20.12 一人だけの戦争 前編
キルーシ王国の王都キルーイヴ。その中央の王宮には一応の平穏が戻ってきた。
侍従達が反逆者ヴァジークを拘束していく。彼らは頭に巻いていた薄布を取り、それを何重にもして気絶した将軍の手足を縛る。
エレビア王国の第二王子リョマノフは、後をキルーシ王国側に任せることにしたようだ。彼は刀を収め、自身が打ち倒した熊の獣人を見下ろしている。
王女ヴァサーナは、自身の預かりとした副将軍ヴォジフに王都の状況を訊いていた。ヴォジフはヴァジークの補佐をしたが、家族を人質に取られてのことだった。そのため王女は事態が収まるまで彼の処罰を猶予したのだ。
一方シノブは、憑依した装鋼機兵からリョマノフ達を見守っていた。
シノブは装鋼機兵の中にいるが、憑依で感覚は巨人の側に移っている。そしてシノブが操る鉄巨人は人の倍ほどの背丈だから、シノブの主観ではリョマノフ達が小人になったようだ。
『主が来たらしい』
シノブは眼下のリョマノフとヴァサーナに呼びかけた。
近づいてくる何十名かの人間の魔力を、シノブは感知していた。どれもシノブの知らない魔力波動だが、先ほどアミィから国王達が謁見の間に向かったと連絡があった。そのためシノブは、これが国王達の一団だと推測したわけだ。
ちなみにアミィは、女性王族などと奥宮殿に残っている。まだ王宮の中には反逆者達がいるかもしれないからだ。
「お父様!?」
「良かったな」
ヴァサーナは喜色を顕わに下手の大扉へと顔を向けた。そしてリョマノフは彼女に寄って微笑みかける。
幾らもしないうちに大扉が開き、国王ガヴリドルと王太子ヴァルコフが現れた。もちろん二人だけではなく、大勢の衛兵が随伴している。
シノブは双方ともに初対面だが、種族や年齢から人族の中年男性がガヴリドル、豹の獣人の若者がヴァルコフと見て取る。
ガヴリドルは随分な高身長で体格も良い。綺麗に整えられた栗色の髪と髭は緑の瞳が涼やかだが、まずは大柄な体から武人らしさを感じる者が殆どだろう。
ヴァルコフは父に似て背が高いが、体型は豹の獣人らしく細身であった。もちろん武人らしく充分な筋肉はあるが、目立つほどではない。
同腹の妹ヴァサーナと似た端正な容貌、それに種族の特徴である金の地に黒い斑の髪や金眼も共通している。そのためシノブは、何となく既視感を覚える。
「ヴァサーナ! リョマノフ殿!」
「これが装鋼機兵……」
謁見の間の隅々まで響く大声を発したのは、国王ガヴリドルであった。続いて王太子のヴァルコフが呆けたような声を発した。
◆ ◆ ◆ ◆
「御助力、かたじけない」
歩み寄ってきたガヴリドルは、リョマノフと鉄巨人に向けて深々と頭を下げた。息子のヴァルコフも同様である。
リョマノフの同行やシノブが巨人を操っていることを、アミィは二人に教えていた。そして表に出るつもりがシノブに無いことも。そのため国王と王太子は、シノブやアマノ同盟の名を出すことは避けたようだ。
「今は一刻を争います。早急に平和を取り戻すべきかと」
『その通り』
改まった態度で応じるリョマノフに続き、シノブも短く言葉を発した。
反逆の首謀者ヴァジークは捕らえ、人質達の解放も終えた。それに反逆者達の一部は解放のときに合わせて捕縛した。
しかし未だ王都の軍人はヴァジークが出した厳戒命令に従い都市を封鎖している。これを早急に解除し、更に国内の反乱勢力を一掃すべきだろう。
「あの巨人、話せるのか……」
「さっきも言葉を発しただろう……」
隅の方で侍従達が興味深げな顔で囁き合っている。かなり動揺していたのか、一人は今ごろになって鉄巨人が会話できると気が付いたようだ。
もっともシノブが周囲に聞こえるように話したのは、先ほどの国王達の訪れを告げたときと今回の二度だけだ。しかも最初はリョマノフ達に届く程度だから、彼には聞こえなかったのかもしれない。
「まさか巨人スヴャルのような?」
「助けてくれた相手に失礼だぞ」
巨人スヴャルとは、七百年ほど前に襲来した『南から来た男』の配下の一人だ。長腕ストリヴォという異形と合わせ、『南から来た男』の進撃を支えたという。
それ故キルーシ王国などでは彼らを悪の権化としており、例え話にしても失礼というのは当然の反応であった。
──アミィ、マリィ。これでスヴャルやストリヴォの正体に迫れるかもね──
シノブはアミィとマリィに思念を飛ばした。
今回シノブがヴァジーク打倒に手を貸したのは相手のやり口に憤慨したからで、個人的な行動である。したがってシノブにアマノ王国やアマノ同盟の名を出す気はなく、リョマノフやガヴリドルの話に加わるつもりもなかった。
そのためシノブの興味は、『南から来た男』の配下に向いていた。
──そうですね……『王太子の二十五年の戦い』だと、最期は良く判りませんし──
──アルフォンス一世は、光弾による遠距離攻撃で倒したようですわ。そして、どちらも遺体は帝国軍が持ち帰ったとか──
アミィとマリィも、期待の滲む思念を返してきた。
『王太子の二十五年の戦い』とは、メリエンヌ王国の第二代国王アルフォンス一世の伝説的な事跡だ。
即位する前のアルフォンスは十歳から四半世紀にも渡る日々をベーリンゲン帝国との戦いに充て、殆どの時間を国境のガルック平原で過ごしたという。
そのころ両国ともガルック平原に到達したばかりで、大軍が常時張り付いていた。今とは違い国境の砦や城壁は存在しないからである。
しかも帝国軍には人とは思えぬ異形がいた。それはキルーシ王国の伝説にも残る巨人スヴャルや長腕ストリヴォと同じ存在らしい。
これらをアルフォンスは四つの光の神具を駆使して倒したが、相手が何者だったかは判然としないままであった。帝国軍は巨人や長腕の正体を隠そうとしたらしく、遺体を回収したのだ。
巨人や長腕は甲冑を着こんでいたから、メリエンヌ王国軍も相手が何者か判らず仕舞いだったという。更にアルフォンスが遺した秘録にも、彼らが言葉を話したという記録は無い。アルフォンスは双方の名前を知っていたが、それは敵将軍がスヴャルやストリヴォと呼びかけたからのようだ。
──岩猿の大型種や腕の長い近縁種じゃないかって気もするんだけど……帝国軍は『隷属の首輪』で雪魔狼を操っただろ?──
シノブが挙げた岩猿とは、エウレア地方の北部にいる巨大な猿の魔獣だ。それにヤマト王国にも同一種か亜種らしきものがいる。
岩猿は身長3mほどだから、巨人と呼ばれるに相応しい。それに亜種には腕の長いものもいるらしい。仮に全身を鎧で覆っていれば、敵軍からだと猿と気付かない可能性もある。
そして竜達は、歳を経た岩猿の中には人に近い賢さを得るものがいると語った。もちろん岩猿が言葉を話すことはないが、充分に調教すれば戦に使えるかもしれない。
──確かに……生き物だったのは間違いないようですが──
──秘録には血が飛んだという記述がありましたわね。それにメリエンヌ王国の伝説にも──
アミィとマリィも、シノブの意見には一考の価値があると思ったようだ。
過去の伝説からすると、巨人や長腕が木人や鋼人という可能性は捨てても良さそうだ。全身甲冑を纏った騎士のように木人などを仕立てても、出血はしないだろう。
──人を異形に造り変えたら、過去の眷属も問題視したと思うんだよね──
シノブが魔獣の使役ではと考えた理由は、これであった。
神々や眷属は、創世期に人々を教え導き手厚く保護した。最初の百年ほど神々や眷属は直接人間を指導したという。
その後の神々や眷属は原則として見守るだけで、よほどのことが無ければ地上に介入しなかった。とはいえ異形への改変があれば何か手を打ったのでは、とシノブは思ったのだ。
シノブの理解するところだと、神々は今も眷属を各地に派遣し人々を見守っているようだ。
こうやってキルーシ王国に自分達がいることも神々は把握しているだろうし、キルーシ王国担当の眷属も察しているに違いない。しかし神々は介入を最小限に留めているから、キルーシ王国の変事も教えてくれることはない。
そもそも自分やアミィ達がいること自体、神々が関与した結果である。これ以上の手出しは避けたいと神々は思っているのでは。シノブは、そう考えざるを得なかった。
──単なる使役だと微妙かもしれないけど──
催眠の術や意識を逸らす術、それに魔獣避けの嫌気の術などはシノブ達も使う。そして、これらを動物の調教に使う程度なら、誇るべき技でもないが禁術というほどでもなかった。
──記録に残らないくらい密かに手を貸したかもしれませんが、別の可能性も考慮すべきですね──
──眷属も全てを見通せませんわ。ただ、後の言い伝えに残るくらいであれば、一度は見に行くと思いますが──
アミィとマリィは、シノブの推測が正しいとも間違っているとも言わなかった。しかし彼女達も、どちらかといえばシノブの意見に賛成らしい。
『南から来た男』がベーリンゲン帝国の初代皇帝で、その背後にバアル神がいたのは確実である。ただし、バアル神はアムテリア達の目から逃れる術を得ていたから、異神の存在は明らかにならなかった。
もし禁術の使用を察したら、当時の眷属も重点的に監視したのでは。それが無いから通常の戦で起き得ることと捉えたのでは。おそらく二人は、そう考えたのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達が思念を交わしている間も、ガヴリドルやヴァルコフ、そしてリョマノフなどは動いていた。
ヴァジークの捕縛や厳戒態勢の解除は、既に各所への通達が始まっていた。そのため謁見の間への出入りも激しい。
宰相ラデラフなど、拘束されていた重臣なども広間に入ってきた。彼らも魁偉な鉄巨人を目にして一瞬驚きの表情となるが、王の周囲に寄っていく。
ヴァジークは、特に信用の置ける者に人質の監視をさせていたようだ。全ての王族に重臣達、そして王都にいた太守の家族などと拘束対象は様々だから、彼は多くの配下を監視に割いたらしい。
それらの監視役の出身は、大きく分けて二つだった。元からヴァジークの手駒だった者に加え、東のテュラーク王国から来た者がいるという。この監視役は全て捕まり、アミィやマリィの催眠魔術で眠らされ牢に放り込まれたから当面は問題ない。
また、王都を封鎖した軍人の殆どは陰謀と無関係らしい。
ヴァジークは将軍で、王都の防衛も担当していた。そのため彼の名で王都封鎖を命令されたら、疑問を感じつつも逆らうわけにはいかないのだろう。
このような危険人物に王都の守護を任せたことは問題だが、王家に次ぐ権勢を持つガザール家の嫡男が将軍に就任するのは慣習化していた。そのため王家や国王派ならびに中立派の家臣達も、彼の横暴を苦々しく思いつつも要職に就くのを許したようだ。
そのような背景があったからだろう、軍人達も素直に国王の命を受け入れ王都キルーイヴは平和を取り戻した。
ただし、全てが上手くいったわけではない。反乱の中枢にいた者の一部は、東へと逃げ去ったらしい。
アミィとマリィは人質の救出を優先したから、他までは手が回らなかった。そのため僅かだが異変を察した者達が、ガザール家の本拠地である都市ガザーヴィンへと逃げたようだ。
「リョマノフ殿、その……」
ガヴリドルは、視線を装鋼機兵に向けていた。彼は中にいる筈のシノブと対面したいようだ。
とはいえシノブが正体を伏せているのに、名を出すわけにもいかない。おそらくガヴリドルは、そう考えたのだろう。
シノブも内々であればキルーシの王族と会っても良いと思っていた。そこでシノブは、鉄巨人の頭を頷くように前後させる。
「どこか広い別室はありませんか? 密談できるような……そして入り口が広い」
「では、脇の控えの間に。あそこなら充分入れます」
リョマノフの問い掛けに、ガヴリドルは右脇の扉を指し示した。
その扉は正面の大扉ほど大きくないが、人の背の倍以上あるのは確かだ。幅も当然ながら相応にあり、シノブが宿る鉄の巨人でも普通に通り抜け出来る。
「ヴァルコフ、ここは任せた。……ヴァサーナ、一緒に」
「はい、父上」
ヴァルコフは声を掛けた父に一礼し、更にリョマノフと鉄巨人に頭を下げる。そしてガヴリドルの先導で、リョマノフとヴァサーナが歩き出す。
「足に車輪を仕込んでいたのか……」
滑るように移動していく装鋼機兵を、廷臣達は注視している。彼らが入ってから、鉄巨人は同じ場に立ち尽くしていた。そのため最初にいた者以外は、普通に歩いて移動すると思っていたのだろう。
「あれは、やはり……」
「余計なことを詮索している場合ではないでしょう。ガザール家より先に動かねばなりません」
廷臣の一人の呟きを、宰相のラデラフが遮る。
ラデラフは、今の時点でアマノ王国やアマノ同盟の名を出すべきではないと思ったらしい。ラデラフなど主要な者には、救出時にマリィが警告をしたからだろう。
もっともシノブも、ずっと伏せて通せるとは思っていない。ただ、キルーシ王国とどのような関係を作るかも定まらないうちに、大々的な支援をしたと広まるのは避けたかっただけだ。
その意味では、キルーシ国王との密談はシノブも望むところであった。もし今後も手を貸して良いと思える相手なら。そんな期待を抱きつつ、シノブは鉄巨人を進めていく。
◆ ◆ ◆ ◆
幸い、見立てどおり巨人は隣室の扉を潜った。問題があるとすれば、中に敷かれていた絨毯が大きく裂けたことくらいだろう。
謁見の間は土足で入るのが前提らしく、絨毯は敷かれていなかった。キルーシ王国やエレビア王国では奥だと絨毯に直接腰を降ろすことも多いが、表は外からの伝令が入ることもあるから特別な行事がないときは石畳のままらしい。
しかし控えの間は、奥ではないが寛ぐ場という扱いだったようだ。
「……絨毯が破れてしまいましたね」
憑依を解いて顔を出したシノブの第一声は、これであった。
装鋼機兵の腹部から胸部、そして頭部までが一繋がりに大きく上がっている。言うならば、車のボンネットを開けたような状態だ。
そこから飛び降りたシノブは、巨人の背後の惨状に思わず顔を顰めていた。
「そのようなこと、お気になさらずに……陛下の温情により、我が国は救われたのです。絨毯どころか、この宮殿が崩壊しようと構いません」
「そうですわ。私達……そして続くキルーシ一族は、このご恩を未来永劫忘れません」
ガヴリドルとヴァサーナは、絨毯に両膝を付き平伏する。その背後では、リョマノフが困ったような顔で立ち尽くしていた。
「立ってください。ヴァサーナ殿にも伝えましたが、これは私が勝手にやったことです。人質を取って脅すなど……しかも自分の配下にすら……あのような男を放置しておくなど、我慢ならなかった。それだけです」
シノブが語りかけても、キルーシの二人は動かない。そこでシノブは、残る一人に顔を向ける。
「ガヴリドル陛下、ヴァサーナ殿。シノブ陛下は気さくなお方です。そのままだと、きっとお困りだと思いますよ」
リョマノフはシノブの意を汲んでくれた。彼はガヴリドルとヴァサーナに歩み寄り、二人を立ち上がらせる。
「私は一旦戻りますが、ここにはアミィとマリィを残します。ガザール家の動きも気になりますし、もう一度は来るつもりです。
今後どうするかは、そのときに話しましょう……今は時間を無駄にしてはいけません」
シノブは実際的な話に持っていくことにした。
ヴァジークと王都にいる彼の配下や協力者は捕らえたが、それは反乱勢力の一部でしかない。都市ガザーヴィンにはヴァジークの父エボチェフがいる。そこにはテュラーク王国の協力者もいるに違いない。
そしてエボチェフはガザーヴィンの太守で、彼にはガザール家の家来筋である四人の太守が味方している。この五太守が団結することは確実で、更に五都市の北の一つも同調する可能性があるという。
したがって、このままだとキルーシ王国の東三分の一ほどが独立し、ガザール王国を名乗る可能性が高かった。
「エレビア王国の出した条件は、全て受け入れます。領海の境はそれぞれの海岸から等距離、対等の地位で国交樹立……当然のことです」
ガヴリドルは、既にエレビア王国での第一回交渉の結果を知っていた。
ここキルーイヴとエレビア王国の王都エレビスは、海岸沿いの街道を使えば600kmは離れている。しかし、エレビア王国内は特別に仕立てた馬車、国境を越えてから早馬を継いで飛ばしたら一日半から二日で届く。そして第一回の交渉は二日前の朝だった。
アミィやマリィによると、この第一回交渉の結果もヴァジークが反逆を決断した理由らしい。
外務大臣のテサシュは、対等の条件で早期の国交樹立をとキルーイヴに文を送っていた。エレビア王国がアマノ同盟と関係を深めれば深めるほどキルーシ王国の将来は暗くなるが、今ならまだ間に合う。彼は、そう報告した。
その結果、ヴァジークは国王が決断を下す前に反逆をと急いだらしい。二人はそのようにシノブに伝えたのだ。
「アマノ同盟の商船には領海の自由通行、護衛艦の同行、無関税を。陸も我が国の商人と同等の権利を」
続けてガヴリドルは、アマノ同盟との関係に触れる。時間がないとシノブが言ったからだろう、キルーシ国王の言葉は簡潔すぎるほど簡潔であった。
「なるほど……後ろ盾としてアマノ同盟の名を使いたいと?」
相手の率直な言葉を、シノブは清々しくすら感じていた。国を守るためなら平伏すら厭わぬし、譲れるところまで譲る。いっそ見事ですらあると、シノブは思ったのだ。
商船に護衛艦を付けて良いとなれば、アマノ同盟の軍艦は好きにキルーシ王国の領海を通行できる。商船隊という名目で、大半を軍艦にすれば良いからだ。そうなれば、制海権など無いに等しい。
それだけの譲歩も仕方ない国難だ。ガヴリドルは、そう判断したのだろう。
「はい。国を割っての戦いなど、テュラークを喜ばせるだけです。ダルヤーナやミラシュカには気の毒ですが、国交断絶しかないかと……」
苦々しげな顔で第二王妃とその娘に触れると、ガヴリドルはテュラーク王国との断交を口にした。
ガヴリドルの第一王妃ユリーヴァ、ヴァサーナや王太子ヴァルコフの母はアルバン王国の出身だ。それに対し第二王妃のダルヤーナは、テュラーク王国からである。
そしてダルヤーナの二人目の娘ミラシュカは、将来テュラーク王国に嫁ぐことが決まっていた。しかし、こうなると破談にするしかない。
何しろテュラーク王国はヴァジークに協力者を送り、軍馬の提供などもした。明らかに国家転覆の後押しをしたのだから、断交は当然だろう。
「アマノ同盟としての返答は戻ってからにします。ですが、お二人には充分なご配慮を」
シノブはキルーシ王国との関係作りについては保留した。しかし、念の為とは思いつつもダルヤーナ達の処遇に触れる。
アミィやマリィによると、この二人は反乱に関与していないらしい。双方とも無関係を主張し、それをガヴリドル達も認めたという。
ちなみにダルヤーナとミラシュカは、彼女達の希望もあり当分謹慎となる。この状況で表立って動けば怪しまれるから、妥当な判断だろう。
もっとも事実がどうあれ、結果は謹慎までだったかもしれない。ダルヤーナの上の娘ロザーミラはアルバン王国の王太子に嫁いでいる。つまりロザーミラは次代のアルバン王妃で、その母を厳罰に処すのは躊躇われるからだ。
「それでは失礼します」
シノブはガヴリドルに一礼する。
ともかく一旦引き上げよう。そう思ったシノブは、アミィと思念を交わし彼女が持っていた魔法のカバンを呼び寄せた。もちろん装鋼機兵を収納するためだ。
「……リョマノフ、君はどうする?」
鉄巨人を消し去ったシノブは、リョマノフへと振り向いた。
シノブには、リョマノフは残るだろうという予感があった。そのため、わざわざ問い掛けたのだ。
「私も暫く残ります。ヴァサーナ殿を置いていくのも、どうかと思いますし」
「リョマノフ様……」
照れ笑いをするリョマノフに、ヴァサーナは嬉しそうに寄りそう。二人は口論したり試合をしたりで、随分と仲を深めたようだ。
一方ガヴリドルは娘と隣国の王子を、驚きと喜びを浮かべつつ見つめていた。彼には二日前の情報しかないから、ここまで二人が親しくなっているとは思わなかったらしい。
「そうか……通信筒を貸そう。使い方はアミィかマリィに聞いてくれ」
シノブは魔法のカバンから通信筒を二つ取り出した。リョマノフとヴァサーナに渡すためだ。
アマノ同盟が力を貸すかどうかは別にして、こうなったら両国の協力関係構築は急がざるを得ない。
キルーシ王国がガザール家やテュラーク王国と戦うなら、後顧の憂いは断ちたいだろう。エレビア王国としても、ガザール家に利するようなことは避けたい筈だ。
幸いエレビア王国の王都エレビスでは、ソニアとナタリオの二人が通信筒を所持している。そこで国交に関する議論も通信筒を使って進めたら良いと、シノブは考えたわけだ。
「また、夜にでも来ます」
短い言葉の直後に、シノブの姿は掻き消える。シノブは短距離転移で王宮の上空に移ったのだ。
「……キルーシだエレビアだなどと言っている場合ではありませんな」
暫く固まっていたガヴリドルは、驚きが残る顔をリョマノフに向けた。ガヴリドルは、ほろ苦い笑みを浮かべている。
「そう言っていただけると非常に嬉しいです。私も、常々同じことを考えておりまして……」
言葉こそ丁寧だが、おどけた表情で頭を掻くリョマノフに、ガヴリドルは更に笑みを深くした。もっとも今度は苦笑ではなく、莞爾というべき朗らかな笑みである。
「お父様、リョマノフ様、お話は後でゆっくり出来ますわ! これから長い付き合いとなるのですから!」
楽しげな声で宣言したヴァサーナは、自身の父と隣国の王子の手を取った。そして彼女は、驚く二人の手を重ねる。
「その通りだ……さあ行きましょう!」
「ええ。早く面倒事を片付けなくては」
活気に満ちた若き王子に、壮年の国王が大きく頷く。そして王女を含めた三人は、明るく談笑しながら謁見の間へと向かっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
王都キルーイヴから東南東に500km以上、そこから東がテュラーク王国だ。北と南には、それぞれ高山帯があり、その間の250kmほどの山地と平原が国境である。
国境には幅が数十kmもの緩衝地帯があった。川や峠などの明確な境が存在しないからだろう、中間地点には所々に標柱が立てられている。
「異常はないな! もっとも、ここ二百年は同じだが!」
「ああ! こんな山奥、誰も来ないぜ! なのに面倒な!」
国境の東側、薄暗い山中の荒野を騎馬の二人が北から南に疾走していた。かなりの馬術の持ち主なのだろう、双方とも激しく跳ねる馬上にも関わらず平気な顔で言葉を発している。
しかも二人が乗っているのは、かなりの大型馬だ。エウレア地方なら、最大級とされるに違いない巨馬である。
だが、彼らの所属するテュラーク王国では、これくらいは並であった。その証拠に乗り手の二人は単なる兵士で、服装や馬具も有り触れたものだ。
かなり大砂漠と離れているし山地だから、二人の服も厚手のものだ。おそらくは革製らしい茶色の服は上下ともしっかり覆っている。頭には革兜で手には革手袋、足も革の長靴と徹底しており、出ているのは顔くらいだ。
そのため種族は判りにくいが、兜に獣耳を収納する膨らみが無いから人族だと思われる。
「アマノ同盟……そいつらが攻めてくるってヤツだろ!」
「確かにな! あれだけ軍を集めたんだから……」
キルーイヴにアマノ同盟のことが伝わってから、半月以上が過ぎている。その間にテュラーク王国も国境に軍を集結させたらしいが、名目はアマノ同盟に備えるためとしたようだ。
ちなみに兵士達は、隣国の王都の騒動を知らないらしい。
この日はキルーイヴで反乱騒ぎがあった翌日で、更に未明だ。したがって遠く離れたキルーイヴのことを知っている者など、テュラーク王国内にいないかもしれない。
王都キルーイヴから逃れた者は、乗り継ぎの早馬など使えない筈だ。かなり運が良くても、彼らは都市ガザーヴィンに辿り着いた程度だろう。
もしガザーヴィンに着いていれば、狼煙や光の魔道具を使って短時間で知らせることは可能だ。ただし、それらを計算に入れても、せいぜい国境砦の守護隊長の耳に入ったかどうかだと思われる。
「……何だ!?」
「地鳴り!? 土砂崩れか!?」
馬を走らせたまま、兵士達は顔を見合わせる。そして二人は、揃って後ろを振り向いた。
彼らの後方、つまり北側から途轍もない轟音が響いてくる。しかし地震ではないのか、彼らのいる辺りは揺れていないようだ。
そのためだろう、二人が乗った馬は暴れることはない。しかし馬達は命じられたわけでもないのに速度を上げていく。やはり馬達も何かの異変を察知したらしい。
「崖か!?」
「そうらしい!」
驚く二人を他所に、人の背の十倍はある巨大な壁が北から南へと生まれていく。どうやら壁は、北の山脈から南の山脈に真っ直ぐ向かっているようだ。
「こんな早くから巡回していたとはね……」
空から二人を見下ろしているのは、透明化の魔道具で姿を消したシノブであった。
壁はシノブの魔術による岩壁だ。現在もシノブの飛翔に合わせて南に伸び続けているが、高さ20mほどもある代物だ。
壁は幅10m程度しかないが、そんなことは兵士達には判らない。そのため彼らは、岩壁を大地震か何かで発生した断層だと思ったようだ。
アスレア地方の抗争に介入したくないが、アマノ同盟の登場が戦乱の引き金になるのは避けたい。それがアマノ同盟の統治者達の総意であった。
そしてキルーシ王国もテュラーク王国と断交する意志に変化はなく、ガザール家を降すべく動いていた。しかしキルーシ王家も、民を巻き込んでの戦をしたいわけではない。
そこでシノブは国境を遮りテュラークの支援がないと示し、ガザール家に降伏を促そうとした。もちろんキルーシ国王ガヴリドルの同意を得た上である。
「アマノ王国にしたくなかったから俺個人の土地にしたけど……面積だけなら東京都に匹敵するね」
シノブはキルーシ王国から、この壁および西に10kmの国境地帯を譲り受けた。ただし、防衛を担当するのはキルーシ王国だ。シノブがキルーシ王国に土地を貸与する形である。
「この壁、早く消したいな」
シノブは岩壁を造りつつ、それが不要となる日を願った。まずはキルーシ王国に平穏を。それからテュラーク王国との和解を。シノブは困難な道程とは思いつつも、再び両国が手を取り合う日の訪れを祈っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年12月31日17時の更新となります。