22.06 戦う女性達 後編
華姫セレスティーヌは英姫ミュリエルと共に馬車に乗っていた。
今日は国王シノブと戦王妃シャルロットの結婚記念日だが、午前中は政務もある。そのためセレスティーヌとミュリエルも、朝議が終わると一旦は『白陽宮』から自身の職場へと移る。
まだ十六歳になったばかりだがセレスティーヌは外務卿代行、同様に来る三月で十一歳のミュリエルも商務卿代行である。二人とも祝賀の会で微笑み語らうだけの存在ではなく、記念の日といえど最低限の仕事はこなさなくてはならない。
もっともセレスティーヌにとって、大役を任されているのは極めて誇らしく喜ばしいことであった。
おそらく、それは向かいに腰掛けているミュリエルも同じだろう。彼女の顔は自身の銀に近いアッシュブロンドに負けないほど輝き、綺麗な緑の瞳はアマノ王家の一員に相応しくあろうとする意志で強く煌めいている。
智慧で戦い貢献しようと意気込む銀の少女の姿は、セレスティーヌに自身の過去を思い出させた。成人前の自分もメリエンヌ王家に恥じぬようにと己を律し磨いてきた。そしてシノブと出会い、彼の側に移ってからも同じである。
自分は神から使命を授かり加護を得た王家の一員だと、セレスティーヌは常に意識し行動してきた。この星を統べる女神アムテリアの慈しみの心に叶うよう、愛と調和を胸に王女の道を歩んだ。
きっとミュリエルも同じものを目指しているのだろう。それは彼女と手を携え進むセレスティーヌにとって、この上なく心強く、そして嬉しく感じることであった。
「……セレスティーヌお姉さま?」
ミュリエルは少々怪訝そうな面持ちでセレスティーヌへと呼びかけた。どうやら彼女はセレスティーヌが顔を綻ばせた理由に思い至らなかったようだ。
「こうやって共に進める方……仲間がいるのを、とても嬉しく思ったのですわ。尊敬できる殿方を共に認め合った家族で支えたいと、憧れていましたから」
車内には自分とミュリエルの二人しかいない。そこでセレスティーヌは、率直な思いを口にした。
シノブとシャルロットの結婚記念日は、セレスティーヌにとって先々の自分を重ねてしまう日でもあった。いずれ自分も同じようにシノブと結ばれ、結婚や記念の日には彼と並んで皆の祝福を受けるのだ。そう思うと自然に心が浮き立ち、頬が染まっていく。
おそらくはミュリエルも同じことを感じているだろう。それ故セレスティーヌは同志と呼ぶべき少女と二人だけの時間を持とうと、今日は互いの側近を別の馬車に移したのだ。
『白陽宮』では常に侍女や護衛に囲まれているし、それは職場でも同様だ。今も馬車の外は大勢の護衛騎士が随伴している。そのため外務と商務の長として密談すると口実を設け、双方の側仕えを下げていた。
「そう言っていただけると、嬉しいです!」
ミュリエルは満面の笑みを浮かべ、大きな感動が滲む声を響かせる。
姉のシャルロットは十九歳、そして同じ婚約者であるセレスティーヌも五年と少々の差がある。そのため一番後から追うミュリエルは、対等と認められたい気持ちが強いようだ。
それはセレスティーヌにも良く判る感情だ。
自分は長女だが、上には王太子テオドールがおり第二子である。そして兄は九歳も年上だから、ミュリエルくらいの年頃は手本としつつも早く差を埋めたい気持ちが強かった。幸いというべきか王子と王女という違いもあり、あまり周囲は比較しなかったが、それが逆に寂しさの元となったこともある。
おそらくミュリエルも、女ながら継嗣として期待されたシャルロットと、いずれ嫁ぐ日のためにと手厚く保護される自分の違いに悩んだのだろう。セレスティーヌは、そんな想像を密かにする。
「ミュリエルさんは、もう立派なアマノ王家の一員ですわ。シノブ様からも信頼され、こうやって商務の長としても支えていますもの。
後は成人して妃となるだけ……もう少しだけ時間が必要ですが」
セレスティーヌが言うように、ミュリエルが嫁ぐ日は四年以上も先だ。
婚姻は成人してから、つまり十五歳以上と神々は定めている。そのためエウレア地方だけではなく、アスレア地方、ヤマト王国、アフレア大陸など今までセレスティーヌが知った全ての地域は、未成年の結婚を認めていない。
したがってミュリエルがシノブの妃となるのは、どんなに早くても創世暦1006年3月3日以降である。
「私は別に……それよりセレスティーヌお姉さまが……」
先ほどもそうだが、内々ということもありミュリエルは『お姉さま』と呼ぶ。血縁関係はないが、家族としての繋がり故の呼び掛けだ。
しかし今の呼び掛けに含まれているものは、単純な親愛の情だけではないようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
セレスティーヌは十六歳だから、すぐにでもシノブと結婚できる。しかし今のところシノブ自身を含め、いつ婚姻をと言う者はいない。
血を絶やさぬようにと王族や貴族は一夫多妻の例が多いものの、普通は嫁ぐ間隔を多少空ける。夫は先に迎えた夫人との愛を充分に育むべき、としているからだ。また、あまりに子供の歳が近い場合、跡継ぎ争いの元になりやすいからだろう。
幸いシノブは長男リヒトを既に得たが、それらを鑑みると更に一年ほど空けるのが望ましい。実際に多くの者も、そのように考えているらしい。
しかし公私を問わず、この件をシノブに訊ねる者はいない。
国王であるシノブに結婚という微妙な話題を振る者など限られている。そして該当する極めて一部の者はシノブの真の経歴を知っており、彼の故郷が一夫一妻で結婚が遅いと理解している。結果的に、誰もが口出しをせず見守るだけとなるようだ。
しかしミュリエルは、セレスティーヌが側付きを下げた意図を承知しているのだろう。彼女は曖昧にだが、他の者がいる場では憚られる話題に触れた。
「そうですわね……マルゲリットさんもアルベリク様に嫁がれましたし」
暫しの沈黙の後、セレスティーヌは自身の友と従兄弟に触れた。
ジョスラン侯爵令嬢マルゲリットはセレスティーヌの一つ年下の友人だ。セレスティーヌが故国の王都メリエで暮らしていたときは、他の友人達と同様に毎日のように会っていた仲である。
一方の現アシャール公爵アルベリクはセレスティーヌの従兄弟、そして今はアマノ王国の宰相となったベランジェの息子である。つまり、こちらもセレスティーヌにとって極めて近しい人物であった。
そしてマルゲリットは先月十五日にアルベリクの第二夫人となった。
ベランジェと彼の夫人達がアマノ王国に籍を移したため、今のアシャール公爵家はアルベリクと第一夫人アリエット、そして昨夏生まれたばかりの長男ベラントルしかおらず、マルゲリットの輿入れを急いだからである。
「お友達で成人したのはマルゲリットさんだけですわね……イポリートさんは今年の七月ですか……」
「ですからセレスティーヌお姉さまも、私に遠慮なさらずとも……」
僅かだがセレスティーヌの声に宿った感慨を、ミュリエルは察したようだ。
ミュリエルは、セレスティーヌが婚姻を急がないのは自分に遠慮してのことだと思っているらしい。彼女は憂いを浮かべた顔でセレスティーヌの表情を窺っている。
「それは違いますわ。こちらとシノブ様の故郷では、結婚の年齢が随分と違いますから。
ですから私もシャルお姉さまくらいが良いかと……つまり私はシャルお姉さまの三年後、そしてミュリエルさんが更に三年後、というのは如何でしょう?」
セレスティーヌとしては、敬愛するシャルロットと同じ年齢で、という思いもあった。
確かに自分達の感覚からすれば、今年か来年には、と考える。しかしシャルロットと同じ十八歳の新年、創世暦1004年1月というのも悪くない。憧れの人と同じ道を歩むというのは、セレスティーヌを強く惹きつけるものがあった。
そして自分の三年後から少し、創世暦1007年3月にミュリエルは十六歳となる。これならシノブの故郷の決まりにも反せず彼も抵抗感が少ないのではと、セレスティーヌは考えていた。
「私は構いませんが……ですが、それで良いのですか?」
ミュリエルも十六歳という年齢は意識していたのだろう。彼女は自身の輿入れが五年後という提案にも平静なままであった。
それよりミュリエルは、セレスティーヌの結婚が遅くなるのを気にしているらしい。彼女の細く形の良い眉は、僅かに顰められている。
「良いのです……というより、早く結婚しすぎると他を刺激しかねませんから。シノブ様が次々に妻を娶ったら、自分の娘もと再び動き始めますわ」
自身の婚約者が多くの妻を望んでいないと、セレスティーヌは機会があるごとに仄めかしていた。もちろん各国の代表者に直接伝えるのではなく、妻などの女性陣に対してである。
もっともシノブは、そのように親しい者に語っているし、彼を見ていれば判ることでもある。シノブが多くを娶るつもりなら、行く先々で新たな妻なり婚約者なりを得ているだろう。
しかしシノブが短期間のうちに妻を何人も迎えたら、彼の考えが変わったと思う者が出るかもしれない。
そのような事態は、セレスティーヌも避けたかった。
セレスティーヌとしても家族と呼べる者達と夫を支えたいだけで、誰でも共にとは考えていない。それはシャルロットやミュリエルにしても同じに違いない。
一夫多妻といっても通常は二人、多くて三人といった程度だ。そのためセレスティーヌも同じ夫を持つ女性が十人や二十人いるなど、想像の埒外であった。
しかしアマノ同盟の加盟国や準ずる友好国は既に十三を数えるし、これからも増えるだろう。したがって仮にシノブが拒まぬなら、娘を妻にという君主が何人現れるか見当も付かない。
「はい……」
「私達のため、という理由もあります。ですが、これはシノブ様もお望みのことです。私達が婚姻までの時間を置けば、その間はシノブ様の平穏を守れるでしょう? これも支える一環だと思いますわ」
多数の希望者が押し寄せる光景を想像したのか、ミュリエルの顔が曇る。そこでセレスティーヌは、敢えて冗談めかした言葉を彼女に返した。
やはり、こうやって語り合う時間を設けて良かった。共にシャルロットを追いかけるという意味で、ミュリエルは特別な存在だ。そして彼女こそ最も近しく支えあうべき仲間なのだ。しみじみとした感慨がセレスティーヌの胸中に浮かび上がってくる。
「さあ、そろそろ着きますわ!」
「はい!」
憂いが晴れたからだろう、ミュリエルの返事は彼女らしい元気の良いものとなった。
既に『白陽宮』の敷地は出ているし、大通りも渡り終えた。まもなく馬車はミュリエルの担当である商務省に着くだろう。
また、こうやって語らおう。セレスティーヌの思いが伝わったのか、ミュリエルは愛らしい笑顔で大きく頷いていた。
◆ ◆ ◆ ◆
セレスティーヌは予定通り午前中に仕事を終え、朝と同じくミュリエルと一緒に『白陽宮』に戻った。そして二人は国内の者を招いた午餐会、つまり昼食パーティーの場に向かう。
祝われる側のシノブやシャルロットは、既にアミィと共に会場のヴルムの間に移動済みだ。そのため二人も貴婦人らしく心掛けつつも、普段よりは急ぎ足で広間へと入った。
今回の午餐会に出席するのは国の要職にある者ばかりで、さほど人数は多くない。これは先月から今月頭に掛けて多数の式典があったからだ。
大きなものだけでもセレスティーヌ自身の誕生日が12月5日、シャルロットが12月25日、明けて1月1日には国を挙げて新年祝賀の儀を執り行った。その翌日には各国の賓客を迎えての大祝賀会だ。
しかも1月2日はホリィの誕生日でもあった。彼女がシノブを助けるべく加わった日を誕生日としたのだ。そこで夜は内々でホリィを囲み盛大に祝福した。
そこからの数日も年初の行事が多く、更にリヒトが誕生して二ヶ月の1月5日も晩餐会があった。したがって全てを国家的な行事にしたら、毎日が大宴会とお祭りの連続となってしまう。
それ故ヴルムの間に招く者は、伯爵以上の上級貴族か王宮勤めの要職に側近のみとした。とはいえ限定したといっても五十人を超える。当然だが彼らの大半は伴侶を連れて来たし、それ以外の者も身内などで代役を立てたからである。
「バーレンベルク伯爵、後二ヶ月ですわね」
「ティニヤさん、順調だと伺いました!」
セレスティーヌとミュリエルはイヴァールに歩み寄り、笑顔で語りかけた。
多くの場合、エウレア地方の午餐会は立食形式だ。そして今回も通例に倣っており更に知った者同士で気楽だから何れも足繁く行き来している。
そのため二人も既に侯爵家を巡り終え、次なる対象の伯爵家へと移ったわけだ。
「おお、お陰さまで順調だ! ティニヤもよろしくと言っていたぞ!」
イヴァールは上機嫌な様子で酒盃を掲げてみせた。
先ほどまでイヴァールも弟のパヴァーリを連れて周っていたが、長く会話を楽しむ方ではない。そのため彼は女性達と違い、とっくに挨拶回りから飲食へと移っていた。
「義姉上も行きたいと言ったのですが、兄や周囲が止めまして……」
パヴァーリはイヴァールと同じくドワーフだが、丁寧な口調も使うようになっていた。アマノ王国での彼はバーレンベルク伯爵付き男爵だから、高位の兄のようにドワーフ流で通すばかりとはいかないのだろう。
それはともかくパヴァーリは、何かを気にするかのように視線を動かした。
「当然ですわ。ゴドヴィング伯爵夫人もお留守番されていますもの。それに対し、フォルジェ侯爵夫人とビュレフィス侯爵夫人は王都住まいですから」
セレスティーヌはパヴァーリが注意を向けた先に顔を動かす。そこは中央奥のソファーで、アリエルとミレーユがシノブやシャルロットと談笑していた。
ゴドヴィング伯爵アルノー、ビュレフィス侯爵シメオン、フォルジェ侯爵マティアスも、イヴァールと同じ時期に子供を得る。それぞれの夫人アデージュ、ミレーユ、アリエルの出産予定日まで、多少の前後はあるが二ヶ月程度なのだ。
そのためアリエルやミレーユは大きなお腹であり、シノブ達は奥のソファーへと移動したわけだ。
「アリエルさんやミレーユさんも、もうメリエンヌ学園の仕事をお休みされています。学園関係の方は神殿の転移を使えますが、やはり周囲が休むよう勧めたそうです」
ミュリエルは少し詳しくパヴァーリに説明する。
イヴァールは頻繁にアマノシュタットにも来ているが、随伴を誰か一人に限定していない。おそらく彼は出来るだけ多くに王都に来る機会を与えようとしているのだろう。そのためパヴァーリが王都に来るのは、久方ぶりであった。
最近は磐船や飛行船での移動を推奨しており、今回も伯爵や代官達で転移を使った者はいなかった。とはいえ遥か遠方のメリエンヌ学園に毎日通うには、今まで通り転移を使うしかない。そのため学園関係者は例外とされている。
「転移の魔道装置の研究はどうなんだ?」
「人族の魔術師が集まって魔力を溜めたくらいだと、十数mで使い果たすそうです」
問うたイヴァールに、ミュリエルが残念そうな表情で応じた。
転移装置の実験は既に成功していた。かつてのベーリンゲン帝国には転移装置があり、非常に限定的だが使われていた。ただし莫大な魔力が必要で、彼らが超人と呼んだ存在や竜の血を元に作り出した竜人がいた時期しか使えなかったらしい。
実物は一応あったから研究はしていたが、装置は地下神殿の崩壊で大きく破損していた。そのため再現まで多くの時間が掛かったのだ。
もっとも再現したとはいえ、魔力の消費が激しすぎ実用の道程は遠い。どうも魔力消費は距離の二乗に比例するようなのだ。そのため各都市間の転移を可能にする日は、かなり先だと思われる。
「ふむ……そうなると西メーリャや東メーリャの訪問には間に合わないか。完成すれば道々に設置していこうと思ったが」
イヴァールが口にしたのはアスレア地方のドワーフの二国だ。キルーシ王国の西部から北に向かえば西メーリャ王国、その東隣が東メーリャ王国である。
「ええ、暫くは磐船か飛行船での往復になると思います。
……そうでした、キルーシ王国が案内役を付けてくださいますわ! 大使のテサシュ様と午前中に会談できましたの!」
セレスティーヌは今日の晩餐にも出席するキルーシ王国の元外務大臣の名を挙げた。
外務大臣だったテサシュが大使になったのは、それだけキルーシ王国がアマノ同盟との関係を重視したからだ。他も錚々たる面々を送り込んできたが、キルーシ王国は特に力を入れていた。
やはりキルーシ王国は、亡国の危機を救ってもらったという思いが強いのだろう。
「ふむ……ならば、子供が生まれるまでに一度行っておくか。実は親父が、そろそろ同じドワーフの国に行きたいようでな」
「私達と会ったときは口には出さないのですが、周りには零しているようで……向こうのエルフ達の国とは交流が始まりましたから」
イヴァールとパヴァーリは、彼らの父であるヴォーリ連合国の大族長エルッキの様子を語っていく。
エウレア地方にドワーフの国はヴォーリ連合国だけだ。そのためエルッキ達はメーリャの二国に強い興味を示していた。
ちなみにヤマト王国にもドワーフはいるが、遠すぎて魔法の家などを使わないと行き来できない。しかしアスレア地方なら神々の贈り物に頼らずとも遠征可能である。
ヴォーリ連合国の東端から西メーリャ王国の西端までは、2000km程度と比較的近かった。そして間の北海は常に荒れている上に海生魔獣も多いが、飛行船なら陸上に補給地点を整備すれば問題ない。
もちろん今はアマノ王国から南に大回りするしかないが、それでもイヴァールの領地からであれば大砂漠を避けても2700kmほどだ。こちらは航路整備をしなくて済むから、既に訪問可能な状況ではあった。
ただしキルーシ王国は、二ヶ月半ほど前に戦争をしたばかりだ。そのためイヴァール達も、せめて年が明けるまではと我慢していたわけである。
「良いお知らせが出来て嬉しいですわ。そうです、後でテサシュ様とお会いされてはいかがでしょう?」
「それでは使者を出しておきましょう! もしかしたら、少し早めに来てくださるかもしれません!」
セレスティーヌとミュリエルの言葉に、二人のドワーフは大きく顔を綻ばせた。そして彼らは手に持つ酒盃を高々と掲げ、大きな感謝と喜びを顕わにする。
これでエウレア地方とアスレア地方のドワーフの交流は始まるだろう。そしてドワーフ達の出会いはアマノ同盟にとっても非常に歓迎すべきことになる筈だ。セレスティーヌは密やかだが確かな予感を抱いていた。
ドワーフ達は義理堅い種族だ。メーリャの二国は仲違いしているようだが、もし解決できれば彼らは自分達に心を開いてくれる。シノブが一年数ヶ月前にイヴァール達の故郷セランネ村で成したように。
アマノ同盟とアスレア地方の関係が更に強くなり、彼の地に平穏が訪れたとき、一層の幸が訪れる。そして人々の輪は、アスレア地方の先にも広がっていくに違いない。
そのときが来ることを楽しみにしつつ、セレスティーヌはイヴァール達との歓談を続けていた。
◆ ◆ ◆ ◆
セレスティーヌとミュリエルは、更に各所を巡っていった。伯爵家の次は子爵家で、今はハーゲン子爵ヘリベルトと彼の婚約者であるラブラシュリ男爵令嬢アンナのところだ。
「ハーゲン子爵、ご結婚も近いですわね」
「アンナさんを頼みますね!」
セレスティーヌとミュリエルの言葉は、祝いのものとしては少々砕けていた。これは婚約者のアンナがシャルロットの最古参の侍女だからである。
シノブがベルレアン伯爵付きのブロイーヌ子爵となった直後、ラブラシュリ家は全員が彼の家臣となった。これは一昨年の十二月、ガルック平原の戦いよりも前のことだ。
しかもアンナはシャルロットが成人する前から侍女として務めていた。そのためミュリエルも幼いころ、彼女に遊んでもらったこともある。
したがってミュリエルからしても、特に親しい侍女の嫁入りなのだ。
一方セレスティーヌはアンナと知り合って一年程度だが、シャルロットやミュリエルのお気に入りだけあって接点も多いし目も掛けているつもりだ。それにアンナも同じ十六歳だから、その意味でも親近感が湧く相手である。
「はっ、必ずや!」
「ミュリエル様、セレスティーヌ様、ありがとうございます」
跪かんばかりのヘリベルトと、瞳を潤ませつつも普段通りのアンナと対照的だが、種族は同じ狼の獣人だから似合いの二人ではある。もっとも将軍職のヘリベルトは王宮勤めではなく、アンナの婚約者として呼ばれただけだ。そのため彼が硬くなるのは無理もないだろう。
「アンナさん、お子様が生まれたら『白陽保育園』を利用されるのですか?」
「はい、そのときは使わせていただきます。もちろん先々のことですが……」
セレスティーヌの問いに、アンナは頬を染めつつ答えた。
エウレア地方の上流家庭では婚前交渉を破廉恥極まりないこととしている。そのため彼女も、結婚前の娘として言わずもがなの言葉を返したわけである。
もちろんセレスティーヌもアンナを疑っているわけではなく、単に将来のことを問うただけだ。
「その……王宮では侍女の子を集めて育てるのですか?」
「はい、その方が早く仕事に戻ってもらえますから! 建国したばかりで人手も足りませんし……」
ヘリベルトは何故そんなことをと思ったらしい。しかし彼はミュリエルの言葉で王宮の状況を理解したようだ。
王宮で働く者の半数ほどは、メリエンヌ王国やカンビーニ王国、ガルゴン王国から来た者達だ。そして多くは次男以降や次女以降として生まれ単身で移住したから、子育てで頼る相手がいない。
残りの半数は旧帝国の生まれだが、こちらも親世代が帝都決戦で竜人となり命を落とした者が多い。そのため、やはり幼子を預ける先がないらしい。
それに両親や祖父母がいても預かってもらえるとは限らない。たとえばアンナのラブラシュリ家だが、先代のパトリスからアンナの弟のパトリックまで三世代の男女全てが宮廷に出仕している。これは少々極端としても、当主夫妻が双方働いている例は幾らでもあった。
そういった状況を案じたのだろう、幼児を預かる場所を王宮内に用意すれば、とシノブが提案した。そして彼は、故郷にあった保育園という制度を紹介した。
しかもシノブは、乳児の保育もしてはと言い出した。もちろん生まれてすぐであれば、母親が休職して自身で育てる。だが、ある程度成長したら王宮で侍女達が交代で面倒を見れば良いだろう、と彼は語ったのだ。
「皆さんの子がいれば、アマノ王家の子も強くて賢い人物に成長しますわ。そして共に王国を支えていくのです」
「はっ、ぜひ加えていただきたく!」
セレスティーヌの言葉を聞き、ヘリベルトは強い感激で面を輝かせ最敬礼する。そして隣では彼の婚約者アンナも同じく頭を下げていた。
ヘリベルトとアンナに微笑み返しながら、セレスティーヌは未来を夢想していた。
二人を始めとする功臣達の子が乳児や幼児のうちから王宮に集まる。そして子らは共に遊び、競い、友誼を結んでいく。そこにはリヒトも加わるに違いない。もちろん自分やミュリエルの子も。
シノブは侍女達の負担軽減や出産後の早期復帰を意図しただけらしい。しかし、これは彼が打ち出した方針や施策の中でも特筆すべきものとなるだろう。
次代のアマノ王国の中核となる者達が、幼いうちから絆を結ぶのだ。歴史がないアマノ王国にとって、最大の贈り物となる可能性すらある。
ヘリベルトとアンナの子は、その中で重要な位置を占める。
旧帝国の戦闘奴隷であったヘリベルトは、アマノ王国による解放を象徴する一人である。そしてアンナはベルレアン伯爵領からの忠臣ラブラシュリ男爵家の生まれだ。二人の子も股肱の臣としてリヒト達に仕えるだろう。
今、そのための布石を打った。アマノ王国繁栄への布石を。そして打った手は確実に根付いた。その思いはセレスティーヌの華やかな笑みを、更に深くしていった。
◆ ◆ ◆ ◆
午餐会は和やかに続き、そのまま閉幕した。そしてシノブを始めとするアマノ王家は、一旦休憩するため『小宮殿』へと戻っていく。
「セレスティーヌ、午餐会では大活躍だったようだね」
『小宮殿』への回廊を歩みながら、シノブが声を掛けてきた。
シノブは意味ありげな笑みを浮かべている。そのためセレスティーヌは、彼が自分の密やかな誘導を見ていたのかと思ってしまう。
稀なる力を持つシノブなら、遠方を探ることなど容易だろう。彼は空間を操り、離れた場所のものを引き寄せることが出来る。ならば遠くの見聞きも可能に違いない。
「見ていらっしゃったのですか?」
知られて困ることではないが、セレスティーヌは多少の恥ずかしさも感じていた。そのためだろう、セレスティーヌは手も当てていないのに自身の頬が熱くなっていると確信した。
アマノ王国のためにと陰に日向に動くセレスティーヌだが、それでも愛するシノブには清純な乙女として見てほしい気持ちもあるのだ。
「ごめん、鎌をかけただけだよ」
シノブは少しだけ表情を改めると、謝罪らしき言葉を口にした。謎めいた言葉が気になったのだろう、シャルロットにミュリエル、そしてアミィも興味深げな視線を彼に注いでいる。
「どうしてそのようなことを……それに何故判ったのでしょう?」
セレスティーヌもシノブの表情を窺っていた。自身の行為がシノブの不興を買ったのかと、セレスティーヌは強い恐れを抱いたのだ。
「それは君のことが知りたいからさ。君が俺達のために頑張ってくれたことをね。そして気が付いたのは、君の表情が華やいでいたから……きっと何かが上手くいったと思ったんだよ」
「シノブ様……」
シノブの言葉は、セレスティーヌの胸に明るい光を灯した。
忙しいシノブだが、それでも充分に自分を見てくれている。雰囲気だけで心中を察してくれるほどに。それはセレスティーヌにとって、何よりも嬉しい贈り物だった。
「良かったらだけど、俺にも教えてほしいな。君の密やかな戦いと、その成果を」
「はい、もちろんですわ!」
シノブの遠慮がちな申し出に、セレスティーヌは大きな頷きをもって応えた。
そしてシノブ達は、先ほどよりも足早に『小宮殿』へと向かう。セレスティーヌの成したことを知り、家族の絆を強めるために。彼らは弾む足取りのまま、自分達の家へと戻っていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年4月29日(土)17時の更新となります。
異聞録の第三十九話を公開しました。シリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。