23.04 お袋さんの街 後編
イキイキイモは木倒虫という名前の通り、木を齧って倒してしまう害虫だ。しかし滋養に富み魔力も多く含んでいるため、食用とされている。
ちなみにイキイキイモは幼虫の名で、成虫はキゴロシなどと呼ばれている。こちらもキゴロシという名前が示すように木に穴を開けて樹液を吸うし、産卵の際は中まで潜っていく。要するにカミキリムシに似た生態の昆虫である。
「キゴロシは硬いところばかりで美味しくないんだけどね!」
「あれはあれで珍味ですよ~」
イキイキイモ売りの家に向かって駆ける先頭は、チュカリとミリィだ。チュカリは荷を乗せるために連れて来た二羽の巨鳥モアモアを牽き、隣に治癒術士に扮したミリィが並んでいる。
ミリィは先乗りしただけあって、アウスト大陸の食物も色々と楽しんでいるらしい。ここナンジュマにも彼女は既に訪れているし、その際にはイキイキイモの料理なども味わったようだ。
ただしミリィは金鵄族の本来の姿でもイキイキイモを食したらしい。そのため彼女がキゴロシを食べたとき、青い鷹だった可能性もある。
「シャールウ義姉さん、大丈夫ですか?」
少し先を行っていたアミィが案じたような表情で振り向き、シャルロットの偽名を口にした。
アミィはイキイキイモを食べたことは無いというが、抵抗感は無いようだ。彼女は神々の眷属だから、昆虫食をする地方があることを知っていたのだろう。
しかしシャルロットはアウスト大陸の情報で初めて昆虫を食べる者がいると知ったくらいで、チュカリが御馳走すると言ったときも激しく動揺した。そのためアミィはシャルロットの様子が気になったのだろう。
「ええ、アムリ。ほら、ミラニやチュカリを追いましょう」
シャルロットは多少強張ってはいるものの笑顔で答えた。そして彼女は、先を行く二人を追うようにとアミィを促す。
今のシャルロットはアウスト大陸の人に変装しているから、ここの人気料理を食べないのは無理がある。そのため彼女は強靭な意志で己の揺らぎを押さえ込んだようだ。
「そうだね……あれかな?」
シノブの視界に石製の風呂桶のようなものが目に入る。
事前にミリィが教えてくれたところだと、取ってきたイキイキイモを入れておく場所は壁も床も石造りにするという。木倒虫と呼ばれるだけあって、木製だとあっという間に齧って脱走するからである。
「おやチュカリ、随分と大勢で来たねえ! もしかしてパチャリのお祝いかい!?」
店番をしている中年の女性は、チュカリの母パチャリが臨月だと知っていたようだ。そのため彼女は荷運びのモアモアを連れたチュカリを見て、出産祝いの買い出しだと察したのだろう。
「うん、弟だよ! 危ないところだったけど、あのジブングさんが助けてくれたんだ!」
チュカリは振り返り、シノブを指差した。満面の笑みを浮かべる彼女の顔には、弟が生まれた喜びと同じくらいの強い感情が溢れていた。それはシノブへの絶大ともいえる尊敬や信頼である。
しかしチュカリが盲信するのも無理からぬことだろう。シノブは彼女の母と弟を絶体絶命というべき危機から救ったからだ。
「そうかい! ジブングさん、恩に着るよ! チュカリ、めでたい日だからお代はいらない、五匹までだけどね! さあ、好きなのを選んでおくれ!」
店番の女性は早口で捲し立て、片方の手を広げて突き出す。そして彼女は脇の石造りの容器へと顔を向けた。
「どれどれ……チュカリ、どうやって選ぶのかな?」
シノブもシャルロットと共にイキイキイモが入った石桶を覗き込む。
大きめのバスタブほどもある容器の中は、四十匹を超えそうな白い芋虫で殆ど埋め尽くされていた。長さは30cm以上で太さも腕くらいありそうな大物だから、大人二人が並んで入れそうな桶でも床面は見えないくらいだ。
しかもイキイキイモは大きな顎をギチギチと忙しなく鳴らしているから、少し恐ろしげな感じもする。
「勉強熱心なジブングさんでも知らないことがあるんだね……こうするのさ! エイッ! エイッ!」
「こうやって跳ねて驚かせるんですよ~!」
チュカリとミリィは石桶に手を掛けたまま跳ね、足で大きな音を立てる。するとイキイキイモ達は怯えたのか一瞬動きを止め、続いて先ほどよりも激しい音を発し始めた。
──イキイキイモは目が無いので、音で互いを知るんですよ~。間違って噛み付かないようにですね~。で、音の弱い方が避けるんです~──
ミリィは足を踏み鳴らしながら、思念でシノブ達に説明をする。
地球でもカブトムシの幼虫などは大顎の摩擦音で互いの接触を避けるという。イキイキイモの場合は接触回避に加えて良い場所を確保する意味がありそうだが、基本は同じなのだろう。
──なるほどね。確かに似ているようだ──
シノブは子供のころに見たカブトムシの幼虫を思い出す。もっとも地球で見た代物は長さが大人の指ほどで、しかも大顎を振り上げて脅すこともなかったが。
──活きが良いものほど大きな音を立てるわけですね──
アミィも密かに会話に加わる。シノブ達は旅の治癒術士としているから、そこらで目にする風物を知らないのは問題だ。しかしシノブ達は思念で会話できるから、疑問を解消しつつ取り繕える。
──あの鋭い顎は危険では? 革袋など簡単に噛み破りそうですが──
シャルロットは気持ち悪いという感情より、警戒心が先に立ったようだ。彼女は腰に差した短刀に、僅かだが手を動かしていた。
──ああ、大丈夫です~──
「えっと、あれとあれ……それからあそこの三匹! ……それとあっちとこれも!」
まず五匹を指差したチュカリだが、更に二匹も選ぶ。どうやら彼女は祝いをいただく以外にも、多少はお金を落としていこうと思ったようだ。
「あらまあ悪いねえ……それじゃ!」
笑みを浮かべた店番の中年女性は、脇に置いていた棍棒を手に取った。そして彼女はチュカリが示した七匹の頭を続きざまに打ち据えていく。
──ああやって気絶させるんですよ~。それから取り出すんです~──
ミリィの思念が終わるころには、店番の女性は全てを終えていた。気絶させたイキイキイモを彼女は火バサミのようなもので器用に掴み取り、石桶から取り出したのだ。
「チュカリ、忙しいんだろ! 腸抜きはするから後で来ておくれ!」
店番の女性は包丁や細くて長い釘の束を取り出す。彼女は早速下拵えをするつもりのようだ。
「ありがとう! さあジブングさん、次は野菜を買いに行くよ!」
チュカリは二匹分の料金を置くと、モアモアの手綱を引いて駆け出した。もちろんシノブ達も急いで後に続く。
ちらりとシノブが見たところでは、イキイキイモの下拵えはエビと似たような感じだと思われる。しかし未だ抵抗感があるらしい妻に見せなくとも、とシノブは思ったわけだ。
◆ ◆ ◆ ◆
買い物を終えたシノブ達は、チュカリの家に真っ直ぐ向かう。そしてシノブ達が戻ると同時に豪勢な昼食会が始まった。
チュカリの家は二間で、入り口側が居間と台所というべき場所、奥が寝室だ。そして今まではチュカリと両親の三人暮らしだったから、それほど広くはない。そのため昼食会は入り口側だけではなく、寝室も使っていた。
何しろ客が多い。シノブ達四人に加え、元々分娩に携わった治癒術士のラナウと助手のマタニ、手伝いに来た女性達と合わせて十数名だ。
しかも近所への振る舞いも兼ねているらしく、入り口側では祝いに来た人達が多少の飲食をしていく。そのためチュカリの二人の叔母、つまり出産を終えたパチャリの妹達は竈の前から離れることも出来ないようだ。
もっとも近所の者達も単にお祝いを述べるだけではない。彼らの多くは食べていく分の数倍もの食材を置いていくし、他も織物などを持ってきた。
しかも出産を手伝った女性達は、料理や接待にも加わった。したがってチュカリも料理から解放され、奥での接待担当に回されていた。
「これは美味しいですね!」
「良かった~!」
シャルロットの嘆声に、給仕をしていたチュカリが喜びの声を上げる。
今シャルロットが食べているのは、例のイキイキイモを使った料理だ。イキイキイモを野菜などと煮込み、クリームシチュー風にした一品である。
「ああ、美味いよ」
シノブも頬を綻ばせつつ妻に同意した。
茹でたイキイキイモは、シノブが知る地球の食べ物に例えるなら蒸かしたサツマイモに似ていた。甘くて、どこか懐かしい感じの味である。
ちなみに調味料は塩を少々用いる程度だが、イキイキイモの出汁が代わりとなる。クリームシチューのように白くトロミがあるのも、イキイキイモのお陰なのだ。
──イキイキイモの活き造りとかじゃなくて良かったですね──
──あるんですけど、シノブ様達の好みは煮込みだと伝えておきました~──
アミィとミリィは、こっそりとシノブに思念を送る。どうやら二人はシャルロットに苦手意識が戻ったら、と心配したらしい。
実際、元の姿のままならシャルロットは食べただろうか。シノブも想像してみたが、自分を含めて少々無理な気がする。
もちろん下拵えをして食用となる部分のみを残したら、大幅に印象が変わるかもしれない。しかし、それもあまり想像したくはない光景である。
それに対し今食べている煮込みは野菜を含め全て細かく切り分けているから、原型を思わせるところはない。これならシャルロットも普通のシチューだと思えるのではないだろうか。
「こっちのゴアラの串肉も美味しいね」
「本当だよ。妹さん達、いい腕しているねえ……」
ラナウとマタニは出産を終えたばかりのパチャリと並んでいる。その脇には新生児が眠る籠、籐のような植物で編んだ小さな寝床だ。
ここアウスト大陸の場合、出産を担当した治癒術士は当日の祝宴にも加わるし、その後も折々に招かれる上に付け届けの品も贈られる。というより多くの場合、謝礼は物なのだ。
アウスト大陸に厳密な意味での通貨は存在せず金や銀などの貴金属の粒をやり取りするが、物々交換で済ませる場合も多かった。そのため治癒術士に対しても、食料や家業で作った品を謝礼とすることが一般的であった。
「……パチャリ、もっと食べな! あの子のお乳を蓄えなきゃね!」
「はい、ありがとうございます」
マタニに勧められ、パチャリもイキイキイモの煮込みに手を伸ばした。イキイキイモは魔力を多く含むから、産後の肥立ちに良いらしい。
「これでルールーがあればねえ……」
「高かったんだろ? 最近、あまり獲れないって聞いたよ」
チュカリの残念そうな呟きに、ラナウが訳知り顔で応じた。
ルールーとはカンガルーのことだ。ただし、この辺りのルールーは大きさが人の背の倍ほどもあり、しかも気が荒いという。
他の地域だと小柄で大人しいルールーを飼育している例もあるが、この辺りの食肉はゴアラこと巨大コアラが中心だそうだ。そのためナンジュマだとルールーは野生のものを狩ってくるしかない。
しかし相手は倍ほども背が高いし並外れた跳躍力と速度を誇るルールーだから、市場に出回る量も少ない。実際、今日の市場だとルールーの肉はゴアラと比べて十倍以上もの値段だった。
「ルールーは群れを作るから、狩るのも難しいって聞くしね。下手をすると逆に襲われるって亭主が言っていたよ」
マタニの夫は集落を守る武人であった。そのため彼女も巨大ルールーの恐ろしさを良く知っているのだろう、首を竦めていた。
多くのルールーは草食性だが群れの結束力は非常に強く、敵に対しては一丸となって戦うそうだ。特に子供が狙われると怒り狂い、どこまでも追跡するという。
「チュカリ、ここにあるもので充分よ」
パチャリは不満げな娘に微笑みかける。そして彼女はイキイキイモの煮込みを更に口に運んだ。
穏やかで満ち足りた表情は、出産という大役を成し遂げたからだろう。そう感じたシノブは、隣のシャルロットへと視線を向ける。そこにはシノブの予感通り、同じく母の顔となった愛妻の美貌があった。
◆ ◆ ◆ ◆
昼食を終えたシノブ達は、再びチュカリの案内でナンジュマの街に出た。今度も二羽のモアモアと一緒で来たときと同様にチュカリ、アミィ、ミリィの三人が雌のモエモエに騎乗し、シノブとシャルロットが雄のモリモリに乗って続く。
モアモアとは地球で言うところのジャイアントモアに相当する鳥だ。全高は人の背の倍以上もあるから、乗っているシノブ達の視点も普段の倍近くだ。そのため観光にはもってこいというわけである。
「……家がもっと広かったら、ジブングさん達に泊まってもらうんだけどな」
「今日はお祝いでしょう?」
「そうですよ~。それに、夕飯は御馳走になりますし~」
前を行くモエモエでは残念そうなチュカリをアミィとミリィが慰めている。先ほどシノブ達は宿を取ったのだが、それがチュカリに別れを感じさせたようだ。
シノブ達は今日中にアマノシュタットに戻るつもりだが、怪しまれないように宿を確保した。
この辺りの宿は前払いだから、夜のうちに抜け出せば良い。そしてナンジュマとアマノシュタットの時差は八時間ほど、こちらの夜更けは向こうの夕方だ。そのため深夜の帰還は、むしろ好都合でもあった。
「もう少し一緒に居たいように思いますが……明日はシュメイの大飛行ですからね」
手綱を握るシャルロットが、シノブに囁く。明日はオルムル達も含め、北極圏の岩竜と炎竜の島に向かうのだ。
二日後にシュメイは一歳となり、記念すべき日を極北の聖地で過ごす。そして前日、彼女は独力で聖地までの3000km近くを飛ばなくてはならない。
もちろんオルムル達がシュメイを放っておく筈もなく、超越種の子供達は全て随伴する。オルムルのときと同様に長距離飛翔が可能な者は並んで飛翔し、そうでない者は長老達が運ぶ磐船に乗ってと違うがシュメイを応援し、そして到着したら祝福する。
そのためシノブ達は、アマノシュタットが夜になる前に帰るつもりであった。
「ああ。オルムル達も……」
──シノブさん、お出かけですか!?──
シノブが応じようとしたとき、上空からオルムルの思念が降ってきた。
どうやらオルムルはフェイニーやシャンジーと共にシノブ達のところに向かっているようだ。ただし三頭は姿を消したままだから、ナンジュマの人々が気付くことはない。
──そうだよ、これから神殿を見ようと思ってね!──
シノブは行き先だけを答える。パチャリの出産が無事に終わったことや、その後の昼食などについては既に思念でオルムル達に伝えていたのだ。
──神殿、行ってきましたよ~!──
──シノブの兄貴~、ここの神像は石でした~──
フェイニーとシャンジーは、ナンジュマの中央にある神殿の様子を説明し始める。
多くの集落と同じく、ナンジュマも中央に有力者が住んでいる。そのため中央近くだと二階建ての家もあるそうだ。これは実用的な意味もあるが、大きく高い家が力の証だからのようだ。
しかし最も高いのは個人の家ではなく、中央神殿だという。中央神殿には三階建てに相当する建物があり、そこを吹き抜けにしてアムテリアを始めとする七柱の神々を祀っているのだ。
──立派な神殿でした……それに夢でも神殿みたいな建物を見たような気がします──
──ここと似ているの?──
少し沈んだようなオルムルの思念から、シノブは大当たりではなさそうだと感じていた。
しかしアウスト大陸に来たのは謎の夢を確かめるためだから、聞かないわけにもいかない。それにオルムルも遠慮や気遣いより謎解きを望んでいるだろう。シノブは、そう思ったのだ。
──分かりません……ただ、ここではないと思います。大きな広場があるのは似ていますが、夢の場所は周りに家など無かったような──
オルムルはナンジュマの光景で思い出したことも含め、シノブに説明しようとする。しかし彼女の言葉は別の思念で遮られる。
──兄貴~! 街に沢山の獣が来ます~! 二本足の……ルールーってヤツかも~!?──
──北です~! 百頭はいますよ~! しかもモリモリ君やモエモエちゃんより背が高いです~!──
シャンジーとフェイニーは思念を発しつつ急上昇しているようだ。それもかなりの速度を出しているようで、二頭の魔力は急速に遠ざかっていく。
「チュカリ! 待ってくれ!」
「ジブングさん、どうしたの?」
シノブが呼び止めると、チュカリは怪訝な顔をしつつもモエモエを留め振り向かせた。そしてシノブ達が乗ったモリモリも、番と向かい合う形で足を止める。
「もし百頭のルールーに襲われたら、ナンジュマはどうなる!? それもモリモリ達より大きな!」
「そ……そりゃあ大変なことになるよ。百もいるんじゃ半分以上は街に入っちゃうんじゃない? 守りの武人さんだって同じくらいしかいないし……」
シノブの剣幕に驚いたのだろう、最初チュカリは口篭もった。しかし彼女もシノブの切羽詰まった様子から不穏なものを感じたのか、素直に答え始める。
「行きましょう!」
「チュカリ、北側の門に案内してくれ! 本当に百頭のルールーが迫っているんだ!」
シャルロットは、既にモリモリの手綱を引いていた。そしてシノブもチュカリに呼びかけ、案内を頼む。
「ああ、ジブングさんの言葉なら信じる!」
チュカリはシノブに大きく頷き、自身が乗るモエモエを走らせる。
まだナンジュマの街は平穏そのものだ。しかしチュカリは母と弟を救ってくれたシノブ達を信じ、愛鳥をひた走らせる。そして彼女の心が乗り移ったのか、二羽のモアモアは街の中を疾風のように駆け抜ける。
◆ ◆ ◆ ◆
北門に着いたシノブ達が見たのは、土煙を上げて迫ってくるルールーこと巨大な灰色のカンガルーの群れだった。
ルールーの速度は疾駆する馬ほどもあり、しかも跳躍の高さは自身の背を遥かに超えている。おそらくナンジュマの石壁も、余裕で飛び越えてしまうだろう。
もちろん守護の武人達も迎撃を始め、長弓で矢を射掛けていた。しかし距離があるためだろう、ルールーは跳躍しながらでも簡単に矢を躱している。
「間に合いましたね!」
「アムリ、ミラニ! チュカリを頼む! それとルールーが来たら防いでくれ!」
シャルロットはモリモリから飛び降り門の外へと走り出す。そしてシノブもアミィに手綱を渡し、妻の後を追う。
おそらくチュカリが言った守りの武人というのは、交代要員も含めた総数だろう。今シノブの目の前にいるのは、十数人といったところだ。
非常事態を知らせるため、先ほどから鐘が鳴らされている。そのため駆けつける武人もいるが、この分では味方が倍に増える前にルールーはナンジュマの街に侵入するに違いない。
そこでシノブ達は街の防衛に加わろうとした。
百頭ものルールーが街を荒らしたら、どれだけの被害が出るだろうか。万一チュカリの家まで達したら、生まれたばかりの彼女の弟はどうなるだろう。それに出会った人々は。シノブは思い浮かべた惨劇を振り払うべく、駆ける速度を上げていく。
──シノブさん! このルールーさん、子供を奪われたって怒っています! それで幾つもの群れが集まって取り返そうと!──
どうやらオルムルは、ルールーの群れの上にいるようだ。彼女の思念は跳ねる巨獣達の少し上から響いてくる。
オルムルは自身の精神感応力でルールーの意志を探ったらしい。超越種は相手の強い感情を読み取るし、その中でも彼女は別格の感応力を誇っている。その彼女からすれば、子を奪われて怒り狂うルールーの気持ちを見抜くなど造作もないことなのだろう。
──何だって! 街の誰かが子供を狩ったのか!?──
──シノブ、子供を探れませんか!? もし無事なら追い返せるかもしれません!──
驚くシノブに、併走するシャルロットが思念で問い掛けた。彼女はシノブなら可能だと思っているのだろう、思念からは夫への深い信頼が感じられる。
──私がルールーを留めます!──
──兄貴~、ここは任せて~──
──私もいます~──
再び速度を増すシャルロットの左右に、シャンジーとフェイニーが並ぶ。どうやら二頭は、シャルロットの護衛をしてくれるようだ。
──ああ、頼むよ!──
シノブは透明化の魔道具で姿を消し、続いて短距離転移で上空に移る。ここから魔力波動でルールーの子を探すのだ。
「ベルレアン流無手格闘術、霞礫!」
シャルロットの叫びと同時に、前を走る何十頭かのルールーが動きを止めた。そして後続のルールーも僅かに遅れて疾走と跳躍を止める。
霞礫とは名前の通り礫を投げる技である。ただし通常は一つか二つを同時に放つ程度だ。
しかし今、シャルロットは一度に何十も打ち出していた。彼女は強烈な踏み込みで荒れ地の小石を宙に浮かし、それを瞬時に全て弾き飛ばしたのだ。
もちろんシャルロットは手加減をしており、ルールー達に傷はない。相手を制止し時間稼ぎをするのが、彼女の目的である。
「何が起きているんだ!?」
「砂煙で見えん!」
ナンジュマの方向から微かに聞こえてくるのは、混乱も顕わな武人達の叫びだ。
実はシャルロットとナンジュマの間を遮るように、シャンジーが何本もの竜巻を作り出していた。そのため武人達は矢を放つどころか、シャルロットが何をしたかも見えていない。
──ルールーさん、落ち着いて!──
──シャルロットさんは凄いけど優しい人ですよ~!──
オルムルは上から、フェイニーはシャルロットの横からルールー達へと呼びかける。どうやら二頭は子を奪われたルールーに同情したらしい。
オルムルを始めとする超越種の子供は魔獣を糧とするものの、生物一般に対しては慈しみの心をもって接していた。生きるために必要な狩りはするが、無益な殺生は好まないのだ。
それはシャルロットも同じである。民を守るためなら戦うし、人々の暮らしを脅かす獣を狩りもする。しかし今回は人間の過ちがあってのことらしい。ならば穏便に済ませようと思うのは至極当然のことである。
そして百頭のルールーは、シャルロット達の思いを理解してくれたようだ。二本足の巨獣達は、何れもその場で蹲る。
「分かってくれましたか……」
──ルールーさん、今シノブさんが子供を捜しています!──
──もう少し待ってくださいね~!──
シャルロットの顔に笑みが戻り、オルムルとフェイニーの思念にも明るさが増した。そしてシャルロットは一番手前にいたルールーの鼻面に手を添え、優しく撫で始めた。
◆ ◆ ◆ ◆
「ふひひ……こいつは高く売れるぜ! 掟を破った甲斐はあったな!」
「ああ! 『袋っ子のルールーに手を出してはならない』だって!? 子供の柔らかい肉が一番高く売れるってのによ!」
ナンジュマでも寂れた裏通り。その奥の古びた小屋の中に、下卑た男達の声が響いた。
数人の男の脇には、縄で縛られたルールーの子供がいる。まだ人間の大人よりも小さい、おそらくは袋に出たり入ったりして過ごす時期の子供である。『袋っ子』というのは文字通り袋に入っている時期の子供のことだから、間違いないだろう。
男達は酒を飲みつつ自慢げに語り続けている。
どうやら彼らはルールーの群れに密かに接近し、外れの方まで出てきた子供を捕獲したようだ。そして縛り上げた子供をモアモアに乗せ、一気にナンジュマに戻ったらしい。
しかし子を奪われたルールーは猛り狂い、執拗に後を追うという。そのため多くの集落では独り立ちしていない子供を狩ってはならないと定めていた。
「掟破りか……ならば遠慮はいらないな」
小屋の中に突然姿を現したのは、シノブである。つい先ほど短距離転移で到着し、透明化の魔道具を使って潜んでいたのだ。
「な、なに……」
「ど、どこ……」
うろたえる男達だが、すぐに大人しくなり力が抜ける。彼らはシノブの催眠魔術で眠りに落ちたのだ。
それにルールーの子も同様に目を閉ざしている。シノブは手っ取り早く済まそうと、ルールーの子も合わせて眠らせたからである。
「さあ、お母さんのところに行こうか」
シノブはルールーの子を縄から解き放ち、更に抱え上げる。そしてシノブは短距離転移で自身とルールーの子、更に掟を破った男達をシャルロットの側に移動させる。
「シノブ、無事に救出できたのですね!?」
「ああ。今、催眠を解くよ」
喜ぶシャルロットにシノブは大きく頷き返し、ルールーの子だけを目覚めさせる。
「お母さんのところにお行き……」
シノブが頭を撫でると、ルールーの子は先頭にいた最も大きな一頭へと跳ねていく。そして巨体のルールーが身を起こすと同時に、その腹の袋に子供は飛び込んだ。
「……君達、草原に戻るんだ」
シノブが更に声を掛けると、ルールー達は一斉に向きを変えた。そして彼らは来たときと同様に跳躍を繰り返しながら去っていく。
「さて……こいつら、どうするかな?」
「ここまでやってしまうと、ナンジュマに戻るのも難しそうですね」
眠りこける男達を見下ろしながら呟くシノブに、シャルロットが笑いかける。
これだけのことをしたら、単なる治癒術士と言い張るのは困難だ。とはいえチュカリに別れの言葉も言わずに姿を消すようなことはしたくない。シノブは、そう思ったのだ。
──シノブ様、大丈夫です! こちらの人達にはシノブ様とシャルロット様が全く別の姿に見えるようにしています!──
──それと幻惑で上手く取り繕いました~。だから男達も、ちゃんと処罰されます~──
アミィは幻影の術でシノブ達の姿を別のものとした。そしてミリィは幻惑の術で帳尻を合わせたわけだ。
そのため武人達は、ルールーの子を捕らえた男達をシノブが探し出し騒ぎを収めたと記憶しているが、短距離転移ではなく普通に移動したと認識しているそうだ。
「流石はアミィとミリィ。これなら安心して戻れるね」
「ええ」
シノブとシャルロットは、微笑み歩き出す。そして二人に姿を消したままのオルムル、フェイニー、シャンジーが続いていく。
ナンジュマの危機は去り、ルールー達も草原に戻った。そして掟を破った男達は罰せられる。これにて一件落着との思いからだろう、シノブ達が交わす言葉は自然と明るいものになっていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年5月17日(水)17時の更新となります。