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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第23章 灼熱大地の人々
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23.03 お袋さんの街 前編

 大集落ナンジュマへと入ったシノブ達は、二手に分かれた。

 まず一方はシノブ、シャルロット、アミィ、ミリィの四人だ。こちらは地上を走り、モアモア飼いの子チュカリを追いかけている。

 そして残りの岩竜オルムル、光翔虎のシュメイとシャンジーはナンジュマの中心部を目指して飛び去った。もっともオルムル達は姿を消したままだから、街の人が気付くことはない。


 チュカリの母パチャリは分娩の最中だが、胎児が逆子で危険な状態だという。これに対し分娩を担当する治癒術士は家族からの励ましが必要だと判断し、助手のマタニを走らせた。

 それ(ゆえ)チュカリはマタニと共に家に急ぎ、シノブ達四人も何かあれば手助けしようと後に続く。シノブ、アミィ、ミリィの三人は治癒魔術が使えるからである。


 しかしオルムル達は人間の出産に詳しくないし、支援はシノブ達がいれば充分だと思われる。そこで三頭は本来の目的である見聞、ここアウスト大陸の人々の暮らしぶりの確認をしに行ったわけだ。


──この家も面白いですね~。ウピンデムガに似ているような、でもエウレア地方やアスレア地方にも似ているような~──


 フェイニーはナンジュマの街の建物が気になるようだ。彼女は屋根の上に降りたり、浮遊して壁面を眺めたりと忙しなく動き回っている。


 ナンジュマの建物の多くは、垂直に立てた円筒型の壁に円錐形の屋根を乗せたものだ。材料は全て石で、何かを漆喰のように塗っているのか表面は白く輝いている。

 来る途中に寄ったドゥアルという小集落と同じく比較的小さな家は単独で円形、そして大きな家はそれらを複数繋いだような形である。


──形はウピンデムガみたいだね~。この辺りは木が少ないから石にしたんじゃないかな~──


 少し上からシャンジーが応じた。

 シャンジーはヤマト王国から戻った後、シノブの外交訪問に同行し各地を巡った。そのため彼はウピンデムガの建物も知っていたのだ。


 もっともウピンデムガでも木造建築が多いのは水場の近くだけである。砂漠に近い乾燥した場所だと、やはり石造りが殆どとなる。

 ただし多くの場合シノブが赴く先は中心となる集落で、それらは水が豊富な場所にある。そのためシャンジーが目にしたウピンデムガの建物は木造ばかりとなったようだ。


──でも、白く光って綺麗だね~──


──白……夢の中の建物も白かったような──


 暢気(のんき)なシャンジーの思念に、今まで無言のままだったオルムルが反応した。どうやら彼女は、自身が見た夢の風景を少しだけ思い出したらしい。


 オルムルは謎の夢の大半を忘れていた。暑い場所で木々が(まば)らな乾燥地帯ということは、しっかりと彼女の脳裏に刻み込まれたが、人々の姿や建築物の特徴などは殆ど覚えていなかった。

 そしてオルムルは、あれから謎の夢を見ておらず、新たな手掛かりもない。しかしアウスト大陸の風土が夢の場所と似ていたためか、僅かだが記憶の表層に浮かび上がったようである。


──白い建物ですか~! これは新情報ですね~!──


──そうだね~。やっぱり来て良かったね~──


 フェイニーは歓喜の思念を発して舞い上がり、オルムルの側に寄る。そしてシャンジーも年少の従姉妹に続いて側に移り、同じように喜びを表す。


──はい! もっと色々見て回りましょう!──


 一歩前進したと感じたのだろう、オルムルは意気込みも顕わに応じた。

 謎の夢がアウスト大陸での出来事かは分からない。しかし真昼の太陽が極めて高い位置にあり、空気と大地は焼け付くように熱く乾燥しているのは共通している。

 この似通った条件が、埋もれていた記憶に働きかけた。そのようにオルムルは感じ、更なる刺激を受けるべきと考えたのだろう。


──はい~! ところでオルムルさん、アレは夢にいましたか~?──


 フェイニーが見つめる先には、白い生き物がいた。石で作った風呂桶くらいの囲いの中である。

 少々太い円筒形の体の長さは、肘から(こぶし)まではありそうだ。それをモゾモゾと動かしながら、彼らは囲いの中に置かれた(まき)の束に(かじ)り付いている。実は、これがチュカリの語った御馳走イキイキイモだ。

 イキイキイモは垂直の壁が苦手で、眼下の囲いも大人なら腰に届かないくらいの簡易なものだ。しかし正式名称が木倒虫(きたおしむし)というだけあって、木の入れ物だと僅かな時間で穴を開けて逃げ出してしまう。そのためイキイキイモの採集を生業とする者達は、このような石の容器を家に置くのだ。


──いえ……夢の中で普通の家は見なかったと思います──


──なるほど~。そうすると、どこかの広場とかなのかな~? いっぱい人が集まるなら役人さんや軍人さんの建物かも~。そうじゃなかったら神官さんかな~?──


 オルムルの返答は自信なさげだったが、シャンジーは何か感ずるところがあったらしい。彼は首を捻りつつ、幾つかの候補を並べていった。


 シャンジーはヤマト王国で王子の健琉(たける)と共に各地を巡った。そのため彼は、ずっとシノブの側にいるオルムルやフェイニー達より人間社会に詳しくなったようである。

 それにオルムル達は一歳程度、シャンジーは百歳少々と年齢自体が大幅に違う。しかも光翔虎は姿消しが使えるから、シャンジーも時々は人間の暮らしを眺めに行った。

 実際シャンジーはデルフィナ共和国の首都デルフィンも何度か覗いたらしく、エルフ達の生活ぶりも知っていた。もっともシノブと会うまでは眺めるだけだから、正しく把握したことばかりでもないらしいが。


──確かに何かのときに集まる場所のようでした!──


──流石シャンジー兄さんです~! 頼りになります~!──


 オルムルは感動が滲む思念を響かせ、フェイニーは将来の(つがい)を誇らしく思ったようでシャンジーの頭に乗って顔を擦り寄せる。

 今のシャンジーは普通の虎くらいの大きさで、オルムルやフェイニーは猫くらいだ。そのためフェイニーを頭に張り付かせたシャンジーは、まるで帽子を被っているようである。


──い、いやあ、それほどでも~。……でも知らなかったな~──


 照れ混じりの思念を発したシャンジーは、再び下を向いた。彼の視線の先にはイキイキイモが入った石の囲いがある。


──アレって食べるんだね~。するとデルフィナ共和国のエルフ達も、食べていたのかな~?──


──似たようなものがあったのですか?──


 シャンジーと同じく、オルムルもイキイキイモの群れを見下ろした。

 ちなみにイキイキイモは魔力を多く含むようだが、超越種の興味を惹くほどではなかったらしい。それもあって三頭は、白い芋虫達を平静に見つめるのみである。


──あのね~、デッカイコっていうのがいたんだよ~。あんな風に外に出さずに、家の中で飼っていたけどね~──


 どうもシャンジーは、デッカイコなる生き物の用途までは確認しなかったようだ。そのため食用かどうかについては、彼も半信半疑らしい。


──まあ、後でシノブの兄貴に聞けば良いことだね~。さあ、街の真ん中に行ってみようか~。人が集まる場所なら、何か手掛かりがあるかも~──


 シャンジーは宣言通り、ナンジュマの中心に向かって飛翔していく。とはいえ彼は道々でも情報収集するつもりらしく、速度は人が歩くのと変わらない程度だ。


──はい!──


──行きましょ~!──


 オルムルもシャンジーと並び、集落の中央へと進む。一方フェイニーは、シャンジーの頭の上に収まったままだ。どうやらフェイニーは、少しばかり横着をするらしい。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 オルムル達がイキイキイモ売りの家から離れたころ、シノブ達はチュカリの家に入ろうとしていた。チュカリは二羽のモアモアを連れていたから、家に隣接する飼育小屋に連れて行ったり餌を与えたりと時間を取られたのだ。


 幾ら母のパチャリが出産で苦しんでいようが、モアモアの世話は(おろそ)かにできない。一家はモアモアを用いた輸送で稼いでいるからである。

 仮に無事出産が終わったとしても商売道具のモアモアに何かあったら、赤子を育てるのも覚束(おぼつか)ない。チュカリの家は五羽のモアモアを飼っているが、そのうち二羽が病にでもなったら稼ぎの半分近くが減ってしまう。

 そのためチュカリも家の方を気にしながらも、手早く二羽の世話をした。幸いシノブ達も多少の手伝いをしたから、普段よりは随分と早く終わったらしい。


 そしてシノブは家に入ると、ある魔術を使った。それは浄化の魔術だ。


「凄い! 綺麗になった!」


「随分と魔力が多いんだね……」


 歓声を上げたのはチュカリ、そして溜め息混じりの声を漏らしたのは治癒術士の助手マタニだ。二人の服は、まるで新品のように光り輝いている。

 それはシノブ達も同じだ。シノブ自身や隣のシャルロット、それにアミィやミリィも浄化の術で汚れを完全に落としている。


「こりゃ凄いね……」


「チュカリちゃん、良かったねえ!」


 手伝いに来ていた女性達も表情を明るくした。彼女達は分娩の場には入らないが、湯を沸かしたり煮沸した布を渡したりする役だ。


「時間がないですからね」


 シノブは皆の賞賛に頬を染めつつ応じた。

 これから分娩中のパチャリに近づくのだから、汚れたままというのは問題である。普通なら風呂にでも入って新しい服に着替えるところだが、その時間をシノブは惜しんだ。

 パチャリのお産は重いらしく、今も彼女は苦しげな声を上げている。そのためシノブは一刻も早くと全員に強力な浄化を使ったわけだ。

 この浄化の魔術は創世の時代に神々が授けた、埃の除去と合わせて除菌も行う術だ。当然ながら神々は全ての地域で平等に術を教えたから、アウスト大陸にも伝わっていた。

 そのため医療に(たずさ)わるマタニは数限りなく目にしている筈だが、シノブの術は別格に優れていたようだ。


「ラナウ、やっぱり凄い助っ人だ! 一度の浄化で六人だよ! 男だけど良いね!?」


 マタニは興奮も顕わな声で、奥へと叫ぶ。

 ラナウというのは治癒術士でマタニの姉だ。もっとも双方とも成人した子供がいる中年女性で、家も隣だが一応は別々だという。ちなみに双方の夫は集落を守る武人として働いており、当然ここにはいない。


「ああ、もうどうこう言っていられない! 早く入ってもらいな!」


 ラナウの声に、シノブ達は表情を厳しくした。

 普通なら出産の介助を務めるのは女性の治癒術士だが、難産だと性別に関係なく腕の良い者に応援を求める。つまり男のシノブでも入って良いという言葉は、ラナウが自身の手に負えないと判断したことを意味するのだ。


「さあ、どうぞ!」


「お母さん達を助けて!」


 マタニはシノブを手招きし、チュカリが手を引っ張り奥へと促す。もちろんシノブ達も否やはなく、足早に歩んでいく。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 チュカリの家も、他と同じ石造りで円筒形を基本としている。しかし、どうやら二つの円筒を繋げたような造りとなっているらしい。

 二つのうち入り口側の大きな方が居間や食堂、奥の少し小さな方が寝室である。ちなみに双方の仕切りは分厚い革布であった。チュカリによれば牛代わりに使う巨大コアラ、つまりゴアラの皮で作った布だという。

 その仕切りの手前で、シノブ達は入室の準備を済ませる。


「これからアタシの弟か妹が生まれるし、大きくなったら建て増しするか広いところに移るかだね」


 マスク代わりの布で口元を覆いながら、チュカリが呟く。どうやら彼女は明るい未来を想像することで不安を紛らわせようとしているらしい。


「ああ……だから、お父さんも頑張っているんだよ」


 シノブはチュカリの父ラグンギに触れた。

 ラグンギは三羽のモアモアを連れ、今も街道で働いている。彼は娘に片道一時間程度の近場を任せ、自分は稼ぎの良い長距離の街道を選択した。

 今ごろラグンギは、妻の無事な出産を願いながらモアモアに乗って街道を走っているだろう。


「大丈夫ですよ。ジブングは本当に腕の良い治癒術士なのです。それにアムリやミラニも」


 夫と同じく元気付けようと思ったのだろう、シャルロットは大きく頷いてみせる。彼女も他と同じく口元を覆ったから見えないが、おそらく慈母の微笑みを浮かべているに違いない。


 ちなみにシャルロットが挙げた名は、それぞれシノブ、アミィ、ミリィの偽名だ。もちろんシャルロットもシャールウという名に変えている。


「アムリちゃんやミラニちゃんもかね?」


 マタニは驚いたように目を見開き、アミィ達を見つめる。

 シャルロットはマタニと出会ったとき、夫達は魔術の名手だと言った。しかしマタニは、十歳程度にしか見えないアミィとミリィは見習い程度だと思っていたようだ。


「兄に似たようで……」


「額の印は伊達じゃない、です~!」


 アミィは謙遜するが、ミリィは自慢げですらあった。ミリィは額の赤い楕円、アウスト大陸では治癒術士を表す印を指差したのだ。


「マタニさん、急ぎましょう」


「え、ええ……」


 シノブに促され、マタニは奥へと入っていく。彼女が仕切りの革布を押し広げると、今までは篭もり気味だったパチャリの(うめ)き声が幾倍にもなってシノブ達の耳に届く。


「お母さん! チュカリだよ! 頑張って!」


 チュカリはパチャリの肩に手を置き、励ましの声を掛ける。するとパチャリが娘の方、つまり入り口側に顔を向けた。


 分娩の場は、小さな寝室の最奥に設けられていた。寝室といってもベッドなどが置かれているわけではなく、就寝時は植物で編んだ敷物、つまり(むしろ)のようなものを敷いて寝るという。

 そのため今は円形の部屋の大半が石畳のままで、奥の一角のみパチャリが横たわる場となっている。


 パチャリは奥の壁に沿うように寝かされていたから、入り口からだと彼女を横から見る形である。そしてパチャリの側には今駆けつけたチュカリの他に三人の女性がいた。

 治癒術士の証である赤い外套(がいとう)(まと)っているのは一人だけ、彼女がラナウだろう。他の二人はパチャリの妹達、つまりチュカリの叔母だという。


「ジブングさん、早く!」


「貴方がジブングさんかい!? 逆子に加えて出血が酷いんだ! パチャリもだけど、このままじゃ子供が危ないよ!」


 チュカリに続く治癒術士ラナウの言葉に、シノブも血相を変えた。そのためシノブも急いで側に寄る。


「これは胎盤剥離かと!」


「この感じだと一部だと思いますが、ラナウさん!」


「ああ、アタシが少し魔術でね! だけど、もう魔力が……」


 アミィとミリィが顔を向けると、ラナウは悲壮な顔で大きく頷いた。

 ラナウの魔力は大きく減じている。おそらく彼女は逆子で長引く出産の間、何とか胎盤を持たせようと魔術を使い続けたのだろう。

 当たり前のことだが胎児は胎盤を通して全てを得ているから、胎盤が剥がれたら酸欠となってしまう。そのためラナウは出産が終わるまで胎盤を支えようとしたわけだ。

 しかしシノブが見たところ、ラナウの魔力は確かに限界のようだ。彼女の魔力は既に周囲の女性達、つまり一般人と大差ないくらいまで落ちている。



 ◆ ◆ ◆ ◆



──シノブ様、帝王切開をしますか!?──


──いや、短距離転移を使う! アミィ、ミリィ、誤魔化してくれ!──


 アミィは帝王切開をするかと問うた。しかしシノブは以前の思いつき、短距離転移を活かした分娩法を実施しようと返す。

 既にパチャリは、かなりの出血をしているようだ。そのため手術が終わるまで彼女が耐えられるか、シノブは危ぶんでいた。


 切開の後の整復は治癒魔術を使えば問題ないが、流れた血は戻らない。通常だと回復魔術の一種で体に造血を促すが、輸血には劣る。

 ちなみに各種の技術が進んだエウレア地方でも、輸血は極めて一部でしか行われていない。輸血や血液型という概念はシノブが持ち込んだが、血液の保存など問題が多すぎたのだ。


 どちらにしても、ここでは輸血を期待できない。そのためシノブは多くの血を失っただろうパチャリを手術するより、短距離転移で赤子を取り上げることにしたわけだ。

 既にシノブは、密封された(つぼ)に詰まった紙束から任意の一枚を自由に抜き取るだけの域に達している。つまり赤子だけを転移させることも充分に可能なのだ。


──分かりました! 私が幻影、ミリィは幻惑を!──


──はい!──


 アミィとミリィの思念と同時に、大きな魔力のうねりが生じた。言葉通り、二人は幻影と幻惑を使ったのだろう。

 アミィが幻影を造り普通に出産させているように見せかけ、そしてミリィはラナウ達が疑問を(いだ)かぬように幻惑、つまり軽度の催眠で補助をする。二人は念には念を入れ、二重に魔術を使うことにしたのだろう。


──シノブ、お願いします──


──ああ、短距離転移!──


 シャルロットの思念に押されるように、シノブは短距離転移を実行する。

 まず空間把握能力で赤子の体を感じ取り、次に空間を越えた魔術行使で(へそ)()を断ち切り、直後に転移を発動させる。すると同時に赤子がシノブの腕の中に移る。

 血に濡れた赤子は目を(つぶ)ったまま大きく口を開けている。そこでシノブは水魔術を操り、新生児の口腔の奥から羊水だろうものを除去した。


「……ぎゃあ! おぎゃあ! おぎゃあ!」


 父母が虎の獣人だから、赤子も虎の獣人だ。新たな命は頭上の虎耳を震わせ、お尻の尾を揺らしながら泣き始める。


「ああ、良かった!」


 心配そうに見つめていたシャルロットが、常にない大きな声で喜びを顕わにした。彼女も母親だから産声で感動が爆発したのだろう、目にも涙を(たた)えている。


「臍の緒、処置しておきますね!」


 幻影や幻惑はもう良いのだろう、アミィはシノブ達の側に寄ってきた。そして彼女は魔術で臍の緒の残りを断ち、更に治癒を施す。

 シノブも浄化の術を使ったから、肌を赤くしつつ泣く新生児は入浴でもしたかのように綺麗である。このように治癒魔術が使える者のいるところでは、地球より進んでいる面も多かった。


「男の子です~! 立派ですね~!」


 ミリィも母親のパチャリから、シノブ達のところにやってきた。そして彼女は赤子の股間を(つつ)き始める。彼女が言う通り、赤子は男の子だったのだ。


 もっともミリィも遊んでいたわけではない。彼女は今までパチャリの処置をしていたのだ。

 残った胎盤もあるし、母体自体にも治癒魔術を掛ける必要がある。特に今回はパチャリの出血が多かったらしいから、ミリィは念入りに各種の術を行使したようだ。


「……あ、赤ちゃん!」


「無事、生まれたのですね……」


 どうやらチュカリ達は、幻惑から醒めたようだ。

 まずチュカリが振り向きシノブの腕の中を見つめる。続いて母親のパチャリが、横たわったまま娘と同じ方向を見つめ、微笑みを浮かべた。

 もちろん治癒術士のラナウや助手のマタニ、それにパチャリの妹達も歓声を上げ、新たな命を祝福する。


「ああ、チュカリ、弟だよ。パチャリさん、元気な男の子ですよ」


 シノブはチュカリの側、つまりパチャリの顔の脇へと寄り、腕に抱いた赤子を見せた。

 パチャリは床に敷いた(むしろ)のようなものの上に寝ているから、シノブは胡坐(あぐら)を掻いて座り込む。その動きからか、赤子は一際大きな声で泣き出した。


「ジブングさん、本当に腕の良い治癒術士だよ! あの逆子をあっという間に引き出しちまった!」


「本当だよ! まだ若いけど、きっと沢山取り上げたんだね!」


 ラナウやマタニの賛辞に、シノブは何と答えようかと悩んだ。

 当然のことではあるが、アミィやミリィはパチャリが自然分娩をしたように見せかけたようだ。つまり事実とは全く違うから、下手なことを話すとラナウ達が見た光景と食い違う恐れがある。

 そのためシノブは曖昧な笑みで誤魔化すことにした。


「さあパチャリさん、赤ちゃんを抱いてください」


 シノブはパチャリの魔力などを確かめ、彼女に充分な体力があると察していた。

 おそらくミリィは、かなり大量の魔力を治癒に用いたのだろう。パチャリは既に健康体と表現しても良い状態であった。


「はい……」


 パチャリは幸せそうな顔で我が子を(いだ)く。そしてシノブ達は大きな喜びと共に、母子の姿を眺め続けた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 アウスト大陸では、新生児の名は父親が付けるものだという。そのため命名は父であるラグンギの帰宅を待つことになる。

 ラグンギは昼も戻らず働くそうだから、赤子が名を得るのは夕方以降になるわけだ。


 一方のチュカリだが、シノブ達と共に買い出しに赴いた。彼女は昼休みを取るためにナンジュマへと戻ってきたが、難産のパチャリを抱えているから誰も食事の準備などしていない。

 普段なら買い置きの食料を適当に料理して食べるところだが、無事出産させてくれた治癒術士や手伝いの者を持て成すから有り物で済ませるわけにもいかない。


「弟か~、早く仕事を手伝ってくれないかな~」


 二羽のモアモアを()きながら、チュカリは跳ねるように先を進む。

 チュカリが連れているのは、シノブ達も乗ってきたモリモリとモエモエである。お祝いのための食事を買い込むから、二羽の出番となったわけだ。


 これはモリモリとモエモエの運動でもあるらしい。

 めでたい日だからチュカリは午後の仕事を休む。そうなるとモリモリとモエモエは半日を厩舎で過ごすことになる。ならば散歩や運搬でもさせた方が、というわけだ。


「仕事ね……まずは、ああなるんじゃないの?」


「なかなか合理的ですね」


 シノブとシャルロットが向いた先にいるのは、大きなポケットが付いた前掛けをした女性であった。どうも女性は露店の売り子らしい。

 もっともシノブ達は彼女自体や職業に興味を示したわけではない。大きな声を張り上げ客を呼び込む女性は、前掛けのポケットに生後半年くらいの赤子を入れている。シノブやシャルロットの視線は、その赤子に向けられていたのだ。


 どうやらアウスト大陸の人々は、有袋類からの着想で乳児を抱える育児法を編み出したらしい。

 アウスト大陸にいる哺乳類は、人類を除けば全て有袋類らしい。そのため有袋類の真似をしようと思う人々が現れるのは自然なことだろう。


「まあね、当分は『袋っ子』だよ! でも餌やりや小屋の掃除くらいなら、三年か四年もすれば……」


 チュカリが言う『袋っ子』とは、この地方での乳児の別名だ。もちろん首が据わってからだが、彼らは文字通り袋に入って育つのだ。


 シノブはチュカリの家を出る前、少し古びた袋付きの前掛けを見せてもらった。それは彼女が乳児のころ入っていたもの、つまり七年は前の品だ。

 袋は随分と深く、一歳近くの子でも座っていれば顎くらいまで隠れそうだった。それだけの年齢の子を入れるから前掛けや袋も頑丈で、これもゴアラなどの皮を材料にしているという。


──三歳かそこらで手伝えるのかな?──


──さあ……チュカリの願望かもしれませんが──


 シノブの思念にシャルロットが同じく疑問混じりの言葉を返す。

 もっとも七歳のチュカリが30kmも離れたドゥアルで仕事の手伝いをするのだ。ならば親の言いつけが理解できる歳になったら、簡単な作業くらいは任せるのかもしれない。どうやらシャルロットは、そうも思ったらしい。


──三歳は怪しいですが四歳なら餌やりはしますよ~──


──この地方の暮らしは厳しそうですからね──


 ミリィは先乗り調査で、そのくらいの子供が親の手伝いをしている光景を見たという。それにアミィも同僚の言葉に驚いていないようだ。


「……チュカリ、神殿に勉強しに行かないの?」


「う~ん、アタシはモアモア飼いの子だからね……平仮名と片仮名が書けて、商売に必要な計算が出来れば充分なんだよ」


 シノブの問いに、チュカリは興味なさそうな声で応じた。どうやら彼女は勉強よりも家業の手伝いを優先させてきたようだ。


 この世界の言語は日本語だから、文字は平仮名と片仮名、そして漢字である。つまり全ての文字を覚えている者は大人でもそうはいない。大抵は平仮名と片仮名に加え、日常使う漢字までとなるのだ。そして、この日常に使う漢字は身分で大きく異なるようだ。

 エウレア地方の場合、貴族以上だとかなり難解な漢字でも読めるし書ける。しかし街の者だと随分と使える漢字が少なくなる。流石に成人して平仮名と片仮名だけという者はいないが、漢字は一千文字という程度の者も多いようだ。

 そして計算だが、これは街だと普通は大人でも四則演算が出来れば良い、という程度である。


「母さんのお腹が大きくなるまでは、週に一度くらい行ったけど……最後に行ったの、いつだったかな?」


「そうか……チュカリ、食事したら神殿にでも連れていってもらえないかな? ナンジュマは大きな街だから、立派な神殿があると期待していたんだ」


 シノブは余計なことかもしれないと思いつつ、チュカリの将来を案じていた。

 パチャリの出産は終わったから、チュカリも再び週に一度ほど神殿で学ぶのだろう。しかし、それで彼女は充分だろうかとシノブは思ったのだ。

 エウレア地方でもそうだったが、神殿での学習速度は個人個人で全く違う。毎日長時間学ぶ者は何年もしないうちに大人並みの読み書き計算を習得するが、二日に一度や三日に一度となるとそうはいかない。

 ましてや週に一度で、どれだけのことが学べるのか。シノブは、それが気に掛かったのだ。


 それに神殿のように多くの人が集まる場所であれば、オルムルの夢の手掛かりも得られるかもしれない。つまりシノブ達は元々神殿にも赴くつもりであった。


「流石は治癒術士だけあって、勉強熱心だねえ! もちろん良いよ、アタシは午後もジブングさん達の貸し切りだからね!」


 チュカリは一瞬、感心した様子でシノブを見上げた。しかし彼女は続いて大きく頷き返す。

 今日の午後はパチャリの側にはラナウやマタニもいれば妹達も付いている。そして出産の祝いが始まるのは父のラグンギが戻ってからで、親戚なども同じく昼間は働いている。そのためチュカリは夜まで暇だった。

 そこでシノブはチュカリを案内役として借り受けることにした。もちろんモアモア乗り半日分の料金は払ってのことである。


「でも今は買い物だ! さあ、イキイキイモ売りの家まで後少しだよ!」


 勢い良く宣言すると、チュカリは走り出す。彼女は約束通りシノブ達にイキイキイモの料理も振る舞うつもりなのだ。


「イキイキイモ、楽しみです~!」


「ミラニ、待って!」


 チュカリと並んで走るミリィをアミィが追っていく。そしてシノブとシャルロットは複雑な笑みを交わし後に続く。


「大丈夫だよ。母上達は普通の味覚の持ち主だから」


「そうですね……」


 シノブは妻の肩に手を優しく添え、シャルロットは夫の体に静かに身を寄せ。二人は寄り添ったまま露店が並ぶ通りを歩き出す。

 弟を得たチュカリは輝く笑顔で駆け、いつも楽しげなミリィも普段に増して軽やかに。アミィも同僚を呼び止めつつも笑みが(こぼ)れている。三人とも新たな命の誕生が嬉しいのだ。

 もちろんシノブとシャルロットも同じである。そのため食べなれない代物があると知っていながら、二人も自然と弾むような足取りとなっていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2017年5月13日(土)17時の更新となります。


 異聞録の第四十二話を公開しました。シリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。


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