20.04 地底の命 中編
巨大。多くの者はシノブが大砂漠の海岸に造った港を、そう表現するだろう。何しろ半径2km近い城壁で囲まれた土地だ。現状では居住者などいないが、仮に人が住めば都市として扱われる規模である。
南側が海で、北を上にした半円が二重に存在する。外側の城壁だけではなく、中心部には半径300mほどの半円があったのだ。
この内周部が居住区で、外周部は農地を想定した場所である。そのため遠目には巨大都市のように映るが、実際に生活できるのは数百人程度だ。
内周部には飛行船の着陸に使う場、つまり空港を想定した区画などがある。したがって先々人が住むにしても生活空間はさほど広くなかった。
そもそも、この港は海洋船舶の寄港地としても使う。そうなれば海岸に造られた埠頭の近くには船渠や資材蓄積場が立ち並ぶし、空港にも同様の設備が置かれるに違いない。
「聞いてはいましたが、立派な格納所ですね……」
ミュレ子爵マルタンの声が暗がりに響く。灯りの魔道具を手にした彼は、各所を照らし眺めている。
マルタンが持つ魔道具の灯りは、アーチ上に湾曲した壁や全長100mを超える巨大飛行船を白い光で照らしている。天井は30m近い高さだが、よほど魔道具の性能が良いのか光は一直線に進み先を煌々と照らす。
「これ、岩ですよね……岩壁で城壁が造れるんだから……でも、どれだけの魔力があれば……」
こちらは狼の獣人の少年、ハレール男爵ピッカールの養子となったアントンである。
格納所は、円柱の管を横にして半分地面に埋めたような素っ気ない造りだ。要するに巨大なカマボコ状のトンネルである。
両端は開放されたままだが、その方が飛行船の出し入れには好都合だろう。しかも今回は炎竜の長老夫妻アジドとハーシャがいるから、彼らが飛行船を牽引して極めて短い間に格納は完了した。
『岩竜の成体ならともかく、人の子で可能な者はいないだろう』
『ですが、ここには必要でしょう』
人間と同じくらいの大きさに変じたアジドとハーシャが、二人に寄ってきた。
ここは大砂漠の南端で、当然だが周囲には木々など存在しない。そのためハーシャが言うように飛行船を守るための場が必要だ。
何しろ海際だから、台風でも来れば飛行船など吹き飛ばされてしまう。シノブは係留するための設備、係柱なども作成していたが、まともに風を受けない方が良いのは確かであった。
「そうですね。アントン君……私はガルック平原の戦いにも参加したけど、あの時は凄かったよ。陛下は一瞬で数百mもの岩壁を造ったんだ。あれが無かったら、我々の左翼軍にも大きな被害が出ただろう」
マルタンは炎竜の長老夫妻に頷くと、アントンに顔を向けた。そして彼は少しばかり改まった表情で語り始める。
それは今から十ヶ月ほど前の昨年12月21日。メリエンヌ王国の歴史書に『創世暦1000年ガルック平原の会戦』と記録された戦いでのことだ。
ベルレアン伯爵家付きのブロイーヌ子爵として参戦したシノブは、平原の決戦で帝国騎士団の突撃を自身が造った岩壁で防いだ。このときマルタンも、左翼軍にいたのだ。
左翼軍を率いるのはベルレアン伯爵コルネーユ、そして当時のマルタンはブロイーヌ子爵家に回ったとはいえベルレアン伯爵領の従士で参謀職でもある。当然ながら彼も本陣におり、岩壁が生み出される瞬間を目撃していた。
「その岩壁が今のガルック第二砦の一部なんですよね……それに第二砦や第三砦、あの屋根付きの街道も陛下が……今更でした」
アントンは照れくさそうな笑みを浮かべていた。大きな驚きを示したのが、恥ずかしかったのだろう。
ガルック平原会戦のころ、アントンはフライユ伯爵領の領民として魔道具製造工場で働いていた。そのため当時の戦いについて、彼は詳しくない。
しかし現在のアントンは、ガルック平原の上を飛行船で通ったこともある。そして彼は空から眺めた光景を思い出したようだ。
三月に入ってすぐ、帝都決戦の数日前にシノブはガルック平原に街道を敷設した。当時は西のメグレンブルクとゴドヴィングの二つを押さえたばかりで、メリエンヌ王国は二領に大量の人員や物資を輸送する必要があったのだ。
ガルック平原は随分な高地で、冬場は雪に閉ざされる。そこでシノブは今回のように上を覆った街道を造ったのだが、その長さは10kmにも及ぶ。
しかもシノブは、極めて僅かな時間で屋根付きの街道を出現させた。それを考えれば、これらの設備を造るのも簡単だろう。どうやらアントンは、そのように思い直したらしい。
『あの周囲には、植物を植えるのか?』
「はい。もうすぐイーゼンデックから種や苗を載せた船が到着します。アフレア大陸で得た暑い地域に適した作物です。それに向こうから人も招いたとか」
アジドの問いにマルタンは大きく頷くと、今後の拠点整備について語り始めた。
ここ大砂漠は年間を通して高温で、エウレア地方の植物だと栽培が難しい。しかしシノブ達は、既に南のアフレア大陸から熱帯向けの作物を得ている。
シノブは既に神具『フジ』で、外周部の土質改良を済ませていた。したがって、砂漠の砂とは違い植物が充分に育つ。
まずはウピンデムガで得た『スズシイネ』を植え周囲より気温を下げる。そして次に『アイスイカ』や『デカメロン』などを栽培する。
『スズシイネ』は陸稲の一種だが、実が食用に向かない代わりに強靭であった。何しろ土さえあれば屋根の上でも育つくらいで、育てる手間も掛からない。しかも普通なら種を蒔くところから始めるが今回は苗も持ち込むから、幾らもしないうちに緑化できるだろう。
また『アイスイカ』や『デカメロン』は暑いところを好むし、ここは魔力も随分と多いらしいから『マーホーナス』などの種を蒔いても良い。もっとも当初は常駐する人が少ないから、なるべく手間の掛からない植物で緑地を造る予定である。
「先日、向こうからお見えになった族長ババロコ殿が、全面的に協力してくださるそうです」
『そうか。では我は周囲を見て回ろう。聞いた通り、内陸には随分と大きな魔獣がいるらしい』
マルタンの言葉に納得したのだろう、アジドは大きく頷くと翼を広げて眩しい光が差し込む外へと飛翔していった。そして格納所から抜けた真紅の老竜は元の巨体に戻り、中天高くに日が輝く大空へと舞い上がる。
大砂漠に来た炎竜はアジドとハーシャだけではない。ゴルンなど数頭の竜も探索を始めており、そこに彼も加わるのだ。
先行したゴルン達は、アジド達に思念が届く範囲に散っている。そうやって彼らは広い大砂漠に潜んでいるらしい謎の存在を探しているのだが、途中で砂漠の魔獣を狩ってもいるようだ。
狩りは拠点の近隣の調査や安全確保の意味もあるが、大砂漠に潜んでいるらしき超越種を探すためでもある。大魔力を持つ竜が砂漠に現れたら何らかの反応をするのでは、と期待してのことだ。
もっともアジドは、普段出会わない魔獣との遭遇も楽しみにしている風でもある。彼の残した言葉には、長き時を生きた長老らしからぬ好奇心が宿っていた。
『人も住んでいない上、魔獣も多い場所……私達とは違いますが、何かがいる可能性は高そうですね』
ハーシャの言うように、ここは暑いが炎竜の好みではなかった。
炎竜が棲家に選ぶのは火山などだ。流石に火口に棲むことはないが、炎竜には地下にマグマ溜まりがあるような場が最適らしい。
それに対し大砂漠は暑いが火山性ではなく、炎竜達の興味を惹かなかった。また大砂漠には彼らが棲家を造るような高山は存在しなかったし、エウレア地方との境界であるオスター大山脈も大砂漠寄りに火山は無いという。
「火の鳥という話もありますが玄王亀様かも……」
マルタンはルバーシュ伝説として知られる逸話を思い浮かべたようだ。だが、一方で地中なら玄王亀か近似の種という思いも捨てきれないらしい。
「……ともかく、私達も整備に加わりましょう」
「はい!」
マルタンとアントンは巨大な白い飛行船へと歩み出す。整備を終え多少の休憩を済ませたら、彼らも再び飛行船で大砂漠へと乗り出すのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
マルタン達のいる場から600kmほど南東では、ミリィやシルヴェリオ、ソティオスなどがアゼルフ共和国のエルフ達と会談をしていた。
場所はエレビア王国の都市ヤングラト、もちろん太守のラジミールもいる。室内にいるアマノ同盟とエレビア王国の者達は、この四人である。
「アルリア殿。それでは、エルフであるソティオス殿やミリーナ殿しか入国できないと?」
丁寧な口調を保ってはいるものの、ラジミールは僅かだが顔に不快感を滲ませていた。
ラジミールは、同じ人族で甥でもあるエレビア王国の王太子シターシュに似た容貌の持ち主であった。年齢こそ十六歳も上だが、聡明そうな容貌は確かにシターシュを思わせる。
また、ラジミールは魔術に秀でたところも甥と共通していた。彼は甥とは違い研究するほどではないが、魔術理論などにも相当に詳しいらしい。
それはともかく普段は温厚なラジミールがアゼルフ共和国から来た使者、それも部族長直々の命を受けたアルリアに苛立ちを示すのには、相応しいだけの理由があった。
ラジミールにとって、ミリィ達アマノ同盟は自国を危機から救ってくれた大恩人だ。しかも入国を拒まれた者には、カンビーニ王国の王太子シルヴェリオも含まれている。
エレビア王国の太守としては、見事仲立ちを成し遂げてアマノ同盟に少しでも恩返しを、という思いもあるに違いない。そのためラジミールは、相手が部族長の使者であっても再考をと迫ったのだろう。
「はい……私達は同族以外の入国を認めておりません。申し訳ないこととは思いますが……しかし、過去に幾多の騒動があったのです」
アルリアという若い女性のエルフは、言い難そうにしながらも明確に拒絶の意志を示した。また、隣の同年代の女性も眉を顰めている。
若いといってもエルフだから、アルリア達は他種族でいえば中年から老年に相当する年月を生きている。実際に彼女達は二十歳程度にしか見えない若々しさだが、どちらも自己紹介のとき五十歳を超えたばかりと口にしていた。
したがって外見から受ける印象とは異なり、そう簡単にアルリア達が折れることはなさそうだ。
ちなみに男女の違いを除けば、アルリア達とソティオスは良く似ていた。どちらもエルフらしく細い肢体と長い耳で、色白の肌や真っ直ぐなプラチナブロンドも共通している。
一方ラジミールなどエレビア王国の者は、エウレア地方の者達との違いが明確であった。これはキルーシ王国やアルバン王国も同様だが、アスレア地方の人族と獣人族は彫りの深い顔立ちこそエウレア地方の同族と共通しているが、随分と肌の色が濃い。
しかしエルフに関しては容姿の差異が殆ど無いし、服飾や装飾も共通していた。どちらも草木染めの服や、細い木の管に綺麗な貝殻や石を用いた首飾りなどである。
東のアゼルフ共和国と西のデルフィナ共和国。住む場所は離れているが、外見だけで出身国を判断するのは困難である。
それもあってか、アルリア達もソティオスには相当心を開いているらしい。もっともソティオスの歳は倍以上、つまり彼はアルリア達の父親と同年代で更に既婚者だ。そのため恋愛感情というわけではないだろう。
「そうやって私達も、外の者との交流を拒んでいたのですよ。先ほどお伝えした通り、我らも同族だけで森に篭もっていました」
ソティオスは、女性のように整った容貌に相応しい美声で語り出す。
丁寧な口調は普段からだが、常よりも優しげなのは同じエルフに対する親愛の情からか。あるいは息子のファリオスや娘のメリーナと同年齢の相手に対し、年輩者として導かねばと思ったのか。
三月の頭にメリーナがメリエンヌ王国に使者として赴き、そして一ヶ月少々後にシノブがデルフィナ共和国の首都デルフィンに行くまでのこと。それを、ソティオスは当時の状況を交えながら語っていく。
かつて帝国に潜んでいた異神を倒すために、長く閉ざしていた国を開き他の三種族と手を取り合って歩み始めた。そして今は、ここヤングラトの港に停泊している蒸気船を始め、エルフの協力で生まれたものが多数あることにも、ソティオスは触れる。
穏やかだが雄弁に語るソティオスの両隣では、銀髪の獅子の獣人と幼いエルフの少女が感慨深げな顔で彼の話を聞いていた。前者はカンビーニ王国の王太子シルヴェリオ、そして後者はエルフに姿を変えたミリィである。
先ほどラジミールが触れたミリーナとは、ミリィのことであった。彼女の正体は青い鷹、つまり金鵄族だが、アムテリアが授けた足環は人間の四種族の全てに変ずることが可能である。そしてヤングラトへの滞在はエルフとの接触が目的だから、彼らの姿を選択するのは必然であった。
残る一人シルヴェリオも、王家に伝わる秘宝を使えば姿を変えることが可能だ。しかしアミィが作った変装の魔道具と同じで、これだと実体までは変わらない。
ミリィの場合は神の眷属と明かすわけにはいかないし、遥か昔デルフィナ共和国に現れた聖人クリソナと同じく実際にエルフとなっている。しかしシルヴェリオの場合は見せ掛けに過ぎず、更に今回の訪問は国交を求めてのものだ。そのため彼は、本来の姿での対面を選んでいた。
「……というわけで、私達は開国を選択したのですよ」
ソティオスは、シノブがデルフィンに赴いたとき森の女神アルフールが降臨したことだけは暈していた。どうやら彼は、神の意思を持ち出して説き伏せるのは最後の手段としたいらしい。
「もう少し、考える時間をください。その……私個人としては興味を感じています。それに皆様が立派な方々だとも思っています」
アルリアは言葉通りに前向きなようだ。しかし彼女は自身の部族の長ではない。そのため容易に仕来りを枉げるわけにはいかないのだろう。
アゼルフ共和国のエルフ達も、西の同族と同じで部族社会であった。アルリア達のテレシア族はアゼルフ共和国で最もヤングラトに近い部族で、しかも他に七つの部族が存在する。
そのためアルリアからすればテレシア族の決め事に加え他の部族との協定もあるわけだ。こうなると、彼女が独断で他種族を入国させるのは、ますます困難に違いない。
「ええ、構いませんよ。まだ私達は出会ったばかりですから」
「それでは食事にでもしましょうか」
にこやかにソティオスが微笑みつつ応じると、ラジミールも同じような柔らかな口調で中休みをしようと提案した。
確かに、まだ会ってから半日も経っていない。昼食の後は蒸気船の見学も予定しているし、それから再び説得をしても良い。どうやら二人は、そのように考えたらしい。
ちなみにラジミールも、アゼルフ共和国への訪問を望んでいた。エレビア王国としても、これを機会にアゼルフ共和国との関係作りを進めたかったのだ。
エレビア王国が接しているのは、キルーシ王国とアゼルフ共和国のみだ。そしてキルーシ王国とは改善の気運が出てきたものの、現状では不透明である。そのため彼らは東南の隣国との交流にも大きく期待しているようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
ラジミールは、食事が用意されるまで別室で寛ぐようにと勧めた。もちろん言葉通りの意味だけではなく、ラジミールは双方の陣営に相談する時間を与えたのだ。
延々と問答を続けても逆効果になりかねないだろう。心を解すには間を置くのも大切というわけだ。
「やっぱり動きが鈍いですね~」
「最悪の場合、私やラジミール殿は残れば良いだけですが。もっとも私もエルフの国に行ってみたいですし、ラジミール殿も正式な国交樹立に持ち込めないかとお考えですから……」
ぼやくような調子のミリィに、シルヴェリオは肩を竦めながら応じた。
会談の間ミリィは十歳のエルフの少女として振舞っていたし、シルヴェリオは自身が割って入り拗れることを懸念したらしく口数が少なかった。そして、どちらも普段は話好きな方である。
そのためだろう、二人は案内された別室に入った直後に言葉を交わしていた。
「例の『南から来た男』やルバーシュなる人物の真実を確かめるだけなら、私やミリィ殿だけで問題ありませんが」
「そうですよね~。とりあえず、今日一杯は頑張りますか~」
長椅子に腰掛けたミリィは、そのまま後ろに倒れこむように伸びをした。
エレビア王国の長椅子は、ゆったりとした造りで背もたれの角度も大きい。そのためミリィは仰向けに近い体勢となり、顔は天井に真っ直ぐ向いている。
ミリィが今日一杯と条件を付けたのは、明日はアゼルフ共和国に旅立つ予定だからである。
最優先である謎の海神に関する情報収集のため、一日も早くエルフの長老がいるイスケティアというテレシア族の大集落に向かいたい。これはソティオスやシルヴェリオも同意するところであった。
「私としては、アゼルフ共和国の仲間達にも他種族と共に歩む喜びを感じてほしいものです」
「とはいえ今日明日に判断しろ、というのも酷だとは思いますが……」
ソティオスとシルヴェリオもミリィの向かい側に腰を降ろす。ただし、この二人は行儀良く座っている。
室内にいるのは三人だけだが、自分達の前にいるのは神の眷属だと彼らも察しているからであろう。もっとも、その神の眷属は自由気ままに振舞っているのだが。
「奥の手はありますが~。アルフール様にお出ましいただかなくても、フォージさん達にガオ~、ってやってもらえば~。
……シノブ様は海燕隊って付けましたし~、白い虎もアリですね~」
天井を向いたままのミリィの呟きに、ソティオス達は苦笑を交わす。気軽に神の降臨を口にするのもそうだが、光翔虎に脅させるという案も反応に困るものだろう。
シノブは二頭の光翔虎にミリィ達の支援を頼んだ。シャンジーの父フォージと、フェイニーとフェイジーの父バージである。
フォージはデルフィナ共和国、バージはカンビーニ王国に棲家を構えている。そのためソティオスとシルヴェリオにとって、彼らは畏敬の対象でもあった。
二人が言葉に詰まったのは、それも大いに関係しているに違いない。
「強制は良くないと思うのですが……」
「私達だけで行っても同じかもしれませんよ~。邪神が現れたって信じてもらえなければ、神託をいただくか竜や光翔虎を見てもらうか、そうなりますから~。それにヨルムさんやイジェさんは、こっちで姿を現していますし~」
戸惑いが滲むソティオスの言葉に、ミリィは遅かれ早かれ知るだけだ、といった調子で応じた。
確かに岩竜ヨルムや炎竜イジェ、それにオルムル達は、既に都市ペルヴェンや王都エレビスに赴いている。したがって超越種たる彼らから語りかけてもらう手もある。
「それもそうですね。ところでアゼルフ共和国も殆どが森ですが、そこに光翔虎様はいらっしゃらないのですか?」
「いないみたいですね~。いたら話が早かったのですが~」
シルヴェリオの問いに、ミリィは残念そうに応じた。彼女は既にアゼルフ共和国の上空も飛翔しているし、光翔虎の棲家を探してもいた。
光翔虎自身は姿隠しを使うから、発見は難しい。しかし彼らが棲むような魔力が濃い場の中心部を巡れば、巨体を隠すような洞窟を見つけることは可能である。
もちろん時間を掛けて調べたわけではないから、ミリィが見逃したのかもしれない。だが、アルリア達に探りを入れたところ、それらしき存在を彼女達は知らなかった。
「……フェイジーさんとメイニーさんの棲家に出来るから、ちょうど良かったのかも~。ともかく、お昼ご飯にしましょ~。エレビアのお料理、結構美味しいですよね~」
気楽な調子を崩さないミリィに、二人の男性は再び笑いを浮かべていた。
もっともミリィは、食欲だけに気が向いたわけではないらしい。彼女は複数の紙片に手早く何かを書き付けると、続けざまに通信筒へと放り込む。
◆ ◆ ◆ ◆
マルタン達は、再び飛行船で大空に昇っていた。彼らは予定通りに整備と休憩を終えたのだ。今、飛行船はアジドが先行している大砂漠の内陸へと向かっている。
とはいえアジドがいる場所は、まだ大砂漠の外縁部だ。最も広い場所だと大砂漠は東西と南北の双方とも1000kmを超えるが、アジドは海岸から50kmほど北上しただけである。
どうやら炎竜の長老は、まず近場から入念にと考えたらしい。
「あっ、また通信筒ですね」
「今度はどなたでしょう!?」
胸元から通信筒を取り出すマルタンに、アントンは興味深げに頭上の狼耳を動かしながら訊ねた。
シノブ達は通信筒を日常的に使っているが、アントンが目にする機会は少ない。まだ少年の彼が惹かれるのも無理はないだろう。
「ミリィ様です。やっぱりエルフの動きは鈍いようです。でも、少なくともミリィ様やソティオスさんだけは入国させてくれるそうですよ」
「そうですか! ……でも、通信筒って便利ですね。ヤングラトってここから600kmはあるそうですし、陛下がいらっしゃるのは2000km以上向こうですよね!」
アントンの言葉通り、一つ前はシノブと共にいるアミィからの返信であった。
シノブ達がいるのは、2500km近く離れたヴァルゲン峠だ。それに対しマルタン達が開発した魔力無線は、まだ800km級が完成したばかりである。
しかも通信筒は指先くらいの大きさだが、長距離の魔力無線は付属の設備も含めれば家のように大きい。そういった魔力無線の現状を知っているだけに、アントンの驚きは大きいようだ。
「そうですねぇ……私としては、随分と複雑ですが」
マルタンは悔しげな表情で頭を掻いた。結婚してからは綺麗に撫で付けられた黒髪が、大きく乱れる。
「未だ我らの及ぶところではない、と思い知らされますからな」
飛行船の後部に繋がる通路から操縦室に入ってきたのは、アントンの養父ピッカールであった。
シノブは転移や通信筒の代わりとすべく、魔力無線や飛行船、蒸気船の開発に手厚い支援をしている。そしてマルタンやピッカールを始めとする研究者達も熱心に取り組んだ。その結果、これらは急速な発達を遂げている。
しかし開発担当は、神々の手になる品と自分達の作品との差をどうしても意識してしまうようだ。彼らはシノブの意図を察して性能向上に励んでいるだけに、まだまだという思いが強くなるらしい。
『自分達の力で、というのは理解できます。『光の盟主』も地上のことは地上の者で、と考えているようですし……。ただ、もう少し気軽に声を掛けてほしいとも思っています。私達も地上の者なのですから……』
炎竜ハーシャの声は、僅かだが寂しげであった。
確かに、竜や光翔虎も同じ地上で生きる存在ではある。しかしシノブは、超越種に頼るのは原則として異神など超常の存在に関する事柄だけ、としていた。
それに対しハーシャは、遠慮しなくてもと感じているらしい。
「陛下は一方的な関係を望ましくないとお考えです。陛下ご自身はオルムル様達を庇護し、竜や光翔虎の皆様に充分お返ししています。とはいえ人間全体として見た場合、力を借りているだけの者が殆どですから」
「そうですな。やはり自分達で何とか出来ると思うと……。陛下のいらっしゃったところでは、竜の皆様に負けないくらい速く飛ぶ乗り物があったそうです。それに通信筒のように小さな道具で、どことでもやり取り可能だったと伺いました」
マルタンとピッカールは、好意に甘えてばかりでは駄目だと考えているようだ。また自分達も同じ高みに登れると知った以上、成し遂げてみせるという思いも強いらしい。
「これらの道具を否定するつもりはありません。それに陛下のお力も。……ガルック平原会戦を始め、これまでの諸々は陛下のお力があってのことです。竜や光翔虎の皆様の御助力も、陛下がいらっしゃらなければ無かったこと。
我々だけでは帝国の打倒など遥か先となったでしょう。それに多くの悲しみがあった筈ですし……」
『今は力を借りても、いつかは頼らずに、ということですか?』
マルタンの言葉に、ハーシャは何やら感ずるものがあったらしい。若き研究者を彼女は金色の瞳で真っ直ぐに見つめている。
「はい。今は無理でも、向かうべき目標として捉えれば良いだけです。彼我の差を冷静に見極め、正しい道を選ぶ。軍人だったときに教わりましたが、研究も同じだと思います」
「それに、使えるものは使うという割り切りも大切です。生きていくためには、ですな」
マルタンは軍人、ピッカールは魔道具製造工場の工員であった。そして双方とも、理想を掲げるだけでは生きていけないと過去の人生で思い知ったようである。
とはいえ、これは二人が優れた資質を持っているからだろう。彼らに現実を見る賢さがあったから、ここまで成功した。それは誰もが認めるところに違いない。
『……アジドです。大砂サソリの群れを発見したそうです。謎の存在を誘き出すためにも狩ってみると……近いですから、すぐに見えるでしょう』
番からの思念を受けたハーシャは、飛行船の指揮を執るマルタンへと顔を向けた。そして彼女は、更に大よその位置や方角を伝える。
「行ってみましょう。大砂サソリに遠距離を攻撃する能力はないと聞いています。ですから少し離れた上空から観戦すれば問題ないでしょう。……全速でお願いします」
「了解しました! 高度維持、一時の方向、全速前進!」
マルタンの言葉を受け、操舵士が舵を切る。すると飛行船は僅かに右へと向きを変え、更に速度を増していった。
「あ、あれですね! す、凄い大きさだ! いったいどれだけあるんだろう!?」
『全長10mほど、数は十二頭だそうです』
双眼鏡を覗き込みつつ叫ぶアントンに、ハーシャは律儀に答える。
砂漠の上には似たような砂色のサソリ、その斜め上空に真紅の巨竜アジドだ。彼はブレスでの攻撃を始めており、既に数頭が無残な姿を晒している。
更にアジドは細く絞ったブレスで、逃げ始めた巨大サソリも順に貫いていく。そして炎竜の長老は、アントンの叫びが消えるよりも早く全てを倒し終えていた。
「これは……差を認めるしかないですね」
「……割り切りが大切ですな」
年長の研究者二人は、自身が先ほど口にした言葉を繰り返していた。
大砂サソリは、極めて一部の武人のみが戦える存在だ。それらを瞬殺した炎竜の長老は、比較するのが馬鹿らしくなるほど絶対的な強者である。
「ですが、いつかは並びたいですね」
「そうですな……いつかは」
マルタンとピッカールは諦めてなどいなかった。そのためだろう、飛行船の操縦室に明るい笑顔が満ちていく。
そして飛行船の外では、超越種の中でも長老と敬われる偉大なる存在が、高らかな咆哮を上げていた。それは魔獣を倒した凱歌ではなく、自身と同じ空に上がってきた人々への祝福なのだろう。
真っ直ぐに飛行船を見つめ自身の声を轟かせる炎竜アジド。そして操縦室の中では伴侶たるハーシャも静かだが喜びの歌を奏でる。
そして二頭の応援を受けた飛行船は更なる高みへの希望を乗せて、真っ青な空を突き進んでいった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年12月15日17時の更新となります。