表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第21章 神と人の架け橋 ~第一部エピローグ~
545/745

21.05 希望の星達 前編

 創世暦1001年11月5日の朝、かつてないほどにシノブは動揺していた。ついにシャルロットが出産の時を迎えたのだ。

 この日の未明、シャルロットは産気付いた。かなり早い時間だからシノブを含め睡眠中、もちろん場所は二人の寝室だ。

 当然ながらシノブは飛び起き、即刻アミィやタミィ、更に別室に控える侍女達を呼び寄せた。そして治癒術士のルシールも駆け付け分娩への体勢が整う。


 こうなるとシノブに出来ることはない。こちらに夫が分娩に立ち会う風習は存在しないからだ。

 女手が無い場所を除けば、街どころか小さな集落でも男は追い出されるのみだ。ましてや総力を挙げてシャルロットを支える王宮でシノブに求められるのは、大人しく待つことだけであった。

 シャルロットの側にはアミィやタミィが控え、緊急時はシノブに思念で知らせてくれる。更にシノブには短距離転移があり、『白陽宮』のどこにいようが一瞬で駆けつけ可能だ。

 つまり何か起きない限り女性達に任せておくべきである。何しろ神の眷属たるアミィやタミィ、経験豊富なルシールや治癒魔術も勉強した侍女アンナ、そして同じく大勢の頼りになる者がいるのだから。

 しかし理屈で判ってはいても、シノブの心は大いに揺れている。


「シャルロット……」


 妻の名を呟きながら、シノブは『永日(えいじつ)の間』を歩き回っていた。

 『小宮殿』の中で最も広く壮麗なサロンには、彼の他にミュリエルとセレスティーヌにベルレアン伯爵コルネーユ、そしてオルムルを始めとする超越種の子供がいるだけだ。


 したがって狼狽を顕わにする国王の姿が外に知られることはない。もっとも普段から接している者であれば、シノブが平常心を保っていられないことくらい重々承知だろう。

 幸い今日のシノブは一切の政務を免除されていた。もっとも周囲も似たようなもので、王宮にいる者達は可能なことを全て後回しにし、息を潜めつつ(よろこ)びの瞬間を待っているという。


 それはオルムル達も同じらしい。普段ならシノブに(まと)わり付き話しかける子供達も、今日ばかりは様子が違う。

 オルムル達は空いた場所に集まっているが、シノブの邪魔をしないようにと思ったのか大人しい。いつもならボールを転がしたり飛翔したりするフェイニーですら、シュメイが広げた本を一緒に覗き込んでいるだけである。


「シノブ、大丈夫だよ」


 ソファーから呼びかけたのはコルネーユだ。彼は娘のミュリエルが淹れたお茶を味わっていたが、今はティーカップを卓上に戻している。


 コルネーユと彼の第一夫人カトリーヌは二日前からアマノシュタットに滞在していた。シャルロットの出産予定日は極めて正確に把握できていたのだ。

 これは眷属であるアミィやタミィが毎日シャルロットの様子を確かめているからだ。お陰でコルネーユ達は1200km以上離れたセリュジエールに住んでいるにも関わらず、初孫の誕生に立ち会えることになった。


 とはいえ厳密な意味で誕生の瞬間を目にするのはカトリーヌだけだ。

 カトリーヌは娘の側に控えている。彼女は多少の治癒魔術を使えるし、何といってもシャルロットの実母である。そのためカトリーヌはシャルロットの産所にいるのだ。


「君の息子、そして私の孫は無事に生まれる……間違いなくね」


 シノブとシャルロットの子を、コルネーユは男子だと断言した。これはシノブが生まれてくる子の性別を魔力感知で知り、家族にも教えたからだ。


「もっとも気持ちは判るよ。数日前、そして半年前に私も味わったから」


 コルネーユは肩を(すく)めつつ微笑む。

 四日前の11月1日、コルネーユの第四子にして第二夫人ブリジットの第二子は無事に誕生した。ただし五月のアヴニールの誕生と同じく、四日前もコルネーユは泰然としたままであった。

 おそらくコルネーユの言葉は、シノブへの(いたわ)りを多分に含んだものなのだろう。


「エスポワール、可愛かったです!」


「ええ! それにアヴニールも半年、ベルレアン伯爵家も安泰ですわ!」


 隣のソファーから声を上げたのはミュリエルとセレスティーヌだ。ミュリエルは満面の笑みと共に同母の弟、そしてセレスティーヌも華やかな声で五月半ばに誕生したコルネーユとカトリーヌの子、つまり彼女の従兄弟の名を挙げる。


「ああ……アヴ君にエス君、二人とも楽しみだね」


 シノブは照れ笑いを浮かべつつ、コルネーユの隣に戻っていく。三人の気遣いをシノブは察したのだ。


 ちなみに出産直後のブリジットや新生児のエスポワール、それに乳児のアヴニールはセリュジエールに残っている。

 治癒魔術があるからブリジットは既に日常生活に戻っているし、アヴニールくらいまで育てば伴うことも出来る。それに乳母も大勢いるからエスポワールは彼女達に任せても良い。

 しかし今回コルネーユ達は飛行船での移動を選んだから、ブリジット達は留守番となった。今、セリュジエールはコルネーユの父である先代伯爵アンリが守っている。

 もっともセリュジエールは平穏そのものだ。シノブ達がエスポワールの誕生を祝いに行ったときも、秋の最後を飾る沢山の薔薇達と、同じくらい輝く無数の笑顔が迎えてくれた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 神殿の転移から、人の技術や超越種の協力で。そう進むべき道を定めたシノブ達だが、唐突な変更は大きな混乱を招くから変化は少しずつである。

 メリエンヌ学園を運営するアリエルやミレーユ、そして教員や研究員の多くはアマノ王国から神殿の転移で通っている。アマノシュタットから学園は800kmほどもあり、飛行船だと往復だけで一日の大半が消費される。それに竜が運ぶ磐船でも片道四時間ほどだ。

 したがって突然転移を禁止したら、学園の運営や研究に大きく差し障る。そのため転移装置の開発が進むまで、学園を含む幾つかでは現状通りとなった。

 しかし時間に問題ない範囲や時折の長距離移動なら、なるべく飛行船や磐船を使うことにした。幸い魔力無線での通信網が充分に整備されたから、ある程度は出向かなくても済む。そこで多くの場合は魔力無線、それ以外も出来るだけ空の旅を楽しもうとなったのだ。


 もっともシノブがベルレアン伯爵の次男誕生を祝いに行ったときは、魔法の家での転移を用いた。シノブは自力でも飛翔や短距離転移での高速移動が可能だから、神具の呼び寄せ機能を使っても同じとされたのだ。

 今のシノブは1km近い転移を毎分七十回ほどの短い間隔で実行できた。使用する魔力量を考えるとシノブも多用は避けたいが、それでも短時間なら時速4000kmにもなる超高速で移動できる。

 各国の指導者達も、目立たない程度には自身の能力や所持する道具を活かすべきとシノブに勧めた。どうも彼らは、シノブが窮屈に感じないかと案じたらしい。そして彼らの助言をシノブはありがたく受け取り、微行などでは以前同様にすると決めた。


 そのようなわけでシノブ達は、秋の終わりを告げつつある彩りの中に現れた。しかしシノブが目にした最も美しい存在は、彼が館に入ってから登場した。

 それはシノブが母と呼ぶ存在、星を統べる女神アムテリアである。彼女は自身が祝福した子の誕生を、密かに祝いに来たのだ。


 今、ブリジットの居室には極めて少数のみが残っている。

 まずは出産を終えたブリジットに夫のコルネーユ、そしてカトリーヌやアンリ、生後半年のアヴニールを加えたベルレアン伯爵家の者達。そして娘のお産を助けるべくフライユ伯爵領から来たアルメル。更にアマノ王国からのシノブ、ミュリエル、セレスティーヌのみである。


「エスポワール……『希望』ですね。アヴニールの『未来』と対になる、良い名を選びましたね」


 ソファーに腰掛けたアムテリアは、生まれたばかりの赤子を(いだ)き微笑んでいる。そして女神の脇には右に無事出産を終えたブリジット、左にアヴニールを抱いたカトリーヌという並びだ。


「ありがとうございます!」


 手前に立つコルネーユが声を張り上げ、それに彼の家族達が続く。すると二人の赤子、アヴニールとエスポワールが揃って声を上げて泣き始める。

 普段や優しげなコルネーユだが、国王から賞され『魔槍伯』の名を授かった武人、そして数々の戦いで大軍を率いた将である。そのため多少は慣れたらしきアヴニールですら、我を忘れたときの父の声は少しばかり苦手らしい。


「あらあら……。エスポワール、大丈夫ですよ~。エスちゃん……」


「アヴニール、お父様のお声ですよ。ほら、泣き()んで……」


 アムテリアはエスポワール、カトリーヌはアヴニールと、それぞれ腕の中の赤子をあやす。すると僅かな間にコルネーユの息子達は笑顔となった。

 まるで魔法のような機嫌の直しようだが、実際アムテリアが何かをしたのかもしれない。常と変わらぬ天上の美に常とは違う親しみを滲ませた彼女は、シノブに向かって意味ありげに微笑む。


「この二人と続く子供達……楽しみですね」


「はい」


 母なる女神の(ささや)きに引き寄せられたかのようにシノブも寄る。

 幼い二人には同腹の姉達との相似が強く出ていた。アヴニールはシャルロットと同じ金髪に深く青い瞳、そしてエスポワールはミュリエルを思わせる銀に近い髪と緑の瞳だ。そのためシノブの心に、義弟達への強い愛情が広がっていく。


 この二人に我が子も続く。三人は肩を並べ成長していく。

 少年となった三人は、あるときは競い合い、あるときは助け合い、大人への道を歩むだろう。そして更に先、自分は彼らに未来を託すのだ。

 シノブとシャルロットの子を含め、三人はアムテリアの祝福を授かった。それ(ゆえ)エスポワールも、アヴニールと同じく極めて大きな魔力を持っているようだ。おそらく彼らは何か特別なことを成すに違いない。そんな予感と共にシノブは無垢の笑みを浮かべる赤子達を見つめ続けた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 思い浮かべたセリュジエールの光景は、我が子の誕生を待つシノブに安らぎを与えてくれた。しかしシノブは、やはり待ち遠しさも感じてしまう。

 もうすぐ同じ喜びを味わえる。しかも今度は自身が父親だから、きっと感動は幾倍にもなるだろう。何しろ自分の血を分けた存在で、愛する妻が長い苦しみを(こら)えて(もたら)してくれるのだから。

 シノブは(はや)る気持ちを抑えようと首を振り、周囲に目を向ける。


「こうやって子供達の姿や声を残しておけるのは嬉しいね……シノブ、ありがとう」


 コルネーユは息子達の写真を手にしていた。

 これはベルレアン伯爵家に贈った写真の魔道具で撮影したものだ。シノブは録音の魔道具と合わせて最新式を、エスポワールの誕生祝いとしたのだ。


「また会いたいです……」


 ミュリエルも別の写真を見つめていた。こちらはカトリーヌとブリジットが、それぞれ自身の産んだ男の子を抱いている一枚である。

 室内にも関わらず、赤子達は毛糸の帽子やマフラーをしている。ミュリエルが編んで贈った品だから、撮影のときに母親達が着けさせたのだ。そのためミュリエルは幾枚か撮った写真の中でも、これを特に気に入っているようだ。


「すぐに会えますわ。シャルお姉さまも、なるべく早く訪問したいと仰っていましたから」


 セレスティーヌは隣の少女に肩を寄せ、共に写真を覗き込みながら(ささや)いた。

 治癒魔術があるから、出産後の回復は極めて早い。したがって高位の貴族のように専属の治癒術士を置ける女性なら、数日で普段通りの暮らしに戻る。しかも彼女達は複数の乳母も抱えているから、長時間の外出も珍しくない。

 そのようなわけでシャルロットも、二日ほど様子を見るが後は以前と同様の鍛錬をすると語っていた。


「ぜひ来てもらいたいね。慌ただしい日帰りではなく、ゆっくり泊まりがけというのはどうかな?」


「そうですね。何日かお邪魔してピエの森やヴァルゲン砦に行くのも……」


 コルネーユの誘いに、シノブは大きく頷き返した。

 最近はシャルロットが遠出できないから、シノブ達もベルレアン伯爵家に長く留まることを避けていた。彼女に悪いという思いが強かったからだ。

 しかし子供が生まれたら、乳母に預けて宿泊すれば良い。それに魔法の家があるから、母子共々訪問することも可能だ。

 魔法の家であれば乳母達を含め連れて行くのも簡単だし、アンナなどセリュジエール出身の者を伴って訪れるのも楽しそうだ。更に懐かしいピエの森や、シャルロットが司令官をしていたヴァルゲン砦に足を延ばしても良いだろう。そんなことをシノブは考える。


「それは良いね! シャルロットは、まだヴァルゲン砦からのアケローネ地下道を見ていなかったね……もう十一月に入ったが、地下道があるから交易も問題ない。

それに先日、私も飛行船でセランネ村に訪問したよ。去年まで冬は閉ざされ他の時期も数日かけて旅した道を僅か数時間で飛び越えるとはね……時代は変わったものだ」


「本当に大きな変化です。……先月の末、エレビア王国のリョマノフ王子もアマノシュタットに来ました。飛行船を使えばアマノ王国の東端からエレビア王国まで十時間ほどですから」


 感慨深げなコルネーユに、シノブはアスレア地方の王子の訪問を伝えた。

 エレビア王国の第二王子リョマノフは、十日ほど前にナタリオの案内でアマノシュタットにやってきた。まずはナタリオの領地であるイーゼンデック伯爵領まで飛行船、そこからは神殿の転移を使ってだ。

 イーゼンデックの領都からアマノシュタットまで700kmもあるから、全てを飛行船で往復したら倍近い時間が掛かる。それにリョマノフは神殿での転移を一度見たかったらしく、双方を体験してもらおうとなったわけだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「テュラーク王国は、ズヴァーク王国になりそうです」


 『白陽宮』の奥まった一室で、リョマノフはシノブとナタリオのみを相手に語り出した。

 ここは軍議などにも使う密談の場所『紅玉の間』である。そのためリョマノフの声は分厚い壁に阻まれ外に漏れることはない。


「ズヴァーク支族が王を出すってこと?」


 シノブもテュラーク王国の各支族の名前くらいは把握している。

 ズヴァークとは中の上程度の勢力を持つ支族だそうだ。先日まで国王を出したテュラーク支族や将軍バラームのベフジャン支族には及ばないが、ズヴァーク支族も結構な力を保持しているという。


「はい。(おさ)の人望、他の支族からの信頼、それにキルーシ王国寄りの西というのも好都合です」


 ズヴァーク支族が自分達にとって都合の良い存在だと、リョマノフは飾ることなく言い切った。

 標高が低く暖かな土地に住むズヴァーク支族は穏やかな者が多く、今回の戦いでも最低限の協力しかしなかったそうだ。それらを知ったリョマノフ達は、支援するに相応しい集団だと考えたようである。


 キルーシ王国や後押ししたアスレア地方の各国に、テュラーク王国を征服するつもりはなかった。テュラーク王国はキルーシ王国に匹敵するほどの大きな国土を持ち、東西1000kmはあるという。それに人口も百二十万人とキルーシ王国より二割かそこら少ないだけだ。

 自国に匹敵するほど大きな国を併合するような難事はキルーシ王国も願い下げ、それに協力したエレビア王国、アゼルフ共和国、アルバン王国にしても隣国が倍に膨らむ手助けなどしたくはない。

 そもそも今回の勝利はアマノ同盟の協力があってのことだ。そのため独力で乗り出しても大怪我を負うだけだと、四つの国の指導者達は判断したそうだ。


「幸いキルーシ王国には、テュラーク王国に嫁ぐ予定だったミラシュカ姫がいます」


「ファルバーンと婚約していた姫か……彼女をズヴァーク支族に嫁がせるの?」


 僅かに表情を厳しくしたリョマノフを、同じように険しい顔でシノブは見つめ返した。

 シノブは一度だけ会ったことがある狼の獣人の少女、王女ミラシュカを思い浮かべる。ミラシュカはリョマノフの婚約者ヴァサーナとは母違いの姉で、一つ歳上だ。つまり彼女は成人年齢の十五歳を迎えているから、今すぐ婚姻することも出来る。

 王女だけあってミラシュカは芯が強そうな少女だったが、今回の件が随分と(こた)えたようだ。会ったこともないとはいえ、テュラーク国王は彼女の伯父であり婚約者の王太子は従兄弟だからである。

 相当に肩身が狭いのだろう、ミラシュカの顔に隠しきれない陰があったことをシノブは覚えている。


「お伝えした通り、ズヴァークの(おさ)には十七歳の長男がいます。歳も近く独身、性格や能力も問題ないかと」


 最近のナタリオはリョマノフと共にキルーシ王国にいることが多い。そのため彼はズヴァークの(おさ)と息子にも会っていた。


「ミラシュカ姫や彼女の母ダルヤーナ妃も望んでいます。このままでは二人は日陰の身ですから……」


「確かにね……二人はテュラークの血を引いているから」


 憂い顔のリョマノフを目にし、シノブも他に道が無いのだろうと考えた。

 禁術を推し進めた一族だから、ミラシュカを娶ろうという者は限られる筈だ。よほどキルーシ王国に恩を着せたいならともかく、戦に協力した三国は既に充分な貸しを作っている。

 そうなると国内の太守の子息にでも厄介払いするか、テュラーク地方の再統一の駒とするかだろう。そしてキルーシ王国は後者を選んだわけだ。

 一方のズヴァーク支族はミラシュカを迎え入れて、テュラーク王家の後継となる理屈とキルーシ王国の支援を手に入れる。ダルヤーナはキルーシ国王に嫁いで二十年以上、娘を含め今回の事件に関与していないのは明白だ。そのためズヴァーク支族はテュラークの血を手に入れるが、悪名を負うことはない。


「はい。私やヴァサーナも支援し、ミラシュカ姫を未来の王妃にしてみせます」


「判った。直接の関与はしないつもりだが、相談には乗るよ。……しかしリョマノフ、こうなると当分は航海できないね」


 決意溢れるリョマノフの声を聞き、シノブは彼を信じて支援しようと決めた。そしてシノブはテュラーク王国の将来からリョマノフ自身のことに話題を転じた。


 結局リョマノフは、キルーシ王国東部の大領主となるようだ。

 アスレア地方では爵位を用いず、都市を含む領地を預かる者を太守とのみ呼ぶ。しかしリョマノフは、反逆したガザール家や同調した太守達の治めた五つの都市を含む広域を領地とする。

 これはキルーシ王国の歴史に例のない大領地だ。キルーシ王国は王都を含めて十九の都市を持つ国で、リョマノフの領地は国の四分の一に相当するのだ。そのため彼は東部大太守という特別な地位を授かるという。

 もちろん、この破格の待遇はキルーシの王女ヴァサーナを娶り婿入りするからである。つまりヴァサーナとリョマノフの二人で東部大太守に任じられたとも表現できる。

 しかし代わりにリョマノフは、長年の夢であった大海原での活躍から遠ざかることになる。


「テュラークが隣ですから、ヴァサーナだけを残すわけにはいきません。ですが、なるべく早く落ち着かせて海に出ます。

それに健琉(たける)殿は今から航海の準備をしますから、良い勝負になるかと」


 リョマノフは先の戦でヤマト王国のタケルと出会い、先々は東への航海を成し遂げ会いに行くと誓った。それに対しタケルは、自分も西へと向かうから、どちらが多く進めるか競争しようと応じたのだ。

 しかしリョマノフには東域探検船団という手本があり、随分と有利である。そこでリョマノフは自身の出発が遅れるのを、程よいハンデだと受け取ることにしたらしい。


「そうかもね。タケル……もうそろそろ都か」


 タケルは十一月の頭に都に着く予定であった。そのためシノブが口にしたように、十月下旬の時点のタケルは四人の婚約者やシャンジー達と都への道を旅していた。

 シノブは密議の間に相応しい素っ気ない壁に顔を向けた。それは東側、遥か向こうのヤマト王国のある方向だ。そしてシノブの内心を察したのだろう、リョマノフやナタリオも無言のまま彼に倣っていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブ達が見つめた先での数日後。ヤマト王国の都に王太子タケルが帰還した。

 都の中央の大通りは歓呼に沸く人々で一杯だ。彼らは偉業を成し遂げた王太子を一目見ようと、都の南北を貫く朱鳳大路(しゅほうおおじ)に詰め掛けたのだ。

 南は筑紫(つくし)の島の『霧の山』、北は陸奥(みちのく)の国の中心タイズミどころか支える五支族の集落までタケルは赴いた。つまり彼はヤマト王国の南北を殆ど両端まで巡っていた。

 それに旅路の長さだけではない。彼は半年を超える旅でヤマト王国の四つの地の融和を成し遂げた。その証拠にタケルの側には四人の少女が集っている。

 斎院(さいいん)でヤマト姫の側近を務める狐の獣人の巫女、立花(たちはな)伊予(いよ)の島の巫女姫、褐色エルフの桃花(ももはな)筑紫(つくし)の島の獣人王の娘にして武者姫と名高い刃矢女(はやめ)。そして陸奥(みちのく)の国のドワーフ王の娘で刀鍛冶でもある夜刀美(やとみ)である。

 それは大王領と三王領の全てが(まと)まったと端的に示す光景であった。そして明るく華やかな一行を目にした都の人々は、素晴らしい未来を運んできた王太子に喝采を浴びせ続けたのだ。


 しかし日が落ち更に夜半となると、流石に喧騒も一段落する。特にタケルや父の大王(おおきみ)が住まう内裏(だいり)は、穏やかな静寂に包まれていた。


「……シャンジー様、ありがとうございました」


 タケルは光に包まれた若虎へと平伏する。

 一人と一頭を見守るのは天高く昇った月、望月(もちづき)を僅かに過ぎた晩秋の風雅だけだ。タケルが住まう秀鳳舎(しゅうほうしゃ)は側仕えも遠くに下がり、入ってくるのは庭からの微かな虫の()のみである。


『タケル……お別れみたいなこと、言わないで。ボクはシノブの兄貴のところに戻るけど、これからもタケルと一緒だよ。神域の転移もあるから、毎日だって来るよ』


 ゆっくりと言葉を紡ぐシャンジーだが、彼も普段と僅かに違う。若き光翔虎は常の間延びした口調ではなく、柔らかだが兄貴分としての矜持(きょうじ)と気遣いが滲む語り掛けで応じたのだ。


「シャンジー様……」


『泣いちゃダメだ……もう、タケルは立派な王太子なんだから。知恵も、勇気も、力も……出会ったとき女の子みたいだったのが嘘みたいだよね……まあ、外見は今もカワイイけど』


 顔を上げたタケルに、シャンジーは静かに寄る。そして白銀に輝く若き虎は感慨深げな様子で出会いの日を振り返った。


「シノブ様、シャンジー様、そして旅で巡り合った人々のお陰です……」


『その気持ちを忘れないで。タケル……君は沢山の仲間に囲まれているんだ。そして皆と手を取り合って、これからも進んでいく……西の王子様とも約束したんでしょ?』


 月光が照らす中、タケルとシャンジーは静かに寄りそう。そして彼らは揃って天空の輝き、夜を見守る神の象徴へと顔を向ける。

 きっとシノブやリョマノフも、何時間か後には同じ月を見るのだろう。そして東から昇る月輪(げつりん)に、彼らは自分達を感じてくれるに違いない。

 そんな想いが滲むかのような喜びに満ちたタケルの(おもて)に、シャンジーは自身の頭を優しく擦り寄せた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 リョマノフからタケルへと思いを羽ばたかせたシノブだが、口にしたのは前半の一部のみで後半は胸のうちに秘したままであった。

 テュラーク王国の今後に関しては、まだ内密にすべき事柄が多かった。それにミュリエルやセレスティーヌの前でミラシュカの将来を語るのは、シノブに気後れを感じさせた。

 そしてヤマト王国の出来事は、帰還したシャンジーがシノブだけにと教えてくれたものだ。したがって他に伝えるなど論外である。


 それ(ゆえ)シノブは、二人の王子が先々海に乗り出し航海の距離を競うだろうと触れただけで口を(つぐ)む。

 そしてシノブはオルムル達のいる一角に顔を向けた。そこには帰還したシャンジーも一緒にいるからだ。


「……シャンジー、それってもしかして?」


 シノブはシャンジーの側に積まれた本が気になり、ソファーから立ち上がる。

 山積みにされた本に、シノブは見覚えがあった。それはシノブが集めた育児書だったのだ。


 エウレア地方には充分に発達した印刷技術があり、少々高価だが新聞の発行まで始まっている。そのため書籍も値段さえ気にしなければ様々なものがあった。

 シノブは一国の王だから書物を不自由なく購入できるし、新興国家であるアマノ王国に豊かな文化をと思い公営図書館も整備した。そこで純粋な育児書から物語風の読み物まで、シノブは幾つも手に入れていた。


『はい~。兄貴の子はボクの甥ですし~』


『私達も世話します!』


 シャンジーがシノブへと振り向くと、岩竜オルムルが本の側を離れて宙に舞い上がる。

 もちろん他の子供達も同様だ。まずは機敏な光翔虎のフェイニー、そしてオルムルと同じ岩竜ファーヴ、更に炎竜のシュメイとフェルン、海竜リタンに嵐竜ラーカ、朱潜鳳ディアスと続いていく。

 残念ながら生後一ヶ月半弱の玄王亀ケリスは浮遊できないから、彼女だけ本の側に残ったままだ。そこでシャンジーが彼女を自身の背に乗せ、シノブへと歩んでくる。


「……ありがとう」


 シノブは猫ほどの大きさに変じて浮いてくる子供達に両手を広げ微笑んだ。そして同時に、シノブは少しだけ反省する。

 自分が身近に置いていた書籍を、オルムル達は読んでいた。それに気付かなかったのだから、よほど自分は動転していたのだろう。微かに頬を染めながら、シノブは先ほどまでの振る舞いをおかしく感じる。


『シノブさんの子供……私達の弟ですね』


 鈴の()のような声を響かせたのはケリスであった。先月の終わりごろ、彼女は魔力障壁での発声を会得したのだ。


『そうだね~。ケリスちゃん達なら弟が良いかもね~』


 シャンジーはシノブの弟分だと自負しているし、成体ではないが生まれてから百年以上を経過している。そのため彼は自身をシノブの子としなかったのだろう。

 しかし他は最も年長のラーカですら生後一年半を超えた程度だから、子供世代の方が似つかわしい。


「ああ、皆の弟だ。仲良く……」


 ケリスを抱き上げたシノブは、生まれてくる子と友誼を結んでほしいと言いかけた。しかしシノブは、ケリスを抱えたまま黙り込む。


 『永日(えいじつ)の間』に非常に大きな魔力がやってくる。それはシノブが良く知る波動、最も信頼する導き手アミィのものだ。

 今日のシノブは敢えて自身の魔力感知能力に制限を掛けていた。常のままなら分娩中で揺れる妻の魔力を察してしまい、とても落ち着いてはいられないからだ。

 そのようなわけでシノブはアミィが間近に迫るまで気が付かなかったが、ここまで来れば別である。


 ついに我が子に会えるのだ。シノブは大きな喜びと深い感慨を(いだ)きながら、扉を見つめる。そして彼の側に多くの者達、種族を超えた家族が集う。

 コルネーユ、ミュリエル、セレスティーヌも大魔力の持ち主だから、吉報の訪れを察したようだ。もちろん超越種の子供達はアミィだと気付いている。

 光翔虎のシャンジーとフェイニー、更に光竜(こうりゅう)となったオルムルが白く光り輝く。シュメイ達も歓喜の歌を響かせ宙に舞う。

 (まぶ)しい光に照らされたシノブ達は、寄り添い(きら)めく希望の星々のようですらあった。そして期待に輝く星達の前に、更なる新星の誕生を知らせる光の使者が姿を現した。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2017年3月13日17時の更新となります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ