく使い、この世界を見守り育てます。
父さま、母さま、長老さま達……四種の竜だけではなく他の超越種の皆さま……そして『光の盟主』シノブさまに眷属の皆さま……微力ですが、私も更なる幸せに溢れた世となるように尽くします!』
ケリスが再現するシュメイの宣誓は、かつてオルムルが一歳のときに口にしたものと殆ど同じであった。
シュメイはオルムルを非常に尊敬している。そのため彼女は慕う姉貴分の言葉を一言一句違えることなく心に刻んだのだろう。
そしてシノブは、シュメイの魔力波動が大きく揺れたと気付いていた。彼女はオルムルの宣言を真似たと知られたくなかったらしい。
竜は人間と違って赤面することなどないが、心なしかシュメイの体が赤さを増したようにシノブは感じていた。
『うむ、素晴らしい決意だ。それでは名を贈ろう……賢竜シュメイ、賢さで全てを見通す者、智慧で支える者、お前の目指すべき道だ』
『この名はサジェール様から頂いたものです。オルムルは光竜、大神アムテリア様の力を授かりました。それ故シュメイ、貴女にはサジェール様が祝福を下さったのです』
長老アジド役のファーヴに続き、ハーシャ役のオルムルが言葉を発する。こちらも普段の可愛らしい声とは違い、老竜に相応しい深い響きだ。
そして室内が明るい光に包まれる。これは天井近くに浮いたフェイニーが発したものだ。
実際に炎竜の聖なる墓所でも、同じような光が現れた。おそらく知恵の神サジェールが祝福を届けたのだろう。
『ありがとうございます! 頂いた名に相応しくなり、みんなを智慧で守ります! そしてオルムルお姉さまと並べるようになります! 大好きなオルムルお姉さまと! そして私達の太陽、『光の盟主』シノブさまと!』
シュメイ役を務めるフェルンは、宙に舞い上がり歓喜を表現する。そしてケリスは激しい感動が溢れる言葉の数々を響かせる。
どちらも素晴らしい熱演だが、シュメイにとっては何とも照れくさいことなのだろう。顔を逸らすように上に向けた彼女の体は、先ほどよりも遥かに赤味が強くなっていた。
「シュメイ……君、光っているよ」
シノブが口にした通り、シュメイは煌々と輝いていた。まるで炎のような赤い光を、彼女は放っている。
シュメイから溢れ出る真紅の波動は、炎竜が使う火属性の術ではないらしい。炎竜が操るのは、あくまで火であり熱である。しかし今のシュメイが発しているのは夕日の光のように優しい赤だが、燃焼させるような激しさはない。
『これが私の力なのでしょうか!?』
『ええ、貴女が進むべき道です! その智慧の光で照らすのです!』
不思議そうに自身を見回すシュメイに、オルムルが宙に舞い上がり寄っていく。もちろん人間並みの大きさではなく、今のシュメイと同じほどの小柄な体に変じてである。
他の子供達もオルムルに続く。そして祝福の言葉を贈る子供達は、赤く輝く炎竜の子を囲んで宙を回り始めた。
ミュリエルとセレスティーヌ、そしてタミィは子供達の踊りを手拍子と歌で飾っていく。それは、シノブが教えた誕生日を祝う歌だった。
「恥ずかしさが智慧の光に繋がるとはね……」
「誓いの瞬間を思い出したから……というのはどうでしょう?」
僅かに首を傾げたシノブに、シャルロットが寄り添いつつ微笑んだ。
果たして真実は、どちらだろうか。あるいは全く別の何かだろうか。それこそ知恵の神サジェールにしか判らないことかもしれない。
「シュメイは自分の道を見出しました。……シノブ様、早すぎだと思いますか?」
「そんなことはない。彼女は立派に独り立ちしたからね」
囁くようなアミィの言葉に、シノブは反射的に応じた。そしてシノブは、今の言葉が答えの一端だと気が付く。
いつ大人になるか、どれだけ学ぶのが適切か、人それぞれなのだ。超越種の子は極端すぎるとしても、シノブ自身や今まで接してきた人々も何歳だからと一律に語ることは出来ない。
そして適切な時期や量を見定めるのは難しい。これを一様に定義し、押し付けようとすると歪みが生じるのだろう。
もっと多くを見て回ろう。自国に加え同盟内や交流を始めた国々、そしてアウスト大陸やイーディア地方も。静かに語るシノブに、シャルロットとアミィは満面の笑みと共に頷いた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年5月31日(水)17時の更新となります。