20.16 散る華 咲く華
「ついにエルフが語り伝えた火の鳥……朱潜鳳を得たか……」
黒髪の巨漢が発した重々しい声は、広く天井の高い部屋の隅々まで響き渡った。
人族らしい中年男性は、隆々たる筋肉で鎧った巨体に相応しい威厳の持ち主だ。鋭く光る茶色の瞳、鼻の下と顎に蓄えた立派な髭、そして雷鳴のような太い声。何れも王者の風格を醸し出している。
ただし彼は、まだ国を得ていない。ヴラディズフという名の男が国を建てるのは、更に二十年以上先であった。
このヴラディズフこそ、後にベーリンゲン帝国の初代皇帝となる男である。しかし今は創世暦327年で場所はアスレア地方の西、大砂漠に隣接する辺境だ。そして帝国の成立は創世暦351年であった。
「お前は我の僕となったのだ。逃げることは出来ぬし、お前の両親もすぐに従える……そのときを楽しみに待つのだな」
ヴラディズフは眼前の真紅の巨鳥、朱潜鳳に語りかける。
朱潜鳳といっても小さく、頭の高さは仁王立ちするヴラディズフと大して変わらない。それも当然、ヴラディズフの前に立つのは生後三ヶ月程度の幼鳥であった。
「……そうだ、名を教えろ」
ヴラディズフが問いを発すると、巨鳥の首元が怪しく光る。朱潜鳳の長い首には黒い輪が嵌められており、その正面に付いている結晶が光を発したのだ。
──ローク──
「ロークか……」
幼い朱潜鳳ロークが思念を発すると、ヴラディズフは満足げに頷く。
ヴラディズフは思念を使えた。おそらくバアル神が授けた能力なのだろう。
「思念……」
「我らが巫女と同じ力……」
岩造りの室内に、悔しげな囁き声が広がる。
窓の無い部屋には、数名のエルフの男性がいた。壮年から若者まで様々だが、強い怒りに歪めた顔は共通している。
そして、もう一つ共通する点がエルフ達にはあった。彼らの首にも黒い輪が着けられていたのだ。
ロークやエルフ達が嵌めているのは『隷属の首輪』の前身、『使役の首輪』だった。もっとも七百年近く後、創世暦1000年にシノブが見た『隷属の首輪』とは違い、『使役の首輪』は精神を完全に縛るまでには至っていない。
『使役の首輪』が可能としているのは、使役者が命じたことの実行だけだ。それも複数の命令を同時に与えることは出来ないし、多数の条件や指示を一つの命令に混ぜることも不可能だった。また、俺の言うことを聞け、などの曖昧な指示も通じない。
そのためヴラディズフ達は、『使役の首輪』を単純な命令や質問にしか使っていなかった。
「宝玉や魔力蓄積結晶を溜め込んだ鳥など、妄想の産物かと思ったが……これで更なる魔道具が造れるな」
「はい。大規模な魔道装置も製造できますし、『使役の首輪』の改良や憑依の術の研究も出来ます」
ヴラディズフに答えたのは、彼と同じ人族であった。こちらは首輪をしておらず、自身の意思でヴラディズフに従っているようだ。
「まずは『使役の首輪』の改良だ。隷属と呼べる域まで持っていかねば……。
憑依の像は当面エルフ達に造らせれば良い。木人術は便利だが支配の強化が先だ。それに思いのままに動く奴隷が手に入れば、制限の多い憑依など不要だ」
ヴラディズフは魔術師らしき配下に言葉を返す。
『使役の首輪』だと、使役者の手元に装着した者を置く必要がある。一つの命令しか与えられないから目を離せないのだ。
たとえば、ここを守れと命じたとする。その場合、防衛はするが他者に余計なことを言うかもしれないし、捕らえた者を逃がす可能性もある。
そのためエルフ達も用が無いときは牢に押し込めているし、手枷や足枷、それに『魔封じの枷』という腕輪を嵌めている。だが、それでも自死や逃亡をする者がおり、エルフ達は捕らえたときより随分と少なくなっていた。
また、憑依の使い勝手が悪いのも事実であった。
通常の木人術だと、魔術師としての素養がなくては話にならない。この時点で対象者は五百人か千人に一人となってしまう。
しかも並の魔術師で動かせる木人は、自身と変わらぬ大きさだ。怪我を気にせず戦えるという利点はあるが、それなら意のままに操れる使役対象がいれば良いだけだ。『使役の首輪』は対象を選ばないから、数を揃えるには、こちらの方が好都合である。
「判りました。確かにスヴャルやストリヴォを監視しつつ操るのも面倒です。それに、高度な使役が可能になれば、更に増やすことも出来るでしょう」
「これほど賢い大岩猿や長腕岩猿など、そうはおりませんが……」
ヴラディズフの配下達は、主の言葉に賛意を示した。そして彼らは脇へと顔を向ける。
巨人スヴャルと長腕ストリヴォ。後にメリエンヌ王国のアルフォンス一世と戦った異形は、シノブの想像通り魔獣であった。
巨人スヴャルは人の倍ほどの背丈だ。幾分前屈みだが、全身を革鎧で覆っており一見しただけでは猿の魔獣だと気がつかないかもしれない。
長腕ストリヴォは三割か四割は小柄で、人間でも極めて長身な部類と言える程度に収まっている。その代わりストリヴォの両腕は非常に長く、地に着いている。ストリヴォは猫背とはいえ直立しているのだから、腕の長さは常人の三倍近い。
スヴャルとストリヴォの隣には、ヴラディズフの配下が一人ずつ立っている。この二人は専属の使役者で、魔獣達が暴れださないように見張っているのだ。
もちろん一人で監視し続けることは不可能だから、使役者達は三交代で働いている。つまり一体の魔獣を使役するのに、三人が必要というわけだ。
ちなみに後に完成する『隷属の首輪』であれば、このような措置は不要である。
「さて、ロークよ。お前には色々訊ねたいことがある。それに、お前の血も必要だ」
ヴラディズフの言葉に、朱潜鳳の幼鳥ロークは身震いをした。
おそらくロークには、黒髪の巨漢が何を考えているか判らなかっただろう。しかし禍々しい声音から、ロークは凶事に繋がるものだと悟ったようだ。
「これで飛翔する配下が手に入る。それに地を操る能力を得られるかもしれん。結界に隠蔽……利用法は幾らでもあるだろう」
実際、ヴラディズフの意図は恐るべきことだった。七百年近く後の子孫と同様に、彼は超越種の血を悪用するつもりだったのだ。
「ふ……ふふふ……。さあロークよ、来い!」
怪しげな含み笑いを漏らしたヴラディズフは、ロークを連れて去った。そして漆黒の巨漢と真紅の巨鳥の背を、人族とエルフ、更に二頭の魔獣が三者三様の姿で見送った。
人族、つまりヴラディズフの配下は邪悪な笑みで主を称え。囚われのエルフは苦々しげに呻き。面覆いに顔を隠された魔獣は静かに佇立し。窓の存在しない陰鬱な部屋には、その場に相応しい不吉な空気が漂っているようであった。
◆ ◆ ◆ ◆
半月ほど後、虜囚のロークに転機が訪れる。それは、エルフの少年アレイオスとの出会いである。
「ロークさん! 今助けるから!」
アレイオスはロークのいる檻に駆け込んでくるなり、真紅の巨鳥を縛る枷に手を掛けた。
後の『隷属の首輪』とは違い、『使役の首輪』は外しても装着者に異常が起きない。そして使役の術はエルフの魔術を元にしたものだ。そのためアレイオスは躊躇うことなく短刀を振るい、『隷属の首輪』と更に同じく首に嵌められていた『魔封じの枷』を斬り飛ばした。
──君は!?──
「もしかして僕のことを訊いているの? 僕はアレイオス、さあ逃げよう!」
ロークの思念を、アレイオスは完全ではないが理解したようだ。
アレイオスの母は巫女だった。そのためアレイオスも、かなりの素質を持っているのだろう。
「ヴラディズフは戦いに出ている。だから皆で力を合わせて逃げ出したんだ」
アレイオスは、ロークを牢から連れ出しつつ語り掛ける。
牢の外には数人の成人したエルフが立っている。そして見張りの使役者は事切れて床に伏していた。
『使役の首輪』は不完全な代物だ。そのためヴラディズフの配下は、エルフ達にも数多くの見張りを付けていた。しかも彼らは牢内だと『魔封じの枷』も着けるから、魔術も使えない筈だ。
見張り達は、首輪や腕輪を外さず大人しく牢に入っていろと虜囚に命じていた。しかし相手は人族より遥かに魔術に長けたエルフである。
エルフ達の中には僅かな魔力でも首輪を壊すだけの術を会得した者がいた。そして壊すと外すは別のことである。
「こっちも無事じゃ済まないけど……だけど、僕達の術で聖獣が捕まったなんて……」
大人達に守られつつ進む間、アレイオスは大まかな経緯をロークに語っていた。
一人や二人が枷を外しても、すぐに取り押さえられるか倒される。『魔封じの枷』で奪われた魔力は、いきなり回復しないからだ。
現に、まだロークも飛翔できないらしい。彼の枷は特別製だったから、超越種の大きな魔力も全て吸い取っていたのだ。
これまで脱出を試みる者は殆どいなかった。妻子や仲間を人質にされるからだ。しかもヴラディズフは逃げた人数の倍を殺すと脅したし、実際に躊躇せずに実行する。
とはいえ伝説の朱潜鳳が、エルフの術の悪用で捕らえられた。そのためエルフ達は、自分達の命を投げ出してもロークを逃がそうと蜂起した。
おそらく、今この瞬間もエルフ達は倒れているだろう。生き残れるのは極めて僅かかもしれない。しかし彼らはロークを逃がそうと、少ない魔力で必死に戦っている。
「ここはヴォースチの近く……ディリャネの丘の地下だよ。帰り道、判る? 僕はずっと捕まっていたから、詳しくないんだけど……」
捕らえられているエルフの中で、アレイオスは最年少だった。
アレイオスは、まだ物心付く前に両親と共に捕まった。そして彼は二十二歳、他種族なら十三歳程度なのだが、人生の大半を虜囚として過ごしてきた。そのため彼は出生地や捕らえられた経緯などを学んではいたが、あくまで知識として持っているだけであった。
──判るよ! それに、もうすぐ飛べると思う!──
ロークは力強い思念で応じた。
捕獲された場所から地下に入るまで、ロークは眠らされていた。しかし朱潜鳳は地磁気や魔力で正確に位置を把握できるから、関係ない。
「巨人と長腕か! それに獣人兵も!」
「アレイオス、行け! ローク様、ここは我らが押し留めます!」
エルフ達は大勢の追っ手を目にし、顔を歪めていた。巨人スヴャルと長腕ストリヴォ、そして同じく『使役の首輪』を首に着けた数多くの獣人が姿を現したのだ。
「……判りました! ロークさん、行こう!」
暫し絶句したアレイオスだが、ロークを外に押しやろうとする。
ロークは、まだ地を潜行する術を会得していない。しかし出口は目の前だから、ロークが飛翔できるまで回復すれば逃走は容易である。
──で、でも……君の仲間が!──
ロークは、その場に留まろうとする。
このままだとエルフ達は命を散らす。圧倒的多数の敵を目にしたロークは、そう考えたようだ。
「お願い! 皆の努力を無駄にしないで!」
──う、うん……ごめんなさい!──
アレイオスの血を吐くような叫びを聞き、ロークは再び外へと駆け出した。そしてエルフの少年のみが、真紅の巨鳥に続いていく。
「アレイオス……お前だけでも生き残ってくれ」
「ああ、あの子は森を……命が咲き誇る我らが故郷を知らない。そのままじゃ可哀想だからな」
残ったエルフ達の交わした言葉を、アレイオスやロークが知る機会は訪れなかった。彼らは全員、ヴラディズフの地下要塞で散華したからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
──おそらくヴラディズフが造った超人は、父の血を元にしたのでしょう。それに結界術も関係があるかもしれません──
大砂漠の中央山地の地下にある朱潜鳳フォルスの棲家に、主の悲しげな思念が広がった。
聞き入る者達は静まり返っていた。シノブとアミィは顔を曇らせ、フォルスの番ラコスと息子のディアスは長い首を曲げ項垂れている。
ちなみに玄王亀の長老アケロは、ここにいない。彼は転移の神像のための空洞を造りにいったのだ。
玄王亀と同様に、朱潜鳳も地中を自在に移動できる。それにシノブは短距離転移が使えるし、他も転移の場から思念で呼びかければフォルス達に伝わる。そのため転移に使う場所は、棲家から少し離れた場所で問題なかった。
「……超人の記録がアスレア地方に残っていない理由は、それかな。期間も半分以下、そして結界術も使えるとなれば……結界はエルフから学んだ術かと思っていたけど……」
シノブはヴラディズフ達をエウレア地方に伴った超人、飛翔する異形の伝説を思い浮かべた。
ベーリンゲン帝国の初代皇帝と侯爵達は、空飛ぶ超人に乗ってエウレア地方に入ったらしい。そして超人は、帝都の結界の礎になったという。しかし超人達に関する言い伝えはアスレア地方に残されていなかった。
ロークとアレイオスの出会いが創世暦327年で、アレイオス達がヴラディズフに捕まったのが更に二十年ほど前だという。そして帝国の建国が創世暦351年だから、残りも最大で二十年少々だ。つまりヴラディズフこと『南から来た男』の戦いの半分程度しか、超人は登場できない。
それに超人が結界や魔力隠蔽を得意とするなら、彼らの存在が知られなかったのも頷ける。
──朱潜鳳は南の大陸の砂漠にもいます。実は、私の祖父が南の出身なのです。そして創世の時代、南北の大陸を行き来した祖父は、エルフの森に立ち寄ったと聞いています──
ラコスはエルフが朱潜鳳を知った経緯を明かした。
極めて初期のころだが、朱潜鳳は飛翔して大陸を越えることもあったそうだ。南のアフレア大陸の東端辺りから一直線に大砂漠に向かう場合、現在のアゼルフ共和国の一部を通過する。したがって中間地点に立ち寄った朱潜鳳がいてもおかしくはない。
──私自身は東の出身ですし、祖父は父達に立ち寄った理由を伝えなかったそうです。面白い人がいた、と言ったそうですが──
「アゼルフ共和国……アズル半島には、玄王亀がいるらしいからね。もしかして、会いに行ったのかも」
シノブは敢えて明るい調子で応じた。ラコスは沈んだ雰囲気を変えようとしたらしいと、シノブは察したからだ。
「ラコスさん……潜行巡翔などは、お爺様が広めた呼び名ではありませんか?」
どうやらアミィは、エルフの森でラコスの祖父と眷属が会ったと思ったようだ。それも独特な名を授ける、変わり者の眷属が。
──はい。祖父はミルーナというお方から学んだと聞いています。どうやら眷属様のようですが……お知り合いでしょうか?──
──アミィさんのお友達ですか!?──
遠慮がちに訊ねたラコスとは違い、ディアスは興味を隠さなかった。
ディアスの首は、大きく前に突き出されている。人間なら身を乗り出した、という辺りだろう。
「おそらく、同僚の知人だと思います……」
頬を真っ赤に染めつつアミィは答える。
アミィは創世期にアズル半島にいた眷属をミリィの先輩、同時代にヤマト王国に現れた美留花と同じような性癖の持ち主と思ったようだ。あるいは、ミルハナ自身が双方を担当したと考えたのかもしれない。
「ところでアレイオスが思念を使えたなら、孫のルバイオスも使えたのかな?」
シノブはアミィに助け舟を出すことにした。つまり、話を逸らしたのだ。
もっともルバイオスを探るなら、問うべきことではあった。ヴラディズフの出身地を探る有力な手段の一つは、ルバイオスの足取りを追うことだ。
そしてヴラディズフの出身地、つまり異神達がアスレア地方に上陸した地点から、謎の海神の居場所を掴める可能性はある。
──ええ。彼も思念を理解できたそうです。ただしアレイオスも含め、思念を発することは無理だったとか──
フォルスによれば、ローク達が思念で語りかけ、アレイオスやルバイオスは肉声で答えたという。
神託を受ける神官や巫女でも、思念で呼びかけ出来る者は稀らしい。したがってアレイオスやルバイオスが受信のみ可能というのも、充分にあることだ。
◆ ◆ ◆ ◆
そうしているうちにアケロが転移の神像を置くための洞窟を造り終え、シノブとアミィは神像を拵えに行った。
そして地下での用事が済んだシノブ達は、地上に戻っていく。今度はフォルスだけではなく、ラコスやディアスも一緒である。
ディアスは、アマノシュタットで暮らすことになった。そしてラコスも暫くは息子に付き添うという。
残るフォルスは一旦アマノシュタットを見に行くが、一日程度で大砂漠に引き返すそうだ。これは、彼ら朱潜鳳が大砂漠の維持をしているからであった。朱潜鳳は地下を巡り、地熱を地上近くまで導く細工を施しているのだ。
大砂漠は暑くて人が住めない場所が殆どだ。しかしアスレア地方の人々は、大砂漠が存在する前提の生活をしている。
エレビア王国やキルーシ王国は、南方のような服装や建築物である。もし大砂漠が無くなり緯度相応の気候になったら、大混乱に陥るだろう。
大砂漠に接していない国も同様だ。西からの暖気が無くなれば、こちらも気象に大きな変動が生じるに違いない。
そのためシノブは、このまま朱潜鳳が大砂漠を維持することに賛成した。
航路のある南海岸を通常の気候に近づければ行き来する者達は喜ぶだろうが、僅かな変化が大きな気象変動の引き金となるかもしれない。したがってシノブは、おいそれと手を出す気になれなかった。
「そうですね。気象の変化を除いても、大砂漠が無くなったら大混乱だと思います。ここが人の住める平原になったら、周辺の国で奪い合うのは間違いありませんから」
「確かに。おそらく大砂漠はアマノ王国より広いでしょう。アスレア地方に大きな火種を放り込むことになりますな」
真剣な顔で頷いたのは、飛行船から降りたうちの二人だ。ミュレ子爵マルタンとハレール男爵ピッカールである。
ちなみに他の乗組員の半数は朱潜鳳の家族を眺めており、残りの半数はアミィが飛行船を魔法のカバンに仕舞う様子を見物している。
飛行船と共にやってきた炎竜の長老夫妻アジドとハーシャも前者だ。同じ火属性の超越種にアジド達も大きな関心を抱いているらしい。二頭は思念でフォルス達と言葉を交わしている。
「オアシスの人達と交流するのは飛行船でも出来るからね。魔力利用効率や蓄積の更なる向上か、補給網の確立か、それらを実現すれば空での交易も充分に成り立つ」
シノブの言葉に、マルタンとピッカールは大きく頷いた。そしてシノブは、自信ありげな二人の様子に明るい未来を予想する。
大砂漠や南のアフレア大陸の砂漠を飛行船が行き来する。それに南北の大陸間も飛行船が使えるかもしれない。
南北の行き来を妨げるのは魔獣の海域だが、そこに空の魔獣は存在しないか僅かだと思われる。過去の伝説でも、魔獣の海域に出るのは海生魔獣とされているからだ。
「エルフの国も良いかもしれませんね。飛行船なら、切り開くのは空港だけで済みますから」
マルタンの指摘で、シノブはファリオスを思い出した。以前メリエンヌ学園の研究所で、エルフの青年は蒸気機関車より飛行船に興味を示したのだ。
鉄道にしろ馬車にしろ、森への影響は避けられない。しかし飛行船であれば、空港の整備だけで充分だ。
もしかするとファリオスは、森に手を加えずとも使える乗り物としても評価したのかもしれない。根拠はないが、そのようにシノブは感じる。
「シノブ様、収納完了しました!」
「それじゃアマノシュタットに戻ろう。大勢いるから魔法の家が良いかな?」
アミィとシノブの会話を、フォルス達は興味深げな様子で見守っている。親子揃って羽を小刻みに動かしているが、おそらくは転移への期待からだろう。
フォルスとラコスは、既に人間ほどに小さく変じて待機していた。一方ディアスは人間より少し背が高い程度だから、元の大きさのままだ。
「それではフォルスさん達から、どうぞ!」
アミィも朱潜鳳達の興奮を感じ取ったらしい。魔法の家を展開した彼女は、まず彼らに声を掛けた。
──では、ありがたく! ほ~う、これが人間の家ですか! 私達の棲家とは随分と違いますね!──
フォルスは人間の家に興味があったらしい。彼は先ほど覚えたばかりの『アマノ式伝達法』も併用しつつ中に入っていく。
──外が見えるのですね……その、家具というものは無いのですか?──
ラコスも伝達法を使っている。
シノブは魔力障壁での発声も原理を伝えた。しかし発声の技は必要な音の波形を覚えないといけないから、短時間での習得は難しい。最低でも数日は訓練に費やすことになるだろう。
──奥にも扉が! シノブさん、入っても良いですか!?──
「ああ、奥に行ってみようか。アミィ、タミィとの連絡は頼むよ」
ディアスが興味を示したから、シノブは奥の居住区に案内する。
最初の広間は移動用に人や物を詰め込む場所として用意しただけだから、住まいらしくない。そこでシノブは、人間の家らしい場所を見せるべきと考えたわけだ。
──おお、こちらが本当の家なのですね!──
──扉が沢山ありますね!──
──シノブさん、あの扉の先は!?──
三羽の朱潜鳳は伝達法を使っているから、かなり騒々しい。そのため飛行船の乗組員達やアジド達、それに玄王亀の長老アケロは呆気に取られているようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
魔法の家が出現した場所は『白陽宮』の小宮殿の庭だった。普段シノブ達が早朝訓練に使っている場所である。
しかも庭にいたのは魔法の家を呼び寄せたタミィだけではない。何とシャルロットも、大きな天幕の下で待っていた。
ちなみにミュリエルとセレスティーヌは、まだ日が高いこともあり勤務中のようだ。
「シノブ様、アミィお姉さま、お帰りなさいませ!」
「シノブ、アミィ。沢山の成果があったようですね」
扉の正面でタミィが、身重のシャルロットは屋外で使う愛用の椅子から祝福をする。もちろん侍女のアンナやリゼットを始めとするシャルロット付きの者達も後に続く。
『シノブさん、アミィさん、お帰りなさい! そして朱潜鳳の皆さま、初めまして!』
オルムルを始めとする子供達が、シノブへと飛んでくる。
子供達は岩竜がオルムルとファーヴ、炎竜がシュメイとフェルン、海竜がリタン、嵐竜がラーカ、そして光翔虎のフェイニーに玄王亀のケリスの八頭だ。
──ケリスです! お友達になってください!──
リタンの背から、ケリスも思念と伝達法で呼びかける。まだ彼女は生後四日だから、オルムルのように魔力障壁での発声を習得するのは当分先だ。
──僕はディアスです! ケリスさん、一緒に潜行巡翔を学びましょう!──
ディアスは同じ地底に暮らす玄王亀に興味があるようだ。彼は多くの呼びかけに答えつつも、ケリスには更に一言を添えていた。
ちなみに大人の竜や光翔虎、玄王亀も天幕の周囲にいる。大砂漠に遠征した一行は、ここで子供達の相手をしながら待っていたらしい。
当然ながら超越種達の大半は人間ほどに大きさを変えている。例外は、まだ人よりも小さな子供達くらいだ。つまり元のままは全長2mのディアスと炎竜の子フェルン、そしてまだ30cmくらいの玄王亀の子ケリスだけであった。
「ああ、色々判ったよ。それに新しい仲間とも出会えた」
シノブはオルムル達を連れながら、シャルロットのところに歩んでいく。
シノブは胸に最年少のケリスを抱き、肩に小さくなったオルムルとシュメイ、頭の上にはフェイニーを乗せていた。そしてファーヴ、フェルン、リタン、ラーカは周囲に浮かんで付いてくる。
どうも雄の四頭は、新たな仲間も雄だと知っているようだ。おそらくはシノブが地下でシャルロットに送った文を見せてもらったのだろう。
そして雄の中では最年少のフェルンも先ごろ生後三ヶ月を超えたから、数日だがディアスより年長である。そのため彼らは、少しお兄さんぶっているようだ。
「紹介するよ、朱潜鳳のフォルスとラコス、それに子供のディアスだ」
シノブはシャルロットに寄り、立ち上がろうとする彼女に手を貸した。続いてシノブは、妻の前に並んだ三羽の朱潜鳳の名を口にしていく。
すると呼ばれた順に真紅の巨鳥が頭を下げ、更に伝達法で挨拶をする。
「私がシャルロットです。アマノ王国にようこそ。皆さまの訪れ、とても喜ばしく感じています」
シャルロットは微笑みと共に歓迎の言葉を述べる。するとフォルス達は羽を大きく広げてみせる。
「まあ……なんて綺麗な……」
シャルロットが感嘆するのも無理はない。眩しい陽光を受け、三羽は何とも美しく輝いていたのだ。
シノブとシャルロットの後ろでは、護衛騎士のマリエッタやエマなども含め等しく賞賛の言葉を漏らしている。
──お褒めの言葉、光栄の極みでございます。……そうです! せっかくですから、私達の技で善き日に華を添えましょう!──
文字通り嬉しさ一杯といった思念を発したフォルスは、伴侶のラコスに顔を向けた。そして二羽は、同時に後ろへと飛び下がる。
──それでは……火炎爆弾!──
二羽の朱潜鳳は、随分と物騒な名を口にした。
もっとも技の名は、この世界では馴染みの無い外来語風だから、意味が判ったのはシノブとアミィ、それにタミィくらいだろう。そのため三人以外に動揺した様子はない。
「あ、あれは!」
「空に!」
見上げる者達の遥か頭上に色取り取りの火の芸術、七色の大輪の華が広がっていた。大きな円は単色であったり、複数の色で模様が描かれていたりと様々である。
一つ一つは僅かな間で生まれては消えるから、火の粉が地上に降ることもない。おそらくは魔力で一瞬だけ咲かせた名花。地上の人々と超越種達は、無心に空を見上げていた。
「花火か……懐かしいな……」
シノブも嘆声を上げる。魔術があるからだろう、この世界では火薬は使われていないようだ。そのためシノブは、こちらで花火を見たことがなかった。
──これは次元空間操作の応用です。火炎核を次元空間折縮で折り畳んで撃ち上げ、極点空間爆発で一気に広げるのです──
──実際に使っている火炎は極めて僅かですが、空間を湾曲させて大きく見せています。ですから延焼の危険はありません──
おそらくフォルスの説明は殆どの者が理解できなかっただろう。しかし一部はラコスが続けた言葉で理解したようで、更なる驚嘆が広がっていく。
「これは研究所で再現してもらいたいね……空間操作は無理だろうけど、普通の火属性の魔術で何とかならないかな」
「頑張ります!」
シノブの呟きに反応したのは、マルタンであった。シノブは失念していたがマルタンやピッカール、そしてアントンなど研究所に所属する面々も、まだ周囲にいたのだ。
シノブ達とは別の意味で顔を輝かせる研究者達。その頼もしい姿故だろう、人々の顔には更なる笑みが生まれ、超越種達は彼らに祝福の咆哮を贈っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年1月8日17時の更新となります。
異聞録の第三十話を公開しました。シリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。