05.01 庭園に咲く薔薇の花 前編
「お帰りなさいませ! シャルロットお姉さま、シノブお兄さま!」
「アミィお姉ちゃん、お帰りなさい!」
領都セリュジエールの伯爵の館に戻ったシノブ達に、館の入り口で待ち構えていたミュリエルとミシェルが帰還を祝う言葉をかけた。
ミュリエルは、銀髪に近いアッシュブロンドを靡かせて駆け寄ってきた。緑色の瞳は、既に涙があふれている。
彼女と一緒に走ってくるミシェルも、薄い緑の瞳をキラキラと輝かせ狐耳もピンと立っていた。
シノブ達がヴァルゲン砦を出発し、ベルレアン北街道を南下すること4時間。領都に着いたのは、おおよそ正午前である。
行きと同様に、彼らにはヴァルゲン砦から1個小隊の騎士達が同道し、さらに帰還を告げる先触れも出ていた。
そのため、ミュリエル達はシノブ達の帰還を待ち構えていたらしい。
館の入り口である両開きの大扉が開かれると、エントランスホールには伯爵をはじめ出迎えの人々が並んでいたのだ。
「伝令から聞いたよ。無事に解決できたそうだね。ともかく、一旦休んでもらいたい」
ベルレアン伯爵コルネーユ・ド・セリュジエは、満面の笑みを浮かべつつシノブに語りかける。
その隣では、夫人であるカトリーヌやブリジットも微笑んでいる。
「ありがとうございます。それでは一度、魔法の家を出してそちらで旅装を解きます」
優しく迎えてくれる人々に、シノブも思わず笑顔になる。
伯爵の言葉に甘え、まずは魔法の家で一休みすることにさせてもらった。
「ああ、そうしてもらいたい。事の詳細は落ち着いてからゆっくり聞かせてもらうよ。
そうだな、16時くらいに執務室に集まってもらえないかな。そして、その後は皆で晩餐としよう」
伯爵は、シノブに問いかける。
「わかりました。それでは16時に行きます」
シノブは、伯爵の提案に頷いた。
4時間以上もあれば、旅の汚れを落として余りあるだろう。
「ジェルヴェ、シノブ殿に不自由がないように手配を頼むよ」
シノブの承諾を受け、伯爵は後ろに控えていた家令のジェルヴェに声をかける。
「了解しました。シノブ様、アンナと同道させていただきます」
ジェルヴェは、侍女のアンナと共に前に進み出た。
「さあシノブ様、アミィ様、薔薇庭園へと参りましょう」
親しくしていたシノブ達が無事戻ってきたのが嬉しいようで、ジェルヴェはにこやかに微笑みながらシノブ達を誘う。
アミィ達と違い、あまり感情を狐耳や尻尾に出さない彼だが、今日は珍しく尻尾が揺れている。
彼の後に続く狼の獣人アンナも狼耳をピンと立て尻尾を大きく揺らしているが、若い彼女と違いジェルヴェがこういった仕草をすることはあまり無い。
シノブとアミィ、そしてイヴァールは、彼らの案内で薔薇庭園へと向かった。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ。今、大丈夫だろうか?」
魔法の家で軽くシャワーを浴び、服を着替えたシノブとアミィのところに、シャルロットが訪れた。
リビングのソファーに座っているシノブとアミィ、イヴァールは、応対に出たアンナに連れられ入ってくる彼女の姿を不思議そうに見た。
リビングに置いている時計を見ると、まだ14時過ぎだ。
シノブは、伯爵の執務室に行くには少し早いのではないだろうかと思ったが、どうやら彼女の用事は別のものだったようだ。
「この子達が急かすのでな……。早くシノブからの土産を見たいらしい」
シャルロットは穏やかな笑みを浮かべながら振り返る。すると彼女の後ろから、ミュリエルとミシェルが顔を出した。
「すみません……シャルロットお姉さまから私達へのお土産のことを聞いて……。それに、早くシノブお兄さまにお会いしたかったですし」
「シノブさま、ごめんなさい」
シャルロットに促され彼女の前に出てきたミュリエルとミシェルがシノブ達にペコリと頭を下げる。
「ああ、気がつかなくてごめんね。もう充分休んだから大丈夫だよ。……アミィ、お土産を出してあげて」
シノブは少女達に微笑み返す。続いてアミィへと振り向き、セランネ村で買い求めた土産物を出してほしいと伝えた。
「はい、シノブ様」
アミィはシノブの言葉に頷く。そして彼女は、魔法のカバンから二つの包みを取り出した。
「こっちがミュリエルのだね。これは俺から。ミシェルちゃんのはアミィからだよ。開けてごらん」
シノブは、ソファーに腰掛けたミュリエルとミシェルに10cm角くらいの包みを渡す。
少女達は目を輝かせて包みを受け取ると、慎重に開け始めた。彼女達が毛織物の袋を開けると、そこには木箱が入っていた。そして二人が小さな鍵で閉じられた蓋を開けると、繊細な銀細工のブローチが現れる。
「あっ、薔薇のお花! とても綺麗です……」
「わっ! ちょうちょだ! すごい!」
二人はミスリル製の精緻なブローチに目を奪われたようだ。じっと手のひらの上の小箱に収まった装飾品を見ている。
ミュリエルのものは、幾重もの花弁が細い銀線で形作られた薔薇を象ったブローチである。糸のように細い線を編むようにして作られた花びらには、小さな水色の宝石で朝露が表現されている。
ミシェルの蝶のブローチは、網目のように細かい銀線で作られた羽に、非常に薄い板状にした半透明な宝石が嵌めてあるものだ。少しずつ色合いが違う緑色の宝石で、華麗な蝶の羽が見事に再現されている。
「シノブお兄さま、ありがとうございます!」
「アミィお姉ちゃん、ありがとう!」
しばらくの間、自身の手の中のブローチに見とれていた二人は、顔を上げるとシノブとアミィにお礼を言った。彼女達の顔は、とても嬉しそうに輝いている。
「さあ、つけてごらん」
「そうですよ。見ているだけじゃなくて、手にとってみてください」
シノブとアミィの言葉に、二人は恐る恐るブローチに手を伸ばした。どうやって作ったかもわからない細かな銀細工のブローチに、彼女達は壊してしまわないかと思ったらしい。
「ほら、ミュリエル。ここを持てばいい」
「ミシェルちゃんも、こうやって……」
シャルロットが、優しげに隣に座った妹へと助言する。一方アミィもミシェルに寄ると、ブローチを手に持たせる。
少女達がシャルロットやアミィの助けを借りながらブローチを着けるのを、シノブは微笑みながら眺めていた。
イヴァールも、自身の村で作られた細工物を嬉しそうに身に着ける少女達に、僅かに顔を綻ばせていた。髭で覆われた顔からは表情を読み取りにくいが、彼の目元は僅かに緩んでいる。
「シノブお兄さま、どうですか?」
ブローチを胸に着け終わったミュリエルは、シノブへと見せ、感想を求める。
「ああ、とても良く似合ってるね。まるで庭園に咲いている薔薇を付けているようだよ」
シノブは、ミュリエルのブローチを見て彼女に似合っていると感じていた。
だいぶ寒くなった伯爵邸の薔薇庭園には、秋薔薇が綺麗に咲いている。
ミュリエルのブローチは庭師達が丹精こめて育てた名花を銀に変えてしまったかのように、瑞々しさすら感じる美しさである。
子供らしく元気の良いミュリエルには生花とも見間違うようなブローチが良く似合っているとシノブは思った。
「私のはどうですか?」
ミシェルもシノブを見上げて尋ねる。
「ミシェルちゃんのも、とても綺麗だよ。瞳と同じ緑色だから、凄くおしゃれな感じだね」
購入時にアミィが言っていた通り、緑色の蝶はミシェルの薄い緑の瞳を思わせる。それにシノブは、繊細だがどこか可愛らしい蝶が、幼い彼女に似合っていると感じていた。
「シノブさま、ありがとう!」
ミシェルは満面の笑みを浮かべ、再びお礼の言葉を口にした。
しばらく少女達は、お互いの胸に着けたブローチを見せ合いはしゃいでいた。
アミィは彼女達を洗面所に連れて行った。どうやら、化粧台の三面鏡で映して見せているらしい。
洗面所からは、一層大きな歓声が聞こえてきた。
「……そうだ、シャルロット。ちょっと早いけど館に行こうか。カトリーヌ様の体調を確認しておきたいから」
シノブは、子供を身篭っているカトリーヌの経過が気になったので、シャルロットに声をかけた。
館のエントランスホールで見たときには、健康そうに見えたが、大勢の人がいたので魔力感知はしていない。彼女を置いて旅立ったシノブは、その後の経過を診察しに行くべきだと考えたのだ。
「シノブ、感謝する。ぜひ母上を診てほしい」
母親思いのシャルロットは、嬉しそうにシノブに答えた。
「イヴァールはどうする?」
シノブは、隣に座っているイヴァールに同行するか聞いた。
「俺はここで待っているぞ。奥方のところに行っても何の役にも立てんからな」
確かにイヴァールが行っても、何もすることがないだろう。シノブは余計なことを聞いたなと思い、ほろ苦い笑みを浮かべた。
「それじゃイヴァール、留守番を頼むよ」
「おお、任された。16時には伯爵の執務室に行くからな」
イヴァールはシノブに片手を挙げて答える。
旅の間に、イヴァールをはじめとする仲間達には、魔法の家の鍵を開け閉めできるように設定している。そのため、彼だけ残っても問題はない。
「それじゃ、シャルロット。行こうか」
シノブは、洗面所ではしゃいでいる少女達にも声をかけ、魔法の家を後にした。
お読みいただき、ありがとうございます。
今回から第5章です。章タイトル通り、ベルレアン伯爵領の話が中心になります。
本作の設定資料に4章の登場人物を追加しました。
設定資料はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。




