20.11 キルーイヴ突入
キルーシ王国の将軍ヴァジーク・エボチェフ・ガザールは、ガザール王家の末裔である。
ガザール王国とは、キルーシ王国以前に同じ地域に存在した広域国家だ。まず創世暦350年ごろにヴァルーシ王国が誕生し、これが百年ほど続いた。その最後の王の弟がガザール家の祖である。
ちなみにキルーシ家はヴァルーシ最後の王の次男、エレビア家は長男を初代としている。ヴァルーシ王国は三つに分裂し、三家が覇を競う時代に入ったのだ。
これを制したのがガザール家で、創世暦496年にガザール王国を建てる。一方キルーシ家は北西、エレビア家は南西の辺境に追いやられた。
そしてガザール家は東の騎馬民族の後押しもあり、二百年ほど君臨した。
更に百年ほどの混乱期を経て創世暦795年。キルーシ王国が誕生するが、ガザール家は一定の力を保った。
アスレア地方の人々もアムテリアや従属神を信仰しているから、敗者を根絶やしにするようなことはない。ましてや当時のガザール家は衰えたとはいえ東に充分な勢力を維持していた。
したがってキルーシ王国の初代国王スヴャクルフも、彼らに配慮した。スヴャクルフは、ガザール家と彼らの重臣を東の太守達として封ずることで戦いに終止符を打ったのだ。
代わりにと言うべきか、スヴャクルフはエレビア家を南西の半島に放逐した。
傍系に当たるガザール家は家臣に出来ても、ヴァルーシ直系を名乗りかねないエレビア家を下に置くのは難しい。スヴャクルフは、そう思ったのかもしれない。
その結果ガザール家は、キルーシ王国で王家に次ぐ地位を確立した。
『南から来た男』を倒し、初めての広域国家を築いたヴァルーシ一族の末裔という血筋。二百年の長きを統治したガザールの威名。東の騎馬民族との強い繋がり。それらを彼らは活用し、王家ですら一目も二目も置く権勢を維持してきた。
まだ二十二歳のヴァジークが反乱を成功させた背景には、それらも大きく関係しているに違いない。
「ヴァジークが!? そ、それに……まさか!?」
豹の獣人の王女ヴァサーナは、金色の瞳で一点を見つめる。視線の先にいるのは、ヴァジークの反乱を告げたシノブだ。
シノブは、まだ猫の獣人に変装したままだ。しかし東域探検船団の総司令官ナタリオを呼び捨てにし、敬語こそ用いたが他国の王に直接言葉を掛けたのだ。
どうやらヴァサーナは、シノブの振る舞いから単なる従者ではないと察したらしい。彼女は険しい表情のシノブを一心に見つめている。
「ああ、ヴァサーナ殿。シノブ陛下だ……すぐに名乗ってくれるだろうが、とりあえずは内密にな」
リョマノフはヴァサーナに寄り、彼女だけに聞こえるような声で囁く。
隣国の王女に、リョマノフは随分と心を開いたらしい。それはヴァサーナも同じで、彼女は一瞬叫びそうになったものの、素直にエレビアの王子の言葉に従った。
木刀とはいえ刀を交えたことが、二人の距離を随分と縮めたようである。
「ヴァサーナ殿下。そしてキルーシ王国の皆さん……私はアマノ同盟の盟主シノブ・ド・アマノです」
シノブは変装の魔道具を外して本来の姿に戻り、ナタリオの隣へと歩み出る。そして同時に、アミィも自身の姿を元に戻した。
「シノブ陛下!?」
「変装の魔道具……」
変装しての観戦は、エレビア王家に伝えている。そのため試合場の一方にいるエレビア王国側に動揺は少ない。しかし反対側のキルーシ王国の者達は、大きくどよめいた。そして一拍の後、彼らは雪崩を打ったかのように頭を下げていく。
まず外務大臣テサシュや女官長ラジュダが。続いて周囲の者達が。彼らは何れも平伏していた。
変装の魔道具について、ナタリオ達はエレビア王国の人々に早くから伝えていた。
既にエウレア地方では、シノブ達や配下が姿を変えることは知られている。特にアマノ王国だと、情報局の者達が変装の魔道具を使っていることは周知の事実だ。
それにシノブ達の逸話で、変装の魔道具に触れざるを得ないものも幾つかある。そのためナタリオ達は実際に変装の魔道具を見せなかったが、存在自体は伝えていた。
その結果、キルーシ王国の使節団もアマノ同盟に姿を変える術があると承知していた。したがって彼らは何故シノブがいるのかは別にして、怪異な技と慌てふためくことはなかったのだ。
問題があるとすれば正体を偽って観戦していたことだろうが、不満を示す者はいなかった。
キルーシ王国はアマノ同盟との接触を望んでいたのだから、盟主の登場は大歓迎だ。それに蒸気船や魔力無線など様々な物を目にし同盟や加盟国の詳細を知るにつれ、彼らは親アマノ同盟に大きく傾いたようだ。
そもそも自国の危機を教えてくれたのだ。その恩人に対し苦情を言うなど、彼らは考えもしなかった可能性もある。
「詳しいことを語るのに、ここは相応しくありません」
「そうですな。……皆の者、そしてヴァサーナ殿、テサシュ殿! 中に移ろう!」
シノブの言葉に、エレビア王国の国王ズビネクは大きく頷いた。そして彼は、集った者達に王宮に入るよう促した。
◆ ◆ ◆ ◆
宮殿の奥の密議の間に集まった者達は、意外に多かった。
エレビア王国は王族が国王ズビネクに王太子シターシュ、そして第二王子リョマノフなど。他は数名の重臣だ。
キルーシ王国は主だった者が使節団の正使である王女ヴァサーナ、副使のテサシュ、女官長のラジュダ。そして同数の側近である。
これにアマノ同盟からシノブ、アミィ、ナタリオなどが加わり、総勢二十数名となっていた。
「ヴァジークは、王都キルーイヴの民を人質に取ったそうです」
シノブは苦々しい思いを抱きつつ状況を語っていく。キルーイヴにいるマリィから、何度かに分けて続報が送られてきたのだ。
ちなみに、ここエレビスとキルーイヴは400km以上離れている。そのためマリィの思念はエレビスまで届かないが、シノブは別だ。そこでシノブは思念、マリィは通信筒を用いている。
マリィは予定していた諜報員の移送を中止し、姿を消して王宮に潜入した。もちろんキルーイヴはヴァジークの手の者が厳重に固めているが、空を飛べる彼女からすれば無意味である。
あっさりと王宮に侵入したマリィは、国王達が王宮奥に押し込められたことなどを確認していた。
キルーシ国王のガヴリドルや王太子のヴァルコフも、充分に武芸の心得がある。尋常な勝負なら、二人ともヴァジークに対抗できた筈だ。
しかしヴァジークは人質を押し立て国王達に降伏を迫った。王都の民を盾にされては国王達も要求を聞くしかなかったようで、反逆は短時間のうちに成功したという。
「どうもヴァジークは実家と呼応しているらしく、あまり見ない者達が多いとか……」
シノブが言う実家とは、キルーシ王国の東部で最大の都市ガザーヴィンだ。そしてガザーヴィンの太守がヴァジークの父エボチェフである。
ガザール家は東のテュラーク王国と関係が深い。そのためガザーヴィンや近隣の都市は、キルーシ王国の中でも騎馬民族文化の影響を強く受けた場所となっていた。
ガザール家は、ガザーヴィンを合わせた五都市を実質的な支配下に置いている。そこでは軍馬といえば東の大型馬、飲料には馬乳が多く用いられるそうだ。
このように文化の違いが随所にあるため、東の者かどうか見分けるのは容易なことらしい。
「私兵は隊商や旅人に紛れ込ませたのでしょうね。同国人ですから移動は制限されないでしょうし。
そして国王達はエレビア王国やアマノ同盟なる集団に膝を屈するつもりだ、そうなればエレビア王国が先祖の復讐をすべくやってきて自分達は追い払われる、と……」
説明をしつつ、シノブは眉を顰めていた。民を人質に取るのもそうだが、このような扇動もシノブの好みではなかったからだ。
確かにキルーシ王国はアマノ同盟に興味を示し、エレビア王国との関係修復に動いた。しかし、そこからエレビア王国が征服しに来ると飛躍するのは、幾らなんでも無理があるだろう。シノブは、そう思わざるを得なかった。
「我らに征服の意志などありませぬ」
「ええ。確かに故地ですが、それは二百年以上も昔のこと。私達は、この半島で満足しています」
国王ズビネクと王太子シターシュは、少しばかり複雑な声音となっていた。
二人は鋼人に隠されていた邪術で心を歪められてとはいえ、キルーシ攻略を計画した。つまり二人の心の底には、僅かだろうがキルーシ王国への屈折した思いが存在している。
それは間違いのない事実であり、だからこそズビネクとシターシュは強く否定をしたのだと思われる。
「私達も共存共栄を望んでいますわ。確かにエレビア王国やアマノ同盟と交流して更なる幸をと思っていますが、それは独立国としての繁栄を前提にしたものです」
ヴァサーナはズビネク達に笑顔を向け頷いた。
キルーシ王国側も様々な思惑はあるだろう。西からアマノ同盟という強者が現れたら、ただちに駆けつけてきたのだ。彼らも綺麗事だけで使節団を送ったわけではない。
故国を発つ前、エレビア王国行きを嘆いたヴァサーナだ。国土面積でいえば十分の一以下の相手に王女が使者として赴くことに、彼女は激しく憤慨した。
しかしエレビア王国に入ってからのヴァサーナは、一国の使者に相応しい態度を保っている。彼女も公人らしく振る舞わねばと努力し、前向きな言葉を口にしているのだろう。まだ十四歳のヴァサーナだが、少なくとも他者のいる場では充分に王族らしくあった。
「恐れながら……。ガザール家からすれば理由は何でも良いのだと思われます。現在、ガザール家は我が国で第二位の名家です。しかしヴァサーナ殿下がエレビア王家と縁を結べば、権勢に大きな影響が出ます」
キルーシ王国の外務大臣テサシュは、シノブがヴァジークの行動原理に疑問を抱いたと思ったらしい。彼は僅かに顔に焦りを滲ませつつも、落ち着いた声で語り出す。
今までキルーシ王国は、エレビア王国と公式には交流していなかった。商人は両国を行き来しているが、エレビアの産物はキルーシの南半分で得られるものと変わらない。
そのためキルーシ王国の交易は、北のドワーフ達の西メーリャ王国か東のテュラーク王国、もしくは南のアルバン王国が中心であった。そしてテュラーク王国やアルバン王国への道は、ガザール家の勢力範囲を通っている。
しかし、アマノ同盟の登場で大きく事態が変わる。
近いうちにエレビア王国を通してアマノ同盟との交易が始まるだろう。そうなれば交易の比重は西に傾くし、相対的に東のガザール家の地位は下がる。
しかもヴァサーナがエレビア王国から夫を迎えて西の太守となれば。あるいは彼女がエレビア王国に嫁ぎ、その子がキルーシ王国に戻ってくれば。そのときガザール家が国内第三位となるのは避けられないだろう。
それに後ろ盾を得たキルーシ王家が、ガザール家の力を削ぐ可能性は充分にある。かつてキルーシ王家はエレビア家を追放したが、同じようにガザール家を辺地に押し込んだらどうなるか。
このようにヴァジークや父のエボチェフが考える可能性は高い。テサシュは静かな口調で自身の予想を披露した。
◆ ◆ ◆ ◆
「なるほど……ヴァジークは追い詰められたと」
「キルーイヴの掌握は終わったようです」
シノブが重々しく頷いたとき、アミィが新たな状況を告げた。シノブが話をしているため、マリィは同僚の通信筒を送り先としたのだ。
「元からの五都市と、その北の一つはガザール家の勢力下だとか。そちらは心配ないとヴァジークは言ったそうです。それとキルーイヴの東側、ヴィツィリとトゥーシクも味方に付けられると……どうも王都にいる太守の家族を捕らえたようです。
……王都は完全に封鎖されました。ヴァジーク配下の軍人以外は出入りできません。他の都市は人質を取ったり交通を制限したりはないそうです」
アミィは紙片に記されたことを読み上げていく。彼女はキルーシ王国の人々を憂えているようで、頭上の狐耳は僅かに伏せ気味となっていた。
集った者達の顔も暗い。特に酷いのはキルーシ王国の面々だ。
「東部の八都市が全て!」
「王都を含めて九つ……」
悲鳴のような叫びを上げたのは王女ヴァサーナだ。隣の女官長ラジュダも顔を青くしている。
キルーシ王国は、王都キルーイヴも含めると十九の都市がある。したがって、ガザール家は既に半数を押さえたか、押さえる算段が付いていることになる。
「西の太守達に呼びかけるべきでは?」
「ええ……」
リョマノフの進言に、外務大臣のテサシュは頷きかけた。しかしテサシュは浮かない顔だ。
これから使者を出しても、到達までどれだけ掛かるか。最も近い都市チェルザンはともかく、次のペレーニウは、双方の使者が同時に着くかどうかだろう。西の太守達が極めて協力的であったとしても、こちらの知らせが先に着くのは十のうち半数くらいだ。
「両陛下、皆様。使者を出しますので……」
それでもテサシュは、このまま座視しているよりは、と思ったらしい。彼はシノブやズビネクに断りを入れ、自身の側近に振り向こうとした。
「テサシュ殿、少し待っていただきたい。この件、私が手を貸しましょう」
シノブの低い声に、テサシュは動きを止めた。
テサシュは喜色を浮かべシノブを見つめている。彼はアマノ同盟の助けを借りたかったに違いない。
何しろ王都は落ち、国王や王太子は幽閉という状況だ。そして、ここエレビスからキルーイヴまでは直線距離で400km以上、間のアマズーン湾を海岸沿いに行けば600km近い。しかも手勢は使節団だけ、これでは独力での解決など不可能である。
もっともキルーシ王国は、助けてくれと言えるだけの関係をアマノ同盟と築いていない。しかしシノブから言い出してくれたのだ。テサシュが天からの助けと破顔するのも当然である。
「お願いします! お助けいただけるのでしたらアマノ同盟に……」
「ヴァサーナ殿。これは私が勝手にすること……民や家族を人質に取るなど、気に入らない……それだけですよ」
シノブの怒りに満ちた声音は、密談の間の隅々まで響き渡った。
そして若き王女だけではなく、全ての者が凍りついたようになる。シノブが顕わにした意思は、峻烈極まりないものだったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「これでキルーシ王国は終わりだ! これからはガザール王国、そして俺が国王ヴァジーク様だ!」
キルーシ王国の王宮の中心、謁見の間に響き渡ったのは熊の獣人ヴァジークの声であった。彼は既に王位に就いたつもりなのだろう、玉座に腰掛けている。
玉座の奥は、眩い光が差し込んでいる。奥は一面のステンドグラスで七柱の神々が描かれていたのだ。
キルーシ王国もエレビア王国と同じく、王宮や太守の館などではステンドグラスを多用していた。アスレア地方では大きな板ガラスを作るのは難しく、小さなガラスを組み合わせ代用する。そして貴人の邸宅などには、このように凝った装飾が必ず存在した。
もっとも千人や二千人は入りそうな大広間の一面をガラスで飾るなど、王や太守でなければ不可能なことだろう。
「もっと早くこうしておけば良かったのだ! 代々ガザール家から将軍を出しているのだから、こうやって王都を盗るのは簡単なこと! 親父も、だらしない!」
ヴァジークは得意げな様子で声を張り上げていた。彼は色ガラスで出来た酒盃を片手にし、しかも脇には数々の銘酒を並べた卓を置いている。まだ日も高いのに、ヴァジークは飲酒していたのだ。
この我が物顔の振る舞いに居並ぶ侍従や侍女は眉を顰めているが、何れも黙り込んだままだ。彼らは王宮勤めの者達だが、主や民を人質に取られては逆らえないのだろう。侮蔑を押し隠した無表情が痛々しいくらいである。
「その……大神アムテリア様は正々堂々の戦いをと……ですからエボチェフ様は……」
声を掛けたのは侍従でも侍女でもなかった。狼の獣人の武人、二十二歳のヴァジークの倍以上と思われる男性であった。
アムテリアを始めとする神々は、戦いでの駆け引きを禁じてはいない。しかし神々は、関係ない者を巻き込んだり弱者を盾に取ったりすることを戒めていた。
そのため中年の武人が言うように、人質を取って降伏を迫るような者は少ない。いるとすれば、大義のために敢えて非常の手段を選ぶ場合くらいだ。
「なんだと!? ヴォジフ、俺より親父が上だと言うのか!?」
ヴァジークは、忠告した武人ヴォジフに赤ら顔を向けた。
このヴォジフは、ガザール家の当主エボチェフが息子の補佐役として付けた武人だ。役職はヴァジーク付きの副将軍だが、実質的にはヴォジフが将軍といって良いだろう。
「お前、家族がどうなっても良いのか!?」
何とヴァジークは、味方からも人質を取っていた。これには控えていた者達も嫌悪を隠せなかったようで、全員が大きく顔を歪ませていた。
「答えろ!」
ヴァジークは持っていた酒盃を、ヴォジフに向けて投げつけた。
幸い中身は干していたから酒が散ることはないし、ヴォジフも機敏な動きで躱した。しかしガラス製の酒盃は壁に当たり、耳障りな音と共に割れ飛ぶ。
「それは……」
家族を盾にされたからだろう、ヴォジフは黙り込む。そして謁見の間に重苦しい沈黙が満ちる。
「ふん、俺に逆らおうなどと思うなよ!」
ヴァジークはヴォジフをやりこめて満足したらしい。彼は新たな酒盃を手にし、酒を呷る。
「……このままだとガザール家は一太守として大人しくするしかない……ここを逃したら……。それに、テュラークも期待している……そうだろう?」
どうもヴァジークは単に祝い酒を味わっているだけでもなさそうだ。幾らもしないうちに熊の獣人の若者は、愚痴を零し始める。
「はい……随分と多くの良馬を提供しました」
ヴォジフも苦々しげな声で応じる。
テュラーク王国がガザール家を支援するのは、自身の勢力を西に広げたいからだ。そして彼らは、親テュラーク政権を作る機会を逃さなかったらしい。
とはいえテュラーク王国がしたことは軍馬などの支援だけで、傷を負うようなことはない。そしてヴァジークとヴォジフは、支援者の計算高い態度に不満を感じているのだろう。
「幸いアマノ同盟というのは、それこそ大神の教えに忠実だな」
ヴァジークもアマノ同盟を気にしてはいるようだ。しかし東域探検船団が紳士的な態度を貫くからか、彼は随分と相手を侮っているらしい。
「ええ。最初に送った使者の報告通りなら、彼らは侵略など考えていないようです。そうでなければ、それこそエレビア王国を占領するか、不平等条約でも突きつけたでしょう。ですから、あくまで国内問題で済ませたら良い……」
ヴォジフが口を噤んだのは、周囲が暗くなったからだ。
先ほどまでは、玉座の後のステンドグラスや周囲の窓を通して明るい陽光が差し込んでいた。しかし今、まるで夜が訪れたかのように光は去っている。
完全に闇に閉ざされてはおらず、隣にいる人が見えないというほどではない。だが、玉座からだと広間の中ほどまで見通すことも出来ない暗さだ。
「……陽が陰ったか? ……おい、灯りを!」
ヴァジークも左右の窓や背後のステンドグラスへと目を向けていた。そして彼は側に控える者達に、灯りで照らすようにと命じる。
「はい」
「ただいま」
侍従や侍女は左右に散り、備え付けの灯りの魔道具へと向かう。しかし嫌々なのだろう、彼らの動きは鈍かった。
「きゃっ!」
「あれは!?」
暫しの後、侍女達の叫び声が辺りに響く。
明るさを取り戻した謁見の間には、人の倍ほどもある黒々とした巨人が立っていた。どうやら巨人は金属製らしく、魔道具の灯りを鈍く反射している。
「……巨人?」
誰かが呟くが、金属製の巨人は人間と大きく姿が異なっていた。
頭は半球を上から押し当てたような単純な造りだ。前面には面覆いのようなもの、そこに目を象ったらしき丸い円筒が存在する。
そして胴体も違う。胸部から腹部が随分と前に出っ張っているし、背後も釣り合いを取るためか大きめの背嚢を背負ったような形状だ。
腰にくびれはなく手足も太い。肩には丸い装甲、膝などにも保護するような覆いがあり、それらは登ったり何かを吊るしたりするのか、太い棒が足場や輪のように取り付けられている。
「あの抱えているのは……」
しかも魁偉な巨人の両腕には、人間が一人ずつ乗っていた。ただし双方とも顔を伏せているから、容貌を確かめることは出来ない。
◆ ◆ ◆ ◆
「な、何だ、その巨人は!」
酒盃を放り出し立ち上がったヴァジークは、大声で叫ぶ。
ヴァジークは玉座の脇に置いていた太刀を掴み、抜き放つ。それにヴォジフも同じように佩いていた刀を抜いていた。
「これは装鋼機兵だ!」
自慢げに叫んだのは、リョマノフだ。巨人の右腕に乗っているのはエレビア王国の第二王子、左腕はキルーシ王国の第三王女ヴァサーナであった。
先ほどまで巨人の腕にしがみ付き顔を伏せていた二人だが、今は誇らしげに上げている。
「ひ、姫様!」
「大丈夫! 人質は解放しました! 皆、こちらに来なさい!」
驚く侍女達に、ヴァサーナは笑顔で頷いてみせた。すると侍従や侍女は歓声を上げて鉄巨人のいる側へと走り出す。
『正確には、まだ解放中だけどね……』
巨人が両腕の二人にしか聞こえないくらいの小さな声を発した。声の主はシノブである。
この装鋼機兵を動かしているのはシノブであった。しかもシノブは単に憑依しているだけではなく、内部に乗り込んでいた。巨人の胴体が前後に膨れているのは、搭乗するためだったのだ。
木人は憑依して操るため、操作範囲が数kmに限定される。
それは鋼人も同じだが、こちらは鋼鉄製だけあって中身は空洞が多かった。そこで人が乗れるだけの空間を捻出したのが、この装鋼機兵である。
もちろん機体を大きくすれば、搭乗する場所など幾らでも確保できる。しかし巨大にすれば動作による上下動や衝撃も増し、中に乗っている者は堪らない。
正確にはシノブなど特別に魔力が多い者なら、憑依をしながら魔術で自身の体を保護することも充分に可能だ。しかし汎用性に欠けるとして現実的な大きさで試作したのが、この機体である。
『……でも順調だよ。王族の救出は終わった……それと太守達の家族も、もうすぐだ』
シノブの言葉に、リョマノフとヴァサーナが大きな笑みを浮かべる。
キルーシ王家の者達が押し込められている奥宮殿には、アミィと女官長のラジュダ、そしてキルーシの使節団から腕利き達を送り込んだ。そして他の者が集められた牢には、マリィと外務大臣のテサシュなどだ。
シノブは宣言した通りアマノ同盟として動くことはなかったし、前面に立つことも避けた。しかし、これだけで充分であった。
マリィの手引きで、シノブ達は密かに王宮に潜入した。
まずマリィが魔法の家の呼び寄せでシノブとアミィをキルーイヴの郊外に転移させた。そこからは透明化で王宮に潜入だ。
そして再び魔法の家を使って他の者達を連れてくる。このときもアミィが幻影魔術で誤魔化したから、魔法の家の出現に気付く者はいない。後はそれぞれの場所までシノブが短距離転移で送り込むだけだ。
アミィやマリィも、今回は存分に力を振るっているようだ。やはり人質など卑劣な行為はアムテリアに仕える者として許し難いのだろう。
二人は姿を消し、眠りの霧などで支援しているだけだ。しかし双方とも神の眷属の大魔力を注ぎ込んだから、それだけで全てが片付いてしまう。
『それに、ここから逃げることも出来ない』
周囲の光が遮られたのは、シノブが闇属性の魔力で黒くした光鏡で王宮を覆ったからだ。それ故ヴァジーク達は脱出どころか助けを呼ぶことも不可能であった。
そしてマリィからも救出完了の連絡が来る。
『全て予定通りだ……行くぞ』
侍従や侍女が避難したのを見て取ったシノブは、装鋼機兵を前に進める。といっても、歩いたり走ったりではない。僅かに腰を落とし前屈みの姿勢を取った鉄巨人は、何と滑るように前進していた。
これは足裏に仕込んだ車輪を地面に降ろし、魔力操作による回転で実現した滑走である。もちろん誰にでも出来ることではなく、憑依した上で大質量を動かせる者だけが可能な技だ。おそらく多くは、車輪を接地させることすら不可能だろう。
「速いな!」
「ええ!」
両腕の若者達は、肩の装甲に付けられた輪を握りながら笑みを交わしていた。風を切るような疾走は相当な速度で、双方とも髪は大きく後ろに靡いている。
「な、なんだ! こんなことが!」
「あるんだよ!」
喚くヴァジークの前に跳び下りたのはリョマノフであった。そして彼の後ろを守るようにヴァサーナが立つ。もちろん、二人とも愛刀を抜いている。
対するヴァジークとヴォジフだが、表情は対照的だ。
先ほどまで飲酒していたヴァジークは真っ赤な顔のままだ。そして彼は立ち向かう気も充分らしく、リョマノフ達を睨みつけている。
しかしヴォジフは、戦いに挑む者とは思えない悲壮な顔をしている。こちらは刀を中段に構えているものの、むしろ切腹でもしそうな雰囲気である。
「ヴォジフ、貴方の家族も救出しました! もう、こんな男に尽くすことはありません!」
「姫様……御免!」
ヴァサーナの叫びを耳にした狼の獣人は、刀を返そうとした。彼は自決を試みたのだ。
しかしヴォジフの望みが果たされることはなかった。シノブが魔力の塊を放ち、刀を圧し折ったからである。
「ヴォジフ!?」
「余所見とは余裕だねぇ……」
ヴァジークが隣に気を取られた隙に、リョマノフは大きく踏み込んでいた。そしてリョマノフは、自身の刀でヴァジークの太刀を弾き飛ばす。
「あばよ、馬鹿将軍」
リョマノフは返す刀でヴァジークの首筋に一撃を叩き込む。もっともリョマノフは刀の峰で打ったから血が流れることはなく、ヴァジークは昏倒しただけだ。
「ヴォジフ、死ぬ前にすることがあります。この騒ぎを収めなさい。それまで私が命を預かります」
「は……」
ヴァサーナは膝を突き項垂れるヴォジフに歩み寄り、静かに諭す。そして狼の獣人は、王女の言葉に静かに応える。
その間に、シノブは宮殿に張り巡らせた黒い光鏡を消し去る。
「おお、光が……」
「神々が……」
元の明るさを取り戻した謁見の間に、驚きの声が満ちる。光の加減だろうか、ステンドグラスで描かれたアムテリア達は微笑んでいるように見えたのだ。
きっと神々は祝福しているに違いない。そう感じたシノブは大きな喜びを抱きつつ、華麗な光の芸術に見惚れていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年12月29日17時の更新となります。