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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第20章 最後の神
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20.06 祭の準備 前編

 最近シノブは謎の海神を探すため、アスレア地方に目を向けることが多い。しかしシノブはアマノ王国の国王で、アマノ同盟の盟主でもある。当たり前ではあるがシノブは国内や同盟の仕事も多く抱えていた。

 そのためシノブ達は早々にアゼルフ共和国のエルフ達に別れを告げ、都市ヤングラトから去る。


 そして帰国したシノブは、家族と共に出かける。これからシノブ達は、とある場所を視察するのだ。

 シノブ達を乗せて王都アマノシュタットの大通りを進むのは、アムテリアから授かった魔法の馬車だ。近頃は蒸気自動車の性能も向上したが、今回はシャルロットも同行するため神具を選択した。


「この椅子は本当に良いですわね!」


「ええ、後ろに大きく倒せますから!」


 後方に向いた長椅子で声を上げたのは、セレスティーヌとミュリエルである。

 二人の視線の先にいるのは向かいのシャルロットだ。彼女はシノブとアミィに挟まれて座っているが、背もたれはミュリエルの言葉通り随分と倒されていた。


「確かに楽ですね。それに全く揺れませんし」


 シャルロットの声も弾んでいた。おそらく久しぶりに王宮を出るからだろう。

 魔法の馬車の内部は、どんな悪路であっても全く揺れない。それに隠し部屋には転移の絵画もあるから、何かあれば即座に『白陽宮』に戻ったり応援を呼んだり出来る。したがって身重のシャルロットを伴うのであれば、他の乗り物が選ばれるわけはなかった。


「ああ。お腹の子も嬉しそうだ」


「はい! きっと、シャルロット様と一緒にお外を眺めているのでしょう!」


 シノブとアミィの言葉を聞き、室内に笑顔が満ちる。

 他の者とは違い、シノブは極めて正確に魔力波動を把握できる。そしてシャルロットの出産予定日まで一ヶ月半を切ったから、最近のシノブは特に集中しなくても我が子の様子を知ることが出来た。そしてアミィはシノブほどではないが、こちらも常人とは比べ物にならない高度な領域に至っている。

 そのシノブ達の能力を熟知しているから、周囲もシャルロットの外出を認めたのだ。


「安心しました~。私だと、まだ判りませんし……」


「素質があるだけ良いですよ。私は駄目ですから」


 侍女のアンナとリゼットが、シノブ達の後ろで(ささや)き合う。

 普通は母体の魔力波動が邪魔になるから、胎児の様子を知るのは困難らしい。このくらいの時期でも、感知に優れた治癒術士が経験を活かして何とか判断する程度だという。

 ちなみにアンナは治癒術士を目指してから十ヶ月というところで、素質はあるが現状では不可能であった。しかし魔術の適性が無いリゼットからすれば、それでも羨望の対象なのだろう。


「私に似て活発な子なのでしょうね。アンナやリゼット達に迷惑を掛けそうです」


 シャルロットは後ろに顔を向けつつ苦笑した。

 出産が終われば、侍女達は更に忙しくなるに違いない。アンナとリゼットは未婚だから当然乳母はしないが、三交代で側に詰める筈である。


「迷惑なんて、とんでもありません!」


「そうです! 乳母となる皆様も含め、楽しみにしています!」


 アンナとリゼットは心外だという表情で応じる。実際、二人を含め『小宮殿』付きの侍女達は凄まじい力の入れようであった。

 乳母の選定は既に終わっている。ベランジェやシメオンは、このときを見越して貴族や騎士などを揃えたらしく、新生児を持つ適切な身分の女性は一定数いた。

 シャルロット達の侍女は、未婚の者ばかりだ。しかしベランジェ達は各国から武官や内政官を呼ぶとき、身篭った妻を持つ者達を優先させていた。

 そのため乳母も揃い、しかもアンナ達は乳母達のところで赤子の世話を熱心に学んでいる。したがって二人の言葉は、決して偽りではなかった。


 特にアンナは専属治癒術士になるだけあって気合の入りようが凄かった。

 アンナはアマノ王国軍の将軍の一人ヘリベルトと婚約したが、結婚を先に延ばしていた。シャルロットが無事に出産をして更に子供が乳離れするくらいまでは、と彼女は言っている。

 ちなみにアンナは十六歳になって間もないが、相手のヘリベルトは二十八歳だから少し可哀想ではある。


「これだけ沢山の人に望まれて生まれてくる……とても幸せなことだ」


 シノブの胸には喜びが満ちていた。

 アムテリアから授かった神具もあり、母子共に健康である。自身も魔力感知で順調だと感じているし、アミィやタミィなども太鼓判を押してくれる。仮に何か起きても魔術や治癒の杖などがある。そして口にした通り、多くの人が待ち望んでくれている。


 それは王宮の中だけではない。通りでは数え切れない人々が王家の馬車に手を振り、明るい笑顔を向けている。それどころか車内にシャルロットがいると思ってか、跡継ぎの無事な誕生を祈念する人も多かった。


「ケリスちゃんも、お友達になるのが楽しみだって言っていましたよ」


 アミィは小さな玄王亀の名を挙げた。するとシャルロット達はシノブの膝の上へと顔を向ける。

 そこには昨日生まれたばかりのケリスがいる。しかしケリスは集まる視線に気付くことはない。彼女は魔獣を沢山食べ更に多くの魔力を吸収したから、深い眠りに入っていたのだ。

 ケリスの父母クルーマとパーラは、一日の大半をアマノ王国からヴォーリ連合国への地下道掘削に費やしている。

 長老達が先に開通させたのが悔しかったのか、クルーマ達は掘る速度を上げていた。娘のケリスが長老達の造った地下道を褒め称えたから、自分達も早くと思ったらしい。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブ達が向かっているのは王都アマノシュタットの郊外に存在する軍の大演習場である。王都の北西にある、およそ10km四方もの広大な土地だ。

 この大演習場では、来月に武術や運動の国際大会が予定されている。つい先日、国内の最終予選が行われたのも同じ場所だが、各国を招くに相応しい競技場にすべく観客席の増設工事が行われており、それらを視察するのだ。

 ちなみに競技種目の大半は、以前カンビーニ王国で行ったものと同様だ。各種武術に加え、走力に重量挙げ、投擲(とうてき)などである。しかし今回は、幾つかの球技も追加されていた。


「サッカーや野球、それにテニスは定着しそうだね。それに卓球も」


「難しいのは、バレーボールやバスケットボールですね。身体強化を制限しないと、競技として成立しないようです」


 シノブとアミィの言葉に、シャルロット達は苦笑をした。

 二人が挙げた競技のうち、テニスはシャルロット達も熟知していた。流石に今のシャルロットは観戦のみだが以前はマリエッタなどと楽しんだし、ミュリエルやセレスティーヌも気に入っていた。

 それにサッカーや野球などもメリエンヌ学園の学生達がするようになった。またサッカーは必要な道具が少ないから、王都の子供などにも広がっている。


「試しにアルバーノ達にやってもらいましたが、アミィが見せてくれた映像とは全く異なるものでしたね」


「あのアタックというものは……。それに輪まで跳ぶなど、軍人なら誰でも出来ますから……」


 シャルロットとセレスティーヌは苦笑いを浮かべていた。それに口には出さなかったものの、ミュリエルも笑いを(こら)えているようだ。

 アルバーノは高さ十数mもの跳躍が可能だし、アルノーも同等の能力を持っている。そのため先にアミィの幻影魔術で見せた地球の映像とは、全く異なる光景が繰り広げられたのだ。


 この世界には身体強化があり、特別に優れた者なら地球人類の何倍もの能力を発揮できる。そしてカンビーニ王国の競技大会で行われた高跳びのように、極めて一部の者は10m以上もの跳躍を可能としていた。

 こうなるとバレーのジャンピングアタックやバスケのダンクシュートなどは、逆に問題が出てくる。高いトスを上げれば高空からのアタックが幾らでも出来るし、ダンクシュートも多くの者が可能だ。そのため、これらは競技としての面白みが大きく減じてしまう。


「まあね。ミシェルちゃんでもダンクシュートが出来るし。まだ七歳だよね……。ミュリエルは、まだ判るけど……」


「そ、そんな! ……て、テニスでしたら高いボールは不利になりますよね!」


 シノブが褒めたからだろう、ミュリエルは頬を染める。そして彼女は、話をテニスへと持っていく。

 テニスだと高い返球、つまりロブはスマッシュされやすくなるから避けられた。ロブだと多少の身体強化をすれば、充分に追いつけるからだ。


「野球も同じですね……」


「サッカーは手を使わないから、高い球の扱いが難しそうですね」


 アンナとリゼットも、競技はしないがシノブ達に随伴して何度か観戦をしていた。そのため二人も、問題点を理解しているようだ。


 野球の場合、フライの処理が楽にはなる。しかしホームランが随分と困難になったくらいで、競技が成立しないほどではなかった。

 サッカーも文字通りの空中戦が行われ、立体的な高速パス回しが披露されることもある。ただし失敗するとボールアウトになるから、この短期間では多用されるまでに至らなかった。それにサッカーのゴールマウスは地面と垂直だから、宙高く跳んでも有利とも限らない。

 しかしバレーとバスケは、どちらも単純に跳躍力を競うことになる。特にバスケに関しては、競技の根本から見直さないと成り立たないと思われる。


「でも、全部を広めなくても良いんだ。野球にサッカー、テニスに卓球。これだけでも充分だよ。まず、この短期間で国際大会が出来ることを素直に喜ばなくちゃ」


 実際のところ、幾つもの競技を同時に広めるほど競技者は多くない。そのため今回の大会では、シノブが挙げた四種目が実施されることになっていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「次回の大会にはアスレア地方やアフレア大陸、それにヤマト王国の方々もお招きしたいですわね……」


 セレスティーヌは、早くも次回の国際大会まで視野に入れていた。おそらく、彼女が外務卿代行という職にあるためだろう。


「ウピンデ国は大丈夫だと思うよ。今回もエマ達が武術や走力とかに参加してくれるし」


 シノブは馬車の外で警護をしている一人、ウピンデ族のエマの名を挙げた。エマはマリエッタ達と共に、騎馬で先導をしているのだ。


 ウピンデ族からは、エマや彼女の兄ムビオなど優秀な若手武人が留学中だ。現在『白陽宮』では、ウピンデ族の七支族の全てから二名か三名ずつ、総勢二十名弱が護衛の職に就いている。

 したがって人数だけで言えば、野球やサッカーのチームを作ることも不可能ではない。しかし彼らは武人として修行をしにきたのだから、球技をしている時間などなかった。


「エマさんやムビオさん達は背が高く手足が長いですから、手強い相手になるでしょうね」


「ええ。かなりの高記録を残すでしょう。エマやサフィは跳躍、カミリは走力……」


 ミュリエルとシャルロットは、ウピンデ族の若者達の名を挙げつつ予想をしていく。


 二人の予想を聞きながら、シノブはアフレア大陸との今後に思いを馳せていく。

 現状エウレア地方からの船団は、ウピンデ族のウピンデムガと更に東西のマザリギ族とマガリビ族の地まで行き来するようになった。その向こうに行くことも不可能ではないが、交易に関して言えば一先(ひとま)ずそこまで、となったようである。

 エウレア地方とアフレア大陸を結ぶ航路は、ウピンデムガへと伸びている一本だけだ。他は魔獣の海域だから、おいそれと踏み込めないのだ。

 それに東西のどちらに進んでも、暫くは同じような部族が住んでいるだけで特産物も変わらないという。そうであれば、わざわざ遠方に行く意味も薄かった。


 シノブとしても異神と関係のない南方に関しては、自然な交流のみに留めたかった。

 そもそも自国や同盟だけでも手一杯である。東のアスレア地方に関してシノブは謎の海神を発見すべく注力しているが、異神の件が無ければ東域探検船団に任せるつもりであった。

 そのことをシノブはアマノ同盟の指導者達も伝えたが、彼らも同意をしてくれた。彼らも広がる交流に喜んではいたが、少しばかり急すぎると感じてもいたらしい。


 しかしアスレア地方に関し、シノブは母なる女神アムテリアの警告を重視していた。

 謎の海神がアスレア海に潜んでいるだろうと、アムテリアは夢で示した。いつまでに解決すべきと女神は語らなかったが、敢えて告げるのだから急ぐ必要があるとシノブは受け取ったのだ。


「シノブ、エレビア王国と同じでキルーシ王国にも独自の剣術がありましたね?」


「ああ、キルーシ一刀流だね……エレビア一刀流と元は同じみたいだよ。今回はともかく、次は招待したいものだ」


 シャルロットの問い掛けに、シノブは微笑みつつ応じた。

 武人だけあり、シャルロットは武術への関心が強い。それはシノブも重々承知しているが、こうまで真っ直ぐに興味を示されると可愛らしくすらあると思ったのだ。


 もっとも今のところシャルロットの希望の片方はともかく、もう片方まで(かな)うかは不透明だ。アマノ同盟はエレビア王国と良好な関係を築き始めたが、キルーシ王国とどうなるかは別だからである。

 昨日の夕方遅く、キルーシ王国からの使者はエレビア王国の王都エレビスに到着した。おそらく今ごろエレビスでは第一回の会談が開かれているだろう。

 両王家には過去の因縁があるから、一回や二回の話し合いで(まと)まるとも考え難い。完全な物別れで終わることはないだろうが、双方共に自国に有利な条件とすべく延々と押し問答をする可能性もある。シノブは、そう考えていた。


 第一回の国際大会まで半月と少々だ。そこまでに決着するとシノブは思えなかったから、今回エレビア王国には声を掛けなかった。エレビア王国にとって、キルーシ王国との国交樹立は長年の懸案だからである。

 もっともシノブは、万が一早期に決着したらリョマノフ達を招いて観戦してもらおうかとは考えていた。おそらく、あの武術好きな王子なら喜ぶだろうし、それどころか自身も参加すると言うに違いないからだ。


 アゼルフ共和国も同様だ。これから族長に会いに行くのだから、まだ招待などという段階ではない。


「ヤマト王国の武術も面白そうですわ。それに向こうの衣装や細工物は独特ですから、芸術祭の方にお招きするのも良いですわね」


 セレスティーヌの言う芸術祭とは、同時に開催される文化的な催しである。音楽に服飾、絵画や工芸に技術などが対象の広範囲な品評や展示の場だ。

 この芸術祭も含め、一般への公布は八月頭という短期間での準備である。しかし多くの尽力で何とか形になりそうだ。


「メリエンヌ学園に留学している方が、手持ちのものを参考出品してくださるそうです」


「でも、出来れば本格的に招待したいね」


 アミィに頷いて見せつつも、こちらも次回からだとシノブは感じていた。

 ヤマト王国の王太子健琉(たける)の一行は、そろそろタイズミという場所に着くらしい。このタイズミとは陸奥(みちのく)の国を治めるドワーフの王がいる場で、タケル達の旅の目的地だ。

 そのためヤマト王国も、今はアマノ同盟との文化交流どころではない。


 このようにエウレア地方の外から招待するのは難しいが、国際大会など初めての試みだ。それこそ焦らず着実に進んでいくことが大切だろう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 魔法の家の転移で瞬時に帰ったシノブ達とは違い、ミュレ子爵マルタンやハレール男爵ピッカールなどが乗る飛行船は(いま)だ西の大砂漠に戻る最中であった。

 もっともマルタン達にとって、大砂漠と都市ヤングラトの往復も貴重な試験の場であった。行きの大半は未明だったから夜間飛行、帰りは偏西風に逆らっての洋上飛行。行き来すること自体で、多くの新たな知見が得られる。


「行きは良かったですな。高度を上げるだけで速くなりましたから」


「ええ。しかし、予想通りに帰りは……」


 ピッカールとマルタンは、地図と計器を交互に見つめている。

 計器が示すプロペラの回転数だけで速度は判断できない。まだ対地速度計が存在しないからである。そのため二人は周囲の景色から実際に進んだ距離を判断し、それと飛行時間で大まかな速度を得ている。


「……現在の風は秒速7mといったところですか。四割は持っていかれたわけですね」


 現在の対地速度は概算で時速35kmほど。そしてプロペラは無風なら時速60kmに達する回転数だ。したがって風速は時速25kmほど、つまりマルタンの言葉通り秒速7mとなる。


「まだ穏やかな方ですよ。それに、これでも順風の高速軍艦並みです」


 残念そうなマルタンに、操舵を担当する軍人が応じる。この軍人は海軍出身だから、洋上の風や帆船の速度には詳しい。


「行きは倍も出ましたね……空の上って本当に風が強いんだなぁ……」


 ピッカールの養子アントン少年は、窓の外へと顔を向けた。

 一般に上空に行けば風は強くなる。実際に行きは高度を上げたこともあり、秒速20m近い風が吹いていたようだ。その結果、飛行船は半分弱の時間でヤングラトへと到着していた。


「風が見えたら、もっと上手く飛べるのかも……」


 アントンは頭上の狼耳を立て、背後の尻尾を大きく揺らしながら外を見つめている。

 風は見えないだろうが、アントンは波の様子や遠方の陸地の木々から大気の動きを思い浮かべているらしい。暫く海上や地上を見つめた少年は顔を上げ、上空に僅かに存在する雲や高さを増してきた日輪へと視線を転じていく。


『風に流されないように飛ぶのですよ。また、高さによって向きが変わることもあります。ですから良い風の吹く場を選ぶのも大切ですね』


 炎竜ハーシャ、長老アジドの伴侶はアントンに優しく語りかける。

 昨日の昼間と同じで、ハーシャは人間ほどに小さくなって飛行船の中にいた。一方のアジドは元の全長20mもの巨体で空を進んでいる。


 炎竜の長老夫妻は、飛行船の進路決定に口出しをしなかった。流石に夜間飛行の際は現在位置を教えてくれたが、この高度なら風向きが、などと言うことは無い。

 アジドやハーシャは、それらの選択も含めて飛行だと考えているのだろう。


「そうですね。良い船乗りは、勘で風の動きを察します。飛行船乗りにも必要な技能ですね」


 操舵士は穏やかな口調で少年と老竜の会話に加わった。事実、彼は雲の動きなどから大まかなことは察しているらしい。

 もっとも飛行船の操縦室は外気と接していないから、少し勝手が違うようでもある。帆船であれば吹き寄せる風を感じるが、密閉された室内だと肌身での感覚が無くて困る。彼は、そう(こぼ)していた。


「ツェリオ殿には感謝しています」


 マルタンは操舵士に向けて頭を下げた。今では子爵となったマルタンだが、気取らないところは昔と変わらない。


「いえ、良い仕事を与えていただき感謝しております。俸給も充分に頂いていますし」


 虎の獣人ツェリオは頭上の耳を小刻みに動かしつつ、冗談めかした笑みと共に(いら)えた。もっとも彼の言葉は事実ではある。


 ツェリオの現在の俸給は街の者の十倍以上で、中隊長としては上限に近い。まだ彼は二十六歳であり、戦時ではないことを考えると破格と言うべき待遇だ。

 もっとも試験中の飛行船だから、竜が付き添ってくれるとはいえ危険はある。したがって各種の手当込みで、高給となるのも当然ではあった。


「子供も生まれたばかり、ここで稼いでおかないと……妻に尻を叩かれましたよ」


 冗談めかしてはいるが、ツェリオは真顔であった。

 現役軍人として勤務できる期間は長くない。怪我での退役、戦死、そうならないうちに引退。平隊員だと十年から十数年で稼ぎ、第二の人生へと転ずる者が殆どだ。


戦王妃(せんおうひ)様のお側に上がられたのでしたね。夫婦合わせて相当に稼げるでしょうに」


 ツェリオの返答に、マルタンは妙に現実的な反応を示した。

 マルタンは子爵で、しかも技術庁の長官として高額な俸給も得ている。しかも妻のカロルも彼と共に働いているから、更に収入がある。

 しかし元々が平民のマルタンとカロルだけに、爵位を得ても庶民感覚は失われていないようだ。


「奥様は乳母のお一人でしたね。妹から聞きました」


 アントンの妹リーヌはミュリエルの側仕えだ。そのため彼は、ツェリオの妻がシノブとシャルロットの子の乳母を務めると知っていたのだ。


「ええ、大変光栄なことです。幸い妻は乳の出も良いですし……」


 ツェリオは良く焼けた顔を赤く染めていた。もっとも彼の顔が紅潮したのは恥じらいではなく、妻が大役を務めることへの喜びからのようだ。


『……ゴルンからです。大砂漠の南岸沿いは全て回ったと……捜索範囲を北に広げると言っています』


 ハーシャは大砂漠にいる同族からの知らせを人間達に伝えた。

 現在、炎竜のゴルン、ジルン、ザーフを中心に大砂漠を探っている。これにアジドとハーシャを加えた五頭が常駐に近い状態、更に手が空いた炎竜や岩竜も時々参加する。


 シノブ達は大砂漠に超越種が潜んでいると考えていたが、仮にいるとしても地下のようだ。

 高緯度帯にも関わらず砂漠ということから、相手は火属性だと思われる。そこで炎竜を中心にし、地底の空洞を探ることが可能な岩竜も支援をしてはいる。しかし深い場所であれば、彼らでも発見は難しいだろう。そこで玄王亀の長老達も探索に加わることになっている。


 ただし、大砂漠は東西と南北の双方とも広いところでは1000kmを超える広大な土地だ。そのため、もう少し手掛かりが欲しいところである。

 過去にホリィ達が大砂漠のオアシスや隣接するキルーシ王国で調査してはいる。しかし現在まで、それらしき情報は得られなかった。

 今のところ情報源として望みがあるのは、エレビア王国に使者として訪れたキルーシ王国の王女ヴァサーナくらいだ。


「中央に近い一帯でしょうか?」


『どうでしょう? 中央付近にはオアシスがあります。人の目を避けるなら周囲の方が好都合では?』


 ピッカールの問いに、ハーシャは微かに首を振りつつ応じた。

 大砂漠の中ほどには、合わせて四つの大きなオアシスがあった。どれも直径100km近いから、それなりに人はいるし周囲の砂漠やオアシスの間なら見つかりやすいだろう。そうなると周辺部に、というのは一定の説得力がある。


 竜達は思念での呼びかけもしているが、玄王亀によれば地底深くには届き難いという。そのため謎の存在が気付いて無視しているのではなく、地上の出来事を知らない可能性もある。

 七百年近く前、『南から来た男』は大砂漠に踏み込むのを避けたらしい。もしかすると、そのころは砂漠に潜む者も活発に活動していたのかもしれない。たとえば子育ての時期だった、などである。

 しかし今、上空を眷属や竜が飛翔したくらいだと反応が得られないようだ。


「じっくり探しましょう。あれだけ広いのですから」


「そうですね。あまり短期間で終わると稼ぎに響きます。妻に怒られないために、もう少し謎のお方に潜んでいてほしいですね」


 操舵士のツェリオは、おどけた口調でマルタンに応じた。

 肩を(すく)めるツェリオの様子が面白かったからか、それとも現金な発言に(あき)れたのか。飛行船の操縦室は大きな笑い声で満たされていく。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 そのころ、シノブ達の乗った馬車は王都の北門を出た直後であった。

 先ほどと同様に、シノブ達は各種の競技を話題にしていた。しかし街の人々の様子を見たからか、その内容は少しばかり違うものとなっていた。


「シノブの故郷では、野球やサッカーの選手は軍人以上の英雄なのでしたね?」


「……まあね。俺のいたところでは戦は長い間ないから……ともかく憧れる人は多いよ。それに超一流の選手なら軍人よりも遥かに稼げるから……普通の人の百倍以上の収入を得る選手もいるからね」


 シャルロットの問いに、シノブは言葉を選びながら説明していく。

 先日まで戦争が身近にあったエウレア地方と、長く戦いが無い現代日本では価値観が大きく異なる。それにプロスポーツという概念の無いエウレア地方で、どれだけ正しく理解してもらえるか。シノブは、それらを考えたのだ。


「それほどまで人気があるとは……司令官の方でも二十倍か三十倍だと伺っています」


 ミュリエルは商務卿代行だから、街の者の収入などにも詳しくなったようだ。まだ十歳半の彼女だが、高級軍人の年収も含め多くの知識を得たらしい。


「ああ、そうだね。実際には公邸で住宅費がいらないし、手当てなどがあるから軍人の収入はもっとあるけど……」


 シノブが触れたように、司令官級の軍人だと単に俸給だけで考えるわけにはいかない。

 王国軍にしろ伯爵領軍にしろ、司令官ともなると子爵や男爵などの下級貴族から騎士でも最上級である。したがって自動的に広い公邸に住むし、更に家禄も別に存在する。

 それに野球やサッカーなど現代日本のプロスポーツでメジャーなものでも、平均年俸は一般人の数倍から十倍未満だ。

 もちろん軍人も司令官など極めて限られた例外だ。全ての階級を含めた平均値を出せば、やはり街の人々の何倍かに収まる。したがって大雑把な比較だと、エウレア地方の軍人と日本のメジャースポーツのプロ選手が同等というのは、さほど間違ってもいない。

 そして自分も就ける可能性があり若いうちに稼げる職業として人々が思い浮かべるものは、軍人であった。その意味だと、軍人とプロスポーツ選手は良い比較対象なのかもしれない。


「こちらの選手も軍人のようになるのでしょうか? 王家から勲章を授かったり、長く栄誉を称えられたり……」


 王女育ちのセレスティーヌは、数字として多寡を理解しても実感が薄いのかもしれない。彼女の興味は金銭より栄誉へと向かったようだ。


「勲章は故郷でもあったね。ただ、そのためには勲章に値すると認められるくらい、試合や大会が注目されないと無理だろうけど。やっぱり国際大会で優勝するとかだね」


 シノブは、こちらでプロスポーツが成立するには長い年月が必要だと考えていた。その間は、国が支えていくべきだろうとも。


 プロスポーツとして選手が生活していくには、先にテレビのような映像での放送を実現する必要があるだろう。

 何しろ王都アマノシュタットの人口は九万人少々、国全体で二百五十万人だ。この規模だと一試合ごとにどれだけの観客が見込めるか。移動手段が発達していないから王都や都市以外だと集客も望めないし、王都などであっても何度も見にきてくれないと入場者だけでは商売にならない。

 人口はエウレア地方全体で九百数十万人だという。この規模なら興行として成立するだろうが、それでも放送権での収入を含めないことには採算が取れそうもない。


 しかし国が栄誉を称えるだけなら、充分に可能である。ちなみに第一回の国際大会では勲章と賞金を用意しているが、もちろん資金は各国家の予算からだ。


「宣伝になれば、ボドワンさんやモカリーナさんが乗ってくれるかもしれませんね。ボドワン岩竜軍とか、マネッリ光翔虎軍とか……」


 アミィの言葉に笑いが起きる。

 ボドワンの娘のリゼットは、苦笑に近い表情となっていた。おそらく彼女は、父ならあり得ると思ったのだろう。


──玄王亀はダメ?──


 いつの間にかケリスは目覚めていた。彼女は首を(もた)げてシノブに問い掛ける。


「そんなことないさ。これから皆が覚えてくれるからね」


 シノブはケリスの甲羅を撫でながら数年後を夢想した。

 様々な神獣を紋章とした無数のチームが集う光景。それらに各商会が出資し、多くの人が応援する。そんな幸せな情景だ。

 そしてシノブは自身が思い描いた未来を、愛する人達へと語っていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年12月19日17時の更新となります。


 異聞録の第二十八話を公開しました。シリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。


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