23.06 マリィの華麗なる探索と若竜の飛翔
「あ~、あぅ~」
「ああ、俺もリヒトが大好きだよ」
声を上げたリヒトに、シノブは自身の指を近づけた。するとリヒトは小さな手で父の指をギュッと握り締める。
アウスト大陸に行った三日後、創世暦1002年1月11日。シノブ達は普段通りの朝を迎えた。
時は起床して幾らも経たない早朝、所はシノブとシャルロットの居室、集うのは部屋の主である二人と愛息リヒト、そしてアミィとタミィだ。シャルロットはシノブの隣に腰掛け我が子を抱き、アミィとタミィは向かいのソファーである。
「シノブ……リヒトは思念を発しているのですか?」
シャルロットは怪訝そうな表情で夫に問いかける。
最近シノブは、リヒトと会話しているように振る舞うことがある。もっとも生まれて二ヶ月少々のリヒトが言葉を操るわけもなく、今のように可愛らしい声を発するのみだ。
とはいえリヒトは、この星の最高神アムテリアの加護を授かり、魔力に極めて鋭敏な稀なる存在だ。それ故シャルロットは我が子が思念をと考えたのだろうが、自身では感知できなかったらしい。
昔と違って今のシャルロットは思念を使えるが、シノブやアミィ達に比べて届く範囲が極めて狭い。そのため彼女は受け取る能力も夫が遥かに上だと思い、真相を問うたのだろう。
「言葉じゃないけど、気持ちが伝わってくるというか……」
年が明けたころ、シノブはリヒトの変化に気が付いた。どうも我が子は、自身の感情を魔力波動に乗せているらしいと。
それは言葉というほど確たるものではないが、シノブはリヒトの意思を何となく理解できた。
そこでシノブは感じ取ったものに対し、積極的に言葉と思念を返すようにした。ただし妻を糠喜びさせたくないから今まで伝えず、リヒトへの思念も彼だけを対象としていたのだ。
「たぶんだけど、オルムル達と一緒にいる時間が長いからじゃないかな? 思念だけで会話するときも多いみたいだし……」
シノブはリヒトが思念らしきものに目覚めたのを、オルムル達と共に就寝しているからだと考えていた。
オルムルを始めとする超越種の子供達は、リヒトが生まれてから彼の育児室で休むようになった。今のオルムル達はアムテリアが授けてくれた『神力の寝台』を通してシノブの魔力を得るが、その寝台はリヒトの育児室に置かれているからだ。
そして育児室だと、オルムル達は思念のみで会話することが多い。本来超越種は意思の疎通に思念だけを用いるから、内輪の会話で他の手段を併用しないのは当然である。
つまりリヒトは一日のうち何時間かを、オルムル達の思念の中で過ごしている。そのため彼が飛び交う思念に興味を示して真似たと、シノブは考えたのだ。
「思念は発する方が難しいのですが、シノブ様とシャルロット様のお子様ですから!」
「アミィお姉さまの仰る通りです! そもそも魔力感知できる赤ちゃん自体がとても稀なのです……でも、アムテリア様のお子であるシノブ様と、特別に大きな加護を授かったシャルロット様ですし!」
アミィとタミィに驚いた様子はない。
どうやら二人も、ある程度は察していたようだ。おそらく彼女達はシノブからシャルロットに伝えるべきと思い、黙っていたのだろう。
「シャルロットも集中すれば感じ取れるよ」
「集中……ですか」
シノブに勧められ、シャルロットは挑戦してみる気になったようだ。心を研ぎ澄ませるためだろう、彼女は眼を閉じる。
「リヒト、お母さんに呼びかけてごらん……ほら、お母さん、って……」
「あ……あぁ~、あ~」
シノブが促すと、リヒトは再び声を上げ始める。そして彼は父の指を放し、小さな手を母へと向ける。
「……あっ! 分かりました、リヒトが私を呼んでいます!」
「あぁ、あ~! あぅ~!」
シャルロットの歓喜が伝わったのか、リヒトは今までに増して上機嫌となる。そして赤子の小さな顔に、喜びで溢れた雫が一つ落ちた。
「良かったね……シャルロットもリヒトも……」
シノブは我が子の顔を拭い、更にシャルロットへと手を動かした。すると加わりたいのか、リヒトも母の顔に手を伸ばす。
「リヒトは優しい子ですね……」
「……はい、きっと良い王様になります」
アミィとタミィは感慨深げな面持ちで、仲睦まじい親子を見つめている。アミィが十歳程度、タミィは七歳か六歳といった外見だが、慈愛に満ちた二人の表情には神の眷属の深みが宿っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ様、条件に合う場所を見つけましたわ!」
やり遂げたと言わんばかりの笑みと共に、金鵄族のマリィが居室に入ってきた。
頭上には狐耳が誇らしげにピンと立ち、後ろではフサフサした尻尾が大きく揺れている。アミィ達に合わせたのか、今日のマリィは狐の獣人の姿なのだ。
既にイーディア地方には、転移の神像を設置済みだ。
一昨日シノブとアミィは、ホリィの魔法の幌馬車に転移の絵画を通って移動した。そしてイーディア地方の北端にある高山の頂近く、標高7000m以上に二人は神像を拵えた。
そのためマリィは、シノブ達に連絡しなくても帰還できたわけである。
「ありがとう!」
「さあ、座ってください」
「あ、あぅ~」
シノブは立ち上がって迎え、シャルロットも笑顔を向ける。そして父母の真似をしたのか、リヒトまで可愛らしい声を発する。
「あら、リヒトまで……」
マリィは席に着く前に、リヒトへと寄っていく。
最近マリィは同僚のホリィと共に、イーディア地方こと地球のインドに相当する地を調査している。しかも帰還は三日か四日に一度くらいと、リヒトの顔を見る機会も少ない。
そのためだろう、マリィは零れんばかりの笑みを浮かべていた。
「マリィさん、お茶を淹れますね!」
「お菓子は何にします? 補給港のカカオで作ったチョコもありますよ!」
タミィは遠方から戻った先輩を労おうとティーポットを手に取る。そしてアミィは魔法のカバンからチョコレート菓子を取り出した。
先月後半、ついに神域以外のカカオでチョコレートの生産が可能となった。三ヶ月少々前に発見したリムノ島のカカオの木を、エウレア地方とアスレア地方を結ぶ航路の補給港の緑地帯に植え直したのだ。
リムノ島は巨大魔獣の領域だからシノブ達がカカオの木を採りに行き、近くの植生ごと掘り起こして磐船で輸送した。そのため木は殆ど傷まず、緑地帯に植え直してからもカカオが充分に採れた。
もちろん移植したのはカカオだけではない。四つの補給港は南方の魔法植物の生産地として活用され、『アイスイカ』や『デカメロン』なども栽培している。
「では新製品のチョコを……これは?」
リヒトと戯れていたマリィは振り返り、大皿に盛られたビスケット風のお菓子を手に取った。そして彼女は表面の絵を、しげしげと眺める。
お菓子は二枚のビスケットでチョコレートを挟んだもので、ビスケットの表面には大きな黒い鼻が目立つ熊のような動物がカラメルらしきもので描かれている。そして動物の後ろは、街の一角らしき風景だ。
「それはですね……ミリィに頼まれて作ったものです……」
「その……ミリィさんは『ゴアラの街』と命名しました……」
アミィとタミィは、少しだけマリィから目を逸らしていた。もちろんゴアラとは、三日前に訪れたアウスト大陸に棲む巨大コアラである。
「あの子は……」
「それは家族用だよ。アウスト大陸と普通の交流が始まるまではね」
引き攣った笑みを浮かべるマリィに、シノブは内々にしか見せないと言い添える。
アウスト大陸には転移の神像を造ったが、使えるのはシノブにアミィを始めとする神々の眷属、そして超越種のみとしている。したがってエウレア地方の人々はアウスト大陸の様子を知らないままだから、そこの生き物や街を描いたものを見せるわけにはいかない。
このお菓子もアミィとタミィが魔法の家のキッチンを使って拵えたもので、侍女達にすら見せていない。ここにいる者以外で知るのはミュリエルとセレスティーヌ、そして依頼者のミリィのみである。
「それでしたら……」
マリィは表情を和らげ、アミィ達の隣へと回っていく。そして彼女は証拠隠滅と言わんばかりの勢いで、お菓子を幾つも口に放り込んだ。
◆ ◆ ◆ ◆
──オルムルが思い出した内容に当て嵌まる場所……周囲に人家がない場所の白い大きな建物は、イーディア地方だと神殿や城塞などですわ──
内密に伝えようと思ったらしく、マリィは思念で語り始める。
未だマリィはビスケット菓子を頬張ったままだから、少し締まらない表情だ。そのためシノブは笑いを堪えるのに苦労する。
──既に報告済みのマハーグラの近郊にもありますし、ラジャグーハやアグーヴァナ、それにパータプーラなどの近くにもありますわね──
マリィが挙げたのは、全て条件に当てはまる乾燥地帯の大集落だ。
これらの名だけではなく、シノブ達はイーディア地方の地理や各種族が住んでいる場所も大よそ把握している。今日までの五日間で、ホリィとマリィが調べ上げたのだ。
イーディア地方は地球のインド亜大陸と似た形をしている。北部にヒマラヤ山脈に相当する踏破不可能な高山帯、8000m級の山々が連なっているのも同じだ。
この高山帯をイーディア地方ではマハーリャ山脈と呼ぶが、中腹以上は随分と気温が低くドワーフ達が住む土地となっている。
一方で南部や南西部には熱帯雨林もあり、そこにエルフ達が住んでいる。ちなみに他の種族も含め、肌は全て褐色だ。
そして残りの標高の低い開けた土地が、人族と獣人族の住む場所である。
といっても西部には砂漠があり、各所には魔獣の領域も存在する。そのため人族や獣人族が暮らしている土地は、全体の半分程度だ。
もっとも居住可能な領域だけでもアマノ王国の倍を超えるから、大小様々十近くもの国に分かれているそうだ。
──イーディア地方の服は赤や黄の暖色系の長衣が多くて、頭には布を巻くか覆うか。そして一定以上の地位の人は額に印を付けている……つまり条件には合うんだよね。髭はどうかな?──
──額に印を付けるような男性は、全て髭を生やしていましたわ。先ほどの白い大きな建物のあるところも、そうでした──
シノブの問いに、マリィは自信ありげな思念で応じた。
ホリィとマリィは街の人に訊ねたが、やはり地位の高い男性は必ず髭を生やすという。それに閲覧した書物には、イーディア地方で昔から続いている風習だと記されていたそうだ。
──お茶、貰いますわ──
マリィは大量のチョコビスケットを食べて喉が渇いたのか、ティーカップに手を伸ばした。
今日のお茶は、紅茶に似たメリエンヌ王国の品だ。洋風のお菓子には合うだろうが、そこにマリィは山盛りの砂糖を入れてから美味しそうに飲み干す。
どういうわけだか、マリィは更にお菓子に手を伸ばした。まさかミリィの分まで食べ尽くすわけでもあるまいが、再び何枚も取って口に運ぶ。
シノブは少々気になったが、向こうで食事をせずに来たのかも、と思い直す。
イーディア地方との時差は三時間半以上ある。つまりアマノシュタットでは早朝でも、向こうでは朝食から幾らか過ぎた時間なのだ。
──やはりイーディア地方にも行ってみるべきですね──
アミィも同僚が食事を抜いたと考えたのか、大食には触れずに話を続ける。
イーディア地方は北半球だから今は冬で、オルムルが夢で見た真夏のような暑さと高い太陽になるのは数ヶ月後だ。しかしアミィが確認しようと言っているのは、白い建物だろう。
夢で見たものが神殿か大きな集会場か分からないが、他とは離れた場所に建っているのだから特別な意味を持っているのだろう。そしてイーディア地方の建物は、これまで目にしたものと違う独特な様式らしい。
ならばアウスト大陸のときのように、オルムルが何かを思い出す可能性もある。
そのアウスト大陸には、ミリィとシャンジーが残ったままだ。こちらは嵐竜のヴィンやマナス、更に近くに住む嵐竜の番も加わり該当する建物を探しているが、やはり幾つかの候補を見つけていた。
そのためイーディア地方の結果次第だが、またアウスト大陸に行くかもしれない。
──マリィ、国家間に争いはないのですか?──
長らく司令官を務めていただけあり、シャルロットは向こうの軍事情勢が気になったようだ。
前回と同じくイーディア地方にもシャンジーを含む超越種達と行くから飛翔で移動するし、姿消しや透明化の魔道具で密かに探ることも可能だ。しかし万一のことを考えれば、訪問予定地の政情や紛争などを把握しておくべきだ。
特にアウスト大陸とは違い、イーディア地方の国は広域国家と呼べる規模である。ならば、隣接する国と諍いの一つや二つはあると覚悟すべきだろう。
──大よそ平和なのですが、二つほど拡大を続けている国がありまして……実は候補の一つに近い大集落アグーヴァナは、その片方アーディヴァ王国の中心なのですわ──
眉を顰めたマリィは、お茶を飲みつつ思念を発した。思念のやり取りは口が塞がっていても出来るから、こういったことも可能なのだ
しかし上品な振る舞いを心掛ける普段のマリィとは思えない行動である。まさかミリィが化けているのでは、とシノブは彼女の魔力波動を観察するが紛れもなく本人だ。
──シノブ。アグーヴァナ、つまりアーディヴァ王国に行ってみませんか?──
──ああ、怪しそうだからね──
危険かもしれない場所を挙げるシャルロットに、シノブは驚かなかった。
夢の中でオルムルは、何者かへの強い警戒心を抱いたという。親と同様に自在に飛翔し、自身の何倍も大きい魔獣を軽々と倒す彼女が、である。
それだけ危険な者がいるとすれば、外征に励む野心的な国であっても不思議ではない。そしてオルムルが恐怖を感じるほどの並外れた相手なら、国であろうが容易に率いる筈だ。
──はい! そのアグーヴァナに何かある可能性は高そうです!──
──そうですね……最初は肩慣らしとして別の場所に寄るべきかもしれませんが──
勢いよく同意するタミィとは違い、アミィは慎重な意見を述べた。しかしアミィもアグーヴァナという場所が胡散臭いと感じているようだ。
──では、アグーヴァナを中心に調べます。オルムル達は北極圏の島でしたね……今日中に戻るとして、一日くらいは休むでしょうか?──
──う~ん、一歳になったからってシュメイが張り切りそうな気がするんだよね──
早くも明日からの予定を確認するマリィに、シノブは一昨日の夜から昨日のことを思い出しつつ応じる。それはマリィが触れた遥か北の島、岩竜と炎竜の聖地での出来事だ。
◆ ◆ ◆ ◆
岩竜と炎竜の聖地は、エウレア地方で最も北の国ヴォーリ連合国から更に3000km近く北にある。緯度は北緯75度ほど、一月前半の今は最高気温でもマイナス10℃を下回り、最低気温は更に10℃近く低い。
オルムルの誕生日は八月だから聖地の島でも気温は零度を上回っていたし、途中の海も北極圏に近い辺りから氷山が浮く程度だった。しかし今回はヴォーリ連合国の岸からずっと、厚い氷で覆われている。
それを喜んだのは、海竜の子リタンである。
──滑るのって本当に楽しいですね!──
何とリタンは氷上を滑って旅をしていた。それも時速150kmを超える猛烈な滑走である。
まず重力操作で体を軽くして殆ど浮いているような状態となり、四つの鰭で推力を生み出す。もちろん四肢で物理的に氷面を蹴るだけではなく、重力も操っての前進である。
まるでアザラシやペンギンのように氷を滑るリタンだが、全長8mを超える巨体だから迫力は相当なものだ。それにリタンは首長竜のような体の半分近くにもなる長い首を立て、更に発光の術も使っている。
そのため極夜、つまり白夜の反対で一日を通して太陽が昇らない地でもリタンの姿は目立ち、極北大爪熊などが慌てて逃げていく。
──まだまだ速くできますよ! それ~!──
普段のリタンは磐船で運ばれることが多いが、やはり自力で移動したいのだろう。常の大人びたものとは全く違う、はしゃぎまくった思念が微笑ましい。
──気を付けるのですよ──
──リタンも一歳を超えたのだ。あまり口うるさく言わなくても良かろう──
リタンの後ろは母のイアス、そして最後尾が父のレヴィだ。
こちらは本来の巨体ではなく、腕輪の力でリタンと大きさを合わせている。本来の二頭はリタンの五倍近い大きさだから、小さくなった方が滑りやすいようだ。
──リタンは楽しそうですね!──
──はい!──
──カワイイです~!──
こちらは上空を飛ぶ嵐竜ラーカ、岩竜オルムル、光翔虎フェイニーである。
闇に閉ざされているから分かりづらいが、既に時間はかなり遅い。目的地である聖地の島まで、残り僅かなのだ。
しかし三頭はリタンと同じく一歳を超えており、飛翔にも随分と余裕がある。遥か下の海竜達を眺めたり共に飛ぶ年少の子達の調子を確かめたり、更に先行して様子を見に行くことすらある。
──もう少しですね!──
──僕もこのまま!──
こちらは今日の主役である炎竜シュメイと、一ヶ月ほど遅れて生まれた岩竜ファーヴだ。
一歳を迎える儀式の一環として、シュメイは聖地までの無着陸飛行を成し遂げなくてはならない。一方のファーヴは磐船アマノ号に降りても構わないのだが、もうすぐ来る自身の儀式に備え同じく独力で飛行すると宣言した。
そのためシュメイとファーヴは互いに励ましながら、残り僅かとなった空路を突き進んでいた。しかし、そんな二頭を羨ましげな視線で見つめる者がいる。
──あと五ヶ月ちょっとなのに~!──
──それって残り半分と大して変わらないですよ……ほら、少し休みましょう──
悔しげな思念を発しつつ追いかけるのは炎竜フェルン、そして隣で慰めるのは朱潜鳳ディアスである。
この二頭は大よそ生後六ヶ月半で、フェルンが三日ほど先に生まれただけだ。そのため共に過ごすことが多いのだが、今のフェルンの目にディアスは映っていない。
フェルンが見つめているのは炎竜シュメイ、おそらくは将来の番となる同族の雌だ。
シュメイやフェルンが成体となるのは二百年近く先だから、そのときは半年弱など誤差でしかない。しかし今は生まれてからの歳月が倍近くも違い、力の差は如何ともしがたい。
──皆さん、頑張ってください!──
アマノ号の中央に置かれた魔法の家の中から、玄王亀の子ケリスが応援をする。玄王亀は浮遊程度しかできない上、彼女は生後三ヶ月半と幼い。そのため室内での待機となったわけだ。
そして成体の竜達、五頭の炎竜と一頭の岩竜が子供達を見守っている。
まずは炎竜の長老夫妻アジドとハーシャ、そしてシュメイの父母であるゴルンとイジェ。更に子供達の世話役としてファーヴの母ニーズとフェルンの母ニトラだ。
──来月はファーヴ、そして五ヶ月先はフェルンだな──
──ええ、それに更なる子供達も続くでしょう──
長老夫妻は感慨深げな思念を発していた。
八百年以上も生きているアジドですら、このように大勢の子供が集う光景など見たことはなかった。しかもハーシャが語るように、新たな命達で一層賑やかになっていくだろう。
老竜達は幸せな未来を幻視しているのだろう、目を細め祝福の歌を響かせ始める。
──ついにシュメイが……。邪神の手下に捕らえられたとき、この日を迎えることすら諦めかけた──
──はい……あのときの恐怖、そして『光の盟主』に助けていただいたときの歓喜、昨日のことのように覚えています──
ゴルンとイジェは邪神の技に縛られたとき、今は無きベーリンゲン帝国の軍門に降った忌まわしき日、そして解放され希望を取り戻した喜びの日を語っていた。それは何百年も生きた彼らにして、決して忘れられぬ出来事のようだ。
二頭を癒そうとしたのだろう、岩竜ニーズと炎竜ニトラは長老達の歌に加わっていく。そしてゴルンとイジェも娘の晴れの日を祝うべく、四重唱を六重唱へと変えていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ちょっと出て行きにくいね……」
「ですが、お気付きなのでは?」
「超越種の皆さん、それも長老から親竜達ですからね」
魔法の家の中で囁き合ったのは、シノブとシャルロット、そしてアミィである。そんな三人を、ケリスが首を擡げつつ興味深げな様子で眺めている。
昨年末、魔法の家にも転移の絵画を授かった。
これまではアマノ号に乗るとき、転移のために船倉に魔法の馬車を置いていた。だが、今のような厳寒の北極圏、しかも高空では船倉から甲板に出るだけでも一苦労だ。
シノブやアミィ達は強力な魔術で周囲の空気を瞬時に暖めることが出来るし、床や扉が凍り付こうが一瞬で溶かせる。しかし他はそういうわけにもいかないから、アムテリアが魔法の家の中から転移できるようにしてくれた。
そのため三人は直接魔法の家に現れたが、結果的にゴルンやイジェの称賛を盗み聞きする形になってしまったわけである。
──私は! オルムルお姉さまに並びます! そして! 一緒にシノブさんを支えます! 私が皆を守るんです!──
シュメイの強烈な思念が外から響く。それ故シノブ達は、交わした笑みを収め真顔になる。
一歳の日を迎えた炎竜シュメイ。彼女は、もう庇護される対象ではない。先を行く姉貴分を懸命に追いかけ皆の力になろうと努力し、実際に大きな力を備えつつある。
もちろん今のシュメイは成竜に敵わない。だが彼女は日に日に力を蓄え、視野を広げ、慈愛の心を育んでいる。それは今の真っ直ぐで澄んだ思念だけでも明らかだ。
──僕だって! 皆に追いついて、育ててくれたシノブさんに恩返しして! そして続くフェルン達を守り育てるんだ!──
ファーヴの宣言に、シノブは不覚にも目頭が熱くなった。そして生まれて僅か十日のファーヴと出会った日が、それから共に過ごした毎日が、シノブの心に溢れてくる。
必死にオルムルやシュメイに追いつこうとするファーヴ、初飛行のとき自分の胸に飛び込んできたファーヴ、そして初めて背に乗せるのはシノブだと言ってくれたファーヴ。片腕で抱けるくらいに小さな彼。あっという間に自分より大きくなった彼。そして最大級の軍馬よりも大きくなった今の彼。全てシノブの宝物だ。
もちろんファーヴだけではない。オルムル、シュメイ、フェイニー、リタン、ラーカ、フェルン、ケリス、ディアス。全員がリヒトと同じ、大切な子供達だ。
「シャルロット……アミィ……」
シノブは二人に手を差し伸べる。
あの素晴らしい子供達に良くやったと声を掛けたい。一刻も早く、心の全てを乗せた大きな声で、何度でも。誇らしさと感動を、ありがとうという気持ちで包んで。
今のシノブの頭にあるのは、ただそれだけだった。
「ええ、行きましょう……貴方の子の頑張りに応えなくては」
「はい! ケリスも一緒に行こうね!」
『もちろんです!』
出した手をシャルロットとアミィが握り締め、浮遊したケリスが全速力で寄ってくる。そして三人と一頭は、極寒の高みへと向かっていく。
しかし寒さは届かない。魔力障壁で囲み、火属性の魔術で暖めたからではない。魔法の家から出ても、燃え盛る心と溢れ出る愛情は最前と変わらぬままだったからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
──素晴らしいことですわ……シノブ様が、そして皆が育てた心は、立派に独り立ちしたのですね。そして彼らが育てる側に回っていく……きっとアムテリア様もお喜びになりますわ!──
大きな感動に突き動かされたのだろう、マリィは瞳を潤ませていた。
マリィは目元に手を当てると、砂糖がたっぷり入ったお茶を一息に飲む。そして彼女は、お菓子の入った大皿に目を向ける。
「マリィ……その……どうして今日はそんなに食べるの? もしかして向こうには碌な食べ物がないとか?」
あまりにマリィのことが気に掛かったからか、シノブは思わず肉声で問うてしまう。もっとも隠す必要のない内容だから、普通にしゃべっても構わないのだが。
「マリィ、遠慮しないで言ってください」
「そうですよ、何かあったのですか?」
「マリィさん……」
シャルロットも気になっていたのだろう。それにアミィやタミィも案じ顔でマリィを見つめている。
「まさか、そちらにも変わった食べ物があるのですか? その……虫のような……」
どうやらシャルロットは、アウスト大陸で食べたイキイキイモのような風変わりな食材ばかりの地を思い浮かべたらしい。
シャルロットはアウスト大陸から戻った後、イキイキイモの煮込みは本当に美味だと言った。しかし虫そのものの姿で出されたら食欲が減じただろうと、彼女は付け加えた。
きっとシャルロットは、イーディア地方の料理をそのような活き造りなどと考えたに違いない。
「あ~、あぅ~」
「リヒト……大丈夫だよ、マリィお姉さんは元気だから」
リヒトまでマリィを心配したらしい。
厳密に言うとシノブが感じ取ったのは、そこまで確たる感情ではない。しかしリヒトも、数日ぶりに会う相手に普段と違うものを感じたらしい。
「それが……向こうのカレーは……激辛でして……。甘いもので口直しをすれば治るかと……」
マリィの深刻な顔に似合わない意外な告白に、シノブは噴き出すのをどうにか堪える。
イーディア地方はインドに相当する地だからカレーはあるだろうし、桁外れに辛いのも納得がいく。もしかすると、マリィは注文を間違えでもして激辛を食べてしまったのだろうか。シノブは、そんな想像をする。
「だけどマリィ、既に貴女は五日も向こうにいたでしょう?」
「そ、そうです。今までどうされていたのですか?」
アミィとタミィの問いに、シノブも内心で頷く。それにシャルロットも不思議に感じたようで、マリィを見つめている。
「とても辛いのは知っていたので、普段は牛乳やハチミツなどを混ぜてから食べていたのですわ。ですが……今朝は急いでいたら……忘れてしまいまして……」
自身の失敗を恥じたのだろう、マリィは真っ赤な顔になり俯く。そして彼女は、か細い声で事情を説明した。
「そうか、それじゃ好きなだけ食べてよ! 食べすぎで太らない程度にね!」
言い終えたシノブは、ついに声を立てて笑ってしまう。そしてシャルロット達も、抑えめではあるがシノブに続いた。
皆が笑っているのが面白いのか、リヒトまで声を上げ始めた。そのためだろう、最初は悄然としていたマリィも、顔を上げると少々決まり悪げではあるが微笑みを面に乗せた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年5月24日(水)17時の更新となります。