21.02 俺の最高傑作だ
シノブはシャルロット達と共に『永日の間』へと向かった。
『永日の間』は『小宮殿』の中央近くにあるサロンで、アマノ王家の寛ぎの空間だ。そして出産間近なシャルロットは、ここのところ多くの時間をそこで過ごしている。おそらく彼女にとって、自身とシノブの居室や寝室に続いて安らぐ場所なのだろう。
愛用のソファーにシャルロットが腰掛けると、護衛のマリエッタとエマ、侍女のアンナとリゼットが壁際に下がった。
先ほどまでは治癒術士のルシールも随伴していたが、彼女はミュリエルの母ブリジットを診察しに行った。ブリジットの出産予定日もシャルロットと同じで来月早々だが、どうも彼女の方が少し早いようだ。
そのためルシールは神殿の転移でメリエンヌ王国のベルレアン伯爵領に向かった。先ほど帰還したエルフのファリオスが、彼女をベルレアンに転移させるそうだ。
「ファリオス殿は巫女の血筋だからね……」
「そうですね……研究中の姿からは信じられないですけど」
シノブの呟きに応えたのは、苦笑気味のミュリエルだ。
ミュリエルはフライユ伯爵家の一員でもあるから、領内に置かれたメリエンヌ学園や付属の研究所にも頻繁に顔を出している。そういうわけで彼女も、ファリオスの日常を詳しく知っているのだろう。
ちなみにファリオスの妹メリーナも神像を使っての転移が可能だ。神殿の転移は強い信仰心が必要だが、神降ろしを可能とする巫女メリーナや彼女と共に修行したらしいファリオスは条件を満たしているのだ。
「ファリオス殿とルシールさんは、いつごろ御結婚なさるのでしょう?」
「そう遠くないのでは?」
セレスティーヌの問い掛けに、シャルロットは確信めいたものを漂わせながら応じた。最近シャルロットとルシールは一緒にいることが多いから、彼女は色々と聞いているのだろう。
ちなみにソファーには、右端からセレスティーヌ、シャルロット、シノブ、ミュリエルと並んでいる。もうすぐアミィ達も戻ってくるから、向かい側は空けているのだ。
「お茶を淹れました」
「シャルロット様、果物をお持ちしました。よろしければ少しだけでも……」
アンナはお茶を淹れ、リゼットは切り分けた果物を盛った器をテーブルに置く。
お茶はシャルロットの好みに合わせたのか紅茶で、果物はウピンデムガの『デカメロン』であった。この巨大メロンは魔力を多く含むから、ルシールがシャルロットに勧めたのだ。
「ありがとう。おっ、通信筒か……アンナ、アルノーも無事にゴドヴィングに戻ったよ!」
シノブはアンナに、叔父のゴドヴィング伯爵アルノーの帰還を知らせた。
マリエッタの叔父カンビーニ王国の王太子シルヴェリオやエマの父ウピンデ族の族長ババロコも、今回の戦に加勢した。そしてシノブは二人とキルーシ王国のオームィル砦で会ったし、魔法の幌馬車に入るところも見届けた。そのためシノブは、マリエッタやエマに彼らの帰国を伝えている。
しかしテュラーク王国の王都フェルガンに潜入したアルノーの帰還は遅れた。マリィが彼を迎えに行ったが、国境から王都まで450kmほどもあるから当然だ。
「ありがとうございます!」
「礼を言うのはこちらだよ。アルノーは大切な役目を成し遂げた……俺だけじゃなく、多くの人が彼に感謝しているよ」
明るい笑みを浮かべつつ一礼したアンナに、シノブは表情を引き締め応じた。
アルノーはテュラーク王国の国王ザルトバーンと王太子ファルバーン、そして宰相アルズィーンを討った。彼らは宮廷魔術師ルボジェクが禁術に手を出しているのを知っていた上に、積極的に支援していたからだ。
邪術に必要な魔力を補うため、ザルトバーン達はエボチェフや罪人などをルボジェクの研究施設に送り込んだ。そして彼らは何が起きるかも重々承知していた。
この命を弄ぶ非道故、アルノーは断罪に踏み切ったのだ。もっともシノブは詳細を伝える気はなかったから、アルノーが大役を果たしたことだけ伝えた。
しかしアンナはシノブの声音から何か察したらしい。茶器を並べて下がる彼女の瞳には、先刻と違う輝きが宿っているようであった。
◆ ◆ ◆ ◆
「……皆が戻ってきたよ」
暫しの語らいの後、シノブは沢山の大きな魔力の接近に気が付いた。そして幾らもしないうちにサロンの扉が開き、五人の少女と超越種の子供達が現れる。
「シノブ様、遅くなりました!」
『シノブさん、お待たせしました!』
先頭はアミィとオルムルだ。アミィは笑顔で駆け、猫ほどに小さくなった岩竜オルムルが彼女の少し上を飛翔している。
そしてホリィ、マリィ、ミリィ、タミィの四人も同じように足早に寄ってくる。
こちらも上には子供達がいる。まだ飛翔できない玄王亀ケリスは海竜リタンの背に乗り、炎竜シュメイとフェルン、岩竜ファーヴ 、光翔虎フェイニー、嵐竜ラーカ、朱潜鳳ディアスが二頭を囲んでいる。
アミィ達は各国の人々を送ったが、キルーシ王国を除くと十二国で更に一国が一箇所とは限らない。そのため五人で手分けしても日暮れ近くまで掛かったようだ。
一方のオルムルはシュメイ達とファルケ島で合流し、そこから魔法の馬車を使った転移での帰還だ。今回の戦いに際し、シノブはオルムルに呼び寄せ権限を付与し通信筒も渡した。そこで彼女はアミィ達と連絡をし、空いた魔法の馬車を回してもらったわけだ。
「お帰り!」
「お疲れ様でした」
シノブは立ち上がり、シャルロットは笑顔を向けて一行を迎える。
そしてミュリエルとセレスティーヌもシノブに並び、マリエッタやエマも歓声を上げる。更にアンナとリゼットは、アミィ達の分のお茶を準備していく。
「東方探検船団と飛行船の方々以外は、全て帰国しました」
「アルバーノさん達も戻りましたわ。ソニアさんはキルーシに残りましたが……」
「セデジオさんやミリテオさんも、暫く居残りですね~」
ホリィ、マリィ、ミリィはシノブ達の向かい側のソファーへと向かった。
一方、残るアミィとタミィはテーブルの前に寄っていく。そしてアミィは魔法のカバンの口を開け、手を差し入れた。
「お土産です!」
「ファルケ島の海からです!」
笑顔のアミィとタミィは、魔法のカバンから煌めく球体を次々と取り出した。
カバンから出てきたのは、拳ほどもある大きな真珠だ。そして純白、漆黒、真紅など様々な色の宝玉は驚きの表情のシャルロット達へと渡される。
「……シノブ、これは?」
「オルムル達が見つけたんだ。移送魚符で潜ったときにね」
問うたシャルロットに、シノブは笑顔で説明する。
シノブ達がファルケ島と名付けた島は『南から来た男』ヴラディズフや仲間がいた場所だ。そしてヴラディズフ達は真珠採りもする漁師だったらしい。
そのためファルケ島の近海に特大の真珠を宿す深海シャコ貝が棲息しているのは、自然なことであった。
『沢山採れました!』
『大きなものは運べなかったのですが……』
オルムルとシュメイ、そして彼女達に続いて他の子供達も真珠採集の様子を語っていく。
子供達は大型の移送魚符を使い、海中に監視用の発信機を設置していった。そして一抱えもある魔道装置を仕舞える大型だから、設置の帰りに深海シャコ貝を持ってくることも出来たわけだ。
もっとも最大級の深海シャコ貝は貝殻の幅が2mを優に超える。したがって、そこまで大きなものはオルムル達も運搬できなかったという。
「今日だけではないのですか?」
「どうして今まで?」
ミュリエルとセレスティーヌの疑問は当然であった。
真珠の数は二十や三十どころではない。アンナが持ってきた大皿の上に、山のように積み上げられているのだ。
「……戦いが終わるまでって、皆とね」
シノブはシャルロットの隣に座り直し、そして今まで伏せていた理由を明かす。
海神ヤムを倒すまでは、ファルケ島にいる時間も長かった。特にオルムル達が島に行くようになってからは、ヤムの居場所も大よそ見当が付いた。そのためオルムル達も楽しみを後に回そうと思ったらしい。
『心配しながらだとイヤですし~』
こちらはテーブルの上に降り立ったフェイニーだ。猫ほどの大きさになった彼女は大皿に積まれた真珠の一つを両前脚で器用に掴み取り、卓上で転がし始める。
「そうですか……」
シャルロットは微笑み、ミュリエルやセレスティーヌも納得の表情となった。異神との対決を控えた状況では嬉しさも大きく減ずると、彼女達も思ったようだ。
「シャルロット様、この辺りは指輪に出来ますよ」
「ミュリエル様とセレスティーヌ様もどうぞ。ネックレスなどにも良いと思います」
アミィとタミィが出しているのは、小粒なものに移っていた。二人はリゼットが持ってきた盆の上に、指先大から倍くらいの真珠を並べていく。
「マリエッタさんやエマさんもどうぞ」
「他の皆さんの分もありますわ」
ホリィとマリィは、興味津々な二人にも声を掛けた。
多くの場合、深海シャコ貝は複数の真珠を持っている。そのため主だった護衛騎士や侍女に真珠を配っても、充分に行き渡りそうだ。
「よ、良いのかの?」
「ホリィ様、マリィ様、ありがとうございます!」
嬉しげだが遠慮がちなマリエッタ、素直に顔を綻ばせ礼を口にしたエマ。表現は違うが双方とも喜んでいるのは同じだ。普段は武に邁進する彼女達も、浮き立つ声と共に寄ってくる。
◆ ◆ ◆ ◆
フェイニーと同じく、オルムル達も真珠を囲んでいる。
もっとも超越種も雄は宝石への興味が薄いのか、ファーヴにリタン、ラーカにフェルン、そしてディアスはアミィが出したボールを床で転がして遊んでいる。しかしオルムルは純白、シュメイは真紅の珠を手にして宙に浮き、シノブの膝の上でケリスも黒真珠を大切そうに抱えている。
そしてシノブ達は可愛らしい幼子達の様子に頬を緩めながら、今後を語らっていた。
「落ち着いたら皆でファルケ島に行きたいね。海竜の島みたいに暖かいから、この時期でも泳げそうだ」
シノブはシャルロットの出産が終わったら、南海の小島に遊びに行こうかと考えていた。
ファルケ島は北緯31度を幾らか下回る位置にあるから、海竜の島と気候が似ている。そのため今なら最低気温でも20℃近くあるし、条件が良い日なら遊泳も可能だ。
せっかく整備したこともあり、シノブは今後もファルケ島を活用するつもりだった。
ファルケ島は先々南のアフレア大陸との航路で寄港地となるかもしれないが、それまで内輪で使っても良いだろう。そして神々の許可があれば、島のピラミッドに転移の神像を作成しても良い。シノブは、そう思っていたのだ。
「こちらの冬は寒いでしょうから、良いかもしれませんわね」
「アマノシュタットは緯度だけではなく標高も高いですからね……十一月に入ると雪が積もる日もあるそうです」
セレスティーヌやミュリエルも南の島でのリゾートに賛成のようだ。
メリエンヌ王国の大半は低い土地だから、ほぼ同緯度のベルレアン伯爵領の領都セリュジエールでもアマノシュタットより随分と暖かい。それに彼の国の王都メリエは南寄りだから、シノブの体感だとセリュジエールに比べて一ヶ月は冬の訪れが遅かった。
そのためメリエ育ちのセレスティーヌは南海への訪問に大きく顔を綻ばせ、比較的寒い地に慣れたミュリエルも愛らしい笑顔で続いていた。
ちなみにアマノシュタットは、十一月に入ったからといって雪に閉ざされはしない。あくまで日によって多少の降雪があり、たまに軽い除雪が必要になるというだけだ。
しかし更に南で育ったマリエッタや、灼熱のウピンデムガから来たエマは一瞬だが身震いまでしていた。どちらもエンリオなどに連れられ万年雪の残る高山で耐寒訓練をしたから、寒さがどのようなものか実感したらしい。
「そうだね。大砂漠近辺やアスレア地方の南部だと今でも真夏みたいだけどね」
シノブは先ほどまでいたアスレア地方を思い出す。
ヤムと戦った海域やファルケ島は常夏に近い気候だ。それにキルーシ王国とテュラーク王国の国境も、緯度がマリエッタの出身地カンビーニ王国の王都カンビーノと殆ど同じで、更に大砂漠から流れてくる風の影響もあり温暖で過ごしやすい。
したがって冬に入っても、アスレア地方の航路開発は続く予定であった。
アマノ王国からだと最初は大砂漠の南沿岸だが、ここは一年を通して暑さ対策が必要という海域で冬の寒さなど無縁である。続くエレビア王国も、そこまで極端ではないが似たようなものだ。
その先のアズル半島沿岸、アゼルフ共和国の近辺は航路が南に向かっているし、更に先のアルバン王国近辺はファルケ島も浮かぶ温暖な海域だ。問題と言えばアズル半島の沖にある魔獣の海域くらいだが、それも沿岸近くであれば充分に避けられる。したがって暗礁がなければ、順調に東に進める筈だ。
「……交易路の整備だけじゃなく、雇用の確保にもなるしね」
シノブは東域探検船団の司令官ナタリオが記した計画書を思い出しつつ言葉を紡いでいく。
今月中にはアゼルフ共和国の沿岸の調査と寄港地の開発に着手し、遅くとも来月中にはアルバン王国までの航路を確立する。そこからはアルバン王国の船が行き来する海だから、来月末にはアルバン王国の東端まで進みたい。ナタリオは、そう上申してきたのだ。
航路となる各国とは友好関係を築いたし、長距離の魔力無線もあるから旗艦級であれば相当の遠方とも交信できる。それに航路に設ける寄港地も通信網で結んでいくから、順に伝達していけば東端からでもアマノシュタットまで一日と掛からず連絡可能だ。
そのためナタリオの計画は充分に実現可能な内容であった。
これはエウレア地方では余剰気味となった軍人、特にアルマン共和国の海軍軍人やメリエンヌ王国の陸軍軍人にとって非常に大きな朗報である。
先の戦の影響でアルマン共和国は西海での交易の主役ではなくなった。そしてメリエンヌ王国もベーリンゲン帝国を打倒したから軍人が余剰となっていた。
とはいえ戦争が無くなったからといって解雇するわけにもいかないし、アルマン共和国には民間も含めて仕事の場が必要だ。そこで双方とも航路管理や開発した寄港地で生まれる職、要するに港湾維持や警備などに大きく期待していた。
「東域探検船団という臨時の形態から、常設の組織にすべきかもしれませんね」
真面目なシャルロットは、今後の組織運営に思いを巡らせたようだ。それまでの和やかさが彼女の表情から薄れ、統治者としての顔が覗く。
「ああ。アマノ同盟軍……でも、軍隊というのを前面に押し出したくはないな。こちらにも本格的に同盟事務局を置くべきだろうし、向こうも航路開発に通商監督、更に外交担当とね……。
どこも国ごとに置くつもりは無いようだから、アマノ同盟としての組織や施設になりそうだ。そうなれば、ますます本部機能は必要だろうし……」
シノブは欧州連合や国際連合のような組織を思い浮かべる。何らかの常設事務局を置く、個別の国から独立した組織だ。
しかし同時に、そこまでの形に持っていくのは難しいだろうとシノブは感じていた。
現在アマノ同盟の盟主はシノブだが、同盟固有の組織は存在しない。各国の統治者達が寄り集まり、相談をする形である。
今回は纏め役としてベランジェが動いたし、おそらくは今後も彼が同じ役を担うだろう。しかし彼はアマノ王国の宰相であり、同盟に専念されたら国が立ち行かない。
そのため各国から人を出してもらうにしても、上層部は当面兼務になるだろう。多国間連合を動かすほどの逸材は、どの国でもベランジェのように別格の重職にあるからだ。
「シノブ様、そろそろお時間が……」
思案するシノブに声を掛けたのは、アミィであった。彼女とタミィは既に宝玉を出し終わり、ホリィ達と並んで向かい側に腰掛けている。
「ああ、そうだったね!」
「シノブ、何かあるのですか?」
声を上げたシノブに、隣からシャルロットが怪訝そうな顔で問い掛ける。それにミュリエルやセレスティーヌも同じように案じ顔で返答を待っている。
海神ヤムは消滅し、アスレア地方の戦いも一応は集結した。ならば、もう今日はどこにも行かないだろう。三人は、そう思っていたに違いない。
ベランジェ、シメオン、マティアスといった重臣達もアマノシュタットに戻ったし、マティアスと共に防衛戦に加わったエンリオなどの武人も帰還した。そして既に夕方となったこともあり、彼らも今日はゆっくりする。
したがってシャルロット達は、シノブも同じように寛ぐと思ったに違いない。
「ああ、俺からも三人にね。オルムル達からの贈り物だけってわけにはいかないよ」
シノブはシャルロット達に意味ありげな笑みを向ける。そしてシノブはケリスをタミィに預け、アミィと共にサロンを後にした。
◆ ◆ ◆ ◆
日没から暫くして、シャルロット達は晩餐の場へと場を移した。この日はアスレア地方の状況次第で予定が変わりかねないから特別な行事も無く、場所はアマノ王家の私的な場『陽だまりの間』で、そこに向かう者達も極めて僅かだ。
まず王家からシャルロット、ミュリエル、セレスティーヌ。そしてホリィ、マリィ、ミリィ、タミィの眷属達である。ちなみに超越種は人間の食べ物に興味を示さないから、オルムル達は別の場で遊んでいる。
あれからアスレア地方を含め平穏なままだ。そのためホリィ達も時々転移の手助けなどで席を外しはしたが、殆どの時間をサロンで過ごした。
それ故シャルロット達はシノブとアミィが何をしているのか疑問に感じつつも、贈り物が出てくる瞬間を待つことにしたようだ。もっともシャルロットは、夫が何をしているか大よそ察していたらしくもある。
「これは……シノブ、貴方が?」
問い掛けるシャルロットの表情は、穏やかな笑みのままだった。やはり彼女は夫の考えに気付いていたのだろう。
礼儀正しいシャルロットは、シノブの苦労に報いるべく驚きも顔に浮かべている。しかし彼女の美貌に最も強く表れているのは、心からの喜びであった。
「ああ、俺の最高傑作だ! ……なんてね!」
妻達の訪れを待っていたシノブは満面の笑みを浮かべ少々芝居じみた仕草で、自身の目の前に並ぶ品々を指し示した。それは確かに労作、シノブが作った数々の料理である。
そしてシノブは同じく笑顔のアミィと共に、シャルロット達に寄っていく。
「これを!」
「まあ!」
ミュリエルとセレスティーヌが目を丸くして大きな声を上げた。二人は心底から驚いたようで、絶句するのみだ。
そんな中、シャルロットは両脇に付き添うタミィやホリィと共に前に進む。そして後ろにはマリィとミリィだ。
どうやらタミィ達は邪魔をしないようにと気を使ったらしい。普段と違い、人一倍賑やかなミリィですら口を挟もうとしなかった。
「アミィから教わったんだ……暫く前からね。練習場所は魔法の家だよ」
魔法の家にはキッチンがあるから、シノブは王宮の厨房を使わなかった。そのためシノブがアミィから料理を習っていたと知る者はいなかったようだ。
とはいえ同じ部屋で暮らすシャルロットには、何かしら感じ取れるものがあったのだろう。共に進んできたミュリエルやセレスティーヌの顔には純粋な驚嘆が浮かんでいるが、シャルロットの笑みは二人と僅かに異なっていた。
「北極圏の竜の島に行ったときとか、お教えする機会は幾度かありましたから」
アミィはオルムルが一歳を迎えたときの遠征を挙げた。八月の半ばに岩竜と炎竜の故郷に行った、片道でも一日掛かりの大旅行だ。
あのときは竜の聖地で更に極寒の場所ということもあり、同行したのはシノブやアミィだけだ。それに長時間の移動といってもシノブ達はアマノ号の上に置かれた魔法の家にいるだけだから、練習の時間は幾らでもあった。
同じように各所への移動や待ち時間で、シノブは何度か料理の腕を磨いていた。
「君もご飯を好きになってくれたし、お粥は消化に良いからね。玄米を使ったし、野菜も沢山入れたよ。こちらは……」
シノブはシャルロットの腕を取り、席へと誘う。
並んでいる料理は和洋折衷というべき品々だが、殆どに共通するのは身篭ったシャルロットへの配慮だ。もちろん、それらを初心者のシノブが考え出せるわけはなく、アミィの監修である。
しかし、どれもシノブが作った料理であるのは間違いない。
玄米粥はビタミンやミネラル、それに食物繊維を多く含んでいる。それに一緒に煮込んだ野菜も同様に、不足しがちな栄養分や鉄分、カルシウムなどを多く含んだものである。
調理や味付けは天野家の伝統、地球でシノブの母である千穂が持たせてくれたメモに従った。千穂は子を宿したシャルロットに相応しいものも教えてくれたのだ。
アマノ王家はシノブに倣いご飯も頻繁に食べるし、教わった粥も幾度となく出している。そのためシノブは妻への愛を示す品として、母の味をアミィに助けられ再現した。
「……和風なものばかりも良くないだろうし、こちら風の料理も作ったよ。食べやすいように煮込みにしてみたけど……それに、あまり難しくないしね」
少しばかり自慢めいているとは思いつつも、シノブは料理の紹介を続ける。
今度は豚肉や豆を中心にした野菜を煮込んだ品、ポークビーンズと呼ぶべきものだ。やはり消化に良く栄養配分を重視したメニューである。
他にも具を多く入れた野菜スープなど、多くはシャルロットを第一に考えた品々だ。
「そういうのばかりもどうかと思ったから、アマノ牛のステーキも作ってみた。小さめにしているから、あまり胃にもたれないだろうけど……どちらかというと俺達用かな?」
シノブはミュリエルやセレスティーヌに視線を向けた。
王室御用達の肉牛のステーキに、アフレア大陸から得た魔法植物を用いたサラダやデザートも食卓を飾っていた。それに出してはいないが食後の一品として、セレスティーヌが好むチョコレートを使ったスイーツもある。
もっともスイーツはアミィの作で、シノブは関与していない。シノブが覚えた品々は男料理を少し踏み出した程度だから、当然ではある。
「シノブお兄さま、凄いです!」
よほど驚いたのかミュリエルは近ごろ口にしなくなった呼び方に戻っていた。もっと本人は気が付いていないらしく、溢れんばかりの賞賛で煌めく瞳で真っ直ぐシノブを見つめている。
「もっと頑張らなくては……」
セレスティーヌは料理の腕でシノブに負けたと思ったらしい。喜びの笑みを浮かべつつも、声には強い決意が滲んでいた。
「付きっ切りでアミィが指導してくれたからだよ! だからアミィ先生のお陰ってことで! さあ、皆!」
シノブはセレスティーヌに笑いかけ、更に皆に着席を促した。そしてシャルロット達はシノブに負けない嬉しげな顔で頷くと、それぞれの席へと着く。
◆ ◆ ◆ ◆
「それでは、『全ての命を造りし大神アムテリア様に感謝を』……そして母さんとアミィにも」
シノブは正式な食事の際の祈りと共に、生みの母と最も信頼する導き手への感謝も捧げた。
これらの多くは千穂のメモに記された調理法をそのまま用いたか、影響を受けた料理である。それ故シノブが母に感謝するのは当然、そしてメモを元に見本を示してくれたアミィにも礼を伝えるべき。シノブは、そう考えたのだ。
「『全ての命を造りし大神アムテリア様に感謝を』……そして、お義母様とアミィに」
シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌも同じことを思ったようだ。三人もシノブの二人の母とアミィへの感謝を口にする。
「さあ、食べて! 味は保証するよ、俺じゃなくてアミィ先生がね!」
「はい、自信を持って満点を贈ります!」
シノブとアミィが促すと、シャルロット達は料理に手を伸ばす。
何れも手に取ったのは、お粥を入れた茶碗だ。おそらく彼女達は、最も和食らしい品から千穂の味を感じようと考えたのだろう。
シャルロット達は随分と箸に慣れたが、今回は緩めの粥ということもあってシノブは木製の匙を添えた。そのため長くアムテリア達に仕えて和の文化を極めた筈のアミィ達も、同じように黒檀製の品に手を伸ばす。
「美味しいです……シノブ、ありがとうございます」
一匙口に運んだシャルロットは、そのまま目を閉じる。そして同時に彼女の頬を美しい煌めきが伝っていく。
「本当に……」
「とても優しい味ですわ……」
ミュリエルとセレスティーヌも、陶然とした表情のまま動きを止めていた。彼女達は涙こそ零さなかったが、シャルロットと同じ感動を抱いたのは間違いない。何故なら二人の艶やかな頬は先刻にも増して綻び、広間を照らす灯りに負けない輝きを放っていたからだ。
「それは光栄だね。これからは、時々こうやって料理もしようと思うんだ。先の話だけど、俺達の子供にも食べさせたいから……」
シノブの心にあるのは、まずシャルロットのためという思いである。しかし妻のため頑張ったと主張するのも押し付けがましいと思ったシノブは、将来子供に食べさせるためと口にした。
「まあ……」
目を見開いたシャルロットの顔には大きな笑みが浮かんでいた。
子供が離乳食を口にし始めるのは半年近く先のことだから、随分と気が早いと思ったのか。それとも、やはり言葉から照れを察したのだろうか。どちらにせよ、彼女は朗らかな笑みを夫に向けていた。
「シノブ様~、良いパパですね~」
褒めるミリィだが、少しばかり冷やかすような口調でもあった。
先ほどまで、ミリィはシャルロット達に遠慮していたらしい。しかし彼女は、そろそろ我慢が出来なくなったようだ。それとも彼女は、更に喜ばしい雰囲気を増そうと思ったのだろうか。
「パパ……とは?」
「お父さん、という意味です」
「ママがお母さんですわ」
シャルロットが小首を傾げると、ホリィとマリィが同僚の言葉を補う。
この世界では使われている言語は日本語である。そして外来語で表現した方が適切なもの以外は、日本の伝統的な言葉が使われていた。そのためパパやママという言葉は、シャルロット達にとって馴染みがないものであった。
したがって本来ならミリィの発言は、アムテリアの定めに反したとして非難されかねない。しかし慶びに溢れた日だからか、アミィやタミィを含め細かいことを言うのは止めたようだ。
「ああ、良いパパになるよ! ヤムの件も片付いたし、これからは国王や盟主だけじゃなく、夫や父親としても頑張るつもりだ!」
「シノブ……」
力強く宣言したシノブに、シャルロットは全幅の信頼を宿した顔を向ける。彼女は、そしてミュリエルやセレスティーヌは、これで何も案ずることはないと言わんばかりの晴れやかな表情でシノブを見つめ続けた。
「さあ、食べて食べて! 本当に今までで最高の出来なんだから!」
再度のシノブの催促に、それぞれは再び料理に手を伸ばす。そしてシノブ達は多くの思いが篭もった味を、心行くまで堪能した。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年3月7日17時の更新となります。