22.02 まどろむ子供達 中編
炎竜の子シュメイは相反する感情、喜びと悲しみを抱いていた。
姉と慕う岩竜オルムルの憂いは、シノブとシャルロットの登場で晴れた。それはシュメイにとって何よりも嬉しいことだ。
しかし同時に、シュメイは己の無力さを痛感していた。既に自分は遥か遠方まで飛翔できるし巨大な魔獣にも勝る力を身に付けたが、謎の夢には無力でしかなくオルムルの不安を取り除くことは出来なかった。それがシュメイの心に大きな翳りを生み出したのだ。
オルムルは一歳を超え光竜の名を得たころから、神秘の力を発揮するようになった。今も彼女は、揺り籠で眠るリヒトを優しい光で照らしている。
自分も五日後には一歳になる。そうすればオルムルと同じような力を授かるのだろうか。シュメイの胸中に強い期待と同じくらい大きな不安が広がった。
かつて自分達は邪神の使徒に囚われたが、オルムル達が助けてくれた。シノブが父のゴルンと母のイジェを。オルムル、ホリィ、アルバーノが自分を。そのときの感動を、シュメイは今でも鮮明に覚えている。そして将来は自分も多くの命を助けたいと誓い、励んできた。
尊敬するオルムルと並び立てる存在に、一日も早くなりたい。でも、なれるのだろうか。あれほど待ち望んだ誕生日、父祖の地である北極圏の島へと向かう日に、シュメイは僅かだが恐怖を感じてしまう。
シュメイの複雑な胸の内を、どうやらシノブは察したようだ。最前まで眠る我が子リヒトを見つめていた彼だが、今は顔を上げシュメイの様子をさりげなく窺っている。
「……アネルダ、イモーネ。少し早いが休んで良いよ。リヒトは私達が見るから」
シノブは夜勤の乳母達に向き直り、交代時間前だが下がって良いと告げる。おそらく彼は、内々の相談をしたいのだろう。
王子ということもあり、リヒトの側には常に乳母が控えている。
何しろリヒトは今日で生後二ヶ月になったばかり、まだ夜中に起きることも多い。幸いリヒトは手の掛からない赤子だが、お腹が空けば授乳も必要、オシメが濡れたら不快に感じて泣きもする。
六時前に朝番がやってくるまでの一時間少々、夜勤のアネルダ達がリヒトの世話をする。しかし今はシノブとシャルロットがいるから、乳母が早退けしても問題ないだろう。
「陛下、そのような……」
「良いのですよ。たまには私達も親らしいことをしたいのです。それにアミィとタミィもすぐ来ますから、心配いりませんよ」
遠慮する乳母アネルダに、シャルロットが冗談めいた言葉を返した。
たまには、とシャルロットは言ったが実際には違う。今日ほど早く起きることは稀だが、シノブとシャルロットは早朝の一時をリヒトと過ごすことが多い。そして二人は多くのとき、夜勤の乳母を先に下がらせる。
「大丈夫、子守は沢山いるんだ。ね、シュメイ?」
「ええ。リヒトの守り手は大勢います。ですから先に休みなさい」
シノブとシャルロットの言葉が、シュメイの心に優しさの灯りを宿す。そして生じた温もりが、シュメイの悩みを溶かしていく。
シノブは気付いてくれた。おそらくシャルロットも。それはシュメイにとって、本当に嬉しく元気付けられることだったのだ。
──シュメイ、大丈夫ですよ──
静かな思念を発したのはオルムルだ。いつの間にか、彼女はシュメイを真っ直ぐ見つめていた。
超越種は周囲の者の感情に敏感だが、その中でもオルムルは別して鋭い。おそらくはシノブと暮らすことで得た力の一つだろうが、彼女の感応力は異神の嘘すら見抜くまでになった。
もっともオルムルなら、特別なことをしなくともシュメイの気持ちを察したかもしれない。何しろ一年近くも共に過ごしてきたのだから。
──ええ、オルムルさんの言う通りです。それに私も近ごろ、新たな力が芽生えたような気がしますよ──
──そろそろ僕もオルムルみたいになれるかなって! ……でも、シノブさん達と会った順ならリタンが先かも?──
海竜リタンや嵐竜ラーカの様子からすると、やはりオルムルは自然に察したのではなかろうか。どちらにせよ、気遣い溢れる仲間達の優しい言葉にシュメイの心と体は自然と熱くなっていた。
──ありがとうございます! 私も頑張ってオルムルお姉さまのようになります!──
リタンやラーカは、オルムルとは違い特殊な力を得ていないようだ。しかし彼らがシノブと出会ったのはオルムルより数ヶ月後だから、確かにこれからという可能性はある。
それはシュメイも同様で、シノブとの出会いはオルムルより四ヶ月は後だ。ならば、いつかは自分もオルムルのようになるに違いない。
自分を、そして仲間を信じて進んでいこう。揺らぐことなくオルムルの後を追いかけよう。シュメイは、そう心を決めたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
子竜達の密やかな語らいの間に、乳母達は退出していた。そのため室内に人間はシノブとシャルロットにリヒトだけ、他は超越種の子供達のみである。
ちなみに超越種で寝ているのは岩竜ファーヴ、光翔虎フェイニー、炎竜フェルン、玄王亀ケリス、朱潜鳳ディアスだが、かなり眠りが深いらしく起きてくる様子はない。
「さて、オルムルの夢だけど……それにしてもフェイニーは良く寝ているね?」
やはりシノブはオルムルが見た謎の夢について、じっくり聞きたかったらしい。しかし彼は本題に入る前に、眠ったままのフェイニーへと顔を向ける。
──起こしましょうか?──
シュメイは同じ超越種として恥ずかしく感じていた。
寝ている子のうち年少から挙げると、生後三ヶ月過ぎのケリス、半年過ぎのフェルンとディアス、もうすぐ十一ヶ月のファーヴ、そして一年二ヶ月のフェイニーとなる。
そう、フェイニーはシュメイよりも二ヶ月少々先に生まれていた。それ故シュメイは、彼女にも尊敬できる姉として振る舞ってほしかった。
シュメイの心には、初めて会ったときのオルムルの凛々しい姿が強く焼きついている。そのためシュメイのフェイニーに対する評価は、どうしても少々辛くなってしまうようだ。
ただしフェイニーが特別に朝が弱いのは確かで、シュメイが嘆くのも無理からぬことだ。
超越種の子供は人間とは違って急激に成長するし、誕生した時点でも思念で会話できる高い知能を備えている。そして生まれてから半年もすれば人間の大人よりも睡眠時間が短い。
もっとも雄の年少者は、大抵ぐっすりと眠ってしまう。ファーヴにフェルン、ディアスは兄貴分や姉貴分に追いつこうと日々猛特訓しているからだ。
しかしフェイニーは違う。暢気な性格の彼女は自由気ままに過ごしており、鍛錬もほどほどである。それでいて彼女は寝起きが悪いから、余計にシュメイは呆れてしまうのだ。
「いや、寝かせておこう」
──シャンジー兄さ~ん、待って~──
シノブが首を振るのと同時に、フェイニーが思念を発した。
シャルロットも思念を使えるようになったから、彼女を含めて全員がフェイニーを注視する。しかしフェイニーは、宙を引っ掻くように前足を動かすだけである。
──シノブさんの魔力、美味しいです~──
皆が注目する中、フェイニーはコロンと横になる。どうやら彼女は未だ夢の中らしい。
このようなことは珍しくないから、シノブやシャルロットは微笑むだけだ。それにオルムルにリタン、ラーカも平然としている。しかしシュメイは、フェイニーが起きたら注意しようと決意する。
一方シノブとシャルロットは、奥のソファーへと移動を始めていた。そこでシュメイもオルムル達と同様に、浮遊でシノブ達を追いかけていく。
「シノブ、今も『神力の寝台』に?」
「ああ、腕輪からね……」
問うたシャルロットに、シノブは歩きつつ腕を掲げてみせる。そこには白銀に輝く腕輪が嵌まっている。
この腕輪はフェイニー達が寝ている石の台座『神力の寝台』と対になる神具で、シノブの魔力を寝台へと送るためのものである。つまり今もシノブは腕輪と寝台を通し、フェイニー達に魔力を与えているのだ。
今まで超越種の子はシノブと共に寝て、就寝中に彼の魔力を吸収していた。しかしリヒトが誕生した数日後、アムテリアがシノブに新たなる贈り物をした。どうやら彼女は、超越種の子をリヒトと同じ部屋で寝かせたかったようだ。
これはシュメイだけではなくオルムル達も残念に感じたらしいが、最終的には別々の就寝を受け入れた。実は親達が、新たな弟妹が欲しいなら離れるべき、と言ったのだ。
これも人間の風習なのだ、と言われてはシュメイも納得するしかなかった。なお、シノブ達に理由を問うのは止めるようにと両親が言うので、シュメイはそのままにしている。
「俺はオルムルに呼ばれた気がして起きたんだ。オルムル、そうなの?」
シノブは奥のソファーに腰掛けると、オルムルに問い掛けた。
ここリヒトの育児室には、乳母や侍女のための場が設けられている。その一脚にシノブがオルムル、シャルロットがシュメイを膝に乗せて並び、向かい側にはリタンとラーカである。
──たぶん、そうだと思います──
オルムルは自身が見た夢の大半を覚えていないという。それに残っている記憶は気象や風土についてが殆どだそうだ。
夢で見た場所が非常に暑い地方で、緑はあるが乾燥が目立つ大地だったのは確からしい。しかも太陽が非常に高く昇っていたというから、かなり南なのだろう。気候はともかく太陽高度に関しては、エウレア地方のような高緯度帯だと夏至のころでなければあり得ないからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「……そうか。実はね、俺にも少しだけ流れ込んできたんだ。オルムルが夢で感じたこと……といっても、どこか知らない場所で何か怖いものに会った……それくらいだけど。それでアミィ達に……」
「シノブ様、お待たせしました」
語るシノブに合わせたかのように、アミィが妹分のタミィと共に育児室へと入ってきた。
お茶の準備をしていたらしく、後に続くタミィはお盆の上に茶器を載せている。そしてリヒト達を起こさないようにと思ったのだろう、アミィとタミィは静々と歩んでくる。
「アミィ、ホリィ達はどうだった?」
「通信筒で問い合わせましたが、アスレア地方やヤマト王国に異常は無いそうです。情報局も同様で、異変は無いと……」
普段シノブの側を離れないアミィが遅れてきたのは、各地に問い合わせていたからであった。
オルムルは時々謎めいた夢をみるらしい。しかし今回のように夢の中でシノブを呼ぶようなことは無く、更に夢のことは今までシュメイ達にしか明かしていなかった。
それ故シノブは常に増して警戒したのだろう。彼は既に情報収集を始めていたのだ。
現在ホリィとマリィがアスレア地方、ミリィがヤマト王国を訪問している。
年が明けて五日目だから、アマノ王国を含め各国では新年を祝う式典や宴が続いている。そしてホリィ達は、シノブの代理として友好国から招待されたわけだ。
幾らなんでもシノブが全てを回ることは出来ないし、そもそも彼はアマノシュタットに訪れた者達を饗応する立場だ。そのためホリィ達が、それぞれ縁深い国への使者となっていた。
ホリィは海神ヤムを探すときに巡ったアルバン王国、マリィも同じくキルーシ王国だ。この二国は混乱が残るテュラーク地方に接しているから、単なる表敬訪問だけでもない。
テュラーク王国との戦いから約一ヶ月半が過ぎた昨年の十二月頭、彼の地に新たな王国が生まれた。キルーシ王国などが穏健派のズヴァーク支族を押し立て、ズヴァーク王国を建国させたのだ。
とはいえ未だ多少の騒乱は続いており、ホリィとマリィの訪問も一種の視察ではあった。アマノ同盟も後方支援を務めており、全くの無関係ではないからだ。
一方ミリィは純粋な親善訪問であった。昨年ヤマト王国は第二王子の大和健琉が新たな王太子となり、国内の四種族を纏め上げた。この双方ともシノブ達の支援を受けてのことだから、是非にと招待されたのだ。
「ホリィ達がいる辺りは既に夜が明けていますし、ヤマト王国は昼過ぎです。そのため三人だけではなく、他も確かめることができました」
「エレビア王国、キルーシ王国、アゼルフ共和国、アルバン王国の駐在員にも、魔力無線で確かめたそうです。それにヤマト王国も大王家から三王家に問い合わせてもらいました」
アミィとタミィが言うように、アスレア地方やヤマト王国には魔力無線網が構築されつつあった。
アスレア地方は四つの国の主要都市にアマノ同盟の領事館があり、そこには長距離用の魔力無線が置かれている。
東域探検船団もアルバン王国沿岸まで到達したから、アスレア地方の南海岸は特に手厚く通信網が整備された。そのため今ではアルバン王国の東端までなら、かなりの情報を入手できる。
そしてヤマト王国には大王家と三王家に魔力無線装置を貸与した。したがって彼らの都とシノブが名目上預かるカミタだけなら、同じく容易に確認できた。
「暑くて乾燥した場所らしいから、ヤマト王国じゃなさそうだね。それに太陽も随分と高いらしいし……南半球かな?」
シノブは遥か南の地を思い浮かべたようだ。
今は一月に入ったばかりだから、高緯度帯のエウレア地方だと真昼でも太陽は低い。仮に頭上というのが70度や80度の高さなら、赤道より南なのは確実である。
その場合、夢の場所は今までシノブ達が行ったことの無い土地ということになる。これまでの訪問先で最も南のウピンデムガですら北緯17度から18度の間だから、この時期の太陽高度は50度を超えはしない。
「……シノブ様、オルムルが見たのは過去かもしれません」
アミィによれば、過去視に似た事例はあるそうだ。
正確には他者の記憶から過去の光景を再現するもので、術者が時を越えるわけではない。しかし生じる結果は過去の幻視だから、それなら夢の光景が去年や数年前の夏でもおかしくはない。
「う~ん、それは……。睡眠中のオルムルの意識が遠方に飛び、そこにいた人からイメージを得た……か」
「オルムル、何か手掛かりはありませんか?」
シノブは予想外と言いたげな表情で唸り、シャルロットは緊張が滲む声で問いを発する。
今まで二人は、北半球の出来事ではないと考えていたのだろう。しかし仮に六月や前後であれば、エウレア地方やアスレア地方を含む北大陸かもしれない。
もしそうなら、悠長に構えているわけにもいかないだろう。
──魔獣はいなかったと思います。たぶん、見たのは人間だけです……それと肌がかなり濃かったような……あっ、この肘掛けよりも濃いです──
オルムルが示した箇所は、かなり濃い茶色の木材を用いていた。栗色というには少し薄いが、小麦色などよりは遥かに濃い。
「ヤマト王国のエルフ達みたいだね……耳は?」
褐色の肌といえば、ヤマト王国のエルフ達である。どういうわけだか、ヤマト王国のエルフは周辺の他種族より遥かに肌が濃かったのだ。
そのためシノブが彼らを挙げたのは自然な流れではあった。
──見えなかったような……頭に何か巻いていた気がします。そうです、額に何か塗っていました!──
特徴的なことを思い出したからだろう、それまでよりオルムルの思念は明るいものとなっていた。夢で見た人々が額に赤や黄の丸い印を付けていたと、彼女は意気込んだ様子で続ける。
「今の時期じゃないとしたらインドや北アメリカかもしれないね……額の印はインドっぽいけど。逆に時期が同じなら、南アメリカやオーストラリアか?」
シノブは地球の名称を並べていく。まだシノブ達は、それらに相当する地の名前を知らないからだ。
おそらくアミィやタミィなど、眷属達は他の地域の名称も知っているだろう。しかし通常の手段で知りえぬことを、彼女達は口にしない。
とはいえアムテリアは自身の管轄する星を地球に似せて整えたから、諸大陸の位置や大まかな形は同じである。そこでシノブは東域探検船団の更なる進路を語るとき、内々では地球の地名を用いていた。
そのためシュメイを含め、超越種の子供達もシノブに問い返しはしない。
「仮にアスレア地方の東なら、至急調査すべきでは?」
シャルロットはインドに相当する場所を気にしているようだ。
もしオルムルが夢で見た場所がアメリカ大陸の位置なら、エウレア地方の西端やウピンデムガから最低5000kmは離れているだろう。オーストラリアの場合も同様で、当分は到達できると思えない。
しかしインド亜大陸に当たる場所なら、アルバン王国の東から千数百km程度かもしれない。したがってシャルロットの懸念も当然である。
「そうだね、ホリィとマリィに頼んでおこう」
「では通信筒で知らせますね。タミィ、マリィへの分をお願いします」
シノブが頷くと、アミィは同僚達への連絡に取り掛かる。
ちなみにシノブなら、アスレア地方までだろうが思念で呼び掛け出来る。しかし、それだけの魔力を発したら睡眠中の子供達が起きてしまうだろう。
そのためシノブは思念を選ばなかったらしい。それにアミィの応えも、普段の半分以下の声量に抑えている。
◆ ◆ ◆ ◆
オルムルの夢については、ホリィ達の調査待ちとなった。もっとも金鵄族の彼女達なら、さほど時間は掛からない筈だ。
2000kmくらいであれば、ホリィ達は普通に飛んでも半日で往復できる。そして風土や住む人々の容姿を確かめるだけなら、往復時間のみと似たようなものだろう。
お茶を飲み終えたシノブとシャルロットは、再び愛息リヒトの顔を眺めに向かう。
もちろん他の者達も一緒だ。超越種の子供達は再び浮遊しながら続いていくし、アミィとタミィも後片付けを終えたら来るようだ。
──暑いけど魔獣はいない陸地ですか……それに海が無いのも残念ですね──
ラーカは隣に浮かぶリタンへと語りかけている。おそらく彼は、リタンなら自分の意見に同意してくれると思ったのだろう。
嵐竜が棲むのは台風が多く生まれる南海の空だ。そのため魔獣がいないし故郷と似た海も無い場所と聞いて、ラーカの興味は大きく減じたらしい。
──ファルケ島みたいなところなら遊ぶのには良さそうですが……ほら、セレスティーヌさんの誕生日みたいに。でも、少し違うようですね──
リタンは明るい感情を思念に滲ませた。人間なら、笑みを浮かべつつ話すといった辺りだろう。
どうもリタンは、敢えて楽しげに振る舞ったようだ。
リタンは長くファーヴなど年少者の面倒を見ていた。そのためだろう、彼は最年長のラーカよりも大人びたところがある。
──あのときは楽しかったですね。セレスティーヌさんもそうですが、フェイニーさんも暖かいと大喜びでした──
シュメイも、ちょうど一ヶ月前のことを思い浮かべる。
12月5日、シノブ達はアスレア地方の遥か南に存在するファルケ島に行った。セレスティーヌが誕生日の贈り物に暖かい場所への旅行を望んだからだ。
旅行といってもファルケ島には転移の神像があるから、移動は一瞬である。そのため一同は朝から夜の祝宴の直前まで、常夏に近い南海を満喫した。
これに大喜びしたのは光翔虎のフェイニーだ。元々南の森で暮らすだけあって、光翔虎は温暖な気候を好むからである。
嵐竜や海竜も同じ南方を生活領域とするが、一方は高空、もう一方は深海にも赴くから寒さへの耐性も充分以上に持ち合わせている。それに対し光翔虎は、修行でもないかぎり寒い場所には行かないそうだ。
──暖かい場所……大好きです~。……また行きたいですね~──
石の寝台から響いたのは、噂の対象フェイニーの思念であった。そのため一同は思わず動きを止め、そちらへと振り向く。
フェイニーは、先刻と同様に四本の脚を僅かに動かしている。彼女の様子からすると、どこかを駆ける夢でも見ているのかもしれない。そのためシノブやシャルロットの表情は微笑みへと変わる。
しかし絶妙の返答に、シュメイは疑念を抱かずにはいられなかった。
──オルムルさん、彼女は起きているのですか?──
──目覚めているような、いないような……そんな感じですね──
リタンも疑問に感じたらしく、オルムルに問う。しかしオルムルは首を傾げつつ応ずるのみである。
感応力に優れたオルムルだが常に相手の心を探っているわけではないし、むしろ普段は相手の感情を読まないように気を付けているという。彼女に言わせると、親しき仲にも礼儀あり、ということのようだ。
それに光翔虎は魔力隠蔽が得意だから、気配を把握するのが難しい。それ故オルムルは、フェイニーが本当に寝ているのか狸寝入りを決め込んでいるのか、量りかねたようだ。
──もう、起こしましょう──
シュメイは寝台の上に飛翔していく。
皆が真面目な話をしているのに、寝たふりをするなど不謹慎だろう。逆に本当に寝ているなら、そろそろ起きてもらうべきである。
万一最年少のケリスより後に起きたりしたら、大失態だ。そう思ったシュメイは、思わず身震いをしてしまう。
──フェイニーさん!──
シュメイはフェイニーを後ろ足で掴み、宙に吊り上げた。
岩竜と同じく炎竜は強靭な後ろ足を持っており、自身の何倍もある魔獣であろうが楽々ぶら下げる。そのためフェイニーがジタバタ暴れようが、シュメイは全く動じない。
──またシュメイですか~──
どうもフェイニーは、周囲の状況を理解しているようだ。彼女の思念は普段より遥かに抑え目である。
──その様子からすると起きていましたね!──
──難しい話、向いていないんですよ~。ミリィさんじゃないけど、笑いを取る方が似合っています~──
詰問するシュメイに、フェイニーは言い訳めいた言葉を返す。
フェイニーはシュメイ達と同じころに起きたらしい。つまり先ほどの思念、シャンジーやシノブに触れたものも寝ぼけを装った演技だったわけだ。
シュメイは呆れつつも、フェイニーを解放した。するとフェイニーはフワフワと宙を漂いシノブへと向かっていく。
どうやらフェイニーは、直接シノブの魔力を貰うつもりのようだ。
──仲良し四姉妹には、こういう変わり者の次女がいるべきですよ~。シノブさんが教えてくれたでしょ~?──
──オルムルお姉さまにフェイニーさん、そして私にケリス……確かに四姉妹ですね。でも、あのお話の次女は立派な先生になりましたけど?──
フェイニーの弁明に、シュメイは疑問を抱く。
シュメイも自分達は血の繋がりこそ無いが、家族であり姉妹だと思っている。しかしシノブが教えてくれた地球のお話とは、四姉妹という以外に共通点がなかったからだ。
「フェイニー、君は四姉妹の物語を書くのかな? 執筆は根気がいる仕事だと思うよ?」
シノブもシュメイの言葉に乗ってみたようだ。彼は目の前に迫ったフェイニーに、楽しげな笑みを浮かべつつ問い掛ける。
──そ、それは~!? 私達は長生きだから、何十冊も書かなくちゃ~!──
フェイニーは跳ねるように飛び上がった。
シノブの冗談交じりの言葉を、フェイニーは真に受けたらしい。あるいはこれも彼女ならではの返しなのだろうか。
真相は不明だが、一つだけ明らかなことがある。それは集った者達が和やかな空気に包まれたことだ。
やはりフェイニーは周囲を微笑ませる才能の持ち主なのだろう。そう感じたシュメイは、一見だらしない姉貴分への評価を改めざるを得なかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年4月15日(土)17時の更新となります。
異聞録の第三十七話を公開しました。シリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。