20.30 平和の祭典 中編
エウレア地方の全ての国と南のアフレア大陸のウピンデ国、合わせて八つの国が集うアマノ同盟大祭に沸く王都アマノシュタット。その中央区は各国からの賓客で溢れ、周囲の四区は国中から押し寄せた見物客で一杯だ。
しかし王都中央の宮殿にいる筈の国王は、幾度か人知れず姿を消していた。
もちろんシノブは職務を放棄したわけではない。
シノブはアミィ達を連れ、先日発見したアスレア海に浮かぶ孤島に渡っていた。『南から来た男』ことヴラディズフと関係するらしき遺跡を調べるためである。
家族達に宣言した通り、シノブは未明から早朝を調査に当てていた。問題の島は遥か東で二時間ほど時差があり、調査開始が日の出直後となるから好都合なのだ。
島に赴くのは主にシノブとアミィ、そして岩竜の長老ヴルムなど超越種でも特に老練な者達だ。
アミィの役目は石板や魔道具の解析だ。一方ヴルムは、炎竜の長老アジドや玄王亀の長老アケロなどと島の構造を調べつつ、発見した遺跡を発掘している。
ちなみに、まだ海中に潜っての調査は避けていた。そろそろ海中探索用の移送魚符が完成するから、シノブは符で海に乗り出すことにした。そのため海竜達は、別の場所で出番を待っている。
代わりに付近を調べているのは、ホリィとミリィだ。二人は休暇中だが、早朝の調査には参加してくれた。彼女達は移送鳥符に憑依し、島の周囲を探っているのだ。
もっとも一昨日と昨日の偵察飛行では、近隣の数10kmに異常はない。少なくとも空や海上は平穏で、この島の他に怪しげなものは存在しないようだ。
ちなみに移送鳥符に乗り移ったホリィ達の体は、島にいるシノブとアミィの至近、魔法の馬車の中だ。
魔法の馬車は一時的な拠点として置いただけだから、馬を繋いでいない。ホリィ達の保護と、島から引き上げるときの転移。この二つだけが目的だからだ。
帰還は馬車の隠し部屋にある転移の絵画を使い、その後に馬車自体を呼び寄せるのだ。
「やっぱり、これが『ヴラディズフ』です!」
南国風の木々の下に、アミィの声が響いた。
アミィがいる木陰には、発見されたばかりの石板が並んでいる。まな板くらいの大きさの遺物は数十枚ほどもあり、まるで石畳でも敷こうとしているようだ。
石板や魔道具を発掘するのは超越種達だから、土は綺麗に落とされ表面に刻まれた文字も明らかだ。そのためアミィが指差している箇所は、後ろから覗き込むシノブにも充分に見て取れた。
石板の文字は細長い三角形や線で構成されており、地球の分類法なら楔形文字と言うべきものだ。一方、この世界の文字は全て日本語で、アルファベットも存在しない。
そのためベランジェが推薦した者達、旧帝国の秘録を調べた学者などは、最初随分と戸惑ったらしい。しかし彼らには、ベーリンゲン帝国建国期の文書から得た当時の固有名詞がある。
この島に初代皇帝ヴラディズフや彼の主だった家臣などがいたら、石板に名が刻まれたかもしれない。それはアスレア地方の地名なども同様だ。そのためアミィや学者達は、該当しそうな単語と見比べながら石板の解読を進めているのだ。
島で見つかった石板の字は、ウガリット文字に似ていた。
ウガリット文字は地球でバアル神を信奉した民族が用いたもので、ヴラディズフが奉じたのも異神バアルである。そこでシノブ達は、石板の文字をウガリット文字の変形と判断していた。
そしてウガリット文字は、アルファベットと同じように子音と母音に分かれる系統だ。それ故シノブやアミィは、日本語をローマ字表記にしたような記法という前提で調べていた。
「これが『v』に相当する文字……そうすると『z』と『f』はこれか……。ヴラディズフの名に含まれている母音が、ウガリット文字にあるもので助かったな」
シノブもアミィから教わっており、特定が済んでいる文字は読み取れる。
そして石板の記述は左から右の横書き、つまりヴラディズフをローマ字風に記すなら左から『Vuradizufu』と並んでいる筈だ。つまり母音は出現順で『u』『a』『i』の三種しかない。
「はい! この三つはウガリット文字にありますし、母音は出現頻度が高いですから! それに文節の終わりが空いているのも幸いしました!」
アミィは喜びを隠さない。彼女の薄紫色の瞳は喜びに、そして艶やかな髪と更に上の狐耳は朝の光に煌めいている。
だが、それも当然だ。ついにヴラディズフを表す文字が特定できたのだから。
ウガリット文字の母音に相当する文字は、初期のうちに見当が付いていた。アミィの言うように頻度などを参考に判断したのだ。
母音は五種類だから子音に比べれば多く記される。そしてローマ字表記なら一部の例外を除いて子音と母音が交互に現れるから、母音を特定すれば既知の単語との比較で子音も定まっていく。
「で……続くのは『da.』か。ここが『ヴラディズフだ。』で……」
シノブが眺めている部分は文末らしい。読み上げた箇所の最後は、句点に相当するものであった。
このように文末の『だ』や『である』のような助動詞や、文節の終わりに来る『が』や『に』の格助詞など、位置から想像できるものもある。
したがって石板の文字は、元のウガリット文字から大きく簡略化しているにも関わらず、かなり特定が進んでいた。
「『o』と『e』も確定です! 次が『omaega wagasito.』……『お前が我が使徒。』ですね」
「すると次が……『使徒よ、我を陸に導け。そのための力を与えよう。そう我が神は』……これはヴラディズフか仲間の手記なのかな?」
シノブは一息入れ、アミィに顔を向けた。『そう我が神は』の後は、石板の破損で読めなかったのだ。
文字は殆ど確定したが、今までに得た石板を本格的に読むのはこれからだ。
島を発見したのが三日前で、見当が付いてきたのは昨日の遅くだ。もっとも取っ掛かりが出来れば加速度的に進んでいく。
現に今、ヴラディズフの名を示す箇所から大きく前進した。特殊な表記方法がなければ、これで大半の文章が明らかになるのでは。シノブは大きな期待を抱きつつ、アミィの答えを待つ。
◆ ◆ ◆ ◆
「……邪神の使徒や準じた者になったのは一部だと思います。そして石板は手記であり、ある種の経典でもあるようです」
暫しの間、アミィは石板へと向いていた。そして振り返った彼女は、眉を顰めたままシノブに語り出す。
アミィ達からすれば、異神バアルは侵入者であり邪悪な存在であった。
実際バアル神や彼の眷属神は、そう思われるだけの所業をした。心を縛って従え、体を造り変えて働かせる。敵だけではなく、奴隷とした者が倒れようともお構い無しだ。
そのためアミィはバアル達を神と認めたくないのだろう。彼女だけではなくホリィ達も同様に邪神と呼ぶし、打倒帝国に加わった人々も同様であった。
アミィは過去の非道を石板から思ったようだ。彼女の可愛らしい顔は、長く地上を見守ってきた眷属に相応しい叡智と清冽な意志で引き締められていた。
「経典か……ここで知識を授けたり忠誠心を高めたりしてから、アスレア地方に渡ろうとしたのかな?」
「はい。それと気になることが……」
シノブの再度の問い掛けに、アミィは静かに頷いた。そして彼女は、別の石板を手に取ってシノブへと差し出す。
「……ここですけど。『深き海には』……欠けていますが、次は多分『闇』だと思います。……『闇が宿る。故に我は地を目指す。海を避けよ。海を恐れよ。ここは我の城にあらず』……その先は再び破損していますが……ともかく今判明したものを当て嵌めると、こうなる筈です」
アミィの示した一文は、僅かに欠けた場所があった。そのため彼女は、推測を交えつつ読み進めた。
「やっぱりバアル神は海から離れようとした? ……『南から来た男』に関する噂でも、エルフを避けたとか、海が嫌いだったとか……」
シノブはアスレア地方、特にキルーシ王国やアルバン王国に伝わる話を思い浮かべた。
エルフから逃げたというのは、事実に近いのだろう。ヴラディズフはエルフの魔道具技師達を攫い、彼らの秘術を得た。そのためエルフ達は追っ手を掛けたのだ。
後者の海に関するものは、移動した経路からのようだ。真っ直ぐ北、つまり内陸にヴラディズフの一団は向かったからである。
それに『南から来た男』の伝説だと、キルーシ王国に入ってからもヴラディズフ達は海岸から離れた場所を移動したらしい。しかも最後は大砂漠の直前、海から遠い場所で姿を消した。したがってアスレア地方に上陸したヴラディズフは、一般に伝わる内容だと再び海に出なかったとされている。
ヴラディズフがエウレア地方の内陸、つまり現在はアマノ王国となった場所を目指したのも、これが理由なのだろう。この島でバアル神とヴラディズフは、他にどのような言葉を交わしたのか。シノブは、そんなことを脳裏に浮かべる。
「しかし闇か……確かに深海は……闇!? アミィ、石板を貸して!」
「シノブ様!?」
アミィは突然のことに驚いたようだ。
何しろシノブは、もぎ取るような勢いで彼女の手にした石板を掴んだ。普段は温厚なシノブだから、そのような振る舞いは彼女の記憶になかったのだろう。
「やっぱり! ここに入るのは『i』じゃなくて『u』じゃないか!? つまり『yamu』だよ!」
果たして、シノブの想像は正しいのだろうか。答えを知るヴラディズフは六百年以上も前に世を去ったから、それこそ真実は闇の中だ。
ウガリット神話でバアルの敵手とされるのが、海神ヤムであるのは有名だ。そのため当然ながら、シノブも謎の海神の候補としてヤムを意識していた。
もっとも今までは裏付けがなかったから、シノブも口にしないままであった。第一、語ったとしても理解できる者が少なすぎる。
しかも理解できる僅かな者達、つまりアミィ達ですらシノブの相談相手としては不足であった。
アミィ達は地球の神のことを多少だが知っている。しかし彼女達は、古代の神々に詳しくなかった。
眷属の一部は地球の情報を収集し、この惑星を導くための参考情報としてアムテリア達に届けているようだ。しかし眷属達が地球の文化や技術を調べることはあっても、他の宗教を参考にはしないのだろう。
創世の時代アムテリア達は自ら人々に教えを広め、彼女達を祀る神殿が生まれた。そして、この惑星に住む人々は、アムテリアを始めとする七柱の神々しか知らない。
したがって、眷属が他の宗教を学ぶ必要も無い筈だ。実際アムテリアと縁のある日本を除く地球の宗教について、アミィ達は非常に大まかな知識を持つだけである。
アミィもシノブのスマホから得た知識はあるが、それはスマホに入っている辞書アプリの情報や、地球でシノブが検索したときに保存したものだけだ。したがってヤムのように現代日本で有名ではない神についてまで、アミィは詳しくなかった。
「バアルの永遠のライバルとでも言うべき神……それがヤムだ。嵐の神であるバアルは人間に恐れられる存在だが、地上に水を与える慈雨の神でもある。それに対し海神ヤムは、海の恐ろしさを表した神だろうね。
あの辺りだと水は貴重だから、水を握る者が神々の王として敬われたんだろう。バアルが農耕や牧畜をする者が崇めた存在、ヤムが海の一族が祀った存在だとも言える。つまり陸の民と海の民の衝突だ……王権を巡り何度も争った双方を表すのが、幾度となく繰り返されるバアルとヤムの闘争かも……」
シノブが呟いたように、ウガリット神話でバアルとヤムは何度も戦っている。
これは雨季や乾季、海の荒れる時期と穏やかな時期という一年の変化を示したとされている。陸上を拠点とする集団と海に生きる集団の衝突、あるいは彼らの栄枯盛衰が元など異説もあるが、いずれにせよ並び立てぬ二つが出発点なのは確かだと思われる。
そのためバアルとヤムは、ライバルといっても宿敵の類だった。いっそのこと不倶戴天の敵と表現すべきかもしれない。
「ヤムと神名を記したのは敵だからかな? ここの石板でも、バアルは『我が神』のままだし。でも、他を調べればヤムかどうか明らかになるね」
バアルを頼ったという謎の海神がヤムかどうか、シノブは判断しかねていた。
謎の海神は地球でアムテリアと縁のある神と戦い、その力を大きく減じたという。しかし仮にヤムであったなら、バアルが庇護するだろうか。そのような疑念をシノブは抱いたのだ。
この石板では名が欠けていたとしても、他にも記した場所があるだろう。旧帝国でバアル神の名を伏せていたように、ここでも彼らが崇めた神の名は秘されている。だが、ヤムと書くのが禁忌ではないなら、他にもある筈だ。そう思ったからだろう、シノブは知らず知らずのうちに顔を綻ばせていた。
「そうですね! これだけあるのだから、きっと……」
顔を輝かせたアミィは、背後の石板の群れへと振り向いた。
絶海の孤島ということもあり、ここでヴラディズフ達は紙を作らなかったようだ。もっとも、それは妥当な選択である。
まず、羊皮紙のような生き物の皮を材料とした紙は作成不可能に違いない。この島に哺乳類などは生息していないらしいからだ。
植物は多く、それらを用いて紙を作るのは可能だったかもしれない。とはいえバアル神も、せっかく得た使徒達に紙漉きをさせるほど暇ではなかったのだろう。
そのため島での生活の間、ヴラディズフ達が記録に用いたのは石板であった。彼らは石の基部を持つ住居を建てたくらいだから、少し手間を掛ければ石板も用意できたのだ。
どうもこの島には、一時的にだが数十人程度が住んだらしい。おそらく住人はヴラディズフの一団で、滞在はバアル神が使徒や配下として育てるからだろう。
そうなると知識の伝達に使う媒体や、記録のための道具が必要だ。そして石板が一種の教科書なら、他にも同様の記述をしたものがあるに違いない。
「ああ! それじゃ、早速調べようか!」
「シノブ様、そろそろお時間ですよ。リムノ島にも寄った方が良いでしょうし……」
気合を入れたシノブだが、アミィの言葉を聞いて空を見上げた。
確かに、だいぶ日は高くなっていた。おそらくだが、既に日の出から二時間近く経っただろう。
「そうか、それじゃ皆を呼び戻そう」
「はい! 片付けますね」
シノブは移送鳥符で偵察をしているホリィとミリィに通信筒で連絡し、ヴルムを始めとする島の各所に散った超越種に普段より抑えた思念を送る。
「これで島を使いやすくなるかもね」
思念を送り終えたシノブは、再びアミィに語りかける。ホリィ達の符が戻ってくるまで、少々時間があるからだ。
「そうですね。安全に使えるなら、ホリィ達に交代で常駐してもらっても良いですし」
アミィは石板を魔法のカバンに収めながら、言葉のみを返してきた。シノブも彼女を手伝うべく一面に広げられた遺物へと向かう。
この島に訪れるのは、現在のところシノブがいるときだけにしている。これは謎の海神に対する警戒が理由だ。
シノブは岩竜ガンドより早く、旧帝都を守っていたバアル神の結界に気付いた。これは眷属達や長老級の超越種でも同じで、シノブ抜きだと謎の海神が至近に迫るまで察知できない可能性がある。
謎の海神、ヤムらしき存在がいると思われるのは、ここから100kmほど南の海域だ。正確には海域の外縁部まで100kmで、そこから50kmほど先が中心部らしい。
旧帝都の周囲に張り巡らされたバアル神の雷撃の結界は、半径100km程度だった。もちろん同じである保証はないが、油断できないのは間違いない。
しかしバアル神がヤムと敵対的な関係でありながら、ここで使徒を育てたなら何らかの対処方法か安全であるという目算があったのでは。そして石板からバアル神の考えや対策が判明すれば。そうなれば、この島を前線基地として本格的に活用できるだろう。
「リゾート地の常駐、良いですね~」
「お待たせしました」
憑依を解いたミリィとホリィが、魔法の馬車の中から現れた。それにヴルム達も続々と戻ってくる。
「お帰り! 伝えた通り、解読も随分進んだよ! ほら、これが……」
今日も大きな進展があった。その喜びをシノブは仲間達に伝えていく。
そしてシノブ達は暫しの時を喜び合った後、楽しげな語らいと共に南海の孤島から姿を消した。
◆ ◆ ◆ ◆
リムノ島に転移した面々が目にしたのは、飛翔するオルムル達であった。一番手前は岩竜の子オルムル、そして続くは嵐竜の子ラーカである。そして二頭を追いかけ飛ぶ子供達は、順に光翔虎フェイニー、炎竜シュメイ、岩竜ファーヴだ。
どうやらオルムル達は、一番後に生まれたファーヴに大きさを合わせているらしい。生後七ヶ月半を超えたファーヴは元の全長3m少々だが、オルムルやラーカなど一歳を超えた者達は明らかに小さかった。
「これは~! 『先頭はイワリュープリンセス、ランリューボーイを五竜身は離してホームストレッチを飛翔する! 速い、速いぞイワリュープリンセス! 六竜身、七竜身! ……そしてゴール! 一着はイワリュープリンセス、二着はランリューボーイ、三着はライトタイガール! 解説のホリィさん!?』」
ミリィは興奮も顕わなままで、同僚へと向き直った。
どうやらミリィは、オルムル達の飛翔を競馬に見立てたらしい。実際オルムル達は飛翔速度を競っていたらしいから、妥当な表現ではある。
ちなみにオルムル達は、リムノ島の中央に造った結界を一杯に使って飛んでいた。そのためミリィがホームストレッチと表現した場所は10km近くもあった。
「ミリィったら……『やはりハンデキャップ戦であっても、当歳竜のイワリュープリンセスが有利ですね。それに彼女の飛翔能力は、他の遥か上を行っていますから』 ……本当ならラーカが一番速いのでしょうけど、小さくなる腕輪に魔力を使って同条件にしているのですね」
呆れたらしきホリィだが、解読の進展で心が弾んでいるからかミリィに付き合って解説者らしき口調を披露した。
ホリィもオルムル達が飛翔速度を調整していると気付いたようだ。『ハンデキャップ戦』は、競馬における馬ごとの負担重量設定に準えた表現である。
しかし飛翔に使える魔力量などを調整してもオルムルが一着なのは、彼女の突出した能力故らしい。
『早くから魔力操作を学び、更に光竜の名を得て花開いた力もある。……素晴らしいな、ヨルムよ』
戻ってくる子供達を眺めつつ、ヴルムは感慨深げな声音でオルムルの母ヨルムに呼びかけた。
今日の引率役はヨルムと朱潜鳳のラコス、そして玄王亀のパーラであった。そのためリムノ島でシノブ達を出迎えたのは、灰色の巨竜と真紅の巨鳥、漆黒の巨大な亀である。
『ありがとうございます』
同族の長老に、ヨルムは頭を大きく下げた。
子供達の中では、オルムルが最初に『アマノ式魔力操作法』を学んだ。それに独り立ちを迎えてからのオルムルは、シノブのものと似た光を放ったり感応力が大幅に増したりと成長著しい。
それらはヨルムにとって至上の喜びなのだろう、彼女の声は大きな喜びを伴っていた。
ちなみに青空を突き進んだ五頭以外は、見物やら訓練やらのようだ。
海竜の子リタンは、子供達が力を合わせて作り上げた巨大な池、もはや湖とでも呼ぶべき水面から長い首を覗かせている。どうやら彼は寛いでいるらしく、空のオルムル達を見上げているだけだ。
まだ生後三ヶ月半の炎竜フェルンは、他と離れて飛翔の練習をしていた。かなりの速度でオルムル達は飛んでいるから、もし他がフェルンに大きさを揃えても付いていくのは不可能だからであろう。
そして玄王亀の子ケリスと朱潜鳳の子ディアスは、地中潜行だ。もっとも双方とも習得は随分と先の筈で、成功はしない。
『おかえりなさい!』
『シノブさん、魔力ください!』
賑やかになったからだろう、少し離れた場所にいたリタンやフェルンもシノブ達に気が付いたようだ。
リタンはゆっくりと浮遊しながら、フェルンは今の彼の全力だろう速度で飛んでくる。リタンは海竜だから他の飛翔速度は気にならないらしいが、フェルンはそうもいかないようだ。彼の声には相当な悔しさが滲んでいた。
『ケリスさん、一休みしましょう!』
──はい……ありがとうございます──
地中に潜る練習をしていたディアスとケリスも、シノブ達へと向かい出した。
ディアスは魔力でケリスを持ち上げたらしく、彼女に触れることなく自身の背に乗せる。そしてケリスも半月ほどの共同生活で慣れたらしく、大人しく真紅の鳥の背に納まった。
「なんだか縁起が良さそうだね」
「はい!」
長い首と足という鶴に似た鳥に、こちらは正真正銘の亀が乗っている。その様子を見たシノブは、思わず微笑んでしまう。
おそらくシノブと同じことを考えたのだろう、アミィも頬を緩めつつ頷いた。
◆ ◆ ◆ ◆
『シノブさん、見てくれたんですね!』
「ああ、オルムルが一番にゴールしたところ、しっかり見たよ。凄いね、もう大人にも負けないよ」
顔を擦り付けるオルムルを、シノブは片手で支えつつ褒め称える。
実際のところ、オルムルの飛翔は随分と並外れているらしい。しかも彼女は神秘の光を発しながら飛べば、更に速度を増すようだ。もっとも、これは非常に多くの魔力を使うらしく滅多に使わないという。
「ところで、どうしてレースを? 昨日リュミ達が走ったから?」
『そうですよ~。ここなら思う存分飛べますからね~』
今度は頭の上のフェイニーだ。やはりシノブが想像した通り、昨日の馬術競技が子供達のレースへと繋がっていた。
この馬術競技には、シノブの乗馬リュミエールやシャルロットのアルジャンテも参加した。ただし乗り手は親衛隊長のエンリオなどだ。流石に国王自ら参加するのもどうかとシノブは思ったし、出産が近いシャルロットは乗馬自体が不可能だからである。
「今日は移送鳥符の訓練をしないのですか?」
『これからです!』
『はい! 体も動かしなさいって、ヨルムさんが!』
アミィにシュメイとファーヴが答える。ちなみに嵐竜ラーカはミリィの隣に浮遊している。
「それじゃ、見せてもらおうか」
『はい!』
シノブが促すと、オルムルは地に飛び降りた。そしてシュメイ達も同じく地面に降りていく。
そしてオルムル達は、纏めて置いてあった移送鳥符を持ってきた。この移送鳥符も鳥を象ったものだが、少し大きめで元の姿のホリィ達くらい、つまり鷹ほどはある。
『……移送転換!』
オルムルは、腕輪の力で小さくなったまま憑依の掛け声を唱える。
魂を符に移しても、小さくなる腕輪の効果が切れることはない。ホリィ達の変身の足環も同じだが、神具ともなると人が作った魔道具とは色々違うようだ。
『出来ました!』
それはともかく、オルムルは無事に憑依を成功させた。更にラーカ、フェイニー、リタンまでは同様に符に宿る。
オルムルとフェイニーは白、ラーカは緑、リタンは水色の移送鳥符を選んでいた。そのため三色の鷹に似た鳥が、良く晴れた空へと舞い上がる。
この四頭は、生後一年を超えたか来月には超える。したがって各種の技も相当な域に達しており、憑依も容易だったらしい。
『失敗です……』
『僕も……』
ガックリと項垂れたのはシュメイとファーヴ、生まれて九ヶ月と七ヶ月半の二頭であった。やはり幼い分だけ能力が充分に育っていないのだろう。
ちなみにフェルン、ディアス、ケリスは挑戦していない。しかしシュメイ達でも無理なのだから、当然ではある。
「まだ練習を始めたばかりじゃないか。すぐに出来るようになるよ」
『うむ。諦めずに頑張るのだぞ』
シノブが慰めると、炎竜の長老アジドが同意の言葉を口にする。それに他の長老や親達も、激励やら助言やらを送っていく。
『これで一緒に島の調査が出来ますね!』
オルムルは嬉しげな言葉を発しながら、シノブの肩へと戻ってきた。正確には、彼女が乗り移った白い移送鳥符ではあるが。
「やっぱり、それが目的だったのか……」
予感が当たったと思ったシノブは、笑いを堪え切れなかった。
オルムル達は、符に憑依できれば島の調査に加われると考えた。シノブは、それに気が付いていたのだ。
『駄目ですか? でも、島は危険じゃなさそうですし……今日のシノブさん達、とても喜んでいる感じがします!』
向上した感応力により、オルムルは調査で大きな成果があったと感じ取ったようだ。
もちろんオルムルは、このようなことを無闇に口にしない。しかし、ここにいるのはシノブにアミィ達、そして超越種だけである、そのためオルムルは、率直に問うたのだろう。
「まあね……でもオルムル、今は駄目だよ。これから俺達もアマノシュタットに戻るし、同行するなら更に熟練してほしいから」
シノブはオルムルが憑依した移送鳥符を撫でつつ、心を篭めて語り掛ける。
これだけの至近距離で思いを顕わにすれば、嘘ではないと分かってくれる。シノブは、そう思ったのだ。
「そうですね、もう少しだけ練習してください。まだ時間はありますから」
アミィもシノブに賛成のようだ。
石板の解読次第で、安全か否か判断できるかもしれない。ならば、それまで待ってもらえば良いと、彼女は思ったのかもしれない。
『判りました!』
幸いオルムルは、聞き分けてくれた。彼女は相手の感情を感じ取るだけで、考えていることを具体的に知るわけではない。しかしシノブ達の言葉が本心からであると感じ取ったのだろう。
「それじゃ、私が色々教えますね~。憑依が出来ても、鳥らしく行動するとかありますし~」
「では、私も。絞った思念の伝え方も習得してもらわなくては」
ミリィとホリィはリムノ島に残り指導すると言い出した。終日なのか、それとも一定時間を指導するのかは判らないが、芸術祭を見物するよりオルムル達に関連技術を伝授しなくては、と思ったらしい。
「それじゃ頼んだよ。俺達は芸術祭を成功させるから。もっとも俺は見ているだけなんだけどね」
冗談めかしてはいるが、シノブの言葉は本心からであった。
それぞれが、それぞれのすべきことを頑張り、前に進んでいく。それが正しい姿だ。そして今日、文化面で頑張った人達が、自身の成果を披露する。
彼らの晴れ姿を見届け称えるのが、自分の役目なのだろう。まだ二十歳にも満たない若造だが、国王となったからには多くに支えられつつでも国を率いていかなくては。シノブは、自身の思いを新たにする。
シノブの気持ちは伝わったのだろう。アミィ達は、そしてオルムルを始めとする超越種達は、それぞれの仕草で強い同意を示していた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年2月5日17時の更新となります。