20.33 最高の刀 前編
アマノ王国の王都アマノシュタットとヤマト王国の時差は、およそ七時間だ。そのため転移をするときも、相手側が何時ごろか留意する必要がある。
これは訪問する側だけではなく、誘う側も同様だ。特に食事に招こうと思ったら、適した時間帯は非常に限られた。
日帰りなど短時間の滞在で食事をする場合、ヤマト王国での開催なら夕食しかない。
ヤマト王国の朝はアマノシュタットの零時すぎ、昼食でも早朝の五時か六時だ。それに対し夕方遅くか日没直後なら、アマノ王国だと昼食の少し前に相当する。
つまり、そもそも訪問に適しているのが夕食時だけなのだ。
もっとも今回シノブ達を招いたのは、それらを幾度もの訪問で学んだ大和健琉だ。そのためヤマト王国の王太子は、ドワーフの父娘の鍛冶勝負を夕方遅くにするよう誘導していた。
作刀の勝負を取り仕切るのは競う一方、陸奥の国の王だ。そして名を亜日長彦という彼を始め、陸奥の国のドワーフ達は、中央を治める大王領の人族と仲が良くない。
これは遥か昔、ヤマト王国の人族がドワーフを北の辺地に追い払ったからだ。そのためタケルも交渉には苦労したようだが、彼は首尾よく望む形で決着させた。
この辺りからするに、筑紫の島や伊予の島への旅でタケルも大きく成長したようである。
「済まないね、こっちに合わせてもらって」
シノブは陸奥の国の大極殿に着くなり、タケルに感謝の意を伝えた。
今回シノブは、ミュリエル、セレスティーヌ、イヴァールを伴っている。そのためタケルが遠地に慣れない三人に配慮したと、シノブも察していたのだ。
ここは大極殿の一室、いわば控えの間だ。そのためシノブ達の本来の衣装なら、かなり浮くところである。
しかしシノブ達は、タケル達の同行者や世話役として付けられたドワーフに変装している。ミュリエルやセレスティーヌは巫女装束、イヴァールはヤマト王国のドワーフが好んで着用する前合わせの革服、シノブはタケルの家臣と同じ直垂のような衣装だ。
身代わりとなった四人はタケル達が滞在する館の奥に篭もっているし、シノブ以外も異国の衣装に随分と慣れた。それにシノブ達は勝負を脇から見物するだけで、よほどの失態をしない限り挙措が問題となることもない。
ちなみにアミィはシャルロットの側に残ったままだ。
シャルロットの出産予定日まで三週間かそこらであり、シノブとしても可能な限りアミィに妻を見守ってほしい。それに謎の海神も気に掛かる。
見張るための装置を前線基地化したファルケ島に仕掛けたが、それらの製作を監修したのはアミィである。そこでシノブは万一のときに呼んでくれと言い置き、後を彼女に託していた。
「いえ! 少しでも時間が欲しかったですし!」
「は、はい! 出来るだけ鍛冶に時間を使いたかったので!」
タケルは慌てたように手を振りながらシノブに応じた。
どうやらタケルの言葉は全くの作り事でもないらしい。隣でドワーフの少女、勝負に挑む亜日夜刀美が恐縮の滲む声と共に大きく頭を下げる。
ヤトミは父のナガヒコに憧れ鍛冶を志したそうだ。
ドワーフ達が特に奉じる大地の神テッラは、鍛冶の神でもある。そのためイヴァールによれば、ドワーフなら有力な家系の生まれであろうと、自分の家から一人くらいは鍛冶師を、となるそうだ。
そして、こういった文化はイヴァールの故国ヴォーリ連合国だけではなく、こちらのドワーフ達も変わらない。それにシノブ達は足を運んでいないが、アスレア地方のドワーフの国々も同じだという。
そのためヤトミも鍛冶師を志したが、女性の鍛冶師はドワーフでも少ないようだ。
ドワーフの男は筋肉の塊というべき体で、骨も特に太く力仕事に向いている。それに対しドワーフの女性は小柄だが少々がっしりしているという程度で、体型自体も人族と大差ない。
現にシノブの前にいるヤトミも成人をしているが、人族なら八歳か九歳程度の身長だ。おそらく彼女はシノブより50cmほど背が低いだろう。
そしてドワーフの女性は多少手足が太いが、今のヤトミのように長い袖の服を着れば気がつかない程度である。そのため彼女が筋力で男性に劣るのは当然で、鍛冶師として不利なのも間違いない。
「勝負まで一週間だったか。それなら少しでも時間が欲しいだろうな」
同じドワーフだからか、イヴァールはヤトミへと話しかけた。
イヴァールも本職ほどではないが多少の鍛冶をする。それに彼は領主として自領の鍛冶師を監督し、産業育成に励んでいる。
つまりイヴァールは鍛冶に大きく関わっているし、興味も大いにある。どうやら彼がヤマト王国行きを喜んだのも、それがあるからのようだ。
最初イヴァールは同族の祖霊である将弩の宿った鋼人に寄り、尊敬が強く滲む態度で挨拶をした。しかし今、彼はマサドの鋼人と共にヤトミの側にいる。
「はい! 作刀にはギリギリですし、試してみたいことも色々ありましたから……」
ヤトミはギュッと拳を握りつつ、イヴァールに答えていく。王の娘、つまり姫だから普段は淑やかなヤトミだが、専門分野となると別らしい。
もっともドワーフの社会には活動的な女性も多いから、身分を別にしたら珍しくもない。行動力があるというか、肝っ玉が大きいというか、ドワーフの家を仕切っているのは男ではなく小柄な母親達なのだ。
「大変でしたわね」
「勝てると良いですね!」
セレスティーヌとミュリエルは、手練の技について学ぶのを諦めたらしい。二人は労りと応援の言葉のみを掛けた。
先刻までミュリエル達は、既知である立花や泉葉のところにいた。
タチハナやイズハはアマノ王国に来たこともあるし、同じ巫女装束を着けているから気になったのかもしれない。その二人を皮切りに、筑紫の島の王である威佐雄や光翔虎のシャンジー、メイニー、フェイジーと彼女達は挨拶に回っていた。
他に部屋にいる主な者は三人だ。タケルの叔母である斎姫、伊予の島の姫巫女エルフの桃花、そしてイサオの娘で同じく熊の獣人の刃矢女である。
もちろんシノブ達は、この三人とも言葉を交わす。しかし今日の主役は何と言ってもヤトミである。彼女とナガヒコの勝負次第では大王領と陸奥の国の交流は今と同じ、つまり距離があるままとなってしまうのだ。
「きっと勝てるさ。こっちには祖霊のマサド殿がいるんだから」
シノブは言外に、マサドの魔力が宿った鋼を使ったのだから、と匂わす。
既に刀は打ち終わり、後は勝負を待つばかり。ならば明るい予想を口にし、結果を待とう。そのようにシノブは考えたのだ。
ヤトミが作刀に用いた鋼は、マサドの鋼人から削りだしたものだ。つまり祖霊であるマサドの魔力が染み込んだ、一種の魔法金属である。シャンジーやタケルからの文によれば、鋼人から得た素材はヤマト王国で最高の玉鋼にも勝るという。
『私の助力など僅かなものです。ヤトミの技は確かなもの……必ずや良い結果が得られるでしょう』
マサドはシノブへの敬意を滲ませつつも、自身の力が宿っただけではないと主張する。
とはいえ、これは一種の謙遜だったのかもしれない。マサドはシノブと同じく、ドワーフの姫の勝利を信ずると口にした。
「そうですね……そろそろ時間です、シノブ様、ヤトミ殿、行きましょう!」
タケルは凛々しい声で場を仕切った。
やはりタケルは、国中を巡る旅で大きく成長したのだろう。五月の頭、およそ五ヶ月前に出会った少年は、王太子という地位に相応しい若者となった。そのことを強く感じたシノブは、思わず顔を綻ばせる。
イサオやイツキ姫などの年長者もシノブと同じことを感じたらしい。イサオはシノブと同じく五月から、イツキ姫はタケルが生まれたときから側にいるのだ。当然ながらシノブより若き王子のことを良く知っているに違いない。
それはタケルの家臣達や、イツキ姫に仕える巫女として頻繁に接したタチハナも同じらしい。特にタチハナは瞳を潤ませ、感動のためだろう頭上の狐耳も微かに震えている。
タチハナはタケルの思い人で、彼女も種族の違いを超えて相手を慕っている。そして、ここ陸奥の国の件が無事に片付けば、タケルとタチハナの婚約は正式に発表される。
タケルが頑張るのは、自身を妻に迎えるため。それを思ったのだろう、狐の獣人の少女の顔は誇らしげに輝いてすらいた。
◆ ◆ ◆ ◆
ドワーフ達の宮殿、大極殿は名前こそ大王領などと同じだが、構造は大きく異なっている。
大王領や筑紫の島の大極殿は石畳が整然と敷かれ朱塗りの太い柱が聳える壮麗な内装だ。それに外も白壁に青瓦で、屋根の上には金色の鴟尾が置かれ、シノブが良く知る平安時代の宮殿と良く似ていた。
しかしドワーフ達が造った宮殿は、柱は防腐の塗料が塗られているらしいが木目が浮かぶ自然なもの、下の石畳も時折は素無男でもするのか土間に出来るようになっていた。
今もシノブ達が見物する大広間の中央は土を剥き出しにし、そこに太い鉄の柱を立てている。鍛冶勝負の方法は、鉄柱の試斬なのだ。
高さは人の背くらい、太さは大人の腕くらいであろうか。それもイヴァールやイサオなど、隆々たる筋肉を誇る戦士のものに匹敵する極太の柱だ。おそらくドワーフの力自慢達が立てたのだろうが、柱だけでも相当な迫力である。
これを切断するのは、当たり前だが筋力だけでは不可能である。刀に良質な鋼を用い、身体強化を得意とする武人が振るい、更に多くの魔力を刃に満たして初めて斬鉄が可能となる。
この世界の金属武具は、極めて上等な域に入ると魔力を活かしたものばかりになる。そして鎧は軽いミスリルが好まれ、戦斧や豪槍の類は重さを活かすため鋼鉄が選ばれる。
しかし鋼鉄は、元々魔力を多く含むミスリルと違った難しさがある。鋼の場合は非常に魔力を多く含む稀な品か、優れた鍛冶師が魔力を注入した特別の素材でなければ、超絶的な域に達した武人の得物とするには不充分だ。
もちろんミスリルも元の魔力を失わないように加工しなければ、普通の鉄にも劣る。それに、こちらも達人が打つほどの品になれば、鍛冶の過程で更に多くの魔力を注ぎ込まれている。
要するに、この惑星の武器や防具は高品質になれば魔力を無視した品などあり得ない。この世界で魔力は電磁波や熱と同じような自然のエネルギーであり、物理的な強度を与える一大要素だからである。
実際に達人の攻撃は、自身の魔力を武器に流し込み威力を高めたものだ。たとえばイヴァールが戦槌を鋼鉄などに打ち付けるときも、自分だけではなく武器にも硬化魔術を掛けている。
──そこまで出来る人は殆どいないけどね。それに常時やったら、すぐに倒れてしまう──
──人間は魔力が少ないですからね~──
勝負が始まるまで、シノブはシャンジー達と思念を交わしていた。久々に会ったためだろう、しきりにシャンジーが話しかけたのだ。
幸いミュリエルやセレスティーヌは、初めて見るヤマト王国の建物やドワーフの装束に興味が向いているらしい。二人はタチハナやイズハに小声で問い掛け、そしてヤマト王国の巫女達が囁きで応じと女性同士で楽しげにしている。
そのためシノブはシャンジー達の近況や今後について問うことにした。
──シャンジーは、これからどうするの? タケルが都に戻ったらだけど──
シノブが最も気になっているのは、これであった。
シャンジーは、タケルを助けようとヤマト王国に残った。実際、あのときのタケルはシャンジーの助けがなければ、筑紫の島の事件を解決できなかっただろう。それに各地を巡る旅でも、シャンジー達の助力は大きかった筈だ。
しかしタケルはヤマト王国内の大領に全て赴き、国内の融和を強めた。正しくは、ここ陸奥の国との関係作りが残っているが、おそらく彼なら成し遂げるに違いない。そう信じているシノブの興味は、目の前の対決の先に向いていた。
──もちろん帰ります~。シノブの兄貴の側にも居たいですから~。でも、タケルのところに行っても良いんですよね~?──
シャンジーはアマノ王国とヤマト王国を行ったり来たりしたいようだ。
アマノ王国には自分を慕うフェイニーもいるし、新たな技をシノブ達から学びたい気持ちもある。しかし弟分であるタケルの様子も定期的に見に行きたい。どうやらシャンジーは、このように考えているようだ。
──ああ、もちろんだよ。転移の神像は好きに使ってくれ──
シノブはシャンジーの望むままに、と答えた。
ヤマト王国の都に最も近い転移の神像は、東南に100kmほどの神域の中にある。そしてシャンジー達は今までも神域の神像を使ってアマノ王国に戻っているから、シノブに断る理由はない。
第一、神獣と崇められているシャンジー達が突然現れなくなったら、ヤマト王国の人々も困惑するだろう。もしかすると、タケルに文句を言う人が出るかもしれない。
そのためシャンジーが往復してくれるのは、シノブ達にとっても歓迎すべきことであった。
──ありがとうございます~──
──いや、こっちからお願いしたいくらいだよ。……ところで君達は?──
感謝の思念を発するシャンジーにシノブは応じ、続いて残る二頭の光翔虎メイニーとフェイジーの去就を訊ねる。
メイニーの両親ダージとシューフは、娘がフェイジーと番になることを許可した。メイニーは既に二百歳を幾つか超えた立派な成体で、相応しい相手がいれば独り立ちして良い時期を迎えたからだ。
そして三百歳と少々のフェイジー、フェイニーの兄にしてシャンジーの従兄弟は少し粗忽だが腕自体は充分な域に達していた。そのため二頭はどこに棲家を作って定住しても、誰からも文句は出ない。
──私達もシノブの兄貴が住む地に移ろうと思っています──
──あのピエの森は、魔力も多いし澄んでいるから。以前シノブさんやシャルロットさんも勧めてくれたでしょ?──
フェイジーとメイニーは、口々に自分達の考えを語り出した。
エウレア地方で光翔虎が棲むほどの大森林は、殆ど先住者がいる。西からガルゴン王国のアンプリオ大森林にメイニーの両親ダージとシューフ、続いてカンビーニ王国のセントロ大森林にフェイジーとフェイニーの親達バージとパーフ、更にデルフィナ共和国の東の森にはシャンジーの父母フォージとリーフだ。
このうちデルフィナ共和国は国中が森林だが、エルフ達の集落を避け更に魔力が多い場所はシャンジーの故郷だけである。つまり南方には、新たな光翔虎を迎えるほどの空きがない。
しかし北に目を転ずるとメリエンヌ王国のベルレアン伯爵領の北部に適地があった。それはシノブとも縁深いピエの森であった。
おそらくピエの森の魔力が多く澄んでいるから、アムテリアはシノブを送る場所に選んだのだろう。実際ピエの森の最奥に到達できるのは、シノブやアミィ達など限られた者だけである。
──ああ、喜んで! ……って俺が言うのも変だけど、そうなったら嬉しいって義父上も言っていたよ──
シノブは以前ベルレアン伯爵コルネーユに問うてみたことがあった。そもそもコルネーユは現当主だから、訊ねるのは当然のことである。
シャルロットは未だベルレアン伯爵家の継嗣だが、今後もそのままとは限らない。五月に誕生したコルネーユの長男アヴニールが順調に成長したら、彼が継嗣となるだろうからだ。
既にシャルロットはアマノ王国の王妃となったし、しかも国内に限ってもシノブが兼ねる伯爵位が三つ存在する。つまり今後シャルロットが第二子、第三子と子を産んだとしても、与える地は他にある。
それ故シャルロットも、出来れば弟に伯爵位をと言っていた。
ちなみにアマノ王国やフライユ伯爵領に、大森林は存在しなかった。どちらも山地は多いし、そこには森林もあるが、高地だから光翔虎の好む広葉樹の森ではなかった。
そのためメイニーとフェイジーは、次にシノブと縁のあるピエの森を選んだらしい。
──ありがとうございます! ……シャンジー、お前はフェイニーが大きくなったら親父の森を受け継ぐんだ!──
──そうね、うちの両親とフォージさん達は二番目をって考えているでしょうから──
フェイジーは従兄弟に父母の森を譲ると言い出した。これは光翔虎が二頭目の子供を育て上げるまで棲家を維持するからだ。
バージ達はフェイニーで二番目の子だが、他はまだ一頭だけだ。そのためフェイニーが成体になればバージ達は放浪の旅に出て、森が一つ空くことになる。
シノブとしては二世代同居でも良いと思うし、フェイニー達はアマノ王国で過ごすことが多いから更に子供を儲けても良いのではとも感じている。
しかし親世代ともなると、今までの流儀を維持したい気持ちが強いようだ。これは他の超越種も同じで、いきなり毎年のように子供を産むつもりはないらしい。やはり長い時を生きた種族だけあって、急激な変化は好まないのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
そのようなことを人知れずシノブ達が話しているうちに、準備も終わったようだ。大極殿の広間は、大勢のドワーフ達で埋まっていく。
陸奥の国のドワーフ達は、ここタイズミを含めると六つの支族に分かれているという。このように多数の支族が明確に存在するのはヴォーリ連合国と似ているが、ここの場合タイズミのアビ家だけが王となる。つまり王家と伯爵家といったアマノ王国やメリエンヌ王国に近い統治体制と言うべきか。
しかし各支族の力は随分と強いらしい。そのためタケルも、融和を求めるなら全支族の同意を取り付けろと言われ、各地を巡った。
「ここのドワーフの半数以上は、地方の五支族なのです」
タケルの家臣の代表格である伊久沙がシノブやイヴァールに向けて囁く。
シノブ達は従者に成り代わって見物しているから、王族達とは離れた場所に立っている。これはミュリエルやセレスティーヌも同じで、彼女達はタチハナなど隣の巫女の一団に混ざった。
ただし、ここは従者のいる場で最上等の位置だ。それにミュリエル達もシノブ達のすぐ脇とされている。そのためイクサの説明は少女達にも届いた筈である。
ちなみに大広間に座している者はいなかった。
これから行われるのが試し斬りだから、座っても見にくいだけだ。それに質実剛健なドワーフ達は、飲食でもなければ立ったままが普通だという。
そのためタケル達も、それにドワーフの王族や高位の者達も起立したままである。
「なるほど……地方も強い権力を持っているのか。ところで、ここは一夫多妻なんだね?」
シノブが視線を向けているのは、ドワーフの王アビ・ナガヒコと周囲であった。ナガヒコは二人の妻を従えていたのだ。
ナガヒコは随分と若く、まだ三十五歳だそうだ。それに対し娘のヤトミは十五歳だから、早くに得た子というわけだ。ちなみに子供はもう一人、まだ十歳にもならない長男の若彦だけである。
もっとも三十代半ばとはいえ、ナガヒコは立派に王の風格を備えていた。鍛冶で鍛えた太い腕や盛り上がった肩、それに炯々と輝く濃い茶色の瞳。それらはイヴァールの父親ヴォーリ連合国の大族長エルッキに匹敵する迫力を彼に与えていた。
もちろん見かけだけではない。シノブもドワーフの王が相当の力量の持ち主だと見て取ったし、隣のイヴァールも端倪すべからざる人物と感じたようだ。イヴァールは口を噤んだまま、興味深げに異国のドワーフの統治者を見つめている。
「はい。……そういえば、あちらのドワーフは違うのでしたね」
イクサはタケルに随伴してアマノ王国に来たことがある。そのため彼は、一瞬怪訝な顔をしただけで後を続ける。
ちなみにヴォーリ連合国のドワーフは一夫一妻だが、これは長が世襲ではないからのようだ。ここだけではなく、アスレア地方の二つのドワーフの国でも王族や有力者は一夫多妻らしい。おそらく王の血筋が絶えるのを恐れてだろう。
「うむ。ところでヤトミ殿の刀は、どれなのだ? これから披露するものではなく、勝負の発端になったものだ」
イヴァールは周囲に視線を転じた。
先ほどから多くのドワーフ達が刀や戦斧などを運んできては、正面の壁際に飾っている。これらの武器は特別な行事のあるときに出すもので、普段は宝物庫に仕舞っているそうだ。
もちろんタケルも同じように飾られた武器を目にした。その中でタケルは一振りの刀に目を留め賞賛したのだが、それがヤトミの作だったという。
どうも、これがナガヒコの機嫌を損ねた原因らしい。
自分のものより娘の作品を褒めたからか、あるいは賞賛でヤトミがタケルに好感を抱いたのが気に入らなかったのか。ともかくドワーフの王は融和の前に鍛冶勝負を、と言い出したのだ。
「玉座の右の二番目です。おそらくタケル様は、ご自身に合った刀だから惹かれたのだと思いますが……」
イクサが言うように、ヤトミが打ったという刀は小柄なタケルに良さそうな品であった。
タケルは背が高い方ではないから、飛び抜けた大太刀より扱いやすそうな長さの刀に目が向いた。それは確かにありそうなことだ。
しかしタケルが目を付けたのは、ヤトミの刀が手頃な長さなだけではなさそうだ。
「かなりの魔力が篭もっている……超えているのはあれだけかな。一つ隣、玉座の右隣の大太刀だよ」
距離があるから刃の鋭さは判断し難い。しかし魔力であれば、シノブは遠方からでも充分に理解できた。そこでシノブは、最も魔力が多いと思った品も言い添える。
「恐れ入りました……それがナガヒコ殿の打った太刀です」
「ほう……するとヤトミ殿は国で二番に入るということか。魔力は良く判らんが、やはりあの二つが抜きん出ていると思うぞ」
イクサに続き、イヴァールが唸るような声を上げた。
武器の性能は魔力の多寡だけで決まるわけではない。そもそもの形状、切れ味、それに魔力を抜きにした素材や耐久力。それらも当然ながら重要だ。
そしてイヴァールの眼力が確かなら、他の要素でもヤトミは父に続く腕を持っているようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「それでは、刀比べを始めますぞ! ナガヒコ様、ヤトミ様、前にお願いします!」
白い髭のドワーフが、朗々たる声を張り上げた。イクサによると、彼は長老の一人だという。
ナガヒコの父は既に没しているから、王に次ぐ力を持っているのは彼ら長老だ。半数はタイズミの者から、残り半数は地方の五支族から選ばれるという。
「……ここにある鉄柱は、それぞれが用意したもの! そして相手の用意した柱を断てねば負け、双方とも斬鉄に成功すれば第二斬に入る! ……各々方、よろしいか!?」
長老の宣言に、広間に集まったドワーフ達が応と叫び返す。勝負の形式は、古くから伝わるものだそうだが、このやり取りも含めて仕来りだという。
「では、ナガヒコ様、ヤトミ様。刀を託す者を挙げられよ! 己自身で試斬を務めても構いませんぞ!」
「もちろん、俺自身だ!」
長老の問い掛けに先んじて答えたのはナガヒコであった。
力を尊ぶドワーフで王を務めるのだ。ナガヒコは国でも有数の武人であり、しかも作刀したのも彼だから、一番上手く操れるに違いない。したがってナガヒコが他に任せるわけはなかった。
「……私はタケル様を」
「承りました」
ヤトミの言葉を受け、タケルは静かに前に進み出る。もちろん事前にヤトミはタケルを指名済みで、シノブ達も知ってのことだ。それ故シノブ達の側で驚きの声は上がらない。
しかし、囲むドワーフ達は違う。そして最も大きな叫びを発したのは、広間の中心にいる人物であった。
「ヤトよ! お主は、その男のことを!?」
ヤトというのは、ヤトミの愛称なのだろう。ドワーフの王ナガヒコは、悲鳴に近い声音を発しつつ娘へと顔を向ける。
「はい。私の刀を託すお方はタケル様しかおりませぬ」
「く~!! 俺の娘を誑かすとは! 絶対に許さんぞぉ~!!」
娘の返答を聞いたナガヒコは、今度は真っ赤な顔でタケルを睨みつけた。
ナガヒコは、娘とタケルが愛し合っていると思っているのだろうか。まるで仇を前にしたかのように物凄い形相である。
「その……ナガヒコ殿は……」
「はい、少々親馬鹿らしく……」
シノブの密かな問いに、イクサは呆れの滲む声を返した。
もちろんイクサは声を抑えている。しかし彼の言葉が届かなかっただろう者達も、付ける薬がないとでも言いたげな顔をしている。
どうやら、これは陸奥の国だと誰でも知っていることらしい。驚く者はいないが、ドワーフ達の中には大きく首を振る者すらいた。
とはいえ仲の悪い大王領の人族と自分達の姫が親密だという事実に、純粋な怒りを抱いている者も多いようだ。特に若者達は、タケルに射殺すような視線を送っている。
「……俺の義父は穏やかな人で良かったよ」
「お主を断る者など、いないだろうが……しかしコルネーユ殿も最初は試したと聞いたぞ?」
イヴァールは、笑いを堪えているような様子でシノブを見上げている。
確かにコルネーユは温厚な人物で、しかもシノブがシャルロット達と親密になるのを歓迎していたらしい。とはいえ彼もマクシムの事件などでシノブの人物を見極めたのは事実であろう。
そのためイヴァールは、タケルが見事な技を示せばナガヒコも考えを改めると思ったのかもしれない。
「そうか……何となくナガヒコ殿に親しみが湧いてきたな」
「お主、早くも父としての心配か? まあシャルロット殿にミュリエル殿、セレスティーヌ殿と美人揃いだ。もし女子を授かったら、お主も心労が絶えぬだろうよ」
シノブが呟くと、イヴァールは脇へと顔を向けた。そこには頬を染めてシノブ達を見つめるミュリエルとセレスティーヌの姿がある。
「イヴァール……まあ、変な男はお断りだけど。でも、タケルだったら良いかな……いや、婚約者が多すぎるか」
シノブは頬を染めつつも、冗談めかした調子で親友に応じた。
立派に育ったヤマト王国の王子ならと思ったシノブだが、彼には多くの婚約者がいる。それに自分に娘が出来たとしても、歳が離れすぎだろう。
やはり、ここはタケルとヤトミを応援すべきなのだろう。怒れるドワーフの王を前にしても一歩も引かない若き王子に、シノブは心の中で無言の熱き声援を送ることにした。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年2月11日17時の更新となります。