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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第20章 最後の神
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20.07 祭の準備 後編

 エウレア地方の集落は、王都であろうが村であろうが周囲に壁や柵が存在する。

 都市は必ず高い城壁を備えており、王都や領都と呼ばれるものだと高さ10mの防壁も珍しくはない。町も多少低いが立派な石造りの壁はあるし、村も丸太の防柵で囲まれている。


 壁や柵が欠かせないのは、地球と違って魔獣がいるからだ。

 もちろん現在では、都市や町の周囲に魔獣が迷い込んでくることは殆どない。しかし険しい山間や森の近くでは、魔獣の駆除が追いつかない場所も多い。

 それに身体強化が可能だから、百人に一人くらいは人の背ほどの柵を軽々と飛び越す。こうなると侵入を防ぐには、身長の倍や三倍の高さの障害を置くしかない。

 結果的に大規模な城壁や環濠が生まれ、集落への入り口も数箇所に制限される。そして先を急ぐ者のため、囲いの外には迂回路が用意されるのが常だ。


 そのようなわけで王都アマノシュタットを出たシノブ達が目にしたものは、城壁に沿って作られた迂回用の大道であった。150km近く北の都市アルデニッツに向かう道、城門から真っ直ぐ伸びるアルデニッツ街道も、北城門を出てすぐに東西からの道と交わり十字路となっていたのだ。

 迂回路といっても王都を囲む道だから幅広い。魔法の馬車が進む本街道と同じで五台や六台は悠々とすれ違えるだけの車道に加え、立派な歩道まで存在する。

 もっとも、それらは大小を別にすれば普通に目にする光景だ。しかしアルデニッツ街道には、他にも目を惹くものがあった。


「水量も充分だね」


 シノブは馬車の左側で輝く水を眺めながら呟いた。視線の先にあるのは、アルデニッツ街道と併走する太い水路だ。

 アマノシュタットには、北から人工の水路で水を引き込んでいる。これは更に北を西から東へと流れる大河からの流れだ。

 王都の生活を支えるだけあって、掘割の広さは並行する街道にも劣らない。これが城門の脇を(くぐ)って王都に入っていく。

 ちなみに水路にも魔獣避けがあり、城壁の下を含め途中には頑丈な鉄柵が幾つも設けられ、要所には大物が通過できないように多くの障害物を置いている。この辺りは地球の水利と大きく異なる点であった。


「はい。アマノ川も堰を開放したままですが、困ることはないようです」


 ミュリエルの返答に、シノブは苦笑気味の表情となった。もちろんシノブが笑いを(こぼ)した原因は、少女の様子や川の状況ではなく川の名前自体である。


 アマノ川は、元々ベーリンゲン川と呼ばれていた。

 国の最西端メグレンブルク伯爵領が最源流で、そこから東端の一つイーゼンデック伯爵領の河口まで1600kmを超える。要するにアマノ王国を東西に横断する大河で、支流も含めたら王領どころか全ての伯爵領が流域である。そこで今は無きベーリンゲン帝国も国名を冠したわけだ。

 しかしベーリンゲンは異神バアルに由来する名で、当然ながら改名となった。ちなみに王都の東にあるアマノ湖も元はベーリングラード湖、かつての帝都を元にしていたから同じく名を変えた。


 あまり自身の名や姓を付けるのを好まないシノブだが、この改名には素直に首を縦に振った。変える理由も充分あるし、名前自体にも惹かれるものがあったからだ。

 そのため国一番の河川と王都の至近の湖には、満場一致でアマノの名が与えられた。


「北のノード山脈に南のズード山脈、どちらも雪解け水が豊富ですね」


 アミィは国の南北に(そび)える大山脈の名を挙げた。どちらも標高4000mを超える高山が連なっているし、高緯度帯に位置するから万年雪もある。そのため年間を通して河川の水量は充分であった。


 王領の場合、まずはアマノ川だ。西から真っ直ぐ王都に伸びるゴドヴィング街道の少し北を、アマノ川は東に流れていく。そこに王都から100kmほど西の都市ロイクテン近郊で、北西からのバーレンベルク川が合流して水量を増す。

 シノブ達がいる場所から少し北でアルデニッツ川も加わり、王都東のドラースマルク街道と交差し南側に移る。そして街道を越えたらアマノ湖だ。このアマノ湖にはオオマスなど食用となる魚も多く、シノブも大いに感謝していた。

 更にアマノ湖には別の支流も流れ込んでくる。王領の南西からのブジェミスル川と、その支流であるヴァイムラーケ川だ。ちなみに名前はバーレンベルクと同じ伯爵領の一つブジェミスルと、王領の南の都市ヴァイムラーケから取っている。


「メリエもベルレアンからのレーヌ川で大きくなったと聞いていますわ」


 セレスティーヌは、自身の生まれ育ったメリエンヌ王国の王都を挙げた。

 レーヌ川とはベルレアン伯爵領の北に(そび)えるリソルピレン山脈が源流だ。そしてシノブやアミィが過ごしたピエの森を通り、メリエンヌ王領の南のシュドメル海へと流れていく。


「ああ。シェロノワもエスト川があるからだし……」


 シノブもフライユ伯爵領を思い浮かべた。エスト川とはメリエンヌ王国の東部を流れ、エリュアール伯爵領を経由してエメール海へと注ぐ大河だ。


「ともかく、これだけ水があれば街も問題ない。それに農家も助かるだろうね」


 シノブは王都に引き込まれる水路を再び見つめる。

 多くの河川が集まっているから王都では九万を超える人々が生活できるし、更に近隣の町や農村も潤っている。それは、ここまでの道筋でも明らかであった。

 北城門の外には、農作物を売る多くの露天商があった。城門から先の暫くは、大勢の農民らしき者が自慢の作物を並べていたのだ。


「随分と豊作なようですね。ありがたいことです」


 先ほどまで、シャルロットは露天商に目を向けていた。

 街に入ってしまえば多数の店がある。そのため彼らは、門外で客を捕まえるつもりのようだ。

 東西の大街道と違い、北にある都市はアルデニッツだけだ。そのため東城門や西城門、ブジェミスル街道も合流する南城門に比べれば露天商も少ないという。

 しかし王領の人口は七十万人を超える。そして王都を除くと都市は六つだから、アルデニッツ方面にも十万人近くが住んでいるだろう。それだけの者が王都の出入りに合わせて金を落とせば、大きな収入になるに違いない。


 露天の(むしろ)の上には、カブやジャガイモ、ニンジンなど日持ちしそうなものが多く並んでいた。また一部にはソーセージや干し肉、干物や燻製らしき魚もあった。

 それらの品揃えからすると、保存できる作物の方が売れるようだ。道中を馬車での寝起き、つまり野営で済ませる者達が出立時に買っていくのだろう。

 もっとも魔法の馬車が通る間、彼らは売り買いを中断していた。マリエッタやエマなど先導の騎士達は商売の邪魔をしなかったが、露天商と旅人の双方が王家の馬車に注目していたからだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブ達が向かっている軍の大演習場は、アマノ川より南である。

 王都アマノシュタットの付近で、アマノ川はゴドヴィング街道から少し離れる。川自体は殆ど真っ直ぐ東に流れるが、街道が僅かに南下しているからだ。


 王都の北西は大きく空いていた。おそらく大演習場が現在の位置になったのは、そのためだろう。

 北東には都市グーベルデンへの道があるし、南東にはアマノ湖がある。南西は広く空いているが、その代わりに町村が多かった。

 また北西は野戦訓練に向いていたらしい。険しい山地や大河から引き込んだ支流と変化に飛んだ地形がある上に、軍の総揃えも出来る広い平地もあるからだろう。

 ちなみにシノブ達の目的地は後者である。そこで来月に予定されている国際大会の設備が建設中で、視察をするからだ。


 帝国時代は大演習場で皇帝が閲兵をすることもあったし、それらには高位の貴族も随伴した。しかし他国と交流がないから招待客などいないし、民を招くわけでもない。そのため大演習場にある閲兵場の観戦席は、他国に比べると随分と小さかった。

 これでは国際大会など出来はしない。国内予選の時は仮設の壇を設けて何とかしたが、更に増設をと多くの者が張り切っている。


「幸い、第二期の街道敷設も終わりました。各領に散った工兵を呼び戻したので、充分に間に合います」


 一行を出迎えたマティアスは、自信満々といった表情であった。

 つい先日、第二期の街道建設も一段落した。そのため今は、軍の工兵や街の大工などが開催日に向けて突貫工事を進めている。

 もっとも軍務卿であるマティアスが直々に現場を監督しているのだ。それだけ厳しい日程なのだろう、彼の後ろでは士官達が僅かに苦笑を浮かべていた。


「これで隣接する伯爵領の全てが繋がりましたね」


「冬になる前に完了して良かったよ」


 シャルロットとシノブも笑みを浮かべる。

 帝国時代、ここには中央に向けての道しか存在しなかった。これは代々の皇帝が伯爵同士の結託を恐れたからだという。


「河川工事は来春に回します。ただ、暖かいイーゼンデックは作業を続けますが」


 マティアスは、寄り添い歩くシノブ達を微笑みで見守っていた。

 シノブがシャルロットの腕を取り、ミュリエルとセレスティーヌが二人の前を歩む。更にアミィが、小さな玄王亀ケリスを抱えて続いている。そしてマリエッタやエマ達の護衛騎士、侍女のアンナやリゼットなど多くの者がシノブ達を囲んでいる。

 これだけ厳重だとマティアスも安心できるようだ。


 それに競技場までは僅かであった。

 正確に言うとシノブ達は既に競技場へと入っていた。ロイヤルボックスと呼ぶべき高段まで緩やかな斜面が作られ、そこを魔法の馬車は登っていたのだ。

 これは他国でも同じである。妊婦だけではなく老齢の貴人を招くこともあるから、貴賓席は至れり尽くせりとなるようだ。

 しかも寒冷なアマノ王国だけあって、貴賓席は室内となっていた。前面の大窓は開放できるから素通しでの観戦も可能だが、今は閉じられている。


「……随分と厳重になったね」


 案内された席に着いたシノブは、目の前のものに苦笑した。隣のシャルロットも夫と同じことを考えたらしく、口には出さないが僅かな笑みを浮かべている。


「サッカーは球がどこに飛ぶか判りませんから」


 マティアスは生真面目な顔で応じる。

 彼らが見つめる先には、特殊な鋼鉄を用いたネットがあった。それも貴賓席の前だけではなく、観客席の全てを覆うようにである。

 しかも貴賓席の窓ガラスにも鋼鉄のワイヤーが入っている。そのためシノブは少しばかり興醒めだと感じてしまう。


「国内予選のときは、(こぼ)れ球が貴賓席に飛び込みそうになりました。幸い、魔力障壁で防いでいただきましたが……」


「いつも魔力障壁を張るのもどうかと思います……私達がいなくても試合をできるようにしなくては」


 マティアスに同意したのはアミィであった。

 数日前の予選では、シノブが念の為に魔力障壁を張って観戦した。この世界の人々、しかも大幅な身体強化が出来る選手達が蹴る球である。もし観客席に球が飛び込んできたら、大惨事となりかねない。


「少し見づらいですが、このくらいは必要でしょう」


 シャルロットは問題ないと示すように頷いた。彼女はマティアス達の気配りに応えるべきだと思ったのだろう。


「ありがとうございます。では、早速……」


 マティアスは競技場の中央へと視線を向けた。そこには『アマノ式魔力操作法』による鍛錬で体を(ほぐ)す選手達がいる。


──う~ん……これからサッカーをしようという感じじゃないよね──


 シノブは、まるで空手や拳法のような動作をする選手達を見ながら思念を発した。もちろん、届ける相手はアミィである。


 競技場には、地球のサッカーコートと同様の線が引かれている。ただし芝は植えていなかった。身体強化をした選手達が走り回ると、あっという間に芝が荒れてしまうからだ。

 その中では三十名ほどの選手が一糸乱れぬ動きを披露している。彼らはアマノ王国軍の軍人だから、準備運動も普段の訓練で親しんでいるものを採用したらしい。

 なお、彼らは練習試合をするため二つのチームに分かれてはいる。しかし元々同じ王領軍に所属しているし普段は同じチームだ。そのため事前の準備は合同でしているのだろう。


──アマノ八式ですね……随分と訓練をしたようです──


 アミィは困ったような響きの思念を返した。彼女の目の前では選手達が揃って半身(はんみ)で中段突きを繰り出し、そこから連続しての左右上段蹴りへと移っていた。

 連蹴りはともかく、最初の中段突きはサッカーと関係がないだろう。揃った動きは美しいし、準備運動だから手を使おうが構わないとはいえ、少々場違いではある。


「アンナさん、ハーゲン将軍がいますよ」


「そ、そうですね……」


 シノブ達の後ろでは、侍女のアンナとリゼットが(ささや)きを交わしていた。

 狼の獣人ハーゲン男爵ヘリベルトは、アンナの婚約者である。彼は帝都決戦など多くの戦いで活躍した、アンナの叔父であるゴドヴィング伯爵アルノーが特に信頼する若手軍人である。

 他にも同じく将軍のオットーやクラウス、ディルクなどもグラウンドにいる。どうやらマティアスは、シノブ達の視察ということもあり、本戦同様の陣容としたらしい。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「あ、あれは聖獣シュート! 流石は北の狼じゃ!」


「弾いた!」


 歓声を上げたのは、護衛騎士のマリエッタとエマだ。

 フォワードのヘリベルトが、石の壁でも穴が空きそうな猛烈なシュートを放った。しかも最初は低空を突き進み、そこからゴール前で急激にホップするというものだ。おそらくは、かなり強烈な回転が掛かっているのだろう。

 しかし相手チームのゴールキーパー熊の獣人オットーは、ヘリベルトのシュートを(から)くもパンチで弾き飛ばす。


 身体強化を駆使する選手達だけに、使うボールも地球と同じではない。彼らが本気を出せば普通の球など一蹴りで破裂してしまうから、特製のミスリル繊維を編みこんだ品を使っている。

 ドワーフの名工とメリエンヌ学園研究所の苦心の作。この傑作があるから試合が可能となるのだ。


「ディルクの空走りですか……確かに走っているように見えますね」


 シャルロットの見つめる先では、狼の獣人ディルクが宙を駆けている。

 もちろんディルクに翼などないし、魔術を使っているわけでもない。彼は普通に跳躍を披露しただけだ。もっとも人の背の数倍の高みまで舞い上がり更に30m以上も前に進んだのを、普通にと表現して良いのであればだが。

 ディルクは、宙に浮いた(こぼ)れ球をゴールに押し込もうとしたらしい。しかしオットーの側のディフェンダーも同じく空へと舞っていた。


「クリアですわね……」


「どちらも無事で良かったです」


 セレスティーヌとミュリエルが溜め息のような声を()らす。

 先にボールに到達したのはディフェンダーで、彼はヘディングで大きく外にクリアした。そして彼は直後にディルクと交錯したが、ディルクはディフェンダーの肩に手を当て衝突を回避する。

 しかも二人ともグラウンドに自身の足で降り立つ。このように強化された身体能力に相応しい反応速度があるから、選手が怪我を負うことは少ない。

 それに怪我をしても優秀な治癒術士が何名も控えているから、派手な試合内容でも後に影響が残るようなこともない。そのため武術と同様に、身体強化ありでの競技が可能となっていた。


 だが、観客は選手のようにいかない。今回クリアしたボールは、大きな弧を描いて観客席を守る金属製のネットに当たった。しかし仮にヘリベルトのシュートが飛び込んだら、躱せる者はどれだけいるだろうか。


「スローインはアントゥスか……彼はどうかな?」


 シノブは脇に立つマティアスへと訊ねる。

 ボールをゴール前に向けて投げ込んだ人族の若者は、リンハルトの知人でアマノ王国の建国後に入隊した一人だ。そのためシノブは、彼の勤務振りを直接目にしたことがなかった。


「ええ、良い若者です。剣は筋が……おっ、今度はキャッチしましたな!」


 どうもマティアスは試合内容の方が気になるらしい。彼はアントゥスについて説明しかけたが、途中で言葉を途切れさせる。

 アントゥスが上げた球を、跳躍した選手達の中から抜け出したヘリベルトがヘディングで押し込んだ。しかしオットーは、見事なキャッチングでゴールを守りきった。


「ゴールが見えたら……打つ!」


 オットーの側のフォワード、虎の獣人のマニエロが地を這うような低い弾道のロングシュートを放つ。もちろんゴール自体はどこからでも見えるが、彼はシュートコースが見えたと言いたいのだろう。


──聞き覚えがあるような──


──後でミリィに聞いておきます──


 シノブとアミィは思念を交わす。

 マニエロはシノブの親衛隊に所属しているから、ミリィと会うことも多いだろう。もっとも彼女の場合、シノブと近しい者以外にも色々教え込んでいるらしい。

 先日ホリィから、ミリィが情報局員のミリテオに何やら教えたと連絡が入った。もしミリテオが失言してもミリィのせいかもしれないから、と言うのだ。

 ミリテオが冗談を言っても怒りはしないとホリィに返したのを、シノブは良く記憶している。


「あれは!」


「円の動き……凄い熟練度じゃの」


 エマとマリエッタはボールの行き先を見つめていた。

 ヘリベルト達のゴールは、狐の獣人クラウスが守っていた。そして彼はボールを自身の柔らかに弧を描くような動きに巻き込むと、そのまま自軍の前衛へと戻した。

 まるで太極拳のように流麗な動きは、確かに目を見張るべきものであった。そのためシャルロット達からも歓声が上がる。


「シザーズか……ヒールリフト!」


 ボールを受け取ったヘリベルトは、見事なドリブルで敵陣を突破していく。しかもシノブが口にした通り、彼は地球のサッカーでも使われる技も披露する。

 シノブは幾つかの技を教えはしたが、それは僅か数ヶ月前のことだ。そこから実戦で使えるまでにするのだから、ヘリベルトは相当熱心に取り組んだのだろう。

 ヘリベルトは(またた)きする間に数人を抜き去る。彼もアルノーやアルバーノに近い高度な身体強化を実現しているようで、駆ける速度は時速100kmを大きく超えていると思われる。


「ドライブシュートですか!」


 シャルロットが大きな歓声を上げた。やはり武術やスポーツが心から好きなのだろう、彼女は無意識だろうが僅かに腰を浮かせていた。


 結局、練習試合はヘリベルトの一点のみで終わる。身重のシャルロットが観戦していることもあり、試合時間を二十分としたのも大きいだろう。

 その後、壁や金属製ネットの耐久力を確認するため選手達にシュートを打ち込んでもらう。おそらく地球ならボールは破裂しネットに大穴が出来るだろうが、幸いにも充分な強度を得たようでどちらも無事な姿を保っていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブはシャルロット達を魔法の馬車に残し、幾つかの場を見て回った。

 流石に今のシャルロットを建築現場に伴うわけにはいかない。そこでシノブはマティアスとアミィのみを連れ、観客席の拡張工事をしている最中の闘技場などを順に巡る。


「サッカーは随分とらしくなってきたね。最初は大変だったけど」


「ゴールポストを蹴ったり仲間の力を借りて跳んだりとか……」


 マティアスに先導されながら、シノブとアミィはサッカーを教えた当初を振り返っていた。

 こちらの武人達は高い身体能力があるためか、様々な技を試そうとした。その中でも初期に多かったのは、制空権を得るために高く跳ぼうとする者達だ。

 しかしアミィが口にしたようなことは反則とされているし、彼女は地球のルールを正確に伝えた。そのため漫画のように荒唐無稽な技の幾つかは阻止された。

 ただしヘリベルト達が見せてくれた練習試合のように、地力で大きく上回るだけに単なる疾走や跳躍だけでも充分に常識外の光景が生まれる。おそらく地球人類が彼らに混じったら、ボールを受けるだけで骨折や内臓破裂となるだろう。


「尻尾を使おうとしたこともありましたな」


 マティアスも苦笑を浮かべている。地球のルールを正確に伝えても、多少の騒動は生じたのだ。

 こちらの獣人達には長い尻尾を持つ者がいる。現に猫科の獣人なら、尻尾でボールを巻いて運ぶことも可能であった。それに狼や狐の獣人でも、尻尾でボールを打つくらいは充分に出来る。

 しかし、これを認めてしまうと獣人族以外、それに獣人族でも熊の獣人などは不利になる。そのため意図的に尻尾を使った場合は反則と定義された。


「さて、野球場か。今度は誰が出るのかな?」


 シノブは、目の前に(そび)える大きな円形の競技場を見上げながらマティアスへと問い掛けた。

 既にシャルロット達は野球場の観客席にいる。彼女達は上部の貴賓席、ロイヤルボックスというべき大きな窓のある一室にいる筈だ。


「それがですね……私も出場しようかと。他にもイヴァール殿、アルノー殿、アルバーノ殿、そしてエンリオ殿などを呼んでいます」


「それは……まあ、平和な証拠だね」


 少し恥ずかしげなマティアスの言葉に、シノブは一瞬絶句した。

 しかしシノブは思い直す。自身が口にした通り、侯爵やら伯爵やらが球技に興じることが出来るのは穏やかな国となった象徴だと思ったからだ。


 そしてシノブは弾む心のままマティアスと別れ、アミィと一緒に貴賓席へと向かっていった。そこはバックネット裏の最上段、サッカー場と同じく特殊な金属のネットで守られ、更にワイヤー入りの分厚い窓ガラスで保護された部屋である。


「シノブ、イヴァール殿達も出るようです」


「ああ、マティアスも参加するそうだ」


 シノブはグラウンドを見下ろしながら、シャルロットに返答した。

 既にイヴァール達は練習をしていた。どうやらイヴァールがキャッチャー、そしてアルバーノがピッチャーのようだ。ちなみにアルノーやエンリオは、もう一方のチームに所属しているらしい。


 シノブが席に着いて幾らかすると、試合が始まった。

 先攻はアルノー達のチームで、打席には彼が入っている。そしてマティアスはアルノーと一緒の側で、彼が次打者であった。


「しかし速いね……速すぎて見えないんじゃないかな?」


 アルバーノの剛速球を目にしたシノブは、思わず呟いてしまう。

 シノブ自身は充分に球筋を見極めている。しかし常人だと難しいのではと感じてもいた。

 球の強度を上げるため地球のものと材質は全く違うし、重さも随分と上の筈だ。しかしアルバーノが投げた球は、地球人類の投手の三倍か四倍は速い。


「アンナ、リゼット、どうですか?」


 シャルロットは自分付きの侍女の二人へと問うた。

 武人の場合、身体強化を全く使わなくても経験や勘で球の軌道を追えるようだ。そのためシャルロットは、あまり武術を学んでいないアンナ達に訊ねたのだろう。


「一応は見えています。たぶん、距離があるからだと思いますが」


「そうですね。打者の位置なら、きっと無理です」


 アンナとリゼットは(かろ)うじて球の行方を(つか)めているようだ。貴賓席が打席から少し距離があるのが良かったらしい。

 この世界の人間は、多少なりとも常時強化をしている。そのため二人も明らかな身体強化は不可能だが、地球人類より肉体的な能力は高い。したがって、ただ投げただけで消える魔球にはならないのだろう。


 ちなみにアルバーノは変化球も使っているが、球の軌道は常識的な範囲に収まっている。あまりに球速があり、大きな変化をする前にキャッチャーまで届くからだろう。逆に言えば、その短い時間で明らかな変化をするのだから、彼は途轍もない回転を球に与えているのだと思われる。

 もし彼が現在の変化球に使っている回転数で球速を大幅に落としたら、常識外の軌道を描くに違いない。しかし、そうなると並外れた強化の出来る打者は容易く球を捉えるだろう。


「バントですね!」


「もう一塁に!」


 声を上げたのはセレスティーヌとミュリエルだ。

 アルノーは冷静な彼らしくセーフティーバントを披露した。アルバーノが放った白球を、アルノーは見事に勢いを殺して転がしたのだ。

 そして次の瞬間、アルノーは一塁ベースの上に立っていた。カンビーニ王国の100m走で2秒02を出した彼である。一塁までの30m弱なら、彼は一秒を大きく切ることが可能であった。

 おそらくアルノーが一番打者なのは、この俊足が理由だろう。


「何と言うか……派手なような、そうじゃないような……」


 シノブは思わず苦笑をしてしまう。

 二番打者のマティアスが打席に入り、アルバーノが第一球を投げると同時にアルノーは走っていた。キャッチャーのイヴァールは二塁で刺そうとするが、残念ながら僅かに間に合わない。

 アルノーの俊足は素晴らしいし、正攻法の展開でもある。しかし凄くはあるが玄人好みというべき試合運びではあった。


「また盗塁に成功しましたね」


 シャルロットがシノブに微笑みかける。

 アルノーは次の投球で三塁に進んでいた。マティアスは二球連続で空振りだが、アルバーノは早くもピンチに立たされたことになる。

 こうなればスクイズで充分だ。そのためマティアスは、最初からバントの構えとなっていた。


 ちなみにシャルロットは地球の野球についてある程度の知識を持っている。彼女はアミィの幻影で、元々はどのような競技だったかを見ていた。

 それ(ゆえ)シャルロットは、シノブの苦笑の意味を充分に察しているわけだ。


「あっ、あれは!」


「ジャンプしたのじゃ!」


 エマとマリエッタが大きな驚愕を顕わにした。

 何とアルバーノは高々とジャンプして投球した。しかも真上などではなく、マウンドからホームベースに届きそうなくらいの大跳躍だ。


 ちなみに地球の野球だと、投球開始時にピッチャープレートに足が付いていれば良いとしている。したがって、これはルール上問題がない。

 宙で投げるから球速は落ちるだろうが、距離は大いに縮まる。そのため打者からすれば打ちにくくなるのは間違いない。

 問題は、打たれたときに打球が自分に当たるかもしれないことだろう。それに跳びすぎると、自分自身がバットで打たれるかもしれない。

 しかし、それらを除けば極めて有効な投球方法と言えるだろう。実際、マティアスは(あらかじ)めバントの構えを取っていたにも関わらず、ボールの出所を(つか)めなかったのか打ち損じていた。


「ある意味、これも魔球というべきなのかな?」


「さあ……大ジャンプ魔球とでも名付けましょうか?」


 シノブの言葉に、アミィは大きく首を傾げていた。

 ボールがアルバーノの手を離れてからイヴァールのミットに入るまで、極めて短い距離であった。そのため変化をしていたかは判然としない。しかし投球方法が普通ではないから魔球と呼んでも良いだろう。


「ともかく来月の大会が楽しみだ。きっと、各国それぞれの戦い方を見せてくれるだろう」


 シノブはアルバーノ達に顔を向け直す。

 三番打者はアルバーノの父エンリオであった。エンリオなら、アルバーノの奇策を打ち砕くか。それとも彼も翻弄されるのか。二人の勝負にはシャルロット達も注目しているようで、彼女達も瞳を輝かせている。

 地球とは似ているようで違う野球だが、多くの者を楽しませているのは同じだ。そう感じたシノブは、少しばかりの懐かしさと大きな期待を(いだ)きつつ、親子対決の結果がどうなるか見守っていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年12月21日17時の更新となります。


 本作の設定集に第二期街道が開通した後のアマノ王国の地図を追加しました。

 上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。


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