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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第21章 神と人の架け橋 ~第一部エピローグ~
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21.03 果てしなき道の先に 前編

 異神ヤムとの戦いを終えた翌日、シノブは爽快な目覚めを迎えた。

 やはり姿を見せない神霊は、シノブの心に重く()し掛かっていたようだ。しかし今日からは日常に戻れる。もちろん国王や同盟の盟主としての務めはあるが、支えてくれる人々と取り組めば良いことだ。

 そう思ったからだろう、シノブは自然とシャルロットの姿を探していた。


 シノブの最愛の女性、アマノ王国の戦王妃(せんおうひ)にしてメリエンヌ王国のベルレアン伯爵継嗣は、寝室中央のベッドで安らかな寝息を立てていた。

 ベッドに敷かれているのは柔らかなマットレス、数ヶ月前にアムテリアから授かった品だ。とはいえシャルロットは大きなお腹を抱えているから、横向きに近い姿勢となっている。

 神界製の寝具は体勢に応じ最適な形状となるが、やはり腹の上に重石を置かれたような状態は(つら)いのだろう。それに出産間近ということもあり、シャルロットの眠りは浅く時々目を覚ますこともある。

 ただしシノブには武術で磨いた鋭敏な感覚があり、妻が動けば起きて手を貸し励ます。それに就寝を共にするオルムル達も、同じく手助けしてくれる。

 そのため臨月の王妃にも関わらず、不寝番の侍女を部屋に置いてはいない。武人として育ったシャルロットは過剰な手助けを好まないから、当番の侍女達は至近の別室に控えているのだ。

 もっともシノブ達の寝室には魔力無線を応用した呼び鈴があり、何かあれば三交代で待機中の彼女達が即座に駆けつける。


「シノブ……おはようございます」


 夫が身を起こした気配でシャルロットは目覚めたらしい。彼女は深い湖水のような色合いの瞳をシノブに向け、愛情溢れる声音(こわね)を響かせる。


「おはよう、俺の可愛いシャルロット」


 シノブは大きな喜びを感じつつ自身のベッドから床へと降り、満面の笑みと共に言葉を返す。

 今日もシャルロットは健康で美しい。神を名乗る存在との戦いを終えた安堵、そして我が子の誕生という特別な日への期待と興奮。それらに特別なものを感じているだけに、シノブの胸は妻への(いと)おしさで一杯となった。

 ここには自分とシャルロット、そして無垢な子供達しかいない。そのためシノブは照れることなく妻に賞賛の言葉を贈る。


「ありがとうございます」


 シャルロットも素直な喜びを顕わにした。夫が寄るのを待っているらしく、彼女は身を起こさずに白い肌を上気させつつ微笑んでいる。


 シノブに可愛いと言われるのは、シャルロットにとって特に嬉しいことのようだ。それは彼女が長く武術に励み、女性らしさを遠ざけていたからだろう。

 シャルロットは少女期の殆どを男装で過ごしたから、美しい、綺麗だなどと言われても、可愛いと評されることはなかったそうだ。彼女は伯爵継嗣だから家臣なども相応に言葉を整えるし、同格の貴族であっても美麗な物言いを選ぶからだ。

 そのため可愛いという素朴で素直な言葉に、シャルロットは憧れめいたものすら(いだ)いたという。


『おはようございます!』


『外はお天気みたいですよ!』


『少し涼しくなりましたね!』


 シノブのベッドから岩竜のオルムルとファーヴ、炎竜シュメイが宙に舞い上がる。

 ちなみにシュメイは少し涼しいと表現したが、十月のアマノシュタットは稀に最低気温が氷点下となることもある。しかし高空を飛び成体は北極圏を生活の場とする岩竜や炎竜からすれば、この程度は全く気にならないようだ。


『南とは違いますね』


『僕は寒いところは得意ですけど』


『温めるなら僕が!』


 嵐竜ラーカ、炎竜フェルン、朱潜鳳ディアスが更に続き、海竜のリタンも玄王亀のケリスを背に乗せて宙に浮かぶ。

 オルムル達はシノブの起床を魔力の変化で感じ取るらしい。共に過ごすようになって随分と経つから、子供達の大半はシノブが起きると反射的に目覚めるほどだ。しかし何事にも例外はある。


──フェイニーさん、よく寝ています──


『そうですね……シュメイさん、お願いします』


 ケリスに応じたリタンは、長い首を動かしシュメイへと顔を向ける。火属性を持つシュメイならフェイニーを温めつつ起こすと、リタンは考えたらしい。


『フェイニーさん、起きないと外に放り出しますよ?』


『そ、それはヒドイですよ~!』


 シュメイは白銀色の猫のような生き物を宙に(つか)み上げる。もちろん相手はフェイニー、そろそろ一歳を迎える光翔虎だ。

 昨年の十一月、フェイニーとリタンは誕生した。これを超えるのは上から生後一年半近いラーカに十四ヶ月を過ぎたオルムルのみだ。

 そしてシュメイは来年の一月に一歳を迎え、更に二月にファーヴ、六月にフェルンとディアス、九月にケリスと続く。したがってフェイニーは年長な側で、しっかりしてほしいとシュメイが思っても当然ではある。


「これで良いかな?」


 そんな子供達を横目に、シノブは鏡台の前でシャルロットの髪を()いていた。このごろ隣の居室に行くまでの身繕いは、こうやってシノブが手伝っているのだ。

 シノブやシャルロットは着飾らない方だから、起き抜けは簡素な室内着で過ごす。そして居室を出る前に、アミィとタミィがシャルロットを王妃らしい装いへと変える。


「はい……」


 シャルロットは(ほの)かに頬を染めている。

 目の前にあるのは、祖母であるメリエンヌ王国の先王妃メレーヌが、そして母のカトリーヌが使った化粧台。そして膝の上には鏡台を飾っていた素朴な木彫りの人形、シノブが贈った幼い男児を(かたど)った品。国宝級の逸品と街で得た土産物と両極端だが、不思議と調和している。


 それは至福の表情を浮かべるシャルロット(ゆえ)だろう。

 こうやって祖母や母も愛する人と過ごしたのか。そして我が子の顔を見る日を待ったのか。そのような想いからか、鏡越しに夫を見つめるシャルロットは瞳に輝くものを宿していた。


「幸せです……」


「俺もだよ」


 全幅の信頼と共に背後の夫に体を預け。手鏡を差し出したり服を持ってきたりと甲斐甲斐しいオルムル達に微笑み。そしてシュメイに宙吊りにされるフェイニーに苦笑し。こうやってシャルロットとシノブの朝は始まっていく。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「おはよう、アミィ、タミィ。……これは?」


 居室に入ったシノブは、挨拶に続いて問いを発する。今朝も居室には贈り物が置かれていたのだ。


 もっともシノブは目の前の品を知ってはいた。

 優しい色で塗られ数多くの人形を下げた、ベビーメリー。赤子をあやすための回転機構を備えた遊具。それが今回の贈り物であった。

 そのためシノブの言葉は、贈り主を問うたものだ。


「おはようございます! サジェール様からで『涼風の回転遊具』です! 空調や空気清浄の機能もありますよ!」


「回すと音や光を発します! お見せしますね!」


 三つ目ともなるとアミィやタミィも慣れたらしい。二人は朗らかな笑みと共に説明を始める。


 遊具は高さが大人の背丈ほど、広がった上部は大きめの傘くらいもある。アムテリアからの贈り物『天空の揺り籠』の上に(かざ)して使うのだろう、下は大きく広がった台座だけで人形などは大人の胸より上にある。

 中央からは鈴のような妙音が響き、ゆっくりと回転する上部は淡い光を上に投射している。つまり回転だけではなく、音と光でも赤子を楽しませる趣向らしい。


「優しい音色……それに綺麗な光ですね」


「音は何種類かあって、入れ替えも出来ます! それに赤ちゃんの機嫌や動きでも変わるとか……」


 シャルロットが呟くと、タミィは更に操作を続ける。

 サジェールは知恵の神で、風も彼の管轄だ。そのため知育の要素を含んだ遊具で、更に空気に関したものとなったのだろう。


『面白そうですね~! あっ、光翔虎もあります~!』


 動きがある品だから、フェイニーは興味を示したらしい。それに彼女が口にした通り、釣り下げられているのは人を模した人形だけではなく、各種の超越種や動植物を模したものまであった。


『フェイニーさん、壊しちゃダメですよ!』


『シノブさんやシャルロットさんもいます!』


 シュメイはフェイニーを留めようとするが、ファーヴなども寄ってきた。確かに微光を発する品々の中には光の神具を着けたシノブやドレス姿のシャルロット、更にアミィ達の人形もある。


「……凄いね。そうだ、お礼を!」


 シノブもシャルロットと並び、回っていく自分達を(かたど)った人形を目で追っていた。しかしシノブは我に返り、礼を伝えねばと懐から神々の御紋を取り出した。


「ええ、お願いします」


「シノブ様、今日は神域に足を運んでいただきたいと……」


 当然シャルロットも頷くが、アミィが申し訳なさそうな表情でシノブを留めた。これにはシノブも驚いて動きを()め、シャルロットも怪訝そうな顔をアミィへと向ける。


『シノブさん、狩りに行ってきますね!』


『今日はリムノ島に行きます!』


 神々との話になると思ったらしく、オルムルとシュメイは遊具から離れて窓へと向かう。もちろん他の子供達も続いていき、部屋にはシノブとシャルロット、そしてアミィとタミィの四人だけとなった。


「珍しいね。ほら、普段は夢か御紋だから」


 とりあえずシノブはシャルロットをソファーへと導く。

 通常ならアムテリアは、夢に訪れるか御紋を通して語りかける。そのためシノブは特別な話があると感じていた。


「どちらに行くのでしょうか?」


 シャルロットは行き先が気になったらしい。

 シノブ達は幾つかの神域を知っている。どれもヤマト王国にあるが、筑紫(つくし)の島の山中、そして大王領のイソミヤと呼ばれる海に面したところ、更に東のカミタである。

 このうちカミタの神域にアムテリアが姿を現したことはないし、シャルロットが訪れたのもカミタ以外の二箇所だ。そのためシャルロットは、自身が知る二つのどちらかと考えたようだ。


「イソミヤです。それと今回はシノブ様と私達眷属だけです。シャルロット様は身重ですから、タミィをここに残して私達だけで、とのことでした」


 アミィは少し固い表情で言葉を紡いでいく。

 どうもタミィは事前に多少を聞いているらしい。彼女はお茶の準備をするだけで口を挟もうとはしない。


「そうですか……」


 シャルロットは怪訝に思いながらも一方では納得してもいるようだ。

 シノブ達は海神ヤムを倒したばかりだから、神々が事後を伝えるのでは。そういった神々の秘事なら相手を限定する方が自然だろう。そのような考えをシャルロットは(いだ)いたようだ。


「ヤムがどうなったかも知りたいしね。で、これから行くのかな?」


 シノブも上位神の裁定を知りたくはある。

 昨晩シノブは、就寝前に御紋でアムテリアに連絡をした。そのとき彼女はヤムの残滓を全て回収し、この世界を統べる上位神に渡したとシノブに語った。


 世界を管轄する神ともなれば、残滓からでも別の存在を作り出したり元通りにしたり出来るという。したがって上位神の判断次第だが、ヤムにも次の生が待っているかもしれない。もっともアムテリアの口振りからすると、バアル神などと同様に完全消滅となる可能性が高かったが。


 神々にとって許可の無い世界への侵入や介入は、許し難い行為のようだ。そして通過だけならともかく介入だと、非常に厳しい措置となるらしい。

 ヤムが大和之雄槌(やまとのおづち)を盗んだ一件で、少なくともカミタの神官が何人か罰せられただろう。そして神刀があれば結果が変わった戦もあった筈だ。

 ましてやヤムはアスレア海から魔力を吸い取っていた。つまり一帯の海洋に介入したわけで、これは厳罰に処される行為だとアムテリアは語っていた。


「午前中の政務を終えてからで良いそうです。そのくらいが御都合も良いようでして……」


 アミィも詳しいことまでは知らないのか、少し困ったような様子であった。ただし彼女の口振りからすると、急いで駆けつけるべき用件でもないらしい。


「……判った。ならば早く仕事を片付けよう」


 もしかすると、そのころまでにヤムの処遇が決まるのか。そしてアムテリアか従属神の(いず)れかが上位神のところに赴くなど、手が離せないのかもしれない。そのようなことをシノブは想像する。


「シャルロット、お会いしたときにたっぷりお礼しておくよ。そうだ、何かお礼の品を持って行こうか?」


「お願いします。礼品は私が見繕っておきます。もちろんアンナ達に頼んでですが……」


 シノブが笑顔に戻って軽口めいた言葉を紡ぐと、シャルロットも大きく顔を綻ばせた。そして二人は再び素晴らしき頂き物へと顔を向ける。


「もうすぐだね……」


「はい……」


 この下で我が子が微笑む日も近い。その思いがシノブの口を()いて出る。おそらくシャルロットも同じ気持ちなのだろう、幻想的な光を放つ遊具を眺める彼女の顔には期待と喜びが溢れていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブの政務は短時間で終わった。シノブを含め昨日は多くがアスレア地方に赴いたから、周囲も遠慮したのだろう。

 南海に行ったのはシノブとアミィを始めとする眷属、そして超越種達のみだ。しかしキルーシ王国の国境には宰相ベランジェを筆頭に内務卿シメオンと軍務卿マティアスの三人の閣僚、更にシノブの親衛隊長エンリオなどが赴いた。幸い全員が無事に帰還したが、戦に加わったのは事実である。

 そのため残っていた者達も、今日は可能なかぎり短時間で解放しようと思ったらしい。


 そんなこともあり、シノブは午前十時ごろにイソミヤの神域へと旅立った。魔法の馬車の中にある転移の絵画を使い、イソミヤの神像に移動したのだ。もちろんシノブが伴ったのはアムテリアの指定通りアミィ、ホリィ、マリィ、ミリィの四人のみである。

 神域は赤く染まっていた。アマノシュタットとヤマト王国の時差は七時間ほどだから、既に日没間際なのだ。そして夕日で照らされる野原には、アムテリアを始めとする七柱の神々が揃っていた。


「シノブ、ありがとう……」


 アムテリアはシノブを抱きしめ(ささや)きかける。

 この星を統べる神の瞳は、うっすらと濡れていた。翠玉(すいぎょく)のような(きら)めきは常とは異なる輝きに飾られていたのだ。


 アムテリアは地上への介入を極力避けているようだ。彼女からすると神が降臨し人々を導くより、神の力を授かった者が動く方が望ましいのだろう。

 それにキルーシ王国とテュラーク王国の戦いに異神は関与していない。したがって、こちらは元々地上の者が解決すべき事件だ。

 とはいえシノブを我が子と呼ぶアムテリアだ。彼女は一度ならず、自身が手を貸せばと思ったのだろう。強い信念を持ちつつも、案じもすれば悩みもする。守護する人々には揺らぎを見せない彼女も、一族の前では稀に素顔を覗かせる。それは神とはいえど決して完全ではないことの証左である。


「これは私達がすべきことです。母上達が全てを片付けてしまったら、私達は強くなれませんから」


 シノブは母なる女神に明るく微笑み返す。

 どこまで手を出すべきか、あるいは手を出して良いか。自身も日々悩むだけに、シノブは強い共感を(いだ)いていた。


 シノブは思う。国王として、領主として、同盟の盟主として、自分の一言は世の中に大きな影響を与える。そして人々は自分を強く信頼してくれるし、支持してくれる。

 それだからこそシノブは怖さを感じる。自身が無謬(むびゅう)の存在ではないと知っているからだ。ヤムが見せた幻影に揺らぐことはなかったが、あのときああしておけばと思うことは幾らでもある。

 そして今でも後悔しつつ選択を続けている。多くを委ねられ背負った者として、日々を悩みつつ生きている。だが、それを赤裸々に語ることも難しくなった。

 それらの経験が、母と慕う存在の心中を更に深く理解させてくれた。そんな思いが自然とシノブの胸に湧いてくる。


「……貴方は強くなりましたよ」


「母上、魔法の家の準備が出来たようです」


 感慨深げなアムテリアに、ニュテスが声を掛けた。闇を司る彼に相応しく、彼は黒い髪を(なび)かせつつシノブ達に歩んでくる。


 アミィは神像から少し離れた場所、海が見える辺りに魔法の家の設置を済ませていた。どうやら話は魔法の家の中でするらしい。彼女は扉の前でシノブ達を見つめている。


「判りました。それではシノブ、行きましょう」


 アムテリアはシノブの腕を取ったまま歩き出す。先ほどまでの憂いは彼女の顔から消え去り、我が子との触れ合いを楽しむ喜びだけが浮かんでいるような朗らかさだ。

 やはり神々は、地上の者より遥かに強いのだろう。アムテリアはシノブに素顔を見せはしたが、後に引き摺りはしない。これを見習うべきだとシノブは胸に刻みつつ歩んでいく。


 シノブは笑顔のアムテリアと共に、魔法の家のリビングへと移った。もちろん六柱の神々やアミィ達四人も一緒である。

 そしてシノブはアムテリアと並んで座り、更に右のソファーに四柱の男神(おがみ)、反対側の左に二柱の女神が収まる。そしてシノブ達の向かいはアミィ、ホリィ、マリィ、ミリィの四人だ。


「シノブ……ヤムは消滅しました。神刀の窃盗と多くの魔力の吸収は、やはり許し難い罪とされたのです」


大和之雄槌(やまとのおづち)は、俺の監督不行き届きでもあるのだがな……」


 アムテリアに続いて言葉を発したのは、大地の神テッラであった。カミタの神域はテッラの管轄だからであろう。


「それを言ったら、お兄様より私の方が……また海に潜んでいただなんて……」


「退治はシノブにお願いするつもりだったけど、もう少し情報をとデューネお姉様は考えていたのよ」


 肩を落としたのは海の女神デューネで、擁護か冷やかしか判らぬ言葉を発したのは森の女神アルフールであった。


 ヤムが潜む範囲の絞り込みくらいはと、デューネは自身の配下である白鰐(しろわに)族を動かした。

 しかしヤムは魔力吸収を自然の変化に収まる程度に留めていたし、更に彼はアムテリアの一族を避ける術を会得していた。そのためデューネに仕える眷属達は、場所の特定に至らなかったという。


「あのくらいの変化は、長い年月の間にはありますからね。それに海中に赴いた眷属達は、ヤムの神力を感じ取れなかったようです」


「我らが直接行けば別だが……お前の修行になったのが不幸中の幸いだな」


 今度は知恵の神サジェールと戦いの神ポヴォールだ。

 神々は地上への降臨を極力控えている。神域として定めた地や特に認めた聖地には足を運んだり仮の姿を示したりすることはあるが、それも非常に稀な訪れだそうだ。

 もしヤムが外に手を伸ばして大災害でも引き起こせば、アムテリア達も直接的な干渉に踏み切っただろう。しかし潜伏するだけの相手だと、そこまでの緊急性を神々は感じないようだ。

 もっともポヴォールの口振りからすると、シノブがいなかったら別の手段に出た可能性はある。


「ええ。色々経験を積みましたし、被害も出ていません。ですからテッラの兄上やデューネの姉上も……そうでした!

テッラの兄上、一昨日の鎧人形とても嬉しかったです! それにサジェールの兄上のベビーメリー、シャルロットも大喜びしました! もちろん母上の揺り籠も使うときが楽しみです!」


 問題なかったと答えたシノブは、頂き物の礼へと移る。

 シノブにとってアムテリアは母、彼女を支える神々は兄や姉だ。そして家族の謝罪、それも実害の無かった件でなど、シノブには不要であった。

 家族だから、良くやったとの褒め言葉なら喜んで受け取る。しかしシノブは身内と他人行儀なやり取りをしたくなかったのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブの賛辞にテッラ、サジェール、そしてアムテリアは喜びを顕わにした。

 豪放な大地の神は破顔と共に大きな声を上げ、知を司る神は平静を装いつつも笑みを隠せず、そして全てを照らす女神は文字通り輝きを増したのだ。

 しかし暫しの間の後、神々の長兄ニュテスが何故(なぜ)か表情を改める。


「……母上、例の件を」


「そうでした。ミリィ……近ごろ悪戯が過ぎるようですね」


 ニュテスに促されたアムテリアは、彼と同じように厳しさを顔に滲ませた。

 アムテリアの声音(こわね)は大きく変わらない。しかし隣のシノブも思わず背筋を伸ばしてしまう何かが、彼女の言葉には宿っていた。


「申し訳ありません!」


 ミリィはソファーから跳び下り、床に平伏する。

 アムテリアが叱責する理由など一つしかない。ミリィの悪戯といえば地球の事物の紹介くらいだ。

 ちなみにミリィも神殿などでは同僚と同じく神の眷属に相応しく振舞っており、神官の手本として申し分ない。そして説法なども機知に富み、評判が良いという。


「貴女が人々を楽しませようとしているのは理解しています。それにシノブを癒そうとしているのも……しかし限度があるのでは?」


「そうですね。貴女達は眷属だと明示していませんが、多くの者は察しています。そのため単なる冗談では収まらないのですよ。……母上、ミリィを神界に戻した上で罰しては如何(いかが)でしょう?」


 柔らかな物言いのアムテリアとは違い、サジェールの声は冷ややかですらあった。

 そのためだろう、ソファーに座したままのアミィ達も蒼白な顔となる。特にマリィは顕著で、彼女は僅かに震えてすらいた。


「お、畏れながら! ミリィはシノブ様を……地球のことはシノブ様に微笑んでいただきたいという思いからです! どうか、どうか、お許しを!」


 何とマリィは、ミリィと並んで床に伏した。

 ミリィが冗談を言うと、マリィは率先して注意する。しかしマリィは、誰よりもミリィを理解しているのだろう。

 自身の相棒は笑顔を(もたら)そうとしている。故郷に戻れないシノブの寂しさを消そうとしている。そこから生じた波紋が予想外に広がってはいるが、発端は彼女の大きな愛からだ。マリィは神々への畏れを示しつつも切々と訴えかける。


 揃って地上に派遣された二人だが、もしかすると単なる同期以上の繋がりがあるのかもしれない。そんな思いがシノブの胸に浮かんでくる。


「母上、これは私の責任です」


 シノブもミリィの横に移り、(ひざまず)いて彼女への許しを願う。そしてアミィとホリィもシノブに並んだ。


「ミリィが与えてくれる微笑みに(ひた)ってしまったのは私ですから……。どうか彼女には寛大な措置をお願いします」


 地球のことを一番知っているのは自分である。そして自分も地球の言葉を幾つか紹介した。それにミリィの冗談を見逃すようなことも何度かした。ならば責められるべきは自分だと、シノブは思ったのだ。


「そうですね……どう思いますか?」


 アムテリアは右側に座る男神(おがみ)達の近い方、ニュテスやサジェールへと顔を向けた。ニュテスは長兄として束ねる存在で、知を司るサジェールは言葉も管轄するからだろうか。


「外来語は良いのでは?」


「賛成します。『細剣(レイピア)』や『大型弩砲(バリスタ)』といった言葉は認めましたから……もっとも『マスタープランをメークするにはプライオリティーをディシジョンすべき』などというのは行き過ぎですが」


 ニュテスに振られたサジェールは、カタカナ語を多用した例を示す。どうやら神々は、シノブの想像以上に現代日本に通じているらしい。


「物の名前くらいは良いと思うわ」


「でも『カカオッキーナ』とかはどうかしら?」


 アルフールが発言すると、デューネが妹神の創った巨大カカオの名を持ち出した。どうも海の女神は先ほどの反撃をしたかったようだ。


「言葉遊びは古来よりの伝統じゃないか?」


「俺も兄者に賛成だな」


 こちらは今まで口を挟まなかったポヴォールとテッラだ。

 テッラも相撲から『素無男(すむお)』としていたし、ポヴォールが教えた闘技にも何らかの由来がありそうなものは含まれている。そのため二人は、そこまで封じられたらと思ったのかもしれない。


「シノブは?」


「伝統的な日本語で表現し難いものは、お許しいただければと。既にパンやフォーク、リュートなど多数ありますし」


 アムテリアに問われたシノブは、自身の考えを示す。

 パンは麺麭(めんぽう)、フォークは突き(さじ)と記す。流石にリュートを何と呼ぶかまで知らないが、仮に訳語があったとしても現在のままで良いのでは。シノブは、そう思ったのだ。

 それに『缶』など一見すると古くからありそうな言葉も、オランダ語の『kan』や英語の『can』からだという。したがって、どこまでが伝統的な日本語という定義は非常に難しい。


「単位もメートルやグラムなどがありますし、出来ればパーセントなども使いたいですね」


 こちらではパーセントという言葉も聞かなかったと思いながら、シノブは続ける。

 パーセントはイタリア語の『per cento』だ。しかし今後の各種技術の発展を考えると、シノブはパーセントなども導入したかったのだ。


「妥当ですね。学術用語の使用や、地球で一般的な単語を新たに作り出したものの名とするのは認めます」


「技に『波翅離洲駆(ばしりすく)』と命名した眷属もいますからね」


 やはり言語はサジェールの担当なのだろう、彼は判定らしき言葉を口にする。一方ニュテスは南方水術の技の一つ、ガルゴン王国の聖人ブルハーノ・ゾロが伝えた技を挙げた。


 続いてサジェールとニュテスは多少の例を挙げていく。

 『回転炎咆(ローリング・ブレス)』などは認められることとなった。元々ブレスは竜の攻撃を示す言葉として使われていたし、ローリングは一般的な単語とされたのだ。

 そして二人は、言葉遊びや『拡散岩竜砲』の(たぐい)もこちらに存在する言葉の組み合わせだから問題ないと告げた。


「では、ミリィは?」


「脈絡の無い冗談は訂正してもらいますが、他は良いでしょう」


 シノブの問いかけに、アムテリアは笑顔で応じる。どうやら彼女はミリィに注意したかっただけで、罰するつもりはなかったようだ。

 しかし幾つかの冗談について、ミリィは創作と伝えて回ることになるらしい。


「申し訳ありません!」


「ありがとうございます!」


 ミリィは頭を下げたまま更なる謝罪を口にし、マリィは顔を上げて率直な感謝を示す。そして大きな安堵(ゆえ)だろう、マリィの頬に一筋の涙が伝う。


「ミリィ、顔を上げなさい」


「はい……」


 アムテリアの呼び掛けに、ミリィは恐る恐るといった様子で平伏を解く。こちらも瞳から大粒の涙が(こぼ)れ落ち、頬を濡らしていく。


「シノブは強くなりました。もう道化を演じる必要はありません。ですから今後はオシオキですよ?」


「あ、アムテリア様……」


 星を統べる女神の冗談めいた言葉に、ミリィは泣き笑いの表情となった。

 シノブはミリィの涙を拭う。彼女への感謝を胸に(いだ)きつつ。そしてシノブは、アムテリアの言う強さを真の意味で身に付けようと心に誓う。


「母上、今回はこの件で?」


「いえ。貴方と相談したいことがあるのです……より正確には、決めておくべきことでしょうか」


 問うたシノブに、アムテリアは再び真顔になり応じる。そして彼女が続けていく言葉に、シノブも同じように顔を引き締める。

 それは喫緊とは言えないが、確かに定めておくべき内容だ。そして、ある意味でシノブの根本に関する事柄でもあった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2017年3月9日17時の更新となります。


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