22.05 戦う女性達 中編
食卓に着いたミュリエルは、右隣に腰掛けた婚約者のシノブ、続いて並ぶ姉のシャルロットへと顔を向ける。そしてミュリエルは、同じく二人を見つめている一同に先駆け口を開く。
「シノブさま、シャルロットお姉さま! 結婚一周年、おめでとうございます!」
満面の笑みを浮かべたミュリエルは、その表情に相応しい弾んだ声でシノブとシャルロットに祝福の言葉を贈った。
昨年の同じ日、創世暦1001年1月7日にシノブとシャルロットはメリエンヌ王国の聖地サン・ラシェーヌで結婚式を挙げた。つまり今日は二人の結婚記念日なのだ。
そしてアマノ王家の私的な場、ここ『陽だまりの間』に集った者達が続いていく。
「おめでとうございます! シノブ様、シャルお姉さま!」
まずセレスティーヌの嬉しげな声が、シャルロットの向こう側から響いた。
セレスティーヌの声音は普段にも増して華やぎ、頬も幾分だが赤く染まっている。おそらく彼女は、先々シノブに嫁いだ自分が記念日を迎えたときを重ねているのだろう。
将来についてはミュリエル自身、頭を掠めた。そのためミュリエルは自身の想像に確信めいた思いを抱き、合わせてセレスティーヌに共感が生じる。
「おめでとうございます! 今日の料理は私達が用意したんですよ!」
「私もアミィお姉さまを手伝いました! もちろんミュリエル様やセレスティーヌ様もです!」
左隣からは良く似た顔の二人、アミィとタミィだ。
ミュリエルは起床から朝食までの時間を勉強に当て、セレスティーヌと一緒に内政や魔術を学んでいる。しかし今日は二人とも料理に励み、アミィ達と一緒に祝いの品を拵えたのだ。
もっとも昼や夜にも宴はあるから、軽いものを用意した。そのため食卓に並んだ品々は手が込んでいるが一つずつは少量で、祝いのデザートも色取り取りの果物を入れたヨーグルトを付けたのみだ。
「そうだったのか……ありがとう」
「朝は忙しいのに、大変だったでしょう」
驚きつつも頬を緩ませたシノブとシャルロットに、ミュリエルは思わず笑みを浮かべてしまう。
家族の記念日に手料理を作って祝う。早いうちから母のブリジットに家事を教わったからだろう、ミュリエルは家庭的なことに憧れを抱いていたからだ。
もっとも顔を綻ばせているのはアミィやタミィ、セレスティーヌも同じである。やはり愛する人達の労いは、等しく喜ばしいことなのだ。そう感じたミュリエルは、ますます嬉しくなる。何故なら大切な家族と同じ気持ちを分かち合えたのだから。
「私やホリィも手伝ったんですよ~」
喜びの輪に加わりたかったのか、ミリィが手を挙げ自己主張する。彼女はホリィと共に、アミィ達と並んで座っていたのだ。
今朝早くミリィはヤマト王国から帰ったが、そのまま彼女は料理に付き合った。ヤマト王国とは七時間も時差があるから、向こうは午後に入って少々である。そこで彼女は出張報告までの空いた時間をアミィ達と過ごすことにしたらしい。
『……料理をなさるのですね』
「かなりの腕ですが、普段は他に任せるのです」
嵐竜マナス、つまりラーカの母が意外そうな様子でミリィを見つめる。するとホリィは、弁護とも苦言ともつかぬ言葉を返す。
ミリィと同じころ、ホリィとマナスも遠方からアマノシュタットに転移で現れた。
二日前オルムルが見た夢の場所を調べるため、ホリィは同僚のマリィ、マナスは番のヴィンと共に候補地を調査しに行った。そして双方とも目的地で得た情報を報告しに戻ったわけだ。
もっとも急いで見て回った程度であり、まだ第一報というところである。そのためマリィとヴィンは、それぞれの担当地域に残ったままであった。
向こうに誰か残っていれば、魔法の家や魔法の馬車を使って転移できる。そこで往復の手間を省くために、残留組を置いたわけだ。
一方マナスとホリィのやり取りを聞いたミュリエルは、母が教えてくれたことを実践していた。礼儀正しく笑みを浮かべたまま、沈黙を保ったのだ。
「本当にありがとう。とても嬉しいよ」
「ええ。心して味わいますね」
シノブとシャルロットもミリィについての評を避けたらしい。二人は改めて料理への礼を口にしただけである。
その様子を面白く感じたのだろう、広間には微笑みだけではなく微かな笑声も生まれていた。
「皆さん凄い腕前ですから、恥ずかしいですわ。アミィさん達は経験が違いすぎるからともかく、始めた時期が全く違うとはいえ年少のミュリエルさんにも……それどころか、学べば学ぶほど差を思い知りますわ」
セレスティーヌは、先ほどの料理の様子を思い出したらしい。
料理をした六人のうち、アミィにタミィ、そして補助として加わったホリィやミリィは神々の眷属だから及ばなくても諦めは付くのだろう。しかしミュリエルは同じ地上の生まれで、更に自分は十六歳で相手は二ヶ月後に十一歳という若年だ。そのためセレスティーヌが気にするのも無理はない。
「シャルお姉さまの誕生日に訪問した孤児院でも、子供達が大層感心していましたし……」
「そんな……」
セレスティーヌの重ねての言葉に、ミュリエルは頬を染めた。確かに子供達は褒めてくれたが、とある理由で少々気恥ずかしくもあったからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
それはシノブとシャルロットが、米を買いに外出した間のことだ。
ミュリエルは訪問先の孤児院で、セレスティーヌ、アミィ、タミィの三人や子供達と共に料理をしていた。作る品はカレーで、ミュリエルとセレスティーヌの率いる一団が肉や野菜を刻み、アミィとタミィが鍋や炊飯など火を使う側の監督をしている。
子供達は今いるだけでも十数人、更に自分達も食べるから二十人前は必要だ。そしてカレーは昼と夜の分を作るが、夜は神殿で働く年長の子が戻り人数は倍以上にもなる。そのため刻む野菜や切り分ける肉も相当な量だ。
そこでミュリエルは少しばかり身体強化を用い、作業時間の短縮を図る。
「すご~い!」
「手が霞んで……」
子供達は自身の手を止め、ミュリエルに注目していた。
何しろミュリエルが手にしたジャガイモは、十を数える程度の短時間で皮を剥かれ更に刻まれたのだ。この速度なら、おそらく一人でも五分かそこらで全ての野菜を切り終えるだろう。
しかし、この大きな驚きはミュリエルの予想外であった。ミュリエルは抑え気味の強化をしたつもりだが、それでも子供達からすれば稀なる技と映ったらしい。
普段ミュリエルの周囲にいる者達、特にシノブやシャルロット、アミィ達は非常に高度な身体強化を使いこなす。それに護衛の騎士達も選り抜きの達人や将来有望な若手である。そのためミュリエルの基準は、一般と大きくずれてしまったのだろう。
「あ、あのですね……そ、そう! 『アマノ式魔力操作法』を練習すれば、このくらい出来るのです!」
「ええ。私達はメリエンヌ王国の出身ですので、早くから習ったのです。ほら私も……」
ミュリエルが慌てて言い訳をすると、隣のセレスティーヌも強化の度合いを上げた。そのためセレスティーヌの包丁捌きもミュリエルと同程度の速さになる。
あまり身体強化を得意としていないセレスティーヌだが、それでも並の騎士程度には達していた。
彼女の才能は魔術師寄り、しかも攻撃魔術に使える系統中心だ。しかし彼女には王家の受け継いだ加護があるから、王族級としては武人に向いていないが街の者に比べたら充分に上である。
とはいえ護衛騎士達は遥かに高度な強化を使いこなすし、強化が苦手な一般の兵士でも体格が勝り元の力が大きければ、総合的な戦闘力では彼女を上回る。したがってセレスティーヌは王女の嗜みとして護身術を学んだ程度で、強化の修練にも力を入れていなかった。
そのためだろう、彼女はすぐに包丁を操る速度を落とす。
「やっぱり騎士の家に生まれた方は違うのですね……」
「僕達じゃ無理だよね……」
しかし子供達にとっては、それでも充分に驚くべきことだったようだ。彼らは先刻と同様に感嘆の溜め息を吐く。
「皆さんは神官様を目指すのですから、きっと大きな加護を授かります!」
ミュリエルは、子供達に才能の差という現実を突きつけてしまったと感じていた。
人間の魔力や魔術の才能は個人差が激しい。身体強化で比較するなら、平均的な騎士は常人の五倍近い力を発揮するという。そしてアミィによれば、自分は更に数倍の強化が可能だそうだ。したがって子供達からすれば文字通り桁違いの能力で、努力で何とか出来る差とは思えないのだろう。
しかし神官として大成すれば別である。そのためミュリエルは、彼らが学ぶ先にあるものを挙げたのだ。
「そうですわね。神官の場合は強化ではなく治癒や催眠など……つまり光や闇の属性に目覚めることが多いと伺っていますが、それでも殆どの方からすれば憧れの存在ですわ」
セレスティーヌも大きく頷いてみせる。そして彼女が示した将来像は、幼い子達の大きな希望となってくれたようだ。料理の場は、再び最初のような明るさを取り戻す。
ミュリエルは強化を解除して野菜を切りながら、自身の婚約者を思い浮かべる。
このような思いを抱き、シノブも力を抑えたのだろうか。彼はアスレア地方で200kmを超える国境線に数時間で長城を築き、一人で大軍を追い払ったという。しかし、それでも真の力の一端に過ぎないようだ。
シノブは他者との協調を望み、一人の力で世を動かすことを避けた。それは尊い決断だとミュリエルも思うが、その代償として彼は己を常に縛り付けているのでは。シノブの抱える悩みに、ミュリエルは僅かだが触れたように感じていた。
◆ ◆ ◆ ◆
幸いというべきかセレスティーヌが語ったのは強化に関してではなく、手際や段取りのよさも含めた総合的な熟練についてであった。そのためミュリエルが反省めいた思いを抱いたと察した者はいなかったかもしれない。
そして食事しながらの団欒は新たな話題へと移る。ホリィとマナスが遥か遠方の話を披露したのだ。そのためミュリエルの心も、己の失敗から離れる。
故郷であるベルレアン伯爵領の領都セリュジエールでは、ミュリエルが外出する機会など殆どなかった。そして数少ない外出でも自由は少なく、シノブが来るまで街の店に入ったこともなかったほどだ。
当時は十歳にもなっていなかったから制限が多いのも当然だが、外への興味や憧れは募っていく。そこでミュリエルは本の示してくれる世界を旅することにした。
幸い父のコルネーユは、将来のためにと多くの書籍を与えてくれた。その中には色付きの挿絵が印刷された絵本もあったから、想像を膨らませるのは容易であった。
王宮での様子、異国の光景や衣装、遥か南の海や、その向こうにあるという大陸の風物。今では実際に目にした事柄も、ミュリエルは本で先に触れていた。
しかし今聞いている話は、それらにも載っていない。何故ならエウレア地方で初めて紹介される場所だから、これまで知る者などいなかったのだ。
「インドがイーディア地方、オーストラリアがアウスト大陸か……やっぱり地球と似た名前なんだね」
「エウレア地方を含め、アムテリア様は参考にした場所と似た名をお授けになりましたから」
物問いたげなシノブの視線を受け、アミィが応える。
代表したアミィを含め、やはり眷属達は新たな地の名称を知っていたようだ。名前を聞いたときの彼女達の顔には、これで隠し事をしなくて済むとでも言いたげな安堵に似た感情が浮かんでいたのだ。
もっとも、これはミュリエルも含め予想済みだから驚く者はいない。
眷属達は神々を助け、この星を守り育ててきたという。それなら大陸や準ずる広大な土地の名前くらい、彼女達は知っている筈だ。
しかし神々は、知りえぬことを地上の者に教えてはならない、と定めているそうだ。そのためアミィ達も直接は教えず、シノブに確認する者の派遣を促した。
おそらく、これは眷属の掟であると同時にアミィ達の配慮でもあるのだろう。
もし彼女達がシノブの問うままに答え、そしてシノブが得た知識を広めたら。ミュリエルは己の想像に言い知れぬ恐怖を感じた。
シノブは正しく知識を使おうと心掛けるだろうが、あらゆる者が同じように節度を示すとは思えない。それにシノブといえど最愛の者が命を落とすような事態になれば、禁を破るかもしれない。
かつてシノブはミュリエルに語ったが、彼の故郷では多くの生き物が人の過ちにより姿を消したそうだ。地球という場所では、人間達が高度な知識を積み重ね絶大な力を得た。そして世界中に満ちた人々は多くの稀なる幸を喜び、同じくらい多くの取り返しのつかぬ災いを嘆いたという。
それらを教えてくれたとき、シノブは寂しそうな顔で続けた。それほど地球の人は立派じゃないし素晴らしい世界でもない、と。そのときのシノブの顔を、今もミュリエルは明確に思い浮かべることが出来る。
シノブは邪神を倒した後、地球の知識の伝授を制限しているようだ。彼もアミィ達と同様に、この地で暮らす者が自らの力で謎を解き明かし、幸せを掴み取ってほしいと願っているのだろう。
おそらくは大きな葛藤を抱えながら。そして危急の時には開示すべきか悩みながら。あるいは避けえぬものを避けようと封印を解き、奇跡を目にした人々の畏怖に孤独を感じながら。
時代を隔絶した知識と底知れぬ力は、その分だけ大きな代償を要求する。恵まれた環境で学んだ様々なことと孤児院での一件が、幸せの裏に隠されたものの恐ろしさをミュリエルに感じさせた。
「……今のところイーディア地方とアウスト大陸のどちらか特定できる決め手はない……か」
シノブやアミィ達の会話は、ミュリエルが口を噤んでいる間にも続いていた。ただしシノブが結論付けたように、現時点では一方に絞るだけの情報がなかった。
まず太陽高度だが、イーディア地方は北半球でも低緯度だから夏至を挟んだ多くの時期で正午の太陽が70度以上の高さになるという。現在マリィが残っている場所は北緯30度を少々下回るため、該当する期間は四月の半ばから八月の下旬である。
それに対しアウスト大陸は南半球だから、南緯30度なら1月7日の今日でも二時間半ほどは太陽高度が70度を超える。しかも真昼だけに限定すると赤道から少し南でも条件を満たし、大陸の北端から南端まで該当する。そのため全てを調べるには相当時間が掛かるだろう。
オルムルが見たのは過去かもしれないとアミィは言う。したがってイーディア地方であれば去年だとしても幅広い期間だし、そもそも何年前か不明である。逆にアウスト大陸の場合は、範囲の広さが問題になるし、もしかするとアウスト大陸も過去かもしれない。
次に気象や風土だが、双方とも砂漠があるし隣接した乾燥地帯がある。そのため砂地が剥き出しで所々に木々がある風景は、どちらにも存在した。
そうなると人の風貌や衣装、そして建物だが、これには幾つかの問題がある。
「種族はどちらも人族と獣人族で、肌の濃さも似たようなもの。オルムルは人や建物を曖昧にしか覚えてないから、殆ど同じなら判断は無理かな……。それに多くの場所では長衣もある」
「こちらには魔法植物がありますからね。それに機織りは神々がお授けになった知識に含まれていますし、他も程度の差はあれ同様です」
シノブとアミィの言葉に多くの者、特に眷属達が頷いた。
この惑星では地球とは違い、創世の時代に神々が知識を授けた。しかも全ての地方を一定の水準に持っていったから、創世期の文明は殆ど同水準だったという。
神々は地域ごとに土地の性質を活かした文化に導いたから、各地の風習は大きく異なるし衣服や建築物も様々だ。ただし、これは発展度合いの差ではなく、その土地での実現しやすさによるものだ。
たとえば冷蔵の魔道具だが、赤道直下で充分な効果を得るのは難しい。逆に極めて高緯度帯や高山であれば、魔道具を使わずに保存可能な場所もある。
そして有用な魔法植物がある地域なら、衣食住の全てが劇的に変化する。良い例がアフレア大陸のウピンデムガで、魔法植物が育つ水場なら周囲とは全く違う快適な生活を実現していた。
大量に収穫可能な美味しい米や冷気や魔力を蓄積する作物は、多くの人の定住を可能にする。もちろん神々は、これらをウピンデムガだけに授けたわけではない。
「地球だって、今は多くの地方で洋服を着ているわけだしね。大量に布を生産できるなら、当然日差しを避けるか」
「それはそうです~。強すぎる日差しは肌にガ~ンですよ~」
シノブに続くミリィの言葉は、集った女性達の殆どに笑いを齎した。
ミュリエルを含む女性達は、皮膚癌という概念を知っていた。シノブが南海の海竜の島に出かけたとき、日焼けに伴う問題を教えたからだ。
そのためミュリエルもミリィの冗談を理解し、笑いを零す。
例外はマナスだが、それは彼女が分厚い鱗を持つ嵐竜だからである。彼女は日焼けという言葉を知っていても、実感したことはないだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
笑いが収まると、シノブが表情を改める。そのためミュリエルも、ここからが本題らしいと彼の言葉を待った。
「やっぱりオルムルに見てもらうしかないかな?」
シノブの言葉は問い掛けのようでもあった。しかし表情からすると、そうすべきだと彼は判断しているらしい。
ホリィにしろマナスにしろ、こちらに来ると同時に概要くらいはシノブに伝える筈だ。つまりシノブは事前に考えを纏めていたが、他の意見も聞くため順を追って話したのだろう。
シノブの心遣いを知り、ミュリエルは嬉しさを噛み締める。
まだ自分は十一歳まで二ヶ月弱という若年だ。それにセレスティーヌにしても先月初め十六歳になったばかりである。
もちろんシノブも二十歳前と若いが国王で、公にはしていないが神の血を引く存在だ。しかも今までの武勲にしろ君主としての成果にしろ、既に伝説の域に達している。
それだけの存在が、きちんと周囲に諮ってくれるのだ。ミュリエルが喜ばしく思うのも当然だろう。
そしてミュリエルは、同時に大きな安堵を感じていた。
シノブが独断専行に走ったら。それは彼が倒した邪神に並ぶ、恐るべき存在の誕生かもしれない。あり得ないとミュリエルは思うが、理屈の上での可能性としては否定できない。
しかしシノブは大丈夫だ。もちろん先のことは判らないが、それは自分達が支えて正道を歩んでもらえば良い。本当に微力だが、これまでもそうしてきたように。
ミュリエルは更に見識を高め、シノブに助言できるだけの存在になろうと心に決める。そしてミュリエルは、自身の決意を形にする。
「シノブさま! オルムルさんに行ってもらうなら、アウスト大陸からが良いと思います!」
「それはどうして?」
ミュリエルの提案に、シノブは興味を強く示したようだ。彼の言葉は短いが、表情には期待の色が強く表れている。
「もし夢の場所がアウスト大陸なら、向こうのお昼の雰囲気はオルムルさんが見た通りですよね? 太陽の高さとか、暑さとか、人々の服装とか……。
ですがイーディア地方だとしたら、今は冬ですから太陽も低いし全然違う筈です。そうなると、オルムルさんが行っても印象が違うと思います!」
ミュリエルの言葉に、耳を傾けていたシノブ達は納得の表情となる。
仮にイーディア地方のマリィがいる辺りなら、北緯30度弱だ。そのくらいなら場所次第だが季節による変化がある筈で、ならば夏と冬で随分と印象が異なるだろう。
それに対しアウスト大陸は今が最も日が高い時期である。したがって夢が現在のことなら条件は同じ、仮に過去だとしても似た季節の可能性は高いだろう。
「確かにそうですね! イーディア地方は広いですし様々な気候がありますが、今マリィがいるマハーグラはさほど暑くありません!」
ホリィによれば、マハーグラという場所は冬の乾季と他の時期の雨季の二つがあり、季節による変化が明確らしい。
もちろん雨季のことは直接確かめていないが、乾季については昨日体験した。そして昨日は最高で20℃を少々超えた程度、最低は10℃を切るようだ。
「この時期ですと太陽高度は40度を下回りますね」
アミィは彼女だけが持つ計算能力で、現在の正午の日の高さを割り出したようだ。
今は冬至に近いからミュリエルも大よそは察していたが、アミィが保証するなら間違いない。自身の提案が的外れではなかったと、ミュリエルは一人密かに安堵する。
「それでですね……後に回したイーディア地方ですが、その間に書物があるところを探して調べたら良いと思うんです。もちろんアウスト大陸も調べますけど……」
皆の賛同を得たミュリエルは、更なる提案をする。
オルムルの体は一つだけであり、大陸並みに広い場所を同時に調べるのは非効率だ。ならば、片方を調べている間に、もう片方は場所や時期の絞り込みをすれば良いだろう。
「……シュメイの誕生日の前に、一度アウスト大陸に行ってみるか。本格的な調査は後に回すとして、最も条件の合いそうな場所を一つ二つ見ておくのも悪くないね。しかし今日は結婚記念日だから無理だし……」
シノブは明日から数日の予定を挙げ始める。
炎竜の子シュメイの誕生日は明々後日の1月10日だ。そしてオルムルの例に倣うなら、シュメイは前日から岩竜と炎竜の聖地である北極圏の島を目指す。
北の島への大飛行はオルムルも付き添うから、誕生日前なら必然的に明日となるが随分と急だ。それを思ったのか、シノブは少しばかり首を傾げる。
「なるべく大きな街から回った方が良いと思いますわ!」
「ええ。しかしシノブ、そうなると事前に誰か送った方が……」
セレスティーヌとシャルロットは、一日で調べるなら効率良くと考えたようだ。もちろん初回だから足を運んでみるだけでも良いのだが、どうせなら少しでも成果を、ということなのだろう。
オルムルは夢で大勢の人を見たらしい。そのためセレスティーヌは大集落を優先的に調べるべきと考えたようだ。
そして事前に街の調査をするなら、シャルロットが指摘するように誰かを派遣しなくてはならない。嵐竜のヴィンやマナスには、聞き込みなど不可能だからである。
◆ ◆ ◆ ◆
「私が行きます~! コアラちゃんに会いたいですから~! あっ皆さん、コアラは地球の生き物だから、外で口にしてはいけませんよ~!」
ミリィは高々と手を挙げて志願する。
本気でアウスト大陸の動物に興味があるのか、それともイーディア地方はホリィとマリィに任せたつもりなのか。その辺りは不明である。
ただし、一つだけ明らかなことがあった。地球のことを持ち出しつつも外では言わないようにと口止めするのは、神域で神々に注意されて懲りたからだろう。
神域でのことは、ミュリエル達もアミィから教わっていた。そのためシャルロットやセレスティーヌも含め、笑いを堪えるような微妙な表情となる。
なお、ある時期からミリィが冗談を控えめにしたことを、多くの者は不思議に感じたようだ。しかしシノブやアミィ達は極めて近しい者にしか神々のことを語らないから、殆どはシノブがミリィを注意したと思っているらしい。
「そうだね、母上に『コラッ!』って怒られるんじゃないかな? それとも『アラアラ……』って言われるかもね?」
どうやらシノブは、内々の場ではミリィの相手をすることにしたらしい。元からシノブはミリィが齎す笑いを楽しんでいるようだし、外で控えるのは辛いだろうと案じたようでもある。
今もシノブは微笑みを浮かべ冗談に乗り、対するミリィは輝くような笑顔で応えている。
自分達とは少し違う絆が、二人の間に存在するようだ。これも神々の示す道を歩む者と、その導き手の交流なのだろうか。ミュリエルの心に、そんな思いが何故か生じる。
冗談めかしてはいるが、そうでもしないと背負えぬ重荷があるのかもしれない。長き時を生きるだろうシノブと、実際に体験してきたミリィ達。そこには笑い飛ばしでもしないと前に進めぬことがあるのだろうか。そしてミリィは先々のために、シノブに時の重みに耐える術を教えようとしているのか。
たぶん、これは考えすぎなのだろう。シノブを尊敬するあまり、彼の進む道を特別視しすぎているのだろう。そう考えようとしたミュリエルだが、頭に過った思いがどうしても離れない。
「日程はオルムルと相談してから決めよう。
……ミュリエル、ありがとう。君の勧める通りにするよ。これからの謎解きも一緒に頑張ろう。頼りにしているよ」
シノブはミュリエルへと向き直ると、柔らかな笑顔と共に礼の言葉を口にした。そして彼は、今後の調査でも何かあれば遠慮なく指摘してくれと言い添える。
ミュリエルの心は、シノブの優しくも力強い声音で満たされた。
そこには自分に寄せる信頼や期待が確かに宿っている。それは子供の言葉と侮らず、真摯に受け取ったから生じたものだ。同じ道を歩む者、対等の存在として接するから紡がれる言葉なのだ。
神の眷属のように長い時間での得た強さや達観は、自分にはない。しかし多くを学び考えを巡らせば経験不足を補えるし、人を超えた者達と並んで支えることも出来る。
それらを確かなものとして感じたミュリエルは、更なる一歩をと思いつつも笑みを堪えきれなかった。最年少で追う立場としては、気遣いではなく本心からの一緒という言葉ほど嬉しいものはなかったからだ。
「はい! 遠慮なく頼ってください! 私もシノブさまの家族であり、婚約者なのですから!」
ミュリエルの意気込みは、彼女の口を吐いて飛び出した。そして彼女の決意表明は、最上の結果で報われる。
何故ならシノブ達は、早速ミュリエルを頼り今後の調査についての意見を求めてくれたからだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年4月26日(水)17時の更新となります。