20.32 闇を晴らす音
アマノ同盟大祭は、これ以上ないほどの成功裏に終わった。
同盟の各国は自らの披露した技や物で大いに面目を施し、仲間の示した事物から更なる意欲や発展の元を得た。そして集った人々は思う存分に交流し、素晴らしき世を孫子の代まで保とうと誓い合ったのだ。
終幕を飾る『白陽宮』の宴では、二日間の大祭での諸々が興奮冷めやらぬ様子で語られた。
それに早くも次回が話題に挙がる。次こそは我が国が、いや次も我々がと競う者達。これはどうかと提案する者達。まるで次回が来月であるかのような勢いだ。
そして喜びを胸に抱いた人々は、幸せな眠りへと移る。しかしシノブに休む間はなく、僅かな者達と共にアスレア海の謎の島へと赴いた。
時刻はアマノシュタットなら21時過ぎ、アルバン王国の南に位置する今いる島だと翌日まで一時間を切った。そのため島や海は深い闇に閉ざされている。
もっとも竜を始めとする超越種に、宵闇など関係ない。現に岩竜の長老ヴルムと炎竜の長老アジドは昼と変わらぬ速度で飛翔し、僅かな時間でアマノ号を前線基地となる島に運んでいた。
「……ファルケ島に変わりはないか」
シノブは命名したばかりの名を呟きながら、眼下を光の魔道具で照らす。
ここはエウレア地方から遠い地だ。しかし、この島はアマノ王国の管理下に置かれるから、名前はアマノ王国風にすべきだろう。
そしてアマノ王国は、地球ならドイツに相当する地域であった。
そのためシノブは、鷹を意味するドイツ語を選んだ。島の発見者は金鵄族のホリィ、そして彼女の本来の姿は青い鷹だからである。
『うむ。大地に異変は感じられん』
『そうだな。今朝と変わらぬ』
ヴルムとアジドはアマノ号を降下させつつ、発声の術で応じた。
甲板の上にいる玄王亀の長老アケロや海竜の長老ヴォロスも、巨艦を運ぶ老竜達に同意する。それに守るように周囲を飛ぶ三頭の光翔虎バージ、ダージ、フォージや朱潜鳳のフォルスも同様だ。
今からシノブ達は、本格的な拠点を作成する。とはいえ大半はシノブの魔術を用いるから、時間も大して掛からないし、手伝いも殆ど不要だ。
それでは何故多くの超越種を伴ったかというと、シノブが魔術を行使した際に島や周囲に異変が生じないか探ってもらうためだ。
しかも北に100kmほどの海域では、更に多くの超越種達も控えている。南側は敵の支配圏だろうから不用意に接近できないが、もしものことを考え岩竜ガンドを始めとする超越種達が後方に展開していた。
──異常ありません!──
移送鳥符に憑依したホリィが、近場の空から思念を送ってくる。
──何か出てきてくれた方が助かりますわ!──
──そうですね~──
こちらは同じく符に乗り移ったマリィとミリィだ。
既に深夜だから、マリィもキルーシ王国から呼び寄せた。現在キルーシ王国は平穏だし、テュラーク王国に潜入中のアルバーノ達に何かあれば、こちらに魔法の家で連れてきても良いからだ。
──極めて大きな魔力波動であれば、動く可能性はありますわ……感知できる状態なら、ですけど──
マリィが触れたように、前線基地の作成は一種の挑発行為でもあった。
近場で大きな魔力が動けば、謎の海神ことヤムと思われる神霊も反応を示すのでは、というわけだ。何しろファルケ島は、相手が潜んでいると思われる海域まで100km程度なのだ。
「出てきてほしいね。今なら後ろにガンド達がいるから、異形が湧き出たとしても対処できるし」
「そうですね。皆さんに四六時中張り付いてもらうのも……」
地面に迫ったアマノ号の甲板で、シノブとアミィは言葉を交わす。念の為、一度地上を確認してから拠点作成に取り掛かるのだ。
シノブは島の中央近くに岩壁の術で高台を作る。もちろん『南から来た男』ヴラディズフが使った場所とは離れたところだ。
更に何かの手掛かりが、遺跡から見つかるかもしれない。そのためシノブは、手付かずだと判明した場所を拠点の候補地に選んだ。
そこにシノブは高さ100mほどの岩山を造り、上をアマノ号の発着場などにする。もしヤムらしき存在が津波を起こしても、元と合わせて標高150m近い場所なら避けられると考えたからだ。
それだけ並外れた魔術を行使すれば、感知能力に優れた者なら気が付く可能性は高い。そして相手が動けば戦いを挑むから、シノブを始め完全武装である。
シノブは四つの神具を装着し、アミィも炎の細剣を腰に佩いている。それはホリィ達も同じで、魔法の家の中に横たわった三人の体の側には彼女達が用いる神具も置かれていた。
果たして何か動くのか。何かが起きるなら、万全の態勢の今が望ましい。シノブの心には、願望や期待にも近い思いが生じていた。
◆ ◆ ◆ ◆
地は激しく鳴動し、風は木々を薙ぎ倒さんばかりに吹き荒れる。しかしファルケ島に集った者達は、別の波動が気になるようだ。
彼らは地から伸びる巨大な岩の塊ではなく、手前のシノブを一心に見つめている。
『凄まじいな……我らの力など赤子のようなもの』
『大神アムテリア様のお血筋だと知っていても、やはり驚くしかない……。この強大で澄んだ魔力波動、これが……』
岩竜の長老ヴルムと炎竜の長老アジドは、双胴船型の巨艦アマノ号を吊り下げ宙に留まっている。激しく揺れる地上に船を降ろすなど馬鹿げているからだ。
そして光の神具を全て着けたシノブは、地上の近くで浮いていた。重力魔術を使っての浮遊である。
太陽のような金色の光を発する姿。それは、この世界に彼を誘った女神のようですらあった。
おそらく超越種の長老達は、そのことに思い至ったに違いない。
『我らが父母も、こうやって大神アムテリア様の御業を見つめたのだろうか……』
「創世の時代、神々は時々地を整えたそうです」
強い畏れを滲ませた玄王亀の長老アケロに、甲板から並んで眺める狐の獣人の少女が静かに応じた。もちろん少女はシノブの第一の従者アミィである。
アミィやホリィ達の誕生は、創世期から何百年も後だという。そのためアミィ自身は、この惑星に生き物が住み始めたころを直接知らないようだ。
しかし先輩達から聞いたのだろう、アミィの声には寸毫の揺らぎも存在しなかった。
『おお……あの四角い台の上に船を置くのか?』
『そのようだ。しかし、綺麗に整っているな』
光翔虎のバージとダージは、シノブが造り出す高台の形が気になるらしい。
それは、四角錐の上を切り落とし平らにしたような岩山だ。要するにピラミッドに似た形状である。
もっとも上の平面は随分と広く、ピラミッドといっても古代エジプトではなく中南米のものに近い。ただし側面は階段を除き平らな斜面だから、その点は違う。
『大きいですね! この船が幾つも置けそうです!』
『確かに……。しかし凄い魔力だ……これなら邪神も気付くか?』
こちらは朱潜鳳のフォルスと光翔虎のフォージだ。
ここにいる三頭の光翔虎でフォージは最も若く四百歳程度だ。そしてフォルスは三百歳ほどである。そのため彼らは、比較的歳の近いもの同士で打ち解けたらしい。輝く特大の虎と真紅の巨鳥は、宙で仲良く並んでいた。
「完成だ……。皆、済まないけど確認してもらえる? 基礎はずっと下まで伸ばしたから、沈んだり倒壊したりは無いと思うけど」
ピラミッド状の構造物を造り上げたシノブは、宙を飛んでアマノ号に戻った。そしてシノブは岩や大地に通じている超越種達に、誕生したばかりの岩山の点検を頼んだ。
おそらくピラミッドは底面が300m四方、そして上面が100m四方はあるだろう。この島が直径2kmほどだから、底面は島の面積の三十分の一を超えている。
しかも高さが100mもあるから、どれほどの重量か見当も付かない。シノブがヴルム達に確かめてほしいと頼むのも、無理からぬことであった。
それでもここまで巨大にしたのは、海神ヤムらしき存在の力がどれほどか不明だからである。もしかすると単に山を拵えた程度では、地下水などを操り挑んでくるかもしれない。
今は自分がいるから数km以内に不審な魔力がないと把握している。それにヴルム達も島が自然のものだと保証してくれた。
したがって現時点では安心できるが、他の者だけ残すなら取りうる対策を全て取りたい。シノブは、そのように考えたのだ。
『判った。それではアケロ殿、フォルス殿、地中を頼む。我は上から岩山の強度を確かめよう』
ヴルムは岩や金属の成分を知ることが可能だ。しかし彼は地中の移動だと玄王亀や朱潜鳳に敵わない。岩竜が地に潜るとき、ブレスで岩を砕くか普通に掘るかなのだ。
一方アケロやフォルスは空間を歪め地中を進む。そのため彼らは穴を空けずに確かめることが出来る。
『任せてほしい』
『それでは行ってまいります……潜行巡翔!』
玄王亀の長老アケロは威厳たっぷりの浮遊で落ち着いた返答をし、若い朱潜鳳フォルスは勢い良く飛び上がりつつ叫びと、実に対照的ではあるが双方とも地中へと姿を消す。
そしてヴルムはアジドと共にアマノ号をピラミッドの上面に降ろすと、宣言通りに巨大な岩塊の周囲を掠めるような飛翔で巡っていく。
◆ ◆ ◆ ◆
「何も出ない……か」
「出なければ出ないで、安全な前線基地を確保できます」
呟くシノブに、ホリィが慰めるような言葉を掛けた。
拠点となる岩山の完成から、既に一時間近くが経った。しかし今のところ誰も異常を感じていない。
ホリィを始めとする金鵄族の三人も、自身の体に戻った。マリィとミリィはアミィを手伝っているため外しているが、全員が島内にいる。
「ああ。それに、これからだ。このピラミッドは目に付くから、気が付けば不快に思って確かめに来るかもしれない」
「オリエントという場所もピラミッドがあるのでしたね。向こうではジッグラトと呼ぶのでしたか……」
シノブとホリィは足元、つまり先ほど誕生した巨大な人工物へと視線を向けた。このピラミッドを造った理由の一つに、敵の誘き寄せがあるのだ。
シノブ達は前線基地が安全であることを願った一方で、ここに敵の目を惹きつけ誘導したくもあった。敵がファルケ島を避けて大陸へと向かうなど、望ましくない事態を防ぐためである。
「バアル神は天空神に分類されるから、神殿が高いのは理解できる。でも、ヤムの神殿も似たようなものだったらしい。
……それに古代エジプトのピラミッドもジッグラトに影響されて出来たって説もある。そういう文化があるなら、海の神だって高層の大神殿が欲しくなるかも……」
シノブは日本にいたころ得た知識を思い起こす。
バアルやヤムを神と崇めた民族は、都市に塔や高い神殿を建てた。王宮や神殿などの大建築物は、膨大な重量を支えるため壁は何mもの厚みを持っていたというし、そもそも都市自体が丘を利用している。
そこに古代メソポタミアのような数十mもの高さのジッグラトがあったかは不明である。しかし基部の構造からすると、彼らが類似のものを目指したのは間違いないだろう。
それに神話だと、バアルやヤムは巨大な宮殿を建てたとされている。ならば、こんな近場に巨大建造物が誕生したら何か反応するのではと、シノブ達は考えたわけだ。
「……今のところ、テュラーク王国に動きはないしね。宮廷魔術師ルボジェクやキルーシから逃げ込んだエボチェフは現れないままだし、軍も相変わらずだ。もっとも昨日の今日だから当然だけど」
シノブは知らず知らずのうちに腕を組み、眉を顰めていた。アルバーノやアルノー、そして四将軍が潜入中のテュラーク王国から、変わりなしという知らせが届いたのだ。
もっともアルバーノがアマノシュタットに帰還して報告したのは、まだ昨日のことだ。したがって進展がなくても気にすべきではないだろう。
「向こうは複雑ですからね」
ホリィもシノブの気持ちを察しているようだ。
ある意味では謎の海神よりテュラーク王国の方が、シノブにとって気に掛かる相手であった。正確には、簡単に手出しできないと言うべきか。
謎の海神との対決は困難を極めるだろうが、構図自体は非常に簡単である。基本的にはシノブと海神、この二者しか絡んでいないからだ。
過去のバアル神と違い、海神に率いる民はいない。そのため相手を見つけ、言葉を交わし、決裂したら戦う。これだけである。
神々の決まりだと、その惑星や太陽系の担当となった者以外が勝手に侵入するのは認められていないそうだ。その場を担当する神が招きいれて歓待するのは構わないし、そのような食客めいた立場の神も実際にいるらしい。
しかし断りも無く居座るのは掟破りで、その地を預かる神が侵入者を追い出したり上級神に引き渡したりするという。
つまり謎の海神に関しては、会って説得できれば良し、無理なら実力行使という極めて単純な話である。それに対し国と国の騒動は、話せば良い、倒せば良い、とはいかない。
「そうだね。……でも、テュラークが禁術に手を出していたら、止めさせるしかない。もし拒むなら、そのときは戦になるだろう。そもそも向こうはキルーシに攻め込むつもりらしいし……」
シノブは、アルバーノから伝えられたテュラーク王国の現状を思い浮かべる。
百万を超えるというテュラーク王国の人々の、そしてキルーシ王国のおよそ百五十万人の命に直接影響するのだ。仮にテュラーク王が進軍を命じたら、どれほどの命が失われるか。シノブは、それを憂えていた。
「はい。禁術があるなら、テュラーク王国が戦に勝つかもしれません。そうなればアスレア地方全体に戦乱が広がるかも……。
絶対に阻止すべきことですが、打倒したら再びアマノ王国建国のような大仕事に……も、もちろん、シノブ様にテュラークの王様までお願いするわけではありません!」
どうやらホリィは、途中でシノブが苦い顔をしたことに気が付いたらしい。彼女は慌てたように両手を振った。
これ以上の玉座を得るなど、シノブは望んでいない。
とはいえ紛争に関与したら、後の支援もするだろう。直接関与したくはないが、それでもアルマン共和国が誕生したときのように、人材を派遣するかもしれない。
それもシノブとしては悩ましい話ではあった。まだ自国の人材も何とか揃ってきたところなのに、というわけだ。
「……その辺りはリョマノフやヴァサーナ殿、それにキルーシ王国やエレビア王国、アルバン王国の人に頑張ってもらおう。それにエルフのアゼルフ共和国も協力してくれるだろうしね」
シノブはエレビア王国の王子リョマノフや、彼の婚約者となったキルーシ王国の王女ヴァサーナを思い浮かべる。
彼らなら何とかしてくれるのでは、とシノブは思っていた。たぶん人好きのする王子リョマノフに、シノブが強い好感を覚えているからだろう。
「ともかく、焦らず着実に前に進むさ。皆も頑張っているし、支えてくれているんだから」
シノブは、出かける前の一幕を思い浮かべる。それは微笑ましくも、大きな力を貰った光景であった。
◆ ◆ ◆ ◆
王都アマノシュタットの中央に位置する『白陽宮』の奥。日も落ちてから随分と経ったにも関わらず、『小宮殿』には元気の良い掛け声が響く。発しているのは幼子達、一日の訓練を終えて戻ってきた小さな超越種達である。
『……移送転換!』
『僕だって! ……移送転換!』
炎竜シュメイと岩竜ファーヴは、移送鳥符への憑依を試みる。この二頭、今日は空いている時間の全てを符術の修行に費やしたそうだ。
『頑張れ~!』
『もう少しです!』
こちらは先輩格の二頭だ。光翔虎のフェイニーと岩竜のオルムルは、共に大きめの猫くらいに変じて宙に浮いている。
二頭はシュメイ達に助言したり手本を示したりと忙しい。そのためシノブとシャルロットの居室は、自然と明るさを増していた。
「確かに、後ちょっとみたいだね」
「そうですか……」
部屋に戻ってきたシノブの言葉に、シャルロットは大きな笑みを浮かべつつ応じた。彼女は小さな竜達が訓練する様子を、ずっと見守っていたようだ。
ゆったりとソファーに腰掛けたシャルロットの周囲には、他の子供達もいる。海竜リタンに嵐竜ラーカはシャルロットの側で静かに宙に浮き、残る幼い三頭がソファーの上だ。
生後三ヶ月半と少し大きい炎竜フェルンに朱潜鳳ディアスは、ちょこんとシャルロットの両脇に座している。とはいえ自分も早くと思っているようで、二頭は修行する先輩達を円らな瞳で見つめ続ける。
そして、もうすぐ生後二十日の玄王亀ケリスはと言えば、既に夢の世界の住人らしい。彼女はシャルロットの膝に触れる至近で、頭や手足を甲羅に半ば収めつつ静かにしている。
「お帰りなさいませ」
「お茶を淹れます」
どうやらアミィとタミィは、ケリスを起こさないようにと思ったらしい。普段より随分と抑えめな声だ。
二人はシャルロットの向かい側のソファーである。ただしタミィはシノブの世話をすべく静かに立ち上がった。
「ケリスは寝ちゃったの?」
シノブはシャルロットの隣、ケリスを挟んだ場所に腰掛ける。
そこに先ほどまでいたディアスはシノブの膝の上に移り、更にフェルンまで寄ってくる。たぶん魔力が欲しいのだろう。そう察したシノブは、早速注いでいく。
「そのようです。つい先ほどまでは、貴方を待つと起きていたのですが」
シャルロットはケリスへと視線を落とす。そして彼女は小さな玄王亀の甲羅をそっと撫でた。
一方のシノブは、ぬいぐるみを愛でるかのような妻の姿に思わず頬を緩めてしまう。
『シノブさん、シュメイやファーヴも頑張っています!』
『移送魚符の完成には間に合いますよ~』
オルムルとフェイニーは後輩達への指導を優先したようだ。どちらもシノブに声を掛けるものの、訓練中のシュメイやファーヴから離れることはない。
空の偵察に使う移送鳥符を元に、海中用の移送魚符の開発は進められている。着手は僅か数日前だが、超越種達も協力しているから製作は順調である。早ければ明日中、遅くとも明後日の夜には実用可能な品が出来上がるらしい。
そのためシュメイとファーヴは、移送魚符の完成までに憑依術を体得しようと努力している。二頭も先に生まれた者達、オルムル、フェイニー、リタン、ラーカと共にシノブの手助けをしようと一生懸命なのだ。
「楽しみにしているよ」
オルムル達の助けを借りる前に、海神との件を片付けたい。そう思うシノブだが、子供達の気持ちは素直に嬉しくもあった。
そのためシノブはファルケ島の前線基地化に触れることなく、そのままオルムル達に頷き返す。
「……アルバーノから、変わりなしと連絡があったそうですが?」
シャルロットもシノブの胸の内は重々察しているようだ。彼女は謎の海神の探索ではなく、テュラーク王国に潜入中のアルバーノからの報告に触れた。
妻として夫を助けようという思いは、シャルロットに強く宿っているようだ。しかし流石の彼女も異神との戦いに助言するのは難しいのだろう。
物心付くかどうかという年齢から、シャルロットは将来の領主として、そして武人として育てられた。そのため統治者や司令官の心理は長年の経験や教育で察するし、この世界に来てから学んだシノブよりも深いところにも気が回る。
しかし神々との戦いとなると、あまりに常識外れすぎてシャルロットも想像の埒外のようだ。
そこでシャルロットは、自身の経験が活かせる話題を選んだようである。
この辺りはシャルロットの実務的な性格と合わせ、心の強さを示しているのかもしれない。夫の力になれると思うことは訊ねもするし相談にも乗るが、自身の範疇を超えることには触れない。それは判らぬことや助言できないことを問うても、シノブが困るだけと考えているからだろう。
「ああ。しかし衝突は避けられないだろうね。それまでに介入すべき件か証拠を掴みたいが……」
シノブはオルムル達がいることもあり、直接的な言葉を避けつつ答えた。とはいえ妻の意見に拝聴すべき価値があるとシノブは思っているから、期待を込めつつ返答を待つ。
「宮廷魔術師のルボジェクは、百歳にもなる大魔術師だとか。そのため周囲も恐れ、彼が持つ秘密の場を噂する者も少ないのでしたね……普通なら資材や食料などの搬入から判明しそうなものですが、それも無いとは……」
シャルロットが触れたように、大魔術師ルボジェクを人知の及ばぬ存在と恐怖する者は多いようだ。
何しろルボジェクは平均寿命を遥かに超えているのに壮年者と同様の健康を保ち、王宮勤めを続けているのだ。テュラーク王宮の人々が、一種の怪物と認識するのも無理はない。
「しかし、これ以上不明なままというのも……であれば離間策などを仕掛け、秘密の場に使者が走るよう誘導しては如何でしょう?」
やはりシャルロットは武人であった。彼女は謀略を提案する。
テュラーク国王や宰相が、ルボジェクに緊急の使者を送るような事態を作り出す。たとえばキルーシ王国が急に動いたから意見を求める。新たな伝説級の魔道具を得たから見解を聞きたい。あるいは逃亡したという噂を街に流して確認に赴かせる。
そのようにルボジェクと連絡を取らねばと思う事態を演出する。もちろん下手な扇動は戦への動きを加速させるから、内容は充分に吟味しなくてはならない。
しかし動きがないなら動かせばよい。これがシャルロットの返答であった。
「なるほどね……タミィ、アルバーノに連絡を取ってくれ。俺達は、これからファルケ島に出かけるから」
シノブはシャルロットの意見に幾つもの利点を見出した。相手の結束を崩す、反応を見る、こちらの望む時期や場所に誘導する。そういった事柄だ。
「判りました、シノブ様!」
タミィは大きく頷くと文を記すべく紙とペンを取った。そしてシノブは前線基地とする島に赴こうと、再び立ち上がった。
◆ ◆ ◆ ◆
それぞれが為すべきことをし、それを信じて自分は自分の役割に力を注ぐ。本当の信頼とは、そういうものだろう。一人で国を動かすことなど出来はしないし、平和を作り出すことなど尚更不可能だ。
その意味では、大地を揺るがし地形を変える技など微力というしかない。そのような単純な力を振るっても、人々を真に動かすことは出来ないからである。
それ故、自分はここで信じて待つ。アミィ達が、自分の及ばぬ部分を補い戻ってくるときを。そんな思いがシノブを満たした瞬間、心の声が届いたかのように最も信頼する従者にして最高の導き手の言葉が空から降ってくる。
「シノブ様! 準備が完了しました! これで遠方からでもファルケ島の状況を把握できます!」
アミィは朱潜鳳フォルスの背から手を振っている。そして続くようにマリィやミリィ、ヴルム達も高台の上に向かって飛翔してくる。
「ありがとう! これで安心して戻れるよ!」
シノブも暗い空に向かって手を振り返す。
アミィ達は、ある魔道具を島中に仕掛けてきた。それは定期的に一定の魔力波動を発するものだ。
この発信機というべき魔道具の波動は、高台に設置された巨大な中継器が受信して遠方に送る。ファルケ島はアゼルフ共和国の中心集落の一つルメティアから700kmほどだから、長距離用の魔力無線なら充分に信号が届く。
仮に中継器や末端の魔道具が破壊されたら、向こうでは信号が受け取れなくなるか一部が途絶する。これを何かがファルケ島に現れた印とし、シノブ達が島へと動くわけだ。
移送魚符が完成すれば、更に観測点を海中に広げるし、そうなれば安心して島に常駐できる。しかし当面は囮を兼ねた発信機のみを島に置き、訪れるときはシノブも含めた集団にするつもりである。
「それでは、中継器を起動しますね!」
アミィはフォルスの背から飛び降り、ピラミッドの中央近くに置かれた家ほどもある巨大な設備へと駆けていった。もちろん彼女が向かったのは、このために改造した長距離用魔力無線の装置である。
これは誕生したばかりの900km級の魔力無線だから、信号はルメティアまで充分に届く。それにルメティアより近くにアルバン王国の王都アールバもあるから、そちらに送り込んだ駐在員も監視をしてくれる。
そして万一信号が途切れたら、シノブ達に連絡が入るのだ。
「……最初だから、音でも確認しましょう」
アミィは巨大な魔道装置の外面にあるパネルを操作した。
パネルといっても、そこにも屋根はあるし収納も出来るから屋外の使用にも充分耐える。何しろここは南の島だから、防水や防風を考えた作りにしておかないと、あっという間に故障しかねない。
「……これはアマノ王国の国歌?」
シノブは聞きなれた旋律に耳を澄ます。途中から始まったが、確かにそれはシノブ達が毎朝聞いている歌であった。
希望溢れる未来。明日への活力。それらを明るく歌い上げる歌詞が、シノブの心に浮かぶ。そしてシノブは、真夜中の深い闇に光が生み出される光景を幻視する。
「はい! 個々の発信機の波動を一音ずつとしています。ですから、途切れた箇所で異変のあったところは判ります!」
アミィは、一つの発信機が一つの十六分音符に相当するという。そして音が抜けた場所で異常があった位置が掴めるよう、どこにどれを置いたかは記録しているそうだ。
装置の構造は難しくない。個々の発信機には精密な時計を組み込んでおり、一定の周期で魔力波動を飛ばす。そして中継器は受信した魔力波動を遠方に送っていくだけだ。
エウレア地方には精度の高い時計があるし、定期的に中継器が発する同期用の魔力波動で調整もする。そのため発信機は、手を入れなくとも一定間隔で魔力を発するという。
「発信機が使う程度の魔力なら、ここでも自然吸収で補えますし。この中継器は無理ですが、私達なら数日分は溜めることが出来ますから」
アミィは自慢げな顔である。これはミュレ子爵マルタンやハレール男爵ピッカールの作だが、彼女も開発には大いに関わったからである。
「それじゃ戻りましょ~。もう、ここでは零時を過ぎました~」
ミリィが言うように、既にこの島では日付が変わっていた。アマノ王国でも23時になったかもしれない。
「そうね。……シノブ様、今日はヤマト王国にお出かけでしたわね?」
そしてマリィが続けて指摘したように、この日シノブ達はヤマト王国の鍛冶勝負を見物しに行くことになっていた。
向こうに行くのはヤマト王国の夕方遅くだが、アマノ王国との時差が七時間はある。つまりシノブ達は昼前に出かける予定であった。
「確かにね! それじゃルメティアやアールバへの連絡が済んだら引き上げよう!」
シノブは二つの土地の名を挙げながら、多くの人々に支えられていることを改めて実感していた。
彼らの支援や声援があるから、自分は異神と戦える。そのことを決して忘れてはいけない。厳しいものとなるだろう戦いを前に、今一度シノブは己の心に戒めを刻んでいた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年2月9日17時の更新となります。
異聞録の第三十三話を公開しました。シリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。