20.02 立ち塞がる者
アスレア地方だと、アルバン王国は歴史の長い国だ。アルバン王国の建国は創世暦689年、現存する国で更に古いのは西隣のアゼルフ共和国だけである。
ただしアゼルフ共和国はエルフの国で、彼らは他種族の三倍から四倍ほどの寿命を誇る。したがって、これは例外とすべきだろう。
一般に年月が絡む場合エルフ達は特別扱いされるし、アゼルフ共和国は他国と殆ど交流がない。そのため最も歴史ある国と問われたら、アスレア地方の多くの者がアルバン王国を挙げる筈だ。
もっともアスレア地方の遥か西、大砂漠やオスター大山脈を越えた先のエウレア地方では事情が異なる。かつてのベーリンゲン帝国に対抗するためエウレア地方には六百年から五百年ほど前に広域国家が相次いで誕生し、現在でも殆どが存続しているからだ。
またアスレア地方の遥か東にある島国、ヤマト王国は更に古い。あくまでアルバン王国は、近隣だと古い国というだけである。
とはいえ三百年以上も国を保ってきたのは立派なことだ。
元々豊かな土地だが、豊かだからといって平和になるとも限らない。実際、現在アルバン王国となっている地域も大きな国として纏まっていた時期ばかりでもないし、また広域国家が存在した時代も東西の二国となっただけであった。
つまりアルバン王国は、この地域を初めて統一した国家でもある。
「だから昔のことが判りにくいんですかね? セデジーミルさん?」
問いを発したのは、アマノ王国の若手諜報員ミリテオだ。
もっとも今の彼はミリテーリクという偽名を使っている。ミリテオを含む一行は、アルバン王国に潜入中だからである。
アルバン王国は、キルーシ王国やエレビア王国と文化的な共通点が多い。そのためミリテオを含め、今回も同じ偽名を使っているのだ。
「そうだな。特に東部は現在のタジースからの侵略もあったから、不確かな情報が多い。学者としては調査のし甲斐があるが……」
幌馬車の向かい側の座席からセデジーミル、つまり老年の諜報員セデジオが応じた。
セデジオが呟いたように、今回は学者の一行としている。セデジオが元商会主で学者趣味の隠居、ミリテオ達が使用人である。
これは遥か昔を調べに各地を回るなら、最初から学者とした方が良いという判断からだ。
ミリテオの他に男二人、女二人の諜報員がおり、こちらも使用人で助手となっている。ちなみにセデジオとミリテオを含め、全員猫の獣人だ。
アルバン王国はアスレア地方でも南の国で、種族は人族と南方系の獣人族だ。つまり、この国にいるのも猫科の獣人だから、全員が元の種族のままにしている。
ただし長期の潜入のため、彼らもアマノ王国に戻ったり休暇を取ったりもする。そのため彼らは、変装の魔道具を使って随時入れ替わる。
もっともセデジオ、ミリテオ、そしてホリィという中核の三人が交代することは難しい。そこで街から街への移動と見せかけて、一旦全員がアマノ王国に引き上げることもある。
「お爺様の歴史探求も、随分と本格的になってきましたね。流石、エレビア王国から来るだけはあります」
からかうような口調で祖父と呼んだのは、ホリィである。大商人セデジーミルの孫娘ホーリヤが、彼女の役柄だ。
ただし道楽の歴史研究で余生を楽しむ大商人など、そういるものではない。そのため一行は、遠い西のエレビア王国からキルーシ王国を越えてきたことにしている。
エレビア王国とキルーシ王国は、大使を交換していないが商人の行き来はある。そしてエレビア王国から旅した場合、アルバン王国に辿り着くだけで1000km以上だ。つまり訪れることは不可能ではないが、こちらで詳しい者などいないし身元を確かめる術もない。
もっとも仮に確認されたとしても、今は問題ない。当初はエレビア王国の商人としての身分証を偽造して入国したが、今は正式なものとなっているからだ。
シノブはエレビア王家と親しくなった際、彼らにホリィ達の調査について概要を伝えた。そしてエレビア王家も人の心を狂わす邪術の根絶に強く賛同し、正式な身分証を提供してくれたのだ。
「しかも、今回は呼び寄せ無しで移動していますし」
隣に座ったセデジオを見上げるホリィの頭上では、猫耳が楽しげに数回揺れた。一行の全員が猫の獣人だから、彼女も同じ姿を選んだのだ。
「もう二週間以上ですから。途中を見なくては掴めぬことも多いと思います」
セデジオは元商人の演技を止めていた。
相手は聖人に並ぶ存在である。そして、この馬車は乗り合いではなく自前だから、演技をしなくても良かった。
しかし諜報員達は役柄に自身を慣らすため、なるべく役に応じた物言いをするようだ。おそらく咄嗟のときに失敗しないためだろう。
ちなみに馬車の御者は諜報員の男女一組だ。つまり車内には残りの一組がいるのだが、こちらは会話に加わってこない。この二人は入れ替えで昨日アマノ王国から来たばかりで、しかもホリィと組むのは初めてだから緊張しているようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「そうですね……せっかく魔法の幌馬車があるのです。もっと活用すべきかもしれませんね」
畏まったセデジオに、ホリィは少しだけ寂しげな顔となった。しかし彼女は再び笑顔になると、車内を見回す。
実は、この幌馬車もアムテリアが授けたものである。シノブ達が使う魔法の馬車の簡易版とでもいうべき品だ。
もっとも機能的には、さほど違わない。幌馬車から大きく変わらぬ程度の外観の偽装、魔法の馬車ほど完全ではないが揺れの少ない車内、これまた魔法の馬車よりは狭いが異空間に収まった隠し部屋など、基本は同じである。
隠し部屋には転移のための神々を描いた絵もあるし、大部屋だが寝室、そして簡素だが洗面所や浴室、キッチンまで備わっている。おそらくアムテリアは、最も遠方で長期の探索をするホリィに支援を、と思ったのだろう。
魔法の幌馬車にも呼び寄せ機能があり、今までの移動はホリィが飛翔で先行してから呼ぶ形で行ってきた。ちなみにアムテリアは馬車を牽く馬も含めて呼び寄せ可能としたから、移動は極めて容易である。
しかし短時間で各地を回るためとはいえ呼び寄せを駆使したから、こうやって普通に街道の全てを馬車で移動することはなかったのだ。
「ホーリヤ様の仰る通りです! 旅の途中で手掛かりが見つかるかもしれません!」
ミリテオは若者らしい活気のある声を上げた。今回、都市ダクールから王都アールバへの250km少々を普通に旅するのは、彼が口にした理由からだ。
ここはアルバン王国の主要街道の一つで都市に次ぐ規模の町もあるし、王都アールバからキルーシ王国へと向かう道筋だから『南から来た男』が通ったかもしれない。
そのためホリィ達は、街道を進みながら情報を拾うことにしたわけだ。
「ええ。ゆっくり歌や演奏でもしながら進みましょうか。こちらの楽器も仕入れたことですし」
ホリィも大きく頷いた。そして彼女は脇に置いていた弦楽器を手に取る。
それはエウレア地方ならリュートと呼ばれる類の、ギターに似た楽器であった。アスレア地方では、セタールなどと呼ぶものだ。
「良いですね! お前達も加われ、こっちの風習に慣れる良い機会だ!」
ミリテオの言葉に、二人の男女も笑みを浮かべつつ頷いた。そして男は太鼓、女は笛を選ぶ。
潜入部隊は事前にアスレア地方の文化をある程度学んでいるし、多少の差異はあるがエウレア地方にも似たような楽器は存在する。しかも彼らは、こちらの曲で有名なものは押さえていた。エウレア地方もそうだが、一定の教養人なら多少の演奏くらいこなせるからだ。
「それでは『大商人ルバーシュの七つの冒険』にしましょうか。お爺様は元商人ですから」
ホリィが口にしたのは、アルバン王国では有名な歌であった。一人の交易商が幾多の冒険をしつつ各地を回る様子を歌ったものだ。
「おお、そう来ましたか! ……しかし船乗りや海の交易商の歌ではないのが残念ですな」
セデジオが言うように、この辺りでは海運業が発達していない。それに他のアスレア地方の国も同じであった。
アスレア地方で南の海に接しているのは、西からエレビア王国、キルーシ王国、アゼルフ共和国、アルバン王国、タジース王国だ。
このうちアゼルフ共和国は元から森に篭もるエルフだから、まず除外される。その結果、他国も海を渡って交易をしにくかった。アゼルフ共和国のアズル半島は非常に大きく、海岸線は1500kmを超えるからである。
エレビア王国とキルーシ王国は戦ってこそいないが、良好な仲とも言えない。タジース王国は馬での移動を好み港を整備しない。その結果、アルバン王国も自国の沿岸を行き来する程度となったわけだ。
「すぐに海の大商人が現れますよ。遥か西のエウレア地方からですけど」
ホリィの言葉に、残りの四人は声を立てて笑っていた。確かに数年もすれば、エウレア地方の商人達がアスレア海を行き来するようになるに違いない。
そんな予感からだろう、元々明るい曲調の冒険歌は更に楽しげなものになっていた。
◆ ◆ ◆ ◆
大商人ルバーシュとは、五百年ほど前の人物だ。彼は現在のアルバン王国の西部南方、都市アストラの近辺の生まれだという。
漁師の子として生まれたルバーシュは、若き日に突然商人を志した。一説によると、投網漁をしていたら資金となる何かを得たという。もし本当なら、河や海に沈んでいた宝でも手に入れたのだろうか。
このころ都市アストラや都市ダクール、王都アールバを含む一帯はカーフス王国、東にシールバ王国と、後にアルバン王国となる地は二国に分かれていた。そしてカーフス王国は充分に栄えていたが、シールバ王国は更に東から侵入した騎馬民族により崩壊しつつあった。
しかも北の今でいうキルーシ王国の地には前王朝のガザール王国が誕生したばかりと、商人が躍進できる要素が多かったようだ。
「……東に行って荒稼ぎ~、だけどルバーシュすってんてん~、そこで北へと向き変えた~。北のガザール禿げ鷲だ~、だからルバーシュむしられた~、そこで砂漠に逃げ込んだ~。ルバーシュ砂漠で火の鳥に~。これで運がやって来た~」
歌の通りなら初期のルバーシュは随分と苦労したようだ。
どうもルバーシュは最初に得た資金で商品を買い込み、混乱極めるシールバ王国に乗り込んだらしい。荒稼ぎというのは物価が高騰する地での商売を意味しているようだが、戦場での遺品漁りなどの可能性もある。
次に向かったガザール王国でも大失敗だったようだ。ガザール家の紋章は鷲だが、禿げ鷲と歌われるのだから身ぐるみ剥がされたと思われる。
そして砂漠というのは大砂漠のようだ。もっとも、本当にルバーシュが大砂漠に乗り込んだのかは判らない。キルーシ家の紋章は火の鳥で、当時キルーシ家は西の大砂漠近くに押し込められていたからだ。そして実際に、ルバーシュはキルーシ家を後ろ盾に得て成功への道を歩み始めたらしい。
「……国に凱旋ルバーシュは~、豹姫に出会って一目惚れ~、そこでエルフの符を取りに~。エルフの魔法は強力だ~、だけどエルフはカンカンに~、人を操る許せない~。解放されたルバーシュは~、とっくに嫁いだ姫を見る~」
更に幾つかの冒険を経て、ルバーシュは大商人となってカーフス王国に戻った。そして金の次は美姫と思ったのだろうか。彼は王女を得ようとしたらしい。
もっとも漁師の息子であったルバーシュが、名家の中の名家である王家から妻を貰えるわけがない。そこで彼はエルフの符術を頼ろうとしたというのだ。
心を操る魔法は隷属に繋がる。しかも催眠などの一時的なものではなく恒久的に惚れさせるなど尚更だ。そのためエルフ達は激怒し、ルバーシュに長期の強制労働を課したという。
しかもエルフ達は長寿だから刑期も長かった。何とルバーシュの強制労働は、三十年以上に及んだらしい。そのためルバーシュは死亡扱いになり、蓄えた財産も他者の手に渡っていたそうだ。
「ルバーシュ心を入れ替えた~。王都で小さな店開く~。老いてはいるけど知恵がある~。エルフに学んだ賢者様~、ルバーシュ豹姫の孫教え~、お店も国も栄えたよ~」
歌の通り、ルバーシュは姫の孫で後に王となった人物の教師を務めた。エルフはルバーシュに強制労働をさせたが、生活自体は劣悪ではなく一定の知識も授けてくれたのだ。
そしてルバーシュは晩年の十年ほどを国王の相談役として過ごし、カーフス王国を富ませたという。
「……意味深な歌ですよね」
熱唱で頬を上気させたミリテオが、暫しの空白の後に呟いた。
ルバーシュは『南から来た男』より二百年近く後の人物だが、歌には当時や更に昔のことが盛り込まれている。そのためキルーシ王国やアルバン王国を調べているミリテオは、歌詞から浮かび上がる歴史に思いを馳せたようだ。
「うむ。アルバン王国は東と西の文化的な差が大きい……これは間違いないようだ。それに『南から来た男』の伝説も、東だと明らかに後の改変がされている。やはり西半分……せいぜい中央までが『南から来た男』の出身地なのだろう」
セデジオの言葉に、ホリィ達が頷く。
『南から来た男』の出身地が、現在のアルバン王国の海岸地帯なのは間違いないようだ。ただし、ここがと名乗りを上げる場所は多かった。どうも過去の地方領主達が、大きく世を乱した大悪人を最初に追い払ったのは自分だとして箔を付けようとしたらしい。
しかし各地の伝説を収集すると、王都アールバまでと更に東で差異があると理解できた。
東では『南から来た男』に馬に纏わる逸話が多く含まれていた。馬乳を飲んだ、乗馬の達人だった、などである。
現在の東の隣国タジース王国も騎馬民族系である。つまり東側の住人達が思い描く強者は、馬術の名手が絶対条件なのだろう。
しかしキルーシ王国に入ってからの『南から来た男』の逸話に、そういったものは無い。乗馬が下手ともしていないが、特別に馬術の凄さを強調してもいなかった。このことから考えると『南から来た男』の出身地がアルバン王国東部という可能性は低いだろう。
「そうですね。戦地での商売を目論むのは、自分達とは遠い土地だという意識もあるのでしょう」
ホリィは、ルバーシュが戦場稼ぎをしたことに注目したようだ。
単純に商機のある地に行ったのではなく、多少の無法を働いても許されると考えた。しかも武人でもなんでもない、単なる漁師の息子が。
当時の者が東を全く別の地だと見ていたからというのは、ありそうな話だ。
「その……漁で得た、というのは『南から来た男』と関係ないのでしょうか?」
「単なる宝物かもしれませんが……」
今回アルバン王国に初めて来た男女が、遠慮しがちに意見を述べた。彼らも一緒に演奏したことで多少は気持ちの余裕が出てきたのかもしれない。
「それはあるかもしれないな」
ミリテオは否定こそしなかったが、声音からすると半信半疑なようだ。
長く沈んでいても使えるのだから、金貨など変質しにくいものだろう。しかし、そのくらいなら戦争で逃げた者や沈没した船の積み荷という可能性も大いにある。
しかし、やっと話に加わったのだから頭ごなしに否定するのは避けよう。ミリテオは、そう思ったのではないだろうか。
「そして火の鳥というのも……大砂漠には、やはり火に関する神獣がいるのでしょうか?」
「否定は出来ませんね。ルバーシュの伝説がキルーシ家からの支援を示すとしても、どうしてキルーシ家は火の鳥を紋章としたのか……エウレア地方の場合、紋章にしか存在しない生き物は聖人が伝えた一種の象徴のようですが……」
セデジオの問いに、ホリィは苦笑しつつ応じていた。彼女は聖人と同じ神の眷属だから、真実を知っているのだろう。
エウレア地方の紋章には、双頭の鷲や一角獣、それに火の鳥などが存在する。だが、それらは空想の産物のようだ。どうやら各国に現れた聖人達が、各家の象徴に相応しい図柄をと選んだだけらしい。
したがってキルーシ家の先祖に聖人と関係する話があれば、同じように実在しない生き物と考えることも出来る。だが、ホリィ達が今まで収集した情報では、キルーシ家に聖人の影は感じられない。
そうなると、やはり火を象徴する超越的な存在が大砂漠にいるのでは。実際に、自然の常識ではありえない気候となっているのだから、その可能性は充分にある。
「大砂漠については、シノブ様にお願いしましょう。私達が空から調べても、何も見つかりませんでしたから。仮に火の存在なら、炎竜の皆さんに調査していただいても……」
大砂漠は、ホリィなど金鵄族の三人が上空から調べた。ただし彼女達が得意とするのは風属性で、しかも空からの調査である。
それに対し、炎竜達は火属性だ。しかも大砂漠にはオアシス以外に人が住んでいないから、竜が調査をしても騒ぎにならない。であれば得意な者に任せるべき、というのは妥当な判断である。
「それにしても、ここでもエルフ……符術ですか。しかも確か王女の子孫、つまりルバーシュの教育したカーフス王国の末裔は、現在のアルバン王家に入っているのでしたね?」
「そうだ。カーフス王国は、ルバーシュが王を支えた創世暦500年代半ばから五十年ほど更に栄え、その後衰退した。しかし末裔は初代アルバン王の第一王妃になったそうだ」
セデジオは、ミリテオに大きく頷いてみせた。
カーフス王国は、創世暦650年ごろまでは続いた。しかし、そのころは各地の太守が独自に動いており、実際には太守の一つという程度でしかなかったらしい。
ただしセデジオが語ったように、その血は現在のアルバン王家に受け継がれている。
「ルバーシュがエルフの秘術を求めに行った、というのも『南から来た男』の何かを知っていたのかもしれませんね。ミリィによれば、アゼルフ共和国からの使者は、明日彼女達のいる都市ヤングラトに着くそうです。彼女からも突いて……」
ホリィが同僚に頼むと口にしたそのとき、馬車の速度が急に落ちた。しかも外からは、大勢の人が走っているような騒々しい音が響いてくる。
◆ ◆ ◆ ◆
「お前達、不運だったな!」
「たった一台で護衛も付けずに……そんなに襲ってほしいのか!?」
馬車の外で得意げに叫んでいるのは、二十人ほどの男達だった。彼らは馬車の手前、王都アールバへと向かう側を塞いでいた。
身に着けているのは年季の入った革鎧、そして振りかざしているのはアスレア地方の西部で一般的な細い湾刀だ。
「これは……」
「何というか……」
馬車から降りたセデジオとホリィが、顔を見合わせる。どちらも、やれやれ、とでも言いたげな苦い顔である。
「たった七人かよ!? しかも女が二人に子供一人! お頭!?」
「惜しいが足が付いても困る! グズグズしていると他が来るしな! 全員殺せ!」
頭目らしき者の言葉に、男達は残念そうな表情となる。しかし頭目の言葉は絶対なのか、彼らは文句を言うこと無く指示に従った。つまり、ホリィ達を殺そうと襲ってきたのだ。
ホリィ達の馬車は、他と隊列を組んでいなかった。しかも前後に他の隊商や旅人はいない。そのため襲撃者、おそらくは盗賊の常習犯達に目を付けられることになったようだ。
「私達が! ベディモ、ヴェニオ、ミアナ!」
小剣を抜いて叫んだのは、若手の諜報員ミリテオだ。そして御者として残った女性やセデジオとホリィを除く三人、男性二名に女性一名が続く。
相手の数は多いがミリテオ達は厳しい訓練を積んだ軍人で、彼らの技能は諜報だけに限ったことではない。そのため四人とも落ち着いた表情で襲撃者達を迎え撃つ。
「なるべく取り押さえてください!」
「聞きたいこともあるからな!」
そのようなわけで、ホリィとセデジオの表情は余裕が漂っていた。
この二人くらいになれば彼我の実力差を読むなど造作も無い。つまりミリテオ達に任せておいても大丈夫、ということである。
ホリィ達は油断から単独行をしたわけではない。何しろ色々秘密を抱えている身で、しかも魔法の幌馬車の機能を使うなら周囲に人がいない方が好都合だ。
そしてホリィは神の眷属で、セデジオ達は騎士でも上級に属する。
しかもミリテオ達は、つい先日まで激しい戦争を繰り広げたアマノ王国軍の騎士である。実は、大人しげに見える女性隊員ですら幾度もの戦いを潜り抜けているのだ。
おまけに彼らを鍛え上げたのは、もはや伝説となりつつある英雄、メグレンブルク伯爵アルバーノだ。おそらくミリテオ達なら、目を瞑っていても盗賊の十人や二十人を片付けるだろう。
「馬鹿にするな!」
「馬鹿だろうが!」
向かってくる男に叫び返しながら、ミリテオは剣を振るう。
まるで一振りにしか見えない素早さで、若き諜報員ミリテオは相手の湾刀を弾き飛ばすと首筋に自身の小剣を打ち込んだ。もっともミリテオは剣の平で打ったから、襲撃者は気絶しただけだ。
他の三人の諜報員達も、同じように生け捕りにしていく。
「次! アルバーノ流小剣術、飛燕! ヒャッハー!」
飛び込んだミリテオは、同時としか思えない早業で左右の二名を打ち倒した。そして奇声を上げた彼は、更に四人目へと向かっていく。
「そんな技、無いぞ……」
「しかも最後のは……ミリィですね」
セデジオとホリィは、盗賊達と遭遇したときと同じくらい苦い顔となっていた。
アルバーノ流小剣術というものは存在する。アルバーノが故国カンビーニ王国に始まりメリエンヌ王国の傭兵時代、そして戦闘奴隷を経てシノブに仕えてからも含め体得した技の集大成が、それである。
これを軍ではアマノ王国軍特殊戦闘術としている。しかし多くの者はアルバーノ流と呼び、分野ごとにアルバーノ流小剣術、アルバーノ流格闘術などと呼び分けていた。
ただしアルバーノ流に飛燕という技はないし、ミリテオのような奇声を上げることもない。おそらく、これらはホリィの想像通り、彼女の同僚の入れ知恵であろう。
もっともアルバーノ自身も柔軟に諸々を取り込んで自身の闘技を造り上げたし、意表を突いた攻撃や敵を幻惑させるような動きを駆使する。そのため仮にアルバーノがミリテオの飛燕なるものを見たら、それを新たな技として認定する可能性は大いにある。
それはともかくミリテオの絶叫から少々で、襲撃者達の全てが沈黙した。
少し離れた場には連絡役らしき男が潜んでいたが、隊員の一人はあっさりと彼を発見し気絶させた。流石はアルバーノやソニアの部下達と言うべきか。
「ホーリヤ様、どうしますか?」
「全員気絶していますね……なら、時間が惜しいですから……」
セデジオの問いに、ホリィは魔術の行使で応えた。
まず襲撃者達を催眠魔術である眠りの霧が包んでいく。続いてホリィは土魔術を使い、彼らの湾刀を変形させた。彼女は刀から手枷と足枷を作り出し拘束したのだ。
「ミリテオさん、馬車に積み込んでください。彼らは情報局本部に送って徹底的に調べてもらいましょう。仲間や拠点も含め、根絶やしにしないといけません。
本来ならアルバン王国の役人に引き渡すべきですが、説明すれば私達の力を怪しむでしょう。とはいえ密かに役所の前に放り出しても、彼らが黙秘すれば相応しい罰を受けずに解放されるかもしれません」
よほど怒っているのだろう、ホリィは偽名を使わずにミリテオを呼んだ。
ホリィは魔法の幌馬車の機能を使い、盗賊達をアマノシュタットに転移させるようだ。盗賊達は、最初から殺害を前提としていた。しかも随分と慣れているのか、全く躊躇せずにである。そのため彼女は、残党も含めて完全に始末するつもりのようだ。
「御意!」
ミリテオも、ホリィの表情から何かを悟ったらしい。剣を収めた彼は、近くにいた四人を素早く担ぎ上げ馬車の中へと入っていく。もちろん他の隊員も同様だ。
そのようなわけで、僅かな時間で馬車は再び王都アールバへと向かい始める。
◆ ◆ ◆ ◆
その日の夜、街道から遠く離れた森の中。幾つかの粗末な小屋に潜む男達は、仲間達がどうなったかを知ることになる。
「う……何だ!?」
「て、敵……」
およそ二十名もの仲間が帰ってこないのだから、残党達も不安に怯えていたのだろう。彼らは眠れなかったらしく、深夜だというのに全員が起きて警戒していた。
しかし数多くの潜入や強襲を成功させたアマノ王国の特殊部隊に対し、それらは何の役にも立たない。
数度の物音。それだけであった。そして昼間と同様に、隊員達が魔法の幌馬車に残党を運び込んでいく。
「ホリィ様! 作戦完了しました!」
特殊部隊の隊長が、ホリィに向かって敬礼をする。隊員達と同じく、漆黒の軍服の偉丈夫である。
「ご苦労様です。この者達も、同じように自白させてください」
ホリィが言葉を掛けると、隊長は機敏な動きで馬車へと入っていった。
今回は、馬車ごと転移をさせる。そのためホリィは、用意していた紙片をアマノ王国で待機しているタミィに送るべく、通信筒に入れた。
「明らかな内政干渉ですが……とはいえ出会ってしまった以上、このような人でなしを放置しておくわけにはいきません。早く国交を樹立して……」
自身に言い聞かせるように、ホリィは呟く。そして暫く瞑目した彼女は、強烈な風魔術で盗賊達の使っていた家屋を切り刻み崩壊させた。
「少なくとも、この森には他にいませんよ~。汚物の消毒は完了だ~、ですね~」
青い鷹が、空から降りるなり今のホリィと同じ猫の獣人の姿に変じた。もちろん彼女は金鵄族のミリィである。
「ミリィ……そうです! 貴女、ミリテオさんに変なこと教えたでしょう! 盗賊を倒すとき『ヒャッハー!』と叫んでいましたよ!」
一旦は表情を緩めたホリィだが、直後に真顔になって同僚に詰め寄った。どうやら彼女は昼間のことを思い出したらしい。
「ええ~!? 倒す側がですか~! ミリテオさん、もっとキチンと指導しておくべきでした~」
「そこが問題じゃないでしょう! 冗談なら冗談と言わないと! 彼がシノブ様の前であんなことを言ったらどうするのです! もしかしたら降格されるかもしれませんよ!?」
ずれた言葉を返すミリィに、ホリィは更に激しい剣幕で詰め寄った。確かにミリテオがシノブ達の前で妙な行動を取ったら、彼の人生に大きな影響を及ぼしかねない。
「わ、悪かったです~。ともかく、これで終わりですね~。それでは夜の散歩です~」
再びミリィは青い鷹に変ずると、西に向かって飛び去っていく。
ミリィはエレビア王国のヤングラトまで飛翔して戻るのだ。彼女達が全力で飛べば、一時間かそこらで着く距離だから確かに良い散歩なのだろう。
「全く……でもミリィ、ありがとう」
見送るホリィの顔は、いつの間にか綻んでいた。
ミリテオに対してはともかく、先ほどのミリィは沈んだホリィの気持ちを上向かせるために冗談を口にした。そう察したのだろう、月明かりに照らされるホリィの顔には最前と異なり憂いなど全く存在しなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年12月11日17時の更新となります。
本作の設定集に19章の登場人物の紹介文を追加しました。また異聞録の第二十五話を公開しました。
上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。




