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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第20章 最後の神
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20.22 鍛冶師の少女 前編

 シノブ達はリムノ島で意外なことを知った。大商人ルバーシュ、正しくはルバーシュ伝説の前半に相当する男がリムノ島で没したらしいということを。


 ルバーシュとは、かつてアスレア地方に存在したカーフス王国、現在のアルバン王国西部で生まれた人族の商人だ。彼は若い頃に海で宝を得て、それを元手に商人となった。そして彼は各国を巡った後、最後は自国に戻って国王の相談役になったという。

 しかし、このルバーシュ伝説は最低でも三人を元にしているようだ。


 第一のルバーシュは、今から五百二十年近く前の創世暦480年ごろ、ラリクという漁村で生まれたらしい。そして彼は創世暦500年ごろまでに商人として現在のキルーシ王国、当時で言うガザール王国に渡った。この男が、リムノ島に手記を残したルバーシュだ。

 第二のルバーシュはアゼルフ共和国で生まれたエルフのルバイオスであった。ルバイオスは祖父のアレイオスから聞いたことを元に大砂漠へと旅立ち、朱潜鳳ロークと会った。これが創世暦506年ごろだという。

 第三のルバーシュは、創世暦540年ごろにカーフス王国の王都カルバフに現れた人族の老人だ。このルバーシュは、創世暦542年から創世暦552年までカーフス王の相談役と務めた。


 今回シノブ達がリムノ島で得た手記は、第一のルバーシュの直筆のようだ。内容は若き日の航海からガザール王国に渡る経緯、そしてガザール王国で文無しになり再び宝を得ようと海に乗り出したこと、島に漂着した後の生活などだ。

 執筆の動機は孤独を紛らわせるためらしい。手記の通りなら、書き始めたとき既に航海の仲間は全て没していたそうだ。そのため偽りを記したという可能性は低いだろう。


 第三のルバーシュはカーフス王国史など複数の資料が残されているから、その行動の多くは歴史的事実として確かなものとされている。特に王の相談役となってからは多くの公文書に名を残しているし、最期についても明らかだ。


「だから第二のルバーシュ……ルバイオスの詳細が判れば、殆ど全てが明らかになるんじゃないかな」


 シノブは随伴する者達に自身の予想を語る。

 ここは『大宮殿』へと続く回廊、時刻は昼過ぎだ。シノブ達は『小宮殿』で食事をし、午後の仕事に戻るところである。

 もちろん『大宮殿』でも食事は出来るし、執務室に運ばせることも可能だ。しかしシノブは可能な限り昼をシャルロットと共に過ごすから、こうやって両宮殿を行き来するのが常となっている。


「明日の訪問が楽しみですね」


 アミィはシノブを見上げつつ微笑む。

 リムノ島に出かけてから三日が経った。そして今日の夕方、ミリィやソティオス達はアゼルフ共和国のルメティア、メテニア族の中心集落に着く予定である。

 このルメティアというのは、ルバイオスやアレイオスの生地だという。しかもメテニア族の長老の一人ルヴィニアはルバイオスの玄孫で、幼いころに彼と会ったこともあるそうだ。

 エルフは長寿で平均でも二百五十歳、最長寿の者は三百歳にもなる。そしてルバイオスも長生きで、ルヴィニアが十代のころは存命だったのだ。


「ああ、しかも今回は正式な訪問だ。各支族の(おさ)も集まるから、ルバイオス以外のことも判るかもしれない」


 シノブも笑みを深くする。

 ルメティアに向かっているのは、ミリィ達だけではない。アゼルフ共和国の八支族の(おさ)が、明日ルメティアに集う。

 ミリィ達が最初に訪れたのはイスケティアという集落で、そこにはテレシア族の(おさ)クロンドラがいた。そして彼女は遥か昔のミリィを知っているらしい。

 クロンドラはミリィの要請に応え、緊急の族長会議を開いてくれるのだ。


 アゼルフ共和国はアスレア地方で最も長い歴史を持つ、七百年近く前に『南から来た男』こと後にベーリンゲン帝国の初代皇帝となったヴラディズフがいたころから続く国だ。そのためヴラディズフが異神の力を得た経緯に繋がる何かをアゼルフ共和国で得られる可能性は高い。

 おそらく族長や長老達は、多くの秘伝を語り継いでいるだろう。シノブは、それらに大きな期待を寄せていた。


「お供できないのが残念です」


「はい……」


 顔を曇らせたのは、従者のレナンとパトリックだ。彼らだけではなく、ミケリーノなど他の少年達も同様である。


 アゼルフ共和国には玄王亀がいるらしいから、シノブはオルムル達を伴う。しかし人間はシノブとアミィ、それにデルフィナ共和国のエルフだけとしていた。相手は長くエルフ以外を拒んできた国だから、最初から他種族が大勢押しかけるのは望ましくないと判断したわけだ。


「また行く機会はあるさ」


「私達は従者ですから……」


 再訪もあると慰めようとしたシノブだが、ミケリーノは同行自体に意味があると言う。確かに従者としては、置いていかれたら立場がないかもしれない。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「留守をお守りするのも大切なことだと思います」


「はい。それにデルフィナ共和国のように、先々は同行できるかと」


 どうも少女達の方が冷静なようだ。この二人、マリアローゼとマヌエラは本来シャルロット付きだからであろうか。


 身重となったシャルロットは、政務から殆ど手を引いていた。出産予定日まで一ヶ月となったから、それも当然である。そこでシャルロットは、内政向きか志望の侍女達をシノブの手伝いに回していた。

 マリアローゼは旧帝国の宰相の孫、マヌエラも同じく旧帝国の貴族の娘だ。そのため二人はシャルロット付きの中でも特に内政官向きらしく、書類作成を始めとする事務仕事や各所との調整などを苦にしなかった。


 そのようなわけで最近のシノブは、文官系侍女とでも言うべき者達を預かっていた。もっとも、それだけの一団を必要とするだけの業務があるかというと、少々首を傾げるところではある。

 既に国王としての仕事も落ち着き、あまり執務で困ることもない。殆どは侍従長のジェルヴェが段取りを済ませるから、シノブは大きな方針を決め最終的な署名をするだけとなっていた。

 したがって建国当初とは違い、昼も長々と休憩できるようになった。シノブは四ヶ月前の殺人的な忙しさを振り返り、僅かに苦笑を浮かべる。


「……シノブ様?」


 シノブに声を掛けたのは、マティアスの長男エルリアスだ。

 来月でやっと十一歳という歳にも関わらず、エルリアスには武人の雰囲気が漂っている。父が軍務卿ということもあり、彼は相当修練に励んでいるらしい。シノブの気配が変わったと察したのも、修行で磨いた感覚(ゆえ)かもしれない。


 ちなみに礼儀正しいエルリアスがシノブを陛下と呼ばないのは、主の好みを考慮した結果である。シノブが堅苦しいことを好かないことは、間近にいる従者や侍女にとって周知の事実であった。


「ああ、随分と楽になったなって。ほら、六月は身体強化しながら働いたじゃないか」


 シノブの言葉に従者や侍女達も笑みを浮かべた。

 身体強化は筋力を上げるだけではない。通常の何倍もの速度で駆けたり戦ったり出来るのは、それに相応しい反射神経や思考速度となっているからだ。

 したがって机仕事でも身体強化をすれば、それだけ多くの仕事をこなすことが可能となる。


「そうですね。ゲティルトさんやディホーフさん、デグベルトさんからの問い合わせも減りましたし、王領も同じです」


 アミィが上げた三人は、シノブが兼ねる三伯爵領の代官達だ。

 多くの事例が積み重なり、代官達も判断に困ることは無くなった。建国から四ヶ月で得た自信も大きいのだろう、今の彼らは細々としたことを中央に問うことは無い。


「ああ。やっと子爵を受け入れてくれたしね。マッキンゲン子爵、ファレハイム子爵、マイグナート子爵……昇爵の際も堂々としていたな」


 シノブは四日前の式典を思い出す。

 これまでゲティルト達は男爵だったが、それは彼らが遠慮したからだ。帝国時代、ゲティルトは平民でディホーフとデグベルトは奴隷だった。彼らはベランジェが見出し代官職に就けたのだが、最初は騎士で良いと言う有様であった。特に元奴隷の二人は代官への就任自体、随分と渋ったらしい。

 しかし彼らも新たな仕事に慣れたようだ。今の三人は、立派な押し出しの外見に相応しい力量を備えた辣腕の内政官である。


「ヘリベルトも子爵、エンリオも男爵……やっぱり功績に相応しい地位にしなきゃ」


 シノブは同じ日に昇爵や叙爵をした二人を挙げた。そしてシノブは、パトリックとミケリーノへと顔を向ける。ヘリベルトの婚約者はパトリックの姉アンナ、エンリオはミケリーノの祖父だからである。


「あに……ヘリベルト殿は、私が子爵になって良いのか、と仰っていました」


 パトリックは、既に私的な場だとヘリベルトを義兄と呼んでいるようだ。彼は頬を染めつつ言い直す。


「祖父も警護役とは名ばかりなのに……と」


 遠慮めいたことを口にしたミケリーノだが、顔は嬉しげである。ちなみにエンリオは親衛隊の半分を連れて演習に出かけたため、ここにはいない。


「そんなことないさ。ヘリベルトは街道敷設の功があるし、エンリオは後進を育ててくれている。戦うだけが仕事じゃない」


 シノブは少年達に首を振ってみせる。

 アマノ王国軍の陸軍は、街道の敷設に橋の建設なども受け持っている。そして建国以来の第一期と第二期の街道開通で、アマノ王国は大きく変わった。これらを指揮した司令官達が出世するのは当然だろう。

 そしてエンリオはカンビーニ王国での長い経験を活かし、親衛隊や王宮守護隊を鍛えている。しかも彼はアフレア大陸やリムノ島への遠征では、魔獣退治にも加わり老いても盛んであると充分に示した。

 その彼らを(しか)るべき地位に就けなくては、逆に問題というべきだ。シノブだけではなく多くの者が、そう判断したのだ。


「さて、午後も頑張るか」


 シノブは笑顔で自身の執務室に入る。このように十月初めのアマノ王国の王宮は、数ヶ月前と全く違う落ち着きようであった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブは侍従長のジェルヴェから渡された書類を手に、彼の言葉に耳を傾ける。

 執務室の中も、以前と違って穏やかな空気が漂う場となっていた。そのためジェルヴェの通りの良い声を(さえぎ)るものはない。


「……旧硬貨の回収も、ほぼ終わりか」


「はい。造幣局では九割以上を回収したと推計しています。今年一杯と期限を決め、優遇付きの交換を行ったのが功を奏したようです」


 シノブが呟くと、ジェルヴェが柔らかな口調で報告を続けた。

 帝国時代の通貨ベールは現在でも流通しているが、殆どが新通貨のエンへと置き換わった。今年中であれば額面以上で引き取ると布告したことが良かったらしい。

 しかも布告では、一定量を交換したら優遇措置を終えるとした。実際には交換した量と関係なく年内一杯優遇を続けるが、期間と量の制限があるとしたため多くの者が急いだようだ。

 そのため回収は順調に進み、既に国内に残るベール硬貨は発行量の一割以下となったようだ。財務省や商務省からの報告も、推計を裏付けるものとなっている。


「もう造幣局に行かなくても良さそうだね」


 建国当時、シノブはアミィと共に新硬貨を大量に造った。しかし、それも過去の話である。最後にシノブとアミィが改鋳に赴いたのは、もう一ヶ月も前のことだ。


「はい、後はカッリさん達にお任せしましょう!」


 アミィが挙げたカッリとは、造幣局で働くドワーフの一人だ。

 エウレア地方の通貨は、魔力を込めた特別な金属で出来ている。これはドワーフが編み出した技術によるもので、現在でも各国の造幣局ではドワーフか彼らに学んだ者が働いている。


 ちなみにアスレア地方には、このような技術が広まっていなかった。そのためエウレア地方とアスレア地方の貨幣は交換レートが異なるだけではなく、信用度に大きな違いがある。

 エウレア地方だと、硬貨には使っている貴金属の三倍程度の価値があるとしている。しかしアスレア地方の場合、それほどの価値は認められていない。

 そこでマイドーモなどエレビア王国に駐在中の内政官は、エウレア地方とアスレア地方の通貨交換レート決定から苦労したという。


「ベールはアスレア地方の硬貨と同じ造り方なんだろうね」


「こちらでの通貨の統一も、現在の各国が出来てからですから」


 問うたシノブに、アミィはコーヒーを差し出しつつ応じた。このコーヒーは、アゼルフ共和国からミリィが送ってきたものだ。


 シノブはアマノ王国にもコーヒーを広めたいと考えていた。

 アマノ王国内でのコーヒー生産は難しいだろうが、アスレア地方との交易が始まれば一定量を入手できる。それに大砂漠の南海岸に造った補給港の緑地や、カンビーニ王国の南端などであればコーヒーを生産できるかもしれない。

 向こうでの産物を紹介し交易を促進するのも、大切なことだ。シノブは日本で慣れ親しんだ味を楽しみつつ、少しばかり言い訳めいたことを考える。


「財務省から、通貨の製造を請け負ってはという意見が上がっております。偽造も防止できれば、交易の促進に繋がるかもしれません」


 ジェルヴェの言うように、魔力で細工していないアスレア地方の通貨には偽造品も混じっているようだ。

 そのためマイドーモなどは、エウレア地方の商人が大きな不安を感じるかもしれないと報告してきた。エウレア地方では偽造硬貨が稀だから、それに慣れた商人達が東との交易を躊躇(ためら)うのでは、というわけだ。


「ナタリオやアリーチェにも聞いてみよう。レナン、ナタリオ宛の(ふみ)を頼む」


「はい!」


 シノブが顔を向けると、脇に控える従者筆頭の少年は素早くペンを動かしていく。

 イーゼンデック伯爵ナタリオは、相変わらずエレビア王国に駐留している。そして妻のアリーチェも、夫を助けに渡った。現在イーゼンデックは、ナタリオの家臣が代官を務め預かっている。


「アスレア地方は国ごとに通貨単位が違うとか……」


「エルフのアゼルフ共和国だけは符術を応用した紙幣で、これはデルフィナ共和国と同じ価値だそうだ。どちらも、同じ量の金を元に通貨体系を整えたって」


 興味深げなジェルヴェに、シノブは向こうで知ったことを伝えていく。

 どうも、これは偶然の一致ではないらしい。双方とも貨幣単位を神託により定めたというのだ。

 エルフは魔力が多く、更に巫女の託宣など神々に問い掛ける技も知っている。そして森の女神アルフールはデルフィナ共和国と同じく、アゼルフ共和国にも多くの神託を授けたようだ。


「今は鎖国同然のアゼルフ共和国だけど、交易が始まったら一番楽かもね」


「そうですね。通貨以外もデルフィナ共和国と共通している点が多いようです。ただ……」


 自席に戻ったアミィは、少しばかり困ったような表情でシノブに応じた。おそらく彼女は、他の神より多くの干渉をしたらしいアルフールに思いを馳せたのだろう。


 この世界には魔力があり、動物だけではなく植物も魔力を活用している。そのためだろう、極めて生育が早かったり大量の実が()ったりと地球の常識では考えられない木や草も多かった。

 魔獣のいる世界で人が文明を維持できるのは魔法植物の恩恵があるからで、授けたアルフールの功績でもある。しかし彼女は、時々シノブの予想もしないものを生み出していた。


 アゼルフ共和国には、コーヒーの他にも炭酸飲料が得られる植物があった。しかもリムノ島には、それらに加え納豆や菓子パンが()る木まで存在したのだ。


「このコーラという飲み物、美味(おい)しいですわ」


「こちらのオレンジ味も……」


 マリアローゼとマヌエラが手にしているコップに入っているのは、アゼルフ共和国の産物だ。それに他の従者や侍女達も新たな飲み物を選んでいる。


「コーヒー、苦いです……」


「私もコーラの方が好きです……」


 残念ながら、コーヒーは不人気であった。レナンやパトリックなどはシノブと同じものを、と思ったらしいが、口に合わなかったらしく顔を(しか)めている。


──食文化破壊の恐れがあるな──


──健康に悪くはないそうですが──


 シノブとアミィは密かに思念を交わす。少年少女を見つめる二人は、揃って苦笑を浮かべていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 雑談をしつつも、シノブ達は順調に仕事を片付けていく。毎日のことだから慣れたというのもあるし、判断に困るようなものも少ないからでもある。


 この年、アマノ王国は天候にも恵まれたようだ。しかも作物の一部はアムテリアが授けてくれたものを植えたから、ますます豊作である。

 新たな取り組みに関しても、大きな問題がなければ各省庁が粛々と進めていく。港や艦船、新街道に鉱山開発、蒸気機関車、放送や無線、郵便や新聞といった諸々も、動き出してしまえば国王が出て行くべき代物ではない。

 生活は安定し、戦は無く、各国との関係も上々。お陰で国への陳情も少ないらしく、王が裁定すべきことも滅多にない。

 数日後には各国を招いての運動や武術、芸術などの国際大会がある。しかし、それもシノブが(みずか)ら首を突っ込むことでもないだろう。それに催し事となると、宰相のベランジェが喜んで持っていってしまう。


 どうもベランジェを始めとする閣僚は、なるべくシノブが自由に動けるようにと考え、あまり雑事を回さないようにしているらしい。

 シノブは謎の海神を追っているし、アスレア地方との関係作りもシノブが関与することが多い。そのためベランジェ達は、国内のことでシノブを(わずら)わせないようにしているのだろう。


 そのため大して時間が経たないうちに、午後の政務も終わりを迎えようとしていた。シノブは時間が空いたらシャルロットの様子を見に行こうかと考えつつ、残り数件分となった書類に手を伸ばす。


「……通信筒だ」


「どなたでしょう?」


 シノブの呟きに、アミィが新たなコーヒーを淹れつつ応じた。

 そしてオヤツ代わりなのか、更にアミィは四分の一に切ったアンパンを差し出す。もちろんアンパンは、リムノ島で得たものだ。

 通信筒での連絡は、大半が定時連絡だ。そのためだろう、アミィは落ち着いた表情で自席に戻っていく。


「シャンジーだ。……向こうだと21時半かな?」


 シノブは、向かい側の壁際に置かれたホールクロックへと顔を向けた。時計の文字盤は、もう少しで14時半になるところである。

 シャンジーはヤマト王国にいる筈だ。そして何度も行き来したからシノブも熟知しているが、ここアマノシュタットとヤマト王国の時差は、七時間少々だ。


「確か、今日はタイズミに戻る予定でしたね……」


 自席に座ったアミィはお茶を一口飲み、アンパンへと手を伸ばす。

 ちなみに四等分したアンパンの残りは、ジェルヴェとレナンに回っていた。他の者達も同じようにアンパンやジャムパンを食べている。どうも菓子パンは、まず菓子としての位置付けに納まったようだ。


「タイズミとは、ドワーフのいる土地の都だと伺っておりますが?」


「ええ、そうです。陸奥(みちのく)の国……といってもこちらでは公爵領や伯爵領みたいなものですが、そこの中心地です」


 少し離れた場所では、マリアローゼとミケリーノが(ささや)きあっていた。

 ミケリーノはヤマト王国に行ったことはないが、姉のソニアは向こうに暫く滞在した。そのため彼は、他の者よりヤマト王国に詳しくなったのだろう。


「予定通り、健琉(たける)達はタイズミに戻ったそうだ」


 シノブの言葉に、アミィ達の顔が明るくなる。

 タケルはアマノ王国でも好かれているらしい。こちらにタケル達が滞在したのは、アマノ王国の建国に合わせた数日、つまり四ヶ月前の僅かな間だけだ。しかしアミィだけではなく、ジェルヴェ達も安堵の笑みを浮かべている。


 タケル達は十日前の9月25日にタイズミを発ち、陸奥(みちのく)の国の各所を巡り始めた。陸奥(みちのく)の王は、タケルに配下の各部族にも会えと言ったからだ。

 タケルは五つの主要な部族と会い、それぞれの地で何らかの勝負をした。そして彼は全ての勝負に勝ち、再びタイズミに戻ってきたのだ。


「十日で五部族……大変な旅だったな。でも、これで面倒事は一段落かな……」


 シノブは執務机の一角を眺める。そこには小さな馬の置物や、将棋の駒、桜の木の皮で作った細工物などが並んでいる。

 これらは、シャンジーからの贈り物だ。彼は魔法の家の呼び寄せ権限を持っているから、旅先で変わったものがあるとシノブ達に送ってくれるのだ。


「お土産も、これで終わりですね」


 アミィも微笑みを浮かべている。確かに後は都に戻るだけだから、これ以上お土産が増えることはないだろう。


「えっ、また勝負? ……陸奥(みちのく)の国の王と鍛冶で勝負だって?」


 再び(ふみ)に目をやったシノブは、思わず声を上げてしまう。陸奥(みちのく)の国の王、亜日(あび)長彦(ながひこ)は、タケルに自分と刀造りで競えと言ったらしい。

 シノブはナガヒコと会ったことはないが、彼はドワーフの王だ。当然ナガヒコはタケルより鍛冶が上手いだろう。いや、そもそもタケルは鍛冶をしたことがあるのだろうか、とシノブは考える。


「タケルさん、鍛冶が出来たのですか?」


 アミィもシノブと同じことを考えたらしい。彼女だけではなく、ジェルヴェ達も顔を曇らせている。


「……タケルは鍛冶をしたことはないそうだ。だけど、陸奥(みちのく)の国の鍛冶師が助けてくれる……というか、その人が中心らしい。その鍛冶師……女の子!?」


 再度シノブは驚きの叫びを発する。

 シャンジーによれば、最初ナガヒコは帰還したタケルを歓迎したそうだ。そしてナガヒコは上機嫌なまま、タケルを慰労する(うたげ)を開いたという。

 どうも、この(うたげ)で鍛冶勝負をすることになったらしい。しかもタケルの勝負というより、女性鍛冶師とナガヒコの対決のようだ。


「これは、タケルさんの魅力かも……」


「そうかもしれないね……」


 アミィの呟きに、シノブは苦笑で応じるしかなかった。

 どうもタケルは、女性を惹き付ける運命にあるようだ。あるいは女難と言うべきか。


「それでシノブ様、シャンジーさんは助けを求めているのですか?」


「いや、そんなことは書いていない。勝負は一週間後だから、そのときは見に来てだって」


 真顔で問うたアミィに、シノブはシャンジーの記した(ふみ)を渡しつつ答えた。

 つまりシャンジーの知らせは、あくまで定時連絡に類するもののようだ。少なくとも、シャンジーはタケルに危機が迫ったと感じていないらしい。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 木造の建物の床に、黒髪の者達が輪のようになって座っている。アマノ王国では見慣れない建物と挙措だが、ここヤマト王国では双方とも一般的である。


「タケル様……ごめんなさい、私のせいで……」


 浅黒い肌の小柄な少女が、憂い顔でタケルを見つめている。

 少女は黒い髪に濃い茶色の瞳、服は前合わせの着物めいたものだが、どうも革で出来ているらしい。


夜刀美(やとみ)殿、気にしないでください。私はヤトミ殿が造った刀を美しいと感じ、そのように言っただけ」


 頭一つは背が低い少女に、タケルは微笑みかけた。その様子は、兄が幼い妹を慰めているようでもある。

 しかしタケルとヤトミは同じ年、十五歳だ。身長の違いは、タケルが人族でヤトミがドワーフだからだ。ヤトミはヤマト王国の陸奥(みちのく)の国、ここタイズミの女性なのだ。


「そうです、ヤトミ様の刀は素晴らしい出来です! なのに……」


「ナガヒコ殿の太刀には届かないかもしれませんが、鍛冶を()めろとはあまりに……」


 タケルの両脇から声を上げたのは、巫女の立花(たちはな)と、筑紫(つくし)の島の武者姫こと刃矢女(はやめ)だ。双方とも武術に通じているから、刀の目利きも一定の域に達しているのだろう。


「わ、私も良いと思います……」


 少し遅れて声を上げたのは伊予(いよ)の島の姫巫女、つまり褐色エルフの桃花(ももはな)である。彼女も巫女として神に捧げた刀を見ているから、それなりの見識はあるのかもしれない。


「ヤトミ殿の腕は確かだと思いますが、ナガヒコ殿が上回っているのも事実でしょう。タケル、何か策があるのですか?」


 タケルの叔母、(いつき)姫の顔は曇っていた。

 ヤトミという少女は、優れた鍛冶師であった。少なくとも、タイズミの大極殿(だいごくでん)に彼女の造った刀が飾られるくらいには。

 しかし陸奥(みちのく)の国で今一番優れた刀鍛冶といえば、誰もが王のナガヒコだと答えるだろう。したがって、ヤトミがナガヒコと鍛冶勝負で勝つのは極めて難しい。


『シノブの兄貴に聞いてみたら良かったのに~。向こうにも鍛冶師って沢山いるよ~』


 どうもシャンジーは、シノブに相談したかったようだ。流石に彼もシノブが鍛冶に詳しいとは思っていないだろうが、シノブからイヴァール達に声を掛けてもらえばと考えたらしい。


「とはいえ期間は僅か一週間。これから学んでも自身のものにできるか……」


 筑紫(つくし)の島の王、威佐雄(いさお)は首を傾げる。

 同じ鍛冶でも別の流れであれば、そう簡単に習得できない。イサオは、そう考えたに違いない。


「タケル様……私、鍛冶を()めます。そうすれば、父さまも大王領と……」


 か細い声でヤトミは言葉を紡いでいく。彼女が鍛冶を続けるか否かは、大王領と陸奥(みちのく)の国の関係に関わる大事(おおごと)となっていた。


 ヤトミはナガヒコの娘、つまり陸奥(みちのく)の国の姫であった。しかし彼女は、名匠である父に憧れ鍛冶の道を志したそうだ。

 しかしナガヒコはヤトミに自身の技を教えなかった。どうも彼には、鍛冶は男の仕事だという信念があるようだ。そのためヤトミは、密かに別の刀匠に師事したという。


「ヤトミ殿、それはいけません!

私は各種族の融和を成し遂げたい……種族の違いで生きる場が異なるなど、おかしいと思います。ですから、男だけ、女だけ、などと言うのも出来る限り無くしたいのです!」


「タケル様……」


 タケルの力強い言葉に、ヤトミの頬が微かに染まる。

 どうやらシノブとアミィの想像は当たっていたらしい。ヤトミはタケルに好意を感じているようだ。


 暫し場を静けさが支配する。タケルを慕う少女達も、ヤトミに好きな鍛冶をさせたいという思いからか二人に声を掛けることはない。


『それでタケルよ。どうやってナガヒコに勝つのだ?』


 沈黙を破ったのは(はがね)の像に宿ったドワーフの祖霊、将弩(まさど)であった。

 タケル達を見守るだけと言ったマサドだが、同族であるヤトミのことは気になるのかもしれない。彼の声には、明らかに案ずるような雰囲気が滲んでいた。


「技で劣るなら、素材で補えば良いと思うのです。幸い、私達にはマサド殿がおりますし」


 タケルは悪戯っぽい表情でマサドを見つめた。そんな彼を、一同は怪訝そうな顔で見つめている。

 しかし囲む者達もタケルの話を聞くにつれ、笑みを浮かべていく。苦笑いというべき表情からすると、よほど意外な話だったのだろうか。しかし一同から憂いが晴れたのは事実であった。

 各地を旅する間に、タケルは随分と頼もしくなったようだ。慕う人々の信頼に満ちた視線は、若き王太子が大きく成長したと雄弁に語っていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2017年1月20日17時の更新となります。


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