23.01 アウスト大陸へ
アウスト大陸とは地球のオーストラリアに相当する陸地で、位置も殆ど同じらしい。
ただしアウスト大陸の北端は南緯16度少々で、南端は南緯40度を少し下回る程度だという。つまりオーストラリア大陸に比べると、アウスト大陸は少々北が削れた形であった。しかも北側、地球ならスンダ列島と呼ぶべき島々も南緯7度より南には存在しない。
したがってアウスト大陸と北の諸島は1000kmも離れているし、大陸の周りは全て魔獣の海域が取り巻き、東のニュージーランドに当たる島とも隔てられている。おそらく、これは周囲との行き来を制限するため神々が地形を整えた結果なのだろう。
この星を統べる女神アムテリアは、人々が未熟な段階で衝突して互いを傷付ける事態を避けようとした。そのため各地方は並外れた高山や大海原、魔獣の領域などで隔てられ、それらを越えての交流は長く皆無であった。
しかし今、アウスト大陸への訪問者が現れた。それはエウレア地方から転移したシノブ達である。先乗りしたミリィが、魔法の馬車を呼び寄せたのだ。
シノブ達は密かな訪問を望んだから、移動先は砂漠の中、それも巨大な奇岩が無数に聳える場所だった。そのため魔法の馬車が出現する光景を目にしたのは、呼んだミリィと側にいる嵐竜ヴィンとマナスのみである。
「ようこそシノブ様~。ここがアウスト大陸です~」
嬉しげなミリィの後ろでは、黒い縞の入った尻尾が揺れていた。今日の彼女は虎の獣人に姿を変えているのだ。それも普段とは違う、褐色の肌の少女に変じていた。
アウスト大陸に住む人々は、どの種族も肌の色が濃いという。ちなみに獣人族は南方系が殆どらしいから、ミリィが選んだ虎の獣人は無難な選択である。
「先行調査、お疲れ様。ヴィンやマナスもありがとう」
同じく褐色の肌となったシノブは、馬車から現れると同時にミリィ達に労いの言葉を掛ける。
ミリィは前日の1月7日から、そしてヴィンやマナスは更に二日前からアウスト大陸に渡っていた。岩竜の子オルムルが見た謎の夢について調べるためである。
夢といっても精神感応力が極めて高く、異神の嘘すら見抜いたオルムルが見たものだ。しかもシノブの心に届いたオルムルの叫び、夢の中から助けを求める声は尋常なものとは思えなかった。それ故シノブも捨て置かず、大勢の力を借りてでも調べると決断したのだ。
「条件に当てはまるな……」
シノブは目を細めつつ空を見上げる。
オルムルが夢で見た場所は、とても暑く太陽が非常に高かった。しかし今は一月上旬だから、そのような光景は北半球ではあり得ない。
仮にオルムルの夢の内容が同じ時点、アマノシュタットの朝四時ごろの情景だとする。そのとき昼を迎えているのは遥か東、南半球であればアウスト大陸である。
実際、向こうとは八時間近い時差があるようだ。シノブが魔法の馬車に乗ったときアマノシュタットは午前三時ごろだったが、ここでは太陽が中天近くに昇っている。
「ここがアウスト大陸ですか……やはり、暑いのですね」
「この辺りは特に厳しい場所のようです」
続いて降りてきたのは、シャルロットとアミィだ。二人は手を翳しつつ、周囲を眺めている。
こちらの二人も変装の魔道具を使い、シノブやミリィと同じ濃い肌に変じている。ちなみに種族は、シャルロットがシノブと同じ人族、そしてアミィが虎の獣人だ。
更に馬車からは岩竜オルムル、嵐竜ラーカ、光翔虎フェイニーが飛び出し、最後にフェイニーの従兄弟であるシャンジーまで現れた。
『ミリィさん、ありがとうございます! 様子を見に行きます!』
『父さま、母さま……ぼ、僕も行ってきます!』
『私も~! 初めての場所、ワクワクします~!』
『シノブの兄貴~、念の為にボクも行ってきます~』
オルムル達は挨拶もそこそこに宙高く昇っていく。ただし四頭は透明化の魔道具や姿消しを使っているから、人目に触れる心配はない。
真っ先に上昇したのはオルムルだ。おそらく彼女は、ここが夢の場所なのか確かめようとしたのだろう。
次のラーカは両親のヴィンとマナスに声は掛けたものの、初めて見る場所への興味が勝ったようで同じく天へと向かって行く。それに対し三番手のフェイニーは、躊躇うことなく一直線にオルムルとラーカを追う。
最後のシャンジーは、一歳を超えたばかりの三頭を守ろうと思ったらしい。彼は百歳少々とオルムル達よりは随分と年長だから、一緒にいるときは保護者役となるようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
オルムル達は宙高くに消えた。そこでシノブは目の前のミリィへと視線を戻す。
「もう、随分調べたようだけど?」
「大陸の東側、およそ四分の一くらいでしたね?」
シノブに続き、シャルロットもミリィに問い掛ける。
それにアミィも調査の進行具合が気になるようだ。彼女は魔法の馬車をカードに変えて仕舞うと、返答を待つように同僚へと向き直った。
シノブ達は、これからアウスト大陸の街に赴く。オルムルが夢で見た場所には、かなり多くの人が集っていたらしいから、まずは人が多いところに行ってみることにしたのだ。
そのためシノブ達はアウスト大陸東部に多い長衣に着替えている。これは昨日ミリィが入手したもので、彼女も同じ濃い赤の服を纏っている。
「更に少し増えて三分の一くらいです~。人が住んでいるところなら半分以上回りました~」
順調な調査を誇ろうとしたのか、ミリィは自慢げに胸を張った。
ミリィは金鵄族だから、極めて高速な飛翔が可能だ。彼女は端から端まで4000km近くあるアウスト大陸でも、少し急げば一日で往復できる。
そして嵐竜も超越種の中では速く飛べる方で、時速200kmは優に出せる。そのため彼らは上空からの調査ではあるが、かなりの広範囲を巡っていた。
『この大陸は中央に大きな砂漠があるから、人の子は多くないようだ』
『西は海岸近くも砂漠です。大きな集落があるのは東側と北、それに南の一部だけのようです』
ヴィンとマナスはミリィが来るまでアウスト大陸の各地を巡り、調査すべき場所を絞り込んでいた。したがって二頭は、上空からだが大陸の概要を把握していた。
どうやらアウスト大陸の気候や風土は、地球のオーストラリアと良く似ているらしい。つまり砂漠もあれば乾燥気味のステップ気候もあるし、逆に熱帯雨林から南端の四季のある場所まで様々のようだ。
そしてマナスが触れたように、人々は巨大な砂漠や乾燥地帯を避けている。そのためオルムルが夢で見たような多くの人が集まる場所は限られるらしい。
『暑いのは似ていますね。でも、もう少し緑があったような気がします……』
オルムルは上空から戻ると、透明化の魔道具の効果を解除した。そして彼女は猫ほどの大きさに変ずると、シノブの肩に舞い降りる。
『やはり街に行ってみましょう!』
ラーカは父母の手前かシノブに甘えることはなく、そのまま宙に浮いている。ただし元の大きさでは奇岩の上に頭が出てしまうからだろう、彼は全長3mほどとなっていた。
これはヴィンやマナスも同じで彼らも本来の十分の一、長さでいえば6m程度に変じている。嵐竜は東洋の龍に似た姿だから、まるで大蛇が浮かんでいるような光景だ。
『乾いたところは苦手です~』
『ボク達は森が棲家だからね~』
フェイニーはシャンジーの頭の上に収まっている。シャンジーが普通の虎くらい、そしてフェイニーが猫ほどの大きさだ。
フェイニーはアウスト大陸への興味が薄いようだ。どうも彼女はシャンジーが引率役を務めるから付いてきただけらしい。その証拠というべきか、フェイニーは将来の番と定めた相手にベッタリと貼り付いている。
ちなみに一歳を超えた超越種の子は、他に海竜リタンがいる。しかし今回赴くのは内陸だから、彼は居残り組を選んでいた。
アウスト大陸は初めての場所だから、シノブは一歳以上の子供だけを伴うことにした。そこでリタンは、残ることになった年少者の面倒を見ようとしたのだろう。
「そうだね、後は道々聞けば大丈夫だろう。……ヴィンとマナスはどうするの? 案内はミリィにしてもらうから、今日はラーカと過ごしたら?」
シノブは嵐竜の三頭へと顔を向けた。
超越種も成体ともなると、街中を巡るのは少々厳しい。母なる女神アムテリアが授けてくれた小さくなる腕輪にも制限があるからだ。
これは小さくなればなるほど多くの魔力を必要とするからで、普通は十分の一程度までが良いらしい。しかし今のヴィンやマナスのように全長6mもあれば、姿を消したとしても人混みや家の中には入れない。
そうなると上空で待機するしかないが、それでは詰まらないだろうとシノブは思ったのだ。
『気遣い、ありがたく受け取ろう』
『では、更なる探索を進めます。この子の訓練にもなりますし』
ヴィンとマナスも街に入るつもりは無かったようだ。二頭は間を置かずに、昨日までと同様に上空からの調査をすると答えた。
超越種の棲家には、シノブとアミィが転移の神像を作って回った。そのため親達はアマノシュタットにも訪れることも多いし、子供達に様々な教えを授けてもいる。
とはいえ未知の大陸を子供と飛ぶのは嬉しいのだろう、ヴィンとマナスの返答は僅かだが弾むようですらあった。
『僕も頑張って調べますね!』
ラーカも嬉しげに長い尾を振っていた。シャンジーを除けば彼は子供達で最も年長だが、それでも二歳まで四ヶ月近くもある。やはりラーカは、両親と共に過ごす時間が嬉しいのだろう。
「それじゃ、大陸の調査は頼むよ。シャンジー達は?」
『もちろん兄貴と一緒です~! さあ、乗ってください~!』
シノブが言い終わるのを待たず、シャンジーが自身の意志を表明する。そしてシャンジーは地に伏せると、自身の体の大きさを三倍ほどに変えた。
◆ ◆ ◆ ◆
三頭の嵐竜は透明化の魔道具で消えて西に飛び去り、シノブ達も東の街へと向かっていく。そしてシノブ達は、向かう途中でもミリィの話を聞いていた。今度はアウスト大陸に住む人々についてである。
姿を消して飛翔するシャンジーの背の上には、シノブとシャルロット、そしてアミィとミリィの四人が乗っている。なおオルムルは相変わらずシノブの肩の上、フェイニーもシャンジーの頭の上だ。
オルムルやフェイニーは自力で飛翔すれば良さそうなものだが、話に加わることにしたらしい。
「渡れる島で人が住んでいるのは、南のゴディア島だけです~。ドワーフさん達が暮らしています~」
ミリィは大陸の南にある島、地球ならタスマニア島に相当する場所も調査をしていた。もちろん調査といっても殆どは上空から見て回っただけだが、それでも彼女は住んでいる人の種族くらいは確かめていた。
「大陸にドワーフはいないんだったね?」
「はい~。大陸の森にはエルフが住んでいますが、外との交流はなさそうです~。ちなみにドワーフとエルフの双方とも、肌は褐色ですよ~」
シノブの問いに、ミリィはコクリと頷いてから応じていく。
アウスト大陸でも、エルフは外界との交流を拒んでいるのは同じらしい。他より長寿のためか、どうしてもエルフのみで固まってしまうようだ。
エルフが同種族のみで暮らすのは、エウレア地方やアスレア地方、そしてヤマト王国の伊予の島でも程度の差はあれ共通している。前の二つはエルフだけ、そして伊予の島も狸の獣人との共存だけである。
それにエウレア地方やアスレア地方のエルフは、つい先日まで他種族との交流を最低限に留め、入国すら許さなかった。したがって、ここのエルフ達が特殊というわけではない。
「ドワーフ達が大陸にいないのも、同族だけで集まったからですか?」
シャルロットが司令官を務めていたヴァルゲン砦は、ドワーフ達の国ヴォーリ連合国との境に置かれていた。そのため彼女は、故郷で良く知るドワーフ達と似た暮らしなのか気になったらしい。
「それもありますが、暑いのがイヤなのかもしれません~。こちらのドワーフさん達も立派な髭を生やしていますよ~」
ミリィによれば、ゴディア島の緯度は南緯41度から43度少々らしい。
これは北緯に当て嵌めるとメリエンヌ王国の南部と等しい高緯度帯である。しかも南極からの海流の関係か、ゴディア島はエウレア地方より随分と気温が低いようだ。そのため木々は紅葉もするし、山などであれば結構な量の雪が積もるという。
「北緯に直した場合、青森から旭川ですからね」
「東北から北海道か……それならドワーフも住み易そうだ。ところでドワーフ達はアウスト大陸と貿易をしているの?」
日本に置き換えたアミィの例示は、シノブには理解しやすかった。そしてゴディア島の気候や風土に納得したシノブは、ドワーフ達の暮らしについて訊ねる。
昨夜までに送られてきた情報だと、アウスト大陸には都市国家や都市連合と呼べる程度の集団は幾つかあるらしい。もっとも厳しい自然で人口が少ない地域が多く、砂漠を除いても小さな集落が点在するだけの地域も珍しくないそうだ。
とはいえ魔獣がいるだけあって小さな集落にも石の壁や堀はあり、備えは充分だという。つまり、それだけの集落を築く技術を持ち合わせているわけだ。
ドワーフ達も同じような工夫をするだろうし、彼らなら高度な技術を発達させるに違いない。そうであれば外部に作った品を売りにいくこともあると、シノブは思ったのだ。
「こっちのドワーフも海はキライなんですよ~。だから大陸の人族と獣人族が頑張って買いに行くくらいですね~」
アウスト大陸とゴディア島自体は、およそ200kmは離れているとミリィは言う。しかし海峡には大小幾つかの島があり、それらを伝う場合だと最も間が広い場所で50km程度だそうだ。
とはいえ海が苦手なドワーフ達からすれば、50kmも向こうに渡るなど論外らしい。日本でいえば本州と北海道の間の倍以上だから、彼らが避けるのも無理からぬことである。何しろこちらには、海生魔獣でなくとも巨大ザメなどもいるのだから。
『そうすると、これから向かう街にいるのは人族と獣人族のみ……』
オルムルは自身の夢と条件が合うかどうかが気になるらしい。
彼女が謎の夢で見た人々は、背格好からするとドワーフではないだろう。そして風景は乾燥気味の平地で、木々の集まりは中に人が隠れ住むほど大きくはなかった。したがって森の女神アルフールを信奉し彼女の守護する地に住むエルフも除外され、残るは人族と獣人族だ。
一方アウスト大陸の集落は、森を除けば人族と獣人族が住む場所らしい。そしてアウスト大陸は極めて広いから森が目に入らない場所など幾らでもあり、そこにも多くの集落が存在する。
そのためオルムルは、この大陸に夢で見た場所があるかもしれないと考えたようだ。
『太陽も高いね~』
『オルムルさんが言っていたのと同じです~』
シャンジーとフェイニーが言うように、この辺りは日の高さも充分にあった。なるべく同じ条件になるようにと昼前に訪れたのだが、既に太陽高度が70度を超えているのは間違いない。
「この衣装はどうですか~」
ミリィは纏っている衣装、こちらの治癒術士に似せたという長衣を示す。
シノブ達はオレンジに近い朱色の貫頭衣型の長衣を着け、その上に真紅の布を外套として巻いている。暑い場所だが日光が強いから、アウスト大陸の大半では体全体を覆う衣装となったようだ。
そしてシノブ達は頭にも濃い暖色系の布を巻いている。
ちなみに頭の布や外套の色や巻き方は、地位などによって異なる。大まかに言えば、高い身分ほど多くの布を使い、更に色が濃くなり巻き方も複雑になるらしい。
治癒術士は真紅の外套を許されているのだから、かなりの社会的地位があるのだろう。もっとも多くの社会では医療技術者は特別な存在とされており、特におかしなことではない。
『よく覚えていないのですが、こんな感じだったかも……それに、額に楕円の印もありますし……』
オルムルは、シノブの肩の上からミリィへと振り返った。そして彼女はミリィの額をじっと見つめる。
シノブ達は額に身分を表す印を付けている。この印は高位の者や特殊な職業の者が付けるというものだ。色や形で地位や職業を表すそうだが、赤を付けることが許された治癒術士は、やはり相当な権威を持っているのだろう。
そのような権威の高い者を勝手に名乗って良いかというと、治癒術士に関しては問題がなかった。治癒魔術が使えるなら、治癒術士と認められるからだ。
実用の域に達した魔術を使える者は少ないし、治癒魔術の使い手は更に貴重だ。しかも証明は活性化や切り傷の治癒など容易である。
シノブ、アミィ、ミリィの三人は治癒魔術も得意としているし、実際に数え切れないほどの相手を治療している。シャルロットは治癒の術を使えないが、治癒術士の妻も同じ衣装を纏うことが許されているから問題ない。
これが武人だと所属している街や仕えている主を示す必要がある。それに今日は手始めに半日を過ごすだけだから商人なども面倒だ。この双方は、ある程度の伝手を得るか充分に偽装できるだけの知識を得ないことには無理だろう。
そのためシノブ達は、術さえ使えれば問題ない治癒術士を選んだわけだ。
「……実際に街の人達を見れば、何か感じることがあるかもね。それに今日は様子見だけだ。明後日はシュメイの誕生日だからね」
シノブは肩に乗ったオルムルを撫でつつ、柔らかな声で語り掛ける。
二日後の創世暦1002年1月10日、炎竜の子シュメイは一歳となる。そして彼女は明日、オルムルのときと同様に北極圏の故郷を目指す大飛行に挑戦する。彼女は殆ど一日掛かりで3000km近い距離を、しかも無着陸で飛ぶのだ。
オルムル達もシュメイの大飛行に随伴するため、明日からの三日は外せない。それに北の島での儀式には、前回と同じくシノブ達も招かれていた。
したがって今日はアウスト大陸がどんなところか軽く見ておこう、という程度である。
『はい!』
『そうですよ~。本格的な調査はシュメイが一歳になってからでも大丈夫です~。あの子は几帳面だから、きっと何か発見してくれますよ~』
元気を取り戻したオルムルに、フェイニーが冗談らしき言葉を掛ける。そしてフェイニーは、シャンジーの頭の上からシノブの頭の上に飛び移った。
『フェイニーさん……』
オルムルの声は感動が滲んでいた。何とフェイニーは、オルムルの頭を撫でていたのだ。
シノブもフェイニーの気遣いに微笑みを浮かべた。
オルムル達が互いに支えあい成長している姿を、シノブは何よりも愛おしく感じていた。そしてシノブは留守番している子供達や、我が子リヒト、シャルロットとミュリエルの弟アヴニールやエスポワールに思いを馳せる。
きっと今ごろシュメイは、明日のためにと気負っているだろう。それを年長のリタンが和らげ、年少のファーヴが自分は更に一ヶ月以上先なのだからと慰め半分羨み半分の言葉を掛けているに違いない。
まだ生後半年のフェルンやディアスは、早く自分達もと訓練に燃えているだろう。ケリスは最年少だが落ち着いているから、そんな彼らを静かに応援しているのではないだろうか。
リヒト達、人間の子供はまだまだ単なる赤子でしかない。最年長のアヴニールですら生まれて七ヶ月、リヒトとエスポワールは二ヶ月だ。しかし彼らも何年かしたら互いに競い成長していくのだろう。そしてオルムルとフェイニーのように、仲間として支えあっていく筈だ。
シノブは将来に心を飛ばしたせいか、自然と前を向いていた。いつの間にか砂漠を越え、乾燥が目立ってはいるが充分生活できそうな一帯に入っていた。それに街道らしきものも目に入る。
シノブは思わず道へと目を向けるが、そこには見慣れぬ巨獣が群れていた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブもミリィ達から聞いてはいたし、地球でも似た生き物を見たことがある。しかしシノブは、それでも目を見張ってしまう。
だが、それも無理はないだろう。街道を歩んでいるのは、巨大コアラの群れだったのだ。しかも巨大コアラの後ろには荷車が付けられている。つまり野生ではなく輸送用の家畜なのだ。
「……あれもコアラなんだよね?」
シノブは巨大コアラへと顔を向けたまま、後ろのミリィへと言葉を投げる。
確かにコアラと似てはいる。顔の中央に目立つ巨大な黒い鼻は、テレビや動物園で見たコアラそのものだ。耳はあまり大きくないからウォンバットなどに似ているかもしれない。
しかし体長3m以上ありそうな巨体は、四つ脚で歩く熊のように厳つく感じる。もちろん抱っこして可愛がることなど到底できない。
「はい~。お伝えしたゴアラです~。大まかに言えば牛の代わりですね~。といっても乳は採らないで、ああいう輸送や食肉、毛皮の利用のために飼っているのです~」
ミリィによれば、ゴアラの食べ物はユーカリではないそうだ。しかも草であれば大抵のものは食べるから、コアラのように飼育に苦労することはないという。
ちなみにゴアラは硬い雑草でも嫌わずに食べるが、食用にするものは柔らかい牧草を食べさせるらしい。どうも、その方が良い肉質になるようである。
「あれだけ荷を乗せているのに……随分と力が強いようですね。……あの後ろから駆けて来た鳥がモアモアですか?」
ミリィに問うたのはシャルロットであった。
シャルロットもアウスト大陸からの情報は目を通しているし、地球のオーストラリアについてもシノブから教わっている。そのため彼女は地球のコアラについても概要を理解しているが、シノブのような可愛らしい生き物という先入観はない。
それ故シャルロットはミリィの返答を聞いても、シノブのように絶句しなかったようだ。
「はい~。あちらが馬の代わりですね~。人間を除くと、アウスト大陸の哺乳類は有袋類だけですから~」
ミリィもシャルロットと同じ方向に顔を向けた。二人が見つめる先では、人の背の倍以上もある茶色い鳥が駆けている。この全力疾走する馬にも劣らぬ速度を誇る巨鳥が、モアモアだ。
馬の代用というだけあって、モアモアの背には人が乗っている。それも一人ではなく、三人の相乗りだ。羽が無い代わりかモアモアの足は非常に太く、乗り手の感じからすると胴体も充分な幅があるらしい。
「……ゴアラがディプロトドン、モアモアがジャイアントモアなのかな?」
ようやく立ち直ったシノブは、自身が知る古代生物の名を挙げた。
ディプロトドンはオーストラリアに棲息していたコアラやウォンバットの近縁の有袋類で、やはり体長3mはある巨大生物だ。そしてジャイアントモアはニュージーランドにいた全高3mを超える巨鳥である。
オーストラリアの哺乳類は、人類や一部の例外を除いて有袋類だけであった。そのため神々は、この地を有袋類の楽園としたのだろう。
しかし、それでは家畜となる生き物が少なすぎる。そこで神々はディプロトドンやジャイアントモアのような絶滅種まで参考にしたのだろう。
もっともディプロトドンは紀元前に姿を消しているが、ジャイアントモアは十四世紀ごろまで生き残っていたらしい。そのため神々が古代の地球を元にしたのなら、ジャイアントモアは現世種ということになる。
「そうだと思います。アムテリア様達は、生き物は利用しても獲り尽くさないように、とお定めになりました。ですから、こちらでは絶滅しないで済んだのでしょう」
アミィは少し沈んだ声音だった。
こちらの世界では共存を実現できているが、それは神々の教えがあるからだ。つまり一種の強制であり、人間達が自身で見出した道ではない。
とはいえ地球と同じく人間に任せていたら、アウスト大陸から幾つの種が消えていたか。失敗から学ぶのも大切なことだが、取り返しの付かない悲劇まで繰り返さなくとも良かろう。おそらく神々は、そのように考えたのだろう。
「ああ、その通りだ。地球には多くの悲劇があった。動物だけじゃない……人間同士だって。そして悲劇の傷跡は、未来永劫消えないのかもしれない」
シノブは思い浮かべる。ここアウスト大陸に相当する地で起きたことを。
それはベーリンゲン帝国の奴隷政策に勝る悪夢だ。同じ人間が片方を劣等と決めつけ、悪戯に追い詰め迫害し、多くの罪無き人々が姿を消した。
もちろん他の場所や時代でも起こったことだと、シノブは理解している。しかし理解しているが故に、余計に人間の行く末を憂えずにはいられなかった。
「シノブ、それらを貴方は知っています。ですから、同じ過ちを繰り返さないように導ける筈です。もちろん私達も貴方を支え一緒に力を尽くします」
シャルロットは、シノブの内心を奥深くまで察したらしい。彼女はシノブの手をそっと握る。
シノブは自分が知ることを、少しずつシャルロットへと伝えていた。もちろん一部は抑えた表現にしたが、シノブは過去の地球の過ちも妻に明かした。それは本当の自分を知ってもらうためでもあり、共に国を統べる彼女に悲劇を回避する術を一緒に考えてほしいからだ。
そしてシャルロットも夫と同じものを理解し同じ道を歩みたいと、熱心に地球のことを学んだ。そのため彼女は、シノブが口に出さなかったことも感じ取ったのだろう。
「ありがとう……」
シノブは気遣う妻に短い言葉だけを返した。そして代わりに自身も彼女の手を握り締める。
シャルロットの言う通り、他にはない知識を活かして未来を良くしていくべきだ。この世界は、まだ大航海時代に入ったかどうかという辺りだから、自身が知る不幸な遭遇は起きるとしても未来のことなのだ。ならば、それらの芽を摘み取っていけば良い。
シノブはアウスト大陸の大地や生き物、そして人々に目を向け直す。
ここには地球とは違う発展と融和がある。まだ、ここでは間に合うのだ。そんな思いがシノブの胸の内に広がっていく。
『シノブさん、私達も獲り過ぎに注意します! いつも父さまや母さまに言われていますけど!』
どうやらオルムルは高い感応力でシノブの内心に気が付いたようだ。彼女は冗談めいた物言いで、魔獣を狩り過ぎないと宣言した。
『そうですね~。でも珍しい魔獣がいたら、少しくらい食べたいです!』
『フェイニーちゃ~ん、ヴィンさんやマナスさんに聞いてからだよ~。もしかしたらお腹に悪いかもしれないし~』
フェイニーとシャンジーの暢気なやり取りに、シノブは吹き出してしまう。それにシャルロット達も、声を立てて笑っていた。
「ああ、拾い食いはダメだと思うよ……さあ、そろそろどこかで降りよう! 街に入るなら、あのゴアラかモアモアに乗っていくのも良いかもね!」
シノブは陽気な声で応じ、それに押されたかのようにシャンジーは速度を増していく。そしてシノブ達はアウスト大陸の空に楽しげな響きを残しながら、街道沿いの小集落へと向かっていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年5月6日(土)17時の更新となります。
異聞録の第四十話と第四十一話を公開しました。
上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。