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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第20章 最後の神
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20.20 密林の探索 前編

 リムノ島は東西が最大で100km、南北は150km近い巨大な島だ。しかもエレビア王国のエレビア半島やアゼルフ共和国のアズル半島から、最も近いところだと僅か200kmほどである。そのため両国の人々は、早くからリムノ島の存在に気付いていた。


「でも、これだと住めないね」


「豊かな森ですが……」


 シノブとシャルロットは手に持つ望遠鏡を降ろすと、驚き混じりの苦笑を交わした。二人が目にしたのは、密林から飛び出してきた巨大な魔獣達であった。


 このように並外れた魔獣が棲んでいるから、エレビア王国やアゼルフ共和国は領有権を主張しなかった。そこでシノブはリムノ島をアマノ王国の領土とした。シノブはリムノ島を超越種達が気兼ねなく過ごせる場にしようと思ったのだ。


「オルムル殿じゃ!」


「ブレス!」


 シノブ達の後ろで、マリエッタとエマが歓声を上げた。魔獣達に続いて現れたのは、軽やかな飛翔で森を抜けたオルムルであった。そして彼女の仲間達も同じように姿を現す。


 現在アマノ号はリムノ島の数km手前だが、島には十を超える超越種達が先行している。

 岩竜がヨルムとオルムル、ニーズとファーヴという二組の母子。炎竜はイジェとシュメイの母子が島に行った。

 同じように嵐竜がマナスとラーカ、光翔虎がパーフとフェイニー、更に案内役の朱潜鳳フォルスである。


 これでは魔獣達が逃げ惑うのも無理はない。大樹が生い茂る密林からは、魔狼(まろう)岩猿(いわざる)森林大猪(しんりんおおいのしし)大角鹿(おおつのしか)などが飛び出してくる。


「オルムルさん、今は元の大きさですよね?」


「……倍ほどもあるのでは?」


 ミュリエルとセレスティーヌは、驚嘆の呟きを漏らしていた。比較対象の出現で、二人は魔獣の大きさに気がついたようだ。


「……ああ、今は元のままだって」


 シノブはヨルムに訊ねてみたが、森を抜けた今は全員が本来の大きさに戻ったそうだ。つまり魔獣達は、他では見ない大物揃いなのだ。

 オルムルの体長は4m少々だが、彼女に追われて白い砂浜へと駆けてきた魔狼は倍近い。しかもオルムルが狙っている魔狼が特別に大きいわけでもなく、他も同等か一回り小さいくらいである。


 ちなみにエウレア地方の魔狼は体長3mくらいで、最大級でも一割か二割大きい程度だ。そして岩猿も、人の背の倍に届くものは極めて珍しいという。

 しかしリムノ島の魔獣はエウレア地方の同種に比べると異様なまでに大きかった。おそらく、この島の魔力が極めて多いからだろう。


「これじゃフェルンやディアスが待機になるのも当然だね」


 シノブは脇に顔を向けた。そこには炎竜の子フェルンと朱潜鳳の子ディアスが飛翔している。

 どちらも狩りに加わりたいのだろう、アマノ号の少し手前を飛んでいる。しかし母のニトラやラコスは、まだ体長2mほどの彼らには早いと思っているようで、船と共に進むように思念で呼びかけていた。


 今のフェルンやディアスでも、オルムルが狩っているような大物を倒せるかもしれない。しかし密林からは次々と魔獣が飛び出してくるから、その場で食べるわけにもいかない。

 そして仮に持ち上げて飛べたとしても、速度は出ないだろう。そうなると獲物に寄ったところを襲われる可能性もある。


──美味(おい)しそうですね──


 シノブの膝の上で、玄王亀の子ケリスが思念を発した。彼女は(つぶ)らな瞳をオルムル達に向けている。


──後で分けてもらいましょう──


 ケリスに応じたのは、母のパーラだ。玄王亀は飛翔が苦手だし、ケリスは生後十日だから狩りなど不可能である。そのため二頭は魔法の家のリビングに残っていた。


 残る海竜の子リタンは海中である。先ほど彼は両親のレヴィやイアスと合流し、島の近海で遊泳を楽しんでいた。

 もっとも、この辺りに海生魔獣は殆どいないらしい。そのため三頭は島の周囲を巡りつつ結界を作成しているだけであった。


 リムノ島に海を渡る能力を持った魔獣はいないという。

 しかし万一のこともあるから、超越種達は結界を作ることにした。島の周囲に島内の魔獣を外に逃がさないための結界、そして島の中央の山地に内部への侵入を防ぐための結界を張るのだ。

 ヨルム達によれば、中央部の結界は既に張り終えたそうだ。シノブ達は、そこにアマノ号を降ろす予定である。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 アマノ号が降りた中央山地は、岩竜や炎竜の興味を惹くほど高くないという。おそらく最高峰でも標高500mを下回るだろう。

 しかも地形はなだらかで、アマノ号の周囲も小高い丘の草原のようであった。


「少し暑いですが、気持ちの良い場所ですね」


 外に出たシャルロットは、穏やかな笑みを浮かべた。そして彼女は周囲へと視線を巡らせる。


 広い草原の中央近くに双胴船型の巨艦アマノ号が置かれ、その両脇に運んできた老竜達、岩竜リントと炎竜ハーシャがいる。手前ではアンナやリゼットなどの侍女達が昼食の準備をしている。

 シャルロットの背後には、魔法の家だ。呼び寄せ機能を使い、魔法の家をアマノ号の上から草原へと移動させたのだ。

 上空には朱潜鳳のフォルスが舞っている。他にアマノ号の周囲にいるのは、彼の妻子であるラコスとディアス、そして炎竜のニトラとフェルン、玄王亀のパーラとケリスだ。この三組は子供が幼いため、シノブ達と共に安全な場所に残っている。


「この辺りの緯度は、カンビーニ王国の南端くらいだって。気候も近いから過ごしやすいだろうね……魔獣がいなければ、だけど」


「アルストーネより暑いけど、似た感じなのじゃ!」


 シノブが島の気象に触れると、マリエッタが大きく頷いた。そしてマリエッタの側にいる三人の女騎士、彼女の学友であるフランチェーラ達も賛意を示す。


 マリエッタの故郷はカンビーニ王国の都市アルストーネだ。そしてアルストーネはデレスト島という島の海岸沿いに存在する。

 ちなみにデレスト島は、リムノ島の三倍以上もある大きな島だ。しかし微かに潮風が流れてくるところなど、似通っているのは間違いない。


「これで魔獣がいなければ、良い港になるでしょうが……」


「あれでは……」


 残念そうな表情で続いたのは、猫の獣人の老人と少年だ。シノブの親衛隊長エンリオと、孫で同じくシノブの側仕えとして働くミケリーノである。

 イナーリオ家の二人も、マリエッタ達と同じでカンビーニ王国の出身だ。そして二人が住んでいた場所は王都カンビーノだが、気候や環境はアルストーネと良く似ている。


 エンリオが指摘したように、魔獣が存在しなければリムノ島は港として栄えたであろう。

 現在エウレア地方からの船は、大砂漠の沿岸を東に進んでエレビア王国へと向かう。海竜達はエウレア地方とアスレア地方を分けていた魔獣の海域を、海岸からの100km近くだけ結界で守り航路としたからだ。

 しかし魔獣の海域が存在するのは途中までだ。大砂漠の東半分の近海は、元から海生魔獣が棲んでいなかった。

 そのため魔獣の海域を抜けてから南下すれば、直接リムノ島に向かうことができる。


「そうだね。アズル半島は、大きく西に張り出している。高速軍艦くらいの性能があれば、第四補給港から真っ直ぐ南に向かってリムノ島、そこからアズル半島の西端に向かえば良い……でも、8m級の魔獣が出るから無理だね」


 シノブは苦笑しつつエンリオ達に応じた。

 第四補給港とは、シノブが大砂漠に造った港だ。そして通常の商船なら第四補給港からエレビア王国の都市ペルヴェンに向かう。

 東への航路が出来たら、普通ならペルヴェンからエレビア半島沿いに南下して、そこからアズル半島に沿って東に回りこむだろう。

 しかし一部の高性能な船なら、一息にアズル半島に向かうことも出来る。もし魔獣がいなければ、そのような船にとってリムノ島は良い寄港地となった筈だ。


「巨大魔獣との戦闘経験を積むには良いかもしれませんね」


「そんなことが出来るのは私達くらいですよ」


 エンリオの後ろでは、二人の若者が言葉を交わしていた。

 最初に言葉を発したのはアフレア大陸から来た漆黒の獅子の獣人、エマの兄のムビオだ。そして応じたのはカンビーニ王国出身の虎の獣人、マニエロである。

 ムビオやマニエロを含む数十名の若い戦士は、完全武装で並んでいる。


「ファリオスさん達をお連れしました!」


 アマノ号から、アミィが飛び降りてくる。

 そしてファリオスや彼の妹のメリーナなどのエルフがアミィと同じように降りてきた。(いず)れもメリエンヌ学園で働く面々だ。その中には、ヤマト王国から留学中の多気(たけ)美頭知(みずち)など褐色の肌と漆黒の髪のエルフ達もいる。


 これからファリオス達は、エンリオの指揮する隊に守られ島の探検に赴く。リムノ島にはエウレア地方とは違う植物があり、それらには有用なものも含まれているらしいからだ。


「ルシール殿、土産を期待してください」


 ファリオスは、シャルロットの脇に控える治癒術士ルシールへと笑顔を向けた。同じ研究所で働くためか、二人はエルフと人族という違いを超えて親密な仲となったらしい。


「無事なお帰りが一番ですわ」


「それは嬉しい御言葉! ……エンリオ殿、お願いします!」


 ルシールの言葉を受け、ファリオスの顔は更に輝いた。そして彼は、足取りも軽く老武人へと歩み寄っていく。


「それでは陛下、出発します」


「ああ、気を付けて……フォルス、頼んだよ」


 出立の挨拶をするエンリオにシノブは頷き返し、続いて大空へと顔を向けた。巨大な魔獣の棲息する島だから、シノブは同行者を用意したのだ。


『お任せください! さあ皆さん、密林探検に出かけましょう!』


 朱潜鳳のフォルスは、既に人間ほどの大きさに変じていた。そして彼は、軍人と研究者の一団へと飛翔していく。


「どんな植物があるのでしょう?」


「カカオがあると良いですわね!」


 ミュリエルとセレスティーヌは、島の産物が気になるようだ。

 島に珍しい植物があるかもしれないと語ったのは、フォルスの(つがい)ラコスだ。彼女の祖父はリムノ島に何度も訪れたことがあるらしい。

 実際、オルムル達も初めて見る植物があると知らせてきた。オルムル達は島の各所を回っており、時々思念で報告してくるのだ。

 もっとも超越種は植物を食べないし、利用することもない。そのためオルムル達は変わったものがあると言うものの、味などを伝えてくることはなかった。


「すぐ東のアズル半島には珍しい植物が多いから、期待できるんじゃないかな。コーヒーなんかは、随分と南の筈だし……」


 シノブはアマノ号での飛行中に味わった飲み物を思い出した。

 それは確かにコーヒーであった。モカマウンテンと呼ばれる地球には存在しない品種だが、酸味がありつつもコクや香りも豊かで、シノブ好みの味だった。


 本来コーヒーの木は、北回帰線から南回帰線の間の植物だ。しかしアズル半島は大砂漠からの暖気や暖流の影響で、熱帯に近い気候となっている。しかも、こちらのコーヒーの木は森の女神アルフールが手を加えたのか、亜熱帯でも生育可能なようだ。

 もし同じような改良版のカカオが存在すれば、このリムノ島に自生している可能性はある。


「そうだと良いですわね!」


 セレスティーヌは華やかな笑みをシノブに向ける。それにシャルロットやミュリエルも嬉しげだ。

 ファリオスの努力もあり、チョコレートの製造方法は確かなものとなった。シノブからしても、日本で味わったものと遜色のない域に達したと感じる完成度である。

 しかし肝心のカカオが神域産のものしかない。そのためチョコレートの量産は出来ないし、世に広めることも躊躇(ためら)われた。

 神域から得た実から種を採り育てているが、まだ室内の観葉植物といった程度だ。神域から一本や二本の木を持ってくることは可能だが、やはり一般に出せる量には程遠い。

 したがってチョコレートの存在は、(いま)(おおやけ)にされていなかった。


「ああ。……食事の用意が出来たようだ、行こう」


 シノブはシャルロットと寄り添い歩き始める。

 鍛えているからだろう、シャルロットは出産予定日まで一ヶ月近くになっても今までと変わらず生活している。とはいえシノブは注意深く妻を支え、野外用の食卓へと向かっていく。


 既に食卓の上には、数々の料理が並んでいた。

 サンドイッチのようにパンに肉や野菜などを挟んだもの、それにお握りなど。そして一口サイズの揚げ物や串焼きなど食べやすそうな料理。飲み物はアマノ王国から持ってきたお茶に加え、アゼルフ共和国からミリィが送ってくれたコーヒーや炭酸飲料などだ。

 おそらくは、アミィが遠足らしいものをと選んだのだろう。いつも王宮で食べる食事に比べると随分と庶民的な品々だが、逆にシノブは嬉しく感じる。


「……色々あるね。さて、いただこうか。『全ての命を造りし大神アムテリア様に感謝を』」


 シノブが祈りの言葉を唱え、それに皆が唱和する。そしてシノブ達は、リムノ島で初めての楽しい食事を開始した。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 一方エンリオが率いる探検隊は、リムノ島の密林へと足を踏み入れていた。

 エンリオは、エウレア地方では南国とされるカンビーニの出身だ。そして彼は、今回の探検隊に南の者を多く加えていた。そのため彼らは、快調に深い緑を進んでいく。


 エンリオの部下達は生い茂った草を手に持つ小剣で切り払い、深い藪は長い槍で突いて探っている。彼らの姿には、こういったことを無数に経験したと判る確かさがあった。

 時折は魔獣も出現するが、アマノ王国でも特に優れた者達が集められる親衛隊や宮殿警備の騎士達だ。それに朱潜鳳のフォルスも支援してくれる。彼らは難なく巨大な獣を倒し、更に森の奥へと進んでいった。


『ヨルムさんとオルムルさんが見つけたものは、こちらです!』


 フォルスには他の超越種から思念で連絡が入る。そして彼は珍しい植物の生えている場所を、次々と伝えていった。


「これは……あの『カカオッキーナ』と似た実ですね……」


 ファリオスは、フォルスが指し示す植物へと歩み寄り、目の前にぶら下がっているラグビーボールのような実を手に取った。


 暑い場所だが、ファリオスは分厚い革手袋を()めていた。何しろ初めて触れるものだから用心は当然だ。

 他のエルフ達、つまりメリーナやミズチも厚手の服と手袋、革のブーツという重装備だ。ただし彼らは服の中にアフレア大陸の『スズシイネ』から作った温度抑制の魔道具を仕込んでおり、見た目ほど暑くはない。


 エンリオ達も外に出しているのは顔だけだが、こちらも鎧の中に同様の魔道具を入れている。そのため武人達も、高い気温と湿度にも関わらず快適そうである。


「何となく、麦にも似た色合いの実ですな」


「初めて見る植物です」


 エンリオに応じたのはメリーナであった。その隣では、ミズチも興味深げに大木を見上げている。

 ラグビーボールのような実が()っている木は、細長い団扇(うちわ)のような幅の広い葉を持つ南国風の植物であった。その木の幹から直接、多くの実が下がっている。


「実を切ってみましょうか?」


「ええ、お願いします」


 前に進み出たムビオに、ファリオスは頷いて下がる。それを見たムビオは、腰に佩いた小剣を抜き放つ。


「えいっ!」


「うわ、何だ!?」


 ムビオが実を切ると、同僚の武人の一人が大声を上げた。驚きを示したのは彼だけではなく、他の者も多くが顔を(しか)めている。例外は褐色エルフのミズチ達くらいだ。


「これは、納豆のような……」


「ナットウ……ですか?」


 呟いたミズチを、隣のメリーナが怪訝そうな顔で見る。どうやらメリーナは、納豆を知らないようだ。もっともエウレア地方に納豆は存在しないから、当然ではある。


「ええ。大豆を発酵させた食品です。ヤマト王国では好む者が多いのですよ」


「剣が……ベトベトだ……」


 説明するミズチを他所に、ムビオは悲しげな顔で自身の小剣を見つめている。彼の剣は、茶色い実の中身と細い糸で繋がっていた。


「ムビオさん、私が魔術で洗いましょう」


 可哀想に思ったのだろう、ファリオスは創水の魔術でムビオの剣身を洗い始めた。やはりエルフの魔力は別格らしく、あっという間に剣から汚れが落ちる。


『アミィさんが教えてくれました! それは『ネバットウ』という木のようです! ミズチさんの言うナットウというものが取れるそうです!』


 フォルスは思念で問い合わせた結果を探検隊の面々に伝える。するとヤマト王国のエルフ達から歓声が上がる。

 他の者達は興味を惹かれなかったらしく、苦笑であったり表情を変えなかったりだ。やはり納豆の匂いは、慣れない者にとって魅力的に思えなかったらしい。


『木や葉、それに実は普通に触っても大丈夫だそうです!』


「食用になるなら、実を持ち帰りましょう。……中身を切らないようにして」


 植物なら何でも好きそうなファリオスだが、納豆は別らしい。フォルスの促すような言葉で、ようやく彼は動き出す。



 ◆ ◆ ◆ ◆



──潜行(せんこう)巡翔(じゅんしょう)……ダイビ~ング、ドラ~イブ!! ……痛い!──


 生後三ヶ月と少々の朱潜鳳ディアスは草原から飛び上がり、再び地面へと滑空していく。しかし彼は両親達のように地に潜ることは出来なかった。

 地面に衝突した真紅の鳥は、そのまま前方に滑っていく。


 朱潜鳳が潜行巡翔(ダイビング・ドライブ)と呼ぶ、空間を湾曲させて地中に潜行する技。彼らは、この技を生後半年くらいで体得するという。

 しかし練習自体は早くから行うようだ。巨大な魔獣がいるリムノ島での自由行動を禁じられたため、ディアスは午後を術の習得に当てていた。


──ディアスさん、頑張って! 私も……潜行(せんこう)巡翔(じゅんしょう)!──


 玄王亀のケリスも取り組むが、彼女は生後十日で浮遊も会得していない。したがってケリスは草原に留まったまま、思念を発しただけで終わっていた。


 ちなみに朱潜鳳より玄王亀の方が空間操作は達者らしい。ケリスの母親パーラによれば、玄王亀は誕生から三ヶ月程度で潜行の術を覚えるそうだ。

 シノブの魔力で成長した子供達は、通常より早く各種の技を習得していく。したがってケリスが潜行を覚えるまで、後二ヶ月程度かもしれない。


「跳躍なしで術を使えば良いんじゃないかな?」


『痛い思いをした方が早く覚えるそうです。ぶつかりたくないと思うと、空間を(ゆが)められる……両親から、そう教わりました』


 苦笑混じりのシノブに、ディアスの母ラコスが答える。

 シノブは食卓の席でコーヒーの入ったコップを片手に、そして朱潜鳳ラコスは人ほどの大きさに変じて子供達を見守っていた。もちろんシャルロット達やパーラも側にいる。


──回転炎咆(ローリング・ブレス)!──


 炎竜の子フェルンは、少し離れたところで回転ブレスの訓練をしていた。

 ちなみに老竜リントとハーシャ、更にフェルンの母ニトラの三頭が、幼竜の炎を魔力障壁で防いでいる。そのためシノブ達も安心して見物できた。


「フェルンも朱潜鳳に倣ったのですか?」


「ああ。どうも、ああいうのが好きらしい」


 シャルロットの問いに、シノブは苦笑を返す。

 実は、回転炎咆(ローリング・ブレス)と命名したのはシノブであった。フェルンは潜行巡翔(ダイビング・ドライブ)という名称を非常に気に入り、同じような名を付けてくれとシノブに頼み込んだのだ。

 これを回転ブレスの最初の使い手であるファーヴも大層喜んだ。そして岩竜の子である彼は、自分が使う回転ブレスを回転岩咆(ローリング・ブレス)と名付けた。


「シノブ様、納豆の木が見つかったそうです!」


「えっ、納豆って木に()るの!?」


 アミィの言葉に驚いたシノブだが、『ネバットウ』なるものを説明され納得する。

 何しろ炭酸飲料を得られる実があるのだ。納豆が入った実があっても良いだろう。森の女神アルフールの命名や発想には疑問を(いだ)きつつも、素直に受け入れることにしたシノブであった。


「そのナットウというのも、美味(おい)しい飲み物ですの?」


「あの変わったオレンジやブドウのようなものですか?」


 セレスティーヌとミュリエルは身を乗り出す。二人は、『ネバットウ』から先ほど味わった炭酸飲料のようなものが採れると思ったらしい。


「食べ物なんだけど……匂いが嫌いって人も多いよ。俺は好きだけど、苦手な人も多いね」


 シノブは曖昧な言葉に留める。実物を見せずに理解してもらうのは無理だと思ったからだ。

 おそらくエウレア地方の人達は、納豆を好まないだろう。そんな予想から、シノブとアミィは納豆の作成に手を出さなかった。

 エウレア地方も南部の一部は稲作をしているし、大豆は多くの地で作っている。したがって納豆を作ることは可能だが、幾らなんでも自分が食べるためだけに取り組ませるわけにもいかない。シノブは、そう考えたのだ。


「そうなのですか……」


 シャルロットは夫の雰囲気から何となく察したらしく、納豆を一緒に食べようとは言わなかった。おそらく彼女は、まず現物を見てから、と思ったのだろう。


「わ、私はシノブ様が好きなものなら食べますわ!」


「私も頑張ります……」


 どうやらセレスティーヌやミュリエルも、納豆なるものが手強い代物だとは理解したようだ。しかしシノブが好きなものを一緒に、という思いが強かったようでもある。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブ達が話している間にも、密林の探検は続いていた。

 人跡未踏の地だが難所はオルムル達が先に切り開いてくれたし、幾つかの場所は背に乗せて運んでくれもした。そのため探検隊は、かなり多くの場所を回っていた。


「色々ありましたな。パンの木にカカオに……これで魔獣がいなければ、楽園ですが」


 エンリオは残念そうな表情であった。これだけ多くの有用な植物が得られるのだ。航海の中継地点として絶好の場所でもあるのに、そこを利用できないのは無念に違いない。

 しかし超人的な武力を持つ彼らならともかく、普通の船乗りや農夫がリムノ島で生きるのは不可能に近い。兵士でも、並の者では無理だろう。


「とはいえ、これらの植物を得られただけでも素晴らしいことです! カンビーニの南端なら育つでしょうし、大砂漠の補給港の緑化地帯に植えても良いでしょう!」


 ファリオスは張りのある声で応じた。彼は航海に興味がないから、植物を得られたら別の地で育てれば良いと考えたようである。


「カカオも、これだけ大量にあれば……植え直しに成功したら、チョコレートの量産も見えてきますね」


「私も楽しみです。それに、ここには符に使える魔法植物も多い……」


 メリーナやミズチも浮き浮きした様子であった。

 森の種族であるエルフ達は、緑の多いところにいるだけで気持ちが上向くようだ。ましてや多くの成果があったのだから、メリーナ達が笑顔になるのも当然だろう。


「隊長、何かあります! あれは人工物では!?」


 一行の和やかな雰囲気は、ムビオの声で消し飛んだ。そして彼らは、漆黒の獅子の獣人が指す先へと一斉に顔を向ける。

 ムビオが指し示す先、1kmほど向こうには何本かの柱が立っているようだ。おそらく人の腕より太く、胴よりは細い。そして高さは、やはり人間ほどだろうか。

 木々の間から微かに覗く幾本かの石柱は随分と古いらしく苔むしており、更に岩肌が茶色だから折れて幹だけが残った木のようでもある。


「む……お前の視力には(かな)わんな。キグム、どうだ?」


 エンリオは暫し目を細めたが、脇にいる隊員の一人に顔を向けた。

 キグムという若者も、ムビオと同じで南のアフレア大陸の出身だ。そして彼らは総じて視力が良い。ムビオやキグムが生まれ育ったウピンデムガは、広大な草原だから自然と視力が磨かれるのだろう。


「……墓標かもしれません。杭の表面に、何か刻んであります」


「ほほう、流石は南方大陸の方々。……エンリオ殿、私も自然のものではないと思います」


 キグムに続いたのは、ファリオスであった。

 森で暮らし弓を得意とするエルフも、一般に視力は良い。ファリオス以外にも、メリーナなど数名が頷いている。


『確かに、あれは文字というものみたいですね! フネ……ガ……スキー? ……船が好き?』


 最も視力の良いのは朱潜鳳のフォルスであった。彼は杭に刻まれた文字を読み上げる。

 超越種達は人語を(かい)するが、通常は会話だけだ。彼らの知能は人を遥かに超えるが、使いもしない文字を覚えることはなかった。それに巨大な彼らが目にする文字は、屋外の看板くらいだろう。したがって、仮に学ぼうとしても例となるものが少なすぎる。

 しかしシノブと出会った超越種達は、文字も学んでいる。フォルスは出会ってから一週間に満たないから、まだカタカナや平仮名くらいしか習得していないが、幸い杭に刻まれていたのはカタカナだったようだ。


「エンリオ殿、アスレア地方の人名には『スキー』で終わるものもあるそうです」


「となると、やはり墓標ですかな。行ってみましょう……警戒しつつ前進!」


 (ささや)いたメリーナに、エンリオは静かに頷いた。そして彼は抑えた声で部下達に命令を発する。


「メリーナ、人は住んでいないと聞いていたが?」


「漂着者などかもしれません。そうだとしたら、長くは生きられなかったと思いますが……」


 メリーナは、小声で兄のファリオスに応じる。

 何しろゾウに匹敵する巨大な魔獣が無数に棲む島だ。食料となる植物は多くても、並の者では採集に行くことも難しい。洞窟などに閉じ篭もれば魔獣を躱せるかもしれないが、それでは飢え死にするだろう。

 それらを想像したのか、メリーナは眉を(ひそ)め顔を曇らせていた。


「やはり、これは墓標……しかも、かなりの古さですな」


 エンリオ達が苔を払うと、どの石柱にも名前らしき文字が刻まれていた。それらの殆どは分厚い苔に隠されており、フォルスが読み上げたものだけが(かろ)うじて外に出ていたのだ。


「はい。少なくとも二百年や三百年……それ以上かもしれません」


 メリーナは、石の磨り減り方から相当古いものだと察したらしい。彼女は角が減り丸みを帯びた箇所を見つめている。


「これは陛下にお伝えすべきでしょうな。フォルス様、申し訳ありませんが、お願いします」


『判りました!』


 エンリオの依頼を受け、フォルスはシノブ達に思念を飛ばす。

 リムノ島には先客がいた。彼らが今も生存しているようには思えないが、島の領有権を主張するなら確認しておくべきだろう。


「難破船なら財宝があるかもしれませんね! もしかするとルシール殿に贈れる品があるかも!」


 ファリオスは、シャルロットの側に控えている人族の治癒術士の名を挙げた。

 どうやらファリオスは、ルシールと付き合っているらしい。妹のメリーナを含め、共に来たエルフ達の顔に驚きはない。


「陛下でしたら、幾らかは褒賞としてお与えくださるでしょう。……お前達も頑張るのだぞ!」


 エンリオの言葉に、部下の軍人達は笑顔となる。そして彼らは、更なる熱意と共に遺跡の調査を続けていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2017年1月16日17時の更新となります。


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