05.02 庭園に咲く薔薇の花 後編
シノブ達は、伯爵の第一夫人カトリーヌの居室へと向かっていた。
シノブとカトリーヌの下に向かうのは、アミィとシャルロットである。ミュリエルは母である第二夫人ブリジットの居室へと帰るが、そこまでは遊び相手であるミシェルと一緒に、シノブ達に同行していた。
ミュリエルとミシェルは、プレゼントのブローチが大層気に入ったらしい。ミュリエルは薔薇の、ミシェルは蝶のブローチを胸に付けたままであった。
「シノブお兄さまとシャルロットお姉さま、呼び方を変えたんですね」
ミュリエルは両脇を歩くシノブとシャルロットを見上げ、その顔を交互に見る。彼らはミュリエルを中心に三人で手を繋いで歩いていた。
ミュリエルは、およそ一月ぶりに帰ってきた姉となるべく一緒にいたいらしい。そして兄と慕うシノブの帰還にも大喜びであったので、自然と三人で寄り添って歩いていた。
ミュリエルの遊び相手であるミシェルも、アミィと仲良く手を繋ぎ後に続いている。
伯爵家の使用人達は、彼らの様子を微笑ましげに見守っていた。
「ああ、シャルロットとも旅の間に仲良くなったんだ。ミュリエルと同じさ」
さすがに9歳の少女に『彼女を支えていきたいと誓った』と答えるのも気恥ずかしく思ったシノブは、そのように説明した。
「ミュリエル。シノブは私のことを『支えていきたい』と言ってくれたのだ」
シノブの気持ちを知ってか知らずか、シャルロットは妹に微笑みながら伝える。
「うわぁ、素敵ですね……シャルロットお姉さま、おめでとうございます!」
ミュリエルは姉を祝福する。シャルロットの顔を見上げるミュリエルは、憧れの混じった喜びの表情を浮かべていた。
アミィといい、シノブは気の早い祝福だと思った。だが、15歳で成人し二十歳前には結婚するのが普通だというこの王国では、ごく普通の反応なのかもしれない。
おそらく、晩婚化が進んだ現代日本人の感性を持つシノブと若くして結婚する彼らの違いなのだろう。
「シノブさま、シャルロットさまとご結婚されるのですか?」
ミシェルも気になったのか、後ろから声をかける。
「う~ん。その……伯爵にお許しをいただいたり、色々あると思うけど……いずれは……ね」
瞳を輝かせて見上げる少女達に、横を歩くシャルロットの期待の眼差しである。
他の人から聞かれたなら話を逸らしたかもしれないが、この状況でいい加減な答えが出来るはずもない。シノブは真っ赤になりながら、途切れ途切れに彼女達に告げた。
彼の恥ずかしげな小声での説明に、少女達は大きな歓声を上げた。
周囲にいた侍女や侍従達は一瞬驚いたような顔をしたが、主の娘達の嬉しげな様子に慶事であると悟ったのか、すぐに落ち着きを取り戻し彼女達の様子を見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
カトリーヌの居室へ訪れたシノブ達三人。
早速シノブはカトリーヌの診察をする。
「……経過は順調だと思います。赤ちゃんもだいぶ大きくなっていますよ」
シノブは、カトリーヌへの魔力感知をやめ、彼女に胎児の様子を告げた。
カトリーヌのつわりも続いているらしく吐き気やだるさがあるようだが、彼女はシノブの言葉ににっこりと微笑んだ。
「私にもわかりやすくなって来ましたね。先月はまだかなり集中しないと感じ取れなかったのですが……」
アミィもニコニコ笑いながらカトリーヌへと告げる。
まだまだ数cmくらいの胎児だが、シノブやアミィには、ときおり動いているのも感じ取れる。
そのことを告げると、カトリーヌやシャルロット達は目を丸くしていた。
「おそらく、来年の5月終わりか6月頭のご出産だと思いますよ」
アミィはカトリーヌに説明を続ける。
シノブは魔力感知で胎児の様子はわかるが、18歳の彼にはカトリーヌの様子から産み月を知ることなどできない。だが、女性であるアミィには彼女の状態からおおよその見当がつけられるのだろう。
「ええ。侍女や治癒術士もそう言っておりました」
アミィの予想は当たっていたようだ。
カトリーヌは彼女に優しく微笑み、伯爵家の女性陣や治療院でも同じように予測していると答えた。
「もう一月ほどすると随分楽になってくると思いますけど、今は辛抱してくださいね」
アミィは、つわりが酷いのか若干顔色の悪いカトリーヌを励ました。
「ええ、大丈夫です。それにシノブ様やアミィさんも戻ってこられたし、とても心強いです」
アミィの言葉に、カトリーヌは気丈に微笑んで見せた。
「母上、シノブとアミィだけではありません。私もついています。治癒魔術は使えませんが、身の回りのことは何でもお申し付けください」
カトリーヌの隣に座っていたシャルロットは、母の手を優しく両手で包み込み励ますように告げた。
「あなたには軍務があるでしょう? お義父様がいない間、あなたにはやる事が沢山あるはずです。
それよりシャルロット。あなた、シノブ様の事を……」
シノブを呼び捨てにしたシャルロットに、カトリーヌは驚いたようだ。
彼女はその目を見開くと、娘に似た青い瞳でシノブとシャルロットの顔を交互に見た。
「カトリーヌ様。その……私は、シャルロットを一生支えていきたいと思っています」
シノブは、自分を見つめるシャルロットの視線に促され、カトリーヌに己の意思を告げる。
いきなり『娘さんを下さい』という展開になるとはシノブは思っていなかった。だが、シャルロットと一緒にカトリーヌを訪問する以上、この話題が出ないほうがおかしいというものだ。
「まあ……シャルロット、良かったですね」
カトリーヌは、シノブの言葉に一瞬驚いたようだが、すぐに笑顔になり娘を振り向き笑いかける。
「この子には中々似合いの方が現れず、案じていたのです。
当家は武門の家柄です。お義父様や主人に並び立てない方を婿に迎えるわけにはいきません。
それに我が娘ながら、この子の武人としての能力は飛びぬけたものだと思います。この子が尊敬できる実力を備えた殿方が現れてくれないかと願っておりました」
カトリーヌはその優しい目から一筋の涙を流しながらシノブに微笑みかける。
「なまじ武芸の才能を持ったばかりに、この子にはいらぬ苦労をさせてきたと思っていました。
本来ならあの庭園に咲く薔薇のように美しく華やかに咲き誇っていられたのです。
それが私が男の子を産めなかったばかりに……だんだん刺々しくなっていく娘の姿を見て、己の至らなさを呪ったものです。
ですが、それも神々が与えた試練だったのでしょう。こうして相応しい方を見つけることができたのですから。
シノブ様、どうかこの子と末永く歩んでやってくださいませ」
カトリーヌはシノブに向かって静かに頭を下げた。
優雅な彼女の仕草に合わせて、緩いウェーブを描いた長いプラチナブロンドが、その顔へと零れる。
「顔を上げてください! その、まだ先の話ですから!
まだ伯爵にもお許しをいただいていませんし……それに外国人の私と結婚をするには、色々あるのでは?」
シノブは慌ててカトリーヌに頭を上げてほしいと伝える。
現代日本人の考え方が抜けない彼からすると、まずはお付き合いを許してもらえれば、という程度の考えだった。しかし彼の予想とは異なり、事態は急展開していくようだ。
「まあ、何をおっしゃるやら。
主人ならすぐにでも結婚してくれと言うに決まっています。家臣も竜を従えたというシノブ様なら諸手を挙げて歓迎するでしょう。
それに、私の父は先王、兄は国王です。反対する者がいるなら王家からお墨付きをいただくだけですよ」
顔を上げたカトリーヌは、シノブの言葉が意外だったらしく、思わず笑いをこぼしていた。
だが、その一方で優しく気遣いをする彼女らしく、伯爵や家臣の反対などないだろうと告げていた。
シノブが不安そうな表情をしたのが気になったのか、王女だということを普段は口にしない彼女にしては珍しく、王家の名まで出して安心するようにとシノブに語りかけていた。
「はあ……その、ありがとうございます……」
シノブは、とりあえず反対されなかったのでホッとしながらお礼を言う。
「女は好きな殿方に嫁ぐのが一番です。貴族に生まれた以上、そう都合良く嫁げるとは限りませんが……。
シャルロット。私もあなたのお父様に憧れて、父上とお兄様にお頼みして嫁入りさせてもらったのですよ。幸い、コルネーユ様も優秀な方でしたので、すぐお許しいただけましたけど」
よほど嬉しかったのか、カトリーヌは自分と伯爵コルネーユ・ド・セリュジエの馴れ初めを娘に説明しだした。
「父上を見込んだ陛下が先王陛下にお頼みしたと聞いていましたが……。
それに、母上と父上の婚約が決まったのは随分早かったはずですが?」
母の告白がシャルロットには意外だったらしく、カトリーヌに聞き返す。
「私がお願いしたのです。
表向きはお兄様が頼み込んだことになっていますが……コルネーユ様は若い頃から優れたお方でしたから、私がお頼みしなくても同じ事だったかもしれませんね。
それに、この方と決めたら年齢は関係ありませんよ」
カトリーヌは幸せそうな笑顔を浮かべ、娘に自身の結婚の裏事情を語る。
「そうでしたか……母上、ありがとうございます」
シャルロットは、ずっと握っていたカトリーヌの手を離すと、彼女に頭を下げた。
「あなたをお嫁に出す日が来るのをずっと夢見ていました……幸せになりなさい。
いえ、私が言うまでもありませんね。シノブ様は当家に沢山の幸を授けてくださいました。
きっと、あなたも幸せにしてくださいます」
カトリーヌは頭を下げる娘を、優しく抱きしめた。
「あの……シノブ様。そろそろお時間ですが……」
感動に包まれる母娘とそれを見守るシノブに、アミィが恐縮しながら声をかけた。
スマホから引き継いだ機能で時間を正確に把握できる彼女には、伯爵と約束した16時が近づいているのがわかったのだろう。遠慮しながらシノブ達に執務室を訪れる時間が来たことを伝える。
「あら、楽しい時間が過ぎるのは早いものですね。シノブ様、娘をよろしくお願いします。
さあ、シャルロット。あなたのお父様にも吉報を教えてあげなさい」
シノブ達は、カトリーヌの笑顔に見送られ彼女の居室を辞した。
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