20.23 鍛冶師の少女 後編
創世暦1001年10月6日の昼前、シノブとアミィはアスレア地方のエルフの国、アゼルフ共和国へと出かけた。向かった先はミリィが待つルメティア、メテニア族の中心集落だ。
昨夜から、ルメティアにはアゼルフ共和国の全ての支族の長が集まっている。
ミリィ達は最初に訪れた集落イスケティアで、テレシア族の族長クロンドラの説得に成功した。クロンドラは開国のときが来たと判断し、緊急の族長会議を開いてくれたのだ。
どうもミリィは、遥か昔にクロンドラと会ったことがあるらしい。二百年ほど前までアミィがメリエンヌ王国の監視を受け持ったのと同じく、ミリィは過去のアゼルフ共和国に関わったようだ。
そしてミリィ達はルメティアでも成功を収めた。クロンドラと同様に、他の七支族の長も理解を示してくれたのだ。
「満場一致で開国です~」
ミリィは嬉しげに長い耳を動かした。今の彼女はエルフに姿を変えており、色白の肌に長い真っ直ぐなプラチナブロンド、そしてエルフ特有の細くて長い耳であった。
しかもミリィの衣装は、集落のエルフ達と同じ草木染めのチュニックと編み上げのサンダルだ。そのため通りを歩む彼女は、ますます周囲の風景に馴染んでいる。
「ご苦労様」
「お疲れ様でした」
シノブとアミィは、ミリィを労う。
先ほどシノブ達も族長会議に顔を出し挨拶をしたが、族長や長老達は何れも好意的であった。おそらくミリィ達は、かなり強く説得したのだろう。もしかすると、デルフィナ共和国での巫女の託宣などにも触れたのかもしれない。族長や長老は、シノブ達を別して敬っていた。
それに通りを歩む三人を目にすると、周囲のエルフ達は立ち止まり恭しげに頭を下げる。おそらく族長から何らかの通達があったのだろう。
「いえいえ~、楽なものでしたよ~」
ミリィは周囲の視線を気にしたらしく、会議の詳細には触れなかった。
今回の族長会議の内容は、極秘とされていた。会議では異神のことなどにも触れたらしいが、それらを族長や長老以外が知るのは時期尚早とされたようだ。
「そうか……ところで、どこに案内してくれるの?」
問うたシノブは、周囲に視線を向ける。
先ほどいた議事堂の辺りとは違い、道の両脇には素っ気ない建物が並んでいた。木造なのは同じだが、実用一辺倒な感じである。
「宴まで時間があるから、エルフの工房を案内しようかと思いまして~。……昨日シャンジーさんから連絡があったんですよね~? 健琉さんが鍛冶勝負をするって~」
ミリィは陸奥の国での鍛冶勝負に話を転じた。昨日アミィは同僚達にも概要を伝えたのだ。
「ああ。向こうの王と娘は鍛冶師で、タケルは娘を手伝うらしい。もっとも、直接タケルが鍛冶をするわけじゃないみたいだけど」
「何か知恵を貸すのかも……娘さんの作品が正当に評価されなくて、タケルさんは気の毒に思ったようです。ただ、タケルさんが肩を持ったのが気に入らなかったのか、王と娘の勝負に大王領とドワーフ領の今後が懸かっているとか……」
シノブとアミィは、更に詳しいことを語っていく。するとミリィは表情を改め二人の話に耳を傾ける。
もしかすると、ミリィが見せてくれるものが役に立つのかも。タケルは自分達で対処できると考えているようだが、万が一ということもある。そんなことを考えながら、シノブは知っている限りのことをミリィに伝えた。
「そうですか~。役立つかは判りませんが、これは例の件にも関係するのです~。そこでルヴィニアさんと話をする前に見ていただいた方が良いと思って~」
ミリィが挙げたルヴィニアとは、ここメテニア族の長老だ。そして、このルヴィニアという女性の先祖に、アレイオスという男がいる。
創世暦300年代の初めごろ、生後間もないアレイオスは両親や他のエルフと共に『南から来た男』ことヴラディズフに捕らえられたという。しかし創世暦327年、アレイオスは朱潜鳳のロークと共にヴラディズフの魔の手から逃れた。また創世暦500年ごろ、ロークはアレイオスの孫ルバイオスとも会ったそうだ。
それらをシノブはロークの子供フォルスから知ったが、あくまで概略でしかなかった。
しかしルヴィニアはルバイオスの玄孫で、しかも彼と直接会ったことがある。ルバイオスは三百歳近くまで生きたため、当年とって二百六十二歳のルヴィニアは幼い日に晩年の彼と言葉を交わしていたのだ。他の種族とは違い長寿のエルフだから可能なことである。
「鍛冶とアレイオスやルバイオスに関係が? ……ともかく見せてもらうか」
「はい~。あっ、ここです~」
一瞬は首を傾げたシノブだが、ミリィが指し示した建物へと目を向ける。その建物は他と少し離れており、しかも壁には漆喰が塗られていた。おそらく防火用なのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
工房にも族長からの通達は届いていたようで、シノブ達は丁重に中へと招かれる。
今回シノブとアミィは元の姿のまま、つまり人族と狐の獣人だ。おそらく、これまでなら門前払いされたのではないだろうか。しかし工房で働くエルフ達はミリィを見ると同時に最敬礼し、シノブやアミィの素性を問うこともなかった。
──少し行きすぎですよね~。だから、昔のことは触れたくないのですが~──
ミリィは苦笑しているような雰囲気の思念を発した。もちろん届ける相手はシノブとアミィだけだから、案内のエルフ達は変わらず歩んでいく。
思念は届けたいと思った相手にしか理解できないし、ミリィは僅かな魔力しか用いなかった。そのため感知能力に優れたエルフ達も、魔力波動に気が付くことはなかったようだ。
──昔のこと?──
シノブは怪訝に感じつつ問い返した。
眷属は同僚にも過去の務めを明かさないらしい。それ故シノブやアミィは、過去のミリィがアゼルフ共和国と関わったと察しつつも問うことはなかった。
しかしミリィから触れたのだから、何かを話してくれるのだろうか。シノブは続きを静かに待つ。
──アミィと同じように、私もアゼルフ共和国を担当したことがあるんですよ~。時期は少し後までですね~。……あのころのクロンドラ、可愛かったですね~。あっという間に大人になりましたけど~──
やはりミリィは、テレシア族の族長クロンドラの幼いころに出会っていた。クロンドラは二百歳前後でエルフは成人まで三十年かかる。そうするとミリィは、少なくとも約二百年前から三十年近くアゼルフ共和国を受け持ったことになる。
──ここを創世の時代に担当したミルーナさんは、私の先輩なんですよ~。お気付きだと思いますが~。それとミルーナさんは、またの名を美留花と言いまして~──
ミリィの言うミルーナとは、この辺りを創世期に担当した眷属だ。そしてミルハナとは同じく眷属で、同時期か前後に伊予の島のエルフ達を導いたらしい。
どちらも長寿なエルフ達の地で、現代まで殆ど体制が変わっていない。そのためミルーナやミルハナの逸話は、それぞれで現在も語り継がれている。
──ミリィ!──
先輩のことまで触れたミリィに、アミィは随分と驚いたようだ。
アミィも自身の過去の一端はシノブに伝えた。したがって彼女は、当人のことであれば良いと思って黙っていたようだ。
しかしミリィは、ミルーナとミルハナが同じ者だと言った。これを踏み込みすぎだと、アミィは感じたのだろう。
──これからシノブ様にお見せすることと関係するのですよ~。アゼルフ共和国とヤマト王国のエルフに共通して、デルフィナ共和国に無いものです~──
──木人術かな?──
問うようなミリィの思念に、シノブは間を置かずに答えた。
デルフィナ共和国だけが持っていないというなら、これが最初に思い浮かぶものである。三つの地域のエルフは全て符術を知っているが、デルフィナ共和国だけには木人術が伝わっていなかった。
符人形などは、デルフィナ共和国にも巫女の秘術として伝わっている。しかしデルフィナ共和国の術は、等身大やそれ以上の人形を動かすまでに発展していなかった。
それに対しヤマト王国では、人の十倍近い大きさの巨大木人まで存在した。また、ここアゼルフ共和国の術もエルフから聞き出したヴラディズフが悪用し、憑依できる等身大の青銅の像を拵えた。
ヤマト王国のエルフに木人術を教えたのは、ミルハナだという。そうであれば、アゼルフ共和国のエルフに教えたのはミルーナなのだろう。そしてデルフィナ共和国に同様の木人が存在しないなら、この二人に何らかの関係があるに違いない。シノブは、そう感じていたのだ。
──はい~。あっ、工房に着きました~。後は見学しながらお伝えしますね~──
「皆様、これが私達の工房です」
ミリィの思念に被さるように、案内役の男の声が響いた。そこでシノブ達は、思念での会話を終わりにし、作業場へと入っていく。
◆ ◆ ◆ ◆
「このように私達の鍛冶では魔術を多用します。抽出だけではなく添加や還元、結晶生成の術がありまして……」
アゼルフ共和国の鍛冶は、シノブがこれまで見てきたものと大きく異なっていた。職人達は槌ではなく、金属で出来た棒状の魔道具を手にしていたのだ。
炉の魔道具で金属を溶かし、抽出の魔道具で不純物を除去する。これは他でもやっていることだ。ただし、ここの魔道具は他所より遥かに高性能らしい。
また鍛冶とはいうが、槌を振るっての鍛造は殆どしない。結晶生成の魔道具というもので金属の構造を整え、また心金や刃先など部位ごとの成分調整も抽出や添加の魔道具で行っている。
しかも工房の職人達は、エルフの大魔力で還元まで実現していた。彼らは磁鉄鉱のように酸化した金属から、魔道具のみで酸素を取り除く。
金属を熔かすから、職人達は他と違って厚手の革服を着けている。それらは他種族の鍛冶師と同じだが、作業内容は似ても似つかぬものである。
実際シノブには、静かに魔力を込める職人達の姿が魔術師と重なって見えた。
「これは玄王亀さんから習った術なんですよね~」
「はい、創世期にミルーナ様がお引き合わせくださったそうです。残念ながら、私達では呼びかけることが出来ませんが……」
ミリィと案内役のやり取りを聞きながら、シノブは過去に思いを馳せた。
玄王亀が棲む地下深くまで思念を届かせるだけの魔力を持つ者は殆どいない。おそらく出来るのはシノブや眷属達、そして超越種くらいだろうし、それも多くの魔力を使う。
どうも地中や海中は空中より魔力波動が伝わり難いようだ。特に深さ1000mほどになると地上より多くの魔力があり、それが魔力波動の伝達を阻む。
したがって非常に優れた巫女や神官のように思念を発することの出来る者がいたとしても、玄王亀の棲家への呼びかけは無理だろう。それ故ここのエルフ達と玄王亀の交流は、ミルーナがいる間だけとなったのだと思われる。
「私達は、あまり金属を使いません。武器も矢や小剣、防具は殆どが革ですから。玄王亀様は、沢山の鋼材をお授けくださったそうですが、流石に私達には……」
「それで昔は憑依の像にも金属のものがあったんですね~」
苦笑する案内役にミリィは頷きつつ、シノブに目配せをしてみせた。どうやら彼女は、この辺りをシノブ達に聞かせたかったようだ。
神々や眷属は、地上への直接的な干渉を可能な限り避けている。そのためアミィ達も、シノブが知り得る筈のない情報までは口にしない。
シノブとしても、神託としか言えないような知識を得ても扱いに困る。技術などであれば偶然思いついた、故郷では一般的だった、などとすれば良い。しかし知りようの無い過去まで触れたら、ますます特別な存在と思われるだろうからだ。
とはいえ正当な形で得られるなら、ルメティアで知りたいことはある。
その一つが、アゼルフ共和国の玄王亀の居場所だ。幼い玄王亀ケリスが、この地の同族と会うのを楽しみにしているからである。
そこで居場所が絞れたら、シノブはケリス達を連れてくるつもりであった。
──玄王亀が関与していたとはね──
──創世期に神々や眷属が導いた対象には、超越種も含まれています。ですからミルーナさんは、ここの玄王亀も指導したのではないでしょうか──
シノブの驚き混じりの思念に、アミィが静かに応じた。
もっともアミィも、当時のことを直接知っているわけではない。アミィ達が生まれたのは、創世から随分と経ってからだという。
「玄王亀さんは、どちらに棲んでいるのですか~?」
「伝説では、ここルメティアの真西の山となっています。アズル山脈の北端近くで、私達はプロトス山と呼んでいます」
よほどミリィを信頼しているのだろう、案内役は躊躇せずに答える。そして彼は、プロトスとは当時の玄王亀の名だと続けた。
これでケリス達を呼べる。その思いに、シノブの頬は自然と緩む。アミィも同じことを考えたのだろう、ニッコリと微笑んでいた。
◆ ◆ ◆ ◆
工房の見学を終えたシノブ達は、再び集落の中央に戻った。これから三人はメテニア族の長老ルヴィニアと会い、彼女の話を聞くのだ。
議事堂では、まだ族長達の会合が続いている。ソティオスなどデルフィナ共和国のエルフ達が、エウレア地方でのことを紹介しているからだ。
向こうの社会、技術、種族間の交流など伝えるべきことは幾らでもある。おそらくソティオス達は、今日一日を説明に費やすだろう。
そんなこともあり、シノブ達を迎えたのは長老ルヴィニアだけであった。これから話すことは一種の秘伝で、ルヴィニアは他を下げたそうだ。
「アレイオスの父カウリオスは、鍛冶担当の魔術師……正確には憑依の像の担当でした。そして彼は妻と息子を連れ、仲間と共に森の外へと向かいました」
ルヴィニアは他種族なら七十代前半に相当する高齢だが、矍鑠としていた。
髪は色が抜けているし顔には皺も多いが、ルヴィニアは壮年者と同様に動けるようだ。もっとも、そうでなければ長老を務めることは出来ないだろう。
「憑依の像の……玄王亀から授かったという鋼を用いた像ですか? その担当者が、どうして外の者と?」
「外から鉄を買い付けるためです。私達は露頭の鉱脈を利用するくらいですので」
ルヴィニアは、ゆっくりとシノブの疑問に答えていく。
エルフは本格的な鉱山開発をしない。ドワーフのように深い坑道を掘ったりはせず、地上で得られるものだけを使っているという。
魔道具で元素の抽出や還元が出来るから、玄王亀から貰ったものだけで最初は充分であった。
しかし矢などで消費した分もある。それに徐々に巨大な集団となっていく外部の者、つまり人族や獣人族が森に侵入することも増え、防備の増強が必要となった。そこでカウリオス達は新たな鉄を買い求めに出かけたのだ。
アゼルフ共和国は踏破可能な陸の国境線が長い。そのため他のエルフの地とは違って、防衛も大変なのだろう。
「当時の者達は、大岩猿や長腕岩猿を模した像を造ろうとしたそうです。そして守りに使うのであれば、燃えない素材が良い……しかし、それだけの鉄は手元にありません。
そこで彼らは魔道具で正体を隠し、鉄の買い付けに赴きました。このようなとき、鍛冶担当は目利きのために同行するのです」
ルヴィニアによれば、彼らは森で得た魔狼の皮などを売り、代わりに鉄などを買おうとしたようだ。
こういった買い付けを当時は度々実施しており、しかも熟練の魔導師や護衛を付けていた。そのため一団にはアレイオスのように幼い子供もいたようだ。
「まだ創世から三百年ほど、当時は神々の教えを疑う者も少なく平和だったのでしょう。ですから機会があれば妻子に外界を見せた者も多かったようです。
アレイオスを含む一団は、最も近い大集落シャリラという場所を目指しました。今でも都市シャリラとして存在する街です」
苦い顔となりつつ、ルヴィニアはアルバン王国の都市の名を挙げた。
シャリラとは、アルバン王国の北西の都市だ。ルヴィニアの言う通りアゼルフ共和国に近く、しかもキルーシ王国に最も近い都市である。
おそらくヴラディズフの一団は、シャリラか近郊を通過したのだろう。そして異神の助けがあるヴラディズフは、何らかの術で買い付けの者達がエルフだと見抜いたに違いない。
「それでヴラディズフは青銅の像を……」
「はい。像を造ったことは、生還したアレイオスから先祖達も聞きました。しかし、多くの魂を封じ込めたとは……」
シノブの呟きに、ルヴィニアは暗澹たる表情で応じた。
ヴラディズフはエルフの木人術を悪用し、使役の術で縛っていた獣人を邪術で青銅の像に封じた。そのため百を超える者達が、七百年近くも地下遺跡で番人とされていた。そして邪術から解放された彼らは、シノブ達に感謝の言葉を残して輪廻の輪に戻っていった。
既にルヴィニアもミリィから地下遺跡での顛末を聞いている。そのためだろう、彼女は暫しの間を厳粛な表情で瞑目していた。
「買い付けの一団の失踪から暫くして、先祖達は『南から来た男』という者が怪しげな術を使うと気付きました。そこで先祖達は密かに北に渡り、打倒の支援をしました……。もちろん幻惑の魔道具で正体を隠してですが……」
やはりエルフ達が『南から来た男』との戦いに加わったというのは事実であった。ただしルヴィニアが言うように魔道具で正体を隠したから、明確な記録が残らなかったのだろう。
「……結局、先祖達は仲間を助け出せず、アレイオスから聞くまで像のことも知らぬままでした」
「使役の術から人々を解き放つだけで手一杯だったのです。……貴女の先祖達は、充分に戦いました。彼らの努力があったから、エウレア地方まで連れて行かれた者はいなかったのですよ」
ルヴィニアの目元を拭い慰めたのは、ミリィであった。彼女は普段とは違い、神の眷属に相応しい深みのある声音で過去のエルフ達を称える。
昨日ミリィは、既にルヴィニアから話を聞いていた。
それによると、エルフ達はヴラディズフに使役されている獣人達の解放に力を注いだようだ。獣人達を解放すればヴラディズフの戦力減となるから、彼らは一石二鳥と考えたのだろう。
そのため戦いの終盤でヴラディズフの手元に残った獣人族は、僅かだったようだ。どうも青銅の像に閉じ込めた者達と、転移の魔道装置を造るために魔力を吸い取った者達だけらしい。
「……ありがとうございます。『ヴラディズフはヴリトという場の出身らしい』……アレイオスは、そう言い残しました。それに、どこか海の近くのようだとも……」
──アルバン王国の南海岸に同じ名の漁村があると、ホリィが言っていました~──
ルヴィニアが一息入れたとき、ミリィが密かに思念を発した。
ミリィは既に同僚に問い合わせていた。ヴリトという漁村はアルバン王国の王都アールバより随分と西、都市カルバフの少し東にあるそうだ。
「ルバイオスが大砂漠に向かったときのことですが……」
ルヴィニアは彼女の高祖父、つまり四代前に当たるルバイオスへと話を転じた。
老いて病床に伏した祖父アレイオスを治療する術を得るため、ルバイオスは大砂漠に旅立った。彼は祖父から朱潜鳳ロークのことを聞いており、超越種なら治せるのではと思ったそうだ。
「彼は途中でルバーシュという若者に出会い、商人の鑑札を得たそうです」
ルバイオスがルバーシュを名乗ったのは、商人として行動するためであった。ルバーシュの借金を引き受けた代わりに鑑札を得て、ルバイオスは第二のルバーシュとなったのだ。
大砂漠に行くラクダの一隊の調達は、密入国だと難しいだろう。ルバイオスはヴォースチの太守キルーシ家を頼ったが、これも身元不詳では不可能だったに違いない。
ちなみに本物のルバーシュは、名を変えて故国に戻ったようだ。そして彼は、再び宝を得ようと南海に旅立ったわけだ。
それらを語り終えたルヴィニアは、アレイオスやルバイオスが記した書物の写本をシノブ達に渡した。
「貴重な情報、感謝します。一つお聞きしたいのですが……アレイオス殿のその後は? ルバイオス殿が得た宝で快癒したのだと思いますが……」
「はい。アレイオスも三百歳まで生きました。子に孫に曾孫、玄孫に囲まれての大往生だったとルバイオスから聞いています」
シノブの問いに、ルヴィニアは穏やかな笑みと共に答えた。もちろんシノブ達も笑顔になる。
幼い頃から成人間際まで虜囚となったアレイオスだが、その後は幸せに過ごした。それはシノブにとって、何よりの朗報であった。
「巫女の家系ですから魔力が多く、そのため別して長寿になるようです。鍛冶も大量の魔力を使うので、男は鍛冶職人になることが多いのですが……」
「そうですか……」
ルヴィニアの話を聞きながら、シノブはヤマト王国のタケルを思い浮かべていた。
もしかすると、タケルは鍛冶に魔術を使うつもりではないだろうか。彼には大王家の稀なる魔力があるし、周囲には巫女も多い。それに一行にはエルフの姫巫女もいるから、エルフ流の鍛冶がどんなものか聞いたのかもしれない。
どんな鍛冶なのか、楽しみにしておこう。シノブは遥か東の国から再びアスレア地方へと意識を向けていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「どうでしょう?」
「凄く良質です……それに魔力も沢山……」
タケルの問いに、夜刀美が掠れた声で応じた。
ドワーフの少女ヤトミは、タケルではなく真っ直ぐ前を見つめたままだ。だが、それも無理はないだろう。彼女にとって世界中の何よりも素晴らしい宝が、目の前にあるからだ。
「……どんな玉鋼よりも……タケル様、本当にこれを使っても?」
随分と時間が経ってから、ヤトミは脇に顔を向けた。そこにはタケルだけではなく、主だった者が集っている。
タケルの叔母の斎姫、そして彼女の弟子でタケルの思い人でもある立花。熊の獣人の威佐雄と娘の刃矢女。そして褐色エルフの姫巫女の桃花に、光翔虎のシャンジー。もちろん鋼の像に宿った将弩もいる。
「もちろんです。使っていただかなくては困ります」
『そうだな。ヤトミよ、遠慮しなくとも良い』
タケルに続いたのは、何故かドワーフの祖霊マサドであった。
やはり同族は気になるのだろうか。マサドは髭に手を当てつつ、鍛冶師の少女へと言葉を掛けている。
今のマサドは鋼人の本体を服や鬘、髭などで隠している。そのため彼が撫でているのは黒々とした毛の束だ。
「これだけの魔力を宿した素材、そうはないでしょう」
「はい、それに魔力の質も別格です」
イツキ姫とモモハナは、先ほどまでヤトミが見つめていた場所に目を向ける。
そこにはただの鉄とは異なる清冽な輝きを宿した塊がある。既に精製済みらしく、握り拳数個分の鉄の球は鏡のような光を放っている。
「儂でも判るぞ……ヤマト姫殿と伊予の島の姫巫女殿が太鼓判を押すのも当然だ」
「ええ、素晴らしい刀が出来るでしょう」
筑紫の島から来た父娘も、惚れ惚れとした表情であった。幾多の名剣や名槍、それらの素材を見てきた王と姫が言うのだから、相当なものなのだろう。
「はい! これだけのもの、他では手に入りません!」
『そうだよね~。流石はタケル、ボクの弟分だよ~』
感嘆の叫びを上げるタチハナの隣で、ちゃっかりとシャンジーは兄貴風を吹かせる。
シャンジーにとって、タケルは導くべき存在なのだ。今はメイニーとフェイジーが外で警護役をしているから良いものの、もし共にいたら呆れたかもしれない。
「……私、頑張ります!」
『ああ、そうしてくれ。身を削った我のためにもな』
意気込むヤトミに、マサドは再び髭を撫でながら応じた。
ヤトミのために提供した鉄は、マサドが宿る像から削りだしたものであった。良質の魔力が宿っているのも当然、何しろ祖霊の力が篭もっているのだ。
「マサド様……その、痛かったのでは?」
ヤトミは心配そうな顔でマサドの像を見つめていた。憑依の対象が削られたら、マサドがどう感じるか。彼女は、そのことに思い至ったようだ。
『そのようなことはない。実は、別の体に移っていたのだ。あの体にな』
マサドの向いた先には、タケルがいた。極めて優れた巫女の素質を持つという大王家の跡取りは、苦笑を浮かべている。
「巫女の依り代の術です……何とか使えました」
「私やモモハナさんも使えますが、マサド様は殿方ですから」
頭を掻くタケルの肩に、悪戯っぽい微笑みを浮かべたイツキ姫が手を添えた。
巫女達の神降ろしは、殆どの場合が女神の降臨を願うものである。依り代の術は、大抵が同性でしか成功しないからだ。
『削ったのはボクだよ~。それに球にしたのも~』
シャンジーは鋭い爪を掲げてみせる。彼なら鋼鉄だろうが鰹節のように削るに違いないし、固めるのも簡単だろう。
「ありがとうございます! ……でも本当に助けていただいて良いのでしょうか? 私と父さまの勝負なのに……」
一度は笑顔となったヤトミだが、顔を曇らせた。
ヤトミの父、つまり陸奥の国の王である長彦は普通の玉鋼を使う。もちろんドワーフの地で用意できる最上級の品だが、タケル達の前にあるものに比べたら魔力の量や質は大きく劣るだろう。
「どのような素材を用意できるかも、勝負の一部ですよ。それにナガヒコ殿は、国内の玉鋼を押さえてしまいました……」
「そうですな。よほどヤトミ殿に鍛冶をさせたくないのでしょうが……」
タケルとイサオの口にしたことは事実であった。
ナガヒコは娘が鍛冶をすることが気に入らないらしい。彼は、この勝負に負けたら鍛冶から手を引くようにと娘に言い渡したのだ。
「それに油断は禁物です。ナガヒコ殿は当代随一の名人、素材の不利など簡単に覆すかもしれません」
「頑張ります、タケル様!」
タケルの言葉で、ヤトミの瞳に炎が宿った。
これで互角といったところなのだろう。ヤトミは頬を紅潮させてタケルの顔を見上げている。
「……タケル殿に嫁がせたくなかっただけでは? もう、手遅れだとは思いますが」
「確かに。ヤトミさんが負けたら大王領との融和も無し、と言われましたから……」
イサオとイツキ姫は、苦笑を浮かべていた。
案外、二人の予想が当たっているのかもしれない。ドワーフの少女は、炉で熔かされた鉄よりも顔を赤くしている。
「イサオ殿、叔母上! ……さあヤトミさん、時間は僅かしかありませんよ!」
冷やかす年長者達に声を上げタケルだが、ヤトミへと顔を向け直し発破をかける。
どうやらタケルは、様々な面で成長しているようだ。武術や魔術だけではなく、人あしらいも。それを感じ取ったのだろう、囲む者達は若き王子を頼もしげに見つめていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年1月22日17時の更新となります。
異聞録の第三十二話を公開しました。シリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。