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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第20章 最後の神
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20.09 王子と王女 中編

 エレビア王国の王都エレビスの人口は一万八千人ほどだから、エウレア地方だと小規模な伯爵領の領都と同程度だ。

 ただしエレビア王国の人口は二十万人を切り、国の規模からすれば妥当な数字である。それに他に二つ存在する都市は更に小さい。

 したがってエレビア王国の人々はエレビスを大都市だと思っているが、訪れた者達は別であった。


「キルーイヴに比べたら四割程度かしら?」


「はい。駐在員からの情報では、そうなっております。次がペルヴェンの一万三千、その次がヤングラトの一万です」


 キルーシ王国の王女ヴァサーナが自国の王都を例に出すと、御簾(みす)の向こうから外務大臣のテサシュが応じた。


 キルーシ王国やエレビア王国では、高貴な女性は奥に控えるものとされている。

 もちろん今回のヴァサーナのように何らかの役に就けば外に出るから、宮殿の最奥に篭もりきりということはない。しかし既婚であれ未婚であれ、一定の年齢に達した女性は家族以外の男性と距離を置く。

 同格や上位の者と語らうときは同じ卓を囲むし、顔を隠したりもしない。しかし相手が臣下などであれば、こうやって距離を置き薄布で仕切りを設けるのが普通であった。


 そのためエレビア王国の迎賓館にも、高貴な女性のための設備として御簾(みす)が用意されていた。

 ただしエレビア王国の隣国は正式な国交の無いキルーシ王国とアゼルフ共和国のみだから、この迎賓館を使ったのは、国内の太守くらいだという。そのためだろう、迎賓館は本宮殿とは別棟として設けられ一応の体裁は保っているが、小規模な印象は否めない。


「駐在員ねぇ……これで少しは楽が出来るのかしら? 立派な武人や官人が商人の真似事など、(つら)いでしょうに」


 まだ十四歳のヴァサーナだが、それでも正使としての自覚はあるのだろう。彼女は潜入中の間者達を思いやったらしく、僅かに声が揺れた。


「今しばらくの辛抱かと。今日の感触だと国交樹立に問題はなさそうです。領海の件は、もう少し揉めると思いますが……。

しかし、大使館や領事館の開設は向こうも前向きです。こちらが置くのはエレビスにペルヴェン、ヤングラト……向こうはキルーイヴにチェルザン、ペレーニウ、オーズィルですね」


 副使のテサシュは幾つかの都市の名を挙げた。

 チェルザンなどは(いず)れも海沿いの都市で、エレビア王国との国境から挙げた順でアマズーン湾沿いに並んでいる。そのためエレビア王国の者が立ち寄ることも多いだろうし、妥当な選択だと言えよう。


 もっとも駐在員が正体を隠さず活動できるのは、もう少し先のことだ。

 両国共に間者を送り込んでいるのは公然の秘密だが、いきなり表に出てくるわけにはいかない。大使館や領事館の設置が許可されてから赴任した、という形式を保つ以上、もう暫く彼らは潜伏を余儀なくされることになる。


 それまで間者達は、従来通り商人などとして情報を収集し本国に送るしかない。ただし王都エレビスについては随分と状況が改善されていた。

 エレビスにいる間者は密かにヴァサーナ達の使節団と接触しているし、使節団はエレビア王国の仕立てた馬車で街道を急ぐことが可能だ。そのため今までとは違ってエレビスから国境まで半日、そこからは自国の早馬を乗り継いで一日、つまり二日もあればキルーイヴまで情報を届けられる。

 おそらく今日の会談の内容も早ければ明日中、遅くても明後日の午前中にはキルーシ国王ガヴリドルの耳に入るだろう。


「大使といえば、ナタリオ様も大使の息子だったとか。そしてシノブ陛下が伯爵という地位にあったころ、そこの領事になったのでしたね」


「はい。ガルゴン王国の駐メリエンヌ王国大使リカルド殿がお父上、そしてフライユ伯爵領に領事として送り込まれた……奥方のアリーチェ殿も同じですな。あちらはカンビーニ王国からですが。

……ヴァサーナ様もアマノ王国の大使に就任されますか?」


 テサシュは、ヴァサーナが大使という職に興味を示したかと思ったらしい。

 御簾(みす)越しということもあり、表情を窺い(づら)いからだろう、彼は頭上の猫耳をピンと立てていた。テサシュは猫の獣人、そしてヴァサーナは豹の獣人なのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……いいえ。私が向こうに行っても、一人では何も出来ないでしょうから。

あの大きな帆船! それに帆も無いのに走る蒸気船! 見せていただいた地図にも驚いたけど、魔力無線も……」


 暫しの沈黙の後、ヴァサーナは嘆き混じりの声を発した。彼女は昼間のことを思い出したらしく、(おもて)に羨望らしき感情を浮かべる。

 キルーシ王国からの使節団は午前中をエレビア王国と国交樹立について語り合い、午後からはアマノ同盟が送り込んだ東域探検船団を見学した。そこで見たことは、大国キルーシ王国という彼らの自負を打ち砕くに充分であったようだ。


 この辺りには存在しない三本マストの巨大な船。船足はキルーシ王国やエレビア王国の軍艦の倍以上。これを見て驚愕しない者はいなかった。

 しかも蒸気船という未知の技術による船まである。そこにドワーフやエルフまで乗り込んでいたのも、キルーシ王国の者達からすれば、驚異的だったようだ。ここアスレア地方でも、両種族は独自の国を造っているからだ。

 更に船団は魔力無線で互いにやり取りし、ヴァサーナも別の船に乗った家臣と会話した。そして最新式の音声伝達可能な魔力無線は、王女に高度な技術力を判りやすく見せ付けたようだ。


「おそらくアマノ王国やメリエンヌ王国は、我が国より五割近く大きいでしょう。その二大国家が極めて親密な関係を築き、更に周囲の五国との関係も非常に良好……。

ペルヴェンやヤングラトの駐在員の報告、王太子や先代国王が司令官として乗り込んでいるという知らせには最初首を傾げましたが、これならと納得しました」


 テサシュは安堵の表情を浮かべていた。どうやら彼は、ヴァサーナをアマノ同盟に送り込むことに反対らしい。


 テサシュは、シノブを同盟国家の王子や先代を手足のように使う強力な指導者と考えたようだ。

 実際ガルゴン王国の王太子カルロス、カンビーニ王国の王太子シルヴェリオ、そして元アルマン王国の国王で現在はアルマン共和国の先代伯爵格となったジェドラーズが東域探検船団に加わっている。したがってテサシュがシノブを別格の統率力を持つ相手として警戒したのも無理はないだろう。


「カルロス殿下、シルヴェリオ殿下、ジェドラーズ殿ともお会いしたいですね。我が国が占めるべき位置を確かめるためにも……」


 残念ながら、テサシュの願いが近日中に(かな)うことはなさそうだ。

 カルロスとジェドラーズはペルヴェンで西との航路整備、シルヴェリオはヤングラトでエレビスに回り込む拠点作りをしている。

 既に長距離用の魔力無線はエレビスを含む三都市に届けられたから、無線越しにやり取りは可能である。しかしキルーシ王国の者達は存在こそ知ったものの、実物を見ることはなかった。

 アマノ同盟はナタリオやソニア、マリィをエレビスに送り込んでいるから、キルーシ王国の者が何かを問うにしても彼らで充分答えられる。そして他の者達も紹介してくれと言えるほど、親密な仲になったわけではない。

 したがってテサシュ達がアマノ同盟の他国と接点を作るのは、まだ先のことになるだろう。


「占める場所なんて、あるのかしら?」


「姫様、何も近くに行くことは無いのです」


 溜め息混じりのヴァサーナに、側に立つ猫の獣人の女性が柔らかな声音(こわね)で語り掛ける。彼女はヴァサーナの女官長、ラジュダである。


「あのナタリオ様も、アマノ王国では最東端の領地だそうです。しかし遠方でも、故国で培った航海術で活躍されています。

それに他の三国も、山がちなアマノ王国に代わって船団を出しているのでしょう。どの国もアマノ王国やメリエンヌ王国に比べたら小さな国ですが、得手を活かして独自の地位を築いているのですよ」


「流石は『キルーシの知恵袋』宰相ラデラフ殿の姪御、ラジュダ様。お言葉の通り、懐に飛び込むだけが策ではありません。

……このエレビア王国が良い例です。航路の要衝として、他には無い役を担う。これが今後のエレビア王国でしょう」


 ラジュダの言葉に、テサシュは膝を打って頷いた。どうやら、この二人はアマノ同盟と上手く付き合う方法が見えているらしい。


「エレビア王国が海の窓口になるなら、私達は陸の窓口になれば良いのです。我が国から北に進めば西メーリャ王国、その先は東メーリャ王国やスキュタール王国。西に行けばテュラーク王国です」


 ラジュダは三十過ぎという年齢に相応しい落ち着いた声で語り出す。

 キルーシ王国の北にはドワーフ達の西メーリャ王国がある。そこから東に進むと北の海岸沿いが同じくドワーフの東メーリャ王国で、内陸側が騎馬民族のスキュタール王国だ。

 またキルーシ王国の西隣は、王家や太守などが婚姻関係を結んでもいるテュラーク王国である。こちらも騎馬民族系で文化は多少違うが、逆に言えば異文化からの珍しい品を得ることが可能だ。


「海路でアゼルフ共和国、アルバン王国、タジース王国と進むにしても、内陸を完全に放置することはないでしょう。実際、蒸気船で会ったドワーフの技師は、メーリャの二国に興味を示していました」


 テサシュが言うように、南のアスレア海に面しているのは残り三国だ。そちらは当然、海洋交易が中心となるだろうが、陸上にもアマノ同盟の興味を惹く国はある。


 ドワーフ達は東の同族と会ってみたいし、腕比べをしてみたいと口にした。それに他の者も、キルーシの使節団が見せた大柄な馬には強い関心を示した。

 キルーシの使節団は船でやってきたが、今後のこともあるから別に陸から馬を回していた。それらは西のテュラーク王国から得た大柄な良馬である。

 このように、キルーシ王国もアマノ同盟との交渉材料を持ってはいるのだ。


「もっとも、ゆっくりは出来ません。

お伝えしたようにヤングラトでは、シルヴェリオ殿下がアゼルフ共和国と接触しました。獅子の獣人のシルヴェリオ殿下はヤングラトに残るそうですが、同行していたエルフ達はアゼルフに旅立ったと……しかもアマノ同盟は空飛ぶ船や巨大な動く像など多くの技を示し、竜に加え光翔虎という聖獣が姿を現したとか」


 テサシュの表情は、一転して厳しいものとなっていた。

 ヤングラトからエレビスまでは130km弱で、商人に扮した間者でも夜も含めて急げば一日でエレビスに到着できる。そのためヴァサーナ達は、ヤングラトに飛行船や巨大木人が現れたことを先ほど知った。

 残念ながらと言うべきか、キルーシ王国の間者は遠方から眺めるだけだった。したがって間者達はシノブが現れたことまでは(つか)んでいない。

 とはいえ竜や光翔虎の来訪に、巨大木人の登場だ。そのため間者達は、大急ぎでエレビスに第一報を届けていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……ルバーシュの件、後日に延ばしたのは不味(まず)かったかしら? 歌くらいしか知らないから、時間稼ぎしたかったのだけど」


 ヴァサーナがリョマノフの問いに答えなかった理由は、これであった。

 『大商人ルバーシュの七つの冒険』として残る逸話は、ヴァサーナも幼少時に母のユリーヴァが歌ってくれたから知っていた。しかし、それ以外について彼女は詳しくなかったのだ。

 もっともルバーシュという人物が没したのは、四百五十年近く前だという。しかも彼は現在のアルバン王国に当たる地の人物だ。ユリーヴァはアルバン王国の出身だから別だが、キルーシ王国の全員が知っているようなものではない。

 ルバーシュの歌には現在のキルーシ王国に当たる地のことが含まれていたから、ユリーヴァは娘に教えたのだろう。しかしユリーヴァは、故国に伝わる歌という以上の知識は持っていなかったのだ。


「アゼルフ共和国が先に……」


 ヴァサーナは先延ばしで自国とエレビア王国の国交樹立が遅れ、その間にアマノ同盟がアゼルフ共和国へと進むのでは、と思ったらしい。

 朝の会談の時点で、ヴァサーナ達はヤングラトのことまで知らなかった。そのため彼女は、少しくらい回答を遅らせても影響しないと考えていたのだろう。


「いえ、賢明な御判断でした。リョマノフ殿下に好印象を持っていただくには、ヴァサーナ様からが望ましいのです。

それと理由は不明ですが、どうもアマノ同盟は大商人ルバーシュについて気にしているようです。少なくともナタリオ殿の表情は動きました。ソニア殿とマリィ殿は、正直なところ良く判りませんが……ともかく、いい加減なことは言えません」


 テサシュは、アマノ同盟がルバーシュ伝説に興味を(いだ)いていると察していた。そのため彼は、適当な返答をしなくて良かったと考えているようだ。


「あのお二人ね……ソニア殿って、どこかラジュダに似ているような気がするわ。賢くて、全てを見通すような……。

マリィ殿も凄い神官だって……神童っていうの? 最初はどうして子供が同席するのかしらって思ったけど……」


 ヴァサーナの言葉に、テサシュとラジュダの双方とも答えなかった。どうやら二人ともソニアやマリィの正体を(つか)みかねているらしい。


 ちなみにソニアとマリィは、東域探検船団の相談役だと名乗った。ただし二十歳(はたち)のソニアはともかく十歳程度にしか見えないマリィについて、どう捉えるべきかヴァサーナ達も大いに悩んだようだ。

 しかし二人に対しナタリオ達も丁寧な言葉遣いをするし、エレビア王家の者達も同様に厚く遇している。そのためキルーシ王国側も、彼女達を特別な力の持ち主なのだと受け止めることにしたのだろう。


「幸いルバーシュについては、私も少々存じております。ですから大まかなことであれば(しの)げるでしょう」


「ラジュダ、ありがとう」


 知恵袋と呼ばれる宰相の一族だけあって、ラジュダは故事にも通じているようだ。おそらくヴァサーナも、それを知っているから先延ばしに出たのだろう。

 王女の顔には頼れる女官長への厚い信頼が浮かんでいる。


「……でも、リョマノフ様って剣術や船がお好きではなかったの?

私もキルーシ一刀流を習ったから武術なら話が出来るし、船は航海の間で多少は学んだわ。だから、そっちなら良かったのに……」


 安堵したためだろう、ヴァサーナには不満を言う余裕が出来たらしい。事前の想定とリョマノフが関心を示したものが違うと、彼女は頬を膨らませつつ主張した。


「そうですな。男からすれば、相手が詳しくなくても良いのです。美女が自分の話を聞いて褒めてくれたら、大抵は喜ぶものですよ。

ヴァサーナ様なら剣術談義で意気投合できるし、航海は教わりたいと言えば問題ない。こう思っていたのですがね……。

やはり、リョマノフ殿下もアマノ同盟に便宜を図ろうとしているのでは? リョマノフ殿下とナタリオ様は、まるで兄弟のように親しげでしたから」


「私も、そう思います。アマノ同盟……特にアマノ王国は、大砂漠を真っ直ぐ越えたいのかもしれません。

空を飛ぶ術があるにも関わらず船で来るのですから、何か問題があるのでしょう。一度に飛べる距離か費用か、それは判りませんが……」


 外務大臣と女官長という要職に就いているだけあって、二人は良い線を突いていた。実際リョマノフはシノブからの依頼を果たそうとしているし、飛行船に制限が多いのも事実である。


「判ったわ、ともかく出来ることをしましょう! ラジュダ、ルバーシュの伝説を教えてちょうだい!」


「はい……」


 ヴァサーナの(めい)に早速ラジュダは応えていく。

 最初はエレビア王国やリョマノフを軽んじていたヴァサーナだが、今は国のためリョマノフに嫁ぐことに異存はないようだ。おそらくアマノ同盟の実力を目の当たりにし、そこと親密になったエレビア王国の将来性を強く感じたからだろう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「へ~っくしょい! ちきしょうめ~!」


 若き獅子の獣人リョマノフは、唐突に大きなくしゃみをした。

 ここはエレビア王国の奥宮殿の一室、リョマノフの部屋だ。時刻は夜、ヴァサーナ達の語らいと同じころである。


「ヴァサーナ王女が噂したのかな? どうだい、彼女は?」


 リョマノフの部屋には客人がいた。一つ年上の虎の獣人、東域探検船団の総司令官ナタリオだ。

 身分はリョマノフが王子でナタリオが伯爵と少し違うが、歳が近いこともあり二人は親しい友人となっていた。リョマノフは第二王子で、本人も堅苦しいことを嫌っていたからだろう。

 それに双方とも海や船、そして武術を好むなど共通点が多いのも、早々と距離を縮めた原因に違いない。ここ数日の二人は、毎日のように就寝前の一時を共にしている。


「良いんじゃないか? そりゃあ向こうも色々思惑があるだろうが、こっちだって同じさ。それに頑張って話を合わせてくるなんて、可愛いじゃないか」


 意外というべきか、リョマノフはヴァサーナを嫌っていないようだ。もっとも王子として生きる以上、彼には選択肢など無いのだろう。ならば、悪い点より良い点を見ていく方が建設的に違いない。


「確かに。ルバーシュの件など、予想もしていなかっただろうに……ともかく美人だし、頭も悪くなさそうだ。愛情は育てられるが、容姿や頭の出来は変わらないだろうからね」


 ナタリオは、意外にも現実的な見方を示した。彼も代々外交官の子爵家に生まれただけあって、貴族らしい視点も充分備えているのだろう。

 アリーチェとは恋愛が先に立ったようだが、それも同格で互いに大使の子供という前提があるからだと思われる。もし彼が好みだけで結婚相手を選ぶなら、親が決めた婚約者、五歳のロカレナをそのままにしておかない筈だ。


「ああ。彼女が……というか国が望むものかな? それを(かな)えている間は大丈夫だろう。だったら簡単なことさ。俺がアマノ同盟との橋渡しをして、エレビア王国とキルーシ王国を富ませたら良いだけ……元々そのつもりだから、面倒事が増えたわけじゃない」


 リョマノフは、薄く酒を入れた盃を口元に運ぶ。

 柑橘類のジュースに蒸留酒を僅かに加えた程度だから、酔うほどではない。そのためナタリオも同じものを飲んでいた。

 ナタリオが十七歳になったばかりでリョマノフは十六歳だが、エウレア地方やアスレア地方では十五歳で成人として扱われる。そのため、どちらの法に照らしても彼らの飲酒が(とが)められることはない。

 むしろ王族や貴族だと、成人後は適量の飲酒を勧めてすらいた。これは(うたげ)などで酒を味わうことが多いからのようだ。確かにナタリオのような外交官の家系だと、下戸(げこ)というわけにもいかないだろう。


「同じ目的があるのは、良いことだよ。俺とアリーチェも、陛下との縁を作る同志ってところから始まったようなものだし」


 ナタリオは僅かに頬を染めていた。彼は自身の照れを隠そうとしたのか、酒盃を一気に干す。

 まだ結婚から三ヶ月も経っていないナタリオだが、航海に出てから既に三週間である。妻に会いたいという気持ちも強いのだろう。


「アリーチェ殿ともお会いしたいねぇ……写真というものだけじゃなくて」


「見せるんじゃなかった……」


 からかうような笑みを浮かべたリョマノフの言葉に、ナタリオは一層頬を染めていた。

 写真の魔道具の完成は、東域探検船団の出港後だ。しかしシノブはアリーチェなどの写真を撮り、それぞれに届けていた。シノブ達には通信筒があるから、小さいものなら送ることが可能なのだ。


「会いたいんだろ?」


 リョマノフの顔が、少し真面目なものとなる。

 今、アリーチェの写真はナタリオの懐中時計に飾られている。彼の懐中時計は(ふた)の裏に絵を収められるようになっていた。そしてリョマノフは、写真に見入っているナタリオを目にしたわけだ。

 どうやらリョマノフは、もう少しナタリオにいてほしいようだ。しかし相手が結婚してから幾らもしないことにも同情したらしい。若き王子の顔には、相反する思いが滲んでいた。


「通信筒でやり取りしているから」


 シノブは各伯爵に通信筒を渡しているが、イーゼンデック伯爵領はナタリオが長期不在となったからアリーチェにも渡したのだ。

 とはいえナタリオが寂しいのは事実なのだろう。彼はアリーチェの写真をじっと見つめていたのだから。


「ただ、陛下は切りの良いところで入れ替えを考えていらっしゃるようだ……そうだ、ルバーシュの話だけど、陛下は同席を希望されている。魔道具で変装して密かに聞くだけにされるそうだが、良いかな?」


 ナタリオは明日以降の予定へと話を転じた。どうやら彼は、妻のことを訊かれるのが気恥ずかしかったらしい。


「もちろんさ! これは楽しくなってきたな!」


 よほど嬉しいのか、リョマノフは弾かれたように長椅子から立ち上がっていた。

 リョマノフがシノブと会ったのは半月と少々前の僅かな時間だけだ。そのため彼はシノブとの再会を強く望んでいたのだろう。


「後は姉上が……」


「その……オツヴァ殿は……」


 リョマノフの呟きを聞いたナタリオは、言い難そうな様子で訊ねた。彼も十八歳になる王女が未婚なのは疑問に思っていたようだ。


「自分より何段も強い男じゃないとってね……シノブ殿は……」


「そこまでだ。陛下に会いたいなら」


 ナタリオはリョマノフの言葉を留めた。確かに、下手な婚姻政策はシノブを遠ざける原因となるだろう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 翌日の晩餐会は、迎賓館で行われることになった。持て成されているばかりでは、とキルーシ王国が連れて来た料理人による晩餐を提案したのだ。

 これはエレビア王国側も予想していた。大国としての意識が強いキルーシ王国だ。一方的に世話されているだけで良しとしないに違いない。

 幸い両国の料理に大きな違いはないし、食材も共通している。キルーシ王国の王都キルーイヴはエレビア王国の北端と同緯度で、南端もキルーシ王国の方が南だ。そのためエレビア王国で手に入る食材は、キルーシ王国でも一般的なものであった。

 そもそも、両国の王家は元々同じ家である。およそ五百五十年前まで存在したヴァルーシ王国の最後の王太子がエレビア家、その弟がキルーシ家の祖だ。そして二百年ほど前、この半島にエレビア家は渡ってきた。したがって王家の伝統料理は、むしろキルーシ料理に近いものだったのだ。


 この晩餐会でルバーシュの話をしてくれるというから、シノブとアミィは夕方遅くにエレビスに移動した。こちらにはマリィがいるから、魔法の家を呼び寄せてもらったのだ。

 マリィは猫の獣人に姿を変えているから、シノブとアミィも同じく猫の獣人とした。もちろん、そのままの名前で通すわけにはいかないから、シノブはシノリーノでアミィはアーミアとしている。


「ご存知の通りガザール王国が成立したのは創世暦496年、人族の商人ルバーシュが当家の先祖と会ったのは創世暦500年ごろだったと言います」


 ヴァサーナは良く通る声で揃った客に語り出す。聴衆はエレビア王国の王族やナタリオなど東域探検船団の者達だ。


 エレビアの王族は晩餐会ということもあり、先王、国王、王子達の三世代が女性達も含めて集まった。

 先日シノブ達が来たときは病で避暑に行っていた先王も、アマノ同盟が寄贈した治療の魔道装置で回復したから王宮に戻っていた。そのため先王妃達や王太子シターシュの妻カルヴァも聞き手となっている。

 東域探検船団はナタリオにソニア、マリィが最前列、その後ろに内政官のアレクベール、フォルクレヒト、マイドーモなど、シノブとアミィは更に後ろだ。シノブ達は思念が使えるから、話を聞くことさえ出来れば質問したいことはマリィに伝えれば良いだけである。そのため目立たない場所を選んだのだ。


「まだルバーシュは二十歳(はたち)かそこらだったとか。ガザール王国の中央、現在のキルーイヴ辺りで荒稼ぎと思ったようですが、一年もしないうちに西に移ったそうです。歌の通り、文無しになって逃げ出したようですわ。

ほっそりとした美しい青年で、そのようなことをする人物に見えなかったそうですが」


 ヴァサーナによれば、ルバーシュは再起をかけての大冒険に出るためキルーシ家を頼ったそうだ。

 当時のキルーシ家はヴォースチの太守だった。ヴォースチとは、シノブ達が地下遺跡を発見した砂漠に隣接した西の都市だ。今まで縁の無い辺境に逃げ込むくらいだから、ルバーシュは借金を踏み倒してきたのかもしれない。

 それはともかくルバーシュは中央で何らかの伝承を耳にして、それに従って砂漠を目指したようだ。その伝承は一定の信憑性のあるものだったのだろう、キルーシ家の当主はラクダの一隊を整えるだけの資金を彼に与えたそうだ。

 そして一ヶ月ほどして、ルバーシュは大量の宝石を得て帰ってきたという。


「案内役は付けたのですか?」


「ラクダはメジェネ族から得たのだと思います。案内も彼らではないかと……ただ、ルバーシュは一人で戻ってきたそうです」


 ナタリオの問いに、ヴァサーナは小首を傾げながら答えた。どうも、彼女自身この部分には疑問を(いだ)いているようだ。

 一ヶ月もの砂漠の旅だ。到底一人で出来るとは思えない。それに戻ってきたときは、全てのラクダに宝石を詰めた袋を満載していたという。

 メジェネ族とは現在も大砂漠にいる少数民族で、ヴォースチに最も近いオアシスに住んでいる。したがってルバーシュが彼らの先導で大砂漠に入ったというのは頷ける。

 しかし、それだけの宝を得て一人で帰ったというのは、独り占めをしたからではないだろうか。誰もが同じことを考えたのだろう、一瞬沈黙が訪れる。


「ルバーシュはエルフだった……そんなことはありませんか? あるいは何か魔道具を持っていたとか……最初から一人で砂漠に行ったかもしれませんわ」


 マリィの問いは、シノブの指示によるものだ。

 人間離れした冒険は、エルフの大魔力で成したのでは。あるいはヴォースチの地下遺跡で何かを得たのではないか。シノブは、そう考えたのだ。


「綺麗な金髪だったそうですが、耳が長ければ気が付くと思いますわ。ただ、魔道具までは……それに何人で出発したという記録もありません」


 ヴァサーナは両脇の外務大臣や女官長と二言三言交わしてから答えた。どうも彼女は、出発時の人数まで把握していなかったようだ。


 その後も幾つかの問いがあり、ヴァサーナ達は答えていく。

 これらについてエレビア王国の者達は知らなかったらしい。ヴァサーナは口を濁したが、どうやら後にキルーシ家が躍進したのは、このときの宝を資金としたからのようだ。

 つまりキルーシ家は、ルバーシュから莫大な分け前を得たわけだ。もちろん、それは当初の決め事通りだとヴァサーナは言うし、実際そうなのだろう。少なくとも故国に戻ったルバーシュがキルーシ家を悪く言ったという言い伝えはない。


──宝石ってことは、玄王亀にでも会ったのかな?──


──そうかもしれませんね。ヴォースチから一ヶ月で往復できるところに何かある……これは間違いないようです。そうなると大砂漠の東半分……それに南端や北端でもないでしょう──


 シノブとアミィは、密かに思念を交わす。今までは大砂漠を当ても無く探っていたが、これで少しは範囲が絞れた。そのためシノブの顔に僅かな笑みが浮かぶ。

 帰ったら、ケリスやパーラに聞いてみようか。シノブは王都アマノシュタットで待っている玄王亀の子と彼女の母を思い浮かべた。もしかすると、ケリスに友達を紹介できるかもしれない。その思いは、シノブの心に大きな喜びを与えてくれた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年12月25日17時の更新となります。


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