20.34 最高の刀 中編
陸奥の国の王は、子煩悩な男だという。この名を亜日長彦というドワーフの王は、娘の夜刀美を非常に可愛がっているらしい。
こうなったのはヤトミがナガヒコの初の子で、しかも娘というのが大きいようだ。その証拠に彼は次子で長男の若彦に対してだと、父の愛を示しつつも王に相応しい凛とした態度で臨むという。
もっとも、そのナガヒコも今回ばかりは娘を甘やかすだけではなかった。彼は鍛冶勝負の相手として、ヤトミの前に立ちはだかったのだ。
しかし、この勝負もナガヒコが娘を溺愛するあまりの暴走らしくもある。
ヤトミはヤマト王国の王太子、大和健琉と親密になった。もしかすると彼女はタケルを慕って大王領に行くかもしれない。これを阻止しようと、ナガヒコは鍛冶勝負を持ち出した節がある。
とはいえナガヒコの統治能力や統率力、そして武人や鍛冶師としての実績は確かなものだ。それを示すかのように大極殿に生じたざわめきは、彼が一睨みすると瞬時に治まった。
「……では、まずヤトミ様の刀から! ヤマト大王の太子タケル様……いざ前へ!」
司会役の老ドワーフ、長老の呼び掛けは一種独特なものであった。
今回の鍛冶勝負では互いが打った刀を振るい比べるが、試し斬りをする者は刀工以外でも良かった。したがって斬鉄に挑むのがタケルであることに不思議はない。
しかしタケルへの呼び掛けは、この国特有かもしれない。ヤマト王国は大王の他に三人の王がいるから、普通なら王太子と呼ぶだけで良いところに『ヤマト大王の』と付くのだ。
ヤマト王国は日本に酷似した地理であった。ここドワーフの陸奥の国が東北地方、獣人族の筑紫の島が九州、褐色エルフと狸の獣人の伊予の島が四国である。
そして女王が立つ伊予の島以外には王子がいる。そのため長老は、わざわざ大王領の王子と明示したわけだ。
この特殊な制度は、ヤマト王国の四種族の全てに特別な有力者がいたことに起因するらしい。
日本に相当するヤマト王国に故地を感じるからだろう、神々は他より多くの加護を注いだ。そのため四種族それぞれに英傑が生まれたのだ。
これは神々自身が認めていたが、普通に接しようとしても無意識のうちに心を寄せてしまうからだという。それに神々を支える眷属達も、ついつい力を入れてしまったようだ。
そのようなわけで他国からすると少々奇異な呼びかけだが、ヤマト王国の者達にとっては遥か昔から続く常識だ。したがって大広間に集った者達は平静なままである。
「心得た」
タケルも表情を動かさない。彼は短く応じると、静かな歩みで鉄柱の前に進んでいく。
このやり取りを含め、刀比べの所作や受け答えは陸奥の国の古式に則ったものだ。そのためタケルも王太子というより、一人の武士のような物言いや挙措である。
それにタケルの衣装も、武士を思わせるものだった。
若き王子の衣装は、上が輝く白衣で下は浅葱色の袴だ。これはヤマト王国の男性神官の装束だが、襷で袖を引き、頭には汗止めらしき鉢巻きをしている。
日本の武士と違うのは月代を剃らず、髷を結っていないことくらいか。タケルは他の男と同様に、総髪のように長く伸ばした髪を後ろで縛っている。
しかしシノブは全体的な印象から、タケルを果たし合いに赴く侍のようだと感じていた。
何しろ彼が手にしているのは、黒漆の鞘に収められた細い湾刀だ。こちらで言うヤマト太刀、要するに日本刀に酷似した刀である。
先ほど作り手のヤトミが王子に渡した刀は、丸い鋼の鍔といい鮫皮の上に黒糸平巻の柄拵といい、シノブには日本刀としか思えぬものだったのだ。
暫しシノブは凛々しい若武者を見つめていたが、彼の向かう先へと顔を向けた。そこには威圧感すら漂わせる黒々とした鋼の柱が二つ並んでいる。
──あの鉄の柱は、お互いが用意したものだよね──
シノブはタケルの集中を乱さぬよう、思念のみでシャンジーに問う。
放った思念は絞ったから、シノブの魔力を感知したのはシャンジーを含む三頭の光翔虎だけだろう。事実、隣のイヴァールやミュリエルやセレスティーヌも気が付かなかったらしい。
それどころかミュリエル達と共にいる巫女の一団の中心人物達、つまりヤマト王国の神職の頂点に立つ斎姫やエルフの姫巫女の桃花なども察した様子は無い。他の巫女はともかくイツキ姫は神託を授かる特別な存在で、モモハナも将来はエルフの巫女王ヒミコとなるだろう逸材である。
その二人が気付かぬのだから、他は推して知るべしだ。
──そうです~。鉄棒を作るのも、腕の見せ所です~──
シャンジーも密やかな思念をシノブに返す。
これからタケルが斬るのは、大人の腕ほどの太さがある鉄柱だ。高さはおよそ人の背ほど、石畳を剥ぎ剥き出しにした土の上に垂直に立てられている。
この鉄柱は筋肉自慢の大男やドワーフの戦士の腕ほども太い。そのため斬鉄を修めた達人でも、簡単には両断できないだろう。
──頑丈な棒を作れば、相手は斬るのに難渋するものね──
──理に叶った勝負法です──
残る二頭の光翔虎メイニーとフェイジーも、シャンジーと同意見らしい。
実際ヤトミやナガヒコが用意した鉄柱は、自身が持つ鍛冶の技を駆使して鍛え上げた品だ。もちろん材料の選定から魔力を込めるところも含め、作刀と同じく工夫の限りを尽くしているらしい。
ある意味、矛と盾の逸話のようなものだ。もっともヤマト王国に同じような話があるか、寡聞にしてシノブの知るところではなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
ヤトミが打った刀を、タケルは一旦帯に手挟んだ。つまり鞘に収めたまま、帯に差したわけである。
そしてタケルは一呼吸置くと、すらりと慣れを感じさせる仕草で抜刀をする。
現れ出でた刀身は、大極殿を照らす灯りで鏡と見紛うほどに輝いた。細身で小柄なタケルに相応しい品だから、長さ自体はありふれている。しかしミスリルかと思うほどの眩さに、思わずといった様子で広間中から嘆声が上がる。
「流石はヤトミ様の作……」
「また一段と腕を上げられたのでは? あの輝き、何とも言えぬ玄妙な……」
目聡い者達は、ヤトミの刀が他とは全く違うほど優れた品だと察したらしい。やはりドワーフだけあって、目利きに通じた者は幾らでもいるのだろう。
「あれが将弩殿の……」
イヴァールも声を漏らした一人だ。ヤマト王国のドワーフに扮した彼は、タケルが掲げる輝く刀身を一心に見つめている。
もっともイヴァールの関心は、他のドワーフ達と違うところに向いていた。彼はタケルの手にある刀が特殊なもの、遥か昔の勇者の力を得た稀なる品だと知っているのだ。
マサドとはヤマト王国の伝説的ドワーフだ。彼は七百年以上も前に没したが、その魂は祖霊として今も子孫達を守り続けている。そしてマサドは、この勝負も密かに見守っていた。
『ヤトミの手練があってこそ、光の刀となったのだ。まだ十五というのに大した業よ……あれほどの品、我も命あるころに目にして以来だ……』
古代の英雄マサドの魂が宿った鋼人は、感動が滲む声を発した。
鋼人は正体を隠すため、他のドワーフにも勝る蓬髪と豊かな髭の鬘を着けている。そのため表情は窺えないし、そもそも下にあるのは鋼だから見えたとしても動きはしない。
しかし声だけでも、マサドが心の底から称えているのは明らかであった。
確かにヤトミの作った刀は、マサドが宿った鋼人から削りだした鋼で出来ている。したがって彼女が使った鋼鉄は、元からヤマト王国の最上質の玉鋼より多くの魔力を含んでいた。
とはいえ備わった魔力を消さず、更に増しつつ鍛造できるのは一部の鍛冶師だけだ。そしてマサドが長い時間で見た中でも、ヤトミは別して優れた腕の持ち主のようだ。
「お静かに!」
ざわめきを見かねたのだろう、場を仕切る長老が大声を張り上げた。そのためドワーフ達の宮殿は、元の静けさを取り戻す。
そしてタケルが試斬へと入る。
「それでは……。
我はヤマトを統べんとする者なり、大日女神様の慈愛を広めんとする者なり! ……多力貴子よ! 戦を統べる神よ! 我に御身の大力を授け給え! ……大土貴子よ! 大地を統べる神よ! 我に鋼の体を授け給え!」
大広間の静寂は、王太子の絶叫で消え去った。彼は大王家の秘術を操り、自身に活性化と硬化の術を掛けたのだ。
エウレア地方やアスレア地方と同じく、ヤマト王国でも身体能力向上の術を武術大会や決闘に用いる。そして、この刀比べも他と同じであった。
そもそも太い鉄柱を斬るなど、魔術で身体能力を上げなければ不可能に違いない。刀を始めとする武器や鎧などの防具も、使用者が魔力を注いでこそ完全なる威力を発揮するのだ。
──凄いな……本当に光っているようだ──
──はい~! タケルは頑張ったんですよ~!──
シノブの思念に、シャンジーが嬉しさを隠し切れぬ様子で応じた。しかし、それも無理からぬことだ。
魔力感知を得意とする者なら、シノブと同じように感じただろう。タケルが太陽のように温かな光を放っていると。
もちろん、実際にタケルが光を発しているわけではない。シノブや特別な力を発揮したときのオルムルは、膨大な魔力と共に誰が見ても明らかな輝きを放つ。それは光翔虎が発しているような物理的な輝きだ。
しかしタケルが放射しているのは彼の魔力であり、狭義の意味での光ではなかった。
「タケル……立派になりましたね……」
「は、はい……」
タケルの領域まで達する者など大王家でも僅かなのだろう、叔母のイツキ姫ですら嬉しげな溜め息を漏らしていた。隣で嗚咽混じりに応じているのは、タケルの思い人の立花だろう。
「タケル様……」
「……私達の背の君ですもの」
姫巫女モモハナと筑紫の島の武者姫刃矢女も、熱っぽく呟く。そして二人の至近では、ハヤメの父である威佐雄も満足げな唸り声を上げる。
もっとも、これらは殆ど同時に起こったこと、ほんの数拍の間の出来事であった。
「いざ! ヤトミ殿の作りし刀の真価、このヤマト・タケルが示そう!」
宣言と共にタケルは僅かに腰を沈め構えも変え、間を置かず利剣を横一文字に薙ぎ払った。そして空気どころか空間すら切り裂くような一刀は、音も無く左から右へと宙を奔り抜ける。
「しくじったのか!?」
「い、いや……」
見つめるドワーフ達がどよめく中、タケルは刀を右手に下げつつ鉄柱へと歩み寄った。そして彼は、空いた左手を柱に掛け、真横に動かす。
「お、落ちた!」
「斬れていたのか!」
鉄柱の一部、タケルの鳩尾から上くらいが剥き出しとなった地に転がる。そして大広間を埋める人々は、驚愕に満ちた歓声と手が赤くなるほどの拍手を大極殿すら揺らすほどに響かせた。
◆ ◆ ◆ ◆
「タケル様……ご立派になられて……」
先刻のイツキ姫と同じような言葉が、シノブの隣から聞こえてくる。発したのはタケルの従者の一人、武人の代表格の伊久沙という青年だ。
イクサは、誰はばかることなく涙を零していた。両手は拍手を続けているから、イクサの顔は溢れる感涙が流れるままである。
「ああ、素晴らしい技だ。……あれは身体強化ではない……そうだったね?」
シノブは周囲と同じく手を打ち鳴らしつつも、イクサに訊ねずにはいられなかった。
タケルは身体強化を苦手としている。それはシノブ自身も察していたし、以前イクサから聞いたこともある。そして活性化や硬化を身体強化の代替とするのは、通常だと極めて困難なことであった。
身体強化では、通常の幾倍もの力や速度を普段通りに行使できる。もちろん上限は魔力の及ぶところまでだが、その範囲であれば通常時と変わらぬ容易さで思う通りに体が動く。
これは筋力だけではなく反射神経や思考速度も同じく向上し、増した力に必要な速さが同時に得られるからだ。そのため身体強化なら動くときに特別な意識をせずに済むし、原則的には慣れるための訓練も不要であった。
「はい……タケル様は初めて筑紫の島に赴いたとき、神剣でなくては槍の柄……太いとはいえ木製の棒すら断てませんでした。それをタケル様は恥じ、シャンジー様やイサオ様のご指導を受けたのです……」
イクサは頬を濡らしたまま、大きく頷いた。
タケルは活性化で自身の能力を底上げし、硬化魔術で振るう力に必要な強靭さを確保した。そして彼の編み出した方式だと、身体の動作に合わせて意識的に術を細かく制御しなくてはならなかった。
刀を左から右に振り抜く。そのとき必要な筋肉に必要なだけの魔力を送り込み、速度を殺さないようにしながら硬化魔術で体を保護する。そして斬鉄の瞬間、刀を握る両手を締めるのと同時に硬化度を爆発的に上げ、常のままでの不可能を可能とする。
もちろん斬り終えるまで、刀の速度を落とすわけにはいかない。したがって硬化といっても絶妙な加減をしてのことだ。
つまりタケルは、まず刀術を完全に極め、その上で意識的に能力を増しているのだ。それも一瞬の間に二つの魔術を細かく、しかも的確に制御しながらである。
同じような斬鉄をシノブは可能としているし、もっと太い鉄棒でも断ち斬れる。しかし、それは自然な身体強化の結果であり、タケルのような苦労を重ねてはいなかった。
シノブもフライユ流大剣術の修行に励んだが、元の難易度が大きく違うというべきだろう。
「……とても過酷で、私など何度も中止をと進言しました。実際、シャンジー様が治癒魔術を使ってくださらなければ、落命しかねない事態も幾度かあったほどで……」
イクサが触れたように、タケルは筑紫の島の大極殿で魔法の小剣に助けられたといえる。シノブが与えた神具がなければ、彼は獣人族の島で笑い者になったかもしれない。
しかしタケルは、それからの五ヶ月を激しい修練に充て見事に成長した。ここに来る前に寄ったカミタ、マサドが祀られていた聖域で彼に勝てたのも、その修行の成果である。
「凄いな……自分の生まれ持つ能力ではなく、努力で勝ち得たもの……これこそ本当の力だよ」
シノブは尊敬が滲む視線をタケルに向けていた。
ヤトミの側に戻る王子は裂帛の気合声を発した先刻とは違い、十五歳の素顔に戻っていた。照れくさそうな笑みで小柄なドワーフの少女の賞賛を受けるタケルは、少女のような美貌もあり斬鉄を成す達人だとは思えない。
しかしタケルは、多くの人が成し得ないことを実現した。
シノブは思う。自分は母なる女神アムテリアの加護により大きな力を持っている。しかし、それは努力で身に付けたものではない。
もちろん大切なのは、力をどうやって得たかではなく、どう行使するかだ。それにアミィによれば、自身の能力は生得のものだったようでもある。
自分自身の感覚としては、この世界に来てから能力が備わったように感じている。しかしアミィは、元から持っていた力が開花しただけではとシノブに告げた。
確かにアムテリアは力を与えたとは言わなかった。彼女は自身の影響力が強いこの地なら、加護により大きな力を持つと語っただけである。
とはいえシノブの主観としては、与えられた力を振るってきただけと思うのも事実ではあった。
──シノブの兄貴~、ボクは光翔虎だから強いけど、そのことを恥ずかしく思わないよ~。もちろん兄貴も同じでしょ~。だから兄貴は人の何倍も、何十倍も働いているんだし~──
シャンジーはシノブの内心を見抜いたらしい。まだ成体の半分しか生きていない百歳ほどの彼だが、それだけの時間を重ねただけはある眼力だ。
実際、シャンジーの指摘は核心を突いていた。
シノブが休むことなく飛び回るのは、持てる力に相応しくありたいと願うからだ。他者の追随できない能力を持つ自分には、そうすべき義務がある。安穏と恩恵を貪るなど、恥ずべきことだ。シノブは常々そう考えていた。
──そうね。大きな力を持つ者は相応しい生き方をすべきだわ。私達が好き勝手したら、この世界が大変なことになってしまうから。でもシノブさんは、立派に実現していると思うわよ──
──我らは森の王、そしてシノブの兄貴は人の世界の王……いや、王の中の王です。
その力に相応しくとの自戒は必要ですが、強い心で大きな力を御しているのは、あの少年もシノブの兄貴も等しいかと。つまり、どちらも共に素晴らしきことです──
成体の二頭メイニーとフェイジーも、同じく思念のみで語りかけてくる。周囲には陸奥の国のドワーフ達もいるから、伏せておくべきだと彼らは思ったようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「見事! しかし俺の太刀と刀術も負けてはいないぞ!」
ナガヒコの発した大音声で、シノブの思索は一旦途切れてしまう。
まだ、勝負は終わっていないのだ。そのことを思い出し、シノブは再び大広間の中央に意識を向け直す。
「それでは! 我らが王、ナガヒコ様……いざ前へ!」
「おう!」
相手が王であっても、長老の呼びかけは変わらない。もっともナガヒコも重々承知なのだろう、彼は平然とした様子で応じ歩み始めた。
大股で歩むドワーフの王は、タケルが操った刀より少なくとも六割は長い大太刀を手にしていた。背の低いドワーフにしては珍しいことではあるが、馬上での戦闘を意識したものであろうか。
ちなみにヤマト王国でも、北方にはドワーフ馬が生息していた。こちらでは怒倭駒などとも言うが、シャンジー達が見た限りではエウレア地方のドワーフ馬と同じ種族らしい。
もし馬上専用の大太刀や斬馬刀の類であれば、腰に佩いたら引き摺るだろう長さは充分に理解できる。
しかしナガヒコは達人と呼べる腕前らしいし、しかも他のドワーフより僅かだが背が高い。そのためシノブは、彼なら徒歩でも使いこなすだろうとも感じていた。
「あの鉄柱には、例のものを使っているのでしたね?」
シノブは声を落としつつマサドに訊ねた。
これからナガヒコが試し斬りをする鉄柱には、ヤトミが作った刀と同様にマサドが宿った鋼人から得た鋼鉄を使っている。つまり、こちらも魔法金属としての性格が強い特別製の柱であった。
『はい。とはいえ全部持っていかれたら、この体が無くなってしまいます。そこで表面のみを覆うようにしました』
マサドの答えは、ある意味当然であった。
鉄柱は人の背ほどの高さだが、当然ながら地面の下にも伸びている。そのため仮に長さが2mで太さが10cmとしたら120kgほどとなり、マサドの鋼人の重さを超えてしまう。マサドの鋼人の内部は、意外に空洞が多いのだ。
これは鋼人の体型がイヴァールを元にしており、体重も合わせているからだ。つまり鋼人の総重量は刀の分を削る前でも115kgであった。
そこでヤトミが造った鉄柱は、芯を含む大半を普通の鋼鉄に可能な限り多くの魔力を注いだもの、表層など極めて一部をマサドの鋼としている。
このような細工は、ヤトミを含むヤマト王国の鍛冶師が得意とするところだ。何しろ刀も刃金や芯金を重ねて作り出す。したがって部位ごとに適した材質を用いることが出来ずに、刀鍛冶になれるわけがない。
ナガヒコが国中の玉鋼を押さえてしまったから、ヤトミの手に入ったのは一段落ちる普通の鋼であった。とはいえタケルやイツキ姫が大王家の秘術でヤトミに魔力を与え、それを彼女が鋼鉄に込めたから随分と質が上がった。
ちなみに魔力譲渡は極めて稀な技で、シノブは他に自分くらいしか使い手を知らない。おそらくタケル達の場合は術というより一種の体質、つまりヤマト大王家の血筋なのだろう。
『……ヤトミが造った鉄柱は中の大半が上級の玉鋼と同じ、外の皮が最上級より一段か二段上かと。この皮が厚ければ良かったのですが、全体としてはナガヒコの鉄柱より少し勝る程度でしょう』
どうも総合的に判断するなら、マサドが語る通りのようだ。シノブも鉄柱の総魔力量から、同じようなことを感じ取っていた。
「あまり力を貸しすぎるのも問題でしょう。タケルやヤトミ殿は、自分の力で道を切り開いています。同条件に持っていく程度は良いでしょうが、それ以上は二人への侮辱かもしれません」
「俺もそう思うぞ。マサド殿のご助力で同じ土俵に上がれたのだ。後は自身で素無男を取るべきだな」
シノブの意見に、イヴァールはドワーフ達の伝統武術を例に出しつつ賛同した。
良質の素材を渡さないナガヒコには、イヴァールも疑問を感じているようだ。しかし不利が解消されたなら、後は自分で頑張れということだろう。
「鞘を持て!」
「ははあっ!」
そうこうしているうちに、ナガヒコは鉄柱の前に陣取った。ドワーフの王は大太刀を抜き放つと、鞘を家臣の一人に渡す。
「これはまた……」
「流石は我らの王……」
ヤトミのときと同じく、感嘆の声が各所から上がる。
しかし、それも当然だろう。ナガヒコが天井に向けて掲げた大太刀は、確かにヤトミのものにも劣らぬ輝きを放っていた。
大太刀は長さの分だけ元幅や先幅、つまり棟側から刃の側までの幅もあるようだ。いわゆる重ね、刀身の厚みもヤトミの作より多少あるかもしれないが、それは一見しただけでは判断し難い。ともかく豪刀であるのは間違いないだろう。
そして長さと幅があるからか、迫力や輝きも先のものと甲乙つけ難い。
「俺も力の限りを尽くそう。
……凍れる北のこの地にて、我らは栄え満ちていく! 深き洞には宝あり! 山の奥には実りあり! 神の恵みを探し出し、輝く品を作るのは! 我らドワーフ、雄槌の愛し子! 我らドワーフ! 大地の主!」
ナガヒコの唱えた聖なる歌を、シノブは知っていた。これはイヴァールの故郷であるヴォーリ連合国にも伝わる歌だ。
大地の神テッラを称え、その恵みに感謝し、加護を授かった自分達を誇る歌。神名を秘すヤマト王国だから、そこは『雄槌』と言い替えているが、他は全く同じである。
イヴァールは厳粛な表情で己の黒く長い髭に手を当てている。マサドの鋼人も同じく作り物の髭へと手を伸ばしていた。
そしてヤマト王国のドワーフ達も、全てが同じ姿勢を取っている。
「父さま……」
ナガヒコに挑んでいる最中のヤトミも同じであった。もちろん彼女に髭は無いが、代わりに胸に手を当て背筋を伸ばして父王を見つめている。
ヤトミは父を尊敬しており、彼の技を自身も振るいたいだけと言う。そのため偉大なる鍛冶師にして武人に彼女が敬意を示すのは、至極当然のことだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「……雄槌の愛し子! 大地の主! 我らドワーフ、大神に願う!」
ナガヒコは聖歌を歌い上げると、滑るように前に進み出た。そして彼もタケルと同様に、左から右への水平斬りを黒光りする鉄の柱へと放った。
細身の若き王子と、岩のような筋肉のドワーフ王。姿形が全く違う二人だけに、振るう太刀筋も随分と異なった。
タケルの刀術は流麗な印象が先に立つ、剛より柔に寄ったものであった。もちろん斬鉄を成し遂げるのだから、柔といっても弱々しさなど全く無い。まるで光翔虎達の振るう爪のように軽やかでありながら光のように迅い、全てを斬り裂く鋭利な刃である。
それに対しナガヒコは、重厚にして伸し掛かってくるような迫力の技であった。こちらは岩竜や炎竜が空から急降下してくるような、速さと共に重さを感じずにいられない剛にして豪の刀技なのだ。
もっとも印象など瑣末なことだ。これは武術、敵を斬り倒す技である。美しさや威厳で鎧兜が二つに割れるわけではない。結局のところ、斬れるか斬れないか、それだけである。
そしてナガヒコはというと、やはり前者であった。
「おお!」
「流石、ナガヒコ様!」
ナガヒコの大太刀が右に抜けた直後、大広間を歓声が満たした。
タケルのときとは違い、刀が抜けると同時に鉄柱の上半分も吹っ飛んだ。やはり剛の技だけあって、衝撃ではナガヒコが勝るのだろうか。
「……外皮の薄いところを見抜いた?」
シノブはヤトミの造った鉄柱に僅かながら魔力の差があると気が付いていた。そこは外の特殊鋼、つまりマサドの鋼が薄いところらしい。
そしてナガヒコはヤトミの鉄柱の急所とでも言うべき場所を、どうやってか見抜いたようだ。彼の大太刀が抜けていった場所は、微かだが他と魔力の分布が異なっていた。
「ここからは判らんが、お主が言うならそうなのだろうな……」
『流石は当代の王と言うべきでしょう。祖霊となった私でも、この距離では何とか判る程度です。近くに寄れば鉄肌から察するのでしょうが……』
イヴァールとマサドの言葉からすると、充分な至近で極めて優れた鍛冶師なら辛うじて判断できるといった程度のようだ。ただし、そのような神技を可能とする者など一代に一人いるかどうかだとマサドは続ける。
「それでは、二回目に入るのでしょうか?」
「次は、あの下を斬るのですか?」
脇からミュリエルとセレスティーヌがシノブに問うてきた。
二人が言うように、第一回目の試斬で決着が付かなければ、二度目となる。そして鉄柱は、どちらも胸から腹ぐらいの高さは残っていた。
そして、これだけの高さがあれば腰を深く沈める程度で問題ない。したがって試し斬りは、充分に継続可能であった。
「いや……」
「……俺の負けだ!」
シノブの言葉を掻き消すように、ナガヒコが雷鳴のような大声で敗北を宣言した。そして彼は、己が持つ大太刀を高々と宙に掲げる。
「あっ、太刀に!」
「亀裂か!?」
ドワーフ達の叫ぶ通り、大太刀は再度の試斬に耐えられぬようである。遠目だと判りづらいが、確かにナガヒコの打った刀には幾本もの細い筋が刃に走っていたのだ。
『タケルの策が当たったようです』
悲鳴にも似た怒号が広がる中、マサドの声が近場の者だけに届く。
シノブは強い興味を感じつつも、急かしはしなかった。これからタケルとヤトミが明かしてくれるに違いないからだ。
やはり、見事に勝利を掴んだ二人から聞くのが筋である。どんな話が聞けるか胸を弾ませながら、シノブは若き人族の王子とドワーフの姫を見つめていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年2月13日17時の更新となります。