05.04 貴き誓いの日に 中編
既に事情を察しているらしいベルレアン伯爵に、シノブは家令のジェルヴェには残ってもらうように伝えた。それを聞いた伯爵は、部屋から侍従や従者を下がらせる。
執務室に残ったのは五人だけだ。主である伯爵がソファーに腰掛け、対面にはシノブとシャルロットが座り、ジェルヴェとアミィが主の後ろに立ち控えるのみである。
「伯爵。私はシャルロットを支えていきたいと思います。彼女と共に歩むことを、お許しいただけますでしょうか?」
覚悟を決めたシノブは、自身の思いを一気に言い切った。
硬い口調からは極度の緊張が窺えるが、一気呵成に告げるあたりカトリーヌに告げたときより腹を据えたようだ。
しかし『お嬢さんを下さい』などの直截な言葉を使わないのは、まだ若干腰が引けているのかもしれない。それでも、つい3ヶ月前までは日本で大学生をやっていた18歳の男としては、マシなほうだろう。
「そうか! その言葉を待っていたよ!」
伯爵は思わずといった様子で叫び、ソファーから腰を浮かせた。
そして満面の笑みを浮かべた伯爵は、喜びの表情のままシノブから隣へと顔を動かす。もちろん彼が視線を向けたのは自身の娘、恥じらいで頬を染めたシャルロットである。
「シャルロット、おめでとう! いや、竜を退けたことより嬉しい話じゃないか!」
伯爵はソファーの間にあるテーブルの上に身を乗り出し、娘に手を差し伸べようとした。しかし大きなテーブルが邪魔だったらしく、彼は回りこんでシャルロットへと歩み寄る。
シノブとシャルロットも立ち上がって彼を迎えた。
「お館様、お嬢様、おめでとうございます!」
伯爵の後ろに控えていたジェルヴェも彼らに祝意を伝えた。いつも冷静沈着な彼だが、思わずといった様子で声を上ずらせている。
伯爵が『忠義者で娘にも小さな頃から尽くしてくれている』というだけあって、ジェルヴェは家令という立場を超えて、シャルロットを親身に見守っている。またシノブと出会って以来、彼の能力だけではなく、人柄についても好感を抱いているようだ。
シャルロットを助け、孫へと魔術訓練をしてくれたという恩義もあるが、最近のジェルヴェはシノブと共に過ごすこと自体が楽しいようである。そんなこともあり彼はシャルロットとシノブの慶事がよほど嬉しいらしく、その頬を涙で濡らしていた。
「シャルロット。私は伯爵継嗣として努力しているお前が誇らしかった。父上を尊敬し、槍術や剣術を習うお前の姿を見て、我が伯爵家の魂が継承されていくと喜ばしく思ったものだ。
でも、その一方でお前が強くなればなるほど、孤独になっていくように思っていたのだよ」
伯爵は娘を抱きしめ、彼女に優しく語りかけた。
「父上……」
父の様子にシャルロットは青い瞳を潤ませ、言葉を詰まらせた。
おそらく伯爵の言うとおりなのだろう。彼女は、王国一の槍術を称えられ『雷槍伯』と呼ばれた先代伯爵アンリ・ド・セリュジエを尊敬し、彼の武技を受け継ごうと努力してきた。
だが彼女が先代伯爵に近づけば近づくほど、並び立てる者はいなくなっていく。持てる者の悩みと言ってしまえばそれまでだが、当人の苦しみはいかばかりであっただろうか。
「男なら強さを誇り妻を迎えればよい。だが、女の身で伯爵としてやっていくのは大変だ。男というのはどうしても女を侮るものだからね。かといって妻より弱い夫など、余計侮られるだけだ。
王国一の槍を自認する当家としても、弱い婿など迎えるわけにはいかない。
……だが、これで何の問題もない。シノブ殿と支えあっていけばお前は幸せになれる」
伯爵もカトリーヌと同じく、娘の将来を案じていたようだ。
伯爵としても、跡取りの彼女が強くなり家伝の技を修めていくのは喜ばしいことだ。だが、それゆえに娘が己の将来を狭めていく様を見るのは心苦しかったのだろう。
シャルロットが伯爵の後を継いだら女伯爵として当主となる。名目上は彼女が当主だが、こういった場合は婿である準伯爵が事実上の当主として立つことがほとんどだ。
比較的平和なメリエンヌ王国とはいえ、ベーリンゲン帝国とは定期的に衝突している。そのため伯爵家の当主ともなれば戦場に出ることもある。当然、家臣達も戦場に赴く主が弱くては困る。
そしてシャルロットがどんなに強くても、その戦場に立つのは彼女の婿であろう。結局のところ、彼女より強い男でないと周囲は納得しない。
まだまだ貴族の当主には強さが求められる時代なのだ。そして、そんな時代が彼女を不幸にしていたといえる。
「……ありがとうございます」
シャルロットは、父の腕の中で静かに涙を流していた。
シノブは伯爵の腕の中で歔欷する彼女の姿を見ながら、領軍本部での決闘のことを思い出していた。
常ならぬ様子で決闘を申し込み、命を懸けるかのように戦った彼女には、やはり様々な葛藤があったのだ。伯爵家という重荷を背負ってきた彼女を支えて生きていく。シノブはその決意を新たにした。
「シノブ殿。これからよろしく頼むよ。いや、我が息子よ、と呼べばいいのかな。
父上の言葉ではないが、私は男子に恵まれなかったからね。息子よ、と呼びかける相手がいるのは嬉しいものだね」
伯爵は笑みを浮かべつつも、感慨深げな声音でシノブに語りかける。
シノブは、いつぞやの祝宴のことを思い出した。
男子がいない伯爵に対し『お前の不徳の為す所』と言った先代伯爵は決して本気ではなかったのだろうが、彼にとっては堪える言葉だったのかもしれない。
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
シノブは、シャルロットを抱きしめる伯爵に対し、深々と頭を下げた。
◆ ◆ ◆ ◆
「まずは陛下にお伝えする必要があるが、竜を退けたシノブ殿だ。問題なく結婚を許可いただけるだろう」
伯爵はシノブとシャルロットに対し、自身の予想を告げた。
あらためてソファーに座りなおした一同。彼らは、伯爵から今後どうすべきかを聞いていた。
「カトリーヌからも一筆添えてもらえば、陛下と先王陛下が断ることはあるまい。むしろ他家にシノブ殿を攫われないうちに、早急に話を進める必要があるね」
伯爵は許可がもらえるかどうかより、『竜の友』となったシノブを手に入れようと他の貴族が動くほうを心配しているようだ。
「幸い、セレスティーヌ様の成人式典も近い。そこで許可を貰えばいい」
12月には国王アルフォンス七世の娘セレスティーヌが、15歳になる。彼女の成人を祝うため、各地の貴族が集まるのだ。伯爵達も11月中には王都に入る予定だったという。
「……唯一心配なのはセレスティーヌ様の婿に、と言われないかだね。もしそうなれば、当家の跡取りと婚姻するのは問題だろう」
今まで上機嫌だった伯爵は、僅かに顔を曇らせる。
この国は一夫多妻制である。従って二人以上娶っても普通なら問題はない。とはいえ王女と伯爵の継嗣を一緒に娶った場合、後々混乱が生じかねないと伯爵は言う。
「父上……そんな……」
父の不安が伝染したかのように、シャルロットは顔色を変えた。
普通なら王家も強引な手段に出ないだろうが、今回は伝説の竜が絡んでいる。竜を友とした勇者など前代未聞だから、譲ってくれと迫る可能性は充分にある。
「私はシャルロットと共に歩むつもりです」
黙って伯爵の説明を聞いていたシノブだが、思わず口を挟んだ。
シノブも伯爵の夫人達を見ているので、一夫多妻制や貴族の婚姻に付きまとう問題は理解しているつもりだ。だが、彼はシャルロットの側にいたいのであって、他の女性を娶りたいわけではない。
彼は、真剣な表情で伯爵に自分の意思を伝えた。
「いや、お二人は道理のわかった方だ。それにお前も先王陛下の孫娘だからね。
孫の想い人を取り上げるようなことはなさるまい」
シャルロットとシノブの顔を見た伯爵は、慌てて明るく否定する。
「それよりも、今後のことだね。結婚後は空位となったブロイーヌ子爵家を継いでもらおう。
私が引退するのはまだ20年は先だと思うが、そのときにはシャルロットが女伯爵、シノブ殿が準伯爵だ」
ブロイーヌ子爵であったロベール・ド・ブロイーヌは、マクシムの件で責任を取り爵位を返上し隠居している。そのため子爵位は宙に浮いたままだ。
「そのことですが、伯爵……」
跡取りの話が出たのをちょうど良いタイミングだと思ったシノブは、伯爵にカトリーヌの子が男子である事を告げようとした。
シノブは、このことを伏せたままシャルロットとのことを進めるのは、なんとなく卑怯だと思っていた。だから、元からこの場で伝えるつもりだったのだ。
「何かね?」
伯爵は、シノブが何を言おうとしているのか不思議に思ったようだ。僅かに首を傾げ、彼を見つめる。
「すみません、ちょっと伯爵だけに伝えたいことが……」
シノブはソファーから立ち上がり、伯爵の下へと歩み寄る。
シャルロットとのことを告げるだけなら人払いまでする必要はなかった。カトリーヌの居室では侍女達も聞いていたので、いずれ使用人の間にも広まっていくだろう。
しかし、このことは別だ。不用意に伝えるわけにはいかない。
「ここに居る者に言えないとはよほどのことだね……」
伯爵はシノブの様子に困惑したようではあるが、そのまま彼が近づくのを待った。
シノブは、彼の耳元でカトリーヌのお腹の子の性別について囁いた。
「そうか! いや、ありがとう!
シャルロット、カトリーヌの子は、お前の弟だ! はははっ、今日はなんという日だ。私に二人も息子ができるなんて……」
伯爵は一瞬その目を見開き驚きの表情を作ったが、すぐに破顔し、大きな叫び声を上げた。
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