20.15 砂塵の下 後編
地下で暮らす朱潜鳳だが、得意とするのは火属性であった。彼らは空間を湾曲させる能力を活かして地下を生活の場としているが、玄王亀や岩竜のように岩や金属の操作に秀でてはいなかった。
朱潜鳳も穴を掘ったり地熱を浅くまで導く細工を施したりするし、そのときは土属性の術を使う。しかし玄王亀のような宝石の結晶を育てるような技は使えないという。
朱潜鳳のフォルスは、それらをシノブやアミィに語っていく。
──私達は砂漠の地下を巡りながら、綺麗な石を集めるのです。切って形を整えたり、磨いたりはしますが……アケロ殿の技には驚きました──
感嘆が滲む思念をフォルスは発し、玄王亀の長老アケロへと頭を向けた。どうやらアケロは、地下で宝石の生成を実演したようだ。
──それが我ら玄王亀の特技だからな。そなた達に別の特技があるように──
──そうです。互いに得意不得意があるというだけ──
アケロに続き、番のローネも思念で応じた。
フォルスは魔力障壁での発声を習得していない。そのため玄王亀の長老夫妻は、相手に合わせたらしい。
──速度では我らが最も遅い……地中でも空中でも。しかし、そなた達は双方とも途轍もない速度で移動する──
アケロが触れたように、朱潜鳳は普通の飛翔も出来た。
朱潜鳳の地中移動、潜行巡翔は空間を歪め地を分けて進むもので、空間操作と飛翔の併用だと言える。したがって彼らは空間を操る必要が無い空なら、更に速く飛べるらしい。
──空は目立つので滅多に飛びませんが──
照れたような思念と共に、フォルスは翼を大きく羽ばたかせた。そして彼は何故地中を選んだかを語り始める。
他の超越種と同様に、朱潜鳳も成体になれば自然の魔力だけで生きていける。そのため邪魔の入らない地底の方が彼らは快適なようだ。
朱潜鳳は魔力の隠蔽が得意だが、光翔虎のように姿消しは使えない。そして真紅の体も目に鮮やかな彼らが翼開長30mにもなる巨体で飛翔したら、注目の的となるだろう。
そこで朱潜鳳は地中での暮らしを選んだわけだ。
──しかし壮観だな。光翔虎、玄王亀に朱潜鳳……竜は岩竜と炎竜だけだが──
岩竜の長老ヴルムは、頭を大きく巡らせた。ここには他に岩竜ガンドにヘッグ、炎竜ゴルン、ジルン、ザーフ、光翔虎のフォージとバージがいる。
──海竜殿と嵐竜殿にもお会いしたいです!──
フォルスは真紅の羽を大きく広げつつ強い期待と喜びが滲む思念を発した。どうも、この仕草は大きな感激を表すものらしい。
「アマノシュタットなら海竜や嵐竜に会えるよ」
「魔法の馬車を使えば、短時間で往復できます」
シノブがフォルスを誘うと、アミィは魔法の馬車に触れた。
この山地からアマノシュタットまで、1200km以上はある。これは金鵄族のホリィ達でも普通に飛べば片道三時間、全速力で飛んでも一時間以上は掛かる距離だ。
ちなみに朱潜鳳の場合は普通に飛んで片道四時間、急いで三時間だが、それでも岩竜や炎竜の倍の速さである。
──う~ん。お二人を私の棲家にお招きしてからにします──
長い首を傾げつつ、フォルスは返答する。
朱潜鳳は鶴やダチョウのように首が長い。そのため足と同じくらい長い首を捻ったフォルスは、頭が上下逆さまになってしまう。
──それでしたら、私達は先に戻ります。済みませんが送っていただけますでしょうか?──
ローネはアマノシュタットへの帰還を望んだ。彼女は最も若い同族、生後数日のケリスと会いたがっていた。彼女が急ぐのは、そのためだろう。
「判りました!」
アミィは岩場の上に魔法の馬車を出現させる。
この場に残るのは、玄王亀の長老アケロだけらしい。ローネだけではなく、全ての竜や光翔虎も小さくなって馬車の中に入っていく。
──おお! 大神アムテリア様の神具ですね!──
「きっと、すぐフォルスにも授けてくださるよ」
羽ばたきで驚きを表現するフォルスに、シノブは微笑みかける。
フォルスは成体だが、随分と感情表現が豊かだ。全ての朱潜鳳に共通しているのか、彼だけの個性なのか。シノブは、そんなことを思いつつ20m近くも上の朱潜鳳の頭を見上げていた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達のいる中央山地の山腹には、ミュレ子爵マルタンが指揮する飛行船が向かっている。これは何日も大砂漠を探ってくれたマルタン達とフォルスを会わせるためでもあるが、帰還のためでもあった。
現在のところ飛行船は最高時速60km程度で、西への飛行は偏西風で更に遅くなる。それに現在の飛行船では、高さ8000m近いオスター大山脈を飛び越えるのは困難だから、迂回もなどを含めるとアマノシュタットまで二日近く掛かる筈だろう。
しかし魔法のカバンには、どんなに大きなものでも入る。そのため飛行船をカバンに収納し、乗員は先ほどのローネ達と同様に馬車の呼び寄せで帰る。
この方法ならマルタン達は、残り二時間ほど飛行するだけで帰還できる。
そこでシノブは、マルタン達を待つ間にフォルスの棲家を見に行くことにした。
シノブとアミィ、そして人間くらいに小さく変じたアケロはフォルスの背に収まる。玄王亀は自身で潜行できるが、速度では朱潜鳳に敵わないから背の上を選んだらしい。
──それでは行きます! ……潜行巡翔!──
フォルスが強烈な思念を放つと羽を広げて宙に舞い上がった。しかし飛翔は僅かな間で、すぐに彼は地面へと向きを変える。すると真紅の巨鳥の進む先の地面が周囲に大きく分かれていった。
地上に生じた穴は、翼を一杯に広げたフォルスの倍近くある。そしてフォルスが飛び込むと、前方は同じように広がり後方が閉じていく。
もし誰かが地上で眺めていたら、鳥が水面に飛び込んだように見えただろう。
「これは確かにダイビングと呼ぶべきだね……速さは、どのくらいなの?」
シノブは、周囲を見回しながら訊ねる。
フォルスが作り出した空間は彼が放つ真紅の光で照らされ、地下に潜ってからでも様子を見て取ることが出来た。しかし上下に潰れた球体のような空間は、彼と完全に同期して移動している。
そのためシノブは、フォルスの速度を判断しかねたのだ。
──速度は飛翔の半分ほどです。結構な魔力を次元空間操作に使いますから──
つまり標準的な潜行速度は時速150kmらしい。フォルスの言葉に、シノブとアミィは感嘆の吐息を漏らしてしまう。
──潜行巡翔とは、自身に発生させた潜行核を中心に次元空間歪曲で周囲を押し広げ、それを次元空間固定で維持し、自分が入る場所を発生させる術です──
フォルスは少し得意げに感じる思念で技の説明をする。もっともフォルスの語る内容は、それらしい用語を用いているだけのようでもある。
フォルスは誰かから教わったことを、そのまま口にしているのかもしれない。シノブの頭に、そんな疑念が浮かぶ。
この世界では馴染みの無い外来語風の用語を、シノブは遥か昔の創世期に眷属が授けたものではないかと思っていた。
ヤマト王国のエルフ達が巨大木人に付けた独特な名前も、美留花という眷属らしき人物が教えたものらしい。そのためシノブだけではなく、アミィも疑念を抱いているようだ。
──でも、今回は更に五分の一ほどの速度にしています──
シノブが過去に思いを馳せている間にも、フォルスは語り続けていた。
フォルスの棲家は先ほどの岩場から500mほど下で、標準的な潜行速度なら僅か十二秒で着いてしまう。そのためフォルスは敢えて速度を落とし、シノブ達にじっくり楽しんでもらおうと考えたらしい。
──何と素晴らしい……我らだと急いでも常の朱潜鳳の二十分の一ほどだろう──
──代わりに私達には宝石を造る力がありません。もし玄王亀の皆様のように宝石を造れたら、砂漠中を必死に飛び回って集めなくても良いのですが──
アケロの賞賛に、フォルスは冗談めいた調子で応じた。
突出した移動能力のためだろう、朱潜鳳の感知能力は極めて高いそうだ。そのためフォルス達は潜行巡翔で大砂漠の地下を巡るだけで、原石を発見できるという。
とはいえフォルスは大砂漠に棲む朱潜鳳としては三代目だというから、それまでに採取されたものも多いのだろう。そのため自在に地中を飛び回る彼でも、持ち帰りたいほどの宝を見つけるのは稀だという。
──三代目か……すると──
──着きました!──
シノブは大商人ルバーシュと出会ったのが何代目か訊ねようと思った。しかしフォルスは宣言通り、大きな空間へと飛び込む。
フォルスは急制動を掛けて巨大な洞窟の床に降り立った。もっとも超越種の飛翔は重力制御を用いているから、乗り手のシノブ達は衝撃を感じない。
空洞は直径100mほどで、天井はフォルスの五割増しの高さだから30mほどか。どうやら棲家の大きさは朱潜鳳と玄王亀で違いは無いようだ。
そして広々とした洞窟の中心に、二羽の朱潜鳳がいた。一羽はフォルスと同じくらいの大きさ、もう一羽は人間くらいの大きさだ。
フォルスは雄だから大きい方は伴侶の雌、小さい方は子供だろうか。シノブは、そんな予想をする。
──紹介しましょう! 私の番のラコス、そして子供のディアスです!──
フォルスは嬉しげな思念を響かせると、一旦畳んだ翼を大きく広げた。そして紹介された二羽が前に進み出る。
──ラコスと申します──
──僕はディアスです!──
ラコスは静かに頭を下げ、ディアスという小さな雄の朱潜鳳はシノブ達の前まで飛んでくる。大きさは親達の十分の一程度しかないディアスだが、危なげない飛翔だ。
「初めまして、俺がシノブだよ」
「私はアミィです」
シノブとアミィが自己紹介した直後、ディアスは父の背に降り立った。そして三羽の朱潜鳳は、高々と頭を上げ、嬉しげな鳴き声でシノブ達を歓迎した。
◆ ◆ ◆ ◆
フォルスは三百歳くらい、ラコスは二百五十歳くらい、ディアスは生後三ヶ月であった。そして幼いディアスがいるから、フォルスとラコスは普段に増して慎重に行動した。
──本来は、地上で飛翔の訓練をする時期なのです──
「でも、俺達がいるから警戒したんだ……ごめんね」
フォルスの説明に、シノブは苦笑を零してしまう。
ここ暫く、大砂漠の上空は竜や光翔虎が飛び交っていた。朱潜鳳は飛行訓練を夜中にするそうだが、それでもフォルス達は不測の事態を避けるため地上に出るのを最低限にしたという。
その結果ディアスの飛行訓練は棲家の中だけとなり、地上は親達が魔獣を狩りに行くだけとなった。ちなみに生後三ヶ月くらいなら洞窟の中だけでも訓練できるが、ここから先は空を使わないと難しいらしい。
シノブは、お詫びになればとディアスに魔力を注いでいく。
──魔力、温かいです~──
ディアスはシノブの腕の中で目を閉じていた。彼は小さくなる腕輪を装着したのだ。
三羽の朱潜鳳に、アムテリアは小さくなる腕輪と神々の御紋、そして御紋を付ける装具を授けてくれた。今ディアスは鶏ほど、フォルスとラコス、そして玄王亀の長老アケロは人間ほどの大きさに変じている。
──潜行巡翔より先に重力飛翔を覚える必要があります。浮くだけなら洞窟内でも出来ますが、同じところに留まるのは飽きますから──
ラコスによれば朱潜鳳の飛翔は基本が重力操作で、風の術を補助として用いるそうだ。羽ばたくだけでも飛べるが、巨体で体重も重いから大抵は術を用いて飛ぶらしい。
「そうか……ところでルバーシュという人を知っている? 今から五百年くらい昔の人なんだけど」
シノブは、大商人ルバーシュについて訊ねる。
五百年前はフォルスとラコスも生まれていない。しかし親などから何か聞いているのでは、とシノブは期待する。
──ルバーシュ……ルバイオスは、ここに来ました。私の父、ロークが会ったそうです。少し長い話になるのですが……──
おそらくフォルスは、事前にアケロからある程度を聞いていたのだろう。彼は間を置かずに語り始める。
──父のロークは、およそ七百年前に生まれました。そして生後二ヶ月が近づいた父は、祖父母と共に地上での飛翔の訓練を始めます。しかし暫くして父は、人の子とは思えぬ恐るべき存在に捕らえられたのです──
まずフォルスはルバーシュ伝説より更に二百年前、今から七百年前のことに触れる。
当時のロークは順調に飛翔を覚えていった。そして幾らもしないうちに彼は大砂漠の端まで飛べるようになったという。
岩竜や炎竜の子も、生後半年ほどで狩場の外まで飛翔できるようになる。おそらくロークも、そういう時期に差し掛かったのだろう。
しかしロークは、強力な魔術を使う人間に捕まったそうだ。
「まさか『南から来た男』か!?」
「フォルスさん、『南から来た男』かヴラディズフって名前を知りませんか!?」
シノブとアミィは血相を変えていた。
やはり大砂漠に潜む存在と『南から来た男』、後のベーリンゲン帝国の初代皇帝には因縁があったのだ。シノブは繋がっていく過去に興奮を隠せなかった。
──はい。父を捕らえた人の子はヴラディズフと名乗ったそうです。そのヴラディズフという者は幼い父を捕らえ、財宝を手にするため、そして祖父母を従えるために使おうとしたと……──
フォルスの思念には、吹き荒れる嵐を隠しているような重苦しさが宿っていた。
まずヴラディズフは朱潜鳳が蓄えていた宝石を要求したという。フォルスの祖父母は、どこで相手が知ったか首を傾げながらも、全ての宝を差し出した。
だが、それでもヴラディズフはロークを解放しなかった。そして次にヴラディズフは、フォルスの祖父母を隷属させようと動いたそうだ。
「そんなことが!?」
シノブは炎竜の子シュメイや父母のゴルンとイジェのことを思い出していた。
ゴルンとイジェも幼い子を捕らえられたから帝国に屈した。それと同じことが、七百年前にもあったのだ。
魔力の全てを振り絞って地に落ちたゴルンとイジェ。オルムルが救い出した生後一ヶ月のシュメイの、か弱い姿。偉大なる種族をも縛った隷属の魔道具。それはシノブにとって、二度と見たくない悪夢の一つだ。
──シノブさん……怒っているのですか?──
腕の中のディアスが目を開く。シノブの魔力波動の揺らぎから、彼は強い怒りを感じ取ったようだ。
「ごめん……。君のお友達になる子、炎竜のシュメイも同じ目に会ったんだ。ヴラディズフの子孫の悪巧みで……」
「シュメイはシノブ様達が助けました。それに両親のゴルンさんとイジェさんも。だから大丈夫ですよ」
ディアスはシノブの言葉に驚き、アミィの説明に安堵したようだ。小さな朱潜鳳はシノブの腕の中で一旦震え、そしてアミィが無事を告げると歓喜の鳴き声を上げたのだ。
親達も同じだ。フォルスとラコスも子供に和し、高らかに明るい音を響かせている。
──ヴラディズフの裔……邪神を崇めた一族は『光の盟主』と仲間が倒した。邪悪な国は滅び『光の盟主』の国が誕生したのだ──
アケロはエウレア地方の現状を朱潜鳳達に伝えていく。
玄王亀がシノブ達と出会ったのは、帝国が滅びた後だ。しかしアケロは、それまでに起きたことも竜や光翔虎達から聞いていた。そのため彼は帝国滅亡までの諸々を挙げていく。
──父のときは、隷属の魔道具とやらが不充分だったようです。それと父を助け出してくれた森の子がおりました。その森の子こそ、ルバイオスの祖父アレイオスです──
フォルスはアレイオスという者が父のロークを救出したと告げた。しかも彼は、アレイオスがエルフだと言う。
「やはりキルーシに現れたルバーシュはエルフだった……だから魔術で水を創り出せた……」
「だから砂漠に入るのに水が不要だったのですね!」
シノブとアミィは笑顔を向け合う。これで更に一つの謎が解けたからだ。
──アレイオスはヴラディズフの一団に囚われていたそうです。しかもアレイオスだけではなく、複数の森の子が捕まっていたと聞いています──
人間でいう慨嘆なのだろうか、フォルスは首を振りつつ思念を発していた。
このエルフ達が、ヴラディズフに各種の魔道具を提供したらしい。もちろん自発的にではなく、ヴラディズフが人質を取ってエルフ達に強制したのだ。
エルフ達は妻子を盾にされヴラディズフに手を貸した。しかしロークの一件が、エルフ達を一か八かの強攻策に踏み切らせたという。自分達の術を悪用して、聖獣とも呼ばれる超越種を捕獲した。エルフ達は、これに強い衝撃を受けたらしい。
──助かった森の子は最も幼いアレイオスだけ……彼は父と共に逃げました。幸い祖父母が父とアレイオスを見つけ、救い出しました。
そして祖父母は報復に出たのですが、ヴラディズフは謎の術で対抗しました。そして暫くすると、ヴラディズフの一団は姿を消したそうです──
フォルスによれば、彼の祖父母は地下から攻めようとした。しかし地下には結界があり、更にヴラディズフは地上に現れなかったという。
おそらくヴラディズフは都市ヴォースチの近郊、ディリャネの砦に篭もったのだろう。フォルスの祖父母は人目に付かないように砦を見張り続けたが、完全ではなかったようだ。子育てをしながらの交互の監視では、不充分だったのだ。
これまでにシノブ達が得た情報だと、ヴラディズフは空飛ぶ超人に乗り大砂漠を迂回してエウレア地方に渡ったようだ。したがって、どこかでヴラディズフは監視の目から逃れたに違いない。
おそらく結界を含め、バアル神が手を貸していたからだと思われる。
──アレイオスは、暫くここで暮らしたそうです。しかしヴラディズフが消えた後、祖父母は彼を出身地の森に戻しました。彼は彼の同族と共に暮らし、子孫を残すべきですから──
これが大よそ七百年前に起きたことだ。そのようにフォルスは結ぶ。
◆ ◆ ◆ ◆
「それでルバーシュ……ルバイオスは、ここまでの経路を知っていたのか……」
シノブは知らず知らずのうちに呟いていた。
ルバーシュことルバイオスが、大砂漠への単独行を成功させた理由。それは彼が予め充分な情報を持っていたからであった。
おそらくアレイオスは正しい道、あるいは魔獣避けなど砂漠を渡る方法などを子孫に伝えたのだろう。
──ええ。二百年ほど経ち父が一人前になろうかというころ、アレイオスの孫ルバイオスがやってきました。アレイオスは死に瀕していたのです。森の子にしては少し早いらしいのですが……それでルバイオスは朱潜鳳に助けを求めました──
フォルスの語った内容からすると七百年前のアレイオスは未成年、つまりエルフの成人年齢である三十歳を下回っていたようだ。その二百年後であれば最高でも二百三十歳、他種族なら六十五歳くらいとなる。
ちなみにエウレア地方の場合、エルフの平均寿命は二百五十歳で最も長命な者は三百歳ほどだ。したがってルバイオスが祖父を助けたいと願うのも理解できる。
──もちろん祖父母や父はルバイオスを歓迎し、治癒に使える魔力蓄積結晶や宝を持たせて返しました。祖父母はアレイオスにも宝を持たせたかったのですが、ヴラディズフに奪われたから叶いませんでした。そこで祖父母と父は、ありったけの宝をルバイオスに譲ったそうです──
「なるほど……ところで一つ聞きたいんだけど。
人間の国ではルバーシュは人族……俺と同じ種族だと伝わっているんだ。でもエルフは耳が長いよね……何か知っているかな?」
シノブはフォルスの説明で多くの謎が解けたと感じたが、ルバイオスの事跡がルバーシュ伝説に加えられたことに疑問を抱いた。
大人物の伝説に他者の逸話が混ざるのは良くあることだ。話を面白くするために色々加えていくなど、地球の歴史でも珍しくない。
しかし明らかに別の種族の話を混ぜるだろうか。それにキルーシ王家に伝わる話だとルバーシュは人族とされている。
もしかするとルバイオスは変装の魔道具を所持していたのでは。シノブは自分達が良く使うだけに、そう考えたのだ。
──何でも長い耳を気にしなくなる魔道具を持っていたとか。父や祖父母には効かなかったそうですが──
「幻惑の魔道具ですね。ヤマト王国の巨大木人が装備していたものの小型版でしょう」
フォルスの言葉にアミィが頷く。
伊予の島の巨大木人には、自身の存在を誤魔化す装置があった。ルバイオスが持っていたものは、それより遥かに小規模で効果も耳だけらしい。しかしエルフが人族に化けるなら、それで充分である。
残念ながらフォルスは、ヴラディズフがどこから来たか知らなかった。アレイオスは自分達がヴラディズフに捕まった場所をローク達に語ったし、ある程度はヴラディズフが辿った道も知っていたらしい。
しかしアレイオスの口にした地名は人間のみに通じるもので、更に大砂漠から遠く離れている。アレイオス達が捕まったのはアルバン王国とアゼルフ共和国の国境近くで間違いないようだが、ローク達は地名までフォルスに語らなかったそうだ。
光翔虎と同じく、朱潜鳳も老齢になると棲家を子や孫などに譲り世界放浪の旅に出る。そのため既にロークなど上の世代は大砂漠にいなかった。
もっともフォルスから得た情報だけでも大いに進展した。そのためシノブとしては、大成果に対する喜びが強かった。
◆ ◆ ◆ ◆
「つまりルバーシュは最低でも二人いたんだ。アルバン地方で商人を志したルバーシュと、ルバイオスが化けたルバーシュ……どこからがどちらなのか判らないし、まだ他の人が混ざっているかもしれないが……」
シノブは今一度ルバーシュ伝説を思い浮かべる。
ルバーシュは現在のアルバン王国の西部にあった国、カーフス王国の都市アストラ近辺の生まれだったという。そして漁師の子だった彼は海か川で資金源を得て、東の隣国シールバ王国に渡った。
しかしルバーシュはシールバ王国では儲けられなかったようで、北のガザール王国に渡った。このガザール王国は現在のキルーシ王国に相当する地域で、ルバーシュは中央で失敗してからキルーシ家が太守を務める都市ヴォースチに行ったとなっている。
そして宝を得たルバーシュはカーフス王国に戻ったが、エルフの術で王女を惚れさせるためアゼルフ共和国に向かったらしい。しかし彼はエルフ達に捕まり、三十年以上もアゼルフ共和国で強制労働をしたという。
ルバーシュ伝説で実際の事跡として複数の証拠が残っているのは、その後からだ。晩年のルバーシュはカーフス王国の王都で過ごし、最後は王の相談役になった。伝説通りならエルフから解放された後なのだろう。
「こうなると、三人いてもおかしくないですよね。生まれてからガザール王国に入ったところまでで一人。そのルバーシュは、異国で亡くなったのかも……。
そしてルバイオスのルバーシュ。でもルバイオスはアゼルフ共和国に戻ったでしょうから、最後は別人の可能性が……それに王の相談役となった人は老いた外見通りならルバイオスではないでしょうし」
「確かにね。キルーシ家に現れたルバーシュは若者だった……そしてエルフなら三十年や四十年くらい過ぎても、せいぜい中年の筈だ。
最後の一人は、それまでのルバーシュにあやかろうとしたのかも。そしてエルフに学んだ賢者として売り出せば……ってね。まあ、最初のルバーシュと最後のルバーシュが同じ可能性もあるけど……」
苦笑するアミィに、シノブも同じような顔で応じる。
もっともシノブは、ルバーシュ伝説の全てを確かめたいわけではない。そのためシノブとしては、ルバーシュが三人いようが四人いようが問題ない。
重要なのは『南から来た男』、つまりベーリンゲン帝国の初代皇帝ヴラディズフの足取りを追うことだ。そしてシノブは、ルバイオスの祖父アレイオスという手掛かりを得た。
おそらくアゼルフ共和国には、ルバイオスの子孫などアレイオスの末裔がいるだろう。彼らに訊ねれば、エルフとヴラディズフが出会った場所やヴラディズフの出身地自体に迫れる可能性はある。
おそらくシノブと同じことを考えたのだろう、アミィも顔を綻ばせている。
──『光の盟主』よ。ここに招いた理由は他にもある。ここにはローク殿が造ったアレイオスの像があるのだ──
笑顔の二人に玄王亀の長老アケロが語りかける。フォルスやアケロは、意味も無くシノブ達を地底に招いたわけではなかった。
──父はルバイオスも像と瓜二つの顔だったと言いました。もしかすると、彼を追いかける役に立つかもしれません──
フォルスは少し首を傾げてはいた。どうも彼は有用か疑問を感じているらしい。
「それは助かる!」
「そうですね!」
しかしシノブとアミィは顔を綻ばせる。
大砂漠の冒険を成し遂げたのだから、帰国後のルバイオスは大いに尊敬されただろう。そうだとすれば、絵姿くらい残っている可能性はある。
そのためシノブは期待に胸を膨らませながら、案内するフォルスに付いていった。
──これです……アレイオスの隣は幼いころの父だそうです──
フォルスの思念は照れらしき感情が滲んでいた。
シノブ達の目の前にあるのは、とても仲良さげに体を寄せ合っているエルフの少年と朱潜鳳の幼鳥の石像であった。
「これは……凄い……」
「アレイオスさんとロークさん、お互いの信頼が伝わってくるようです……」
絶句したシノブの隣で、アミィも立ち尽くしている。
白一色だが寄り添う姿と少年の微笑み故だろう、色彩が自然と浮かんでくるような素晴らしい出来だ。
アレイオスは人族なら十三歳か十四歳といったところか。エルフにしても華奢で背も高くはない。
ロークの像は、元の大きさのディアスと大して変わらないだろう。つまり彼がアレイオスと出会ったときは、まだ生後三ヶ月くらいだったのだ。
アレイオスは幼い朱潜鳳に手を回して抱き、ロークは長い首を少年に寄せ頭を並べている。ロークは自身より低い位置にある少年の顔に己のそれを擦り付け、アレイオスはくすぐったそうに笑っている。
それは種族を超えた信頼と友情を形にした像。その思いから、シノブの脳裏にオルムル達の姿が浮かぶ。
──僕もシノブさんと並ぶ!──
ディアスがシノブの腕の中から飛び降り、本来の大きさに戻った。そしてディアスは像と同じようにシノブと寄り添う。
「ディアス。君のお爺さんのように生きよう。俺も、君も……沢山の友達と一緒に」
シノブの囁きにディアスが嬉しげな鳴き声で応じ、彼の両親達が真紅の羽を大きく広げて和した。更にアケロが思念、アミィが優しい笑顔で祝福する。
アマノシュタットで待つ皆にディアス達を紹介しよう。そのとき、この喜びは更に広がるだろう。シノブの胸の内に生まれた幸せな予感は、彼の顔を眼前のアレイオスに負けないほど眩しく輝かせていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年1月6日17時の更新となります。
本作の設定集にキルーシ王国・アルバン王国・大砂漠の地図を追加しました。
上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。