20.10 王子と王女 後編
シノブはキルーシ王国の王女ヴァサーナが語ったことを簡潔に纏めていく。大砂漠を探索中のミュレ子爵マルタンに、通信筒を使って送るためである。
マルタンが指揮する飛行船には、炎竜の長老夫妻アジドとハーシャもいる。したがって思念での連絡も可能だが、何百kmも先に届く魔力波動を発したら何らかの術を使ったと察する者もいるだろう。
そのためシノブは通信筒を選択した。それに紙の方が絵図を付けることも出来るから、今回送る内容には合っている。
記した内容は、五百年ほど前の伝説的な大商人ルバーシュについてだ。
ルバーシュは大砂漠に赴き、信じられないほど多くの宝石を持ち帰った。彼が得た宝は自身を富ませるだけではなく、当時ガザール王国の一太守であったキルーシ家を大躍進させた。しかし僅か一ヶ月程度の探検で歴史を動かすほどの財宝を手に入れるなど、尋常なことではない。
シノブ達が探している謎の存在は大砂漠に潜んでいるらしいが、場所が判然としない。そうであればルバーシュの赴いた場所、都市ヴォースチと一ヶ月で往復できる範囲から調べるのが良いだろう。そう考えたシノブは、ヴォースチの位置や想定される範囲なども紙片に書き付けていく。
幸いシノブがいるのは後列だ。最前列にはナタリオやソニア、マリィなどが並び、更に内政官や武官も大勢いる。そのためシノブが何かを記そうが目立つことはない。
今回、シノブやアミィは猫の獣人に姿を変えている。事前にエレビア王家の人々には挨拶をしたが、キルーシ王国側からすれば探検船団の一員でしかない。
したがってシノブが紙片に筆を走らせている間にも、エレビア王国とキルーシ王国の歓談は進んでいく。ルバーシュ伝説の他にも晩餐会に出すべき話題は幾らでもあったからだ。
「キルーシ一刀流のヴァスラフ様こそ最強ですわ!」
「エレビア一刀流のリョムリガ様が上です!」
ヴァサーナとリョマノフの叫びが、シノブの耳に入る。ちょうどシノブがマルタン宛の文を通信筒に放り込んだ瞬間だ。
シノブが様子を窺うと、エレビアの王子とキルーシの王女は血相を変えて睨み合っている。
──どうしたの?──
──先祖の話になったのですわ。ヴァスラフとリョムリガ、どちらもガザール王国が滅びたころの人物ですわね──
問うたシノブに、マリィが嘆声混じりと言うべき思念を返した。
ヴァスラフとリョムリガは、それぞれの当主で優れた剣士だったという。双方とも両流派で中興の祖とされ甲乙付け難い達人と伝えられているが、直接に戦ったことはない。どちらも太守で領地から離れることも少なく、更に会ったときも万一負けたらと周囲が留めたからのようだ。
そしてガザール王国が滅亡したのは、およそ三百年前だ。したがって、今更どちらが上か確かめる術など存在しない。不毛な争いだとマリィが嘆くのも無理はないだろう。
「真空斬りのヴァスラフ様が!」
「飛燕剣のリョムリガ様には勝てません!」
ヴァサーナとリョマノフは、双方とも腰を浮かせて睨み合っていた。
豹の獣人ヴァサーナは黒い斑の混じった金髪を振りたてて。獅子の獣人リョマノフは金一色の柔らかな髪を揺らし。そして双方ともに金の瞳を相手に真っ直ぐ向けて。それまでの和やかな雰囲気は、二人から完全に消し飛んでいた。
──ヴァサーナ殿は、リョマノフに嫁ぐつもりじゃなかったの?──
二人の様子をシノブは意外に感じてしまう。
今までヴァサーナは、リョマノフに話を合わせていた。和平をと持ちかけたのはキルーシ王国で、アマノ同盟との関係作りのためにも当面は下手に出るしかない。シノブは、そう思っていたのだ。
──よほど武術が好きなのでしょうか?──
──ええ。キルーシ一刀流だけではなく槍術や馬術も相当だとか。それもあって武人のリョマノフ殿を選んだのでしょうけど──
アミィとマリィが思念を交わす中、シノブは密かに両国の様子を窺う。
エレビア王国側に大きな動揺はない。国王、先王、王太子の三人は微笑みすら浮かべて十六歳の王子と十四歳の王女の言い争いを眺めていた。それぞれの妃達も同様だ。
リョマノフの姉オツヴァは、時々力強く頷いている。どうやら彼女は、弟と同じくリョムリガという先祖を強く敬っているらしい。
対するキルーシ王国側、外務大臣テサシュや女官長ラジュダの顔は僅かに青ざめていた。二人は小声で王女を窘めているようだ。
エレビア王国は国交樹立を成し遂げたいものの、元から有利な立場だ。そのため無礼にならない程度であれば口論も構わないのだろう。それにヴァサーナの素顔を見る良い機会だと思ったのかもしれない。
キルーシ王国としては、ようやく会談まで漕ぎ付けた相手の機嫌を損ねたくない筈だ。とはいえ彼らにとってヴァスラフは随分と特別なようで、自分達の方が下だったとは言えないらしい。
──ガザール王国が衰退し戦乱の時代に入ったのは、ヴァスラフとリョムリガが抜きん出ていたのも大きかったようですわ。太守と武将の双方で二人は活躍し、それが中央の権威低下を加速したようです──
マリィはキルーシ王国にも暫く滞在したし、ここエレビア王国に来てから半月以上だ。そのため彼女は両国の歴史についてシノブ達以上に詳しくなっていた。
キルーシ家にとって、ヴァスラフとは王国誕生へと進む道を付けた英雄なのだろう。彼らはガザール王国が滅びた後、百年近い混乱を制して彼の地を再統合した。そして建国の第一歩をガザール王国からの離脱とするなら、ヴァスラフが崇められるのも当然であった。
エレビア家は、残念ながら故地を離れることとなった。しかしガザール王家の下から抜け出したのはリョムリガあってのことで、一時期エレビア家がキルーシ地方の中央を制したのも、彼の力に拠るところが大きい。したがって、こちらも偉大な先祖として称え続けている。
こうなると、おいそれとは退けないに違いない。シノブは両者の様子に納得をする。
「過去の英雄の上下は決められないでしょう。どうしてもというのであれば、今の剣士で決着を付けるしかありませんね」
現実的な解決策を提示したのはナタリオであった。どうやらナタリオは、譲れないし比べようもない伝説ではなく、当代で競えばと言いたいらしい。
「流石、ナタリオ殿!」
「私も賛成ですわ!」
ナタリオの提案に、王子と王女が大きく頷いた。
早速リョマノフとヴァサーナは、いつ腕比べをするかを相談し始める。どちらも互いのことを嫌いになったわけではないらしく、二人は笑顔を向け合っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
晩餐が終わり、シノブとアミィはナタリオ達と共に引き上げた。彼らも王宮の一角にある迎賓館、キルーシ王国の者とは別の一棟に下がったのだ。
「三番勝負ねえ……ラドロメイ殿とテサシュ殿、オツヴァ殿とラジュダ殿、そしてリョマノフとヴァサーナ殿か……」
「二人とも武術好きですから距離を縮めるには良いと思います。そこまでの流れには少々驚きましたが、相手を更に知る機会となるのは間違いありません」
首を傾げるシノブに応じたのはナタリオだ。両国の戦いは明日の昼間、三組の剣術試合でとなったのだ。
どうやら、両国ともナタリオが触れた点を意識していたようだ。特にエレビア王家は、多少猫を被ったらしきヴァサーナを見極める好機だと考えたらしい。
キルーシ王国側からしても、趣味の合うところを示す絶好の場である。口だけではなく実際に腕が立つところを見せたら、武人肌の王子の興味を惹けると考えたのだろう。
それにキルーシ王国は、リョマノフがアマノ同盟から妻を迎える前に自国の姫を送り込みたいようだ。今のところアマノ同盟からエレビア王家に嫁ぐという話はないが、あり得ないことではない。実際にナタリオはエレビア国王ズビネクから、息子達と釣り合う王族や高位の女性は、と訊ねられていた。
「ラドロメイ殿とテサシュ殿は、好勝負となりそうですわね」
「はい。どちらも円熟の境地です」
マリィとソニアは、最年長の二人に触れた。
エレビア王国側は、リョマノフも師事した英雄ラドロメイが初戦に出る。都市ペルヴェンの太守となったラドロメイだが、国を代表する武人だけあってキルーシ王国の使節団に顔を見せるべく招かれていたのだ。
そしてラドロメイの対戦相手は、外務大臣のテサシュであった。外務という役職からは意外だが、彼は武術の達人でもあった。
むしろ腕に覚えがあるから他国に乗り込んでくるのだろう。身を守るものは自身の武術か魔術という世界だから、ナタリオの父を含め外交官が優秀な武人という例は珍しくもない。
「三番勝負となった瞬間、オツヴァ殿は手を挙げていましたね」
「リョマノフから聞きましたが、オツヴァ殿も随分な名手らしいですよ。それに、あの女官長も中々のようです」
こちらはアミィとナタリオだ。どちらも笑いを堪えながらである。
リョマノフの姉は、よほど武術が好きらしい。三番勝負となるなら、自分もと言い出したのだ。
そして相手が女性なら、とキルーシ王国からはラジュダが出場することになった。女官長の彼女は王女の護衛も兼ねているから、やはり達人だったのだ。
「で、最後がリョマノフとヴァサーナ殿か。まあ、これは順当にリョマノフが勝つんだろうね。
つまり両流派の威信を懸けての戦いは初戦か……キルーシ王国もラドロメイ殿のことは知っているんだろうし、テサシュ殿も自信があるんだろうな」
明日の試合はシノブとアミィも観戦する。今日と同じく変装して加わるのだ。
シノブとしてもキルーシ王国の人々を見定める良い場だし、シャルロットへの土産話にもなる。アミィが試合の様子を幻影魔術で再現できるから、尚更だ。そのためシノブは、どんな戦いが繰り広げられるか、今から楽しみにしていた。
「そうですね……ところでシノブ様、ルバーシュ伝説は役に立ちそうですか? 範囲は随分と絞れたと思いますが……」
ナタリオは、本来の用件である砂漠の調査が気になったらしい。もしかすると試合で決着をと彼が提案したのは、両国の先祖自慢を終わらせて本来の話に戻したかったのかもしれない。
「ああ。一人だけで戻ったというのも怪しいし、後にキルーシ家が躍進するだけの財宝だ。一ヶ月やそこら砂漠を彷徨ったからといって見つかるものじゃない。それに、二度三度と採掘に行かなかったのも不自然だ。
ソニア、マリィ。出来れば当時から伝わる宝石を調べてくれないかな? 宝石の逸話って、後々まで残ると思うんだよね。どこで発見されたとか、どこから買ったとか……」
シノブはルバーシュが再び大砂漠に赴いた形跡がないのを不思議に感じていた。それに彼以外が後に同じような鉱脈を発見していないこともだ。
仮にルバーシュが一度で満足しても、彼の後に続こうという者が出ないのは理解し難い。少なくともキルーシ家はルバーシュが砂漠で財宝を得たと知っている。それなのに、どうしてキルーシ家や手の者は挑戦しなかったのか。
やはり、ルバーシュでしか出来ない何かがあったからでは。
そこまでヴァサーナは語らなかったが、彼女も先祖からの言い伝えを披露しただけで詳しく知っているわけではなさそうだ。おそらくは、王家の秘事か何かだと思われる。
「判りました。明日、私がキルーシに行きます。向こうの王立図書館なら、そういった逸話を記したものもあると思いますし……」
「それでは諜報員も送りましょう。とりあえず、王都キルーイヴと都市ヴォースチですね」
マリィとソニアが大きく頷く。
金鵄族のマリィは普通に飛んでも時速400kmは充分に出る。その速度ならキルーイヴとヴォースチを巡ってエレビスに戻るのは三時間少々だ。
キルーシ王国の王都キルーイヴには有料の図書館があり、以前も調査で利用した。そこなら宝石などについて記した書物も多数あるだろう。
ヴォースチも地下遺跡を発見する過程で情報局の者が訪れている。したがって、こちらも再訪して聞き込む相手くらいはいるようで、ソニアの顔には充分な自信があった。
「そうしてくれ。ナタリオ、理由を明かして良いからエレビア王家にも聞いてもらえないか?
彼らは二百年前まで向こうにいたんだし、こちらに大砂漠で発見された宝石が伝わっている可能性は充分にある。竜や玄王亀にも宝石のありそうな場所を探ってもらうけど、種類が確定したら助かるかもしれないし」
シノブはエレビア王家にも訊ねなくてはと考えた。
ルバーシュが大砂漠に挑んだのは、五百年近く前のようだ。そしてエレビア一族がキルーシ地方を離れたのは三百年も後のことである。したがって、こちらにルバーシュが得た宝玉があってもおかしくはない。
「判りました! ……しかし宝石ですか。海のものではないでしょうから、真珠は除外するとして……ダイヤモンドとかでしょうか?」
意気込んだナタリオだが、生憎と宝石には疎かったようだ。何を訊ねるべきと思ったのか、彼は困惑が滲む表情となった。
「玄王亀の皆さんはエメラルドやルビー、サファイヤなどを造っていましたね。こちらは金属の一種です。ダイヤモンドは少し違いますが、これも造れます……もっとも、相手が玄王亀とは限りませんが」
アミィは今まで玄王亀が造った宝石を並べていく。
岩竜のブレスには磁鉄鉱の粒子、つまり砂鉄が混じる。これは強力な魔力が物質化するからだ。同じように、玄王亀も比較的重たい元素を生み出すことが可能であった。そのため彼らは自然の宝石を集めるだけではなく、長い年月を掛けて好む素材で自身の棲家を飾り立てていた。
「良い宝石が見つかったらアリーチェへのお土産にするんだね。連れてきても良かったんだけど……」
「いえ、家族と会いたいのは私だけではありません」
冗談めかした問いを発したシノブだが、ナタリオの答えに思わず微笑んでしまう。来る前にシノブはアリーチェも誘ったのだが、同じことを言われてしまったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
翌日の昼前、シノブはアミィと共にエレビア王国の王都エレビスを再訪した。そして昨日と同様にシノブはナタリオの随員となるべく猫の獣人に化ける。
一方アミィはマリィの代わりとなった。マリィがキルーシ王国を都市ヴォースチと王都キルーイヴの順で巡っているからだ。マリィは、アミィが代理を務めている間に諜報員達を送り込むことにしたのだ。
そのためシノブはナタリオの後方に立ち、アミィはマリィの姿でソニアと並ぶ。なお、マリィはエレビア王国では猫の獣人で通していたから、アミィもソニアやシノブと同じ外見だ。
──凄い切れ味だね──
──日本刀とは柄が違いますけど、使い方は似ていますね──
シノブとアミィは、試技を披露した武人達に拍手を送りつつ思念を交わしていた。
試合に出る順と同じで、まずはラドロメイとテサシュ、次にオツヴァとラジュダ、最後にリョマノフとヴァサーナが丸太を切断した。丸太は地面と垂直に立てたもので、それを横一文字に斬り飛ばしたのだ。
太さはそれぞれ違い、男性は大人の胴以上、女性は首ほどである。しかし巻き藁などではなく、中身の詰まった木である。それを表情も変えずに両断するのだから、恐るべき技と切れ味であるのは間違いない。
アスレア地方では片手持ちの湾刀が一般的だ。これは刃が日本刀に極めて似ているが、柄が護拳付きの片手用という点が違う。
こちらは暑いから鎧が発達しなかったようだ。そのため武器も切れ味優先となったのだろう。そして身体強化があれば、本来なら両手持ちとすべき長さでも片手で充分に扱える。
ちなみに馬上剣として両手持ちで倍の長さの大刀もあるそうだが、普段から携帯するようなものではない。そのため平時の武具として、この片手用の刀が広く使われているそうだ。
──衣装も剣道を思わせるね。紺色だし──
シノブが指摘したように、武人達の服装は紺で染められていた。
エレビア王国とキルーシ王国では暖色系の衣装が好まれ、身分が高いほど濃い色になる。庶民は黄色、ある程度の身分ならオレンジ、王族や高位の者は赤である。
しかし武術の修行に用いる衣装は別らしい。リョマノフ達の着衣は肘と膝までのチュニックで、そこまでは通常の服と同じだが色が紺であった。ちなみに腰を絞る帯や頭に巻いた布も同色だ。
──そうですね。防具は着けませんが──
アミィが言うように面や胴などは着けていないが、袴を随分と短くした剣道着のように見えなくもない。
こちらの試合は寸止めを前提にしたものである。とはいえ止め損なって当たることもあるから、治癒魔術がなければ不可能だ。現に試合場の脇には大勢の治癒術士が控えている。
「それでは、第一試合を始めます! ……エレビア王国、ラドロメイ殿! キルーシ王国、テサシュ殿! 前に!」
審判役の武人が声を張り上げると、呼ばれた二人が進み出る。
それを正面から眺めるのはアマノ同盟の者達だ。エレビア王国とキルーシ王国の者達は戦う二人と同じ側にいる。
例外はエレビア王国の国王ズビネクだけだ。彼は解説役としてナタリオの脇に座っている。
「ラドロメイは飛燕の構えですな……テサシュ殿は真空切りかと……」
ズビネクはリョマノフと同じ獅子の獣人ということもあり、武術の修行も充分に積んでいた。そのため彼は両者の構えから技の予想をしてみせる。
二人は10mほどを空けている。そして豹の獣人ラドロメイは右手に持った木刀を頭上に掲げ、猫の獣人テサシュは右肩を突き出し木刀を後ろに引いていた。
ラドロメイは両手を大きく斜め上に広げた独特の構えで、右手の木刀を頭の上に掛かるように斜めにしている。彼の姿は、翼を広げた鳥のようでもある。
テサシュは居合い斬りでもするかのような体勢だ。左手を木刀の背に添えるようにし、刃を斜め下に向けている。
「あっ!」
勝負は一瞬で終わった。誰かが声を上げたそのときには両者の立ち位置は入れ替わり、テサシュの木刀が宙に飛んでいたのだ。
まず、先に動いたのはテサシュであった。
深く体を沈めたテサシュは、全身に溜めた力を一気に解き放ち滑るように跳び込んだ。そして彼は大きく後ろに引いた木刀を鞘から抜き放つかのように奔らせた。
真空切りという名の通り、テサシュの木刀は突風を巻き起こす。斜め下から切り上げる刃に沿って空気が裂け、刀と合わせてラドロメイに襲い掛かると思われた。
しかしラドロメイの動きは更に速かった。老武人は突進と同時に掲げていた筈の木刀を振り下ろし、テサシュの得物を弾き落とした。その勢いは途轍もなく、地に落ちたテサシュの木刀は大きく跳ね上がり再び上空へと舞い上がった。
おそらく、多くの者は木刀が空に飛んだだけと思っただろう。しかし一旦落ちたことは、二人の間の地面に残された大きな跡からも明らかであった。
◆ ◆ ◆ ◆
第二試合は、長い打ち合いになった。エレビア王国の王女オツヴァとキルーシ王国の女官長ラジュダの腕は互角だったようだ。
種族はオツヴァが虎の獣人、ラジュダが猫の獣人だ。そのため力のオツヴァ、技のラジュダといった印象の試合運びである。
「いや、ラジュダ殿もやりますな。我が娘だからと言うわけではありませんが、オツヴァに勝てる者は数少ないのです。師匠のラドロメイに、この私……リョマノフも最近は上を行ったようですが」
ズビネクは、どこか言い訳をするような口調となっていた。
シノブやアミィが観戦していると知っているから、ズビネクは尚更オツヴァの弁護をしたくなったのだろう。彼はナタリオに話しかけているが、後ろのシノブも気にしているようだ。
とはいえズビネクは、娘の結婚相手をシノブにと考えたわけでもないらしい。あまりに並外れた相手を夫にしても、娘が苦労するからだろう。
しかしアマノ同盟やアマノ王国には他にも王族や貴人が多数いるし、彼らとの縁組なら充分にある。ならば、娘の長所である武術について過小評価してほしくない。
そのような思いを、ズビネクは抱いたようである。
「ええ、素晴らしい腕前だと思います。きっとシノブ様も、そう仰いますわ」
「確かに。エウレア地方の女騎士で敵う者は僅かだと」
アミィがマリィの口調を真似て応じ、更にナタリオが大きく頷いてみせる。実際のところ二人の言葉に嘘はない。
確かに、この二人と同じ域に達している女性はエウレア地方でも多くはないだろう。シノブも出会った当初のマリエッタよりは上だと感じていた。
オツヴァの突きは一見すると力強いだけに感じるが、空いた左手の振りを突きや戻しの速度に変えるという工夫もしていた。
それはラドロメイの技にも通じている。両手を大きく広げてからの振り下ろしの際、彼は逆の手も大きく後ろに振り下ろしていた。どうも逆手の移動で体の捻りや体重移動を素早くしているようだ。
しかし、それはラジュダも同じである。彼女も空いた手で剣速を上げたり回避を速やかにしたりと効果的に使っている。
「む……燕返しを躱されましたか。しかも返し技まで」
「あれは炎翅鳥王剣でしたね?」
ズビネクの残念そうな呟きに、ナタリオは技の名を混ぜつつ応じた。どうやらナタリオは、こちらの武術にも詳しくなったらしい。
まず、オツヴァが素早い切り下げから、更に跳び込んで斜めに切り上げた。しかし華麗に避けたラジュダは、大上段からの一刀で応じる。これらも木刀を振るう右腕だけではなく、空いた左手を大きく振って速さを増している。
もしかすると両家の象徴、エレビアの燕やキルーシの火の鳥は、この羽ばたくような動作から来ているのか。シノブは、そのようなことを考えつつ女性達の闘う様を見つめる。
しかし、シノブの思考は長く続かなかった。
「くっ……参りました」
オツヴァの喉元に、ラジュダの木刀が突きつけられていた。
虎の獣人の王女の武器は、直前に女官長の得物で弾かれ、大きく跳ね上げられた。その隙を女官長は逃さなかったわけだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「第三試合を始めます! エレビア王国、リョマノフ殿下! キルーシ王国、ヴァサーナ殿下! 前に!」
試合場を整えた者達が下がり、審判役の武人が最後の二人の名を叫ぶ。そして左右から王子と王女が進み出る。
リョマノフは気負いのない平静な様子を保っているが、対するヴァサーナは触れたものが切れそうな闘気を放っていた。どうやらヴァサーナは、自身で自流派の勝利を、という思いが強いようだ。
ヴァサーナも、自分の勝敗が流派の優劣に繋がらないことは理解している筈だ。流派の代表というなら最初のラドロメイとテサシュだろうし、女武芸者同士というなら第二戦のオツヴァとラジュダだ。しかし一勝一敗となっただけに、負けられないという思いは強くなったに違いない。
「ヴァサーナ殿……」
「リョマノフ様、後で伺いますわ」
リョマノフは何かを語りかけるが、ヴァサーナは遮る。そして王女は自身の木刀を前に突き出した。
それを見たリョマノフも、同じ姿勢を取る。距離は今までの二試合と同じ、10mほど。しかし高度な強化が可能な者達にとっては、それでも一足一刀の間合いではある。
「始め!」
審判役の叫びと同時に、王子と王女は真っ直ぐ突き進んだ。そして二人は鏡写しのように同時に木刀を振り上げ、相手の頭上を狙う。
だが、双方の木刀は敵手に届かず擦り抜ける。どちらも最後の最後で、僅かに躱したのだ。
「リョマノフ様、それで本気!?」
ヴァサーナは声を荒げ、再び切りかかる。彼女は随分と身軽らしく擦れ違った直後には身を捻り、更に大きく地を蹴っていた。
「小手調べだよ!」
リョマノフはヴァサーナの木刀に自身の得物を叩きつける。そして彼は大きく距離を取ろうとする。
しかしヴァサーナは、一瞬足を留めただけで再びリョマノフを追っていた。そのため剣撃が途切れたのは僅かな間だけだった。
「リョマノフ殿下の方が上ですね」
「ヴァサーナ殿も中々やりますが、年少の女性に後れを取ることはないでしょう」
ナタリオの言葉に、ズビネクは平静な様子で頷いた。
シノブから見ても、リョマノフは随分と余裕があるようだ。先日のオルムルの試しのときに比べると、彼の動きは明らかに大人しい。
もっとも、並の武人なら今のリョマノフでも付いていくことは難しい。まだ十四歳ということを考えれば、ヴァサーナも恐るべき素質の持ち主というべきであろう。
「ば、馬鹿にしないで!」
ヴァサーナも、リョマノフが手加減をしていると察したようだ。彼女は頬を真っ赤に染めているが、それは激しい運動からではないだろう。
「お、良いねえ! もっと本気になれよ!」
リョマノフは、ますます楽しげであった。彼は王子らしい口調を放棄し、悪戯っ子のような笑みを浮かべている。どうやらリョマノフは、素顔のヴァサーナを見たいらしい。
「くぅっ!」
足を止めたヴァサーナは、木刀を左後ろに大きく引く。それは、最初の試合でテサシュが見せた構えと同じであった。
ヴァサーナは前日の宴で、真空斬りのヴァスラフが、と言った。おそらく彼女は、先祖が得意とした技を熱心に練習したのだろう。彼女の構えは随分と堂に入ったものであった。
「ならば……」
リョマノフも、リョムリガという名人が得手とした飛燕剣の構えで応じる。ラドロメイと同じように、両手を広げ刀を頭上に掲げたのだ。
「すまん……」
「……負けましたわ」
結果は初戦と同じであった。リョマノフの一撃で、ヴァサーナの木刀は打ち落とされたのだ。
もっとも違いはある。まだリョマノフはラドロメイほどの域に至っていないのか、あるいはヴァサーナを案じて加減したのか、木刀は斜めに滑って場外へと去っていく。それに微笑み見詰め合う男女の姿は、初戦にはなかったものだ。
「リョマノフ様、先ほどは?」
「エレビアだ、キルーシだなんて、小さなことだってね。昨日は俺も熱くなったけど、もっと凄い人達がいるんだ……世界には」
ヴァサーナに歩み寄ったリョマノフは、中央正面へと顔を向けた。
そこには拍手をするナタリオ達がいる。もっともリョマノフはナタリオの後ろ、つまりシノブを見つめていた。おそらくリョマノフは、オルムルの試しで垣間見たシノブの実力を思い浮かべているのだろう。
「シノブ陛下ですわね。早くお会いしたいですわ」
「……ああ」
ヴァサーナの言葉にリョマノフは僅かだが苦笑を浮かべる。彼女の目の前に、シノブはいるからだ。
「リョマノフ……何だ?」
見つめられて照れたシノブだが、二人の仲が深まったらしいことに喜びを感じてもいた。しかし笑みを浮かべた直後、シノブは胸元で震えるものに気が付く。
それは通信筒であった。シノブは拍手を止め、筒の中から紙片を取り出す。
「ナタリオ、キルーシ王国で反逆だ! ズビネク陛下、ヴァジークという将軍が叛旗を掲げたそうです!」
シノブに届いたのは、マリィからの知らせであった。
キルーシ王国の王都キルーイヴで反乱発生。しかも理由はエレビス王国への弱腰外交だという。アマノ同盟の登場は、新たな交流を生み出すだけではなく新たな火種にもなったのだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年12月27日17時の更新となります。