20.36 決意と休息 前編
出産予定日まで後三週間となったシャルロットだが、『小宮殿』の庭に出るくらいは問題ない。もっともシノブやアミィ、タミィが付き添い、更に周囲を多くの侍女や護衛騎士が固めてという厳重極まりない状態ではあったが。
もっともシノブがいれば、いざというときは短距離転移で一瞬にして出産の場に移送できる。しかもシノブの短距離転移は周囲の者達も伴えるから、アミィや侍女にして治癒術士のアンナなど分娩に携わる者達も合わせて移動可能だ。
そのため今日もシャルロットは、早朝訓練を見守るべく天幕の下に置かれた専用の椅子に納まった。
シャルロットの左右にはアミィとタミィが並び、アンナやリゼットなどの侍女達が後ろに控えている。そして大抵は、手前で弟子達や指導を求める女騎士達が型を披露したり打ち合いを見せたりと華やかでありながら活気溢れる光景を繰り広げる。
しかし、この日は少々異なっていた。
シャルロットの正面は広く空けられている。そしてマリエッタやエマなどの弟子、小宮殿護衛騎士隊の隊長サディーユ以下の女騎士は、アミィとタミィの更に脇に並んでいる。
男性の騎士や従者も、訓練を始めずに見物へと回っていた。騎士はシノブの親衛隊長であるエンリオや彼の配下の若者達、従者は筆頭のレナン以下の少年達である。
一同が見つめる先には、刀を手にしたシノブがいる。そしてシノブの前に、人の胴を超える太さの鉄柱が屹立していた。
もちろん刀は昨日得た夜刀之鋼虎、陸奥の国の鍛冶姫が作りし名刀である。これからシノブは、ドワーフの姫にして刀匠である夜刀美の作を披露するのだ。
「綺麗……」
「静かに」
武に疎い者達、侍女の一部が嘆声を零した。しかし古参のアンナが密やかに窘める。
とはいえ、うっとりとした声が上がるのも無理からぬことであった。シノブの掲げるヤマト太刀、夜刀之鋼虎は朝日を受けて眩い輝きを放っていたからだ。
美麗にして繊細、そして清冽。これが人の命を奪う道具なのかと思うほどの芸術品めいた姿。しかも空からの清らかな光が、ますます彩りを添える。
男女を問わず騎士や修行に励む若者達も、声こそ漏らさぬものの呆けたように刀身を見つめている。
「フライユ流大剣術『天地開闢』……」
シノブは技の名を呟くと、構えに入る。
体を沈めると同時に、シノブは夜刀之鋼虎を左に倒す。そしてシノブは間を置かずに、無造作とも感じる自然な流れでヤマト太刀を右へと振り抜く。
風を斬るどころか、空間すら両断したかのような一刀。しかし、どれほどの者が正しく剣筋を見極めただろうか。修練をしていない侍女達どころか、修行に励む者達ですら高位の一部以外は構えの前と後しか目に映らなかったであろう。
もっとも、そのことに関して驚く者はいない。この場に集う者達は、練習とはいえシノブの剣技を日々目にしているのだ。シノブの剣閃が己の目に残らないのは、彼らにとっては日常のことである。
もちろんシャルロットやエンリオにサディーユなど、それにマリエッタやエマ達は別だ。この特別な高みに達した、あるいは手を掛けようとしている者達は、感嘆と理解の表情となっている。
それにシノブの従者でもエンリオの孫ミケリーノやマティアスの子エルリアスにコルドールなど、一部の血筋に恵まれ修練も積み重ねた少年達は別らしい。彼らは主の技から何かを得たのだろう、興奮で頬を染めていた。
そして静寂は、シノブの次の動作で終焉を迎えた。鉄柱に歩み寄ったシノブが切断した上半分を押し退け、鏡のような斬り口を顕わにしたからだ。
「おお!」
「見事な!」
朝日に眩い断面を目にした者達は、呪縛から解き放たれたように声を上げる。そして妻の側へと歩む若き王を、彼らは歓声と拍手で称えていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ、お疲れ様です。……素晴らしい切れ味でしたね。やはり他とは違うのでしょうか?」
シャルロットは夫を温かい声と表情で労った。しかし彼女の興味は、夜刀之鋼虎にも向いているようだ。
ゆったりした椅子で迎える凛々しく美しき王妃の視線は、黒鞘に収めたヤマト太刀にも向けられていた。
「そうだね、魔力の通りが格段に良いのは間違いない。おそらく製法と素材の相乗効果だね……光の大剣や魔法の小剣、それに神槍とかに近い」
シノブはシャルロットの斜め前に立つ。
既にマリエッタや彼女の学友の伯爵令嬢達、それにウピンデ族のエマなどは稽古を開始している。そのためシノブは、妻の視界を塞がないようにと避けたのだ。
「聖人の作にも届きそうですね。ミステル・ラマールが残した宝剣や、ガルゴン王国の炎の細剣などです。たぶんシノブ様の見立ての通り、将弩さんの鋼材だからでしょう。
聖人は自身の大きな魔力を作品に込めますが、そこまで至るのは不可能に近い難事です。しかし鍛冶に関しては、超一流の達人なら並べるのだと思います」
「アミィお姉さまの言う通りだと思います! 聖人の魔力量は別格ですから!」
アミィとタミィの評を聞き、アンナやリゼットは顔に納得を浮かべつつも少しばかりの苦笑を湛えた。アンナを始めとする侍女達は、目の前にいる狐の獣人の少女達が聖人と並ぶ存在だと承知しているからだ。
おそらくアンナ達は、アミィやタミィなら同じような聖剣を作ると思っているのだろう。
「それと、夜刀之鋼虎は更に魔力を溜められるみたいだ。技を使う前に魔力を注いだけど、その分がまだ残っている。
これは他に無い特徴だね。聖人の武具にしろ、光の遺宝にしろ、使い終われば元の状態に戻るから……」
「更なる聖剣に育つということですか?」
シノブの言葉を聞き、シャルロットは僅かに首を傾げた。彼女も夜刀之鋼虎を優れた刀だと感じてはいるが、聖人の作や神具に無い長所を持つとは思っていなかったのだろう。
「その可能性はある……ただ、聖人の武具は既に充分に育った状態かもしれない。それに光の遺宝に、これ以上はないだろうし……」
シノブの推測を聞いたシャルロットは、柔らかな笑みを浮かべた。
聖人の作に成長の余地があったとしても、聖人自身や伝説の英雄達が使っているうちに充分な魔力が注がれ育ちきった可能性はある。それに神具は最初から完璧といえる性能を誇っている。何しろ神が作りし品だから、多少の使用で大きく変ずる方が不自然だろう。
第一、光の大剣を始めとする神具は使用時に魔力を注入すれば幾らでも切れ味が増す。そのため普段から大魔力を溜め込む必要はないし、現状でも許された者以外は近寄り難いほどの神気を放っている。もし神具が更に魔力を蓄積したら、帯びて人前に出ることすら困難となるだろう。
「……暫く手元に置いて様子を見るよ。昨日も話したけど、気になる情報も掴んだからね」
シノブは曖昧な表現で、ヤマト王国で知った大和之雄槌の一件を示した。
この失われた神刀について、シノブはシャルロットやアミィ、タミィに即刻伝えた。時期的に神刀がバアル神やヤムの手に渡った可能性があるからだ。
アミィ達が石板を解読した結果だと、『南から来た男』ヴラディズフがバアル神の使徒となった時期は、大和之雄槌の紛失より後のことらしい。
おそらく紛失が七百二十数年前、そしてヴラディズフ達が刻んだ石板は最も古くても七百二十年以前ではなかった。そのため日本にある神域から対応するヤマト王国の神域に渡った異神達が、西に向かう前に神刀を盗んだ可能性は充分にある。
もちろんシノブ達は推論を並べているだけではない。
既にシノブはミリィをヤマト王国に送った。彼女は大和之雄槌が失われた場所、ナムザシへと赴いたのだ。
このナムザシは地球なら関東地方の南部に相当し、その中のカミタには聖域がある。そして先日、カミタはシノブが管理する土地となった。実質的な管理は現地の神官達が続けているが、名目上は北に隣接するアシタと合わせてシノブが預かる土地なのだ。
そのためミリィは、まずカミタの神官達から話を聞くことにしている。時差の関係上、ミリィがヤマト王国に渡ったのは今日になってからだが、最低限の話であれば幾らもしないうちに聞き取るだろう。
「そうですね……ところでシノブ、つい今しがた父上からお礼の文が届きました。貴方が試斬に入る直前のことです。
メイニーさんとフェイジーさんが今朝早くセリュジエールの館に現れ、ピエの森に棲むと断りを入れたそうです。もちろん父上や母上、そしてブリジット殿も大喜びです」
シャルロットは、実家であるベルレアン伯爵家の出来事に話題を転じた。やはり彼女も、侍女達の耳目を気にしたようだ。
ミリィと入れ違うように、光翔虎のメイニーとフェイジーはエウレア地方へと戻った。二頭は陸奥の国で語った通り、メリエンヌ王国のベルレアン伯爵領北部に広がるピエの森を棲家と定めたのだ。
ピエの森はエウレア地方の北部では最大の森林で、しかも魔力が非常に濃く大型の魔獣が多い。そして、この世界でシノブが最初に目にした場所でもある。
本来、光翔虎は南の森林を好む。しかし現在のところ南部で彼らに適した場所には、全て光翔虎の棲家が存在した。
そのためメイニー達は、北でも標高が低く広葉樹が豊かなピエの森を選んだ。条件が合う上に、シノブと強い縁がある場所というのも気に入った理由の一つらしい。
一方シャンジーは、健琉達が都に戻ってから引き上げる予定だ。したがって彼の帰還は半月少々先になるだろう。
もっともシャンジーは帰還してからもアマノ王国とヤマト王国を行き来して暮らすという。彼は弟分であるタケルが王太子として歩む姿を見守り、必要があれば今後も支援したいようだ。
「それは良かった! そうだ、そのうちベルレアンやピエの森にも行ってみよう! 君が身軽になれば幾らでも訪問できるからね! アヴ君にブリジット殿の赤ちゃん、そして俺達の子供……楽しみだね」
シノブはシャルロットの歳の離れた弟と、もうすぐ生まれる赤子達を思い浮かべる。
五月に生まれたアヴニールは、順調に成長している。ここのところシャルロットを連れて行けないから足が遠のいているが、先月末ごろ会った時は早くもハイハイまでしていた。
もっともアヴニールは這い始めたばかりで、義兄の欲目も大いにあるとシノブ自身思った。しかしアヴニールが、他の子より随分と先を行っているのは間違いないようだ。
そしてシノブとシャルロットの子、ベルレアン伯爵コルネーユと第二夫人ブリジットの子は、来月の初旬に生まれる予定だ。つまりシノブは来月、我が子と二人目の義弟を得る。
シノブは地球に妹の絵美がいる。兄妹の仲は良く、シノブは絵美を可愛がったし絵美もシノブを慕っていた。そして離れ離れになった今でも自身の心に変化はないし、おそらく妹も同じだとシノブは思っている。
とはいえシノブは絵美や両親と会えないから、こちらの家族や親族との関係をとても大切にしていた。そして新たな家族や親族の誕生も、シノブにとって非常に喜ぶべきことである。
「私も楽しみです。そして、この子も……」
シャルロットは幸せそうな顔で我が子が宿る場へと手を伸ばした。そして彼女は慈母の表情のまま、鍛錬に励む少女達を見つめる。
それは、まさに国母と呼ぶに相応しい姿であった。
シャルロットの慈しみは自身の子だけではなく、慕う弟子達に、そして更に多くの子供達に向けられている。深く青い瞳に満ちる穏やかにして強い光と優しく包み込むような笑みが、彼女の意志の強さと愛の深さを如実に示している。
囲む者達も顔を更に綻ばせる。もちろんシノブも同様だ。シノブは人々を照らす陽光を体現したかのような妻に目を細めつつ、素晴らしい女性に巡り合えたことに感謝を捧げていた。
◆ ◆ ◆ ◆
早朝訓練を終えたシノブを迎えたのは、見知らぬ六人の子供達であった。
ここは朝食などに用いる『陽だまりの間』で、従者や侍女の少年少女がいてもおかしくない。現に六人の外見は五歳か六歳くらい、将来を考え早くから王家に預けられた子供の最年少と同じくらいの背格好である。
しかし六人は、シノブの知らない顔であった。
「シノブさん! この姿、どうですか!?」
「私は可愛いと思いますけど……」
「可愛いですよね~!?」
先に寄ってきたのは三人の女の子だ。見習いの子と同じ服を見せるように引っ張りつつ、幼子達はシノブを見上げている。
その後ろにいる残り三人は、男の子であった。見習いも従者はズボン、侍女はスカートだから性別は見れば判る。それに手前の子供達は髪も長くリボンをしているのに対し、後ろの子は短くスッキリと髪を纏め飾りはない。
ちなみに『陽だまりの間』には、既にシャルロット、ミュリエル、セレスティーヌ、アミィにタミィと揃っている。しかし五人の女性は、シノブの反応を楽しむかのように口を噤んだままであった。
「ああ、可愛いよ……オルムル、シュメイ、フェイニー。それにラーカとリタン、ファーヴも男の子っぽくて良いね」
シノブは手前の三人の頭を撫でつつ、後ろの男の子達にも視線を向けた。
男の子は従者の制服だから上がブレザーで中はワイシャツ、そして下が長ズボンに革靴と見慣れたものだ。それは女の子のワンピースドレスも同じで、そこまではシノブが普段接している子供達と全く変わらない。
しかし子供達が放つ魔力波動は人のものではなく、シノブが良く知る四種の竜と光翔虎の魔力であった。
子供達の正体は、人間そっくりの木人だ。それもヤマト王国のヒミコが使っていたものと同じ、発声や肌の質感も含めて人と見分けが付かないほど精巧な品である。
三人の少女は人族が二人に獣人族が一人だ。岩竜オルムルが金髪碧眼の人族、炎竜シュメイが赤毛と琥珀色の瞳の人族、光翔虎フェイニーが金の地に黒い縞の髪に金眼の虎の獣人である。
そして三人の男子は全員人族であった。嵐竜ラーカが銀髪に近いアッシュブロンドに緑の瞳、海竜リタンがラーカと同色の髪に青い瞳、岩竜ファーヴがオルムルと同じ金髪碧眼だ。
これらをシノブは魔力波動で読み取ったから、驚きからもすぐに立ち直った。
オルムル達は、先日から移送鳥符に憑依する訓練を重ねている。そして昨日、年少のシュメイやファーヴも符に乗り移れるようになった。
この精巧な木人は、メリエンヌ学園の研究所にでも頼んだのだろう。おそらく訓練用か何かだろうと、シノブは想像していた。
「ありがとうございます!」
「良かった!」
「エディオラさんにお礼しなくちゃ~!」
オルムルの宿った木人は満面の笑みを浮かべ、シュメイのものはホッとしたような表情で溜め息を吐いた。そしてフェイニーの虎の獣人型は、頭上の耳がピンと立ち尻尾も大きく振られている。
表情といい動きといい、真実を知るシノブですら本当の人間のように思えてくる素晴らしさだ。
「これで一緒に街に行けますね!」
「元の姿だと驚かれるから!」
「でも、これなら大丈夫!」
それに後ろのラーカ、リタン、ファーヴも、ニッコリと男の子らしい無邪気な笑みを浮かべたり互いに手を取り合って喜んだりと、こちらも実に自然であった。確かに、これなら街に出ても問題なさそうだ。
「街歩きか……そうするとフェルンとディアス、ケリスは?」
シノブは更に幼い三頭を探す。
まだ生後三ヶ月半を過ぎたばかりの炎竜フェルンと朱潜鳳ディアスは、符への憑依を習得していない。もちろん誕生から二十日を過ぎたばかりの玄王亀ケリスも同様だ。
魔力波動からすると、フェルン達も『陽だまりの間』にいる。しかし脇に置かれたソファーの陰らしく、シノブの視界に入っていなかったのだ。
『こうなりました~!』
『屈辱です……』
ソファーの上から浮かび上がったのは、全長30cmほどの赤い鳥と竜のぬいぐるみであった。どうやら鳥にディアス、竜にフェルンが入っているらしい。
フェルンやディアスは既に小さくなる腕輪を授かっている。そのため彼らは着ぐるみに合わせた大きさに変じることが出来るのだ。
「ケリスは、こうです!」
タミィがソファーへと駆け、桃色の亀のぬいぐるみを掲げた。やはり魔力波動からすると、小さな玄王亀が中に入っているようだ。
こちらは、まだ腕輪が必要なほど大きくなっていないから元のまま、つまり全長40cm少々であった。
──シノブさん、私もカワイイですか?──
「ああ、可愛いよ……ところで、いつ皆は知ったの?」
シノブもソファーの側に寄り、モコモコの着ぐるみに納まったケリスを撫でた。するとケリスは、布で包まれた頭を嬉しげに揺する。
「先ほどです。アミィとタミィは前から知っていたようですが……」
シャルロットは訓練場から先に引き上げた。そのため彼女は、シノブより僅かに早く新たな姿を得たオルムル達と対面したわけだ。
「私もここに来てです! とても驚きました!」
「ええ、鳥の人形だけだと思っていましたわ」
ミュリエルやセレスティーヌも、シャルロットと同様だという。
超越種の子供達が移送鳥符への憑依を練習していたのは、二人も知っている。しかし彼女達は、人型の木人は不可能だと思っていたようだ。
「人間そっくりの木人は、研究所から取り寄せたのです。この大きさだと魔力が少ない人でも操れるから、試験用に最適らしくて……」
「見かけはエディオラ王女殿下の趣味のようです……」
アミィとタミィは笑いを堪えているらしかった。
試験用の人形を、ここまで精巧に造り込む必要はないだろう。間近で見たシノブですら、本当の子供と思ってしまうほどだ。
しかしガルゴン王国の王女エディオラは、愛らしいものに目がない。そのため二人は彼女の趣味嗜好と解釈したらしい。
「まあ良いか……何事もやってみないと判らないだろうし……ともかく、朝食にしよう!」
シノブは少しばかり首を傾げたが、研究者とはそういうものかと納得することにした。
幾らヤマト王国のヒミコ達から人間らしく造る技を教えてもらったとはいえ、やりすぎた感はある。しかし教わったから自分達でも、となるのは自然なことだ。
そう片付けたシノブは、美味しそうな品が盛り沢山な食卓へと向かっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「てっきりオルムル達も移送魚符の試験に加わると思っていたけど……今日はファルケ島に行かずにリムノ島で試す筈だったよね?」
手早く朝食を終えたシノブは、脇のソファーに目を向けた。そこには六人の子供が、三つのぬいぐるみを抱えて控えている。
オルムル達は就寝時にシノブの魔力を吸ったし、シノブ達が訓練している間に食事も済ませたそうだ。
とはいえ今のように同じ姿になると、シノブは何か遠慮のようなものを感じてしまう。子供に食事をさせないで自分達だけが食べているような感覚に陥るからだ。
「実は、父さま達に止められてしまいました……」
「今日は、まず自分達で試すと……」
オルムルとシュメイは、不満げな顔となっていた。
このような感情表現まで自然に出来るのは、ヒミコ達の伝えた技が優れているからか、それともエディオラが努力したからか。
シノブはオルムル達に悪いとは思いつつも、内心で技術者達の努力に思いを馳せてしまう。
「それと今日一日、人間として過ごして正体を見抜かれなければって……」
「街に出て大丈夫なら、移送鳥符や移送魚符での探索も許すと言うんです」
ファーヴやリタンも納得がいかないようだ。二人は頬を膨らませ、そして残るフェイニーやラーカも口を尖らせている。
前線基地としたファルケ島、『南から来た男』ヴラディズフがいたアスレア海の小島は、どうやら安全と思って良いらしい。昨日、ヴラディズフ達が残した石板から更なる情報が得られたのだ。
まず、謎の海神がヤムであることは確実となった。欠損のない複数の石板からヤムの名が見つかったから、間違いないだろう。
そしてバアル神はヴラディズフ達に、ヤムが目覚めたら島からでも充分に判ると言ったそうだ。この部分には多少のやり取りも記されており、それによればバアル神は、大きな魔力の変化があるから判別可能と応じたという。
そのため現在は、ファルケ島を中心に観測点を増やしつつ、情報の解析を進めて勝利の鍵となる何かを得るという方針になっていた。
まだ島から石板が見つかるかもしれない。それらを調べてヤムの能力や性質を把握してから決戦を挑んだ方が、勝率が上がるという判断である。
「私達が調査を手伝っても良いと思うんですけど~」
「危険になっても、魔法の家を使えば一瞬で避難できますよね? 僕達の体は島に残したままだから……」
フェイニーとラーカの言葉に、シノブも何と答えるべきか迷ってしまう。
ちなみにファルケ島には転移の神像を造っていない。これはヤムに利用されるかもしれないからだ。
異神達は、アムテリア達が地球を眺めるため向こうに残した神域を通ってきたという。したがって転移の神像を彼らが使える可能性も、考慮しておくべきだろう。
しかしラーカが指摘したように、魔法の家や魔法の馬車などがあれば島から瞬時に脱出できる。そのため魔法の家を向こうに出し、その中で憑依をすれば危険は大きく減ずる。
とはいえ親達も、なるべくは子供に安全なところにいてほしいのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「……要するに、試験に合格したら良いわけだね! それなら今日は皆で街に行こう!」
シノブは敢えて陽気な声を張り上げた。
まだオルムル達は、憑依を覚えたばかりだ。幾ら人間を近くで見ているからといっても、気付かれずに一日を過ごせるか。
しかし失敗したら、また挑戦すれば良い。これはやり直しが出来ることだから。何度か失敗するかもしれないが、一定の水準に達したら親達も認めてくれる。シノブは、そう結論付けたのだ。
「ありがとうございます!」
「シノブさん、頑張ります!」
オルムルやシュメイが歓声を上げ、ファーヴやフェイニー、リタンやラーカも続く。そして子供達は人間そっくりな木人を操り、喜びの表情でシノブの側に駆け寄ってくる。
『街に行けるなんて嬉しいですね~!』
『はい! この格好は残念ですけど……でも、僕も嬉しいです!』
──街の人達、楽しみです──
しかも試験とは関係ないフェルンにディアス、ケリスも喜んでいる。どうやらフェルン達は、同行できるだけでも充分に満足らしい。
歓喜を顕わにする子供達を目にし、シノブは反省めいた思いを抱いた。
もっと早くオルムル達を街に連れて行くべきだったか。透明化の魔道具などを使って、あるいはアミィやタミィの幻影で誤魔化してもらって。手段は幾らでもあった筈だ。
人と超越種の交流を願うなら、もっと彼らの意見を聞き、少しでも良い道を模索すべきでは。超越種に一方的に頼るのは良くないと言いつつ、突破口を探る努力が欠けていたのでは。シノブは今更ながら両者の関係作りがこれで良かったのかと考えてしまう。
「シノブ、今日は先生役ですね。新たな道を子供達と一緒に探してきてください。この子がオルムル達と共に歩めるように」
おそらくシャルロットは、かなりのところまでシノブの内心を察したのだろう。明るく微笑んだ彼女の声は、表情に似合わぬ真摯な感情を含んでいた。
「シノブ様、お願いします! 私達が更に仲良く暮らせるものが見つかると良いですね!」
「そうですわね! 街で何か発見できるかもしれませんわね!」
ミュリエルやセレスティーヌも、華やいだ声を上げた。二人もシノブやシャルロットと同じく、種族の違いを超えた共存をより深めたいと願っているようだ。
「君達は行かないの? 商業ならミュリエル、それに異種族の交流なら一種の外交だからセレスティーヌの知恵も借りたいところだけど?」
シノブは言葉通りに、商務卿代行と外務卿代行の二人を誘うつもりであった。
昨日は一緒に出かけたが、街歩きをするなら家族との更なる一時をとシノブは考えた。しかし、どうやら二人の少女は、街に出かけないらしい。
「昨日の分でお仕事も溜まっていますし……」
「ええ、幾つかの会合を今日に寄せてしまったので、欠席できませんの」
ミュリエルとセレスティーヌは、非常に残念そうな顔となっていた。しかし外せない用事らしく、二人とも調整しようなどとは言い出さなかった。
「なら仕方ないな……しかし君達が予定に縛られているというのに、俺だけ好き勝手して……」
「お出かけはダメですか?」
シノブの言葉にオルムル達の表情が曇った。問うたオルムルなど、泣きそうな顔となっている。
「シノブ、細々したことは閣僚達に任せれば良いのです。貴方は王にして多国間同盟の盟主……それに東のことまであるのですから。貴方を日常の諸々に縛る者など、この国にはおりません」
シャルロットの言葉は、シノブを後押しするような優しげなものであった。しかし彼女の声や表情に宿るのは、単なる優しさではなさそうだ。
伯爵継嗣として、そして王妃として在るシャルロット。彼女の、そして多くのエウレア地方の統治者や責任ある者達の信念。それをシノブは、改めて感じていた。
特別な地位にある者は、特別な役目を果たさねばならぬ。そのためには命すら捨てるという覚悟。聖なる英雄達の創りし国に生まれ、その繁栄を次代に守り継ぐという強烈な意志。シャルロットだけではない、ミュリエルやセレスティーヌも、より良い明日のために尽力している。
「ありがとう。君達がいるから、俺は頑張れる……さあオルムル、皆で出かけよう! そして沢山のお土産を持って帰ろう!」
シノブは立ち上がり、オルムル達が歓声を上げ取り囲む。
そこには既に人と超越種の目指すべき姿が存在している。そう感じたのだろう、シャルロット達は一層笑みを深くした。
「それではシノブ様、私のお土産もお願いします。タミィ、今日はホリィに仕事を代わってもらいなさい」
「アミィお姉さま!?」
どうやらアミィは妹分にも休暇をと考えたらしい。
今日はファルケ島の調査も一休みで、超越種達はリムノ島での訓練、アミィ達は収集した資料の調査に注力する。そのためホリィもアマノシュタットに残っているのだ。
「ああ。タミィ、一緒に行こう! 流石に俺一人で引率するのは大変だし、いざと言うときは幻影魔術も頼みたいからね!」
「は、はい! それではお姉さま、とびっきりのお土産を探してきますね!」
こうしてシノブは、オルムル達と共に街に繰り出すこととなった。
果たして何が見つかるのか。それにオルムル達は正体を隠し通せるのか。それらを思ったからだろう、いつの間にかシノブの顔は昇る朝日にも負けないほどに輝いていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年2月17日17時の更新となります。