20.18 交わる道 中編
シノブ達はアマノ号で大砂漠の中央山地を飛び立った。そして今、シノブ達は800kmほど南のリムノ島を目指している。
このリムノ島は無人であった。島は大砂漠と違い森に覆われた魅力的な土地だが、大型の魔獣が無数に棲んでいるからだ。
しかも大陸からだと最も近いエレビア半島やアズル半島からでも200kmは離れている。そのため双方の住人、エレビア王国やアゼルフ共和国の人々もリムノ島の存在を知っていたが、今まで手を付けなかった。
そこでシノブは、リムノ島をアマノ王国の領土に加えることにした。といっても人が住むのではなく、超越種であるオルムル達の土地にするつもりである。
既にシノブはエレビア王国に断りを入れた。それにシノブは念の為にアゼルフ共和国に訪問中のミリィに問い合わせたが、航海を殆どしないエルフだけあって島に渡ったことはないという。
リムノ島には転移の神像を設置するから、オルムル達は好きなときに行くことが出来る。そしてシノブは、アスレア地方の各国を訪問する際にもリムノ島を使うつもりであった。
「リムノ島の中央からだったら、エレビスまで400km、キルーイヴまで800km、アールバまで1200kmだ。光鏡での連続転移を使えば、アールバでも三十分少々かな」
シノブはエレビア王国、キルーシ王国、アルバン王国の王都を挙げた。
今のところシノブの移動手段では、短距離転移よりも光鏡での転移の方が速かった。もっとも短距離転移でも七割程度だから、充分に速いのだが。
「リムノ島を経由できたら、ホリィ達も随分と助かりますね」
アミィは同僚達に触れた。
金鵄族は巡航速度で時速400km、急げば時速1000kmで飛翔できる。つまり彼女達は全速力なら、アルバン王国の王都アールバまで僅か七十二分で到着するわけだ。
それだけ短時間で移動できれば、先々呼び寄せ権限を持つ者が撤収しても再訪は容易である。
「聖獣の四種族で一番速いのは、朱潜鳳ですよね?」
ミュリエルの言葉を聞き、魔法の家にいる者の多くは前方を飛翔する真紅の巨鳥達へと顔を向けた。
魔法の家はアマノ号の上に置かれているのだが、リビングの窓が舳先を向いている。そのため窓からは、先導する朱潜鳳の番フォルスとラコス、それに二羽に続く幼鳥のディアスも良く見える。
外にいるのは朱潜鳳達だけではない。岩竜がヨルムとニーズ、炎竜がイジェとニトラ、嵐竜マナスと光翔虎パーフ、更にオルムルを始めとする子供達が続いている。ちなみにアマノ号を運ぶのは岩竜リントと炎竜ハーシャの老竜達だが、窓からは見えない。
これに室内の海竜リタン、玄王亀がパーラとケリスの母娘を合わせ、総勢二十もの超越種が集っている。ただしアマノ号を含め透明化の魔道具を使っているから、地上の者達が気付くことはない。
「そうだね。通常の飛翔だと朱潜鳳が時速300kmくらいだ。そして嵐竜が七割で、岩竜と炎竜、光翔虎が半分かな。でも皆、急げば三割や四割は速く飛べるけど」
シノブは各種族の飛行速度を挙げていく。
鳥の姿だけあって、朱潜鳳の飛行は速かった。どの種族も重力操作を浮遊や飛翔に用いているが、朱潜鳳は更に羽ばたきと風の術を加えているから超越種では最高速を誇っていた。
嵐竜も風の術を使うが、彼らは東洋の龍のような姿形で翼は無い。そのため嵐竜は二番手となっていた。
岩竜と炎竜は羽があるが肉食恐竜に翼を付けたような姿で、その翼も巨体に比べたら小さなものだ。したがって彼らは重力操作がなければ、体を浮かすことは出来ない。
光翔虎は翼を持っていない。彼らは風の術を多少は飛翔に使うが、多くを重力操作に頼っていた。光翔虎は竜に比べると体重が軽いから変幻自在の動きを披露するが、速度はさほどでもなかったのだ。
ちなみに、これらは長距離飛行の場合だ。つまり戦闘など短時間であれば、彼らは更に速く飛ぶことも可能だ。
「凄いですよね……」
「ええ」
再び外を向いたミュリエルに、隣に座った祖母のアルメルが大きく頷きつつ続く。超越種と身近に接してはいる彼女達でも、改めて聞かされると驚くのだろう。二人だけではなく周囲の侍女や護衛達も、偉大なる存在達を憧憬の表情で見つめている。
「シノブ様、フェルンさんも随分と飛べるようになったのですね」
「どうかな? そろそろ戻ってくると思うけど……」
セレスティーヌの問い掛けに、シノブは首を傾げつつ応じた。
炎竜の子フェルンは、まだ生後三ヶ月と十日だ。そして岩竜や炎竜は半年くらいで100kmや200kmの連続飛行を可能とするが、この時期だと飛べて三分の一か四分の一だろう。
実際フェルンは、かなり無理をして飛んでいた。彼は数日だけ後に誕生した朱潜鳳のディアスと張り合っていたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
──フェルン! そろそろ甲板に降りなさい!──
同じ炎竜のシュメイは、フェルンの側に寄りつつ思念を発した。
シュメイは生まれて九ヶ月近くだから飛翔距離も随分と伸びた。しかしフェルンは大きさでは彼女の七割に届かず、飛翔では遥かに及ばない。
先々は番になるだろう二頭だが、今のフェルンはシュメイに世話を焼かれるしかない。
──あまり無理をしない方が良いですよ。皆さんに迷惑を掛けますし──
──そうですよ~。中に入ってシノブさんから魔力を貰った方が良いです~──
岩竜の子オルムルと光翔虎の子フェイニーも寄ってきた。彼女達もシュメイと同じ意見のようだ。
生後一年を超えたオルムルは北の島までの3000kmほどを飛び続けたし、フェイニーも誕生して十一ヶ月だ。そのため二頭はシュメイ以上に余裕がある。
──ま、まだ大丈夫!──
──フェルン……──
必死に羽ばたく薄桃色の幼竜に、岩竜の子ファーヴは何かを言いかけた。
しかしファーヴは先を続けない。数ヶ月前までファーヴは最年少であったから、追いかけようとする者の焦りに強く共感したらしい。
──フェルンさん、僕達は飛ぶのに向いた種族だから……飛べるようになるのも早いし──
ディアスは真紅の体を滑るように移動させ、フェルンに接近した。
朱潜鳳は生後二ヶ月で飛翔を覚える。他種族は通常なら三ヶ月で、シノブの魔力により早くから飛べるようになったフェルン達でも三週間程度を短縮しただけだ。
しかも朱潜鳳の場合、距離が伸びるのも早かった。彼らは生後三ヶ月で500kmほどを飛べるようになるそうだ。
──嵐竜も飛ぶのは得意ですけどね……でもディアスみたいに早くはないですね──
──海竜からすれば、長距離を飛べるだけで羨ましいですよ──
最年長で生後一年半も近いラーカに、魔法の家の中からリタンが応じる。
海竜は岩竜や炎竜より倍近く重い。そのため彼らは浮遊ならともかく、飛翔というほどの能力は持っていなかった。リタンは他種族の重力操作を見ているためか長時間の浮遊を可能にしているし移動も速いが、それでも彼らと並んで飛ぶのは無理であった。
──フェルン──
──はい……──
母のニトラに注意され、フェルンはアマノ号に向かう。そして彼は魔法の家の中に姿を消した。
──皆さん、ご迷惑をお掛けしました──
ニトラは飛翔しながら頭を僅かに低くする。
竜達も謝るときは頭を下げるし、光翔虎や玄王亀、朱潜鳳も同じであった。このような仕草は人間であろうが超越種であろうが大差なく、胸を張ったり首を振ったりというのも共通している。もしかすると、創世の時期に神々が教えたことの一つなのかもしれない。
──そんなことはありませんよ! 今日は楽しい集いの場……遠足なのですから!──
──ええ! フェルンさんはディアスと同じ時期の生まれ、これからもよろしくお願いします!──
ディアスの両親フォルスとラコスは、朗らかな思念で応じた。そして他の母親達も、同じようにニトラへと言葉を掛ける。
──良い交流が広がっていますね──
──ええ。人間も含め各種族が共に暮らす……素晴らしい世の中になりました──
アマノ号を運ぶ二頭、老竜のリントとハーシャが静かな思念を発した。岩竜リントは八百数十歳、炎竜ハーシャは七百数十歳だ。しかし彼女達は、生の大半を北極圏の氷の島で過ごしていた。
過去の人間は竜を恐れ追い払おうとするか、逆に何とか従えようとする者が殆どであった。そのため岩竜と炎竜は厄介事を避けるため、遠く離れた北の地を生きる場所とした。
海竜は海、嵐竜は空、光翔虎は姿消し、玄王亀と朱潜鳳は地底。超越種は自身の能力を活かして人と離れたし、そのため仲間同士でも交流は少なかった。
しかし今、こうやって集うことが出来る。それは長い時を生きた彼女達にとって、夢にまで見た光景なのかもしれない。
湧き上がる感動を表すかのように、二頭の老竜は高らかな咆哮を発する。そして天に響く喜びの歌に周囲の者達は、それぞれの声で和していった。
◆ ◆ ◆ ◆
『シノブさん、魔力ください』
どことなく悔しげな声と共に、フェルンは魔法の家のリビングに入った。そして猫ほどに大きさを変えた彼は、一直線にシノブへと飛翔していく。
──フェルンさん……お帰りなさい──
シノブの膝の上で応じたのは、玄王亀の子ケリスであった。たっぷりと魔力を吸ったからだろう、彼女が発した思念は少し眠たげだ。
「ああ、肩の上にお出で」
外のやり取りを聞いていたシノブは、笑わないように注意しながら応じた。シノブもフェルンの気持ちは充分に理解していたからだ。
竜にはブレスがあり、朱潜鳳に同様の攻撃手段はない。それ故フェルンが飛翔速度を気にしなくても良いと、シノブは思いもする。
しかし相手の良いところが気になるのも判る。そのためシノブは余計なことを口にせず、魔力を提供していく。
『魔力を一杯もらって、早く大きくなります!』
「体の成長速度は大して変わらないと聞いていますが……」
フェルンの宣言に、シャルロットは首を傾げていた。オルムル達も身体的な発育は良いらしいが、同時期の子供に比べて僅かに大きい程度だという。
もっとも超越種は極めて少ないし、当然ながら前例も僅かだ。長寿だから現在の子供達で四世代目、一世代ごとも種族ごとだと片手で数えられる程度だという。それに第一世代は成体としてアムテリアが創ったというから、子育ての事例は三世代のみだ。
「リタン、どう思う?」
『たぶん、そうだと思いますが……』
シノブの問いに、リタンは曖昧な言葉で応じた。リタンも現在成長中だから、先例を聞かれても困るのだろう。
他に室内にいる超越種は玄王亀のパーラだけだが、彼女は無言のままであった。玄王亀の子供でシノブと暮らすようになったのは彼女の娘ケリスのみで、しかも十日ほどしか経っておらず判断のしようもない。
「シノブ様、ホリィからの連絡です。王都アールバを出たそうです」
アミィは小さな紙片を手にしていた。それは、アルバン王国にいるホリィが通信筒で送ってきたものだ。
「王宮に挨拶しに行って遅くなったと……」
「王家の人達も調査に協力してくれたんだ。旅立つ前に挨拶くらいしなきゃ」
シノブは四日前に会ったアルバン王家の人々を思い出しつつ、アミィに答えた。シノブとアミィは、既にアルバン王国の王都アールバに行ったことがあったのだ。
キルーシ王国の第一王妃ユリーヴァに書いてもらった紹介状を、アミィは魔法のカバンの呼び寄せ機能を使ってアルバン王国のホリィへと送り届けた。そして受け取ったホリィは、間を置かずアルバン王宮へと向かった。六日前の9月26日のことだ。
ホリィは、まずアールバに置かれたキルーシ王国の大使館に赴き、それから駐アルバン大使と共に王宮に向かった。そして同日の遅く、ホリィは国王ロムザークや王太子カルターンと会った。
幸い国王ロムザークは書状に記されたことを疑わず、アマノ同盟の密使と名乗ったホリィ達を歓迎した。彼は妹のユリーヴァを随分と信頼しているようだ。
ちなみに、この時点でロムザーク達はキルーシ王国の政変を知らなかった。両国の首都は街道沿いだと1000kmは離れており、キルーイヴが平穏を取り戻し出入り可能となったのは9月25日の午後だからである。
通例なら、キルーイヴからアールバは急報でも二日半は必要だという。経路の半分はキルーシ王国で国境まで大使の特権を使っても二日近く、アルバン王国に入ってから早馬を継いで一日だ。
そのためシノブは28日の午後、アルバン国王達に会いに行った。彼らが駐キルーイヴ大使の知らせを受け取ってからの方が、話が簡単だと思ったからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
アルバン王国の国王ロムザークと王太子カルターンは虎の獣人だった。王妹のユリーヴァは豹の獣人だが彼女は先王である父と同種族、逆にロムザークは母と同じなのだ。
ちなみにカルターンに嫁いだキルーシ王国の第一王女ロザーミラと、二人の間に生まれた長男は人族である。このように人族や獣人族が婚姻するのはアスレア地方では普通で、代々の国王も様々な種族であった。
「この度は、大層驚きました」
ロムザークは、あまり飾らぬ人柄のようだ。挨拶を終えると、アルバン王国の王は自然な笑みをシノブに向けた。
もっとも、これはユリーヴァからの忠告かもしれない。彼女はキルーイヴでシノブと言葉を交わしたから、兄への書状にもシノブの好みを記した可能性はある。
「義父母をお助けくださったこと、真に感謝しております」
「シノブ陛下のお口添えで、母や妹も罪を問われずに済みました。このご恩、一生忘れません」
カルターンとロザーミラは、シノブに謝意を伝える。
ロザーミラの母ダルヤーナはテュラーク王国の出身で、反乱はテュラーク王国が後押ししていた。そのためダルヤーナと娘のミラシュカは関与を疑われても仕方がなかった。
もっともダルヤーナは嫁いでから二十年以上、しかもアスレア地方の高貴な女性は奥に閉じこもって政治に関わらないのが普通だ。そのため彼女が陰謀に加わっている可能性は低く、キルーシ王国側も早々に無関係と判断したらしい。
アスレア地方の王族は他国と婚姻を結ぶことが多い。そのため嫁いだ女性達は政治と距離を置くようになるらしい。今回の一件は極端な例だとしても、下手に関わると故国を贔屓したなどと言われるからだろう。
「ガヴリドル殿やヴァルコフ殿が英明だからでしょう」
シノブはキルーシ国王と王太子の名を出した。シノブは助言しただけで、判断したのは彼ら二人だからである。
「あまりお時間をいただくのも良くありませんな……。ルバーシュと『南から来た男』についてはホリィ殿にお伝えしましたが、我々が知っていることは少ないのです」
ロムザークはシノブが忙しいことも承知しているようだ。
シノブはアスレア地方だけでもエレビア王国にキルーシ王国、大砂漠と飛び回っている。しかも極めて短い間で各所を巡っているのだ。そのためロムザークは、手短に話を済まそうと考えたらしい。
アルバン王家に残っている記録だと、かつて存在したカーフス王国で国王の相談役になったルバーシュが人族であったことは間違いないようだ。
カーフス王国とは現在のアルバン王国の西半分に存在した国だ。今の王都アールバを東端とする一帯を国土とし、更にカーフス王国の末裔は初代アルバン国王の第一王妃になったから、受け継いだ知識も多かったようだ。
それによると大商人ルバーシュは創世暦540年ごろにカーフス王国の王都カルバフに現れ、そして創世暦542年から創世暦552年まで国王の相談役を務めた。このうち相談役として過ごした年月はカーフス王国史として残っているし、他にも複数の資料で確認できるという。
「ルバーシュは職務の途中に倒れたそうです。彼は七十を超えていたそうですから、無理もありませんが」
「治療したのは王家の専属治癒術士ですから、種族や年齢を誤魔化すのは不可能だと思います。意識があればともかく……」
ロムザークの言葉を、ホリィが補足する。ホリィも一通りの文献を見せてもらったから、既に相当のことを把握している。
「魔術なら失神すれば効果がなくなります……それに治療のときに魔道具などは気が付くでしょうし……」
この場にいる最後の一人、アミィが呟く。
まだアマノ同盟の訪れは公にされていない。そのため今回の会見も極秘とされており、僅か六人のみが集うことになったのだ。
「ルバーシュの前歴は、どこまで本当なのでしょうか?」
「彼は豹姫殿……ヴァルーナ姫を若いころ慕っていたと口にしたそうです。酒席での戯れ言、しかも遥か昔のことですから周りも笑って流したとか」
シノブに問われたロムザークは、伝説の後半近くの一節『豹姫に出会って一目惚れ』に触れた。
『大商人ルバーシュの七つの冒険』の通りなら、彼は王都カルバフに現れる前を虜囚として過ごしたようだ。ルバーシュはアゼルフ共和国のエルフを怒らせ、三十数年も強制労働させられたらしい。
つまり豹姫ヴァルーナを慕ったというのは四十年ほども昔の話で、しかも遠くから眺めたという程度のようだ。したがって慕われたヴァルーナや孫の国王が怒るほどのことではない。
「もっとも事実かどうか判りません。冗談に混ぜた賛辞という可能性もあります」
「ルバーシュは何故独身なのかと問われ、ヴァルーナ様をお慕いしたからと答えたそうです。ただ、カルバフに店を構えた時点で六十を過ぎていますから……」
王太子カルターンと妻のロザーミラも、一目惚れ云々について疑問を感じているらしい。アルバン王国に残る記録だと相談役のルバーシュは賢者とされ、恋愛沙汰で道を誤るような人物とは思えないそうだ。
もっとも歳を取れば性格など変わるだろう。まだ二十代かそこらと、六十を超えてからである。若い頃は無鉄砲でも年老いたら落ち着くなど、珍しくもない。
何れにしても王都カルバフに現れる前のルバーシュに関する記録は、自己申告を元にしたものしかないらしい。それ以前は出身地だという都市アストラ近郊だと単なる漁師の子、商売を始めてからも身一つの零細商人だ。しかも商売はカーフス王国の外でのことだから、当時は確かめようが無いだろう。
なお、国王の相談役となったルバーシュに親族や過去の知人はいないそうだ。彼を頼った者は幾らでもいたが、全て騙りの類だったという。
「ですから、ルバーシュがアストラの出身というのも疑わしくはあります。過去を隠すだけの何かがあったという可能性は高いでしょう。
……『南から来た男』ですが、ルバーシュも調べていたそうです。どうして調べるのかと問われた彼は、この辺りかもしれないからと答えたとか……もし本当ならカルバフが『南から来た男』の故郷かもしれません。
ただ、そのときルバーシュは昔から興味があったと言ったそうです。ならばアストラも候補に入れるべきでしょう」
ロムザークは、話を『南から来た男』の伝説に転じた。
ここ王都アールバから100kmほど西が都市アストラ、同じく250km近く西が都市カルバフだ。相談役となったルバーシュが近辺と答えたのだからカルバフの可能性が高いが、出身地だというアストラか双方の中間辺りかもしれないとロムザークは言う。
「なるほど……」
都市ではなく近隣の小村か何かが出身だから、『南から来た男』の生まれが不明瞭なのだろうか。シノブも、そのようなことを考える。
「アールバでの調査を終えたら西に旅立とうと思います。間の町村も含めてですから、ゆっくりと周ることになると思いますが……」
「期限のあることじゃないから、別に構わないよ。苦労を掛けて申し訳ないけど……」
済まなげなホリィに、シノブは微笑みと共に応えた。
ホリィ達は、アールバに着いてからも近隣の調査をしているという。普通の旅人に扮して幌馬車で移動するのだから、不自由なことばかりだろう。それがアムテリアの授けた魔法の幌馬車であっても。
とはいえシノブ達は、謎の海神に関する手掛かりを何か得たかった。広い海洋を当ても無く探すのは避けたいし、どんな神霊かだけでも知りたいからだ。
他にもテュラーク王国についてなど、シノブは訊ねてみる。アルバン王国の東はテュラーク王国とも接しているのだ。
アルバン王国の中央北部にはカーフス山脈という高山帯がある。そして山脈の西がキルーシ王国、東がテュラーク王国と行き来できる場所となっていた。
しかし、これについては有益な情報が得られなかった。確かにアルバン王国はテュラーク王国と行き来できるが、そこも山地で街道は存在しなかったからだ。つまり踏破可能というだけで、隊商が通るような場所ではなかった。
それにアルバン王国の東部の者達は、テュラーク王国を随分と警戒しているらしい。アルバン王国の建国前だが、彼らは騎馬民族に随分と痛めつけられたという。その荒らし回った騎馬民族の末裔が、現在のテュラーク王国を建てたようだ。
もっともテュラーク王国に関しては、シノブの考えるべきことではないだろう。テュラーク王国に異神の影は見当たらないからだ。そのためシノブは、彼の国についてを簡単に済ませる。
ともかくアルバン王家の協力を取り付けたから、これからの調査はしやすくなるだろう。それにエルフからも情報を得られる筈だ。シノブは少しでも早くホリィ達の苦労が報われるように願いながら、アルバン王家との会談を続けていった。
◆ ◆ ◆ ◆
ホリィ達が王都アールバを出発してから二時間ほどが過ぎた。ホリィ達が乗った魔法の幌馬車は、緩やかな坂を登っている最中だ。
アールバは海に面し港を持つ都市だが、港は東南である。アールバの西は南に突き出した半島で、西への街道は登り道なのだ。
十月に入ったとはいえ、アールバの辺りはアスレア地方でも随分と南だから暖かだ。この辺りは北緯34度ほど、日本なら九州の北端に相当する緯度である。大砂漠から遠いがアスレア海は暖流が流れているから、この辺りはエレビア王国などと同じくらい気温が高かった。
そのため馬車を牽く二頭の馬の歩みも快調だ。二頭はアマノ王国軍の軍馬で、高度な身体強化が出来る。巨馬揃いのアスレア地方東部の馬に比べたら少し小柄だが、力ではむしろ上回っているだろう。
そして魔法の幌馬車はアムテリアが授けた神具である。シノブ達が使う魔法の馬車に比べると機能は劣るが、それでも通常の馬車とは比較にならない快適な乗り心地だ。御者台の二人も楽しそうに鼻歌を歌い、馬車の中からも楽の音が響いてくる。
しかし、そのような楽しげな雰囲気に惹かれて来る者達がいた。
「止まれ!」
「大人しく馬車から降りるんだ!」
この地方に多い湾刀を持ち無精髭を生やした男達が、街道を塞いだ。
アールバという大都会の近郊だからか、盗賊は多いようだ。おそらく盗賊は、王都に集まる旅人達に狙いを定めているのだろう。
アスレア地方には聖人が現れなかったからか、それなりに不心得者もいるらしい。
一方エウレア地方は、五百数十年前に多くの眷属が地に降りて聖人として世を導いた。しかも聖人達が支援した英雄達は国を興し、今も多くの子孫が王などとなっている。
そのためエウレア地方では現在でも信心深い者が多く、犯罪も他の地方より随分と少ないようだ。
「またですか……でも、良い情報源ですからね」
「ええ。こいつらも人生に一度くらい、人の役に立つべきでしょう」
ホリィとセデジオは、二十人以上いる盗賊など気にならないようだ。二人は平然とした顔で言葉を交わしている。
どうもホリィ達は盗賊と縁があるらしい。たった一台で行動し、しかも御者を務めるのは大抵が二十歳前の若者だから、盗賊達も侮るようだ。
ホリィ達は魔法の幌馬車を使って転移することもあるから、他の隊商に混ぜてもらうのも都合が悪い。既にアルバン王家の後ろ盾も得ているが、まだ一般には伏せている。それに聞き込みするなら、軍の護衛を引き連れてというわけにもいかないだろう。
また、盗賊達は街で得られない情報を持っているかもしれない。そのためホリィ達は、敢えて彼らを誘おうと無警戒を装っていた。
これは圧倒的な能力を持つ一団で、更に神の眷属であるホリィという切り札があるから出来る策だ。普通の者がこのようなことをしたら、命が幾つあっても足りないだろう。
「お、おい……俺達を誰だと思っているんだ?」
「……まさか気が付いていないのか?」
単なる少女と老人にしか見えない二人の落ち着き払った様子に、盗賊達は毒気を抜かれてしまったようだ。薄汚れた革鎧の男達は、訝しげな顔をしている。
「ああ、盗賊だろ!」
ミリテオを含む四人の諜報員は、盗賊達に向かって走り出していた。彼らの素早い行動からは、何となく慣れのようなものが感じられる。
「悪党共に生きる権利はない! アルバーノ流小剣術、双鷹剣!」
ミリテオは『飛燕』という技の名を変えていた。おそらくエレビア一刀流に飛燕剣という技があったからだろう。そして鷹にしたのはホリィ達への敬意からであろうか。
ちなみに物騒なことを叫んだミリテオだが、彼は剣の平で打っただけだ。この決め台詞めいたものは、ミリィに影響されただけなのだろう。
それはともかく、ミリテオの後を三人の若手諜報員が続いていく。この三人も同じ系列の技、つまりアマノ王国軍特殊戦闘術を駆使して盗賊を打ち倒す。
「ま、まさか盗賊殺し!?」
「あの、竜も避けて通るという!?」
どうもアルバン王国の盗賊達には、何らかの噂が広がっているらしい。彼らは蒼白な顔となっており、中には逃げ出そうとする者もいた。
「ええ。一部では『盗賊を滅する者』と呼ばれているそうです」
ホリィは平然とした顔で頷いてみせた。
最初は王都アールバに向かう道筋で。そしてアールバに滞在している間も周辺の聞き込みの間に。ここ暫くで、ホリィ達は数組の盗賊団を始末していた。
そのため近郊の住民達は、正体不明の街道の守り手に、感謝を篭めた異名を献上していたのだ。
「どこから情報を得たのか……馬鹿共の癖に」
セデジオは強い侮蔑の滲む顔で呟いている。エウレア地方で生まれ育った彼からすれば、盗賊など許し難い存在なのだろう。
ちなみに魔法の幌馬車は、襲撃があるごとに見かけを変えている。そのため盗賊達が引っかかるのも無理はないかもしれない。
「幸い、アルバン王家から特別監察官の免状をいただいています。次の街で、アールバに送るよう依頼しましょう」
以前とは違い、ホリィはアルバン王国の役人への引き渡しを選んだ。王家直属の監察官と名乗れば誤魔化されることもないだろうからだ。
「制圧完了しました!」
ミリテオ達も手慣れたものだ。諜報員達は気絶した盗賊達を手早く拘束し、ホリィの前に並べていく。これからホリィが盗賊達に催眠の魔術を掛けるのだ。
「ご苦労様です。それでは……」
ホリィも手際よく魔術を行使していく。
こうしてアルバン王国の街道から、また一つの盗賊団が姿を消した。このようなことが幾度か続いたからだろう、暫くの間アルバン王国で盗賊となる者は大幅に減ったという。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年1月12日17時の更新となります。
本作の設定集に20章前半の登場人物の紹介文を追加しました。
上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。